07.06.03 マウイ・ラハイナ寄港
目覚めたときは、既に投錨していた。上下の揺れが大きい。風が強いのだろうか。船内でのイミグレ面接がある。早めに朝食に出る。
段々、朝食が簡単になっている。副食に塩分の高いものが多く出ているので、食べるものがない。なかなか僕には難しい。大好きな野菜スープには、煮汁にしっかりカリュウムがしみ出ている。ソーセージなどの練り物は塩分が強い。1日6gというバランスで摂ればいいものの、麺類には眼がないので、そばつゆを避けるわけにはいかない。朝は、オートミールにヨーグルト、それに野菜ジュース、フライドエッグで終わり。
面接は、いつも、5階の船客から順に始まる。いま、3階の奇数番号室まで来たとアナウンスがある。最下層、1階の船客までには、まだまだ時間がある。レストランから見る左右の窓の先は、景色が上下している。マウイ島の横は、ラナイ島。晴れていても波が高いのは、島と島との間を風が吹き抜けていると言うことだろうか。マウイ島は西と東2つの陸地が噴火によって繋がった島で、それぞれ、海の玄関ラハイナと空の玄関カフルイに別れている。
島を遠望すると、ヨットのポールが林立しているところが、小型船舶の港だろう。高い煙突の処は、おそらく、サトウキビ工場の跡ではないかとは、デッキにいる船客の声。右手に立派な建物があるが、あれは、古い時代のパイオニア・インであるはずもなく、誰も答えてくれないので判らない。
長い裾野の左手先にビル群が立ち並ぶ。それこそがカアナパリの有名なハイアットとか、シェラトン、ウエスティングなどなどだろう。山の上に、少し、パームツリーが見える。たぶん位置からすると、カアナパリのゴルフ場ではないか。そこまでシュガー・ケーン・トレインが走っているのだろう。
10kmを30分で走る小型の観光列車が、1日4本とは、いかにも少ないが、1車両しかないのだろう。それにしても、発車時間に間に合わないときは、シャトルバスを捜さねばならない。ガイドブックで確かめると、白いバスだ。ホロ・カア・トランジット(Holo Kaa Transit)という会社だ。これも、1時間に1本の運行とあるからには、1台のシャトルバスが往復しているのだろうか。料金も良心的に1ドルである。
ハワイロケは多かったが、オアフ島以外はモロカイにしか行っていない。マウイ島は初めての島である。ラハイナは、元ハワイ王国の首都。捕鯨基地としても栄えた街だという。ホエール・ウオッチングの出来るエリアだそうだが、ハワイ島から真夜中の航路だったので、鯨に出遭うことなどはなかった。
面接の順番が来た。預けておいたパスポートをスタッフから受け取り、ドルフィンホールでの税関員の質問を受ける。スタンピングされたパスポートは、出口でクルースタッフに再び預ける。こうして、下船入国には、にっぽん丸のボーディングカード(パスポートのコピーも内蔵)を胸にするだけで済むのだ。2階でアシスタント・ツアーコンシェルジュに、シュガー・トレインの時刻表はないかと訊ねてみた。すぐには判らなかった。
昼食も帰船せず、ラハイナの街で取ることに決めた。9時30分発の最初のテンダーボートで行こう。現地で何か買ったら入れ物に困るからと、黄色いデイバッグは背中に背負うことにする。シャワーキャップも入れた。突然のシャワーからカメラを守るには、その名の通り「シャワーキャップ」を活用したらいいんですよと高木さんから教えられた。此処で、ようやく手持ちの米ドルが使える。1ドル、5ドル、20ドル札を多くし、50ドル札は食事用とする。
松田さんからデッキゴルフをしようと電話が入ったとカミサン。下船するので欠席を伝えなくてはと後部デッキに走る。僕の代わりに長野夫人が参戦して6人で始まった。組み合わせは、白の菅谷・鬼界・松田組に対して、赤の工藤・長野・草浦組となった。ハードヒッター揃いの白組が案外、コツコツ組に負けることがあるかもしれないから、結果を楽しみにしていますと言い置いて下船する。
今日の通船出口は、1階からだ。アシスタント・ツアーコンシェルジュが時刻表のコピーを手渡そうとタラップ前で待っていてくれた。素早い対応にお礼を言う。
テンダーボートに乗り移る際、上下左右にステップが揺れる。波が荒い。午後のツアーに出る松田サエ子さんは大丈夫だろうかと気になる。
06年世界一周クルーズ時、下船客のケアをしていたフィリピンスタッフのエリーは、腕を折りそうになった。強い打撲で病院に行ったほどである。にっぽん丸の評判は、両足の弱った船客でさえ、スタッフが懸命な支えをして、
異国の土を踏みたいという望みを叶えさせてくれる。その蔭でスタッフが怪我をしていることを船客は知らない。
左手前方にある木造建築物が、パイオニア・インというホテルだろう。カミサンがガードマンに、バニアンの樹は何処かと訊ねた。
親切にも一緒に歩き出した。10歩も歩いて先を指さした。目の前の公園の右奥に大樹があった。ハワイ最大の高さ約18mが涼しい木陰を創っていた。台湾でよく見た、太い幹から何本も枝が伸びて蔓が何十本と垂れ下がっているガジュマルの樹と同じ風景だ。バニアンの下で記念写真を撮った。日曜日なので、モンマルトルの丘のように、地元のアーティストたちが描いた絵が
展示即売されてあった。ぐるりと回ってみたが、買って飾りたいほどの絵は見つけられなかった。
これまで寄港地で絵を買ってきた。著名なアーテゥストの絵などはそうそうに買えない。僕が好んで買うのは、名もない画学生の、画家の卵の絵だ。いま家に掛けて絵は、20年前のNY近代美術館前の路上で売っていたペン画のNY俯瞰図だ。WTCが描かれてある。タイのホアヒンでは、夜見世で小さな水彩画を買った。クルーズの寄港地では、サンクト・ペテルブルグの橋の上で、画学生からエルミタージュ宮殿の雪景色を。ゴッホ美術館前の公園で、跳ね橋の絵を。ジュノーでは、樹木の中に隠れている熊の絵を3年越しで買った。旅の想い出にする絵が、残念ながら今回は一枚もない。
駅に向かおうと道路を横切ると、商店街を歩く高嵜さんと出会った。「あ、萩原さんのチケットも一緒に買って置きますから、どこかにいる高木夫妻を探して連れて来てくださいよ」そう片手を振って、すたこら去っていった。カミサンをそのまま駅に向かわせて、僕は元来た道に引き返す。公園から船着き場、商店の中を覗きながら早足で歩く。しかし、背の高いあの白い帽子姿が見つからない。
結局、カミサンに追いついた。海岸道路に妙なバス停を見つけた。ベンチに旅行鞄が置いてある。大きな靴が脱ぎ捨ててある。妙である。カミサンを座らせた。合点がいった。奇縁写真を撮らせようという、トリッキーなPRツールだった。いかにも、ジョーク好きなアメリカ人の仕掛けである。張りぼての書き割りに顔を出させるような日本の観光地も、見習ったらいい。1本取られた!
しばらく先を歩き、右折してポストオフィスから、シアターを通り抜けた。南北に走る2km程のフロント・ストリートは、なんだか、ケアンズの街のように、懐かしい雰囲気がする古い町並みだ。それにしても、高木夫妻の姿がどこにも見えない。
古いシュガートレインが展示された奥に、停車場と言っていいほどに秘やかな小さな駅舎があった。大きく右折してトレードセンターを通り、ようやく駅に辿り着いた。どうやら、普通の観光客ならタクシーを走らせる距離のようだ。これまで、僕らは一度もタクシーに乗らないできた。10時15分だとカミサンを急がせたが、僕の読み間違いだったことに気付く。悪かった。ひさしぶりに南半球から上がってきたせいか、汗ばんだ。紫外線も強そうだ。


しばらくすると、探し回ったことも知らずに、高木夫妻が姿を現した。行き違いはあったが、ともかく今度の列車には間に合ったのだからと安堵した。
高嵜さんは、シニア料金に団体
優待まで交渉してチケットを買って
くれていた。日本人は、言うべきことを言わないからいけない、と笑いながら、チケットを渡してくれた。確かにそうだ。ピカソ美術館で、シニア優待があるのに、カウンターの係員は何も言わなかったことで、クレームをつけたことを思い出した。
売店では、シュガートレインに因んで商魂たくましくトーマスのTシャツを売っている。日本で買えばいいはずなのだが、孫の稜が喜ぶぞと、まだ生まれてこない次男の子供の分とで二枚を買ってしまう自分を笑ってしまった。辺りを散歩していると古今亭菊の丞さんが独りで歩いてきた。ちょっとばかし、面白い写真を撮りましょうと誘った。パチリ。やが
て、そのトーマスに似た汽車がホームに入ってきた。いつの間には、ホームには、にっぽん丸の自由行動組が多く集まっていた。囲碁の山本正人先生もいた。あの場所を他の人にも教えた。バラバラとその樹の下に走り出した。女性達は怪訝な顔をしているが、帰ってきた男共は、にやついている。
今は観光列車となったシュガートレインが、シュシュッポッポと、ゆっくり走り出した。サトウキビプランテーションが全盛だった頃は、収穫したサトウキビを運んだ列車を観光用に再現したものだ。住宅地を
走り抜けると、道路よりいくらか高台になった線路は、左の海岸線に平行してプウコリイ駅まで続いている。ウエスト・マウイを列車から楽しむのだ。ラナイ島やモロカイ島の間に飛ぶパラセールを眺めたり、カウナパリゴルフクラブの中を通り抜けたりしながら、やがて沖から眺めていたあのホテル群が近づいてきた。ハワイのマスタープラン
リゾートの代表例だそうだ。カアナパリのコースは狭いから難しいぞとプレイしたらしい誰かが言っていた。ゴルフ場を中心に、シェラトンからリッツカールトンまで集まり、ショッピングセンターからコンドミミアムが、オアフよりも贅沢でゆったりしているとも聞いた。白砂のビーチは、「黄金海岸」と言うらしい。
ミクロネシア、ポリネシアだけではなく、此処にも、先住民の生活を変えさせたのはアングロサクソンたちだった。
ハワイ諸島を統一したカメハメハ大王が、王朝の拠点として首都を構えた年に、アメリカの捕鯨船が来航した。以来、1850年代にアメリカの捕鯨船団の基地となったことで、急速に西洋文化が入り、学校や教会が建ち、英語教育まで盛んになったという。伊豆下田の黒船事件が、このマウイ島では王制の衰退も早めたことになった。
車窓からホエラーズ・ビレッジを見下ろした。下車しないぞと、カミサンに合図した。往復チケットのまま、再び同じ風景を引き返した。既に12時30分を回っているので、昼食を何処かで食べたい。
駅から、ラハイナ港の商店街に向かって歩き出した。傍に歩み寄ってきた山本先生が、「何も考えていないので、一緒させて下さいよ」ぼそっと言う。「ええ、勿論どうぞ。おそらく、高嵜夫妻、高木夫妻共々同じでしょうから、一緒に食べましょうや」
高嵜さんは、群れから一歩先を歩いている。その後ろをこれまた、僕が独り歩いている。歩きながら昼食を取る店を探す。パパラウラ・ストリート角の「サイゴン」も「マクド」もパスした。そしてパナエワ・ストリートのシアターを通り過ぎた。高嵜さんに「海岸通りには、多くありましたよ」と僕。フロント・ストリートに出る。角に「ロンギーズ」があるが、目の前のシュリンプが売り物の店の前で、記念写真を撮りましょうと、高嵜さんを誘う。例のベンチで座らせる。喜んでくれた。何人かが記念写真を撮った。結局、この店「ババガンプ・シュリンプ・カンパニー」で昼食をすることになった。まんまと、広告屋がこのしかけに乗せられたのだ。
舗道に張り出したカウンターで、7人の席が創れるかどうかを訊く。
「5分待ってくれますか」ヘッドフォンをつけた彼女が即座に返してくれた。カウンターの側面には『私の約束は約束です』と文字が書いてあるではないか。「いいよ」。仲間に伝えて、周辺をぶらつく。
時間になった。海を眺められる席が空く。遠くに見慣れた赤いファネルから、蒸気
が立ち上っている。毎週ハワイ4島巡りの定期客船「プライド・オブ・アメリカ」(ノルウエイジャンクルーズライン)が、この港に停泊していたら、我々のにっぽん丸も小さくなっていたかも知れないが、今は、
どこの客船も投錨していないので、誇らしげに見える。
この店の店内は、格言のような言葉が壁や梁に書き込まれ、至る所の柱に
は、各州の車のナン
バープレートがベタベタと打ち付けられてある。 観光客は、自分の州を見つけては指さして楽しんでいる。

呼んでもウエイターが来ないほどに繁忙を極めている。待つ間、寄せては返す波の音が快い。考えてみれば、海の上で生活してきているが、規則正しく浜に打ち上げる波音を耳にすることはなかったからだ。ローカルビアをオーダーしたが、この店には置いてなかった。ハイネケンのドラフトビアとなった。
クラム・チャウダーに、チキンの唐揚げ、小エビのフライとガーリックトースト、そしてオニオン・リング。塩分制限で口にしていなかった、大好きなクラム・チャウダーを今日ばかりは許して貰った。オニオン・リングよりオニオン・グラタンスープが欲しいくらいだ。大きなシュリンプは頼まなかったが、小エビでも店の名前をつけるだけあって美味い。
しかし、
ここのオニオン・リングよりは、マイアミ生まれのリブレストラン、三番町の「トニー・ローマ」のほうが、カラッとしていて断然美味い。それでも結構なボリュームだった。7人でシェアーして夫婦で約60ドル也。
食後はショッピングで各自ばらつく。カミサンのスカート探しだ。ウエストギャザーにゴム折り込みのスカート。フラダンスの先生が身につけていたもの。「バウスカート」とかいう。ハワイに寄港したら、捜すことになっていた。
その前に着やすそうなワンピースに手が止まった。
手頃な値段でもあるし、長く着られそうなデザインなので買いなよとカミサンに勧めた。そして、ゴムスカートである。あった。あった。ようやく1軒だけあった。カミサン、迷っている。ラストクルーズだから後悔しないように2本共買ってしまえと背中を押した。高いものではないが、日本で探すほうが大変そうだった。
歩きっぱなしだから、いつもならカミサンはこういう。「珈琲飲みたい」。ところが今日は、「あ、ハーゲンダッツ!」。シェイクとスヌージーのカップをそれぞれが口にしながら、港まで戻った。テンダーボートを待った。
税関員は手荷物すべてとボディチェックを怠らなかった。ただ、妙だったのは、「パイオニア・イン」にレンズを向けたところ、女性の税関員に撮影を禁止された。
通船に乗り込みだしたので、彼女に制止された理由を聞き出す時間はなかった。1901年にオープンしたホテル&レストランで、50年代までは西マウイにある唯一のホテルだった。今でも当時の木造建築で、捕鯨で栄えた当時の写真や道具が飾られているとか。1階はショップが入り、2階は客室だと聞いていた。不快な気分と疑問が残ったまま、帰船した。
18時に出港した。20分後、船は予想に反して朝の航路に戻りながら、ラナイ島の下を左折して外洋に出るようだ。
夕食時にカミサンの胃の調子が良くない。夜食を食べることにするというので、独りでレストランに出る。松田夫妻と同席をお願いした。そして、朝のデッキゴルフの戦果を聞いた。なんと、菅谷・鬼界・松田組が工藤・長野・草浦組との初戦は侮って敗れたという。結局1勝1敗のドローに戻しましたよ、と苦笑い。松田さんが出掛けるとしていた午後のオプショナルツアーは、予定が変更されたという。島内の交通事故で幹線道路が交通止めを喰らって、所定の観光バスが発車時間に間に合わず、急遽、シュガー・トレイン乗車希望者だけを募って出掛けたそうだ。高嵜さんが、鬼界さん送別会食の記念写真を手にテーブルを回って配ってきてくれた。
結局、カミサンは夜食のために、ベッドから出てくることはなかった。23時24分、船は、ついにマウイ島より下の海域に出てしまった。北緯20°14′、西経157°40′である。緯度はハワイ島の上部と同じところまで南下したことになる。明け方オアフ島に入港するための時間調整なのだろうか。
12時。とうとう、オアフ島、ダイヤモンドヘッドの真下南の経度に来てしまった。真っ直ぐ北上するのだろうか。見届けずに横になる。
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