07.05.31 ハワイへ3
昨夜も22時には横になった。だから、6時から日誌を打ち始めている。
『海が波立ってきております。北緯0°38′、西経157°12′丁度今朝5時49分55秒で赤道を通過しました。現在は、クリスマス島110kmの位置にいます。速力18.5ノット、時速34k、天候は晴れ、東北東の風10m、気温26℃、波の高さ約8.5m。
11時30分頃、クリスマス島の横に入ります。クリスマス島は、キリチマチ島と呼ばれ、フレンチポリネシアとハワイの間にあるキリバス共和国の島です。赤道の北側で、ライン諸島の中でも大きな島です。レストランのテーブルに置かれてある「クリスマス島の塩」は、この島で採取されました。1777年、英国人クックが発見したときは無人島でした。1962年には、米国の核実験基地にもなり、1979年、英国から独立して、キリバス共和国となりました。島の周辺には魚が多く、国鳥のグンカン鳥や鰹鳥、アジサシなどが観られます。ヒッチコック監督の「鳥」のロケ地でありました。
日本とは、島の北側の土地を利用した宇宙開発事業計画が結ばれているということです。
ハワイのキラウエアで溶岩流が見えているという情報が入ってきました。キラウエア火山を通過するには少し大回りの航路をとる必要があり、船はそれには、大周りをしなければなりません、海が荒れないことを願って、フルスロットルで、キラウエア火山に近づくように努力したいと考えています』
さて、デッキゴルフ決勝戦に向かう。15分前だというのに、既に野村さん以外は全員集合していた。我々チームが今回勝たないと、すべてがご破算になるという。つまり、3チームが一勝一敗となるからだ。これでは、今夕の優勝式が成立しないと、事務局長・高嵜さん。
野村さんが顔を見せたことで、ゲームスタートとなった。1番手を鬼界、2番手野村、3番手松田、4番手が僕。かなり速いペースで、1番ホールを陥落し、2番から3番に走る。松田・野村コンビネーションが巧く
行っている。
鬼界・萩原も交互にホールを陥れ、5番ホールで全員が権利玉になっ
たとき、菅谷組は、まだ誰も5番ホールには近づいてもいなかった。
一気呵成にとゴールに集結する。
最後は、工藤、菅谷の古豪をフレームアウトして、僕がゴールすることでゲームセット。快勝だった。
昼食にまだ時間があるのでと、リーグ戦の終わりを待ってプレイしたくなった仲間と、もう1戦通常戦をすることになった。「3番ホール抜きの全員上がり」ということで、チームを再編成する。
最初は、赤に2番ホールから3番までを占拠された。鬼界、菅谷、萩原にミスショットが多かった。それが草浦、高木にも感染して、敗色濃厚だった。なにしろ、僕自身がミスの連続で2番ホールさえも通過していないありさまなのだ。後半、2,4、5番ホールへ急いで追いついたところで、ホーム周辺でホームを狙う赤の高嵜・工藤の2人が
白の鬼界・菅谷・萩原の3人を迎え撃つ格好。何度ものパックの置き方に慎重を期し、作戦を練り、最後は、高嵜・工藤の2つのパックをなんとかフレームの外に弾いて、我々3人が辛くもゴールをクリアした。最初の不利なゲーム展開を跳ね返して、これで本日2連勝。Tシャツの汗は、世界地図を描いていた。

地球の誕生が45億年前、人類の出現は200万年前。この長い歴史の中で、産業革命以来たかだか200年で地球環境は壊滅的に破壊されている。森林は消滅し、二酸化炭素は消え、地球の温暖化は進み、そして破壊は続いている。世界で初めてユネスコの世界遺産(自然遺産)として登録されたガラパゴス諸島も、15年間で観光船の滞在日数が増えたり、道路の整備もされたりして移住者が増えたという。こうしたことが、多くの外来種の持ち込みで、皮肉にも、今では危機遺産リストに入って
しまった。
温暖化で深刻な環礁島国、ツバルに観光客が押し寄
せているという。対策を持たない観光客が、帰国後に、温暖化の現実をどうアピールするかにかかっている。現在の異常気象は、1960年代、70年代の排ガスの結果だそうだが、現代人がいくら、エコ生活を努力しても、全世界に張り巡らされたコンピューター通信の発熱量は、今後も決して減らないのだとすると、これまで訪れた環礁島の生活に戻らない限り、これからも益々炭酸ガスの影響が出てくる。そして、トンガを始め、諸島に西欧文化の浸食は、どう考えればいいのか。それは、缶詰文化による健康障害という弊害ではなく、さらに風俗習慣さえも消滅しかねないことを、この航海で考えさせられる。
メールのチェックにライブラリーへ上がった。丁度、孫の出産予定日なので、今か今かとメールの来るのを待っていた。やっと次男夫婦からあった。未だである。相当大きく育っているらしいので、帝王切開も辞さずと書いてきた。例の初老の人物の言動について、船友の一人からは、「デッキゴルフ人口が増えることこそ喜ばしいと思うべきではないか、スティックで叩いてやりたいでしょう」という文字が返ってきた。そう思う反面、なんとかお会いして、デッキゴルフの歴史をできるだけ訊いておきたいというのが、今の気持ちだ。
昼食は高木夫妻と同じテーブルになった。ボラボラでの飛行体験で免疫がついたかと敏枝さんに訊かれ、カミサンは曖昧に答えながら、出来れば、ニューヨークとか、シドニーからの外国船クルーズが最後にしてみたいと本音を吐露していた。しかし、それは飛行機でなければ実現しないフライト&クルーズである。敏枝さんへの答えになったのだろうか。
食後、カミサンは水彩画教室に7階のリドデッキへ出て行った。Tシャツに染料絵の具で描くのだと張り切っていた。
15時、船は、針路を西北から西経157°と真上へ取った。
16時、7階リドデッキ横で表彰式である。僕が毎日エクセルに打ち込んできた星取り表をプリントして渡す。そこには、勝手ながらリングネーム、いや馬名、いやプレイヤーズネームを勝手に書かせて貰っている。06年のメンバーは、以下の通り。
オートボケ・デビル高嵜 伸さん、スイスイ・マダム工藤俊枝さん、キラー・コンドル菅谷 潔さん、ロング・キング松田史郎さん、ナイス・チョット松田サエ子さん、そして南洋クルーズには乗船しなかったフランク・ユージロー山縣治郎さん、ユメレン・ファイター横田 晟さん、グリーン・キャッチャー西出栄市さん、アルバトロス・コロス横山皓一さん、ジャッジ・ジイー中島和男さん、ノイジー・サンダル菅井美子さん、ニコット・ダンシング高橋信夫さん。
07の今回新たにデッキゴルフメンバーに加わったのが、ハット・フィッシュ塩野芳夫さん、スレンダー・アーム野村道子さん、ショットガン・トール高木保彦さん、デッキ・ダンサー高木敏恵さん、オシショウ・ネエ鬼界とみえさん、シビ・ベレー草浦裕さん、ネプチューン・スター長坂勇二さんだ。名前の由来を説明して全員から了解を得た。
優勝チームとなったのは初めてだ。今期間は、ホールイン・ワインが多く出た。14本だった。金額換算で、28000円の商品代と宴会費用が捻出できた。このため、高嵜廣子さんとカミサンが参加した。船内の自動販売機で冷えた缶ビールとウーロン茶他を買い、高嵜さん持参のポリバケツに氷を入れて運んである。おつまみは、やなり売店で買い込んだり、有志が持参したり、宴席?が出来た。
さあと、最年長者82歳のキラー・コンドル菅谷さんが
乾杯の音頭を取る。歓声が上がる。しばらくは、戦況の解説が始まる。たらねば話で、悔しがる。
プールサイドに人はいない。フィットネスコーナーにも、いないようだ。大声になっても気にしないでいい場所だ。夕食前のひととき、バケツに山盛りの缶ビールが、たちまち減っていく。
高嵜さんが予めブティックで買っておいた商品を手にして立ち上がった。
第2回優勝チームが表彰される。そして、2位、いや準優勝、そして最下位、いや第3位と、それぞれに商品と参加賞が手渡された。野村女
史、
いや事務局長秘書の野村さんが、優
勝者リーダーに野村賞を用意していると、キャプテンハットを差し出した。大いに照れながら写真に収まった。
こんな小さなことでも大の大人が顔に皺寄せて笑い合う。やっぱり、同じ船友、いや戦友は気持ちがいい。塩野さん、草浦さん、鬼界さんは、僕にとって初めての船友になるのだが、このわだかまりの無さがとても気持ちがいい。
ビールを注ぎ会う内に、塩野さんに問いかけられた。
「あかん!ってゲーム中に何度も口にされるね、萩原さん。上野に住まわれているのに、関西の人かな?」「元々高校まで名古屋の人間です」に、隣の席にいた草浦さんが小声で「名古屋にいたの?」と眼を大きくした。「私は21年間も名古屋に単身赴任していたのだ」と言いだした。 これには驚いた。しかも草浦さん、「覚王山の日泰寺の近くのマンションだった」という。僕の単身赴任のマンションも覚王山だったから、懐かしい。付近の店を挙げていくと、頬がゆるむ。カレーの「英国屋」も土手焼きの「たこ八」も知っていることから、二人だけが肩を叩いて喜び合う。他の人には判らないからである。意外だった。予想外だった。日本は狭い。意気投合したきっかけは、塩野さんの質問からだった。名古屋弁が、人をさらに結びつけたのだ。
各チーム同志で記念写真を撮る。
明後日は、阿弥陀くじで選出した我々の代表選手とスタッフとの対抗戦である。キラー・コンドル菅谷、オシショー・ネエ鬼界、シビ・ベレー草浦に、みんながエールを送る。
そして、僕から鬼界さんの送別会を提案してみた。出来れば場所は、ダイニングの「奥座敷」にしたい。幸いにも、06年次の悶着はないだろう。食事の2回制で、2回目はテーブルに余裕があるからだ。鬼界さんからは、にっぽん丸か、ふじ丸のワンナイトクルーズに乗って、横浜~神戸間で、関東軍と関西軍のデッキゴルフをしましょうと。この高揚した空気感はどう説明したらいいのだろうか。和気藹々の内にリドデッキの表彰式兼飲み会はお開きになった。
今夕はハワイアン・ナイトだそうだ。カミサンは張り切ってフラダンス用の衣装で出掛けた。ハワイアンバンドのアイランドウインズの演奏に引き続いて、フラダンス教室の女性たちがステージ上がるようにと先生に言われているようだ。まあ、ビデオも買って練習していたのだ。楽しめばいい。
さて、予定通り、演奏が終わり、教室受講生がステージに呼び出された。全員が出てくるものとばかり思って、野村さん とカミサンが出ていった。聞けば、フラダンス教室は、盛況でフロアーが一杯になるほどだそうだ。ところがどうだ。生バンドで一緒に踊りましょうと呼びかけても、二人以外は出てこなかった。そんなカミサンに拍手したい。
夕食は高嵜夫妻、高木夫妻、それに野村さん、囲碁の山本先生で同じ場所に固まった。背後には、野村女史と片山先生ご夫妻、瀬戸ご夫妻、そしてシップドクターが笑い声を上げながら 楽しそうにテーブルを囲んでいる。
ブッフェスタイルだから、僕が食べてもいいという料理の選択範囲は狭い。フルーツカクテル、小龍包に巻き寿司、マンゴ。それで済ませようとしたら、フィリピン・スタッフのニックがにこにこして、椀子うどんを持ってきてくれた。麺類が好きだということを知っている。ケーキもコーヒーも断ってお茶で終えた。実は、今回、ウオーキングマシーンを使っていないので、徐々に徐々に肥ってきたことが判る。太っ腹と言われても喜べない。太鼓腹になってきたので危ないのだ。後2週間、これ以上重くならないように気をつけよう。
ラウンジ「海」で古今亭菊の丞の落語があるが、オーバーランドツアーをしている間の航海日誌が空白である。気持ちが消えていないうちに、忘れないうちに、書き込んで置かねばと、部屋に戻った。ドア下に差し込まれていた船内新聞をカミサンが手にしてから、ややあって、「あ!!あなた、当たってたわよ、」
赤道通過時刻が一番近かったのだ。僕が1位で、2位が高嵜廣子さんとある。正確な時刻は、「5時49分55秒」。僕の予測は5時50分20秒。高嵜さんが5時50分30秒だった。いずれにせよ、二人とも1分以内の誤差だったことは誇らしい。きっと、高嵜廣子の本当の計算者は、高嵜伸さんだろう。
ペットボトルのナチュラルウオーターが硬水続きだったせいなのか、便秘勝ちなのだ。オート・ヴァイブレーションで腹部や腰を揺さぶってこようと7階に上がった。10分で1時間歩いたことになるというやつだ。後1分で終わりになる頃、コブチャンこと、藤川君が、ハワイのガイドブックを手に現れた。隣のウオークマシーンで歩き始めた。会議が今終わって、やっと自分の時間が出来たという。ツアースタッフは、寄港地が近づけば、ツアーの段取り打ち合わせで、睡眠時間も満足に取れないと聞いている。確かに、限られた人数のスタッフでケアをしてくれている。お疲れ様!船客の評判で、契約年数が延びることもあるのだろう。コブちゃんは、中でもピカイチの質を評価されている。にっぽん丸を下船した時でも、空路で、観光客のツアーコンダクターをしている。北海道の自宅にいる日が少ない。身体の話、あれやこれやの話で激励して帰る。
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