2013年1月11日 (金)

「クルーズ日誌」が引っ越しました

萩原高のWEBサイトリニューアルにともない、「クルーズ日誌」が引っ越しています。現在、以下のサイトで更新していますので、よろしくお願いします。

「クルーズ日誌」最新版(萩原高WEBサイト「萩原高の眼」内)

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2007年11月22日 (木)

07.06.15 帰国初日

やられた。深夜の2時30頃だった。両大腿部の内側にパイプが入ったように、固くなっていたかと思うと、強烈な痛みを伴って、筋肉が攣りだした。居たたまれずというのは、このことだろう。ベッドから抜け出すのも難儀だったが、そのまま、洗面所に吊り下げてあるドライヤーを手探りで触る。電源を入れて熱風を痛みが走る大腿部に当てる。左手で洗面所の灯りを付ける。モーターの音が鳴ったことで、カミサンが起きてきた。湿布薬を出してきた。後で、バンテリンを塗るから、心配しないで寝てくれと追い返す。「今日もデッキゴルフやるのなら、ごめんだぜ……」体がそう訴えているような痛みである。大腿部の付け根を温めると一番効果的だと、昔スポーツトレーナーに聞いたことから、攣った場合の応急手当として「ドライヤー様」の熱風に頼っている。パジャマの上から火傷しそうな近さで当てる。5分経った頃ようやく筋肉が緩んでくれた。そこにバンテリンを懸命に塗り込む。

しばらくは立ったままの姿勢で、溜まっている新聞の束を読んだ。そして、メールの受信チェックをしてみた。2352通の他に、なんと迷惑(スパム)メールが1985通もあった。留守を知らない方へのお詫び返信をこれから徐々に打つのだが、いつまでかかるかだ。これから、段ボール箱一杯分の新聞と、1箱の半分分の郵便物もある。今日は一日中これを読むことになる。パジャマ姿で過ごしたいが、夕方には、手荷物以外の、横浜港で委託した日通の宅配便、段ボールがドンと届く。

HDDに録画しておいたTV番組も早く見終わらないと、いざという時に録画容量が不足してしまう。そして、来週から8月までは、待たせた学生との授業がある。 が何よりも先にしたいのは、生まれたばかりの次男の子供に対面したい。今日の最優先はそれだ。

 

P1030580P1030578 昨日、気象庁は「東京が梅雨入りした」と言った。だが今日はなんと真夏日。いったいどうしたというの か。日本は社保庁だけでなく、気象庁まで変だ。僕も数日前から、左手が痺れ始めてきた。脊椎がずれて血行が悪くなっているのか。デッキゴルフのし過ぎでしょとは、呆れ顔でいうカミサンの弁。 Img_9676P10003041_2P1000307 今朝も、神戸に向かう遠州灘辺りで、パックを叩いているスイスイ・マダム工藤の笑い声が響き、ロング・キング松田のアチャアアというバンザイする姿とオートボケ・デビル高嵜のニタリ顔が、眼に浮かぶ。僕には、42戦をこなしたが、もう体力的には限度だったのだ。

そのにっぽん丸は、神戸入港の後、休む間もなく北上して、礼文島に向かう。今、世界一周クルーズ中の飛鳥2は、12日パナマ運河を通過したところだ。ぱしびは、キュラソー(オランダ領アンティル諸島)に寄港している。そして5日後の17日、追いかけてパナマ通航予定だ。いずれも、満室で航行していると聞く。日本のクルーズイヤーは本格的にそのサービスを問われる時代に入ったと言える。この三隻を卒業し外国籍船に乗り込む日本人が、世界の寄港地で誤解を与えないように振る舞うこと、海外で活躍している邦人の誇りを傷つけないことを願う。シニアの船客が多く、世界を回る。どうやら、日本人が長寿であることから、日本は、「スシ」「トウフ」などの食生活も、「マッサージチェア」や「ウオッシュトイレ」などの生活品も「ケンコウ」というイメージで結びついているようだ。尤も、米国の新聞では、日本人には近頃政治家に「武士道」の品格が失われてきたとも書かれる。然し「イチロー」にはそれを見ることができるという。我々はどうだろう。

Img_7143 先に、地球を横に世界一周クルーズしたので、今度は縦にした。横の時は、中国、インド、イスラムと世界の文化の流れに沿って、十字軍の足跡、キリスト教文化などから、徐々に西欧的な都会光景を目にしたが、最後のアラスカで、西欧文化の極みとなる排気ガス汚染が大自然を壊していることを警告された。今度は、アジア系の民俗がいかにして海を乗り切り、クック船長に負けず劣らずの航海術で北米まで帆を操ったか、ラピタ人の航路を辿った。そこには、石器時代を思わせる生活が残っているかと思えば、缶詰などの保存食生活や歩かない車社会で急激な糖尿病を患う島民、そして衛星TVにより、異国の文明に戸惑っている姿があった。西欧人による文明の利器が環境破壊を生じさせ、温暖化が季節を変えさせていることを目の当たりにした。横軸と縦軸のクルーズは、生きていることの検証でもあった。

南洋航路は寄港地の少ないことが幸いして、航海日を長く楽しみながら、デッキゴルフ三昧をした。その分、海洋動物たちの姿は余り目にすることがなかった。彼らは、既にアラスカ方面へ北上している時期だった。

 

 P1050240 071108_20530001 水墨画家・王子江の個展を銀座で、ジャズチェロリスト・吉川よしひろのコンサートも都内で3回、一龍齋貞心会の講談も日本橋亭で数回、 また、過日は古今亭菊の丞さんが、北村英治とのトークショーを企画し、上野鈴本演芸場で初のクラリネット生演奏があった。囲碁の山本先生と一緒になった。洋上で知り合ったアーティストの方々と下船して繋がっているのも、ロングクルーズの賜物P1050114Dscf0612Dscf0610である。

  



 これで、250泊を越えたクルーズはひとまず終わった。帰国して、戦友と日本デッP1040576_2キゴルフ協会を設立した。これからは陸デッキゴルフリンクを姫路の他関東地区に創れれば嬉しい限りだ障害物のある不規則なスペースでもいい、床面の緩い高低も構わない。使われていない体育館、屋上テラス、テニスコート、駐車場など探してみたい。 現在は、MPOAS系の(にっぽん丸、ふじ丸*写真 は、全天候型2面を持つふじ丸後部デッキの右舷側)船客しか、デッキゴルフを楽しめない。陸でショットするか、船上でショットするか。

もう一度ロングクルーズをするために、せっせと宝くじを買おう!日本宝くじ協会によると、1年間に1回以上買った人は日本人の498%もあるそうだ。年末ジャンボ宝くじで1等が当たる確立は、東京ドームに敷き詰めた新聞紙へ、天井から針を落として新聞活字の1文字に刺さる確率と同じくらいだと読んだことがある。佐賀駅前の売場がよく当たると専らの噂だが、そこまで遠出するなら交通費で宝くじの枚数を増やしたい。その宝くじ、大事する余り、しまいこんだ場所を忘れてしまうことが何度もあった。一番駄目なのは、僕自身なのだ。

 

Img_6122P1030234Img_2406 地球が「水の星」であることをクルーズで堪能し、デッキゴルフを知った。僕のいわば、麻薬は、潮風に吹かれ、揺れる鉄板の上で遊ぶデッキゴルフだった。Img_6126 Img_6851 Img_6147 頭を過ぎるのは、何日にも亘ってプレイした戦友の姿だ。乗らなければ解らない洋上生活。フェリーに酔ってしまった僕が、クルーズが堪らなく好きになるなんて信じてくれない同期生に、また性懲りもなく、クルーズの効果を説得して回ろう。そして、休筆していた07年次の世界一周クルーズ航海日記を、記憶の薄れないうちに再び書き始めことにしよう。

・・・・・・・・・・・・・・・*この航海日記で多くのデッキゴルフプレイの写真を快くお提供下さいまた高木ご夫妻に、深く感謝申し上げます。

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2007年11月20日 (火)

07.06.14 帰国 横浜入港

Img_2444 白状すると、実は昨夜、シャンパンからひれ酒、ワインにビールとチャンポンで飲み過ぎたため、横になったらすっかり寝入ってしまった。2個の段ボールに書籍類を分配し、衣料を仕分けただけで、少し休むつもりが、不覚にも寝てしまったのだ。2時半に目が覚めたとき、部屋の風景は一変していた。あれほど散乱していた段ボール箱がきれいに片付いている。段ボールには既にガムテープできっちり封がされ、しかも何箱もが、戸口に積まれてあった。スーツケースも縦になっていた。パッキングし終わっているということだ。酒に飲まれて役に立たなかった亭主が、真夜中に半身を立てている。無様である。寝息を立てているカミサンに、「すまん…お疲れさん」と小声で感謝した。役立たずの僕は、もう一度眠らせてもらう。

 

今朝は、6時には二人とも起きて顔を洗っていた。すぐにでも使えるように携帯電話の充電も互いに終わった。パソコンは叩けない。もうバッグに入れている。しばらくは、テレビの画面を見つめていた。妙に感傷的にさせる。世界の海で撮られたイルカの姿の上に何回も現れてくる文字がそうさせる。「また海の上でお会いしましょう」という文字。それと交合に房総半島の沿岸図が現れ、そこに向かって本船を表す白い点が徐々に向かっている。オルゴールでサザンのメロディが刻まれている。再び、文字が現れる。なにも切々と語ってくれているわけではない。目で感情を揺さぶってくる。

11時、東京湾入口。12時、浦賀水道。13時、横浜港沖合い。14時横浜大桟橋着岸。気温22℃』

刻々と、横浜港が近づいてくるのだ。これが短い間隔で何度も入れ替わる。嫌が応にも過ぎた日々を思い出させ、別れの時間が迫っているぞと、教えている。走馬燈のように頭に浮かぶ。

 

Img_2308 朝食に向かう。船客同士がすれ違いざまに頭を下げ合っているが、言葉が少ない。誰も目が赤い。
いつもと同じように、オートミールとヤクルト、トマトジュースとエッグポーチで終わる。工藤さんが「教授!」と呼びかける。03年世界一周クルーズの時、大学を辞めて乗ったのだが、助教授だったと説明しても、彼女に「教授!教授!」と大声で呼ばれる。「今は、講師しかしとらんよ」訂正しても、「そんなん、ええやんか。どっちゃでも同じ大学の先生や。あだ名にしょ!あだ名よ、教授!ははは」とうとう、仲間からもそう呼ばれて4年が経ってしまった。その彼女が背後から肩を突ついた。「今日もやるんよ。待っとるからね」そう言って足早に消えた。
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『北緯33°52′、東経147°56′。野島先の沖760kに来ております。速力173ノット、時速32k、天候は曇り、北の風13m、気温205℃、水温23℃、波の高さ約15m。気温22℃。正面に見えている島は伊豆諸島の利島です。右前の大きな島が伊豆大島です。これより伊豆大島に沿って北上し、東京湾に入ってまいります。浦賀水道に入るのは12:00頃、13:00頃横浜港港外、14:00頃横浜港大桟橋着岸予定でございます。
天気予報では西方から低気圧並びに雨が押し寄せてきています。もう既に雨を感じる程になっております。昨日13日には平年より一週間遅れにて九州北部・四国地方が入梅しました。
P1030363P1030366にっぽん丸は14:00頃横浜港に着岸いたしますが、右舷付けといたします。着岸しても、荷物の搬出並びに通関準備のためすぐには下船できません。 3時間の停泊にて17:00出港でございます。神戸は明日15:00着岸予定です。
本日の横浜の天気は、残念ながら午前中から弱い雨、夜中には雨が強くなります。気温は22
です。尚、西から低気圧が近付いています。1002hpaと、大きく発達はしておりません。横浜を出港し神戸へ向かう今夜は、南寄りの波高2.5mの予報でございます。神戸の天気予報は弱い雨です。
横浜下船のお客様、にっぽん丸にご乗船いただき誠に有難うございます。 乗組員・スタッフ一同、改めて御礼を申し上げます。  横浜港着岸まで今暫くお寛ぎください』

P1030338 P10300486_11船内に八点鍾と共に、船長の声が響く。これを聴くといよいよ慌ただしい。クリスマスの鐘が鳴り亘って、ギフトを買い回らねばならないと追い立てられるようだ。浮き足立ってしまう。

 

一旦部屋に戻ってから、4階のプロムナードデッキを、一歩一歩足で踏みしめて歩いていった。居る、居る。鉄板のコンディションを確かめている。雨模様だと解りながら、黙々と玉を打っている。言葉を交わすと、これまでの想いが一気に噴き出しそうで、みんな寡黙だ。デッキの床面も泣いている。人影が映り混むほど濡れている。ショットが難しい。

P1030359白組:菅谷、萩原、草浦、高木保彦、高木敏恵。赤組:松田史郎、松田サエ子、高嵜、工藤、塩野。

名残惜しい気分で、玉を打つ。いつまた、この船上で会えるか定かでは ない。1ヶ月の集大成の打撃を見せる。ナイスショットが出た時に、思わず喜びの声が上がる。重苦しい空気を敏恵さんやサエ子さんが和らげてくれる。3番から4番ホールの戦いに入ると、徐々にいつもの冗談が飛び出す。オートボケ・デビル高嵜だ。「来年、世界一周せえへんの、教授?」「行けないよお!無理、無理!!」「うちら、おとうちゃんと行で、申し込んだわ」「高木さんとこも申し込んだ言うとったよ」「松田さん!あんたらも、行くでしょお?」もう来年の話をしている。そう言えば、Hさんは、2010年まで、もう申し込んだとご本人が言っていた。船は、乗ってみれば解るが、こりゃあ、説明の付かない麻薬だ。

 P1030352 P1030347 P10303415番ホールの攻防戦 になると、誰もがいつもの気色立った顔に戻っていた。声も叫びに変わっている。船は、伊豆大島の横をゆっくりと抜けていく。普段眺める大島の裏側である。ゴルフコースが見えてきた。その先には、熱海や富士が見えるはずだ。

P1030346 P103036 結局、白の我々が勝った。バッド・コンディションだったが、ラストを白星で飾った。ゴルフの最終ホールでティショットが思い通りに飛んだ時の気分である。次に繋げたような気がする。

06年の世界一周クルーズでは、接岸していても、まだデッキゴルフをしていたことを思い出す。年老いた男女が、長い棒の箒でデッキの掃除でもしているのか。横浜大桟橋で出迎えの人たちの目には、そう映ったに違いなかった。デッキゴルフのメンバーの多くは、神戸まで乗っていく。高嵜さん、松田さん夫妻、塩野さん、工藤さん、高木さん夫妻。7人もいれば、神戸までゲームはまだまだ続く。

 

P1030379 P103038 昼食をした。浦賀水道に入った。船は、横浜のベイ・ブリッジをくぐった。遥か先に、ランドマーク・タワーが霞んで見える。下船は、5階の船客から始まって、順次1階となる。まだ充分に時間はある。写真を焼き付けたCDを渡しながら、最後の挨拶をし合う。泣いている人たちが多くいP1030384 P1030378 る。もう会えないかもしれないと言っている。確かに、乗船客の3割以上は、僕も含め、なんらかの病気にかかっている人たちだ。杖を突いていた人が、帰国時には杖を手にしないでも歩けるようになっていることは、よく目にした。毎朝、スポーツデッキで潮風を受けながら、ラジオ体操に通った人、フィットネス教室に通った人、規則正しい生活を続けている内に、健康を取り戻した人もいる。元来の内臓疾患などの人は、再びストレスの溜まる世事の生活に戻ることで、もう乗れない人もいる。そうした想いが去来するから、抱き合って別れを惜しんでいるのだ。全国から集まった人たち、一期一会となるか、新しい交友となるか、それは、暑中見舞いが舞い込む頃に見えてくる。

P1030434 P1030424 旗が配られた。プロムナードデッキが騒がしくなってきた。携帯電話で、桟橋と交信している人。望遠レンズで顔を探している人。1ヶ月前の光景が舞い戻ってきた。寄港地で先に帰国した講師やアーティストの方々が出迎えている。雨が降っているので、出航の時ほどの人はいない。

神戸に帰る人も、一旦はイミグレを通る。なぜなら、日本に帰国したのだから。荷物は、スタッフが次々と税関まで運び出してくれている。

P1030439 P1030440 下船する。手を振る。イミグレの前で、ジュン君と握手で別れる。

 

スタッフの浅間君が荷物を運んでくれる。ここで最後のハプニングが起きた。P1030441「麻薬なんか入ってないでしょうね?」税関員が身を乗り出して、にこやかに冗談を言ってくれる。「ありませんねえ」笑って答えた。ところが、相手の顔から笑い顔は消えている。麻薬犬が怪しい手荷物を探知したというではないか。スーツケースから、段ボールまで開けられ、何度も手を入れて探られた。カミサンと二人、見合わせて驚く。係官は、探知した犬の行動を信じたいですからと、笑いながら、手を入れている。我々は為す術もなく、その場で立ち尽くすのみ。何が匂ったのか、見当も付かない。しきりに首を傾げながら、衣服や土産物を手にとって探していた。身に覚えがない我々二人は、笑いながら質問に答えていた。かなりの時間が経ったころ、カミサンが「主人が腎不全ですので、特殊な食べ物を持って出ました。ビスケットのようなものです。これです」と差し出して見せた。小腹が空いたときに食べられるように持ち込んだ残りだった。妙なものがひっかったものだ。麻薬犬の訓練には、無塩食など初体験だったのか。ともあれ、何も出てこないままに終わった。当然のことだが、気がつけば下船した船客の姿は、とうの昔に消えていた。周りには、どうなるかと見守ってくれていたクルースタッフだった。途端に汗がでてきた。まあ、最後の最後までメモリアルな出来事を創ってくれるものだ。

 

宅配便のカウンターで段ボール類を預け、タクシーには、重要なものと、すぐ必要なものを入れたスーツケースを2個トランクに入れた。車窓をひさしぶりの日本の風景が流れている。ビル群をあらためて眺めていると、急激に成長しすぎた国に思えた。日本をどこかに脱ぎ捨てて、無理してアメリカナイズした国で、それでいてなりきれていない。追従したままで、独立していない風景だった。「バナナ族」。外資系企業を渡り歩く日本人を俗にこう呼んでいる。内面は白人だが、やっぱり外側は黄色人だという揶揄。日本の街も「バナナ」だなと、首都高を上野で下りた。明日から、1ヶ月分の新聞の切り取り作業が始まる。そして、二人で5000枚以上の写真を整理削除することも始まる。そして何よりもまずは、孫の顔を三井記念病院に見に行くのだ。今晩は、エンジンの震動無しでも眠れるだろうか。心配だ。

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2007年11月14日 (水)

07.06.13 日本へ7

P1030209 2時半に目が覚めた。未だカミサンがパソコンを叩いていた。520分、再び目覚めた。今度は僕がパソコンを叩く。テレビ画面のナビを見ると、北緯33°。進路を一旦下げている。そのままだと、勝浦辺りに付き進む位置だったのだ。いずれにしろ、地球の放物線に沿って航跡を描いているのが、尤も効率のいい航行だ。左舷後方は、黒い雲が下りて水平線も見えないのだが、前方には水平線が見え青空も広がっている。日本の天気は、関西から崩れるが関東は今日一日天気マークだったと記憶している。TVは、NHKだけで民放の電波は未だ受け止められない。

明日は横浜に入港、帰国である。洗面所に行こうと立ち上がった。机の上に一枚の紙が置かれてあった。インビテーション・カードだった。

『ご結婚記念日おめでとう御座います。本日御夕食の席にてお祝いさせていただきたく、ご案内申し上げます』

MOPASには、船客データがあるのだ。2月生まれのカミサンと4月の僕には、クルーズでの誕生日祝いは、無縁である。せめて、二人の結婚を決めた日くらい、船上で祝ってもいいかと、二回目の世界一周クルーズの時に初めて申請したのだった。それにしても、14日は、下船当日である。首を傾げながら朝食に出た。

そこで、ファースト・シッティングの工藤さんとばったり。「私たち、神戸まですんのよ。今日もやろか、やるやろっ、ほな、あとで」それだけ言い終えて、階段を上がっていった。カミサンは、荷造りのやりくりに僕のデッキゴルフ時間も、既に織り込み済みだった。

するか、考えているところへ、菅谷さんの顔。このことを伝えると、「9時には行きますよ」当然の如く、言い返された。

早すぎた朝食を終え、ひさしぶりに、部屋に戻って八点鍾を聴いた。

 

Img_2327_12『大変穏やかな天気です。前線の北側に出ています。北風を受けています。気温も下がってきました。

北緯33°52′、東経147°56′。野島崎の沖、760kに来ております。速力173ノット、時速32k。天候は曇り、北の風13m、気温205℃、水温23℃、波の高さ約15m。

コースが折れ曲がっておりますことにお気づきでしょうか。ちょっとした騒動がありました。昨夜のグランドフィナーレが終わりかける頃、海上保安庁より『航空機の遭難した可能性有り、航空機を飛ばすので、救助願いたし』との連絡を受けました。現場は、南東90マイルの位置とのこと。このエリアの船舶では、最も近い5時間で到達できる地点にいましたので、本船は進路を変えました。030分過ぎ、周辺海域での捜索が始まりました。捜索の結果、02時に海上保安庁より『遭難見当たらず』として、救助体勢の解除がなされました。再び進路を横浜に向けました。これが航跡の折れ曲がった理由です。

横浜の天気、入港時の14時は小雨という予報です。気温22℃。手荷物は小さくされ、雨具をご用意下さいませ』

折れ線の意味が解った。

カミサンが、記念日は下船日だがと、インフォメーション・デスクに訊きに行った。こうした記念日は、1ヶ月前、2週間前と事前に準備し、親しくなった方々と同じ席で食事をするというのが、どうやら船の上では慣例のようだ。しかし、出航間もない時期ならまだしも、寄港地が重なってくると、知り合いになる方も増え、どなたに声を掛けるのかに悩むことが多い。また、そのために、美容院の予約をして、着飾って来る方もいらっしゃる。このため、リピーターの中には、ひっそりと二人だけで乾杯してしまうケースが増えている。高嵜廣子さんの誕生日がそうだった。

「ご都合がつけられるならば、是非お祝いさせていただきたい、とご案内させていただきました」インフォメーション・サービスの担当者は、是非受けて下さいと勧める。「では、お別れ会にもなりますので、他の方数人とご一緒の席をお願いいたします」「では、マネージャーの平に申しつけてくださいませ」「有り難う御座います」

 

「荷造りいつやろうか?」「いいわよ、まだ。デッキゴルフやるんでしょ。その時間は差し引いてあげるから、やってきてくださいよ、ラストなんだから、気の済むまで…」

9時に後部に行くと、高嵜さん、工藤さん、松田ご夫妻、高木敏恵さん、菅谷さんといつもの顔が当然という顔で僕を見つめる。塩野さんは、奥様の許諾を得るために、すっ飛んで戻って行った。様子見に来ていたとは、嬉しい限りだ。

プレイをすることだけが嬉しいという面々だが、飛び抜けて塩野さんの腕が上がっている。「これでは、横浜で降りたくないでしょ、神戸までどうですか」「ええ、えへへへ」と僕。

 

東京組には、最後のデッキゴルフになった。昨年は、横浜港に着岸作業をしてる間も、プレイしていた。下船まで税関手続きの時間を見越してだ。出迎えのターミナルからは、いい歳をした男女が、モップでデッキを入れ違いに声を出しながら拭いているように見えたそうだ。

P1030078_612 結局、オーラスのゲームは、高嵜、塩野、萩原、高木敏枝が、菅谷、松田夫妻、工藤に勝った。神戸下船組は、神戸港に着くまでギリギリいっぱいやり続けるに違いない。今度は、雨天も出来るふじ丸で、関東組対関西組でやりましょうと言って終わった。今日が46戦目の日だった。

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「誰か、最後の僕に『このスティック1本プレゼントしてやれ』とでも言ってくれませんかああ!?」手にしているのは、実は、03年次から愛用してきたHの印を付けた旧式のスティックである。本気で、横浜桟橋へ秘かに投げ落として、落とし物扱い、いや掃除道具の棒きれとして受け取りたいくらいだ。

 

昼食はラーメンだった。口にすると、無性に「源太ラーメン(蛋白減、塩分減の病院食)」が何杯も欲しくなっていた。

食後こそは、荷造りだ。部屋に帰ると、早速、スーツケースを拡げた。今晩と明日の服を外して、しまい込む。足を通さなかったズボンが2本、腕を通さなかったポロシャツ類が4着あった。

P1030200_2 0613_2_1img_2346 1350分、「イルカの群れが船首方向に」というアナウンス。荷造りの最中でもあるからだろう、さほどバタバタした廊下の動きは、もうなかった。

 

 もう一度アナウンスがあった。 P10301961階からエレベーターで6階のブリッジに上がってみた。最後の動物を見ようと、かなりの人数が集まっていた。右舷側のウイングで突然嬌声が聞こえた。慌てて飛び出した。その指さす方向へカメラを向けた。連写にする時間はなかった。イルカが3回、海面下を 滑るように泳ぐ姿を見た。その動きをトレースするように、カメラをつけていった。シャッターを切った。1回目は失敗した。 二回目、その姿が潜った。そのタイミングでこちらも呼吸を整え、P1030190シャッターを切った。入ったと思ったが続けて追った。深く潜って閉まった。空シャッターを切った。

レビューしてみると、見事にイルカが海面から飛び出していた。やった。 片山一彦先生が傍にいた。写真を見せた。「凄い!」の一言だった。

 

気分良く部屋に帰った。松田さんから電話で部屋に来てくれと言う。夕方には、最後の「リーグ戦優勝表彰式兼打ち上げ会」が7階のリドデッキである。このことか。

訊ねてノックするがいない。高嵜さんが3階の自販機からビールをバケツに買い溜めている最中かと3階に下りる。姿はなかった。4階のプロムナードデッキを走る。松田夫妻の姿もない。6階のスポーツデッキに出てみる。大勢の人が集まっている。須磨和声率いる弦楽四重奏のアーティストも、ステージ衣装のままである。いったい何が起きたのか。見回すと、なんと、船客写真を撮ろうとしているのだ。聞いていない。知らなかった。一段上のデッキから、水本カメラマンと、平野写真師がカメラを構えている。カミサンに知らせたくとも、間に合わない。

「船内スピーカーで船客に知らせてほしいな」傍にいた蘇クルーズ・ディレクターに頼んだ。しかし、彼はこう言った。「いいんですよ、これくらいの人数で」。ままよと、僕だけ写真に収まっておく。Img_9693

撮られ終わったが、どうも釈然としない。すっきりしない。蘇君の言葉が引っかかる。そもそも、この集合写真は、03年世界一周クルーズの最後に、同乗のカメラマン東さんが発案したもので、クルーズの想い出をCD化するに際して最後に挿入するカットだった。だから、出来るだけ多くの船客の顔を記念として残すことだったはずだ。だから、06年世界一周クルーズの時には、デッキゴルフのプレイの合間に後部デッキから上がって加わった。今でもその時の船客の皆さんが部屋で笑っている。顔を覗き見る度に想い出が甦る。同じ釜のメシを食った仲間というか、同じ日本人村で暮らした仲間と思える貴重な写真でもある。それを、カメラのフレームに寂しくない程度集まればいいのだという軽い捉え方が間違っている。蘇君が一期一会の船客の気持ちを察することができないからだ。半年も陸に下りないままの洋上生活者には、解らない気持ちなのだ。船客の顔が多ければ多いほど、その記念写真は価値のあるものになっていくのだから。

 

Cimg0170頭の中は割り切れない気持ちで、エレベーターを待つ。高嵜さんとばったり出遭う。7階に上がった。いつものように、リドデッキ脇の各種教室が開講されるスペースに、今夕は優勝者表彰式と打ち上げが行われる。メンバーの大半が顔を揃えていた。

ブロックアイスに挟まれて大量の缶ビールが高嵜バケツに積まれてある。このビールは、ホールインワイン提供者の協力で買ったもの。それぞれの前にウーロン茶や缶ビールが配られて、最年長者の菅谷さんが乾杯の音頭を取った。顔を見なければ、何処かの部活合宿のような雰囲気である。

Img_7058Cimg0176_3 Img_7070_2 会長とは今航海の名ばかりの仮称であるが、せかされて挨拶をさせられた。その機会に、各人の戦績を発表した。68分というトップの勝率を誇るプレイヤーに惜しみない拍手をと前置きをして、工藤さんの名前を挙げた。拍手が起きた。Img_7083 Img_7089 工藤さんの少女っぽい笑顔が、さらにみんなを嬉しくした。勝率第2位は僕で625厘。7連勝した結果が戦績に大きく影響したのだろう。5連勝したのも工藤さん、4連勝は僕と高嵜さん、鬼界さんが記録した。40戦こなしたのは、神戸から乗り込んだ松田さんと高嵜P1030234さんだった。優勝は、菅谷チーム、2位が高嵜チーム、最下位が松田チーム。それぞれに賞品が手渡された。忙しいスタッフチームも顔を見せてくれた。

 

菅谷さんから、横浜下船組と神戸組とで対戦したいねと提案Img_7086があった。みんな賛同した。新たに明日、横浜帰港直前に、もう一つの対決が持ち上がったのだ。こんな盛り上がり型は珍しい。高嵜さん菅谷さんのデッキゴルフへの想いがこうまで熱くしてくれたのだと思う。07年のクルーズが、ほんとうに想い出深いものになる。

 

さて夕食だが、荷造りをしてしまったので、既に普段着しか残していない。一緒に会食してくれる方々も同じだろう。

レストランに入ると、平マネージャーが創ってくれていたのは、センターの、センターの席だった。困った。晴れがましいことにはしたくないと言っておいたのだから、困った。正直、左舷でも右舷でも奥座敷が良かったのだ。今となっては、席替えも出来にくい時間だったが、敢えて平さんにそのことを話した。「この真センターの席は、船長席です。滅多に座れませんよ」ニコニコしながら、受け流された。「みなさんも荷造りした後ですから、カジュアルですよ」記念日というのは、前もって美容院に行かれる方、セミフォーマルにされて臨む方など、そうした姿を見慣れている他の船客の目が気になる。「最近、どなたも記念日をされないので、是非、我々の狙いを理解してください」相変わらず、笑顔でセンターテーブルに案内してくださる。高嵜夫妻、松田夫妻、高木夫妻が着席。一応にその位置に驚きの声が出る。クルーズ最後の席だからと互いにいいながら座る。徐々に席が埋まってきた。

Img_7124Img_7126 今晩は、航海日最後の夕食ということで、にっぽん丸ヘッドシェフ日浦田さんによる特選和食である。ふぐ料理だった。ひれ酒はメニューにあるし、松田夫妻は飲めないし、シャンパンを頼もうと手を挙げた時、シャンパンを手にした腕が背後から伸びた。驚く僕に、高木敏恵さんが、どうぞと合図している。気づかないうちにオーダーしてくれていたらしい。恐縮してしまった。各自に注がれる。乾杯と声を掛けられる。周囲の席が振り返る。ついに、気恥ずかしいバンドのメロディが近づいてきた。久しぶりに聴く音楽だった。 Img_7137 Img_7130「コングラチュレーション!」と描かれたプラカードを背に、船長からローソクの立ったケーキを差し出される。最後の最後に晴れがましく二人で立っていることの恥ずかしさ。周りの席からも拍手される。汗が出てきた。下船したら、またカミサンの手を煩わして、減塩料理を作ってもらうのだから、その拍手は彼女へのエールだと思っておこう。クルーズを終えると、しばらく奥さん方は料理の献立を考えるのが面倒になる、Img_6830いや、料理の仕方を忘れるという話もあるほどだ。1ヶ月間、僕の減塩調理をして下さった日浦田シェフに感謝。

 

今夜は、ボトルキープしてある焼酎を空けられそうもない。まだ、片付けが残っている。だから、カジノ券も余っている。次回乗船までお預けか。せっせと。宝籤を買わなくては。ホールを越えるつもりでなければ、パットは決まらない。打席に立っても、バットを振らなければホームランは打てないのだ。

デッキゴルフという仲間を得られて、ホントに良かった。夫婦で付き合える間柄は長期間乗船するクルーズだったから得られたのだ。クルーズしたいという同級生に、下船したらさらに勧めてみたい。P1030250

 




 例の集合写真についての知らせ方は、船内新聞では各階の施設の営業時間を伝える7ページ目に書かれてあった。 P1050109 P1050108クルーズ慣れしてきた船客にとっては、見なくなっているページである。見落とすはずだった。広告業界でいうところの「伝えても伝わるだろうか」である。やはり、今後は、時間軸で書かれる場所で、知らせるべきだと思う。

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2007年11月 5日 (月)

07.06.12 日本へ6

時刻改正もあるが、3時に目が覚めていた。4時間は眠っていたことになる。そして、あれこれ、今回のクルーズを回想しながら、5時まで横になっていた。

Img_2385 朝が明けた。水平線がぼやけてきた。フォグである。舳先の映像が真っ白くなり、船窓の風景も寝ぼけている。速度を16ノットに落としているせいか、船の揺れは少ない。波もさほど立っていない。大きなゆったりとしたうねりである。

今日は、次男の嫁の帝王切開手術の日である。孫が生まれてくるのが気になるので5階にメールチェックに行った。5時だというのに、既に2人の方がメールを打ち込んでいた。手術に関しては何も入っていなかった。ならばと、ハワイで下船して京都に帰った鬼界さんへ、デッキゴルフの戦況報告をしておいた。

7階に上がってスリムビューティ・オートバイブに10分間乗った。なにせ、1時間歩いたと同じ運動量が下半身に与えられるというから、ついつい乗ってしまう。東京では1500円也だ。

4階に出て後部のデッキコンディションを下見に行った。4階も5階もデッキは水浸しだった。しばらく自分でスイープしていたが、二人のフィリピンスタッフに床面を拭いておいて貰えないかと頼んでおいた。6階のラウンジ「海」には、まだコーヒーの準備も整っていなかった。軽やかに叩いているピアノの音がしている。朝からエンタティナーの誰かがリハーサルかと覗くと、なんと、横浜の元女医さん、平岩さんだった。お嬢様育ちが背中に見える。お歳は80歳くらいだろうか。脇目もふらずに黙々と鍵盤を叩いている。とても清々しい光景に遭遇した。

 

740分には、レストランで朝食を食べていた。天井のスピーカーから、船長の声が響く。

『海も風も穏やかな朝ですが、霧が出ています。視界が1mを「霧」と言っています。北緯33°29′、東経156°23′。野島崎の860マイル、1600kmの位置に来ています。時速33k、天候は霧、南西の風10m、気温195℃、水温18℃、波の高さ約2m。東側に波長の長いうねりがあります。現在、前線の裏側に出ています。尚、本日を以て、船内時間は日本時間と同じになりました』

 

820分、後部デッキに向かう。フィリピンクルーが丁寧にスイープしてくれたお陰で、床面は早くも乾き始めていた。スティックを握ると、アルミのポールが手にべたつく。塩の湿気だ。パックを打ってみる。滑りが悪い。少し力を込めると滑りすぎる。手強いコンディションだ。コントロール出来そうもない。5番ホールからゴールへ、4番から5番へと、長距離の打ち出し角度とフルショットでの自分の距離ヤードを調べておく。ゴルフのパットの練習に似ている。20本くらい打った。5階の階段から女性が降りてきた。スタッフの浅間君だ。彼女は、剣道をやる腕っ節の強い打者である。練習を始めた。

彼女の打撃的中率がどの程度か、しばらく様子を見てみることにした。予想外に飛距離は短い。徐々に応援団、いやギャラリーも顔を出し始めた。メンバーのロング・キング松田、オートボケ・デビル高嵜共に長袖姿で現れた。今日の対抗スタッフ、破壊的強打者のアメラグ高崎(以下同じく仮称)、調律師で小技の巧いピアニシモ黒川、的中率確実のジーマメ田実も揃った。後はキラー・コンドル菅谷を待てば、開戦できる。野次馬大将になっているネプチューン・スター長坂が嬉しそうな笑顔を見せた。Cimg0161

 

95分、先攻は白組のスタッフからスタートした。スタッフ側のアメラグ高嵜の調子がイマイチだ。凄まじい強打力を発揮するのだが、スカも多い。高崎君の攻撃を封じるのに、徹底的に距離を長く保つよう、僕は秘かに提案指示した。涸れに焦りが見える。打ち出し角度が数センチ狂えば、的中率は自ずと下がるからだ。玉に当たらなければ、その勢いは遥か先にオーバーランする。戻るには、7人のプレイの後にしか打順は巡ってこない。局面は大きく変化してしまっている。さしもの高崎君もその対応に悩むはずだ。もう一つの策は、飛距離の短い浅間君を釘付けにすることだった。

白の軍団が1番でもたつく間に、赤軍は2番から3番ホールを陥れた。白は徐々に分断されていった。浅間君が、「孤児ハッチだわ」と叫んだ。ここで、ニックネームが決まった。「ミナシゴ・ハッチ浅間」と命名した。黒川君は、勝負処でやはり小技を決めたので、そのまま「コワザ・ピアニシモ黒川」、夏祭りでバチ捌きが冴え、「ボン・オドリズム田実」、打撃王には、「アメラグ・ショッカー高崎」のプレイネームを差し上げる。

Img_2365_612Img_2358_612_2 Img_2364ゲーム展開は、明らかに年齢差体力差のあるシニア組の我々が意地と練習量で、1打1打を考え抜いた。接近戦では勝ち目はImg_2379Img_2405ない。赤組に蹴散らされる。各自がその距離感がどう保てるかが勝負だった。その成果は5番ホールで表れた。

 白が全員権利玉になった時点で、赤は菅谷、松田の二人がホーム(ゴールホール)をクリアして20。高嵜・萩原で、ホームを狙う白の4人を迎え待つ体勢をとった。

Img_2381 白がホームを狙って撃ち込んでくる。次第に白が最終ホールに集まってきた。ギャラリーが固唾を呑む。1打を打ち損じると、赤の袋叩きに会う場面である。ホームに近づいて敵失を誘う高嵜式強攻策。ドボンされにくい延長線上に玉を置く僕。こうした繰り返しが何度もある。碁石打ちのようだという人がいる。ショッカー高崎が強打でミスをした。1番 ホ ール近くに流れた。強打者の玉がホームから離れた。チャンImg_2403_612スである。コワザ黒川、ミナシゴ浅間、3人を連続して場外に弾き出した。高嵜さんは先にゴールしろと言う。自力で一発勝負、約2ヤードを狙った。外枠に運良く入った。中枠に僕がクリア。独り残った高嵜さんは、例の誘導策に出た。確実性を誇る田実君は緊張パリパリ。ミスをした。ボン・田実は崩れるようにデッキに座り込んだ。結局、ミスを誘発した高嵜さんの勝ちで、ゴール。デッキゴルフのシニア組は、ギャラリー共々、雄叫びをあげた。遂に、若いスタッフとの雪辱戦に勝ったのだ。いい年寄りが肩を叩き合って異様な興奮をしていた。どんな大声も潮騒に吸い取られていった。

0165 勝者は敗者を引き込んで、無理矢理記念写真を撮った。喜びの「V」サインと、スタッフの泣きっ面「Λ」サイン姿を、仲間が証拠写真を撮りまくってくれた。

これで、デッキゴルフに悔いを残すことなく、下船できるというものだ。日本デッキゴルフ協会設立メンバーが、インストラクターに負けたと、後々言い伝えられては、150戦くらいしてきた老人のプライドが許さCimg0166_2ない!などと、勝てば官軍で勢いのいい啖呵が出るわ、出るわ。こうしてはしゃぎながら、我々船客は溜飲を下げた。

ふと、我に返って、この対戦を見守ってくれていたデッキゴルフのメンバーに咄嗟に問いかけた。「このまま、リーグ戦をこなしてしまいましょうか!?」。眺めているだけでウズウズしていたメンバーの答えは当然だった。C対Bの試合をする同意を得た。

となると、我々のCメンバーで不在者は、高木夫妻だ。同じ階のドルフィンホールをガラス越しに目を凝らす。いた。ダンスはジルバの講習の真っ最中だった。手信号で「デテコラレルカ!!?デッキゴルフヤルヨ!!」と合図を送る。急いで二人はデッキに出てきた。ダンスシューズの二人だったが、天気が崩れると、リーグ戦がノーゲームになることを悟った敏恵さんは、こういった。「服装はこのままでいいでしょ!靴だけ履き替えてくるわ!」保彦さんもそれに従って、自室に走っていった。

さて、対する菅谷B組メンバーを参集するには、草浦さんを船内で探さなくては始まらない。4階のカウンターから部屋の電話を鳴らしても誰も出ない。7階から6階のラウンジ「海」、3階の写真コーナー、2階のロビーと走り回った。そのロビーの階段を下りてくる見慣れた足元があった。「草浦さん、デッキゴルフ始まる、早く、後ろへ!」と呼んだその階段の上には高嵜さん、階段の裏に松田さん、そして正面に僕。なんだか、3人の刑事が容疑者を追い込んだような場面だった。エレベータのボタンを押して4階に上がって貰った。そこからプロムナードデッキまでは、ものの1分で着ける。Img_6871

 

こうして、(B)菅谷・工藤・草浦・塩野に対して、(C)高嵜・萩原・高木保彦・高木敏枝が顔を合わせた。ジャッジは松田、副審が長坂。先攻白玉は菅谷組がとった。時間制限無し。

Img_6853 Img_6846 慌てて集合を掛けた割には、高木夫妻のロングショットは兎も角、ショートが悉くスムースだった。この結果、3,4,5番ホールを陥れ、赤のCチーム全員が早い進行で権利玉になった。しかし、白玉を散らそうと余裕綽々で敵陣に踏み込み、甘い攻撃でミスが重なった。白の必死の抵抗で、むしろ我々が何度も叩き出された。こうして、敵に自信を与え、返って反発心を湧かせた結果、白も全員が5番ホールをクリアして権利玉になってしまった。白のスイスイマダム工藤がその名のImg_6849 Img_6847通り、いち早くゴールした。赤は高木夫妻に連続でゴールしてもらい、1:2。時間制限無しの試合だが、高嵜さんの判断は、時間よりも早い勝負を促した。僕も赤 玉をクッションにしてゴールできるチャンスが来た。ここで、二人が連係プレイするか、それとも先に上がるかが、迷うところ。高嵜さんからの「上がれ」のアイコンタクトで、僕もゴールを狙う。自力で上がれた。1:3となった。そして、高嵜さんが独りで菅谷・塩野・草浦の三人を待ち受ける。Img_6850 オートボケ・デビル高嵜の戦略は、敵失を誘い込むことだった。ゴールに集まってくる赤玉を利用してゴールするつもりが打ち損じ、惜しいチャンスを潰した。結局は、白玉の連携プレイで、次々ゴールされ、最後の一手違いで負けてしまった。スタッフ対抗戦で勝負した高嵜策をキラー・コンドル菅谷に見抜かれたとでもいうか、二度目は通じなかったのだ。

 

「フォームが、悪いでかんわあ!」敵の誰かが、ショットガン・トール高木保彦の物言いを真似た。数日前、この言葉で腰の痛い高嵜さんがショットガン・トール高木に冷やかされたからだ。大爆笑で我々の試合は終わった。

A<C、C<Bという結果、最終戦で菅谷Bチームが松田Aチームに敗れることがあれば、3チームが11敗、イーブンのままになる。もはや、サドンデスをする航海日数がない。優勝チームは無しとなる。15時に優勝決定戦とした。

 

これまでにホールインワイン提供者による打ち上げ会用の援助金は6万円相当ある。従って、最後のリーグ戦賞品は、メンバー全員に、「にっぽん丸のポロシャツ(5500円)」を支給することを、今航海の高嵜事務局長が決めた。しかし、これは表彰式打ち上げまで明かさないことにした。波瀾万丈の午前は終わった。

 

昼食を松田夫妻と一緒に食べ、30分ほど横になるつもりだったが、寝てしまった。なにしろ、今日は朝5時から動き回っていたからだ。マッコウクジラの親子が潮を吹いたという突然のアナウンスで起こされた。1515分だった。ようやく、鯨が出てきたか。走り出す気力もないが、背中の潮吹きを撮れるほど、客船は近づけないので、ベッドから起き上がるだけにした。

14時から始まっているデッキゴルフ教室も、本日が最後だ。あの参加人数では、終了するのは1530分だと予想して、ゆっくりと後部デッキに向かった。ジャッジは高嵜さんが引き受けてくれている。

案の定、最終戦は始まったばかりだった。(A)松田夫妻、野村、長坂、(B)菅谷、工藤、草浦、塩野。

白のハット・フィッシュ塩野、シブイ・ベレー草浦は快調で、たちまち2番ホールを陥れた。赤のロング・キング松田は、それを追って、2番ホールに二人を捉え、Img_6858 スレンダー・アーム野村、ネプチューン・スター長坂へ安全な通り道を確保する。こうして、赤も2番ホールまでは船団方式で固まった。ロング・キング松田は、早く権利玉に成っておこうと、縦横無尽に暴れながら、345番と速いテンポで独走。ところが、その間、キラー・コンドル菅谷の本性が発揮され、4番ホールでスレンダー・アーム野村が餌食となる。さらにその妹役とも思えるスイスイマダム工藤も、「近所荒らし」の異名をもつほどに、ネプチューン・スター長坂を3番ホールで足止めして以降、追いかけて4番で釘付け状態にした。

Img_6856 白の草浦、塩野は悠々とゴールし、右舷側の4番ホールでリーダー菅谷、左舷側の5番ホールの松田と、陣取りは左右に分かれてしまった。さしものロング・キング松田も、約25ヤード離れた距離から工藤、菅谷を場外にはじき飛ばすには、無理があった。懸命に救助に向かったものの、白が全員ゴールを決めた時に、未だ長坂は5番ホールに向かっている途中だった。

Img_6867応援団からの情報では、ネプチューン・スター長坂は、この試合に臨むため、酒断ちをして体調を整えていたと言うが、全く効果無しだった。菅谷組が圧勝で優勝を決めたのは、1615分だった。気温も下がり、肌寒い時間になっていたが、それを忘れさせる熱戦であったと書いておこう。

 

試合以上に気になっていたことがある。本日が、真紀子、手術の日。両チームが握手で終わると同時に、急いで5階のライブラリーに駆け込んだ。メールを開ける。あった。

3516kg、真紀子、帝王切開で無事、男児出産!」。義妹かつ代からのメールが来ていた。ほっとした。それ以外、何も書いてないのだから、五体満足だったのだろう。いそいそと、1階の部屋にいるカミサンに知らせに降りた。喜んだというより、やはり、安堵の顔だった。帰国を前に朗報が聞けたことは、何よりの贈り物だった。「高嵜廣子さんから、夕食、一緒のテーブルに誘われてたわ」。「そうか、それなら、一緒にシャンパン取って祝って貰おう!」と言ったら、カミサンが、今晩は、「焼酎の夕べ」だってと笑う。

P1030094 P1030095都合がいいことに、高木夫妻も野村さんとも一緒になったので、同じ席を創って貰った。7人がセンターテーブルの脇に会した。「焼酎の夕べ」だから、センターの奥には、ずらりと全国からの焼酎ブランドが立ち並んでいる。スタッフが、メニューの番号からデキャンターを手にImg_6878_2 回ってくる。シャンパンを頼んだ。怪訝な顔をする仲間に、二人目の孫誕生を白状する。思い起こせば、06年の世界一周クルーズでも同じ時期、フェアウエア・パーティかグランド・フィナーレのディナーの頃、神戸の木島夫妻に孫が生まれたと、日本から吉報が飛び込んできた。木島さんは、シャンパングラスを手渡ししながら、注ぎ回っていたように思う。今度は、自分たちがあのときの感動を味わっているのだ。真紀子有り難う。

 

グランド・フィナーレは、ドルフィン・ホール。船内新聞には「演出の関係上、5階客席は左舷側のみとさせて頂きます」、こう書かれていた。5階にジョンやニック、リン達のフィリピンスタッフが全員整列することを想定して、階下の4階中央後方に座った。2115分に始まった。

03年世界一周クルーズの東さんが構成したと同じように、音楽とスライドによる回想写真が上映される。ブラスの高まりと、沸き上がるようなドラミングで音楽がスタートを盛り上げる。数々のスティルがスクリーンに映し出されていくと、不思議な高揚感がある。ほんの少し前だったと思っていたポンペイもトンガもサモアも、その映像の向こうに重なる想い出がある。ハワイのカットが始まると、ああ、もう帰国するのだ、下船するのだという、やりきれない気持ちが募る。ハンカチを目に当てるご婦人もいる。

P1030107 スライドが終わって、暗転。スポットライトに浮かび上がったのは、クラリネットを奏でるホワイト・タキシードを着た北村英治だった。

P1030116 P1030111片山一道教授を始め、ソシアルダンス教室の須山夫妻ら講師全員、派遣された美容師ほか、平野正道写真師とアシスタント、田実君他の若いツアー・イベントスタッフたちが音楽に乗せて次に紹介されて、スポットP1030122_2 P1030118 ライトと拍手を浴びる。評判の高かったパソコン教室の菊池秀之先生にも盛んにフラッシュが光る。最後に白川船長以下、白制服組のクルーが立った。「ご乗船有り難う御座いました」で第1部が閉じた。

2部のステージには、真っ赤なコスチュームの女性シンガーが二人登場。年齢の割には、若作りし過ぎで衣装のデザインだけが浮いて白々しい。名前は出さないでおくが、どうして、クラッシック畑の人は、鼻もちならない仕草や大げさなそぶりをするのだろう。オペラを演じているのでも、ミニコンサートをしているのでもないのだ。ディナーショーのような空気が読めないのだろうか。ましてや、今夜は、過ぎ去った長いクルーズを走馬燈のように思い出させる惜別の時間だ。エンターティナーという役割になりきって貰えまいか。船客はカタルシスに浸りたいのだ。P1030145 P1030141 バイオリニスト須磨和声の澄み切った流れるような高音から、一転して、古今亭菊の丞のお太鼓が打たれ始めた。この丁寧でリズミカルな、切れ切れの低音は、言い換えれば、クルーズでの「除夜の鐘」のように、心に響いた。

 

ところが、ところが、である。待っても、待っても出てこない姿がある。あの大勢のフィリピンスタッフが、ステージも上がって来ない。階上を見回しても、制服姿の集団が見えない。表れない。彼らはいったい何処にいるのだろうか?

ついに、ホールが明るくなった。終わってしまったのだ。クルーズ最後の、エモーショナルな時間はないままに終わった。感極まるあの瞬間が訪れないままに終わったのだ。飛びきり美味いデザートが忘れられたように、我々は席を立った。

がっかりした。その気持ちを同じ船客のある方に話した。調理場のコック、パシエテ、甲板部のスタッフ、ダイニングルームのフィリピンスタッフ、そしてハウスキーピングのフィリピンスタッフなどなど、船客に対し、これだけの裏方を含めた多くの乗務員によって、この船が何事もなく安全に快適に円滑に航行していることをあらためて人数で目に見せて、教えない手はない。特にファースト・シッティング、セカンド・シッティングと、二重の時間を笑顔で接してくれたフィリピンクルーに、大きな拍手で感謝の気持ちを届けたかった。このことを話していたら、傍らにいた数人の船客が同じ気持ちだったと頷いて、残念がった。

左舷出口で船客を待ち受けている講師や船長を、憮然とした顔で受け止めて通り抜けた自分がいた。「有り難う」の気持ちが半減したのは、正直な気持ちだった。なにが、旅の最後の感動かということ、そのサービス業のあり方に画竜点睛を欠いたと言わざるを得ない。


ランドサービスは今日で終わり、クレジットカードの精算も始まった。免税品販売も明日で終わる。各教室、講座も最終回を迎える。いよいよ、気ぜわしくなってきた。

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2007年10月27日 (土)

07.06.11 日本へ5.

午前3時にはすっきりと目が覚めた。しかし、これも時刻改正のおかげで、6時間は睡眠を取れたからだ。しかし、まだ起きるわけにもいくまい。波も穏やかだ。もう一度眠る。再び、自然な目覚めをしたのが、620分。もう充分な睡眠時間だった。ナビは、北緯31°48′東経164°43′の位置である。水平線は見えず、ガスっている。ゆったりとした大きな波の中を航走している。ピッチが合っているのだろうか、揺れも少ない。195ノットだから快調である。

昨日、船室のマグネットを撮り歩いたが、その殆どがブレていた。やはり、波が船を揺らせていたせいだ。P1030039P1030042 「マグネット」とは、ドアに各自が付けているマグネットのことで、03年世界一周クルーズの時は、廊下を歩きながら奇異に感じたものだ。奇数ルームの右舷、偶数の左舷と解っていても、番号を忘れてしまう。 このため、各自が思い思いのマグネットを乗船時に持ち込んで貼り付けている。猫好き、犬好き、釣り好きも一目瞭然。例えば、オートボP1030071 P1030033 ケ・デビル高嵜さんは、ワインとジョッキ。スレンダー・アーム野村さんは、スニーカーといった具合だ。もう一度、再撮に歩き回った。

 

P1030044 P1030047 7時には、2階のレストランに上がってきてしまった。まだクローズだった。

オープン前に来たのは、今回のクルーズで初めてだ。工藤さんが近づいてきた。「今日あかんわ、試合。雨やから」朝のラジオ体操を終えてきたのだ。トレーナー姿の野村さんも来た。「ざざ降りよ、ね、どうする?」参った。日にちが無くなった。昼から晴れてくれないか。

早い時間にセンターテーブルの洋食の席から見渡すと、なるほどなるほど、いつも定席に座っているというのは、こうした時間に来ているからなのだと納得した。今朝も紙焼きした写真を配るため、歩いた。高木夫妻、松田夫妻が現れた。塩野さんと渡辺さん以外には渡すことができた。

『北緯31°55′、東経164°23′。横浜港には丁度、北海道から沖縄までの距離にまで近づいています。速力185ノット、時速34k、天候は雨、東南東の風14m、真後ろからの風を受けて快調に走っております。しかし、太平洋上の前線区域に入りました。明日はいくらか穏やかな日を迎えると思いますが、日本も暦で入梅の日です。沖縄は511日から梅雨入りしました。気温205℃、水温166℃、波の高さ約2m。』

 

今朝から左手が痺れている。左足も痺れ始めた。気になる。

朝食を終えて今後のリーグ戦予定を勘案するため、高嵜さんを待ち伏せた。そこへ、過日お叱りを受けた初老の方が出てこられた。Sさんというお名前だけは人から教えられていた。デッキゴルフを始めた最初の船客だと言われる当時を是非お聞きしたいとお願いしてみた。程なく高嵜さんも朝食を終えて出てきた。インフォメーションデスクであらためてSさんのルームナンバーを訊く。電話した。

「何ですか?」先ほどお願いしたのにと首を傾げながら、「デッキゴルフのことでお話を」「何処で?」「レストランを出たところで」「ロビーだね」そして待つ。松田さんも、菅谷さんも集まった。高嵜さんと、4階から降りて来られるにしては、遅いなと時計を見る。既に10分が経つ。もう一度、インフォ・デスクにルームナンバーを訊く。今度は違ったルームナンバーが返ってきた。電話をすると、Sさんは待っておられた。自室に来ないかと誘われる。

ここでようやく茶番劇が読めた。最初の番号は菅谷さんの部屋だったのだ。だから、僕の電話でロビーに来てくれたのだ。Sさんをいつまで待っても現れるはずもなかった。大笑い。高嵜さんと二人で左舷側のSさんの部屋に向かう。

Sさん(83歳)の話では、1994年の「ふじ丸」で、カリブ・アラスカクルーズに乗られた折、猪狩機関長に教えられたとのこと。当時「「ポート&スターボード(船内新聞)」に初めて載った「デッキゴルフ」という文字を見て参加したそうで、船客に絵の上手い建築家がいて、鉄の甲板に4箇所ほど、ポンドの図として鯨を描いてくれたそうだ。現在の「にっぽん丸」よりも広かったことが判る。勿論、歴史的には、それ以前の「あるぜんちな丸」で既にデッキゴルフそのものは始まっていたのだが、船客が描いたという話が聞けたのは何よりだった。

やはり、当時も楽しかったと見え、8人でプレイしても3組が組めるほどいて、午前午後と分けなければ、順番が回ってこなかったそうだ。シャッフルボードの横突きスタイルから、縦に握る今のスタイルになったのは、1944年当時の「ふじ丸」で狭かった結果だったという。この点は更に検証しておきたい歴史的な節目である。なんだか、四つ足の猿から二本足の人間になって、立ったことのようで面白い。まだ、川野チーフパーサーが1本線の身分だったころだそうだ。

猪狩機関長は、どうやら、1940年生まれで、僕や長坂さんと同じ歳だ。なぜ、デッキゴルフをしていた中心が歴代の機関長なのだろうか。Sさんの話を一緒に聴いている高嵜さんは、神戸商船1期生であるから、それよりも前の花岡、武谷機関長時代の歴史まで遡れる。今でもその方たちと交流を持っているからだ。会談の結果、「自分がデッキゴルフの最初」という点はSさんが撤回されたので、デッキゴルフの成り立ちは、それ以前に戻すことが出来そうだ。いずれにせよ、デッキゴルフというゲームに病みつきになった我々の仲間は、歴史とルールを検証しておく必要がある。楽しめるゲームだということをもっと知らせるために何かできることはないのだろうか、高嵜さんとはそんな話をしながら2階に降りた。

 

高嵜さんが天気図を読んだところによると、不連続線に沿って航行しているので、明日の昼まではこの天候が続くとの予測だった。以降、日本への航路は霧の中が多くなるらしい。そうなると、ますますリーグ戦3ゲームの消化は難しくなった。

食事2回制では、当然のことながら2倍の食事時間が費やされる。また夕食時前にメインショーが組まれていることから、船内の自由時間をかなり少なくしている。さらに、今夜はフェアウエル・パーティのため、フォーマルデーとなっている。和服で出席する工藤さんは美容室に時間を要する。その工藤さんが出場可能な時間を捻り出さねば、彼女がプレイできないままになる。何とか2日間で3ゲームをこなすには、チームの再編成しか方策はないと判断し、ファースト・シッティング組をひとつのチームに固めた。

 

A ロング・キング松田:ナイス・チョット松田姫:ネプチューンスター長坂:スレンダー・アーム野村

B キラー・コンドル菅谷:シビ・ベレー草浦:ハット・フィッシュ塩野:スイスイマダム工藤

C オートボケ・デビル高嵜:マダラ・サムソン萩原: ショットガン・トール高木デッキ・ダンサー高木

この編成を承認後、開始時間も1530分から、とにした。パソコンで打ち、プリントアウトして、急いで5階から2階まで各室にポスティングして回った。


昼食には、少し遅れた。同じテーブルには瀬戸ご夫妻の姿があった。ナイスタイミングで、これまでの写真を渡すことが出来た。クルーズ人口の増大のなかでサービス業はどうあるべきか、また実施するアンケートから何をいかにしてどれだけ顧客の潜在要望を読み取るか、と瀬戸さんとは、すっかり広告主と広告会社員になった。奥様もカミサンも共に意見を言い合える話題だったせいか、にっぽん丸のサービス談義で盛り上がった。昼食にしては、軽くない話だった。これからも是非クルーズを続けてくださいよ、というエールを頂いた。気持ちと預金が反比例しています、帰国したら先ずやること、宝くじを買うことですと笑って終わった。

 

1415分、NHKテレビの電波が入るようになったが、まだ民放のチャネルは砂嵐だった。

後部デッキの教室の様子を見に向かった。終了時間を見計らって、メンバーに招集をかけたい。5階から見下ろした教室は人数としては大盛況だった。数えてみると14個のパックが使われていた。高木夫妻の姿もあった。打つ順番がなかなか来ないと、ダレ気味の人もいた。リンクのスペースとしては、やはり8人以内が最適だろう。34番ホール抜きだという。長い距離を打たせる練習は必要だ。ロングショットの爽快感は、自分の打ち出す角度次第で、大きく的を外す。正確なショットを確認させるのには有意義だ。

天気は少しずつ荒れて、気温も下がってきた。教室の14人がすべて5番ホールをクリアするのには、1515分までかかった。菅谷さんが、長坂さん、塩野さんが姿を見せて、徐々にメンバーが参集していた。最後に高嵜さんが現れて全員揃った。

1530分、ようやくにして「日付変更線通過記念リーグ戦」の初戦が火蓋を切った。
A組は、松田夫妻と長坂、野村。C組は高嵜、萩原、高木保彦、高木敏恵の夫妻。

我々が先攻となった。教室終了直後ということもあって、身体が巧く動いている高木保彦さんが1,2番ホールを次々にクリア。見事なスティック捌きで飛ばす。その高木さんを高嵜さんがガード役で追走していく。我々は敵の長坂さんを徹底的にマークし、2番で抑え、さらに4番で抑え、援護しようとするリーダーの松田さんの玉を止めた。僕も、高木敏恵さんをフォローしながら、3,4番をクリア。その時点で、既に高木保彦さん、高嵜さんは5番ホールを通過して権利玉になっていた。後を追って、高木敏恵さんと僕が権利玉となっていく。快調にゴールホールに集結した。試合展開の終盤は、高嵜・萩原の二人で、ゴールに向かってくる敵4人を応撃する体勢を取った。

何度かの攻防戦の中から僅かなミスを逃さず、全員をOBラインに撃ち出した。敵が休んでいる隙に高嵜さんが悠々とクリア、ゴールした。敵が順々に玉をアップしたものの、僕も至近距離からゴールができた。完勝。まずは先勝。次の対戦相手は、C組(ファースト・シッティング組)の菅谷・塩野・草浦・工藤となる。

急げばまだワンゲームは出来そうだった。審判を勤めてくれた菅谷さん、塩野さんがウズウズしている。有志だけのゲームをすることになった。夕食前のメインショーより、デッキゴルフを選んだ。古今亭菊の丞さんには、申し訳ないが、「海」での最後の落語は聴かないままということだ。

ジャンケンで、白が高嵜・萩原・高木敏恵・長坂、対する赤が、菅谷・松田・高木保彦・塩野となった。ゲームはかなりアップテンポで進んだ。高木敏枝敏恵さんを最初にゴールしてもらった。フォーマルドレスの準備に帰って下さいと、男共が口を揃えて言う。彼女は足早に去っていった。ドルフィンホールではカクテルパーティの準備が始まったようだ。グラスを置くテーブルがデッキに引き出されて来た。4番ホールの横にそれが置かれた。それが障害物とはならず、勝負の場は都合良く、5番ホールに移っていた。夕闇が迫ってきている中で、いい老人達が玉叩きに興じている。パーティの準備をしているフィリピンクルーも、デッキに出てきた平野カメラマンもあきれ顔だった。ゲームの終盤は、高嵜・萩原対菅谷・松田・塩野の2対3となったが、高嵜さんゴール、続いて萩原ゴールで、これまた絶妙のコンビネーションで勝った。写真は誰も撮っていなかった。雨にも降り込まれず、ゲームが終了した。今宵がフェアウエル・パーティでなければ、リーグ戦は2回こなせたのだ。ファースト・シッティング組の菅谷・塩野さん達は急いで消えた。これからシャワーを浴びて、タキシードを着るのだから大変だ。

 

明日は、スタッフ4名との雪辱戦が控えている。「船上の戦場」がラストとなるかもしれない僕の勝手で、スタッフに挑戦状を投げてきたのだ。過日は、好打者の田実君、小技の黒川君、未知数の浅間女史、そして手強い高嵜ジュニアを相手に負けた。負け組の菅谷・萩原に、助っ人松田・高嵜の4名で立ち向かう。小雨くらいなら決行である。床面が濡れようとも、06年次100戦以上をこなしたデッキゴルフメンバーの面子に賭けて、リベンジを計る。

 

部屋を出るのが遅くなったせいか、ドルフィンホールに続く左舷側の廊下には、早くもドレス姿の行列が出来ていた。みな最後の着飾りに精を出してきた様子だ。カミサンも僕も、大方は変わらない。僕はブラックタイからシルバーに、カミサンはお気に入りの和服のリフォームドレスに真珠。

白い正装姿のキャプテンらに迎えられて、ホールの中に入る。後ろの席に座ろうと回り込んだら、既に着席していた松田夫妻が目に入った。どなたかとお約束はないかと訊ねてみた。どうぞ、どうぞと手招きされて、ご一緒させてもらうことにした。早々と、我々の結婚記念日のプレゼントを頂いたことに、あらためてお礼を述べた。

今クルーズ、3回目のフォーマルである。慣れが出て、晴れがましさもドキドキ感もない。椅子に座ってしまうスタイルなので、いわゆるパーティのように船客との間を縫って歩き互いに紹介し合ったり、だべったりすることが出来ない。フォーマルウエアを褒めて歩く楽しみにも限りがある。

今回もカクテルは4種類。ステージでは、考案したバーテンダーがその内容を紹介している。「南国の風」、「サムライロック」、「梅シュワッチ」、「楽園の誘惑」がそれである。アルコール度数の強弱がメニューに示されているから、適宜スタッフの差し出すカクテルから選ぶのだが、ほかに、ビールやウイスキー、ジュースなどが受け取れる。

最後のフォーマルナイトとあって、カメラマンは引っ張り凧の状態だ。しばらくして、平野カメラマンが写真はいかがかと回ってきてくれた。松田夫妻にも入ってもらった。ステージでは、メインスタッフをステージに上げた白川船長が、ウエルカム・パーティの挨拶の後、今コースで期待した点を各自に語らせた。内山コンシェルジュは、ハワイ移住の夢をさらに強くしたそうだ。

 

場所を変えてディナーの時間になった。ドルフィン・ホールに向かう途中、松田夫妻と離れてしまった。P1000130入口で、特にお約束した方はいませんかと平さんに問われ、咄嗟にありませんと答えると、03年次で浜さん夫妻が定席としていた端の二人席に案内された。斜め左には高嵜さんと高嵜廣子さんのダンス仲間がテーブルを囲んでいた。デッキゴルフの仲間はどうしたかと見回してみた。 左舷側のテーブルには、高木夫妻と野村さんが一緒だったが、松田夫妻の姿は見当たらなかった。

帰国が迫った最後のフォーマルナイトの食事は、シェフが腕によりを掛けて献立を構成してある。だから、格別に美味い。ロウ・ソルトに特別調理してくれている僕の料理が美味いのだから、ソースをしっかり絡めたカミサンの皿はさらに美味なはずだ。

どこかのテーブルから、「大きな貝柱だなあ」という声が耳に入った。それは、貝柱ではなくホタテ貝である。そろそろ肉を避けておこうと思っていた矢先に、薄切りの鹿児島牛のステーキだ。口にすると、もう駄目だった。美味くて自制心を失った。レストランにも平野カメラマンが回ってきた。撮られましょうかと、座り直した。

食後のバリトン・コンサートには出掛けずに、早々にタキシードを脱ぐ。明日から下船までの衣服だけを取り出して、後は帰国後の洗濯物として片付ける。

 

2240分、早くも睡魔が襲ってきた。

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2007年10月21日 (日)

070610 日本へ4

足が攣った。目覚めたら午前2時15分だった。昨日は一日調子が悪かった。やれやれ、これからあと何回起きるのだろうかと気にしながら、バンテリンを大腿部に擦り込んだ。2回目に攣ったのは545分。

 

今朝は、「日付変更線通過記念リーグ戦」がある。心身共にすっきりさせようと、シャワーを浴びた。

太陽は雲間に隠れているようだ。日本に近づいているためか、海は、どす黒く波は荒れてきた。時折、岩にでも当たったように、船が左右に身震いをする。パソコンを叩いている音でカミサンが目を開けた。「…あなたと同じで、…私も足が攣ったわよ。普通の人が足攣るって、心臓が良くないってことらしいわね」そう言った。かと思うと、また寝息を立ててしまった。

 

715分、波は徐々に白波の数を増やしてきた。ナビを見ると、船の速度は落ちてきていた。いつもより早いが朝食に出る。デッキゴルフのメンバーに、本日のリーグ戦の対戦チームの変更を承認して貰う必要が出たからだ。

八点鍾の前に『本日は時の記念日です』とアナウンスがあった。途端に、レストランの中で、ワアアアアという、忘れていたことへの感嘆の声が上がった。いつの間にか、日本の暦と遠ざかっていたのだ。船長の朝の挨拶が、朝食を取りながら聴けるのは時差の関係だ。

 

Img_2327_6gatu_10_ka『雨が降っています。日本の中国地方の東西に梅雨前線があります。太平洋上で遭遇するにはやむを得ません。日本の梅雨時に入りましたので、少し揺れてくると思います。北緯29°34′、西経173°01′。南西に種子島、また小笠原の北、鳥島に近づいています。速力19ノット、時速35k、天候は雨、南西の風17m、気温25℃、水温236℃、波の高さ約2m。』

 

実は食事どころではなかった。レストランの中に、メンバーの顔を探しながら、眼が泳いでいた。リーグ戦の予定が狂ったのだ。10時に「帰国説明会」があることを昨夜の船内新聞で知った。それは全員の出席が必須。2つの問題が生じた。

1点目は、945分には試合終了をさせなければならない。本日午前中に2試合を消化するには、スタート時間を845分に早めたい。2点目は、工藤さんが明日のフォーマルのために美容院予約時間と重なったこと、塩野さん、草浦さんの二人が写真発表会に出席する時間が控えていたことである。

前夜、夕食後かメインショーが終わってからでないと、翌日の船内イベントスケールが判らない。乗船客が全員必なら尚更、事前に通達がなられて然るべきだ。これは船内サービスの運営上、問題のひとつだ。帰国1週間前の船内行事は船内新聞等でディスクロージャーすべきである。残り僅かになった時点では、船客が共有すべき必要な日程は、いわゆるサプライズを埋め込んだ企画もの以外は公表しておくことが望ましい。

 

A対Bの第1戦予定をB対Cに変えることで対処する。さて、その組み合わせの変更と早まる時間の了解を各自から得なければならない。5階の塩野さんの部屋へ駆け付けて、早くにお出ましを願いに行った。ノックしたが返事はなかった。朝食の席を急襲して他のメンバーにも45分スタートを了解して貰う。問題はまだある。天候だ。後部デッキに行ってみる。中央部は全く風を感じさせないが、右舷プロムナード側からの風はさすがに強い。 朝の報告では、風は17mだった。床面は濡れている。雨水は掃き出せば事足れることだが、天候が悪くなるという予測はどうしようもない。

松田さんと相談の上、残念だが中止を決めた。このことを再びメンバーに急いで伝えなければならない。メンバーがデッキに姿を現す道取りを考える。4カ所ある。左舷右舷のプロムナードデッキ、ドルフィン・ホールの中から出てくるコース。3階の展望風呂横から階段を上がってくるケース。2階のインフォメーション・デスクの電話に走る。塩野さんの部屋に、今度は電話をしてみる。奥様からランドリーに寄ってから向かう予定だと教えられる。まず、松田さんにそこで塩野さんを足止めしてもらう。

Img_2340 4階のドルフィン・ホールの近くで見張っていると、菅谷さんの姿。中止ですと理由を話すと、頷いて菅谷さんは、飄々と風の強いデッキをそのまま後部まで歩いていってしまった。独りで練習を始めた。さすがシングル。天候が悪ければ、寄せの練習か。頭が下がる。こうして、バタバタはようやく終わって部屋に戻った。

松田さんから電話が入った。2階のエントランス・ホールに上がって、経過と今後を話し合った。そこへカメラの水本君が立ち寄った。水本君が試写会の異見を求めたので、先ず、昨日の試写会での、「グリーンライト」と「ホノルル空撮の虹」に拍手した。ついでに、僕なりの異見を言わせて貰った。「南洋クルーズ」と謳っているのに、くっきりした斜光のある映像が見せて貰えなかったのが残念だったと。彼は独学で写真を撮り、プロのカメラマンになったことを語り始めた。写真はかなり粒子が荒れているがとの疑問には、ホームページ掲載のサイズを念頭に乗船したので、船客レベルのカメラを敢えて持ち込んだこと、そして自分の力量に科したとのこと。シアン系の強さは、レンズの特性なので割り切っているというのが、彼の答えだった。まだ僕には納得がいかなかった。

 

P1010144 10時に「帰国説明会」が始まった。神戸下船組はシアター、横浜組はドルフィンホール。こうしてみると、横浜組の人数が07年世界一周クルーズの数だろうか。この1ヶ月クルーズの卒業の中から、何人の方が世界一周クルーズに進級されるのだろうか。そんな想いで一番後ろの席から、星野パーサーの説明を聞いていた。

 

2階のエントランスホールでは、宅配便のタッグが配布された。こうなると、いやが上にも帰国の日が迫っている気分にさせられる。

Img_2330_610昼食を終える頃には、メンバーから再開時間を早くしたいという要望が出てきた。デッキゴルフ教室のインストラクター、黒川君は、この日も敢行するという。ではその終わりを待って始めようと5階のライブラリーで時間潰しをする。1415分を回った。デッキゴルフ教室の様子を見に行ってみると誰の姿も無い。どうやら、中止のようだ。

部屋に戻ると、高嵜さんからは、「15時現地集合で様子見」という紙がドア下に差し込まれてあった。ドアの前には船倉に預けてあったスーツケースが2個戻ってきていた。いよいよ慌ただしくなってきた。大きな揺れが来そうな天気だ。詰め込み作業の最中に、うつむいての作業は、船酔いを増す。少しずつ準備を始めねば…。

カミサンは、船友が写っている写真を11枚、各人用のCDに分類してコピーしてくれている。カメラを手にすると、案外自分の写真がないものだ。一週間ほど前から始めている。面倒な作業になるが喜ばれる。紙焼きにして手渡すよりも、修正や応用範囲が広がるので喜ばれる。足りないCDは早く買わないと、売店からなくなる。予備を買いに出る。毎回、そのCDを下船ぎりぎりの前日に手渡すことにしているからだ。

 

P10303591520分、草浦さんが待っていた。念のためにと、僕は床面を掃き始めた。乾けば出来そうな状態だと思ったからだ。高嵜さんが、菅谷さんが、長坂さんが現れた。練習でもしますかと呼びかけて、高嵜・萩原対菅谷・長坂・草浦の変則5人制で始めた。床面のハプニングが続出で、なかなか笑え、それなりに楽しんだ。

リーグ戦は、明日に持ち越しとなった。

ブリッジに行って、梅雨前線のその後の動きを訊いてみた。現在の状態で帰国できそうだとのこと。梅雨前線が停滞して上がってこないと予測しているようだ。この分なら揺れることもないか。荷造りは安心してできそうだ。

P103003416時、デジタルカメラ教室の作品発表会をシアターでちらりと覗いた。出品した写真を各人が解説している。丁度、塩野さんがそのプレゼンをしているところだった。シャッターチャンスを逃さなかったいい写真だった。


大分での地震は、その後も続きそうだと新聞にある。次男は、真紀子の帝王切開の手術にサインをしたと義妹からメールが届いた。陣痛促進剤の効果がなかったと担当医師が判断したのだ。今日は日曜日。火曜日にオペか。

 

夕食の前のメインショーはケイト・オカ・マジックショー」と読めず、カミサンが「オカマショー」と読んでしまった。この時間に展望風呂へ行ってしまいたいと、彼女は勇んで出ていった。

明日のフォーマルが終わると、慌ただしくスーツケースに入れる作業が始まると、誰しもが言い合っていると言って帰ってきた。身につける物を出来るだけシンプルにして、他は全部閉まってしまうことにした。

僕は、部屋のテレビで、マッジクショーを眺めていた。スレンダーな女性を入れ込む箱物のショーだった。手を代え、品を代えても、同じ箱物で終わった。道具立てが同じスタイルのマジックでは、見に行っていたとしても僕はたぶん飽きただろう。

 

Img_2335夕食は、ニックとカミサンが写真を撮っておきたいといっていた。ジュン君と撮ったあの「ジャパニーズ・ナイト」の時に姿を見かけなかったからだ。幸いなことに、レストランの左側に案内された。その右側のテーブルに、空いていますかと野村さんが、そして向かいに水本君が、しばらくして今度は、左側に高嵜夫妻が座った。「不味いですか?」と問う高嵜さんの言葉に、「これで、食事が美味しくなります」と僕。 結局、この右舷側の席は、食事時間の最後まで居座るグループになっていた。北村英治のラストが「海」で演奏されるというので、ようやく腰を上げたほどだった。

 

ラウンジサロン「海」には、多くの人が押しかけた。いつも以上に補助席が用意されていた。しかし僕は、聴こうとする元気もなく、プリントアウトした写真を仲間に配るだけで早々に引き上げた。シャワーを浴びベッドに横になった。2140分だった。両手で読もうとする新書版の本さえ重いくらいだった。頭の上のライトを消した。

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2007年10月14日 (日)

07.06.08 日本へ3

430分と、645分に足が攣ってしまった。その度に起きてしまうのだから、睡眠不足になる。決まった時間に足が攣るので目覚まし時計が要らないのだと言う石橋爺と違って、僕の場合は不規則なだけに始末が悪い。歩いたわけでもない。踊り疲れたのでもない。ビールの飲み過ぎということではあるまいが、カリュウムが増えてきたのだろうか。生野菜もフルーツも控えているのだが。腎臓が弱ってくると足が攣ると言われる。自重のしようがない。バンテリンのスプレーよりは、軟膏をしっかり擦り込んだ方が効きそうだと思い、膝の裏の大腿部にそれをべったりと擦り込んだ。いつ再発するか気になる。窓の外を見ると、島影もないだろうに、海鳥が船と並んで飛んでいる。

 

『皆様、まもなく、本船の右舷側にイルカの群れが通過いたします』

740分だった。廊下を走り出していく足音が聞こえる。足が攣る身では、撮りに行く元気もない。いきなり走り出したのでは、筋肉が柔らかくなってもいない。どうせ、先回のように小さなイルカだろうと勝手に思いこむ。

最近は、八点鍾の前に、航海士による一口話が語られるようになった。これまでは、鐘についてであったが、今朝は、船の容量を表すトンについてだった。

 

『フランスからイギリスにボルドーワインを運ぶ15世紀、大樽を何個積載できるかが重要でした。その大樽を叩くと「トン!」という音がしたことから、トンが使われました』

なんだか、頓智話に聞こえる。こうした話は船に多い。ドレスコードがインフォーマルの日は終わり、残すはフォーマルデーが1日だ。そもそも「背広」は、ロンドンのセヴィル・ロードから生まれた当て字だが、女学生のセーラー服は、海軍から。「ダブル」のスーツは、船員の制服からだ。強い海風で服が煽られないように、しっかりと左右にボタンをつけたところから始まった。フォーマルスーツの「カインドウエア」や、「御幸毛織」の広告を担当した者としては知っていて当然のことだが、船のことは知れば知るほど面白い。あのタイタニックの4本煙突の1本はデザインのための飾りだったということ、大惨事以降は全世界でSOS信号は活かされたし、万が一船が傾いても救命ボートが片側だけで全乗船客を乗せられるに足りる装備が条約で決められたりした。英国の商務省ルールでは、1万トン以上はボートを16隻以上と決められていたが、45000トンのタイタニックは、折りたたみボートを入れても20隻しか積載していなかった。64隻の計画がコストで削減されて出航した。いつの時代にもある政府の古い規制が変更されないままだったことなどだ。今朝も平穏無事の航海日和のようだ。

 

Img_2303『北緯26°59′、東経178°56′。北東の貿易風が南風に変わりました。日本の夏を思わせる海の色です。速力19ノット、時速35k、天候は晴れ、南の風6m、気温26℃、水温27℃、波の高さ約1m。1110分に日付変更線を通過します。西半球から東半球に入ります。521日にダブった分を返し、明日は、610日になります。シャチ、鯨を観られたかたもおられましょうが、今朝のイルカは残念ながら、本船に近づいてはくれませんでした。今朝早くから、足の赤いアカアシカツオドリが、船で羽を休めてはトビウオを捕まえています。今夜は、夏祭り、縁日の屋台も出ます。どうか、夏の宴をお楽しみ下さい。終わります』やはり、イルカを撮るのは無理だったのだ。

 

朝食に出るよりも、体の疲労感をなくすほうがいい。デッキゴルフはイベントのため、ナシだ。朝食からカミサンが戻ってきた。「ニックがね、ヨーグルトだけでも食べさせて下さいってね、3個も渡されたのよ」こういうところが、2万トンクラスの親密感ある船旅なんだろうな、と感謝する。飛鳥がホテルなら、にっぽん丸は老舗の旅館だというのは、こんなところにも実感できる。

 

945分から1階シアター、廊下を隔てた至近距離でカメラマンの水本君による「スライドショー」が行われる。そこへは顔を出せるだろう。攣ったら、数歩で自室に帰還できる。

数分で満席になった。盛況である。他の教室と重なっていると試写希望者が多かったらしく、もう一回上映会を開くことにしたと蘇君から追加発表があった。今回は、世界一周クルーズのケースと違い、CD化の予定が立っていないことが船客に知れ渡ったからだろうか。寄港地の最後を離岸したから、試写されたのだが、まだまだ船内イベントは続く。それが再びフィナーレに映し出されることになっている。

 

スクリーンに投影された。音楽も入れ、キャッチ文字が巧くレイアウトされ、それがナレーション代わりをしている。そういえば、06年次では、東さん自らがナレーター役をしていたことを思い出した。写真素材の大半は、3階に掲出されている、ウエブ発信済みのものに数点加えられていた。約30分だった。

僕の感想を辛口で書くと、スクリーンではかなり粒子の荒れが目立ったこと、露出がアンダー気味であること、それでいて、南洋というディステネーション特有の強い日射しが写し込まれていないこと、ツアー客と異なった風景の切り取りがさほど無かったことだ。これまでの東さんの鋭い視線は、長野オリンピックで鍛えた洞察力と、ヨットマンの知識、そして、ジャーナリストとしての視点、最後には奥様の感じる観光客と等身大の喜び、何よりも、足を使って、あの写真一枚一枚が写し取られていたのだと、あらためて感じ入った次第。水本君が見せてくれたものもあった。空撮で撮ったクック湾でのにっぽん丸、そしてホノルル空撮で大きな虹を架けられたにっぽん丸、そして昨夕のグリーンフラッシュ。彼の持ち味は雄大な風景を目の当たりにしたときの、いわば「ポスター・ショット」「カレンダー・ショット」はさすがで、面目躍如である。

 

掃除のために部屋をあけてあげようと、サロン「海」で珈琲を飲む。P1000208 毎朝、デッキゴルフに打ち込んでいる時間に、船室の掃除とベッドメイキングがなされる。この時間、各教室に参加しない人には、プールやビューティサロン、カードルームに出掛けるか、ミッドシップバーやライブラリーなどパブリックスペースが歓談の場になる。

11時、ドルフィンホールに向かった。ラストのビンゴゲームが始まるのだ。先回、左舷側から入って、黒川君の手にしたビンゴボードの一番下から引き抜いたことで、早くにビンゴとなって、「ノットボード」を貰うことになったのだからと、今回も縁起を担いで同じことをした。左舷側の横に座った。手に入れたい獲物は「イヤーズ・プレイト」だった。我が家には、03年次に売店で買ったそれが飾られてある。

今回は、ビンゴの番号が整わなくて、それは他の人の手に渡ってしまった。残るは、10万円クルーズ券を手にするチャンスもラストとなった。箱から噴き出す玉の番号を決して呼ばれないことが条件だ。ツキのない人にご褒美という趣向だ。どういう訳か、これがいつも乗船できそうな富裕層に当たるということだ。納得できない。数回はやり過ごしたが、結局はボードにある番号が読み上げられ、敢えなく失格した。カImg_2311ミサンも駄目だった。これで次回のクルーズへの足がかりは消えた。

数回の読み上げをかいくぐった人が立っている。その中に高嵜さんの姿があった。最後の二人にまで残ったのだが、結局、別のご婦人の手に渡った。惜しかった。

 

昼食に少し遅れた。カミサンを探したら、なんと、星野ファースト・パーサーと瀬戸ご夫妻の隣に座っていた。既に、デザートに切り替わっていた。これまでの寄港地での感想を互いに話し合っていた。そばが今日もメニューにあった。僕は、それだけで済まそうと頼んだ。いつものように、二枚目を頼んだが、出し汁が普通に塩辛かった。減塩されたものではなかった。スタッフが間違えて持ってきたようだ。そのまま食べてしまった。お茶を何杯も飲んだ。体の中で塩分量が減るものでもないのだが、気休めだった。

星野さんに訊いてみた。マウイのラハイナからホノルルに向かう進路が随分とハワイ島の位置まで南下したことについてだ。「ハワイ諸島に接近して3日間も経っています。アメリカの環境条約で、大型客船等は沿岸距離の規定が厳しく、外洋に出て行って一旦排水をする必要があるのです」というのが答えだった。「思っているほど、そんなに南下したわけでもないのですよ、ナビの海図は、拡大してTVに映し出していましたから」に爆笑。

 

「日本の造った道には、溝があるんですね、きちんと造ってあるんですよ」瀬戸さんがみんなの顔を覗き込むように投げかけた。一転、話題は、ODAとなった。最初の寄港地、ポンペイの舗装道路だった。

我々の観光ガイドは、中央にラインが引かれているのが日本の造ってくれた道路だとしていつも感謝して走っているとは言ってくれたが、それ以上のことは認識がなかったようだ。雨量の多い島では、その溝が大きな効果を果たす。工事をする際には、日本の技術の緻密さというか心配りをも、島民に啓蒙しておくことは必要だなと思った。なぜなら、その後の話はこう続いたからだ。

「日本の統治時代はよかった。我々に働くことを覚えさせてくれた。教育も施してくれた。しかし、米国統治になってからは、機械の便利さとカロリーの多い米国食の導入で、島民は楽をするようになり、病気も増えた」そう言って、親日感の高いことを言ってくれましたよと、瀬戸さん。Img_2318

 

食後、パソコンを叩いていると、高嵜さんから電話を貰った。デッキゴルフの教室が予定時刻で今日は終わったこと、レギュラー・メンバーが昼下がりの戦いをしようと言っているとのことだった。今朝はプレイしていないので、みんなウズウズしているのだ。

1515分から始めた。松田、塩野、高木、野村は、高嵜、工藤、草浦、ミセス高木+αにやられた。我々独自のルールである、「ホールイン・ワイン」は一挙に4本も出た。ハット・フィッシュ塩野1、ショットガン・トール高木1、デッキダンサー高木2である。多発するということは、それだけスティック捌きが巧くなった、距離感がコントロールできているということだ。対戦相手に手強いプレイヤーが増えてきたということだ。日付変更線通過リーグ戦がまた面白くなる。

 

P1020981 P1020980_3

デッキに備え付けられた小型スピーカーから『ただいま、前方11時の方角に鯨が潮を吹きました。鯨は1匹です。海面に潜ってしまうかどうかは判りませんが、お知らせいたします』

「鯨が一匹」には驚いた。二宮航海士も慌てていたんだ。「おいおい、文部省~、どうするんだ~あ!」スピーカーに向かって野次が飛んだ。ああ、いまは、文部科学省と言わなければならないのだ。カメラを持ったり、望遠鏡を握りしめたりした船客が後部デッキに押し寄せたが、鯨は姿を見せなかったし、時間的には既に遠ざかっていた。

 


P1020984 P1020986 P1020983 夕食は「夏祭り」と称してビュフェ形式だ。レストランスタッフは、日本人もフィリピンスタッフも、背中に大阪商船のマークが入ったはっぴ姿で、豆絞りの手ぬぐい、ねじり鉢巻き。中央には、青い日本傘と団扇が飾られている。今晩は、いわゆる懐かしい日本食だ。となると、醤油味が当たり前だ。ちゃんちゃん焼きも大きな鍋で出てきている。焼き鳥、おでんもある。ところが残念ながら、今の僕には食べられるものが少ない。二人前の寿司と、マヨネーズを付けたP1020985 P1020996 タコ焼き、それに懐かしいラムネ瓶を取った。昨夜辺りから酒を身体が受け付けない。焼酎も飲み飽きたのか、美味く思えない。飲めるのはビールくらいだ。食後は、アイスクリームと濃いウーロン茶にした。

食事をしながら眠い。足が攣って起きたことによる睡眠不足だと思う。同席した神戸のご夫妻との話で、「○○ナイト」での服装の話になった。

「○○ナイト」ですと言われることで、これから向かう先の未だ見ぬ国に期待を込める気持ちは高揚するが、だからといって、その国に因んだ服装でお楽しみ下さいとは、どういうことでしょうね、と言う意見。寄港地の気分を高めてくれるのはむしろ、スタッフの側の役目で、船客はそれを受ける側です。客側がその寄港地の雰囲気を共に味わおうというのなら、寄港地を離岸した夜に、その名残りの気持ちで「○○ナイト」をすればいい。現地で買ったシャツもパレオも、これ買ったわよと自慢しあって楽しめばいい。時間がなくて食べ損なった現地料理も、船客用に味付けして出してくれれば、有り難い。初めて乗船された方の戸惑いだ。未訪問国を盛り上げるのか、それとも惜別かだという。僕らもかつては、全く同感だった。たぶん、初出航した方々の偽ざる気持ちだろう。

 

Dsc02584 食後、船内に祭り太鼓の音が響いてきた。「夏祭り」03年次には、ゆかたを持ってきて踊った。06年次は飲む側に回って踊らなかった。07年の今回は、縁日を見に行っただけで踊りも見物しなかった。洋上で、盆踊りの雰囲気を醸し出すとおいうのが、なんとも郷愁を誘ったのは最初だけだった。船という箱物は、来る日も来る日も店内改装しているようなもので、現場に余裕はないのだろう。この船も神戸に着いたら、翌日からは、利尻礼文島へのクルーズに切り替わるらしい。

しかし、長期の乗船客は、相当の金額で期待して乗ってくるはず。この南洋クルーズ、乗船客にリピーターが80%ということが判明した時点で、新しい催しを企てるというのが、本来のサービス業なのだが、年々夜見世の創りも楽しませ方もマンネリ。可も不可もないルーティングワークになっている。正直、このイベントの道具立て、仕掛けに飽きてしまったのだ。初の世界一周クルーズを成功させた商船三井客船。船内でのイベント企画の多くが、にっぽん丸をベースにして模倣されていったらしい。その自負心を忘れないで欲しい。老人ホームから乗船して来ている船客も数人いると聞く。老人を老人として受けるのではなく、若い気分にさせることも考える。ノウハウの積み上げが、さらに新しい魅力を創り出すことになってほしい。クルーズ人口のジェネレーションは、徐々に若返る、はず、である。これをもし、社内イベント好きのリクルートにプロデュース試案を外注できたら、どれほど面白いお祭りものやゲームが出来上がるだろうかと、ふと思ってしまった。

 

僕は、この時間を利用して、来たるデッキゴルフリーグ戦の組み分け籤をメンバーに引いて貰おうと、祭りの街を走り回った。人混みの中で人を捜し回っているのは、映画のワンシーンのようだった。見つけては引いて貰ったが、残る最後は、草浦さんか、塩野さんだ。どちらかが探せればいい。2階のエントランスホールの階段を降りてくる塩野さんを見つけてようやく、全員の3チーム編成が出来た。急いでパソコンを叩いて、各部屋にプリントを配り終えた。ライブラリーでメールをチェックする。姫路の山縣さんのメールで、日本列島は地震や雷雨で荒れているとのこと。生まれる孫のことを考えると、どうか平穏無事に過ぎてもらいたいものである。

ともかく眠い。足も攣りそうな兆しがある。疲れた。盆踊りもたけなわの頃、眠る。

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07.06.07 日本へ2

3時30分に目覚めた。昨夜は早くに眠った思いはない。時間調整に入った初日であるから、実際は230分となる。次男の子供が予定日より遅れていることが気懸かりなせいか、双子で出産の夢を見た。八点鍾までもう一度寝ることにした。

 

『北緯24°08′、東経170°51′。北東の貿易風が吹いています。ミッドウエイの南東800kmの地点です。速力195ノット、時速36k、天候は晴れ、北東の風10m、気温25℃、水温267℃、波の高さ約15m。』この後船長は、しばらくコンテナー船の話を続けた。

朝食はオートミールからクロワッサンに代えた。にっぽん丸では、小麦粉をこねて、発酵、焼き上げまですべてを船上でしている。毎日少しずつ出す種類が変わる。パンの種類は25種にも及ぶときがある。焼きたてが自慢で、それがまた好評だ。ヤクルトもどき(韓国製)を3本、野菜ジュースを飲んで、後部デッキへ急いだ。

P1030180613 P1030185613 工藤さんが頼むことになっていた天幕が、見る間に張られていった。メンバーは口々に、これで疲れが軽減すると喜んだ。やはりダイレクトに陽を浴びていると、疲れるのだ。高嵜さんが近づいてきて耳元でぼそっと言った。「腰が痛くなったと言ったら、高木さんに、フォームが悪いんだわよ、それって言われてしまったよ、フォームが悪いんだ、俺」「それを指摘した高木さん、鋭いなあ。高嵜さんに基礎が出来てないことを見抜くなんて、ね」に辺り構わず、二人で爆笑した。

Img_2285全員ジャンケンをした結果、組み分けは、高嵜、松田、菅谷に萩原、そして塩野の白。対する赤は、工藤、草浦、長坂、松田サエ子+αというメンバー。向かい合って握手をした時、工藤さんが口にした。「白にこれだけ集まると、もう負けだわ」ジャンケンだから仕方がないが、そう言われてしまうと我々も、負けては恥ずかしいとプレッシャーがかかった。

P1010139 波も穏やか。天気はいい。天幕も張られた。不味いことに、いい訳無用のコンディションだ。プレイの展開はというと、塩野さんを援護射撃しながら、高嵜、菅谷、松田とベテラン3人が順調に権利玉に成っていった。赤の工藤、長坂をこの3人が分断している間に、僕が5番ホールを陥れる作戦。これが功を奏して、早々と試合は決着した。よかった。ほっとした。敗れた赤からは不思議なことに長坂2,草浦2,サエ子1という合計5本のホールインワインが上納された。ホームランを5本打ったのに、毎回足で掻き回されて試合に負けたという野球のようなものだった。

2回戦には充分な時間が創れた。意気消沈したわけではないが、先約の用事があり、工藤さんが抜けた。組み合わせの仕切り直しをした。白は高嵜、萩原、塩野、松田サエ子に対して、赤、松田、菅谷、草浦、長坂となった。ゲームは終盤、ホームホールでの勝負、高嵜・萩原対松田、菅谷、草浦となった。が、高嵜、萩原の連続スカが響いて自滅。敵を上がらせてしまった。昼食のファースト・シッティング組、菅谷さんは食事時間を気にしていたが、時間内での悠々の戦いぶりだった。今日は11敗となった。
P1000303 高嵜さんと僕が顔を見合わせた。「やっぱ、フォームが悪いんだ、俺」、「直してくださいよ、早くに。日付変更線通過のリーグ戦までにね」。

 

昼食は、好物の稲庭うどんだった。かなりの回数、うば、うどん、素麺が昼食のメニューに追加されている。麺類の時は、レストラン前に、その銘柄が現物で示される。P1010125 全国各地の麺類が出されるが、船客も自分の県の名産品だと、テーブルでもそれが話題になる。ほてった体をシャワーで冷やした後の味は格別。油のないさっぱりとした食べ方は、パスタにはない。日本人だなあと感じる。

ところが今日、虹鱒のアーモンド焼きが出たのだが、ある客の食べ方が気になって仕方がなかった。その男性は、ナイフとフォークで鱒の身を外し、ナイフの上に身を載せて口に入れていた。そこまではいい。しかし、鱒の身を口に入れた後、小骨を皿の上に西瓜の種のように、吹いて落としている。向いの奥様もたしなめない。右隣の親しそうに会話する客も素知らぬ様子。寄港地で買われた高価な身なりに余計違和感が出る。気になることと言えば、メインショーで、いつも野球帽を被って観ておられる初老の方だ。奥様が注意なさらないのだろうか。いずれも、亭主関白様に連れてきて貰っているという遠慮があるのだろう。いや、言っても聞き入れてくれないのよと嘆かれそうだ。さすがに、昔のように、フィリピンスタッフに「ちょっと、あの、ねえちゃん」と呼びかける声も、バスタブの外が泡だらけという事件も聞かなくなった。まだまだ増え続けるクルーズ人口だが、盛況の裏で日本人がどう観られているかが気になる。船内ではまだしも、オーバーランド・ツアーでホテルに泊まったりする日本人船客が寄港地でどう見られていくのか、国内感覚でいる船内と下船して露呈するシニアの国際感覚に問題は残る。乗船前に船客のマナー講習会が必要になるほど、クルーズ人口の裾野が広がるかも知れない。現地の人の目を考えれば、ソシアルダンスの講習会よりも先になる。このままでは、スリッパのままでホテルの廊下を歩くようなもの。一歩船を降りたら、そこは異国なのだから。

 

デザートが終わるころ、カミサンに声を掛けてくれたご婦人がいた。同じテーブルに座る方だった。「エコバッグの絵、塗り終わりましたか?」930分からの水彩画教室で、染色絵の具を使って、布袋に絵を描いてきた時のお仲間のようだ。「フラもお上手で…」これは、先日、ドルフィンホールでのアイランド・ウインドの演奏の最後に、フラダンスの受講生に踊りましょうと呼びかけられて野村道子さんとカミサンがステージに出ていったときのことのようだ。事前にフラの先生からステージに出てきてくださいと、全員に要請されていたのに、他の方に尻込みされて、スポットライトを浴びたのは、その二人だけだったという恥ずかしい体験である。そんなこんなの話から、ぽろっと「名古屋から来ました」という。「ウチの主人も名古屋出身です」とカミサンが明かすと、そのご婦人が高校は何処かと訊ねた。「名古屋学院です」と僕が答えると、「松永先生ご存じですか、私、中央教会です」「ああ、(「聖書購読」科目担当の)松永さんは楽しい先生でした。彼は中京教会の牧師でしたが…、我々は、長塀町時代です。金城学院と電停を挟んでいた時代です」「教会は?」名古屋教会とか熱田教会とか言いたかったが、洗礼は受けていないので「中高は音楽部で聖歌隊も兼ねていました。宗教主事の柴山満先生の指導で」「あらあ、懐かしい、柴山先生のお名前をここで耳のする、とは思いませんでした」「私の恩師の一人です」

一気に時代は昭和30年代に戻った。「06年の世界一周クルーズでは名古屋から乗船した方が多かったですよ。今回も小牧の長谷川さん、呼続の高木さんと、いらっしゃいますが。申し遅れました、萩原と申します」「え、あのMOPASの『海』に、デッキゴルフのこと書いておられた方?」「ええ、そうです。お読み下さったのですね」「渡辺と申します。じゃあ、毎朝やられているのですね」「殆ど毎朝ですね。あと、僅かになりましたが、宜しくお願いいたします」日本へ向かって、あと1週間という今日、柴山先生をご存じの身近な方と知り合うことになろうとは、世間は狭い、船は狭い。

 

午後は、盆踊りの練習や藤原ドクターのスペイン徒歩90km横断の講話、甲板部による名札のエッチング教室などがあるが、専ら航海日誌を書く時間にして、自室でパソコンを叩いた。
シャチが1頭、鯨が1頭、操舵室からアナウンスされたが、現在の状況ではそれ以上は望むべくもないようだ。なぜなら、時期的に小笠原の鯨さえアラスカに集合しているのだから。アナウンスに一喜一憂して右往左往する4階のデッキの有様が目に浮かぶ。

カミサンは、1530分からのアートクラフト教室「カルトナージュ」とやらいう、写真立てを制作に出掛けた。愛犬・ボズの散骨は何処の海洋で始めるのだろうか。

 

メインショーは、バリトンの浜鍋章盛と理代夫人ピアノによる「名曲コレクション」だが、部屋の中継TV画面で聴くことにした。「蚤の歌」から、ピアノ連弾、「ポルカ」も「ワンダフル・ワールド」もと何でも有りの盛りだくさんだった。

今夕は、瀬戸ご夫妻とお約束の日だ。センターテーブルに席が設けられていた。和田希公ちゃんと我々5人以外、誰も中央のスペースで食事をとる姿はなかった。

瀬戸さんは、モーレアを大層気に入られたようだった。これ以上、欧米の影響を受けて欲しくないという気持ちには同感だった。ホノルルのレストランでFX(スーパードライ)を抱えた猫が多く置かれているようですが、と話題にした。「ああ、ラッキーキャットのことだね」ところが、キリンも同じ猫をしかも、ゴールドキャットで一番搾りを抱きかかえていたことは伏せた。キリンの一番搾りをシンプルに「イチバン」とだけして、託した戦術は、外人が覚える「サイコー!」と同意義となり、口にしやすい点、巧いとライバルを褒めておいた。このにっぽん丸の自販機で売れ足が早いのはスーパードライである。

 

食後にネプチューンバーに出掛けた。長坂さんが待っていた。「航海クラブ会報」を頂いた。なるほど、渡辺船長を中心にこうしたクラブ活動が存在していることを初めて知った。30周年を迎えたと言うことは、日本のクルーズ人口の礎であると言える。長坂さんと知り合えたのは嬉しい。ラストクルーズがもっと先であるように願いたいものだ。

飲みながら話した中で、またまた出てきたのは、にっぽん丸での「ダンスタイム」だった。教室の延長をこなす人たちに占拠されて、しかつめらしい競技ダンスの一端を覚えて実践している、あれは何だと長坂さんも嘆いた。尤も、にっぽん丸に限らず、日本客船はどこもそうらしい。カジュアルな外国船に乗ったとき、この踊り方を実践したら、日本人のセンスを疑われるなという点で心配し合った。夫婦が気楽に踊りあう姿がない。そうした空気を創りだしてもいない。教室の練習場になっている。フロアーに点線が書かれているような、堅苦しいダンスが夜になってもなされている。一体全体、こうした空気は楽しみを損ない、いかにも後進国の頑なな懸命さが感じられる。ダンスは本来、男女が気楽に語り合いながらリズムに乗るものではないか。ライセンスを取るでもなく、社交デビューする年齢でもない。フォー・ドルフィンの生演奏が勿体ないぞ、可哀想だぞ、と共鳴した。

 

2㎝と4㎝」の話も面白かった。海が荒れてシャワーコーナーから洗面所に水が溢れる話だ。03年次に乗ったときは、このコンパクトな設計に驚嘆したものだ。僅か2㎝の段差で、水を受け止めて排水溝に流すという計算が凄いと。ところが、今回は洪水?の経験をした。長坂さん曰く、「ぱしび」は4㎝にしてあるため、その点は大丈夫だと教えてくれた。2㎝でも、溝の切りようで溢れ出ない方法はあるのだが、掃除がしにくい。4㎝に慣れないと、縁に躓くお年寄りもいるそうだ。では、今後は「3㎝」で手を打とうと笑いあったが、にっぽん丸の新造船がそろそろ出来るという噂が現実になったとも、もう乗れないだろう。人工透析の設備が載ったとすれば、それなりにクルーズ料金は高くだろう。

そんな話に石橋爺が入ってきた。手にしたタバコが「エコー」だったのに、これまたびっくり。まだ発売されていることを知らなかった。パイプも楽しんで、38歳で禁煙した僕は、既にタバコの値段すら正確には知らないのだ。ひとしきり、昔のタバコの銘柄の話になった。「ゴールデンバット」「朝日」から、父の好きだった「ラッキーストライク」まで切りがなかった。石橋爺の話が遠くなりかけた。森田さんにチェックを頼んだら、渡辺登志さんにも草浦さんにも、もう少し飲もうよと引き留められた。が、体はもう眠っていた。明日の晩を約束して、部屋に戻った。

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2007年10月 8日 (月)

07.06.06 日本へ1

6時に目覚めたのだがどうも体が重い。なんとかそのまま、八点鍾まで起き上がらないでいた。2日間の「ホノルル疲れ」か。そうであっても、今朝は、デッキゴルフが再開される初日だ。今日から帰国するまでの1週間は、何処にも寄港しない。つまりは、毎朝デッキゴルフ三昧だ。デッキゴルフがしたいために航海日に多い、この南洋クルーズに乗り込んだオッショーネエ鬼界は、既に下船して京都の自宅に帰ってしまった。強敵が一人消えたとも言える。天気は良好。

Img_226066 『北緯22°04′、東経162°25′。北西に連なるハワイ諸島の南から日本へ西に進路を向けていますが、沖合い50km以内の航行は禁止されていますので、ご了承下さい。速力195ノット、時速36k、天候は晴れ、北東の風7m、気温25℃、水温267℃、波の高さ約15m。8日は日付変更線を越えますので、69日はスキップされます。今夜から、時計は1時間ずつ遅らせます。125時間の生活をすることになります。

しばらく海は穏やかさが続きますが、日本から南部で梅雨前線が張り出してきましたので、1213日頃にどれほど影響を受けるかですが、多少船が揺れることが考えられます。

尚、本日1256分、太陽が本船の真上に来ます。デッキで自分の体をお試し下さい。NHKのCSTVですが、いまご覧頂けているのはハワイ周辺の視聴者のためですので、明日には電波が圏外になります。次回映像が受けられるのは、日本に近づく11日を予測しております。』

 

朝食を急いで口にして、デッキゴルフに参戦。長坂さん再デビューの日となった。

Img_2257 Img_225566 菅谷、松田、工藤、萩原に草浦という曲者揃いに対して、高嵜、松田サエ子、塩野、長坂とαの対戦。長坂さんは、幸先良く1番ホールを抜け出ていったが、2番で白の我々に捕まった。ドボンで赤の救助を待つ。長坂さんにしては、代わり番で打つα玉でのチャンスしか鬱憤晴らしができない。なんと、よく見ると素足になっていた。

工藤、萩原が珍道中をしている間に我々白の松田、草浦、菅谷の3人が5番ホールをクリアして権利玉になってくれた。赤は長坂玉以外権利玉になれず、その後の結果は、意外にも勝負は早く着いた。「素足の長坂さん、健闘空しく敗れる」という見出しか。ひさしぶりのゲームは、白の勝ちとなった。11時からは、「ポリネシアの人々と文化」第5回目の片山講演があるため、2回戦はナシ。

 

シャワーで汗を流して、講演会場のドルフィン・ホールに出る。いつものように、5階、つまり二階席から見下ろす格好になる。隣のご婦人が鋭い観察をしていた。「日本に近づくに従って、派手派手しい服装が減って参りましたわね、皆さん。尤も、今夜は最後のインフォーマルですけどね」確かにその指摘はご明察と言いたいほど。船客の姿が、落ち着いた色調になってきた。非日常の世界から日常の世界に近づいてきているからか、着慣れた服装に戻ってきているのだろうか。

 

本日のテーマは、「巨石文化」。フランス人の移住や捕鯨船団の基地となって以来、西欧文化の他に病気まで持ち込まれ、19世紀後半には、10万人のポリネシアンが100人ほどに激減した。文字を持たない種族は、その人と共に知識までをも失ってしまったと、秘境といわれるマーケサス諸島に人類学の調査船で現地を探索した片山先生は、ヒコクア遺跡での亀の石画を見せながら嘆く。

そして、モアイの原型とも言える巨石像が至るところにあると説明する。トンガの崩れかけた方形墳墓のランギや、トンガのストーンヘンジでもあるハーモンガも、ポナペのナンマドールも「モアイもどき」だと、片山先生は言う。

そのイースターのモアイ像は、世界七不思議のひとつだが、10mの高さ、10トンのモア・イ(鶏・火)像が、およそ1000体確認されている。この「イースター」という命名は、1722年オランダ人がキリストの復活祭(イースター)の時、上陸したことに依る。元々は、Rapanui(石斧・大きな)という島だった。西の島々には、ヤシの木で彫った巨像が発見されているが、東に向かっていくにつれて、あのモアイ像のように派手で大きな像となっていったという。つい最近まで倒れていたあのモアイ像は日本奈良文化財研究所と某日本企業によって立たせることができた。そしてその倒れた原因を片山先生は、津波によるものだと考えていると語った。

6000年前アジアから南下したラピタ人が3000年前トンガ、2000年前タヒチ、1500年前ハワイへ。そしてイースターへも南下したのだが、このイースター島から大陸であるチリまではジェット機でも6時間、4000kmの距離がある。イースター島には、にっぽん丸が世界一周クルーズの寄港地として2002年に上陸したが、冬は寒い南緯27°に位置するため、寄港するベストシーズンは1月から3月までとなる。

4年に1度の「世界ラピタ会議」が、今年の820日~25日、スエーデンのフォトランド大学で開催され、片山先生も出席を予定しているとして、この講義を終えた。

 

Img_226766 Img_226966 今日は、スポーツデッキで「洋上大運動大会」が行われたようだ。ようだというのは、これで3回目になるので、写真を撮ることもカミサンに頼んで、僕は船内でのんびりしていた。

 

今夜のドレスコードは、最後のインフォーマル。この日の船内新聞はいつもと違う掲載文があった。過日、川野チーフパーサーに意見具申したことだった。「2回食目の客には、メインショーではジャケット着用でなくカジュアルであっても良い」との但し書きが書かれた。メインショーから夕食までのインターバルが1時間もあることが、度々問題になっていた。この時間内に着替えをすればいいということだ。しかし、セカンド・シッティングの船客だけが、服装にばらつきが出る事は否めない。2回公演するエンターティナーの方々の目にはどう映るのだろうか。帽子をかぶったままの男性客が座っているよりはいいのだが。

食前のメインショー、ドルフィン・ホールは、ホノルルから乗船した北村英治ショーだった。03年世界一周クルーズ以来である。久しぶりという挨拶で始まった彼は、自作曲の「さつき(アゼリア)に寄せて」を聴かせてくれた。この曲は、とてもリリカルで船客からは大拍手だった。やはり、ソプラノ歌手やラテン系バンドよりも、50年代から60年代のジャズ、ポップス系の方が受けがいい。言い方は悪いが、進駐軍によって日本人の耳を変えた音楽の方が、船客層には喜ばれるのだろう。おそらくこうしたナンバーをフルバンドの演奏に乗って、ダンスを楽しんだ世代ではなかろうか。

 

Img_227666 Img_227566 夕食は高木夫妻、高嵜夫妻の背中のテーブルに案内されたが、どちらのテーブルにも空きがあり、スタッフの了解を得て同じ席に移った。今晩はインフォーマルに合わせて着てくれている、フィリピンクルーの正装姿も今晩で最後になるらしい。花柄の正装ドレスは、今年からスタートしたようだ。約束通り、正装のジュン君とカミサンをツーショットで撮る。ニックの姿が見当たらないのが残念だ。

Img_227866 目で楽しんでいるだけではなく、彼らに感謝の気持ちを込めて、カミサンと数人を一緒に記念撮影させてくれないかとジュン君に事前に頼んでおいた。食事も終わり、客も殆ど姿を消した頃、ジュン君に手の空いた仲間を呼び出してセンターテーブルに集まって貰った。シャッターを切る内に、徐々に徐々に多くの人が走り込んで来て、きゃあきゃあ喜んで声をあげている。何事が起きたのかと、食事を終えた船客が見守る中、我々は一人一人に感謝の握手をして記念写真撮影は終わった。顔馴染みになったフィリピンスタッフはまだ興奮が冷めていなかった。この関係がにっぽん丸独特で羨ましいとは、飛鳥やぱしびに乗ったことのある船客からの言葉だった。2国間だけの人間関係と言うことの他に、マニラでの厳しいホスピタリティの訓練がそうさせているのかも知れないとは、専らにっぽん丸に乗る船客の返答だった。

 

Img_2242 デッキに出てみる。これからは毎日、夕陽を追いかけて航行するのだが、今日は雲が多く、柔らかな橙色で終わった。

食後の約束で、高木夫妻と一緒にネプチューン・バーに繰り出した。後から顔を出した高嵜さんはしばらく止まり木に腰を下ろしていたが、早々と引き上げていった。入れ違いに長坂さんが現れたが、遅きに逸した。僕は既に眠気を催し、限界だった。今日のような好調のデッキゴルフを対戦しましょうと言い終えて、チェックアウトした。

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