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2007年8月

2007年8月29日 (水)

07.05.28 ボラボラからパペーテ

4時に眼が覚めた。カーテンを開けたが、まだ日の出には早すぎる。波は静かに揺れて夜明けを待っている。昨夜は文庫本を手にして横になったが、それを読む気力もないほどに瞼が重くなっていた。2230分には眠っていたはずだから、睡眠は充分に取れている。7時の一斉モーニングコールを待たずに顔を洗っていた。カミサンも起きてきて、カメラを手にテラスに出ていった。日の出は、柔らかく雲を染め上げていた。Img_1514

8時までに荷物をドアー前に出すことになっている。 チェックアウトするつもりでカメラバッグを手にして朝食に出る。

Dscf7009 Dscf7011 Dscf7010 どっしりとした木の階段を上がる。案内されたテーブルは、二人席だった。今朝は僕も、あのボリュームたっぷりのオムレツを頼んだ。鶏の卵2個分以上の大きさだ。パンも要らない。マンゴジュースとヨーグルトだけで充分だ。

P1010659 ヌイ・リゾートの従業員は、決してタヒチタイムとは思えないテキパキとした動きである。今朝も小鳥がテラスのテーブルの下を歩いている。近くにいたのは富田さん。

「毎朝、僕はモーニングコールが要らないんですよ」「え?」「足が攣るんでね、決まった時間に。だから、海に入った途端やっちゃいましたよ」「僕もやっちゃいましたよ。フィレを付けて、指先に力を入れた途端に攣りました」「まあ、ボラボラの海水に身体を入れたということでいいやと、ね」「足が攣るというのは、腎臓が弱っている信号だそうですよ」「私は肝臓です」「肝心要(かんじんかなめ)がお互い駄目ですね」「大腿部が攣ると、あれ痛くてねえ」「あ、いい手当がありますよ。ドライヤーの熱風を大腿部の付け根に当ててみてください。やがて、筋肉が弛緩してきますから、応急処置にはいいですよ」「なるほど、そうですか、寝る前にドライヤーをそばに置いとくことか」海を眺めながら、魚釣りの話ではなく、筋肉の攣りの話をしていた。Img_1474

リーフの白波の手前は、緑とブルーの海。帰りたくない気持ちが高まってくるから不思議だ。潮風が肩を撫でて、また来いよと囁いている。

9時集合だというのに、P1010670既に中央に張り出した水上フロントにご年配の船客が集まり始めた。 フロントでの精算をし、キーを返す。まだボートの出るまでには時間がありすぎる。手荷物を置いてベンチに座った時、鬼界さんがそばに来てカミサンに挨拶をした。「デッキゴルフでご一緒の鬼界で御座います。萩原さんの奥様だと判りましたので、・・・・」「あ、こちらこそ、ご挨拶させていませんでしたか」とカミサンの肩を押した。二人にして、僕はベンチを離れた。

大型クルーザーの中に、ホテルスタッフがコテージからの荷物を手際よく運び入れている。

香川県から来られている佐藤先生が、それをじっと見つめている。

「佐藤先生、どうされたのですか」「いああね…僕の荷物は、ドアの前からちゃんと持ってきてくれたんかいな、…とね。…心配性な、もので…」佐藤先生は、堪らず立ち上がった。船の縁に手をかけて覗き込んだ。

佐藤先生が安心した顔で戻ってきた。

「いやあ、失敗したなあ・・・・シングルユースにすべきだったなあ・・と、僕は、思ってるんですよ」横に座って話を聴く。「?」

「でかいベッドでしたでしょ。…バスタブも」「…はい」

「僕はね、テレビ観ながら、ね、ソファーベッドで…横になったまま、…眠っちゃったんですよ」「はい」

「…あのでかいツインベッドは、…無駄だったな。……要らんかった。シングルユースで良かったんじゃ」「……がははは」意味が飲み込めて、思わず大きな声で笑ってしまった。先生はいつも、こういう、おとぼけな話し方で聴く者をいつも楽しくしてくれる。

「船に乗ります前に、今一度パスポートをお確かめ下さい。パスポートだと、ばかり思われていたのが、実はホテルのメモ帳だった。こんなことが良くあるんです」藤川君の、ゆっくりと大きく声を張り上げた注意に、集まった一同大笑い。

「触るだけでなく、いま、一度、ご自分の目で確かめてくださぁい」

僕もそれに従った。パスポートは確認した。

 

船に乗り始めた。並んで順に乗り込んだ。もう今日は、ラグーンの写真を撮ることもないと、2階には上がらず1階の前席のソファーに座った。鬼界さんのグループが一緒に座った。他愛もない話をして、写真の枚数の話になった。07年次の世界一周クルーズでは3000枚を超えたが、カミサンの分を合わせると、6000枚以上になっていたと話して、今回の僕は、1800枚くらいになっている。カメラもこの他に1台持ってきたし………、と口にして、絶句した。そのもう一台を入れたカメラバッグが足元に無い。

P1010693事件は起きた。………あのベンチに置き忘れたのだ。すぐに立ち上がって、後部デッキにいる藤川君に事情を話した。横にいた現地旅行社アルファのスタッフが、ホテルカウンターに携帯電話をする。ベンチの下を確認してもらうと確かにあると返ってきた。離岸して15分が経っていた。 「さ、奥様がどうおっしゃるか、報告するのよ」鬼界さんにいたずらっぽく囁かれて約束させられた。

 

48人を乗せた大型クルーザーは、すぐにヌイ・リゾートに引き返した。Dscf7031船内がざわめいたが、藤川君は首を横に振って、黙っていましょという合図。フロントのある船着き場に近くなった。 大きな男が桟橋に立っている。黄色いナップザックとカメラバッグが高くかざされた。船にそれが乗った。P1010730

大きな弧を描いて、アクセルが踏み込まれた。21ノットで海を切った。船内では、誰のものかが判ってしまったようだ。黄色いナップザックが背負えなくなった。エアポートのモツに着くまで、外の風に吹かれて海を見ていた。仕方がない。

下船する時、背中の黄色いバッグと手に握ったカメラバッグに多くの視線が刺さっている。どちらもやけに重く感じた。

空港での時間は充分にあった。飛行機を30分は待った。同じタイプの機体だった。往路と反対の左側席に座った。カミサンからの第一声は「馬鹿ねえ」でしたと、鬼界さんに伝えた。

 P1010973

環礁島を撮っているうちに、機は下降し始めた。 タヒチ島のパペーテは上空から見てやはり、大きな街だった。バスに乗り換えて港に近づいた。辺りに停泊している船がないこともあって、にっぽん丸が大きく見えた。「お帰りなさい」ギャングウエイを上りきった時の言葉が心地よかった。

P1030882

昼食を取ってシャワーを浴びた。パペーテの街を歩いてみようと1330分頃に下船した。新たに両替してしまった5000円を使うためだ。祝日でゴーストタウンのようだった。いつもマルシェが開かれるという小路に入った。7000㎡もあると言われるル・マルシェにはDscf7084、果物や野菜、それに花市場が、2階には民芸品店が並び、壁にはカラフルなパレオが覆い尽くし、さぞかし、喧噪で明るい笑い声が響いていただろう。タヒチの歴史的文化を物語るという場所らしかったが、今日は、それが息を止めている。

 

路地にある数軒の露店を覗いたが、パレオには気に入った柄がなかっ た。ある店で、Dscf7081「ヒナノビール」のキャラを刺繍しDscf7082 た帽子があった。夜になると光るんだよ、と若い男の店員がいたずらっぽい目で、電池のスイッチを入れてくれた。布で囲って、中を見てみろという。チカチカ光っている。17フランだと言われたが、僕のポケットには、あいにくと、15フランしかなかった。店員は店を任されているのか、即座に快く応じてくれた。日本に持ち帰ったら電池が切れているという代物だろうが、いい記念になると、それをかぶって歩いた。

Dscf7087 奥に歩いて行っても、シャッター通りが続くだけ。やがて、中国会館という大きな建物の前に出た。ここ、パペーテも、中国人社会があることを知る。遠くにカテドラルが見えてきた。あれがノートルダム大聖堂なのだろうか。中に入ってみたいが、ドアの前で数人の信者が立ち話をして入口を塞いでいた。やり過ごしてポマレという海岸道に出た。開いていた雑貨屋に踏み入れた。フラダンスのインストラクターが三人、遅れて入ってきた。Dscf7093_3カミサンが挨拶をしたので、それと判った。デミタスコーヒーカップに洒落たデザインがあった。カミサンは誰かに宛があるのだろう。迷っていた。  

しばらくして、埠頭に戻ることにした。ところが、公園の中に白いテントが張られ、その中に、日本人の姿が見えた。貝細工の店が何軒も集まっていた。いや、開いてくれていた。そう思えるのは、その場所が、観光ビューローの脇だったからで、日本の客船が停泊しているので急遽、何処かで土産物屋が集まっていると聞かされていた。所持金も少ないので、見るだけになるだろうとぶらついた。

Dscf7094 Dscf7095 バンコックの「サノフラワー」と同じようなものを細工しているタヒチアンの主婦がいた。植物の葉脈を透かせて、それらを布の造花のように飾り付けていた。写真を撮らせてもらった。Dscf7097

タヒチアン・シェルにナイフで切り込み、模様を描くアクセサリーの店が多い。中で、一軒だけはレリーフのように模様を浮かせる手法が施されているのを見つけた。エッチングのような、腐蝕方法を応用したのではないかと推測する。気に入ったのだが、どうにも高い。男性店員に値段交渉した。ところが、チョーカーにする金具の取り付け作業をしている女性は、容易に首を縦に振らない。むしろ、上目遣いで睨んでいる。私がどれだけ、手間を掛けているのか判るかとでも言いたげな眼だった。諦めて別の店に行くが、やはりレリーフは珍しい。またこの店に戻って来ていた。

気が弱そうなフランス人男はどうやら、女性の旦那だった。旦那と英語で話してみると、神戸に住んでいたことがあるという。黄色みを帯びたマザー・シェルは、なかなか貴重品だと、今度はフランス語を喋る野村道子さんに売り込んでいる。なんとなく話の流れで笑い合ったり、肩叩いたりしていた。その間、カミサンは独りで奥さんと話をさせた。カミサンがデザインを褒め続けた。我々は、野村さんと旦那の三人でいかにも親しくなったように振る舞っていた。まあ、言い値で買うしかないなとカミサンが覚悟をした。と、どうだろう。安くできないがねと、別の細工物を黙ってカミサンの手に握らせた。心根は優しいデザイナーだったのだ。小声でカミサンも「…マルル…」。ようやくタヒチアンの女性は、にこやかな笑顔を返してくれた。

 

帰船して、8階のスカイデッキに上がった。夕陽が沈む時だったからだ。やたらにシャッターを切った。長坂さんと水本君がそばに来た。グリーン・フラッシュを見たと、望遠鏡を手にした長坂さん。果たして撮れているだろうかは、後のお楽しみだ。

 

高嵜さんと松田さん、野村さんが同じスカイデッキにいた。高嵜さんはインターコンチネンタルホテルに行って泳いだという。タクシーで所持金がスッカラカンになったと、物価の高さに驚き、野村さんは、島内に唯一の日本人タクシードライバーで周遊しようとしたが、気が合わないので途中で降りたとか、聞けば余り楽しい停泊地ではなかったようだ。確かに、祝日に寄港することが判っているときは、船側も直前にいうのではなく、情報公開を乗船前に言うべきだという意見が出た。地元の人間からは、「ボラボラ島に行ったか?行ける時間があるなら、行くべきだったのに」と何人もの人に言われたと、ぼやかれた。

Img_8713 公園の中の明かりが灯り、レ・ルロットと呼ばれる屋台が開店した。地元の人が家族連れで集まり始めた。中国料理が多かったと、高嵜さん。

あのゴッホがアブサンを投げつけて南洋にいくなと頼んだとかいうゴーギャンの美術館がここにはあるのだが、すべてレプリカだと聞いている。ゴッホの耳切事件後にアルルから離れ、しばらく後に突然、元水夫の血が騒いだのか、このタヒチに渡ってきた。マルセーユとタヒチ間は、二ヶ月半の航海だったそうだ。タヒチでも借金のカタに絵を差し出したが、主人が焚き付けにしてしまったので、1枚も残っていないというのがその理由らしい。ゴーギャンの孫という細面のイケメン男性がTV番組に出ていたことを思い出した。

 

今夜は、カミサンの無事生還を祝って席を設けましょうと高嵜廣子さんのお誘いを受けた。そして、高嵜・松田両ご夫妻とワインを頂いた。この席で、ボラボラ島に連れ出されて良かったと、初めてカミサンからお礼を言われた。今回1階船室に拘った意味が、ここでようやく解って貰えたようだ。

 

テーブルでは、タヒチエアーのプロペラ機の話から、オランダの風車に及んだ。オランダの風車の羽が可変型であることを知った。風車は時に数枚の羽を重ねたり閉じたりすることで、村人同士の信号になっていたのだそうだ。航空機の羽の技術は、船のスクリューに技術が応用されるのだいうことは、今回のタヒチエアーの細い巾のプロペラで知ったのだが、にっぽん丸のスクリューも、非常に効率のいい可変式のプロペラだと教えられた。風車は風車でも、風力発電機の建設には絶対反対ですと松田さんが真顔で言い始めた。渡り鳥を始め、多くの鳥たちが風向きを狂わされ、方向感覚を失い、羽に飛び込んでかなりの数が自殺しているそうだ。風力発電機を増やすくらいなら、私は電気消すと松田さん。「ビル建築でのミラーウオールのデザインも反対です。ようけ鳥が衝突して死んでまんがな」松田さんは、自然破壊、環境破壊に反対し、動物愛護に回ると真面目に語った。そばで、サエ子さんが、こういう人です、と口を添えた。優し、いい人です、松田さんは。

P1010981_2

今晩は、何処にも遊びに出掛けず、船室で写真のバックアップをした。なにしろ、3日分の630枚をポータブルHDDに吸い込ませなくては気が休まらないからだ。長い1日だった。念願の3日間がこうして終わった。 

 

 

 

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2007年8月23日 (木)

07.05.27 ボラボラ・ヌイ・リゾート&スパ

P1010616 海に向いたテラスはカーテンが開け放たれてある。朝焼けが見たいからと、カミサンがそうした。波がキラキラと、砂金を蒔いたように光っている。いま、それぞれのビラでは、48人の少なくとも30人くらいは、「フルムーン」の気分で居るのではないだろうか。そういえば、昨夜は満月に近かった。

薄いブルーの海が、強い光を浴びて再びエメラルドグリーンに変わっていくころには、シャワーを浴びて朝食に出掛ける時間だ。

P1010681 海から運ばれてくるという、あの「カヌー・ブレックファースト」は、我々48名の団体フルムーン族にはない。時間にゆとりのあるハネムーナーのためであっていい。この団体にそれを望むのは無理というもの。20カ所へカヌーを漕いでいるのでは朝食時間がかなり遅れる。945分には、ボラボラ島一周クルーズの大型クルーザーが待ち構えているからだ。

すがすがしい気持ちで、ウッドデッキの橋を歩き、珊瑚礁の白い砂を踏み、レストランに上がった。P1010665 昨夜の夕食と同じ場所だが、ガラス一枚の隔たりもない、風の吹き抜ける2階のレストランは、殊更に朝の気持ちよさを与えてくれる。小鳥も相変わらず、テーブルの下を歩いている。パンくずでもついばんでいるのだろうか。

ブッフェスタイルだから自由に載せるのだが、取り皿がフラットな大皿だけだ。3種類ほどをピックアップすると、ドレッシングも煮物のソースも混ざってしまう。ミニボウルがないので、注意していないとこぼれてしまう。種類は多い。味噌汁には、ワカメの具や賽の目に刻んだ豆腐まであった。いかに日本人のハネムーナーが来ているかだ。デザートまで含めれば、50種類以上ある。

カミサンのオーダーしたオムレツにぎょっとした。3人前はあろうかというサイズである。さすがにフルーツジュースが美味い。コーヒーは、パリロケで味わう、あのざらつき感のあるフレンチ・ローストコーヒーだ。タヒチでも同じ味だとは思わなかった。この味がフランス人好みのカフェなんだろうな。

三々五々、ホテルフロントのある船着き場に集まりだした。大型クルーザーも着岸している。操縦席のある2階に上がる。今日は、エメラルドグリーンの景色に染まりたい。

トオプア・モツから、ポバイ湾に入り、時計の逆回りで走ることになった。P1010571 大型クルーザーのキャプテンは、P1010783 この重量感のある船体の蛇輪を器用に片足で操作して走らせていく。かなりの速度で白波を切っている。「ここの海水を粉末にすることを考えたムトウハップの会社は、偉い!!」「ほんと、ほんと」「もっと若いときに来て、一儲けすれば良かったなあ」に爆笑。こんな冗句も、一面エメラルドグリーンに囲まれているから、ツーカーとなる。

街のあるバイタベ(「倍食べ」たくなるほどに美味しい店があると覚える)を通り、トップ・ダイブ・リゾートを横に見て、ファアヌイ湾を周り、左舷にボラボラエアーポートを遠望し、島の北部トップ、P1010790ヒチアア湾を右舷側に回り込んだ。魚探のようなレーダースコープに珊瑚礁の浅瀬が示される。海の真ん中に赤や青のポールが立つ。エンジンを切った惰性でゆっくりとそれを回避する。箱形の快速艇が空港からの個人客を送迎している。 正面から見ると、双胴船ではなく三胴船だった。

 P1010751 Img_8318_2727mのオテマヌ山を仰ぎ見ながら南に下り、ムラブメッド・ボラボラ、ソフィテルなどの水上ビラを眺め、マティラ岬を目前にして引き返した。 メリディアンや、フォー・シーズンといった有名ホテルの経営するビラも多く目にすることが出来た。こうして、21ノットのスピードで、四つの湾を走り抜けて、戻った時は昼食の時間になっていた。

 

午後は、各自が自由に過ごす時間だ。 P1010814部屋に備えP1010808付けられたシュノーケリングセットはカミサンの足に合わなかったようで、 プールサイドまで行って取り替えてきた。 今回のために買った新しい水着で、カミサンがフィンを付けてテラスから降りた。 せっかくだからと、P1010817記念写真を撮っP1010820ておいた。ウッドデッキの下か海面が覗ける。夜にライトが点けて、まってくる魚を見ることができる。

しばらく周辺を楽しんでいたが、フィンが抜けそうだと言っDscf7021て上がってきた。僕のフィンは足にぴったり過ぎるほどだった。 むしろ、締め付けるほどにきつかった。水の中ではよく効くだろうと思った。テラスから海に降りてみた。海水温は、思ったほど冷たくはなかった。ところが、右脛が痛む。切ってしまったらしい。塩水で傷口が痛む。血がにじんでいた。階段が錆びていた。大したことはないと首まで降りた。

ひたひたと、かなりの流れがあることを知らなかった。深さは4m以上だと聞いている。フィンを付けた足を水の中でこねてみた。不味いことに、左の指先が攣ってしまった。甲を締め付けているからか。これでは右足も危なさそうだ。約10m先が岸だ。その間にもし両足を攣ってしまったら、岸までカミサンの力では引き上げられないだろう。上からカミサンがやめてくれという。足が攣る癖のある僕は、温度が変わる海水ではいつも海岸と並行にしか泳げない。まさか、こんなところで攣るとは情けない。プールに出掛けた方が賢明だった。

和田希公ちゃんは、P1010775 パラセールで一段と高見からエメラルドグリーンを目に焼き付けたというし、ある人は、サンセット・クルーズに出て、真っ赤な夕陽の中に居たと喜びを語った。

因みに、シュノーケリングセット及びカヌーは無料だが、パラセーリングは、1人15分で11000cfp、2人なら18000cf。サンセット・クルーズは、半日で7150cfp。

午前中に楽しんだブルーラグーン・クルーズは、個人乗船で74800cfpだった。スキーをやめた僕が一度は経験したかったのが水上スキー。15分、5500cfp。もうこれで、乗ってみるというチャンスは一生ないのだ。

P1010838 P1010837部屋の電話が鳴った。 高木夫妻だった。テラスに出てきたら写真を撮ってあげるという。高木夫妻のビラとは、20mほど離れている。互いに写真を撮りあった。 カミサンに背中を指さされて振り返ると、空が燃えてP1010856P1010855 いた。お陰様で、燃える夕陽を撮ることが出来た。 

 



シャワーを浴びているうちに夕食の時間が迫った。

今夜は、タヒチアン・ダンスショーが観られることになっている。場所は、昨夜飲んだ砂浜にあるレストラン、「タムレ・グリル」。P1010948

高木夫妻が、砂かぶりの正面のテーブルを獲っておいてくれた。高木保彦さんは、昨年の世界一周クルーズで撮った写真が、名古屋で受賞した。さすがにカメラポジションのいい場所だ。

メニューは、前菜が、海老とエンダイブのサラダ、ライムとカシューナッツオイルドレッシング。メインは、胡麻であえたマグロの半生焼きとトマトと野菜のリゾット、コリアンダーとジンジャーのサルサ、トロピカルフルーツサラダとプチビスケットにカフェとある。他の宿泊客はブッフェスタイルだったが、我々は、料理を運んでくれている。ここの料理は、昨夜も今朝も美味しかった。Img_8194

ツアースタッフの藤川君が相変わらず精力的に動き回ってくれている。こちらにテーブルにメインが運ばれてきた時、彼が近づいてきた。「お料理の味はどうですか?萩原さんには、塩を使わないか、ロー・ソルトでお願いしてありますから、安心してお召し上がり下さい」嬉しかった。昨年のイタリア縦断オーバーランド・ツアーでも藤川君が気遣ってくれた。クルーズだからこそ安心できる外地での僕の食事だ。こうしたホスピタリティは、優秀なスタッフの力が創りあげている。

Img_8467 食事が終わると、砂地のステージに運び込まれていた打楽器を調整する男達が座り始めた。右手の奥では若い男女が笑いながら着替えをしている。いよいよ、部屋で観ていたプロモーションビデオのタヒチアンダンスが始まるのだ。

  何組みかの男女が、P1010891激しく踊り始めた。パゴパゴImg_8516港でのダンスよりも、さらにテンポがある。カメラを構えるが、悲しいかな、フラッシュの光が届かない。高木さんのフラッシュが効いている時に、シャッターを押すしかない。 20分も過ぎた頃、P1010914例によって、観客を引き込んで踊り始めた。最前列にい たのだから、無理もない。ミセズ高木もカミサンも引っ張り出された。踊った。

若い男のダンサーが脛に付けていた汗びっしょりの草の飾りをプレゼントされたらしい。カミサンは彼の膝に乗ったとはしゃいでいた。


Img_8555

今晩は、バーに行く元気はなさそうだ。帰り支度のパキングをしなければならない。P1010859

2泊では物足りないといいながら、もう一度シャワーを浴びて、大きなベッドの両端に体を横たえた。波音だけが聞こえている夜だった。


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2007年8月22日 (水)

07.05.26 モーレア島~ボラボラ島

 P1010368_2P1010245_3目覚めたら、船はクック湾のモーレア港に投錨していた。晴れ時々曇り。最高気温は31℃の予報だ。タヒチ島の北西17kmに位置し、タヒチ島のシスター・アイランドと呼ばれるモーレア島は、「黄色いトカゲ」という意味だそうだ。クック湾とオプノフ湾が内陸に深く切り込み、羽を広げたコウモリだと言う人もいるが、「トカゲ」には見えず、僕には、「Wハート」の形に思える。島の中心に聳える象徴的なモウアロウ山は、例のバリハイである。それが目の前に立ちはだかっている。山頂には雲がかかって絵になる。食事前の船客が連なってカメラを向けている。P1010379 ゴーギャンが「古城のようだ」と形容したのも頷ける。人を寄せ付けない毅然とした気高さが漂う。「偉容」「威容」という漢字が浮かんだ。

今朝は、早くに朝食を済ませたら、シャトルバスで黒真珠を買いに出るのだとカミサンは勝手に張り切っている8時にはボラボラ行きの荷物をドア前に出した。これで、スタッフが空港行きのバスに運び込んでおいてくれる。その間に、15分先のモーレアの村に出掛けてくるのだ。

3階のツアーカウンターで、両替の行列が出来ている。船内新聞での案内では、5000円パックで、現地通貨フレンチ・パシフィック・フランに替えるとは書いてあるが、それが、何フランになるのか、またパレオ1枚がいくらくらいかも記されていない。フランス本国よりもタヒチは物価の高いと言われる。

ボラボラ島ではカードが使えるはずで、次の寄港地パペーテは、P1010389_2祭日と聞かされたので、殆どの店は開いてないのではなかろうか。自由散策者が先にテンダーボートで渡る。モーレアのボート桟橋には10分もかからない距離だ。振り返ると、にっぽん丸の船体が一段と美しく見える。

桟橋に集まってきていたタクシーは、ヒュンダイのワゴン車だった。道路側で駐めていた四駆車の男は、下船してきた船客へ盛んに色目を使っているが気の毒だった。実は、我々のオプショナルツアーに、四駆で疾走するというツアーが企画されていたが、事前に催行中止を告げられていたからだ。道が寸断されているという道路事情の悪さを知らされているから、我々の誰もが乗るはずはなかった。

今日のシャトルバスは、明らかにショッピングツアーバスだ。なぜなら目的地の「タヒヤ・コリンズ」とは、黒真珠の専門店だからである。850分発で桟橋着900分。940分発で100分着のシャトルバスを選んだ。

ツアー参加客は、船内で集まり、点呼を取られる代わりに水とバッジを受け取り下船するため、遅れて上陸してきた。桟橋の下に、なまこの大群が泳いでいたと誰かが教えてくれたときには、シャトルバスは座席が満席になったのでと、発車時間を早めて出発した。

 

シャトルバスは、島内を一周する60kmの海岸沿いを西に走った。ハート型の山を2回左に回り込んで、インターコンチネンタルホテル(水上ビラ)を通り過ぎた。直前の船内ツアー説明会では、ショッピングにインターコンチの手前の村を指していたように思えるのだが、思い違いだろうか。

兎も角、連れて行かれたのは、ガイド役の美人、確かTOMOKOさんだったと記憶するが、P1010406_2P1010413_2 彼女の両親が経営する真珠店「タヒヤ・コリンズ」だった。 ショップが集まっているル・プティ・ビラージュの手前に位置する店がタヒヤ・コリンズだった。ここでシャトルバスが停まり、客を中に誘導する。高木夫妻は、元宝飾を扱っていただけあって、P1010424_2P1010409 品定めもシビアだ。カミサンが二人の息子の嫁さんにとあれこれ物色した真珠を、ミセス高木に診てもらっている。我々は、店の中で冷えているタヒチの「ヒナノビール」を飲みながら、 女性陣の真剣な買い物を横目で眺めていP1010423_2壁一面に、ハネムーナーの来店記念写真から、寄せ書きのような色紙が飾られて、購買心を煽る。船客の買った真珠が、鑑定書付きのケースの中に次々と収められていく。カミサンもクレジットカードを出している。トルコのクシャダスでトルコ石を買わされたときは、ギクッとしたものだ。ゼロの数字がとてつもなく並んでいて、現地価格では億の単位だった。世界で一番物価の高いというこの国で、黒真珠をと思うと、眺めている側も、内心やはり、ビクビクものだ。最後のクルーズだから、しかも息子の嫁さんにプレゼントしたい気持ちが断ちがたいようなので、頷いておいた。ところがちゃっかり、自分でも安いものを買ってしまったと袋をかざしてこちらに笑う。やられた。

タヒチで黒蝶真珠養殖が始まったのは30年前で、日本で最初に仕入れた「ミキモト」が、ミキモトパールと、タヒチアンパールの白と黒で、冠婚葬祭マーケットを創りあげたのが始まりだそうだ。それが、世界にタヒチアンパールを広めることになったらしい。真円よりも、少しティアーズ・P1010436_3ドロップのように変化のある玉が面白いなぜなら、世界にひとつしかない形であるから  

女性は誰もがすっきりとした顔つきになっているように思えた。 男達は、苦笑いしながら歩き出した。 選挙カーに出くわした。大きな旗を立てながら、何台もが連なって走り去った。  P1010437_3

3分ほど歩くとル・プティ・ビラージュという、観光客相手のモールに着いた。そこでの真珠店へは誰も入ろうとはしない。閑古鳥が啼いている。大きな「タヒヤ・コリンズ」がビラージュの手前に位置することで、商戦を決めているのだと思えた。

ル・プティ・ビラージュにあるパレオの店、「アート・ポリネシアンズ」を覗く。P1010451_3 我々がパレオを選ぶのは、身につけるためではない。壁に画P1010407_2鋲で留められるライト・タペストリーに、あるいはテーブルクロスにする目的でいつも絵柄を選ぶ。ストーリーが感じられたり、風景が描かれていたりすると、カミサンを呼ぶ。

  まず気に入った1枚を選んだ。別のハンガーでは、1枚2500PCFが、3枚で6000PCFというパレオがあった。2枚まで選んだのだが、誰か、あと1枚一緒に買う方はいませんかと同じ船客に呼びかけてみた。同意してくださった奥様から2000PCFを受け取って支払った。ところが5PCF不足したのだ。両替した金がなくなったのだ。困った顔をしたカミサンをみて、フランス人の店主は、いいよ、いいよと頷いてくれた。

モーレアでは郵便受けに焼きたてのフランスパンを届けてくれるという話を聞いた。せめてそのフランスパンだけでも買ってみようと思ったが、両替した金もなくなった、時間もなくなった。ならば、早いシャトルバス便で帰ろうと決めた。船内で昼食を取る時間も要るし、船内で集合する時間に間に合わなくなるからだ。1115分発のシャトルバスで戻ることにする。ミセス高木は、ヒメノビールとフランスパンを小さな食品店で買ったわと手にして乗ってきた。試食してみて、とフランスパンを差し出された。そのフランスパンは、ほんとに美味かった。

 

昼食を手早く取って、ボラボラ参加組48名は1階のシアターに集合。添乗する藤川君に現地の旅行社社員の松原さんが同伴する。

P1030883_2 P1010484_21315分、ル・プティ・ビラージュとは真反対の方角にあるテマエ空港に10分走る。低い管制塔。50人乗りほどのプロペラ機が頻繁に離着陸をしている。ここでは、島から島へのエアバスの感覚なのだろう。P1010485_3

100mリットル以上の液体瓶は、預かりもしくは投棄」と税関検査の厳しさを聞かされていたので、化粧品類の容器に苦労していたが、結局、手荷物検査は省かされた。コーディネーターの折衝だったのだろうか、難なく搭乗できた。

エア・タヒチの機体は、50余人のサイズだった。P1010489_2 かつて4年目のスーパードライアメリカ縦断ロケの歳 にチャーターした50人乗りのターボプロップのプロペラジェット機と似たサイズだが、プロペラのブレードが違っている。

それは、CPP(コントローラブル・ピッチ・プロペラ)という、ブレードの角度が可変ピッチとなる、P1010969非常に推進力の効率が高いと、高嵜さんから教えられていたプロペラだった。こうした航空機技術のプロペラが、今では高速艇、スピードボート、客船の推進力に応用されているそうだ。一見頼りなく思える鎌の形をした薄いブレードが、我々50人余りを空へ飛ばしてくれるのだ。

P1010501_2キャビン・アテンダントは男女の2人。全員に近い搭乗客が日本人だ。昨日、ボラボラ島の滑走路を船から見ておいたので、座席は右側にした。フランス語でのアナウンスの終わりに「マルル」という言葉が付け足された。タヒチ語で、有り難うという意味である。246便は、ジャスト15時に飛び立った。

飛行機嫌いになったカミサンだがP1010509_2P1010524_2 環礁が見えると、身を乗り出してカメラを構えている。しめしめ、緊張しっぱなしでは困る。カミサンの気を紛れさせてくれるためにも、眼下の風景という被写体は多い方がいい。フアヒネ島、ライアテア島、タハア島を過ぎて、0526_96p1010543_2 特徴的な高い山のある珊瑚礁、ボラボラ島が接近してきた。

1550分着。1時間もしないで着陸した。滑走路は、北側の環礁の島がひとつ使われていた。僅かな距離を連絡バスで船着き場に向かい、 大型クルーザーでモツ(小島)に運ばれる。

0526_97p1010549ボラボラ島を説明するなら、丁度、スタンドライトの形をした頭に当たる部分モツ・ムテが空港。その光に照らされたような場所がモツ・デヴァイロア。

標高727mのオテマヌ(海鳥)山とパピア山が聳える中央の大きな島が、竜の落とし子のような形で、その下に、生まれたばかりの竜の落とし子のような形の島モツ・トファに我々のボラボラ・ヌイ・リゾートビラがある。このボラボラ島には、メリディアン、ソフィテル、ノボテル、インターコンチ、フォーシーズンなど、27のリゾートホテルがある。

400万年前に始まった火山活動で形作られた環礁島だが、900年頃、最初のポリネシアンが着いたのはライアテア島ではないかと言われている。ライアテア島は、モーレアからボラボラに行く間に浮かぶ島で、ソシエテ諸島のひとつ。このライアテア島の近くに海から浮上した、最初の島をボラボラ(最初に生まれたという意味)と名付けたのだそうだ。ボラボラ島には、第二次世界大戦の194212月に米兵5000人が上陸して、この2kmの滑走路を建設し、19466月に撤退した。

 P1010560_2

大型クルーザーには一度に48名、全員が乗船できた。エメラルド・グリーンの中を切るように走る。ヌイ・リゾートは中央の島のそのまた奥、一番外洋に近い小島にあることを、港の案内板で確認している。白波が砕けるリーフに近いロケーションだ。

 

P1010604 水上ビラの数々がラグーンの中に見え隠れする。いくつそれらを取りすぎたことだろう。船長が無言で指さした。島影から水上ビラが顔を出した。草葺きの屋根、テラスから水面へ降りた階段、雑誌で見慣れた風景が近づいてきた。06年のモルジブ環礁を航行した時には、沖からは遠すぎて水上ビラの写真も巧く撮れなかったその水上ビラが、目の前に迫ってきた。

P1010605_2

船着き場では、ギターとウクレレを奏でる二人の大男の歌声に迎えられた。そこは、ホテルフロントでもあった。レジストした後にカードキーが渡され、電動カートに載せたバッグが各自のビラに運ばれた。

フロントから長いウP1010807ッドの橋を渡ると、白砂と二人乗りのカヌーがある陸地を歩く。何本ものウッドの橋が水上ビラに延びている。海面に緑の絵の具を融かしたような光景が広がる。日射しも強く、眩しいほどだ。気もそぞろで、209号室の前に立つ。HEREHEREI LOVE YOUの意味だそうだ)という名前のビラだった。各部屋に名前が付いている。足を踏み入れてレイアウトの巧さとその広さとに驚かされた。坪数で言えば、30坪弱だろうか。目の前に水平線が眺められる。

 

全室スイートルームが120室。冷暖房完備。ドアから入った右手がリビングルーム。ケーブルテレビ(CNN&HBO)とソファー、カーブの深い椅子、CDプレイヤーとミニステレオ、冷蔵庫とミニバー。中央の天井にシーリングファンが回る。P1010609_2 その奥が、レースの天蓋が付いたキングサイズのベッドルーム。足元に2台目のTV。その傍らが書斎テーブル。直通外線電話の横にはネット回線のアウトプットがある。クローゼットは、背広が10着ほど吊れる巾があり、アイロン台が畳まれており、セーフティボックスがある。もう一部屋には、左右両側に洗面台。ドライヤーもコ-ヒー/紅茶メーカーもあり、奥がジャグジースタイルの大型バスタブ。泳げるほどだと喜んでいた人が居た。その右横は、シャワールーム。これだけで既に日本人のバルルームのスペースだ。左横はトイレとビデ。

海側には、プライベートバルコニーがあり、そこにもウッドの3点セット。ガラスフロアが、バスタブの横、リビングのコーナー、バルコニー他、至る所にある。当然のことながら、水面に建っているのであるから、魚もそこから覗ける。シュノーケリングセットは、人数分備えられていて、自由に泳ぎ回れるという塩梅。他に希望すれば、カヌーが自由に使える。長逗留には、充分耐えられる。というよりも、着いたばかりであるのに、帰りたくないなあと思わせる別天地である。ハネムーナーには、夢のマイホームだ。

 

クローゼットに衣服を吊して、シャワーを浴び、着替えて夕食に向かった。リゾートスポットであっても、服装は、スマートカジュアルである。通常の船内でのドレスコード、カジュアルに該当する。短パン・Tシャツではなく、長ズボンに襟付きシャツである。

 

P1010626 陸地に向かう橋からプールサイドを通ってダイニングまでの道筋には、足元に明かりが点々と灯り、いい気分だ。

2階にあるレストランは、天井が高く、景色を遮る窓枠もない。心地よい風が吹き抜けている。

メニューは、前菜が、メカジキのライムマリネ、胡瓜とワカメ添え、メインがチキンの照り焼き風マリネと馬鈴薯のガレット、トリュフォ・オイルソース。

メニューのトリュフォ・ソースやフランボワーズ・ソースと読めば、フランス料理だが、イタリア料理と思い違いしていた人が多かった。レストラン名が、「イリアアタイ・パノラミック・レストラン」だったからだ。

デザートは、タハウ産クリームのミルフィーユ。美味しくて、表面のカリカリ感の食感も良かった。にっぽん丸のデザートは違い、ボリュームがあったことで、ああ、外国で食事をしているのだとあらためて感じた。

 

満天の星空をそぞろ歩きしながら、プールサイドの砂地の感触を楽しんで歩いた。P1010632 帰り道にあるバーの止まり木に高木夫妻と座った。木組みの大きな建物の中の一角に、これまた一枚板のカウンターがいい。 ここで、久しぶりに、ブラディー・マリーを頼んだ。若いバーテンダーは、威勢良い返事をして、トマトジュースを入れた。いい味を出していた。気に入って、3杯目をお代わりした。カウンターの下の彼の手付きを横からじっと追った。あ、と思わず言ってしまった。P1010635_2ウースター・ソースをあんなに入れていたのか!塩分制限の舌に美味かったのは、そのせいだったのか……。カミサンがこれを知ったら、おそらく止められてしまった。

 

いい心地で長い橋を渡り歩いて、我が家に帰り着いた。バスタブは大きく過ぎて入る気がしない。シャワーを浴びて、ふっくらしたバスローブをまとった。蓄積水量を超えて使用すると、翌日まで水が出ないということを説明書で知った。海水の上に建つビラの、こうした上下水道、電気などは、どういう仕掛けになっているのだろうか。明日、建物の下を覗いてみよう。

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2007年8月16日 (木)

07.05.25 ポリネシア5・ボラボラ島沖

『本日も素晴らしい天気です。現在ボラボラ島の西約90kmの地点で、正面にマウピチ島が見えております。これはフレンチポリネシアの118の島々の中の一つにて、ソシエテ諸島の西に位置する島です。フレンチポリネシアは大変広範囲に広がっています。南緯16°28′、西経152°38′で東に航行中。速力16ノット、時速30k、天候は晴れ、北東の風3m、気温27℃、水温29.2℃、うねりの高さ約15m。
 にっぽん丸はこの後09:15頃にマウピチ島に近付き、そしてオーバーランド・ツアーの行程にもありますボラボラ島沖を11:00頃、13:00頃にはタハハ島、ライアテア島等を回ります。そして夜、時間調整をした後、明日05:30頃パペーテの沖にて水先人が乗船し、モーレア島に向かいます。06:30 頃にはモーレア島のクックベイに錨を下ろし、テンダーボート運行の準備をいたします。
 明日の日出は06:20頃でございます。尚、明日は16:00にモーレア島の錨地を離れ、クックベイの西側にありますオプノフ湾に入り、日没の景色を眺めます。日没は17:33頃です。明日の夜20:00にはパペーテの港に着岸予定でございます。

 明日のモーレアは晴れ、時々雲が掛かるということでございます。気温は31
、湿度は76%です。 2728日のパペーテも良い天気が続きます。こちらの気温も31です。お出かけになられる方は、水分補給を行ってください。本日はソシエテ諸島の景色をお楽しみください。』

 

P1000937

甲板は暑そうだ。日焼け止めを丹念に擦り込んで、カメラを袈裟懸けにして4階にあがる。組み合わせは、高嵜、菅谷、鬼界、松田組というベテラン組に、工藤、松田サエ子という小技師と、いけいけドンドンの二人組、塩野、萩原である。

明日からしばらくデッキゴルフが出来なくなる僕はなんとしても勝って下船したいものと、臨んだ。

確かに出だしは挫かれたが、2番ホールに誰よりも先に塩野さん、工藤さんの二人が抜け出したことで、我々は優位に立った。高嵜さんが相変わらず、1番ホールで牢名主のように居座って不気味な位置に付けている。鬼界さんが2番ホールに追いかけた。ともかく、体力戦に持ち込まれないように、4番から5番へ急いで貰う。連合艦隊のように押し上げてくることは必定だった。我々が5番で権利玉になったのが早かったせいで、ホームへの突入は、結構大胆に攻めていけた。

最後は、僕と菅谷・高嵜の対決になったが、運良くクリアできた。勝ったのである。クリスマス島を越えたら、赤道通過記念リーグ戦が始まる。

P1010107 現在までのホールインワイン寄贈の本数は、鬼界2,高嵜1,萩原1,工藤1であるが、本日、鬼界さんと塩野さんが出した。これで、7本となった。

2回戦が出来る時間ではあったが、船は島々を巡って、ボラボラ島に接近するというので、気持ちが焦っている。松田さんはビデオをがっしり握りしめているし、僕は、明日泊まるボラボラ島の外側をしっかりと見ておきたい気持ちが強く、2回戦は中止となった。ビデオで撮りまくっている松田さんが顔をしかめた。説明の言葉を入れようとしている最中に、和太鼓が妙なタイミングでドンドンと録音されてしまう。せっかくの風景に、太鼓の音はないだろうと、音のする方向を指さしながらウインクする。7階のリドデッキで、和太鼓教室が始まったのだ。盆踊りの曲に合わせて叩いているから、こりゃあだめだ。風景とはミスマッチである。

P1010278 ボラボラ島が接近してきた。特徴のある山が見える。オテマヌという700mクラスの山だ。切れ切れになった陸地の間から、エメラルドグリーンの海面が覗く。環礁に囲まれた外側は、塀のようにパーム・ツリーが立ち並んでいる。バリアリーフだ。モーレア島から明日、飛来するのだがエアポートは何処かと眩しい島を凝視すると、誰かが叫んだ。「あ、飛行機が離陸した!」

手間の長いモツが、エアポートになっているようだ。着陸するだけの島だ。管制塔らしき茶色の低い建物が見える。

P1010273 にっぽん丸はこの北側にあるエアポートと並行に航行する。水上ビラのヌイ・リゾートは、ボラボラ島の中でも、本島ではない。モツと言われる小島だ。位置からすると、山の背中側に当たるのだろう。このままの航路では、眺めることは無理だと判る。デジカメの43倍ズームで追いかけてみると、飛行機は、モルジブ環礁島を結ぶようなセスナではなく、中型のプロペラ機のように見える。エアポートの島からすぐに、水上ビラのあるモツへは、ボートで乗り継ぐと説明会で聞かされた。

 

昼食の後もプロムナードデッキはデジカメを手にしたP1010294船客が多く出ていた。 中には、野鳥の会会員らしい方が望遠レンズで海鳥を狙って待機していた。

ラウンジ「海」では、発生と歌唱指導が行われ、後方デッキでは、「デッキゴルフ教室」が始まった。高木夫妻、野村女史が暑い日射しの中でプレイをしていた。リーグ戦ともなれば、また彼らに参加して貰わねば、3組が出来ない。上から眺めながら、秘かに声援しておいた。

 

『「日本客船、米領サモアへ初寄港」サモアの新聞に出ました!』と、インフォーメーションデスクの前に掲示された。P1020018

521日から26日は観光週間だったらしい。地元の人たちに赤い服を着るように促していたらしい。そして長い間、日本客船寄港の誘致に力を入れていたということだった。当日は地元のTV局、ラジオ局も取材に来ていたらしい。あの若者の感動的なダンスグループ名は、イリリルペレルという名前だった。港は、にっぽん丸入港により、一般人の通行をクローズして、歓迎をしてくれていたのだ。次回の観光シーズンが9月ということもあって、にっぽん丸が今シーズン最後の客船だという。我々にとって、あの国での歓迎ホスピタリティは、永く心に残るものとなるだろう。

 

16時からはドルフィン・ホールで「隠し芸大会」が行われている。過去に2回、こうした催事を見てきたが、案外参加者が少ない。審査員と称するゲストのコメントは、当たり障りのない、他愛のないもので、しらけることも多い。尤も、ここに出場すると、間違いなくその後は、人気者になる。つまり、あまり交流の無かった人も、ねぎらいの言葉を掛け合って、親しくなる。出演者は、それがまた嬉しくて、やめられない気持ちになるのだろう。今回は、ホールからの中継を船室で垣間見ることになった。先日昼食の席が一緒になった女性のフラダンスもあったし、そのご主人が珍しい男性フラを披露していた。そのご夫妻と友人だというウクレレ奏者もステージに上がっていた。

これが終わると、1回制の夕食の時間である。2回制の船客には、恒例の「ウルトラクイズ」がサロン「海」で始まる。これは、寄港地に関する豆知識が問題となる。デッキゴルフのメンバーでは、工藤さんや高嵜さんが王冠一歩手前まで残ったことがある。

 

夕食を終えたら、オーバーランド・ツアーの準備だ。P10401228時までに部屋の前に荷物を出しておかねばならない。この航海で一番物価の高い観光地であると散々聞かされているので、余分なものを買わないようにと準備を始めた。

特に、カメラのメディアの予備確認と充電器とソケットを入れ、水銀電池のすべてを充電完了させた。荷物は、手荷物以外を小型のスーツケース1個にまとめた。ネプチューン・バーにも行かずに、もう一度、ガイドブックを読んで明日に備えた。

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07.05.24 ポリネシア4

朝窓に日が射してきた。雲に遮られることもなく、高く陽が昇っている。相当に天気がいいぞと起きる。

Img_1087_24

『南緯15°48′、西経160°00′で東に航行中。速力18ノット、時速33k、天候は晴れ、北東の風2m、気温27℃、水温29.2℃、うねりの高さ約15m。この航海で初めての美しい日の出でした。明日は、タヒチの北西モーレア島に投錨します。それまで、パペエテなどの島々を巡りますのでお楽しみ下さい。』

 

P1010140 朝食後のデッキゴルフは、これまた快適そのもの。これでなくては、デッキゴルフではないなと、メンバーは日焼けを気にしながらもスタートした。昨日の午後欠席が、他メンバーよりも余力を残しているのか、スイスイマダム並みに飛ばせた。赤組の我々松田・工藤・塩野組は、ゴールするのが遅くなったが、結果は、松田・萩原対高嵜・菅谷となり、最後に松田独りに高嵜・菅谷の対決となった。結果は我々に勝利をもたらした。昨日の屈辱を果たしたと松田さん。

1045分からドルフィン・ホールで「入国・ツアー説明会」が行われた。モーレアからホノルルまでの入国手続きがあるので、全員参加である。その後、寄港地でのオプショナルツアーの説明がある。

 

左腕の焼けた肌にポツポツと白い水泡が出始めたのでシャワーを浴びてから、保湿クリームを塗り込む。ボラボラ島のオーバーランド・ツアーを終えるまで、皮がむけないようにしておきたい。

15時からブリッジ(操舵室)で稲積君のマリッジ・リングの交換式である。新郎が白のタキシードを着込んでこようと、参列者は引き立て役。ダブルのブラックスーツにした。Img_1095 ブリッジには、船長以下三役、それに梅北・平と二代に亘るレストランマネージャー、そして内山コンシェルジュ、蘇ツアーディレクター等々、主たる制服組が白の正装で勢揃い。それに船客として、石橋爺と渡辺登志さん、我々、アーティストのルリさん、猫勧進の酒井悦子さん他、祝福の人々で埋まった。久しくこうしたセレモニーがなかったので、と式進行役の内山さんが、そわそわしながら口を開いた。目の前に広がる海と空を屏風代わりにし、厳かに指輪の交換をする。する、のだが、新郎の手元が妙である。Img_1104Img_1101

冷静なはずの新郎が指輪を新婦の右手指に懸命にはめようと焦っている。一瞬静かになったが、それは、新郎のジョークだと思いこんでいた周りは、明るい笑いで包みこんだ。 船長から記念の証明書を手渡され、ダイニングルームから運ばれてきていたシャンパンが軽い弾んだ音を立てた。某ご婦人の音頭で乾杯。白川船長の祝辞を終えた。Img_1112 ここで長谷川機関長からも祝辞を述べたいとImg_1121申し出があり、 「航海と羅針盤」を例えての新生活への願いが語られた。船客代表で石橋爺の祝辞がそれに続いた。ウエディングケーキの入刀の代わりに、新郎新婦には口づけを命じ、 軽く抱擁したままステImg_1125ップを踏んで踊れと、P10001790524参 列者が囃し立てた。僕は、頭上に吊された八点鍾を叩いてあげようかという思いに駆られた。ウイングから海風が吹き込んだような気がした。和やかな空気が爽やかな空気に変わっていった。シンプルだが、とても暖かい式だった。

歓談のひととき、猫勧進の箏奏者に訊ねた。「確か、03年次には『斑鳩』のメンバーとして乗船されましたよね?」「ハイそうです、あの時の演奏を素晴らしかったと書いてくださったのを、本で読ませていただきましたわ」やはり、聴き間違いではなかったし、見間違いではなかった。

「太鼓のドラム・セッティングは、気に入りました。幕開けのイントロで叩いた太鼓の迫力とリズムの小気味よさには、参りましたね。演奏中、箏とシンセの音色が互いにかぶっているのが勿体ないですねえ」とつい、言ってしまった。余計なことを言う悪い癖が出た。

最後は、参列者が出口で両側からアーム・アーチを作って、新郎新婦をくぐらせた。

 

1535分、NHKCSの番組で、狂言の特集番組が流れた。あ、この人は!06年次の世界一周クルーズで拍手喝采だった狂言の茂山千五郎12世親子を撮っていた。偶然とはいえ、このにっぽん丸洋上で再び観るとは…。昨日のアメリカン・サモアの映像といい、TVのスイッチのタイミングが良すぎる。

1550分から1階のシアターでオーバーランド・ツアーNO .19『憧れのリゾート・ボラボラ島の水上ビラの休日23日』説明会が行われた。参加者は、なんと48名。その中には、飛行機嫌いのカミサンの急な参加も入っている。同行ツアースタッフは藤川悟君。06年の同じく「オーバーランド・ツアーイタリア縦断」以来だ。

 

1732分、夕焼けの照り返しがTVのブリッジ画面で見える。おそらく、船尾はきれいな夕陽だろうが、カジュアルな服装では、カメラを持って出るわけにはいかない。17時の時点で第1回食の船客が、フォーマルタイムに入ったからだ。夕陽撮りのために、今からスーツまで着てデッキに出る気にはなれなかった。もっと鮮やかなサンセットをボラボラ島で期待しよう、と諦めた。

18時からの柳亭燕路のラスト高座だが、聴かないでパソコンを打つ。

 

面倒なタキシードも、ようやく着慣れてきた。03年世界一周クルーズでP1010180_2 P1010195思いきって作って以来、何度も着る機会が増えたからだ。さすがにミユキのカッター、太一さんのものはいつまでも型が崩れない。カメラマンの平野君に二人の立ち姿を撮っておいてもらいたいのでと、早めだが、 ドルフィン・ホールに向かう。 数組のご夫婦が既に廊下で並んでいた。そこへ、後ろから松田夫妻が声をかけてくれた。では、P10102003ご一緒で宜しいですか  と互いに中央より奥に座る。 2回制の良さか、座席に余裕がある。今回のガラナパーティの会場は、中央にオードブルのテーブルがレイアウトされていて、しかも、 フロアが空いている。平野君をカミサンは既に捉まえてきていた。その空いたフロアに立った。 続いて、松田夫妻、高木夫妻、高嵜夫妻と、お馴染みの顔がその場を占拠したように入れ替わり立ち替わり記念写真に収まった。

P1010156落ち着くと、カクテルが配られてきた。好みのカクテルをメニュウに書かれた番号で選ぶのだ。そのカクテルをデザインしたバーテンダーが、一人一人カクテルを手にしてステージ上がった。今回は、全員がフィリピンスタッフの手によるものだった。拍手に湧いた。

 

クルー三役が席を回って記念写真の中に入っている。先回のフォーマルデーでは、瀬戸ご夫妻に、奥様は居ないのと言われていたので、川野チーフパーサーに入って貰って、P1010206 瀬戸相談役ご夫妻と我々との記念写真を撮らせていただいた。それを見た梅北さんも小走りして加わった。アサヒの商品が船に入った当時からのお付き合いだそうで、 有り難いことだった。瀬戸ご夫妻とは、インフォーマルでテーブルをご一緒させていただくことになっているようだ。

「瑞穂」に移って、キャプテンズ・ガラ・ディナー。「ガラ」とは、特別な、晴れの、愉快なという意味がある。テーブルは、松田、高嵜廣子、高木のそれぞれ夫妻が入れ違いに座ることにした。 デッキゴルフのノイジーな連中で固まったことになった。ボラボラ島への飛行機を心配するカミサンは、「生前葬」の食卓だといい、僕は、「遅ればせながら、高嵜廣子さんの誕生日祝い」だと言い直した。

強引に飛行機に乗せられるといいながら、顔は喜んでいる。いよいよ飛行機のタラップに足をかけたとき、この顔が引きつっていなければいいがと思う。環礁島の間は、エアバスのように毎日飛んでいるのだし、プロペラ機だからいざというときには、安心だろうと僕の方は楽観視している。尤も天気次第ではある。無事に帰還したら、また夕食で「生還祝い」をしようと決まった。

 

P1010236_2P1010218バリトン歌手「平野忠彦ラストコンサート」へはカミサンが聴きに出て、僕はこの時間にカジノルームの写真を撮りに向かう。 これまで、プレイしてはいたが、この光景を撮ってはいなかった。船内の楽しみを説明する写真がなかったのだ。ディラーのスタッフは、メインショーが終わるのを待っていた。スタッフは、撮影に協力していつもの仕草を繰り返してくれた。

メインショーが終わる2215分が過ぎた。フォーマルウエアの夜なら、船客も楽しんでいるだろうから絵になると予測したが、顔を見せたのは、松田夫妻と他に二組の夫婦だけだった。多くの人がプレイし始めると、手元が撮れない。その前に撮り終えて部屋に戻った。パゴパゴとモーレアの間には、1時間の時差がある。今夜から2回時刻調整になる。腕時計とデジカメの時間を30分進めて、ボラボラ島オーバーランド・ツアーの準備を始めた。

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2007年8月11日 (土)

07.05.23 ポリネシア3

今朝も大きく揺れている。然し昨夜はよく眠れた。時々、足が攣る。腎臓が弱っているのだろうか。カリウムの多い生野菜は控えよう。久しぶりに窓に光が射す。八点鍾が鳴る。

『南緯15°09′、西経166°43′、アメリカン・サモアから430km離れて東に進んでいます。速力18ノット、時速34k、天候は晴れ、南の風7m、気温27℃、水温292℃、波の高さ3m。昨日のパゴパゴ港はQE2も接岸したそうですが、岸壁の長さが120m、にっぽん丸でさえ25mはみ出していました。朝10時、総督の表敬訪問を受けました。日本船初寄港ということで大歓迎されました。「レニー・パゴパゴと覚えておいてください」と、冗談を言われました。コンテナを多く見ましたが、中でもマグロの缶詰を毎月500本出荷しているそうです。昔は日本船でしたが、いまは中国船に代わっていると言うことです。これから、タヒチ、モーレア、パペーテと続きます。尚、午後から船首楼・フォクスルを解放します。記念写真にどうぞ、タイタニック・ポーズを撮られたらと思います。』

 

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久しぶりの天気で、デッキゴルフも楽しめそうだと急ぐ。全員が顔を揃えた。全員のジャンケンでチームを分けた。白パックが高嵜、菅谷、工藤、萩原。赤が松田夫妻、塩野、鬼界、草浦各氏。

どういうわけか、僕がなぜか好調で、誰よりも早くに2,3,4番ホールを盗り、楽な展開になった。一昨日の最悪の打率からしたら、嘘のようである。「別人28号!」懐かしい掛け声がかかった。それに引き替え、菅谷さんのパックが何度も抜けていくという不思議な現象が起き、最後は塩野・松田対菅谷の2対1の戦いになった。

 

松田史郎さんがホームを上がってしまったのがこちらには幸いした。塩野対菅谷の2者決戦は菅谷クリアで勝負あった。我々白に勝ちをもたらしてくれた。これでも僕の個人的な戦歴は、178勝で5割にも満たない。デッキゴルフがしたいばかりに乗船しているという鬼界さんは、さすが違う。10勝している。

 

P1010114 デッキゴルフのリンクからガラス一枚中では、フラダンス教室が開かれていた。03年、06年の世界一周クルーズではなかった教室である。今回はハワイに寄港するのだ。それまでの間に覚え込んで、発表会でもあるのだろう。カミサンもどこかにいるのだが、姿は見えない。ミセス高木の横で、白川船長も腰を振っている。

P1010115 P1010111 二人の美人インストラクターが、ステージで教えている。後ろ姿と正面を見せている。これはとてもいいことだ。ゴルフレッスンでいつもおかしいのは、教えるのが真正面からでは頭がこんがらがる。出来る教師は真後ろから見せる。ところが、ゴルフ練習場は狭すぎてそれが出来ない。P1010122 横から見るしかないから、巧く飲み込めない。スキー教室も同じ事が起きている。整列させた生徒に対して、インストラクターは、横からしか見ていない。いざ滑るときはフォールラインに向かう。だから、一番滑りが巧くなりたいなら、教師の背中を見続けて滑るか、トレインと言われる長い列を作ってゲレンデを蛇のように滑り降りることだ。

 

シャワーを浴びて昼食に出る。窓際に座った。船の蹴り出す白い波が眩しい。もうどれくらいこの光と影を見ていなかったのだろうか。やはり、南洋クルーズは、こうあってほしい。ドイツに売却したアマデオ(元飛鳥)に一緒に乗ったという二組のご夫婦が、ご一緒のテーブルになった。ハモニカ教室で昔のようにハモニカが吹けなくなったと嘆くご主人を、「肺活量が減ったからでしょうね」と、もう一人の奥様が慰め、「シュノーケル教室がプールでありますね」と話題を変えた。それに、当のご主人「小笠原でシュノーケルを使ったが、しこたま潮水を飲んでしまった。自分専用の1mくらいの管を特注してくるはずだったんだが、忘れてしまった」と、返す。だれかが話すとそれに軽妙に投げ返す。とにかく笑い放しの昼だった。

 

部屋で日記を打っていたが、目が疲れた。少し体を横にしたら、眠ってしまった。足が攣って目が覚めた時は、17時を回っていた。

高嵜さんに呼び止められたカミサンが、僕が何処にいるのか訊かれたそうだ。何処に居るか知らないと答えながら、後部デッキに顔を出すとメンバーが口々に、萩さんどうしたの?どうした?と声を張り上げていたそうだ。部屋に戻って、熟睡している姿を見たら起こせなかったという。確かに、1530分から、昼のゲームをする約束だったのをすっかり忘れて眠ってしまっていた。申し訳なかった。

勝敗の結果を記した紙がドアー下に差し込まれていた。デッキゴルフは2戦したようだ。高嵜組が2勝、松田組は完敗だった。昼食の時、話に出た7階でのシュノーケル教室は、波が荒いからと中止されていた。

 

18時、メインショーの「猫勧進」を見ようと5階のドルフィン・ホールに座る。サロン「海」の時の単調なステージではないはずだ。太鼓に箏、キーボードとメンバーが揃ったフルメンバーのメインショーだからだ。

和太鼓がいい。ドラミングのような切れのいいリズム。大太鼓、小太鼓がスネアーなしで、洋楽のようにセットされてあった。アーチェリーのオリンピック代表選手だった体育の先生によく似た顔立ちだ。尺八もリズミカルなアップテンポをこなし、気持ちがいい。時折、リーダーのエレキ三味線が音を外すが、作曲担当のシンセが発する掛け声が、パーカッションのように小気味いいことで救われる。このキーボード奏者は、パソコン教室の菊池先生のご子息だそうだ。MCをこなす箏の奏者は、もしかして、03年次の世界一周クルーズで演奏した「斑鳩」のメンバーだった女性ではないだろうか。

聴く価値有りだった。アンコールを誘うこともDVDを売りつけることもなく、10年目のアンサンブルに拍手した。ただし、ここで、また、辛口評を書けば、アンコールに選曲した「千の風になって」を、サンバにアレンジしたのは、以ての外だった。笛と太鼓でアップテンポにしてまで心地いいと思えるのは誰だろうか。曲想というモノがある。例え、それが作者不詳の他国のものであろうと、日本で新井満が吹き込んだ願い、これまでに積み上げてきた想いが、オーディエンス一人一人の中にある。故人を偲ぶ気持ち、墓標のような感慨を無惨にサンバにアレンジされては、音楽を壊す。「ワルノリ」というべきだろう。音楽とはどうあるべきか思い知らされた。後味の悪さも残った。残念。

 

夕食までの間、部屋の6チャンネルを入れた。1915分。アメリカン・サモアの観光ビデオが流れていた。編集も飛び飛びで、道順が「行って来い」をしている。小さな商店の名前は出ているが、観光名所ではないのか、サディ・トンプソン・インの映像にはタイトルは抜けていた。素人の編集レベルだが、ツアーコンシェルジュの内山さんだて、ロケハン先発しているのだから、これくらいのビデオを事前に撮ってきて見せてくれても良さそうなものだ、とカミサンに話した。いつもクルーズ説明会では、絵葉書のような観光地風景のスライドに終わっているからだ。こうして、車から流し撮りをした動画で見たいものだ。街の中の繋がりが頭に描けるからだ。「船客の誰かのビデオを流しているのでしょね」カミサンもそう思っていた。

エンディングのタイトルロールで唖然とした。どうやら、アメリカン・サモアの観光担当局のビデオだった。小さな町の、電気屋さんが編集したのだろうねと話ながら、夕食に上がった。

 

高嵜夫妻が、今晩は一緒に食べましょうと誘ってくださった。居眠りで試合放棄してしまった手前、ばつが悪い。高嵜さんはにこにこしている。勝ったからだ。まだ誰も座っていないセンター右テーブルに案内されてしまった。恐縮していると平さんが「ゆっくり出来ますから」と、右手を大きく拡げた。「我々の声が二人とも大きすぎるから」と、高嵜さんが混ぜっ返す。平さんが困ってしまった。

昼下がりの熱戦と、親睦会の日時場所、それにスタッフとの対抗戦の日程などを話し合った。カミサン達には無関係の話ばかりだった。夜の落語は二人とも聴きに出ないと別れた。

エントランスで稲積くんから呼び止められた。手に封筒が。明日のブリッジでのウエディング・セレモニーへ参列の招待を頂いた。「モーレア島の洋上でする」と先に聞いていた。明日はフォーマルデーだ。15時ウエディング、1550分、ボラボラオプショナルツアーの説明会。19時からキャプテン・カクテルパーティ。

 

船はようやく揺れも収まりかけてきた。いまは、南緯15°29′、西経162°51′。真横の東、モーレアへまっしぐら。最後にもう一度、6チャンネルにTVを切り替えてみた。マイケル・ジョーダンがバックス・バニーなどのアニメキャラクターにバスケットを指導して勝たせるという、あのディズニー映画だった。映像もきれいだ。しかしこれは、船内発信ではない。となると、6チャンネルとは何だ?洋上から受信した米国TV局の番組なのか???判らないままになる。

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2007年8月 9日 (木)

07.05.22 アメリカンサモア・パゴパゴ寄港

P1010130今朝は八点鍾がないが、8時前に起きた。入港風景を見たいので、最上階のサンデッキにカメラを持って出た。このカメラ、腕時計を毎晩時間調整する際に、同じ手で直しておかないと大変なことになる。撮影時間がずれてしまうだけではない。日付変更線を越えることが二度もあるからだ。帰国後の写真整理が大変になるからだ。通し番号で言えば、既に660枚は撮り終えた。P1000722mt

730分、パゴパゴのタグボートが離れていった。入江の口に聳えるレインメーカー山に雲がかかっていた。この山に雲がかかると雨が降るそうだ。やはり今日も雨か。

サモアでなんとなく思い浮かぶイメージは、ホワイトとスカイブルーのペンキで塗られたアメリカンスタイルの家と、エメラルドグリーンの海。バミューダと違うのは、うっそうとしたジャングル。それが、どうだろう。P1000740U字型の静かな入江に入ると、白い教会が緑の中にポツン。 山の急勾配に普通の家々が覗き、桟橋の先にヨットハーバ―らしきポールが数本立っているだけの風景。左舷に見えたレインメーカーホテルは、廃業したままでその姿を残していた。アメリカン・サモアという語感からは、ちょっと質素な雰囲気だ。尤も、このツツイラ島の西側には、ウポルボ島とサヴァイイ島のいわゆるサモアがある。サモアでの王位継承争いに内政干渉したアメリカが米独伊会議の結果、西経171°以東をアメリカ領としてしまった。なぜなら、太平洋海域の米軍補給基地があったからだ。

 

いつものような歓迎の人影はない。埠頭は左舷にぎりぎり1隻分のスペースだ。着岸すると音楽が聞こえてきた。しかし、人の現れる気配もない。やがて、それは、イミグレの広場に置かれた大型スピーカーから流れていることが判った。

P1000738 朝食後に待たされることもなく、円滑に下船許可が下りたようだ。ツアーバスに乗る船客たちは、開放的なイミグレのゲートを通って、次々と右側に消えていく。今日も自分の足でぶらつくので、ゆっくりと下船する。

埠頭は、ファガトゴという地区だった。町らしいのは、右側に10分ほどのエリアしかないとのこと。ならば足が元気なうちに、レインメーカーホテルの跡地を見ながら、白浜があるというウツレイ・ビーチまで歩くことにした。

P1030880 タラップを降りた途端、シャワーの洗礼を受けた。汚れた体を清めろとでも言われているように、禊ぎの滝に打たれたのだ。カメラのレンズに雨を当ててはいけないと、戻って船のビニール傘を借用した。

少し歩いただけで蒸し暑さが身体を包む。そして、初めて感じる強い潮の香りと魚の臭いだ。ワゴン乗用車を改造したバスが、派手な色に塗られたオモチャの車のように、走りすぎていく。数分でゴート・アイランド・ポイントに着いた。左手に突き出ているのが、かつては、島一番の高級ホテルだったレインメーカーホテルの跡地。総督官邸のカーブ地点で、にっぽん丸の船客を乗せたツアーバスが手を振って次々と通り過ぎていった。

P1000783   左手海沿いに公園が続く。「パゴパゴ・ヨットクラブ」という小さな看板を過ぎた頃に、猫の額ほどの白砂が見えた。まさか、ここがこの島で唯一の白浜「ウツレイ・ビーチ」ではなかろう。

道路の右側を見渡すと、JMマートという店に、「センテニアル・アニバーサリーのホワイト・ペンキを発売中」という看板がかかっている。2000年を迎えるに当たって、この島では家屋を白く塗らなければならなかったのだろうか。そう考えて周りを見ても、建物にその名残は見えない。どういう意味だろう?

そのまま、P1000801だらだら坂を上がって右にカーブを切る所まで出た。カメラの倍率を上げて探すが、その先に泳げるような白砂海岸があるようにも見えない。目の前の沖に大きな奇岩がひとつ、波を受けていた。ここまでは、上野から秋葉原まで歩く距離よりも遠いはずだ。よくカミサンも付いて来たものだ。ここで引き返し、もと来た道を戻ることにした。

P1000798 至る所に看板がある。「酔っぱらい運転はするな」「ゴミを投棄したら、監獄に留置するか、罰金だぞ」とか、「正しい食事で健康であれ!」とかだ。

 

 

戻り道でカミサンがあっと声を上げた。道の脇に低い標識があった。「ウツレイ・ビーチ」。あの猫の額の浜が、泳げる唯一の場所、ウツレイだったとは。来た道には、その標識はなかった。P1000804 P1000807 P1000811_2  

「パゴパゴ・ヨットクラブ」の裏側に、長さおよそ10m程の白い大型カヌーが船底を上にして置いてあった。その奥に細長い小屋がある。格納されていたのは新しいカヌー。祭りに漕ぎ出すのだろうか。破れた金網から撮ってみる。脇には斜めにオールが立ててあった。ヨットクラブの海側のテラスの壁には、レース・タイムがボードに書き残されてあった。

 P1000775

こうしてみると、往きの道で通り過ぎた公園は、「ウツレイ・ビーチ・パーク」と呼ばれているのだろうか。山側にはサモアナ・ハイスクールがある。そして、パークの中央には、アイキャッチャーの役でエンジン付きの大型救命ボートが置かれて、横長の幕には「セーフ・ボート・ウイーク」とあった。船遊びでの水難事故がかなり多いのだろう。

P1000820 立ち止まっていると、パゴパゴの警察官たちがその救命ボートの前で集合写真を撮り始めた。それが終わったら、誰かと一緒の記念写真を撮ってやるからと、カミサンを近くに待機させた。その彼らがカミサンを目にして、一緒に入らないかといきなり声を出して呼び込んだ。予想外の展開だった。いそいそと集合写真に入ってしまった。しかも、彼らに大歓迎された。

輪の中にいたボス、署長があのテントでコーヒーをP1000816飲んでいけと盛んに勧める。有り難く厚意を受けることにした。テントの端にジャーがあった。そのコックに紙コップを差し込んで気がついた。しまった!白湯だった。てっきり、熱い珈琲が出てくるものと思うのは、早合点だった。横に粉末のインスタントコーヒーとパウダーミルクがあった。ここは、素朴な島なんだぞと自分を叱った。薄めに入れて飲んだ。P1000822k

署長がにこにこしながら、我々のところに歩み寄ってきた。ワタシ、ムスメ、イチ、ニイ、サン、ノ、サン」日本語だった。どうやら、指さした先に座っているのが、三女だという意味だ。先ほど、記念写真を撮っていた女性だった。浅黒い警察官の中で一輪の花だった。「ユアドウター? シィズ、プリティ!」それを耳にして嬉しそうだった。察するに、「交通安全週間」を部下がアピールしているんだからと、愛娘を連れて慰労に現れた父親という図か。

 

警察官に、18かと冗句を言われたが、小柄なカミサンは悪い気がしない。「若くに見てくれて有り難う」と返すと、「45歳くらいだな、で亭主は何歳だ?50歳かな?」と茶々を入れる。こちらも負けずに、帽子を取って、髪の毛の薄いのを見せたら、どっと笑いを貰った。受けた。こんなことは、フリータイムで散策しなければ、体験できない。

「観光客が来ると、必ず雨が降る。それは、強い日射しを和らげるための歓迎の儀式なんだ。で、雨降ると、ヴィジターは店に入る。店は客を歓迎する。だから、僕たちも観光客を歓迎するのさ」巧いことをいうものだ。警察署長では勿体ない。観光局長も兼ねてもいい。そう褒めてあげたかったが、そこまで英会話はできない。クルーズ14日目にして、ようやく、現地の人たちとコミュニケーションらしいことをして楽しめた。

「コーヒーを飲み終えたら、救命胴衣を二人とも着て写真を撮らないか?」と、若い警官が言ってくれた。サイズを探して持って来てくれた。彼にシャッターを押して貰った。「THANK YOUは、日本語でどういうのか?」「HELLOは?」「GOODBYEは?」矢継ぎ早に彼が訊く。丁度胸に入れていたメモ帳に日本語を書きつけて渡した。

P1000778離れたテントの中にいる警官達に手を振ってその場を立ち去ろうと背を向けたら、「モシモシ!!サヨ!ナラ!ワハハハ」というスピーカーの声で送り出された。ますます嬉しくなって、何度も手を大きく振り込んだ。

目の前のハイスクールバスからも、カミサンは呼びかけられ、陽気にはしゃいでいた。ようやくカミサンも、南の島に来た気分がしているのだろう。03年の時の寄港地トルコ・クシャダスに感じた、あの陽気な親しみを全身で受けた。

戻り道を急いだ。シャワーを浴びて昼食を取りたいからだ。ところが、イミグレを入った時、P1000927その急ぎ足を止めたのは、地元の即席バザールだった。 にっぽん丸の停泊を見込んでわざわざ開店してくれたのだ。せっかくだからと、トンガでは買えなかったパレオの生地を捜してみた。サモアの文字がデザインされているのが土産にはいいねと、カミサンに薦めたら、松田サエ子さんも色違いを買ったようだ。同じく、田中さんの奥さんも買ったらしい。

反対側の店で僕は、カバを造るタノアがデザインされたパレオを見つけた。テーブルクロスにいい。少し現地通貨の手持ちが少なかったので、「タウガター(値段が高い)、ファーモレモレ(ごめんね)」Dsc02242といって、値引きを頼んだ。あちこちの店に見事な生花のアレンジメントが飾られていた。カミサンがそれを最後に買った。 何処の国を歩いていても、どこの観光地に行っても、花があるとカメラに収める。自分の編集しているサイトに載せるためだ。

部屋に帰ると、花を差し出して言った。「いいでしょ、これ。遅ればせながら、高嵜廣子P1000842さんの誕生日祝いに買ったのよ」食事に出てしまう前に部屋に届ける方がいいといって追い出した。カミサンのその機転を褒めてやりたい。

サモアの英文パンフレットを見ていて、あの奇岩は「フラワー・ポット・ロック」という名前が付いていたことを知った。

 

昼食は、うどんだった。ジュン君に頼んで、お代わりをした。蒸し暑かった日に喉ごしさっぱりのうどんなど蕎麦類が日本人にはいいということを、シェフは解ってくれているのだ。P1000896

午後からは、埠頭のファガトゴから右側の町を歩く。ジーン・ハイドン博物館に寄る。丸木船のアルトリガーの実物が展示された周囲には、魚の捕り方、骨を利用した釣り針、釣り上げた魚を気絶させる木製の棍棒、サモアの衣装、貝で造った頭飾りなど。館内は、こざっぱりとしているが、判りやすい。入場料はいらないが、P1000909心付けを入れる箱があった。些少だが 入れてきP1000865た。 

マオタ・フォノ国会議事堂のフェンスは、カバの器タノアがデザインされていた。少し歩いた先にはマラエと呼ばれる広 場、その先に裁判所。右手海側には、新しいビルのショッピングモールがあった。土産にと思っても、シャツ類は馬鹿でかすぎて、手にしても笑うしかない。これでは冷やかしにもならない。トンガと同じだった。

P1000885 さらに先にあるバスターミナルにまで行こうと歩く。この町のバスだが、客席の天井が高いのに、ドライバーの座っている位置はとても低い。これが妙に面白い。ステーションワゴンカーを改造して、後部に大きな箱を乗せたような、あの独特の運転席を横から撮っておきたい。

P1000878b P1000887バスセンターには、何台ものバスが停車している。丁度、学校の引け時だった。長い腰巻き状のスカートを男女が履いている。よく見ると、そこに校章がプリントされている。ブルーもあれば、ブラウンもある。 もしかしたら、学年の識別だろうか。僕の高校は、校章バッジの色で学年を区分けしていたからだ。

随分と長く眺めていた。バスターミナルでの人の動きは飽きなかった。野良犬は此処でも多い。足を引きずった犬を何匹も目にした。車に轢かれたのだろう。そういえば、信号もない町だったことに今、気付いた。

P1000891バスセンターの外れ、山側道路に面して、「サーディ・トンプソン・イン」がある。サマセット・モームが泊まって執筆していたホテルだというが、いま2階はレストランらしい。その前で記念撮影。と、背中に、ホテルの中から飯塚さんが現れて駐車していた車に乗り込んだ。「シャワーが思いの外激しいので、レンタカーの方があちこち動けるかなと、借りちゃいましたよ」ということだった。なるほど、信号もない島を取り巻く道なら、確かに一回り出来るかも知れない。

P1000919 帰路の途中、博物館の向かいにあるコンビニストアーを覗いてみた。生活雑貨用品ばかりのなかに、ひときわカラフルな棚があった。南洋模様の布地だ。カミサンの足が止まった。小間物を創る素材だそうな。最小単位で数種類の柄を買うことになった。

イミグレを通り抜ける時、タヒチアンダンサーズが何人も集まっていた。おそらくハイスクールの学生ではなかろうか。彼女たちにカメラを構えていたはずのカミサンが呼び込まれて、僕がダンサーとカミサン達の集合写真を撮る役となった。P1000930

 

シャワーを浴びて着替えたところに、松田さんから電話を貰った。「1630分からダンスが始まりますよ」。

撮り終えた写真をHDDにコピーしてメディアを空にした。急いで4階プロムナードデッキに上がる。見下ろすと、民族衣装を身につけた集団が歩き出したが、ぴたりと足が止まった。P1000939予想に反して、P1010007岸壁をステージにはしなかった。その手前の広場が踊る場所のようだ。無粋なコンテナーに生の花を飾り付けていた意味がやっと判った。その飾り付けが、ダンシングステージだったのだ。エレベーターで1階から下船して、広場に駆け付ける。船側からは、被写体は逆光だ。P1000978P1000955 正面からではなく、横から狙うことにした。重低音の打楽器が大型スピーカーから響いた。軽快なリズムが刻まれる。 顔にペイントした男性がコンクリートの大地を踏みならして、動き始めた。重い掛け声も勇壮だ。船客は続々とタラップを下りてくる。町から帰り着いた船客は驚いて立ちすくむ。なぜなら、ずらりと、船客たちのカメラの放列だったからだ。

ダンスの振り付けの先生がマイクを握った。次々と繰り出すダンス。P1010101男性群舞、女性群舞。足が思わず動いて、僕もステップを地面に打っていた。

数曲が踊り終わったときには、もう船のデッキから見つめていた船客も、カメラを手にしゃがんでいる船客も興奮してきた。「ガンバッテ!ガンバッテ!ドウシタ!ドウシタ!」こういう掛け声が歌の中に入っていたように思えた。

P1010068P1010095 ダンスの振り付けをしている先生が、輪に中に入ってきた。 先生のソロダンスから、群舞がそれに続いた。赤いサックドレスをまとった観光局のスタッフが踊り出したときには、レンズから、彼を捉えながら、胸が熱くなってしまった。相撲取りのような体格で、あまり表情を崩さない、P1010028まじめな顔つきだった男が、軽快にステップを踏み出した。素足になっていた。思わず踊り出した彼の気持ちの中には、我々が寄港したことへの喜びが溢れたのだろう。アメリカン・サモアに寄港した日本船は、にっぽん丸が初めてだったからだろう。 高木夫人が踊りに引き込まれた。カミサンも手を取られて中に入って、激しく踊らされた。

ラストダンスでお別れしますと、汗だくの先生がマイクを離した時には、異様な空気が張り詰めた。最高に盛り上がった!やっと、このクルーズで感激をした。

興奮した船客は、去りがたい気分になっている。帰船してください、乗船してくださいと、航海士に促がされて、ようやく船客がタラップを上がったほどだ。

この間、シャッターは167回押していた。P1010104

 

パゴパゴを出航するときは、既にダンサーは去っていた。とても居心地のいい島だった。感動を貰って船は離岸した。

1日ツアー」の客が、教会を出た階段で足を滑らせて動けなくなったという話を聞かされた。暗かった教会から光の強い外に足を踏み出した階段だったため、瞳孔が追いつかなかったことと、強いシャワーの後で、出口の足元に水が貯まっていたという。ツアースタッフがいつものように気遣って先導していなかったのだろうか。救急車が来たのはそれだったのか。

サモア・パゴパゴ湾を出た途端に、外洋は左右にゆっくりと大きな振幅で揺れ始めた。早くにシャワーを浴びておいて良かった。これでは、また洪水になったに違いないほどのローリングだった。静かな入江がいかに重要な拠点か、この2万トンクラスでも判る揺れだ。こうして、パソコンを叩いていても、身体は左右に揺れていく。

1745分。まだ夕食1930分には間がありすぎる。航路は、南東に下りている。

夕食がセットされた時、水本君が誰かを捜しているのか、入口で足が止まっていた。手招きした。僕の手に平マネージャーが気付き、僕の隣の席に案内してくれたのは、日焼けした面識のない女性だった。遅れて水本君が座った。彼女は、ハワイに何度も来ては、フラダンスを習っていたという。今度の船客の演芸会にも、フラを披露するという。水本君は、ウクレレ教室に参加するという。

2115分、サロン「海」でアイランド・ウインドのリーダーが奏でるウクレレを聴く。

ますます、大きなうねりに船は突っ込んでいるようだ。体を傾けながら聴く格好になった。観客が、人間メトロノームのようだった。

南緯14°58′、西経16856′、部屋に戻っても、相変わらず大きく揺れているので、パソコンを打つのを止める。2350分。

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07.05.21 ポリネシア2・ババウ諸島航行

昨夜は3時に就寝。今朝は八点鍾で起床。

『風が吹き、あいにく、雨雲が拡がっています。南緯18°46′、西経174°12′。天候は時々雨、南東15mの強い風、速力は落としまして13ノット、時速24k、気温25℃、水温275℃、波の高さ約2m。昨日の寄港地ヌクッアロファより275kの位置にあり、大小34の火山島から成るババウ諸島の入口です。複雑に入り組んだ海岸線と断崖絶壁の景観が素晴らしく、世界のヨットマンの憧れの地と言われています。お昼までこのババウ諸島を縫って参ります。

明日寄港しますパゴパゴは、アメリカ領サモアの一番大きな島、ツツイラ島の首都で、西経171°以東にある7つの島々から成るアメリカサモア全島の人口は、65000人。パゴパゴ湾の東側にあるレインメーカーという524mの山に雲がかかると必ず雨が降るという。明日の天候は、やはり時々雨。気温29℃。07時にパイロットを乗船させ、8時に着岸予定です。

日付変更線を越えたため、昨日に続き、本日も二度目の521日でございます。 日本とは、20時間遅れた時間です』


P1000437今朝のオートミールは、殆ど底が見えるほどに無くなっていた。クロワッサンに切り替える。グアバジュース、ヨーグルト、それにスクランブル・エッグ。

雨模様だというが、デッキゴルフ・リンクに向かう。ひと降り来るかも知れない日なのに、久しぶりに全員が揃った。島巡りをする午前中は、P1000438景色を見て貰うと、すべての教室はナシとなっていた。ダンス通いのミセズ高木も参加できたわけだ。

周遊する日は、カメラを背中に斜め掛けしてプレイすることがしばしばある。左舷前方に、数回飛び跳ねるモノを見た。カメラを構えたときには、それは消えていた。イルカよりは短く四角いように見えた。エイが飛んだのではなかったか。

 

雷が轟いた。ゲームは一旦中止した。しかし、誰も帰ろうとはしない。「へそ、気いつけんとあかん、わし、もう一個盗られてもうたがな。」「金ぎょうさん持ってはる人、金持ちには雷落ちるでえ」松田さんらしい冗句で笑わせる。山縣さんが乗っていないので、松田さんが、二人分の役をしてくれている。

熱射病のため、トンガの救急車で運ばれていた船客は無事帰船したそうだ。スティックを支え棒にして、話が始まる。しばらくは、デッキゴルフの歴史談話。元機関長の猪狩さん、武谷さんのお名前が出てくる。99年からデッキゴルフに嵌ったという鬼界さんは、工藤さんクラスのベテランである。松田史郎さんのお師匠さんだから。(秘かにニックネーム試案は、オッシショウ・ネーサンと名付けている。徐々に新しいメンバーにも、ニックネームを付けていく)

P1000716rinnku夕立にも似た、長い雨脚だ。諦めたて帰った人もいたが、、松田夫妻、高嵜、塩野、鬼界と6人は残った。

11時までと時間を切って再開した。赤組が一人ゴールアウトした。しかし、雨は止みそうもない。ミズスマシ状態になりかけてきた。では、今朝はドローということで、と終わった。濡れながら恨めしく空を仰いだ。15時、天気が回復したら集まることで別れた。

 

そして、島巡りの航路も組み立て甲斐のない暗い午前となった。雨に濡れた身体をさっぱりしたいとシャワーを使ったのだが、これがまた災難。床が傾き、洗い流れる湯が洗面所にまで流れ出し、処置なし。揺れないと言われる1階で水害だった。足拭きマットを2枚電話で頼んだが、他の船室はどうだっただろうか。カミサンも洗濯室から戻ったが、横になっている。

ナビゲーションの画面では、ババウ島の東南東に航行しているが、窓の外をみても、相変わらず、どす黒い海原で波が高い。

3階のツアーデスクに上がった。ボラボラ島水上ビラの事前情報配布は郵送されないままだったが、ホテルは決まったのかと訊ねた。同行スタッフになる藤川君がわざわざ説明に来てくれた。ホテルは、ボラボラ・ヌイリゾート&スパ。ついでにシャワーコーナーの流水の件を話した。ルームサービスの梅北マネージャーまでもが謝りに来てくれるた。恐縮するばかり。1階船室に限ってかと訊くと、殆どの船室で、横揺れにために洪水が起きていることが判明した。カーテンの丈が短いなと出航の時から気になっていたのだが、と問うと、これが正常だという。昨年3階の船室は、裾がいくらか折れるような長さで、散水をほどよく抑えてくれていたように思えたが、目の錯覚だったか。

 

5階でメールのチェックをした。「なと(名古屋学院東京在住同期)会」の幹事役である土屋隆一君が、夏季の日時を決めたと、村田亨君からの転送メールを貰う。8月7日、会場は千代田区丸の内の外人記者クラブとなった。

昼寝をする。1530分からデッキゴルフを再開。相変わらず風は強いが、その風が気持ちいい。揺れは左右にある。

白組が松田夫妻・菅谷・ミセス高木。対する赤組は、高嵜・塩野・高木保彦・野村・僕。人数が不足した場合は、ひとつのパックを交互に打つことでゲームを進めてきた。

1番、2番、3番は、後部デッキ中央にあるため、風の影響は比較的少ない。風の通り道となる。左右の端にある4番、5番は背中を押されるような強い風圧を受ける。スティックを握る手元が微妙に不安定になる。またそこが面白いのだというのが、このメンバーである。

ついに、塩野さんが4番ホールで帽子を海に飛ばされる。帽子が波間を泳いでいく。ここで、ネックネームを思いつく。これまで保留にしておいた(5階船客)「ファイブスター」から「ハット・フィッシュ」に書き換えようと心に決めた。

Img_0322僕は、寝過ぎた頭でぼっとしてミス多発、最悪。高嵜さんが独りで4番ホールまでスイスイと伸ばしてくれる。僕が権利玉になった時は、11の同点となっていた。終盤は、菅谷、松田と高嵜、僕という二組の戦い。先に上がれとの高嵜指令で僕がホームをクリアして上がる。そして二人対一人となった。ところが、何回かの応酬の後、高嵜さんが場外に打ち出された。敵は二人が連続ゴールとなった。負けた。調子最高と不調がコツコツ安打組にエラーで負けた。ここまで、僕の成績は、76敗となった。

 

ドルフィンホールでは、今夜のビンゴゲームのリハーサルが行われていた。まだ雲は重く低く垂れ込めたままだ。南洋クルーズと銘打ったこの太陽燦々、波キラキラは予想外な天候と揺れによって、スカッとしないまま、前半を終えた。

 

オレンジナイトの前にビンゴでスカッとしたいものだと、勢い込んで4階のドルフィン・ホールに入る。黒川君の差し出すビンゴカードを嫌って、彼の手の一番下から抜いたカードに念を入れる。食事前とはいえ、既に思い思いのオレンジカラーを採り入れた衣装で集まっていた。 鮮やかなオレンジの蝶ネクタイをした松田夫妻が目に入った。きっと、サエ子さんのお手製だ。きれいなオレンジカラーを探してきたものだとカミサンと感心した。

P1000676_2P1000681 MCの蘇ディレクターは、このゲームは得意中の得意。慣れた軽妙な司会で始まった。 次々と球の番号が読み上げられていく。これまでと違い、 今日は僕のカードの数字が埋まっていく。リーチのかかりが早くなった。カミサンと交換して番号を待つ。二番手くらいでビンゴ!!P1000686_2

カミサンが商品を受け取りにステージに出ていった。ノットや信号旗を組み合わせた室内飾り用の額、「ノット・ボード」を頂く。2回目のビンゴは不調、最後のビンゴに賭ける。全員が起立。これは、番号を呼ばれないことが立ち残る条件。ところが、2回目の番号で、あえなく陥落。好運の人は、長坂夫人で、10万円のクルーズ券を手にした。不思議なことに、毎回、金に余裕のあるところへ渡る。これで、息子たちへのクルーズ・プレゼントは消えた。

場所を替えて、ダイニングルーム「瑞穂」に人は流れる。オレンジ一色に飾り付けられて、出てくる料理も、P1000706P1000710 すべてオレンジカラーを採り入れて盛りつけされていた。鮮やかなオレンジの蝶ネクタイをした松田夫妻とご一緒した。 カウンターに冷やされてた「オレンジ・カクテル」のボトルが気になった。にっぽん丸オリジナルだそうで、パッションフルーツ系のいい味だった。アルコールが駄目な松田さんも口にしたほど、飲みやすかった。しかし、このオレンジカクテルを知らないのか、多くのテーブルはワイングラスが多かった。蝶ネクタイを褒めると、「これ、トンガで買うたんP1000708や」まさか、あの町の中に、その手の店があっただろうか、カミサンと顔を見合わせてしまった。「いくらだと思う?」「30トンガ$!」「その1/10や」眼を細めて松田さんが首を指さす。凄い買い物上手・・・カミサンが驚く。サエ子さんが見つけて、オレンジナイトに付けようと言いだしたそうだ。

やがて、互いにO型とA型の夫婦談義になった。まあ、僕の場合、カミサンが0型なので、随分と助かっている。松田さんの所も、いずれも息子たちはO型だった。

 

食事を終えて出口でたむろしていると、高嵜廣子さんからプレゼントされた、Cimg0049お手製のオレンジハットの胸飾りをした男達が4人揃った。では、記念写真を撮ろうとになった。高木夫妻、松田夫妻、高嵜夫妻、野村道子、そして我々。

 

今夜のドルフィン・ホールは、「スペシャル・ディスコ・タイム」だった。カジュアルなジルバでも踊ろうと思ったが、カミサンは部屋でくつろぐ方を選んだ。

今夜の時刻改正はないが、明日のパゴパゴは歩くことになるだろうからと体力を温存した。

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2007年8月 3日 (金)

07.05.21 トンガ・ヌクアロファ寄港

740分、舳先に出る。P1000435南緯219分、東経17514分。南太平洋唯一の王国トンガ。 首都ヌクアロファの港がある最大の島、トンガタプ島は、トンガの国土の約1/2を占める。島々は南北600 km、東西200 kmに広がる。西側の島は新しく、東側の島は火山島が沈下してサンゴ礁が出来ている。日付変更線をはさんで東隣りにあるサモアなど時刻は同じでも、トンガの日付は1日早くなる。しかし、世界で最も早い時間帯を採用しているのはトンガではなく、キリバスのライン諸島だそうだ

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朝食前だが、入港風景を見ようと、多くがサンデッキに上がっている。右舷側の緑の中に、トンガの王宮と総理府らしき建物の屋根が遠望できる。12倍のズームカメラは快適である。なんとなくヌクアロファの街のサイズは、07年のモルジブ環礁の首都、マーレを歩いた感じと同じように思える。魚市場に野菜市場、教会に軍警察P1000478、クレジットの効かない土産物屋。歩き回っているうちに商店街を抜けてしまうだろう。船内新聞によると、港からシャトルバスは10分、徒歩で40分もかからないらしい。地図で見ると、観光箇所は島の左右に点在していて、効率が悪い。舳先に出ていた高嵜さんは、タクシーで半周するそうだ。我々は今回、節約旅行、タクシーには乗らないつもりだ、とは言えなかった。

 

P1000505 船は湾内を大きく右折するようにして岸壁に接岸した。停泊していたフリゲート艦の甲板には、兵士が連なってじっとこちらを見ている。日本の客船は久しぶりなのだろうか。その奥に、大きな球形のレーダーが建っている。虹が微かにかかった。

のんびりとした朝を切るように、寄港歓迎のブラスバンドの音色が湧いた。青いシャツの背中にPOLICEという文字が読める。警察官が吹奏してくれていた。P1000492

写真を撮った後、朝食のためにカミサンを食堂の入口で待つ。来ない。部屋に戻る。いない。松田さんから、「奥さんは、中に座っとるよ」と教えられた。ああいえばこういう、のやりとりがあって、朝食を済ませた。

5月から11月にかけては南東貿易風 の影響で、案外、涼しくなるのだそうだ。P1000493_2 首都ヌクッアロファ平均気温は7月で21.3℃で、今日の気温は27℃。しかし、時折激しいシャワーがあるので、各自に配られたレインコートを用意するようにとのことだった。ツアーデスク前で始まる両替はカミサンに任せ、一足早く下船する。ポリスのブラバンを下に降りて撮りたかった。

 

9時、半日ツアー、1日ツアーバスが次々と出ていく。ツアーコースにアテンドしないスタッフと一緒になって、今日はバスを見送る「手振り隊」になる。

 

トンガは、トンガ語で、「南」の意味。ラピタ式土器が出土しているため、ポリネシアで一番古い遺跡として認められている。ラピタ人たちは、1000年に亘って、トンガ、サモア、フィジーの島々を航海し、その後、マルケサス諸島やタヒチ、最終的には太平洋の残りの島々を発見した。こうした背景から、トンガ、サモアとフィジーをポリネシアの文化と文明の発祥地と評している。

 

930分、シャトルバスは海岸沿いを走りだした。P1000608 運転手がブレーキを踏んだ途端に、車内であっという驚きの声が上がる。「急停車にご注意」という文字が点灯したからだ。正しく言えば、日本文字が点灯していたからだ。「児童運賃は大人の半額」とか「ステップに降りないでください」が、当たり前に読めてしまっていた。何の違和感もなく理解できていることに気がつかないでいたが、此処は南の島トンガである。日本の中古バスを利用していたのだ。これと同じ風景は、06年、ハングル文字の路線バスが走っていたカムチャッキーだ。

 

トンガは4つの群島、172の島からなり、うち130島が有人である。ここ、トンガタプ島だけで約6万7000人が住んでいる。敬虔なクリスチャンであることは、車窓から見た墓地でも判るが、安息日は憲法で定められており、商店の閉店はもとより、スポーツなどの行事も開催されず、空港の離発着便さえも無いほどだという。空港は、ヌクッアロファから車で30分さらに南部にあるが、そのファアモツ国際空港のターミナルビルは、日本の無償資金協力によって完成した。P1000569

海岸通りを左折して、シャトルバスが停まった場所は、現地旅行社であるライジング・サン社の前だった。こぢんまりとした店が並ぶ通りが、どうやらメインストリートのようだ。

 

P1000540P1000655 まずは、王宮に向かう。途中各家のフェンスに、紫の布が張り巡らされていることに疑問が生じた。庭から出てきた老人をカミサンが呼び止めて訊ねてみた。 「トンガでは、トラディショナルなカラーだよ」と答えた。仏教国でいう尊い芥子色と同じなのだろうが、まだ釈然としない。王宮のフェンスにも、P1000548張り巡らされている。しかし、陽に焼けて一部P1000546 は、グレイとか、ブラックに近くなっている。王宮のフェンスの中に、警護官がいた。カミサンが、再び訊ねた。ようやく意味が判った。

20069月にトゥポウ4世が亡くなったことで、今も喪に服している気持ちの表れだということだった。紫は喪色だったのだ。トゥポウ4世は、1976年のギネスブックで、P1000498_2 「世界で最も大きな国王(209.5kg)」として登録されていた。「ガリバー旅行記」のモデル国としても有名で、トンガの成人女性のSサイズの靴は、26cmで、170cm以上の身長。男性も177cm以上で、 30cmの靴を履いている。税関を出た道に、「WALK FOR HEALTH」と書かれた標語を見た。走るバスの中からだったので、写真は撮りきれなかった。なるほど、王の死を悼むと共に、国民の健康を願うあまりのことだろう。

トンガは、ラグビーが盛んなことで有名だ。カミサンが両替したのは6000円分だった。何が買えるか判らない。フィジーのラウトカでラガーシャツが買えなかった悔しさから、僕は秘かにクレジットカードを胸に入れてきた。

カンタベリーのシャツを捜してみたかったが、それは、此処でも再びすぐに諦めざるを得なかった。巨人の国だ。とにかく大きすぎる。それらのラガーシャツが観光客相手であるわけではなさそうだった。

 

ならば、トンガ王国の紋章がデザインされたTシャツはないだろうかと捜す。昨日聞いたクレジットカードの使える店の背中合わせに、その店はあった。店外から遠巻きで眺める。 KAVACOLAというP1000560ユーモラスなシャツがあった。紋章デザインのTシャツは無いかと訊ねる。女店員は、無言でゆっくりと、棚の下から、ビニール袋に入ったシャツをカウンターに並べた。サイズは、XLだ。これは、大柄なソーホージャパンの大城社長に着て貰おうと決めた。Mは1枚だけだった。息子にしよう。各22トンガドルだった。両替した金額では支払えない。駄目元で、クレジットカードは使えるかと訊いてみた。女店員は、にこっと初めて笑った。この街にクレジットカードで買える店は2軒あったことになる。

通りを渡って別の店に入った。Tシャツが多く貼り付けられていた。什器類のない、がらんとした空き家同然のその中に、気に入るシャツはなかったが、1枚のコットンの染め模様が気に入った。嫁さん達に2枚欲しいというと、現物だけだと、素っ気ない返事。どこもそうだったが、トンガの店は、値札が付けられていない。何故だろう。P1000570

トンガ独特で正装に、タオパラという腰巻きのような姿がある。目にするのだが、追いかけて撮るわけにもいかないので、通りかかった下校時の男子学生にカミサンが話しかけることで、一緒の記念写真を収めた。

どうしても行きたい場所があP1000587る。「デイライン・ホテル」である。シャトルバスで通り過ぎた海岸通りの方角に歩いた。マーケットが出てきた。なかなか活気を呈している。カミサンの足が止まる。写真を撮りだした。

帰りのシャトルバスの時刻が迫ってきた。一旦帰船して昼食を取り、戻って来ることにした。

バスが岸壁に戻り着くと、突然、大粒のシャワーに襲われた。襲われるというほどに、強く激しかった。シャワーが着たら、カメラが濡れる。ポンチョよりもビニール傘のほうがいいことが判った。

 

昼食後、再びシャトルバスでライジング・サンの前に戻った。シャワーにいつ襲われるか判らないからと、インターナショナル・デイライン・ホテルへ何が何でも辿り着こうと急いだ。P1000610P1000620 海岸沿いのブナ・ロードには、ホテル名を記した時計が立っていた。車窓から確認済みだった。このエリアでは、最高級のホテルである。中庭のプールには誰も泳いではいない。傍らのカフェで、一人の男が書類に目を通していた。音ひとつしない、静かな昼下がりだ。お茶でも飲もうかと思ったが、自分たちがその静寂さを壊すような気がしてホテルを出てきた。

途中、トンガ・トラベル・ビューロがあったが、マーケットに立ち寄る時間をゆっくりとしたかったP1000581P1000639P1000642

タラマフ・マーケット。そこに土産物屋はなく、住民達の食材や生活用品を売っていた。駐車場の外れで軒を連ねた衣料店で、カバを造るタノアという木製の器がデザインされたプリント生地が眼に入った。子供用のスカートのようだ。巻いてみたらどうかとカミサンを促してパンタロンの上から付けてみる。丁度サイズがいい。現金が少ないからと値段交渉したら、25$を20$にしてくれた。此処でも売り手の小母さんとカミサンのツーショットをパチリ。カミサンは、それを付けたまま、マーケットの野菜売場に入っていった。

P1000651 レモンを何個か買った。紐で吊されたビニール袋に入れてくれた。よくみると、日本文字だ。オオタ。束になった袋が新しい。有り難うと、言ったが、なんとも、妙な気分である。

かんぴょうか昆布のように束ねて売っているタパク ロスというなめした木の皮を、さらに細P1000585紐によじっP1000645 P1000591ている夫婦がいた。手足を見ると、日本人がわらじを編むP1000653 姿に似ていた。それを糸巻きして、布のように編むのだ。タオパラもこうして作っていくのだろうか。

眺めていたら、俄に空が曇ったかと思うと、いきなり、稲光が走った。雷が鳴った。激しいシャワーとなった。土に矢が刺さるように、雨の筋が跳ねる。

やがて、何事もなかったように、カラリと腫れた。タノアの絵を腰で揺らしながら、カミサンはご機嫌でシャトルバスに乗り込んだ。あれは、きっと子供用の腰巻きなのだ。

このトンガにも、中国からの移民が増えているというが、確かに中国文字のコンビニもあったし、中国大使館か領事館らしき建物があった。親日的だといわれながら、日本大使館はないのだ。フィジー大使館が兼務している。在留邦人は、外務省によると、48人(2006年)だが、旅行社のパンフレットでは71名(2003年)が居るらしい。

 

時差の関係で眠い。夕寝をした。夕食は水本君と一緒にした。カミサンは、市場で買ったスカートを巻き付けて出た。

夕食後、瀬戸さんに声をかけられた。「萩原さん、なかなか夕食を一緒に出来なくて済みません」「いえいえ、ご自由になさっていて下さい、せっかくの休養ですから」「萩原の家内で御座います」そういえば、カミサンは初めてになる。

「大原からメールが来ました。数年ごとに当時の仲間と集まっているそうですね」「ええ、今年も帰国しましたら、20周年記念で集まるようです」「ライブラリーにあったあなたの本、読みましたよ。今は、お酒は飲めるのですか?」「アサヒビールしか飲めません」横からカミサンがそう言って、場が砕けた。

いつのまにか、川野チーフパーサーが背後にいた。「19日の、インフォマーシャルの夜にご一緒いたしましょう、瀬戸さんと・・・」「ドラの首位返り咲きも祝しましょう・・・」と、ドラゴンズファンの彼に返した。

 

大風呂に初めて出掛けた。カミサンがシャワーを浴びながら叫んでいた。洗い流した湯が2㎝の床を越えて洗面所側に溢れだしたからだ。床が傾いた。つまり、舟が揺れているのだ。これまでの経験にはなかったことだ。1階から3階の後部にある展望風呂に出掛けた。さほど混んではいなかった。ここでは、体重を量り、海を眺めながら湯に浸かるのだが、今は揺れている。この揺れを感じさせないためもあろうか、いつも浴槽からは勢いのある水泡が上がっている。

手足を伸ばし、ゆっくりと体全体を温めるのは、シャワーでは出来ないことだ。デッキゴルフのためにも、筋肉をほぐしておかねばと、シャワールームの水が溢れたことは忘れていた。

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2007年8月 2日 (木)

07.05.20 ポリネシア1

午前3時過ぎまで起きていた。最下層があれほどに揺れたのだから、5階の船室は横揺れも大きかったのではないか。730分起床。

『南東の貿易風が強く吹いて、昨夜は揺れました。今朝も強い貿易風です。現在、南南東16m、強いときで22mです。ドアの開閉に手を挟まれないようにご注意下さい。P1000437_2 現在、南緯18°4′、東経179°49′、左舷に見えるモアラ島の沖488哩、211kです。この島は南北11km,東西13kmで、周りをリーフに囲まれております。9時前に180°線を通過して西半球に入り、9時にはトトヤ島を過ぎて13時から16時にフィジーの一番東にあたるフランガ島の方位に抜けます。速力15ノット、時速28k、天候は晴れ、気温24℃、水温273℃、波の高さ約225m。

明日のトンガは630分、ヌクアロハの港外にて水先人を乗せ、8時には着岸いたします。午前中はスコール、日中は24℃とのこと。トンガが南緯21°西経125°ですから、北緯21°のハワイとは赤道を挟んで、丁度反対側に位置します。トンガは、170の島で成り立ち、人口は10万人。非常に親日的なお国柄です。

ところで、皆様のお部屋のCSTVは、放送圏外区域に入り、しばらくは見られません。次に受信できるのはハワイが近くになってからと想定できます。テレビのない日が続きますが、世間から離れたクルーズをお楽しみください』

朝食は、いつものようにオートミールとトマトジュース、ヨーグルト、それにスクランブルエッグとコーヒー。ダイニングルーム「瑞穂」のコーヒーは、ブレンドが僕の舌に合っていて飲みやすい。今朝もカミサンを残したまま、先に出て、後部デッキに急ぐ。

デッキゴルフは、ジャンケンで白が松田、萩原、工藤、鬼界で、赤が高嵜、塩野、松田サエ子、菅谷の組み合わせとなった。ノータイム、オールゴールでスタート。テンポ良く進んだせいで、二回戦できた。そして我々、白組が連勝したのだ。このメンバーの中には08年次の世界一周クルーズの申し込みを終えた人がいる。その世界一周の後は、いよいよ沖縄に別荘を建てて移住する計画だという。資金を生み出す仕組みのある人の、なんと羨ましいことよ。

 

 P1000453昼食は、特製弁当の日。スポーツデッキには白い天幕が張られ、船客はダイニングルーム以外、思い思いの場所に移動して味わった。それは、船が島を縫って航走することを意味している。青い海に緑の縞模様が現れる。珊瑚礁に白波が立つ。

汗ばんでいたのでシャワーを浴びて、頭を洗ってしまった。理容室の予約を忘れていた。整髪して1ヶ月も経っていないのに、横も後も癖毛が跳ねる。その癖毛を整髪して貰うのだった。湯に濡らしてしまったから、癖毛の状態が判りにくくなった。慌てて、ドライヤーで乾かす。耳の上、左右に漢字の八文字の如く、跳ね上がっているのが僅かに判る。14時に5階の理容室へ上がる。

「湿気たり乾燥したりで、髪の毛も普段と違って伸び方が早いんですよね」ハサミを鳴らしながら、美容師さんはそう言った。なるほど、海の上だと髪の伸びるのが早いとは知らなかった。P1000455 島が近づいているようだ。顔剃りもせずに、12倍のズームカメラにテレコンバーターを装着してデッキに走り出た。 予定通り、16時にはフィジー諸島最後の南、フラガ島を南下しはじめた。リーフの前後に鮮やかなブルーの段階色が見られるが、逆光のため、被写体にはなりにくい。航路は、そこまで考えてはいないだろう。

パソコンの受信をして、部屋に戻る。何もすることがなく、うとうととする。文庫本を二冊は読んだが、三冊目はなかなか読めないままだ。

 

18時になったので、ラウトカから乗り込んだ二人目の落語家、柳亭燕路の席をドルフィン・ホールへ聴きに出た。階下の席に座った。早口で聞き取りづらい。聴く側の耳がついて行けないのだ。江戸っ子の巻き舌だと言われても、古今亭菊の丞のほうが滑舌はいい。「伝えても伝わるだろうか」。広告の世界で我々がいつも気にしてきたことだが、落語の席でも言えることだ。小話も聞き飽きたネタだったし、本席も話の筋は読めてしまう。それは仕方がないとしても、時間切れでオチも付けられないままに終わってしまった。笑いが取れない演目だった。

夕食が始まった。始まったというのが、今の正直な気持ちだ。何もないことの贅沢さ。食っちゃ寝の1日。今夜は、子羊の肉を煮込んだ料理だった。オリーブ油のこってりさが受け付けなくなっていた。どういうわけか、ワインや焼酎が、美味いと思わなくなっている。辛うじて美味いと思えるのは、シャワーを浴びた後のビールくらいだろうか。体調はさして悪くはないのだが、体がアルコールを欲しがらないのだ。どうなっているのだろうか。カミサンが白ワインを飲みたいのなら頼めばと勧めたのだが、彼女は遠慮してしまった。

 

明日のトンガは、着岸するクイーン・サロテ・ワーフから、シャトルバスが街の中心まで運んでくれる。25km、徒歩では40分もかかるらしい。ツアーバスに乗る前に両替が始まるが、半日ほどの滞在では、予め両替しておく金額の匙加減が難しい。観光客相手で高くなるのか、生活物価のままなのかだ。寄港地のそれぞれが海路を遠く隔てて独立国のため、通用するのはその国のドルと言うことになる。フィジードル、トンガドルということだ。ラオトカで両替に失敗したので、クレジットカードの使える店はあるかとスタッフに訊いてみたところ、ウエスタン・ユニオンビルの中のザ・アート・オブ・トンガという彫刻類の土産店1店だけだそうだ。さて、困った。気になる注意事項が、野良犬に気をつけろということだ。飼い犬でも同じだという。タイの野良犬を思い出す。

ラグビーの試合を目に出来れば嬉しい。フィジーで見られなかったマーケットも見たいものだ。明日は8時着岸だから、早く起きないといけない。文庫本は読まないで眠ろう。

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07.05.19 フィジー・ラオトカ寄港

6時に眼が覚めたが二度寝をして、8時に起床した。

南緯17°36′、東経177°26’。日付変更線のすぐ西にあるフィジー諸島共和国に来た。ここは南太平洋の海の十字路。大小300余りの島から成る総面積は、四国に相当するという。その最大のビジレブ島ラウトカに入港するのだ。このクラスの船が接岸できるのはここラウトカだけである。サトウキビの積み出しに大型貨物船が入るし、ママヌザ諸島やヤサワ諸島への定期船やクルーズの出航する拠点でもある。尤も、ナンディ空港から少し南下したデナラウ・マリーナから、リゾート・アイランズへ数時間だ。P1000336_2

 

朝食を終えて、830分には下船の準備を始めた。うちの息子達が外国で最初に口にした日本語以外の言葉が、「ブラ!(フィジーのこんにちは!)」だった。自分よりも3倍も背の高い真っ黒な人に片手で抱かれても驚かなかった。懐かしいフィジーに来たのだ。

 

今日は、「ナンディ半日ツアー」が申し込んである。バスは3号車。バスは8時に既に着いていたのだが、セキュリティが厳しくてゲート前で待たされていたらしい。9時に出発した。ガイド役は、現地の旅行会社の福田祥子さんとフィットネス担当の品田佳代子さんだ。品田さんは、相変わらずキャピキャピと元気だ。首都スバは、かなり離れた島の東側にあるが、ラウトカには、海の港とそれほど離れていない西地区に空の港、ナンディ国際空港がある。これから向かうナンディの中心地へは9kmの距離である。P1000405P1000343

ビチレブ島の面積は10,400平方km、岐阜県ほどの大きさの火山島である。東西の距離は直線で146km、南北106kmで楕円型をしている。ナンディ国際空港から陸路でスバへ行くには、ナンディを経由する南回りのクイーンズロードで約200km、北回りはラウトカからキングスロードを利用して約290kmの長距離ドライブとなる。首都スバへは4時間、ビジレブ島内一周は、早朝から走り出しても1日たっぷりかかる。

首都スバは行政、経済、教育などフィジーの中心地であり、ナンディは空港を中心に開発された西の洋上に散在する島々は、 世界でも有数のリゾート地だ。観光客は毎年40人が訪れる。 トレジャーアイランド・リゾートやマナ・アイランド・リゾートの他に、サンド・バンクスといって、珊瑚礁の砂だけが海面に顔を出しているCM撮影に格好の無人島や、マナ島の先には、トム・ハンクスが漂流した映画「キャスタウエイ」のロケ地となったモドリキ島がある。

 

ビチレブの「ビチ」はフィジーの別名で、「レブ」は「大きいこと」。フィジー諸島322島の中で、最大の島である。人口約80万人、フィジー全人口の約76%が生活している。福田さんの説明だと、フィジアンは48%、インド人が46%。サトウキビの収穫労働者として英国植民地時代にインドから30年契約で入島したのだが、この風土が快適過ぎて帰国しないままに至った結果だという。

体格のいいアフロヘアがフィジアンで、スリムな直毛がインド人だと区別できる。フィジアンは実直な島民だが、経済観念は薄く、むしろインド人に経済商業を委ねたという。しかし、そのインド人の政権に反発して、二度もクーデターが起きている。しかし近年、インド人の男性とフィジアンの女性が結婚するケースも出てきたらしい。出産が5セントで済むのも、この国が子供は財産と誇らしく胸を張る所以である。殆どの国民は、キリスト教徒で毎週の日曜礼拝に熱心だという。ラグビーが強いのも、椰子の実がボール代わりというくらい、子供時代から走り回って盛んであるからだ。あの椰子の実をアメリカン・フットボールにされたのでは、怖いなと誰かが呟いた。同感だ。

 

島の北部にはフィジーの最高峰ビクトリア山(1,323m)があり、その山から南西部にかけて1,000m級の山が続く。ビチレブ島は南東からこの山脈に向かって貿易風が吹くことから島の東側は西側に比べて雨が多い。スバでは360日の内、300日が雨だという。

交通手段のバスはいつ来るか判らず時刻表無し、冷房装置がないので窓ガラス無し。乗用車は、トヨタのランクルが7800F$で、中古でも4500F$もする。インド人の富裕層や白人、政府関係者しか乗れない最高級車となっている。そういえば、沿道には、中古車のパーツ毎がきちんと分別して並べる店が多かった。修理工場も牛の休む風景の中に立ち並んでいた。ラウトカ港からサトウキビ貨車の線路が延々と敷かれてある。サトウキビ林にミツバチの巣があることから、野焼きをするそうだ。収穫時には親戚総出となる。その収穫の最盛期は終わったという。

P1000383 走る先に「ナンディにようこそ」と観光客向けの大きなサインボードが街の入口を教えてくれた。学校付近にはロードバンドが横に盛り上がり、車を徐行させてきたが、昨年、ようやく信号機が4基設置されたという。しかし信号機の意味が徹底されていないせいか、赤信号で車が止まるとは限らない。皆さんは青信号だからと油断しないで欲しいと、ガイド役の福田さんから注意があった。

 

10時、ナンディタウンに着いた。

車内で渡されたナンディタウンの地図は、ツアー参加者だけに渡されている。有料シャトルバスでの客には渡ったのだろうか。これまでの世界一周クルーズでは、寄港地での散策地図はインフォメーションデスクにも置かれていたが、今回は無かった。どうやらこれは、現地のビナカ・ラウンジという店が観光客誘致のために印刷したもののコピーだ。

両替も問題だ。ツアーバスの中で各自両替は2000円までですと言われたが、それが24F$に相当することを知るのは封筒を開けて初めて知ることになる。事前に、目安となる物価が教えられていないので、土産のための両替目算が立たない。さて4000円で何が買えるかだ。街に降り立つ時点で、買い物クイズになった。P1000347

 

降りてみると、なんだか西部劇映画のセットストリートみたいだ。直線に沿って商店が建ち、街の入口と出口がはっきりしている。メインストリートは、800mほどだ。日本語の看板が目に付く。「ナンディタウンで一番美味しいお店、カレー」という文字が読めた。カヴァ・サロンがあった。例の儀式に飲んだカヴァを出す店だろうか。胡椒科の木の根で、これを粉末にして漉しだして飲む。沈静作用がある。ポンペイのシャカと同じだP1000372P1000348

バスが停車した「ナンディ・ハンディ・クラフト」の前が、シャトルバスの臨時発着場となる。にっぽん丸御用達の借用トイレも、ここだ。

折角なので店内を一巡したが、向いのライバル店「ジャック・ハンディ・クラフト」に入った。ジャックの店は、この地区最大のハンディ・クラフトのチェーンショップらしい。店内に足を踏み入れて不思議なことに、足下がふらつく。ははは、「陸揺れ」である。船上で無意識のうちに揺れを足で吸収しているのだが、陸地に降り立つと、その体内リズムの揺れが無いために、逆に地面が揺れている錯覚に陥る。それほどに船旅は、足のリハビリにも良いという人がいる。

P1000351 P1000356店内は、ハンドクラフトの木彫りの飾り物がウリなのだが、衣料の種類も多い。店員は実に日本語が上手い。雑貨を買って、孫のシャツを買うことにしたところ、 美味い水だと定評のあるフィジーのペットボトルが貰えた。ところが、懸念していた通り、換金した二人分の現地通貨の合計、44F$では足りないのだ。「ケレケレ」(頼むから、なんとかと値切る)と言って見たが、少額の買い物ではそれも叶わず、辛うじて持ち合わせていた僅かな米$で払えたが、みっともなかった。現金は、釣り銭の1F$硬貨1枚だけという情けなさ。P1000355

2階には、Tシャツの手描きをしているコーナーがあった。なるほど、ハンドクラフトショップだ。これなら付加価値の高い値段が付けられると感心して眺めていたが、金が無くて買えなかった。

 

通りに出て、通販のCMを真似て「見るだけェ~」と、カミサンと苦笑しながらスーパーマーケットに入った。

ガイドの福田さんによれば、日本調味料は、醤油くらいで、日本で200円のQPマヨネーズが、1800円もするそうだ。乳製品の持ち込みが禁止されているため、彼女にとってマヨネーズは、夢の食材なのだそうだ。マヨラーがこれを知ったら、なんと言うだろうか。一方、魚類の食材は禁止ではないという。理由が振るっている。「海は、繋がっている」のだそうだ。ところが、海に囲まれているのに、魚を口にするのは多くないそうだ。その殆どが、リゾートホテルに買い上げられてしまうというのが、その理由だった。昔、上海電視台との仕事で上海蟹を口にしたとき、これ以上の美味い蟹は、香港のホテルレストランに買われていますからと苦笑いされたことを思い出した。

P1000368 フィジーの名産品ブラウン・シュガーがあった。糖尿病の元凶と言われる缶詰も、かなり棚を占めていた。こうしたものが、昔からの食生活を崩し、欧米化させてしまったのだろう。

 

腕時計は11時を指していた。バスの発車時間だ。慌ただしかった。このタウンでは、残念ながら、昔、眼にしたような大男の黒いフィジアンの姿が少なかった。スバの街とは違って、裾のギザギザスカートを履いたフィジー独特のポリスにも遭えなかった。

 

タウンからラオトカへの帰路に、ガーデン・オブ・ザ・スリーピング・ジャイアンツに立ち寄るツアーコースが残っている。そもそもカミサンがこのガーデンを観たいからと、このツアーコースを選んだのだ。P1000384 P1000386 男山、女山が山脈の姿になったスリーピング・ジャイアンツの麓に、それはある。なにしろ、売り文句は、「レイモンド・バー(ペリー・メイスン役)が丹誠込めて造った蘭のガーデン」だというのだ。カミサンの期待は大だった。

ところが、確かに蘭はあるが種類は多くなかった。蘭が黒いビニールのポットで飾られていた。ダンシングレディ、スリーピング・ハイビスカス、猫の髭、フィンガーネイルなどを見ることができたが、いくら個人の庭園とはいえ、ビクトリアのブッチャーガーデンとは比較にならない。そうは思いながらも落胆したものだ。レイモンド・バーからハワイ人に所有権が移っていた。一般の入場料はマンゴジュース付きで12F$とパンフレットに書いてあった。ツアー代金は、半日で80US$だった。時間の無駄であった。コース選択は失敗。有料のシャトルバスでも、ナンディタウンでゆっくり時間を取って散策するほうが正解だったようだ。バスに乗った途端に激しいシャワーが来た。窓ガラスの無い座席に吹き込む雨が、なぜか、心地よい。

 

 昼食後は何も決めていない。ラウトカの港町に出ようにも、こちらの方面にはシャトルバスが運行されない。サトウキビ道を15分歩くしかない。タクシーなら、5F$10F$だと言われたが、その現地通貨、F$がない。ラウトカの街を歩き疲れたら、帰りにタクシーをというわけにもいかない。街で両替をしなくてはならない。ナンディタウンより広大なマーケットがあると聞かされたが、下船するのはやめた。懐かしいビジレブ島ではあったが、昔の想い出以上のモノは得ないままに離れるのだ。カミサン曰く「私たちは、昔に贅沢をしたのよ」。

移住したくてカミサンが庭の花まで決めていたほどに大好きなオーストラリアをこの目で見ないわけにはいかないと、パック旅行に一人で参加した時期がある。豪州以外にオークランドもフィジーのマナ島にも渡った。その時の体験は、カネボウ夏のキャンペーンがマナ島ロケとなり、CMに服部マコをデビューさせることになった。数年後、初の家族旅行を、と再びフィジーに出た。マナアイランド・リゾートでロボ料理を食べ、後は広大なフィジアン・ホテルで何日か滞在した。ナンディから南部のクイーンズロードの途中にあるコーラルコーストのヤヌザ島に、そのシャングリラス・フィジアン・リゾートはある。日比谷公園の25倍の島全体がホテルという、世界ベストホテルズに挙げられるリゾートである。ゴルフ場もあれば、乗馬もカヌーも何でもあった。小学生だった二人の息子たちも父親になったし、なろうとしている。あれから25年以上が経ったのだ。

 

何もすることがないので寝ころんでいた。強い紫外線を浴びたという覚えもないが、体は疲れて重い。結局は、1350分から1735分まで眠ってしまっていた。

出航は18時。船窓の外に見えた斜めのタラップが、上がった。7階のデッキに出る。

P1000420_2 うっすらと垂れ込めた雲の合間から赤みが射していた。マングローブの島影の先に灯台の灯りが点滅している。船は離岸し始めた。「モゼモゼ!!」ラウトカよ、さようなら!3回来たが3回とも想いは違った。トムクルーズがお忍びで来るというこのフィジーに、今後我々が来ることはないだろう。モゼモゼ!ビナカ!・・・・・。

 

夕食後は、サロン「海」で「猫勧進」のリーダー澤田勝邦さんによる津軽三味線と清野樹盟さんの尺八を聴いた。ラウトカ港から乗船した邦楽ユニットのお披露目ステージだった。P1000431 南洋上で、渋い音色を聴くのは妙なものだった。ひょっとして、日本に住みついた奏者、ジョン海山・ネプチューンが吹くようにジャズるのかと思ったが、この夜は、予想に反して正統そのものの古典だった。一番奥の席から、高感度望遠でその姿を撮っておいた。友人に船旅を薦める写真の1枚にしたかった。ソプラノのミネハハさんが下船し、他に海田明裕さん率いるアイランド・ウインズが、フラダンサーを伴って乗船してきた。次にエンターティナーが大きく入れ替わるのは、パペーテ入港時になる。世界一周クルーズの時は、活動中の大陸から乗船して来るのだが、こうしたセミロング・クルーズでは、大半が日本から飛来して港に駆け付ける。ロングクルーズでお馴染みの古今亭菊の丞さんも、パペーテからからだ。

 

また明朝からトンガまでの2日間、デッキゴルフだ。シャワーを浴びてバンテリンを塗った。横になった。

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