07.05.28 ボラボラからパペーテ
4時に眼が覚めた。カーテンを開けたが、まだ日の出には早すぎる。波は静かに揺れて夜明けを待っている。昨夜は文庫本を手にして横になったが、それを読む気力もないほどに瞼が重くなっていた。22時30分には眠っていたはずだから、睡眠は充分に取れている。7時の一斉モーニングコールを待たずに顔を洗っていた。カミサンも起きてきて、カメラを手にテラスに出ていった。日の出は、柔らかく雲を染め上げていた。
8時までに荷物をドアー前に出すことになっている。
チェックアウトするつもりでカメラバッグを手にして朝食に出る。
どっしりとした木の階段を上がる。案内されたテーブルは、二人席だった。今朝は僕も、あのボリュームたっぷりのオムレツを頼んだ。鶏の卵2個分以上の大きさだ。パンも要らない。マンゴジュースとヨーグルトだけで充分だ。
ヌイ・リゾートの従業員は、決してタヒチタイムとは思えないテキパキとした動きである。今朝も小鳥がテラスのテーブルの下を歩いている。近くにいたのは富田さん。
「毎朝、僕はモーニングコールが要らないんですよ」「え?」「足が攣るんでね、決まった時間に。だから、海に入った途端やっちゃいましたよ」「僕もやっちゃいましたよ。フィレを付けて、指先に力を入れた途端に攣りました」「まあ、ボラボラの海水に身体を入れたということでいいやと、ね」「足が攣るというのは、腎臓が弱っている信号だそうですよ」「私は肝臓です」「肝心要(かんじんかなめ)がお互い駄目ですね」「大腿部が攣ると、あれ痛くてねえ」「あ、いい手当がありますよ。ドライヤーの熱風を大腿部の付け根に当ててみてください。やがて、筋肉が弛緩してきますから、応急処置にはいいですよ」「なるほど、そうですか、寝る前にドライヤーをそばに置いとくことか」海を眺めながら、魚釣りの話ではなく、筋肉の攣りの話をしていた。
リーフの白波の手前は、緑とブルーの海。帰りたくない気持ちが高まってくるから不思議だ。潮風が肩を撫でて、また来いよと囁いている。
9時集合だというのに、
既に中央に張り出した水上フロントにご年配の船客が集まり始めた。
フロントでの精算をし、キーを返す。まだボートの出るまでには時間がありすぎる。手荷物を置いてベンチに座った時、鬼界さんがそばに来てカミサンに挨拶をした。「デッキゴルフでご一緒の鬼界で御座います。萩原さんの奥様だと判りましたので、・・・・」「あ、こちらこそ、ご挨拶させていませんでしたか」とカミサンの肩を押した。二人にして、僕はベンチを離れた。
大型クルーザーの中に、ホテルスタッフがコテージからの荷物を手際よく運び入れている。
香川県から来られている佐藤先生が、それをじっと見つめている。
「佐藤先生、どうされたのですか」「いああね…僕の荷物は、ドアの前からちゃんと持ってきてくれたんかいな、…とね。…心配性な、もので…」佐藤先生は、堪らず立ち上がった。船の縁に手をかけて覗き込んだ。
佐藤先生が安心した顔で戻ってきた。
「いやあ、失敗したなあ・・・・シングルユースにすべきだったなあ・・と、僕は、思ってるんですよ」横に座って話を聴く。「?」
「でかいベッドでしたでしょ。…バスタブも」「…はい」
「僕はね、テレビ観ながら、ね、ソファーベッドで…横になったまま、…眠っちゃったんですよ」「はい」
「…あのでかいツインベッドは、…無駄だったな。……要らんかった。シングルユースで良かったんじゃ」「……がははは」意味が飲み込めて、思わず大きな声で笑ってしまった。先生はいつも、こういう、おとぼけな話し方で聴く者をいつも楽しくしてくれる。
「船に乗ります前に、今一度パスポートをお確かめ下さい。パスポートだと、ばかり思われていたのが、実はホテルのメモ帳だった。こんなことが良くあるんです」藤川君の、ゆっくりと大きく声を張り上げた注意に、集まった一同大笑い。
「触るだけでなく、いま、一度、ご自分の目で確かめてくださぁい」
僕もそれに従った。パスポートは確認した。
船に乗り始めた。並んで順に乗り込んだ。もう今日は、ラグーンの写真を撮ることもないと、2階には上がらず1階の前席のソファーに座った。鬼界さんのグループが一緒に座った。他愛もない話をして、写真の枚数の話になった。07年次の世界一周クルーズでは3000枚を超えたが、カミサンの分を合わせると、6000枚以上になっていたと話して、今回の僕は、1800枚くらいになっている。カメラもこの他に1台持ってきたし………、と口にして、絶句した。そのもう一台を入れたカメラバッグが足元に無い。
事件は起きた。………あのベンチに置き忘れたのだ。すぐに立ち上がって、後部デッキにいる藤川君に事情を話した。横にいた現地旅行社アルファのスタッフが、ホテルカウンターに携帯電話をする。ベンチの下を確認してもらうと確かにあると返ってきた。離岸して15分が経っていた。
「さ、奥様がどうおっしゃるか、報告するのよ」鬼界さんにいたずらっぽく囁かれて約束させられた。
48人を乗せた大型クルーザーは、すぐにヌイ・リゾートに引き返した。
船内がざわめいたが、藤川君は首を横に振って、黙っていましょという合図。フロントのある船着き場に近くなった。
大きな男が桟橋に立っている。黄色いナップザックとカメラバッグが高くかざされた。船にそれが乗った。
大きな弧を描いて、アクセルが踏み込まれた。21ノットで海を切った。船内では、誰のものかが判ってしまったようだ。黄色いナップザックが背負えなくなった。エアポートのモツに着くまで、外の風に吹かれて海を見ていた。仕方がない。
下船する時、背中の黄色いバッグと手に握ったカメラバッグに多くの視線が刺さっている。どちらもやけに重く感じた。
空港での時間は充分にあった。飛行機を30分は待った。同じタイプの機体だった。往路と反対の左側席に座った。カミサンからの第一声は「馬鹿ねえ」でしたと、鬼界さんに伝えた。
環礁島を撮っているうちに、機は下降し始めた。 タヒチ島のパペーテは上空から見てやはり、大きな街だった。バスに乗り換えて港に近づいた。辺りに停泊している船がないこともあって、にっぽん丸が大きく見えた。「お帰りなさい」ギャングウエイを上りきった時の言葉が心地よかった。
昼食を取ってシャワーを浴びた。パペーテの街を歩いてみようと13時30分頃に下船した。新たに両替してしまった5000円を使うためだ。祝日でゴーストタウンのようだった。いつもマルシェが開かれるという小路に入った。7000㎡もあると言われるル・マルシェには
、果物や野菜、それに花市場が、2階には民芸品店が並び、壁にはカラフルなパレオが覆い尽くし、さぞかし、喧噪で明るい笑い声が響いていただろう。タヒチの歴史的文化を物語るという場所らしかったが、今日は、それが息を止めている。
路地にある数軒の露店を覗いたが、パレオには気に入った柄がなかっ
た。ある店で、
「ヒナノビール」のキャラを刺繍し
た帽子があった。夜になると光るんだよ、と若い男の店員がいたずらっぽい目で、電池のスイッチを入れてくれた。布で囲って、中を見てみろという。チカチカ光っている。17フランだと言われたが、僕のポケットには、あいにくと、15フランしかなかった。店員は店を任されているのか、即座に快く応じてくれた。日本に持ち帰ったら電池が切れているという代物だろうが、いい記念になると、それをかぶって歩いた。
奥に歩いて行っても、シャッター通りが続くだけ。やがて、中国会館という大きな建物の前に出た。ここ、パペーテも、中国人社会があることを知る。遠くにカテドラルが見えてきた。あれがノートルダム大聖堂なのだろうか。中に入ってみたいが、ドアの前で数人の信者が立ち話をして入口を塞いでいた。やり過ごしてポマレという海岸道に出た。開いていた雑貨屋に踏み入れた。フラダンスのインストラクターが三人、遅れて入ってきた。
カミサンが挨拶をしたので、それと判った。デミタスコーヒーカップに洒落たデザインがあった。カミサンは誰かに宛があるのだろう。迷っていた。
しばらくして、埠頭に戻ることにした。ところが、公園の中に白いテントが張られ、その中に、日本人の姿が見えた。貝細工の店が何軒も集まっていた。いや、開いてくれていた。そう思えるのは、その場所が、観光ビューローの脇だったからで、日本の客船が停泊しているので急遽、何処かで土産物屋が集まっていると聞かされていた。所持金も少ないので、見るだけになるだろうとぶらついた。
バンコックの「サノフラワー」と同じようなものを細工しているタヒチアンの主婦がいた。植物の葉脈を透かせて、それらを布の造花のように飾り付けていた。写真を撮らせてもらった。
タヒチアン・シェルにナイフで切り込み、模様を描くアクセサリーの店が多い。中で、一軒だけはレリーフのように模様を浮かせる手法が施されているのを見つけた。エッチングのような、腐蝕方法を応用したのではないかと推測する。気に入ったのだが、どうにも高い。男性店員に値段交渉した。ところが、チョーカーにする金具の取り付け作業をしている女性は、容易に首を縦に振らない。むしろ、上目遣いで睨んでいる。私がどれだけ、手間を掛けているのか判るかとでも言いたげな眼だった。諦めて別の店に行くが、やはりレリーフは珍しい。またこの店に戻って来ていた。
気が弱そうなフランス人男はどうやら、女性の旦那だった。旦那と英語で話してみると、神戸に住んでいたことがあるという。黄色みを帯びたマザー・シェルは、なかなか貴重品だと、今度はフランス語を喋る野村道子さんに売り込んでいる。なんとなく話の流れで笑い合ったり、肩叩いたりしていた。その間、カミサンは独りで奥さんと話をさせた。カミサンがデザインを褒め続けた。我々は、野村さんと旦那の三人でいかにも親しくなったように振る舞っていた。まあ、言い値で買うしかないなとカミサンが覚悟をした。と、どうだろう。安くできないがねと、別の細工物を黙ってカミサンの手に握らせた。心根は優しいデザイナーだったのだ。小声でカミサンも「…マルル…」。ようやくタヒチアンの女性は、にこやかな笑顔を返してくれた。
帰船して、8階のスカイデッキに上がった。夕陽が沈む時だったからだ。やたらにシャッターを切った。長坂さんと水本君がそばに来た。グリーン・フラッシュを見たと、望遠鏡を手にした長坂さん。果たして撮れているだろうかは、後のお楽しみだ。
高嵜さんと松田さん、野村さんが同じスカイデッキにいた。高嵜さんはインターコンチネンタルホテルに行って泳いだという。タクシーで所持金がスッカラカンになったと、物価の高さに驚き、野村さんは、島内に唯一の日本人タクシードライバーで周遊しようとしたが、気が合わないので途中で降りたとか、聞けば余り楽しい停泊地ではなかったようだ。確かに、祝日に寄港することが判っているときは、船側も直前にいうのではなく、情報公開を乗船前に言うべきだという意見が出た。地元の人間からは、「ボラボラ島に行ったか?行ける時間があるなら、行くべきだったのに」と何人もの人に言われたと、ぼやかれた。
公園の中の明かりが灯り、レ・ルロットと呼ばれる屋台が開店した。地元の人が家族連れで集まり始めた。中国料理が多かったと、高嵜さん。
あのゴッホがアブサンを投げつけて南洋にいくなと頼んだとかいうゴーギャンの美術館がここにはあるのだが、すべてレプリカだと聞いている。ゴッホの耳切事件後にアルルから離れ、しばらく後に突然、元水夫の血が騒いだのか、このタヒチに渡ってきた。マルセーユとタヒチ間は、二ヶ月半の航海だったそうだ。タヒチでも借金のカタに絵を差し出したが、主人が焚き付けにしてしまったので、1枚も残っていないというのがその理由らしい。ゴーギャンの孫という細面のイケメン男性がTV番組に出ていたことを思い出した。
今夜は、カミサンの無事生還を祝って席を設けましょうと高嵜廣子さんのお誘いを受けた。そして、高嵜・松田両ご夫妻とワインを頂いた。この席で、ボラボラ島に連れ出されて良かったと、初めてカミサンからお礼を言われた。今回1階船室に拘った意味が、ここでようやく解って貰えたようだ。
テーブルでは、タヒチエアーのプロペラ機の話から、オランダの風車に及んだ。オランダの風車の羽が可変型であることを知った。風車は時に数枚の羽を重ねたり閉じたりすることで、村人同士の信号になっていたのだそうだ。航空機の羽の技術は、船のスクリューに技術が応用されるのだいうことは、今回のタヒチエアーの細い巾のプロペラで知ったのだが、にっぽん丸のスクリューも、非常に効率のいい可変式のプロペラだと教えられた。風車は風車でも、風力発電機の建設には絶対反対ですと松田さんが真顔で言い始めた。渡り鳥を始め、多くの鳥たちが風向きを狂わされ、方向感覚を失い、羽に飛び込んでかなりの数が自殺しているそうだ。風力発電機を増やすくらいなら、私は電気消すと松田さん。「ビル建築でのミラーウオールのデザインも反対です。ようけ鳥が衝突して死んでまんがな」松田さんは、自然破壊、環境破壊に反対し、動物愛護に回ると真面目に語った。そばで、サエ子さんが、こういう人です、と口を添えた。優し、いい人です、松田さんは。
今晩は、何処にも遊びに出掛けず、船室で写真のバックアップをした。なにしろ、3日分の630枚をポータブルHDDに吸い込ませなくては気が休まらないからだ。長い1日だった。念願の3日間がこうして終わった。
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