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2007年9月16日 (日)

07.06.02 ハワイへ5

710分。船は、フルスピードで航行中だ。202ノットが出た。北緯15°25′の位置である。進路は徐々に右に傾斜し始めた。幸いにして波はさほど高くない。遠くで白波が立つくらいで、軽快に走り抜けている。

『南緯15°42′、西経155°31′、やや東の方に進路を振りました。ハワイ島まで350kの地点に来ております。速力195ノット、時速35k、天候は、東北東の風14m、気温245℃、水温261℃、波の高さ約15m。

夕方に、ハワイ島南東部のキラウエアに近づきます。日没は1805分。ハワイ島を観ることができるのは1930分。20時頃には、溶岩流の開口部を探して周回したいと思います。ハワイ島には、大きなカルデラを持つ火山のマウナウ山1427mが東南部にあります。河口部は、10k平方メートル。「永遠の火の山」と言われ、現在も1983年以来の噴火活動が続いております。

明朝3日の朝6時、ラハイナ沖合に投錨、テンダーで官憲署員を迎えに行きます。船内で入国審査を受け、9時下船許可となる予定です。夕方、18時錨を上げ、明後日、6時ダイヤモンドヘッド沖を通過、7時にはパイロットを乗せ、8時ホノルル港着岸。因みに、明日のラハイナの天気は晴れ、最高気温31°、明後日のホノルルも晴れ、30℃となっております』

 

朝食後は、デッキゴルフのスタッフ対抗戦である。4人の内1名は女性スタッフというのが条件だった。ところが蓋を開けてみると、女性は業務の多忙で調整がつかなかったようだ。急遽、3人対3人となった。

阿弥陀くじでの我々の選抜チームは、菅谷キャプテンの下、鬼界、草浦となったようだ。女性の不参加のため、残念ながら我々の松田サエ子さんが外れざるを得なくなった。サエ子さんは、昨日から、この対抗戦選抜選手としての緊張の余り、胃薬を多用していたと聞かされた。出馬しなくなったという安堵感よりも、むしろ、女性不出場の情報確認を前日にでも知らせてくれれば、胃も痛くならなかったのにと、残念がった。今朝までスタッフ側は、イベント準備の時間調整をしていたらしい。確かに、スタッフ対抗戦は、特別の緊張感だ。

昨年の対抗戦では僕も相当な緊張感を持った。チームが負けたら、キャプテンがメンバー全員へビールというペナルティを科せられていた。ビールは兎も角、毎朝プレイを重ねてきたジジババ組が、忙しく立ち働いていて、練習時間もない若いスタッフに負けるわけがないという自負があった。デッキゴルフのメンバーにも恥ずかしい思いはさせられないという責任感があった。結果的には勝ったのだから笑ってビールを飲んだが・・・・。

 

試合は、9時からスタート。3番ホール抜きの10時アップとした。スタッフメンバーは、強烈で確実なショットを打つカクジツ田実君、毎日午後のデッキゴルフ教室のインストラクターとして打ち慣れている場数の黒川君、5年ぶりだというが、運動神経が高そうな未知の高嵜君という3名。

対抗戦のジャッジを引き受けた。今回のスタッフのショットはパワフルだった。Img_16742番ホールから4番の距離が2ショットでクリア出来たり、4番ホールから5番への最長距離が、ホールの真横にまでショットして来たりするからだ。エリアの中に安全圏などないほど、何処にいても狙われたら、リンクの外へ弾き出されるのだ。命中すると、その衝撃度が凄い。パックが傷む。

彼らの全員が5番ホールをクリアして権利玉になった時点で、我々ジジババ、いや老練なImg_1680 船客選手の権利玉は、僅かに独りしか通過していなかった。固まって動く日本式捕鯨船団か、それとも、個人が独走する米国式先攻ロケットかと、昨日予測していた点からすれば、スタッフの戦法は、圧倒的なアメリカ型だった。面展開を意識した我々のパックは、固まっていたことが、返って不利になり、馬力のある高崎君に集中攻撃された。P10201741 試合は、なんと予定の半分、30分で片が付けられた。

2試合が出来るとして、雪辱戦をすることになった。メンバーが、萩原、塩野、工藤となった。これまた、不甲斐なかった。高嵜ロケット砲で遊ばれてしまった。平均年齢27歳くらいだろう。こちらの平均年齢は、70歳を越える。しかし、悔しい。航海中に、メンバーを組み立て直して再挑戦しないことには、船を下りられない!

 

敗因は、伏兵高嵜君の戦闘能力を侮ったのではない、知らなさすぎたことだった。あの右腕で送り出すショットは、これまでの誰よりも強い。しかも、胸の前にある位置からスティックのトップを送り出す振り子の幅がコンパクトなのだ。スナップショットがあれほど強いとは、感心するほかない。野球の投手とか、アメフト選手がボールを掴む鍛え上げた握力なのか…。高嵜君を封じる弱点を考えることにする。

 

昼食を終えると、カミサンのフラダンス教室の発表会が「海」で行われる。P1020181夫が、ノコノコとカメラを手に出ていくのも照れるが、ラストクルーズとあっては、記念に撮っておいてやらないわけにもいくまいと、6階に上がる。さすがに応援団がおおいせいか、前席はおろか、大半が埋まっている。奥の位置に幸い、空き席があった。 ウクレレ教室の演奏もフラのステージにも、まあまあ撮れそうなポジションだった。背中には、高嵜廣子さんや和田希公ちゃんが座った。「巧く撮ってあげてね」背中を叩かれた。益々照れて早く終わらないかと焦った。

P1020179

P1020188 ウクレレ教室の受講生による合奏から始まった。フラを習っている野村道子さんは、この教室でウクレレも買ったという入れ込みようだ。僕らの大学1年の時代には、オッパチ節夫(当時、粋がって大橋節夫をこう呼んでいた)やポス宮崎などのステージがいつもある喫茶店によく通ったものだ。下宿では、ルームシェア(当時は同宿といっていた)の友人と、ラジオから「プティット・フルー(ザ・ピーナッツ)」が流れてくると慌ててパイナップル型のウクレレを握っていたものだ。今、目の前で奏でている方々は、それより少し先輩達だ。ウクレレには、青春の心地よい響きがある。

P1020202_3 P1020214 ウクレレ受講生だった水本カメラマンは、今日はカメラを構えている。僕の脇で、片膝立ててて、ワイドと望遠の2台を使い分けていた。平野カメラマンは、必死になってフラダンスに参加しているお客様の顔写真を撮りまくっている。たしかに、売れる写真のチャンスである。きれいに撮られていれば、出演者は買うのである。

しかし、背後から、突然、カメラマンの平野君に、観客の男の声が浴びせられた。「立つなよ、こら!撮れないじゃあないか!立つな!…立つなっていうんだ!」自分の奥さんを撮っているに違いない。その声の方が、場をしらけさせていることに気付いていないのだろうか。

ああ、こうしたケースが06年次の世界一周クルーズで起きたプロカメラマン無視の事件だったのかと思い当たった。メインショーで客から出されたクレームだった。

添乗しているプロのカメラマンは、クルーズの記録として、クルーズの楽しさを伝えるウエブ掲載の素材として、船側から撮ることを託された業務であるにも拘わらず、船客から叱責を受けたのだ。船客はカメラマンの職務を咎めたのだから、これは暴言である。ストロボも光らせていなかったから、アーティストの邪魔にはならなかったはずであった。シャッター音が耳障りで音楽が楽しめないと小言を言ったらしい。その船客は、どれほど耳の肥えた方だったのだろうか。しかし、06年次は、素人の客の意見に船側が譲歩してしまった。カメラマンは憮然とした。しばらく、メインショーにカメラマンの姿はなかった。そのイベントの写真は、フェアウエルパーティの会場で上映されるスライドショーに欠けた。

今日の席でも、船客のデジカメは、見たところせいぜい3倍。しかも、両手を高々と前方に上げて、奥様のフラ姿を追いかけている。後ろの席に観客がいることすら忘れている。自働フラッシュがパカパカ光っている。ステージに届く光の強さはないのに、である。平野カメラマンの写真を買うことの方が賢明だろうと思ったのだが・・・。

こういう経験は、浅草のサンバ祭りでもあった。パレードの中で羽を背負ったパシスタを撮ろうと狙いをつけてアングルを決め、いざシャッターを押そうとする段になって、斜めから両手が何本も突き出される。手の先にはコンパクトデジカメと携帯電話のカメラが林立していた。結局、その百種観音のような手に遮られてシャッターチャンスを逸することが何度もあった。いかなるズームレンズも、二の腕が被写体の前に出てきては為す術もない。船内のプロカメラマンには、せめてアングルポジションをあげようではないか。シャッター音もリズムを刻めとは言い難いではないか。

演奏演舞が終わり、受講生全員がステージに立ち揃った時、僕は立ち上がって、出口近くで12倍ズームをパチリとやって、早々にエレベーターで降りた。

 

P1020233

夕食は、ホノルルで下船帰国する鬼界さんのための送別会食である。本来、高嵜さんが狙っていたのは、鬼界さんが対抗戦に勝ちを収めての祝勝会も兼ねさせたかったはず。この弔い合戦は、残った我々が後日、リベンジを申し入れる。

 

18時、弦楽四重奏をドルフィンホールに聴きにいく。「のだめ」出演の玉木宏にオリンの指導をしたというリーダーの須磨和声は、自称クラシック界のハンカチ王子として、照れながら、その動作を繰り返す。武蔵音大出身でもショーマンシップは未だ未消化だが、アレンジは聴ける。

アンコールが終わると同時に、8階デッキに上がる。風が強い。まだ、ハワイ島の溶岩流の白い煙が遠望できるが、カメラに収める位置までに船は近づいていない。0602p1020244 0602p10202690602p1020288





12倍のズームで覗けば、赤い火はチロチロと見え隠れするが、船の揺れで、フレームを外れる。火がネオン管のように糸をひく。日没前にもっと近づいていれば撮れるのだが、辺りが暗いため、シャッタースピード優先でも光が流れる。これは、ニューヨークを出港した時の自由の女神の灯りを巧く撮れなかった揺れと同じだ。波の上下の揺れに、船のスピードによる被写体の流れ、これは、アマチュアレベルのカメラの手ぶれ限界だろうか。レストランに行く時間が迫った。残念ながらその場を去る。

 

P1020298P1020312 1920分、右舷側のレストラン奥座敷に19人の席を創って貰っている。鬼界さんの送別会に、長坂夫妻も参加して、すべてメンバーが参集したことになった。 塩野さんがシャンパンを2本提供してくださった。塩野さんの乾杯の音頭で、大いに盛り上がった。草浦さんが鬼界さんの手を取って、なにやらご機嫌だ。ようやく、デッキゴルフ仲間の空気が出来た。これも鬼界さんの下船という、思わぬことが作りだしてくれたものだ。

P1020308 P1020307 P1020306

3つのテーブルに別れたが、我々のテーブルには、高木夫妻と草浦夫妻。これも、阿弥陀くじで席順を決めたのだが、期せずして名古屋関係が顔を揃えた。草浦さんは、21年間名古屋転勤族だったし、おまけに、覚王山のマンションということでは、僕と同じエリアに生活していたので、話は合う。そこへ、高木さんが、覚王山の「英国屋」へ紅茶を買いによく行っていたというので、またまた草浦さん大喜び。

Img_6255 Img_6266 明日も午前中デッキゴルフをしようという工藤さんに、高嵜さんからは官憲が乗船するから自粛した方がいいのではないかと意見が出た。

 

孫の出産状態が気懸かりで、5階のライブラリーのメールを開ける。無かった。帰りがけに、ドルフィン・ホールでの夜のダンスタイムを覗いてみた。P1020343身のこなしが巧い男性が独り眼についた。曲がマンボになったら、 P1020324 彼は、3人の女性を相手に踊りだした。男性の姿は二人の教師を含め、5人。それに引き替え、女性は、156人。ホールに出て踊っているカップルは従って、疎らである。生バンドが勿体ないなと思いながら、6階から写真を撮って帰る。

 

船は、ハワイ島の下、南東部から北西へ大きく回り込み、その先のマウイ島の下、南部から再び斜め北西へ上がりラハイナへというコースらしい。

現在、2435分、北緯20°12′、西経15529′で、ハワイ島の北を抜けようとしている。

 

明日のラハイナではシュガー・ケーン・トレインに乗りたいわと宣うカミサンの要望で下調べをする。列車は、カウナ・パリ・ゴルフ場までの6kmをゆっくり2時間かけて、毎日4本走らせているという。約20ドル。その駅までは港から徒歩5分かかる距離だということまでは判った。ツアー組は、午後の乗車チケットの予約が取れている。あ、そうだ。バニアンの樹も観たいと言っていたな。我々は出来るだけ早く下船して、駅で直接チケットを買おう。

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