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2007年9月

2007年9月24日 (月)

07.06.04. ホノルル寄港 1

0604_1p1020499 650分、ホノルル入港直前、左舷の先に大きな虹が架かって、出迎えてくれ た。航路の軌跡を見ると、予定通り、ダイヤモンドヘッドを回り込んで来たようだ。速力は67ノットに落ちている。北緯21°16′、西経157°52′、天候は晴れとはいうものの、低い雲の切れ目から青空が覗いて様子見を決め込んでいるようだ。

 716分、左舷に、真っ白いコーストガードの船が見えてきた。P102050327分、ジグザグ型の姿をした真新しい高層P1020525_2 ビルが建ち並ぶ手前に、19世紀の船旅でシンボルとなったアロハタワーの下、ピア10に接岸した。

 


カミサンが起きて、いきなり、「日本の旅行社の広告に、1230分発のツアーコースもあったわよ」という。「有り難う、でも諦めた」というと、「そうね、ポリネシアンの辿った航路を走って来たのだから、いいわよね、もう。お父さんの友達、トム・タカナカに連れて行って貰ったときも、広すぎて回りきれなかったわよ」「問題は広さではない。元来、数日間滞在して、時間的に余裕がなければ、行けないとこだってことが判ったのさ」。

実は、ポリネシアン・カルチャーセンター(PCC)へは、朝830分に出発する14時間のツアーコースがある。ところが、呼び物の人気ショーの終演は21時。しかし、タクシーをどんなに飛ばしても、船は既に出港している時間だ。無理だということが判った。

ダイヤモンドヘッドの山頂に登るツアーに最初は行ってみようと思ったが、暑いさなかに汗かいて上がることもないかと止めた。初日はお上りさん宜しく、アラモアナに出掛けて、2日目をゆっくりしようと決めた。

さて、にっぽん丸の用意してくれるシャトルバスは、カラカウア通りのDFSギャラリーに行ってしまう。アラモアナで途中下車させては貰えないようだ。ならばDFSからアラモアナへ2ドルのピンクライン・シャトルバスで引き返すことにした。

朝食に出てみると、がら空きだった。大方の人が既に下船してしまっていた。シャトルバスの9時30分発の第1便は未だだ。ということは、アロハタワー辺りを散策しているのだろうか。

 

Img_2204 Img_2199 朝食後、すぐ下船した。ターミナルビルの壁には、航海時代の玄関口となった船客の華やかな光景が描かれてある。タラップの横には垂れ下がった五色のテープも見える。確か、出港の紙テープ投げは、サンフランシスコ万国博で始まったと聞いた。大量に売れ残った包装用のテープを「テープで別れの握手をしませんか!」と呼びかけた。サンフランシスコ在住のあの日本人は、今なら販促の仕掛けが巧い広告部長だろう。

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  ピア7には、4本マストの「ファルス・クライド」が係留されていて、ピア8には全長70m、4階層の「スター・オブ・ホノルル」が停泊している。「スター・オブ・ホノルル」は、175ドルのサンセットクルーズ船である。

P1020596 その奥には、410日間クルーズの「プライド・オブ・アメリカ」が、長い船体を埠頭に横づけていた。いつか東さんたちと乗りましょうと言い合っていた船だ。8万1000トンで乗客が約2000名に対して乗組員が800名。日本からのフライ&クルーズツアーは、20万円くらいだ。93100トンの「プライド・オブ・ハワイ」(NCLコーポレーション)は、ハワイ市場から撤退が決まっている。ノルウエイジャン・ジェイド」としてリニューアルをし、地中海クルーズに就航するらしい。

 

P1020519Img_6396

日本の高校生の集団が通り過ぎていった。神奈川県立三崎水産高校の研修生達だと言った。実習船が停泊しているのだ。原子力潜水艦と衝突した愛媛丸が頭に思い浮かんだ。あの事件で、森首相の失脚が小泉劇場を開けることになり、日本の政治が変わっていった。

 

にっぽん丸のシャトルバスが来た。DFSに着いた。カミサンは、なにも欲しくはないといいながら、やはり物色している。A4サイズの書類が入るバッグを捜している。随分前に「ロエベ」のビジネスバッグを買ってきたのだが、重いからと、僕の鞄になってしまった。だから軽いバッグが欲しいらしい。いくつかを手に取ってみたが、気に入るものはなかった。地下に降りた。アラモアナに行こうと、ピンクコースのトロリーバスを待つ。そこへ高木夫妻が現れた。ダイヤモンドヘッドを周り、カハラへ行きたいと言うので、ブルーコースを指さした。ワイキキビーチを右左に分かれることになった。

 

撮影で来るときの我々は、アラモアナへはいつも歩いていた。カラカウワ通りを真っ直ぐ、アラワイ運河の橋を渡って、アラモアナホテルの背後から行く。トロリーバスは、多くのホテルを巡回しながら20分も費やしてアラモアナに着いた。ダイレクトに往復するバスはないようだ。17年前には、こうしたトロリーバスは走っていなかった。ワイキキのトロリーバスは、サン・フランシスコのケーブルカーだ。コースを巧く創っているのは、JTBのチャーターバスだった。カードの提示がないと乗せてもらえない。それにしても、JTBのチャーターバスの多いこと。日本観光客を送り込んでいる購買力の凄さを見せつけている。

 

アラモアナのインフォメーションデスクでまず店内マップを貰う。デパートの「ペニー」が無くなったのだから、店舗も変わっているに違いない。ワイキキ側の「メイシー」とダウンタウン側の「シアーズ」を頭に入れる。さて、行こうとしたら、カミサンが足止めされている。

マップをくれた係員が、ヒルトンホテルへ行ってくれれば、記念品を出すと声を掛けたのだ。だらだらとした長い話を聞き終わればなんと言うことはない、コンドミニアムのタイムシェアリング会員募集に誘われたわけだ。貴重な時間を販促に取られるのは敵わない。早々に目的の店「レインズ(reyn’s)」に向かう。

Img_1975 P1040882reyn_spooner ここで「ラハイナ・セイラー」というシグニチャー・パターンのアロハを買うのだ。名前の地、ラハイナに寄港したときで何軒かの店で探しに入ったが、「トーリ・リチャード」のアロハを扱うショップは有ったが、「レインズ」ブランドは見かけなかった。1960年に発売された「ラハイナ・セイラー」は、花のハイビスカス、州鳥のネネ、そして州の旗など、ハワイのシンボルがプリント柄になっている。バックプリントと言われる裏地使いをしたことや、ボタンダウン、プルオーバーといったスタイルは、「レインズ・スタイル」と言われ、ハワイ大学生にも人気がある。ここで、僕の分を買った。レジで会計をする段になって、店員が、偶数着を買えば、今なら20%引きセールをしていると言われた。ええい!と、カミサンと二人の息子、それに孫の分まで無理して買ってしまった。今度は、セールスの巧さに負けた。

 

アロハシャツの元は、宣教師や開拓者が着ていたサウザント・マイルズ。シャツと言われる長旅に耐える丈夫なシャツで裾を出して着ていた。中国系移民の仕立屋が自分の創ったシャツを「アロハシャツ」として商標登録して以来、日系移民も和服をリフォームしたのが、華やかな絵柄を生む結果となったと聞く。それ以前に、日本から移民したムサシヤ商店が着物をシャツにして売っていたとか、浅野さんという88歳の女性が和服をミシンで縫ったものだとか、ノースショアのミウラ・フサキさんが創ったミウラストアがアロハシャツの始まりだとか、ケンイチ・タナカのタナカシャツから生まれたとか、諸説聞かされている。ミウラストアは、雑誌「ポパイ」で紹介されてからは、シェイブアイス(かき氷)の店と言ったほうが判る人が多いかもしれない。いずれにせよ、アロハのカラフルな絵模様は、京都の染め物屋が生地を創っていたことは、本当らしい。

 

Img_1976 P1020548 P1020564 アラモアナのセンターステージで地元のボタンティアグループがショーを始めるというので、降りてみた。MCの男性も素P1020559 P1020566 人。ダンサーも往年の美女軍団。タップもこなすし、ダンスもきれい。年齢の割に脚がきれいなことは驚きである。若かった頃は地元の青年を唸らせたのだろう。各階で見下ろしている観光客たちからも大きな拍手を浴びた。

 

 P1020538旅行にいつも便利している「レ・スポーツサック」を覗いたらとカミサンに勧めた。イラストデザインで面白い物があった。アラモアナ限定品だと書いてある。 DFSでは売っていないものかどうか、確かめてからにしようとなった。

 

ハワイでの買い物はあと2つ残っている。新しいハワイアンCDとABCで買うアロエクリームだ。ロケで毎年来ていた当時は、タワーレコードで段ボールにレコード盤を20枚くらいぴっちり詰めて帰ったものだ。枚数が重くなるほどに、曲げに強くなるという理由からだった。今回は、アラモアナの海側のパーキングに面しているサム・グッディに入った。カミサンは、お気に入りの「ドン・ホー」を、僕は新しいハワイアン・サウンドを店員に選んで貰った。残りは、あとひとつだ。

 

P1020571 P1020583 昼食には、ワイキキの飲茶を考えていたので、ピンクバスを待った。待つくらいならアラモアナ・ビーチ・パークを歩いてみたいとカミサンが言いだした。アラモアナ・ブルッバードを渡ってもマジック・アイランドまでは遠い。鳩が群れていた。カミサンがカメラを向けながら歩きだした。僕はアラモアナ・ブルッバードへ向かって歩いていた。 海辺を歩きたかったのにと言われたときは、もう浜から離れていた。文句を言われながらヨットハーバーを越える。イリカイホテルのラグーンを見せれば納得するかと海側に回ったところ、なんと、ラグーンそのものが工事中だった。仕方なく再びアラモアナ・ブルッバードからフォート・デルッシ公園を通りカラカウア・アベニューに出る。この頃から、腹は空くし、レストランのオーダーストップの時間が気になり出す。振り返れば、カミサンは相変わらず立ち止まっては、花や鳥を撮っている。こういうチャンスは二度と無いと言い張って、急ごうとしない。 P1020589途中、あのセグウエイP1020576が2台走っているのを見た。日本では、公道を走ることが出来ないが、ハワイでは歩道の上だった。クヒオ・アベニューを歩いて、シーサイド・アベニューを右折。
14
10分、ようやくワイキキトレードセンターに着いた。ところが飲茶の店「レジェンド・シーフード」は、14時でクローズしていた。仕方がない。P1020592

向かいのワイキキ・ショッピング・プラザ地下のフードコートに降りる。ままよ!とラーメン屋に入る。なんと、ホノルルまで来て、つけ麺を食べることになってしまった。 ここでスーパードライを抱えるラッキーキャットに出遭った。

最後の買い物にABCストアに入る。例のアロエクリームを買い込もうと店内を探す。ない。店員に、角形のボトルに入ったアロエクリームは今もう製造していないのかと質すと、懐かしそうな顔になって「アレ、イマ、モウナイ。日焼ケシテモ、皮メクレナイ。日焼ケ、キエナイ、アレナイ」「アレ、効き目あるね、何本も買うつもりで来たんですよ」「今コレニナッタ。マウイ・ベーブ。マウイ・ベーブ、日焼ケキエナイ、皮メクレナイ。トライ、トライ!」テスターで肌に擦り込んでみると、あのアロエと同じ感触だった。最初は白い。擦り込んでいくと、透明になって肌に染み込んでいく。「マウイ・ベーブ」の「アフター・ブロウイング・ローション」。これで僕の予定の買い物を終えた。

 

「レ・スポーツサック」を確認するために、今日2回目のDFSに入る。エスカレーターを上がりきったところで、ジャックポットをした。僕が当たったという。ギフト交換券を持ってカミサンが4階に上がる。「ギフト」交換のはずが、ご丁寧にも、もう一度、プラスティックの棒で籤を引けといわれる。棒の先が赤く塗られてあった。新婚らしいカップルが同じことをした。ドリンク券を貰って去った。

しかし、我々の女性担当者は、ヒルトンで面白いことをしているので時間を作ってくれと言う。僕が「面白いことって?」「90分お茶のサービスを受けながら、聴いてくれればいいの」「面白いことって?」もう一度訊く。「リタイアされた方?何処から?東京。え、にっぽん丸で!船客って何人ぐらい?」「面白いことって?」三度訊く。「アメリカ式のプレゼンテーションが、どんなものかお聞き下さいな。今日は時間が終わったけど、明日どうかしら?ヒルトンでコンドミニアムの分譲プレゼンを90分聴いてくれれば、100ドルの購入チケットを渡します」僕が「何処で使えるの?100ドル分は」「ここに戻ってきて使えます。にっぽん丸の方達、何人も昨日100ドル分使ったわよ」「我々には時間が勿体ない。プレゼン90分に戻り30分、下手すれば、貴重な我々の2時間半も費やすことになる。しかも我々は、DFSで14時までに買い終えないと、船で品物が受け取れないからね」こう言い返すと、途端に、これまでのにこやかさが冷め、「お時間ないわね、だったらこれどうぞ」と出されたのは、ドリンク券ではなかった。プラスティックの安っぽい飾り。「ギフト」という言葉は、客を釣るトリッガーだったのだ。

実は、カミサンが勧誘されている間に、秘かにその籤の棒を鷲掴みで抜いてみた。全部といえるほどの数が赤に塗られてあった。リタイアーにはコンドミニアム会員権販売、ハネムーナーにはドリンク券という販促策だったようだ。ABCストア全店の領収書100ドル分でマグカップ1個を進呈という販促のほうが、他愛なくて好感が持てる。

さて、4階から、目的の2階「レ・スポーツサック」へ降りるのだが、すべてのフロアーを回遊しなければ降りられない。下りエスカレーターがそうレイアウトされている。これもショッパーのストア動線の戦術だが、急ぐ者にはなんとも不便だ。

2階の「レ・スポーツサック」に、ワイキキのイラストをデザインした限定バッグはなかった。店員にこのことを訊くと、各店が独自であるという答え。妙な回答である。「レ・スポーツサック」全店でのハワイ限定品であって欲しいものだ。戦術か戦略か、購入意欲を失った。この会社の販売担当役員は再考すべきだなとDFSを出た。無いからといって、もう一度アラモアナ店まで行く気はしない。

1530分発のシャトルバスは、出たものと思って、正面玄関に出た。まだ発車前で停まっていた。幸いにも乗ることが出来た。

 

今日は、良く歩いた。疲れた。だがほんとはカミサンが一番疲れただろうに、僕は夕寝をしたらしい。18時に起こされた。

今日に限って夕食時間が早まっていた。ホテルの宿泊ツアー客は帰って来ないし、外食する人もいるとして、今夜は1回食だという。慌ててシャワーを浴びて、レストラン「瑞穂」に行く。高嵜夫妻が後から来て座る。やはり、夕食を1930分と思いこんでいたようだ。ハナウマベイで泳いできたという。工藤さんが来て、今朝のデッキゴルフ、ベテラン組を倒したと鼻ひくひく。良かった、ミセス長野も長坂さんも明後日から一緒にやりましょうと、健闘を褒め称えた。

P1020620 P1020605 19時からの現地芸能イベントは、子供のドラマーを入れた家族のハワイアンバントとダンサーで魅せてくれた。3人の女性と3人の男性フラは、衣装替えも5回ほどになるくらい、様々なバージョンを踊って演奏してくれた。イプを叩きながらの踊り、羽の付いたウリウリをマラカP1020649 スのように鳴らしての踊り、竹の棒、フィリを肩の後ろで叩く踊りなどを楽しめた。

船でなくホテルにスティしているのなら、気軽にサンセット・フラを見物に行くのだが、港から出ていくのでは遠すぎる。ワイキキ・ビーチでは、デューク・カハナモク像の前のクヒオビーチや、カピオラニ公園前の文字通り、サンセット・オン・ザ・ビーチでのサンセット・フラが見られる。かなり昔、日本の団体様に好評だったコダック・フラは、もう廃止された。夕陽こそ当たらないが、冷房完備のステージで、こうしたファミリアスな現地芸能を楽しめるのも、船の贅沢だ。明日は、そのデューク・カハナモク像辺りのビーチを歩くだろう。カミサンは、かなり若いときに長い間、ホノルルの知人宅にいたので、カハラやハナウマベイに行きたいとは言わない。明日もぶらぶらしよう。

カミサンがガイドブックで「レ・スポーツサック」の路面店を見つけた。シェラトンホテルとトップ・オブ・ワイキキの店だ。明日の出だしは、そのどちらかの路面店に、探しているイラストデザインバッグが有るかどうかで行動の時間配分が変わる。

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2007年9月18日 (火)

07.06.03 マウイ・ラハイナ寄港

目覚めたときは、既に投錨していた。上下の揺れが大きい。風が強いのだろうか。船内でのイミグレ面接がある。早めに朝食に出る。P1030886 P1030887

段々、朝食が簡単になっている。副食に塩分の高いものが多く出ているので、食べるものがない。なかなか僕には難しい。大好きな野菜スープには、煮汁にしっかりカリュウムがしみ出ている。ソーセージなどの練り物は塩分が強い。1日6gというバランスで摂ればいいものの、麺類には眼がないので、そばつゆを避けるわけにはいかない。朝は、オートミールにヨーグルト、それに野菜ジュース、フライドエッグで終わり。

 

面接は、いつも、5階の船客から順に始まる。いま、3階の奇数番号室まで来たとアナウンスがある。最下層、1階の船客までには、まだまだ時間がある。レストランから見る左右の窓の先は、景色が上下している。マウイ島の横は、ラナイ島。晴れていても波が高いのは、島と島との間を風が吹き抜けていると言うことだろうか。マウイ島は西と東2つの陸地が噴火によって繋がった島で、それぞれ、海の玄関ラハイナと空の玄関カフルイに別れている。

島を遠望すると、ヨットのポールが林立しているところが、小型船舶の港だろう。高い煙突の処は、おそらく、サトウキビ工場の跡ではないかとは、デッキにいる船客の声。右手に立派な建物があるが、あれは、古い時代のパイオニア・インであるはずもなく、誰も答えてくれないので判らない。P1020347 長い裾野の左手先にビル群が立ち並ぶ。それこそがカアナパリの有名なハイアットとか、シェラトン、ウエスティングなどなどだろう。山の上に、少し、パームツリーが見える。たぶん位置からすると、カアナパリのゴルフ場ではないか。そこまでシュガー・ケーン・トレインが走っているのだろう。

10kmを30分で走る小型の観光列車が、14本とは、いかにも少ないが、1車両しかないのだろう。それにしても、発車時間に間に合わないときは、シャトルバスを捜さねばならない。ガイドブックで確かめると、白いバスだ。ホロ・カア・トランジット(Holo Kaa Transit)という会社だ。これも、1時間に1本の運行とあるからには、1台のシャトルバスが往復しているのだろうか。料金も良心的に1ドルである。

ハワイロケは多かったが、オアフ島以外はモロカイにしか行っていない。マウイ島は初めての島である。ラハイナは、元ハワイ王国の首都。捕鯨基地としても栄えた街だという。ホエール・ウオッチングの出来るエリアだそうだが、ハワイ島から真夜中の航路だったので、鯨に出遭うことなどはなかった。

 

面接の順番が来た。預けておいたパスポートをスタッフから受け取り、ドルフィンホールでの税関員の質問を受ける。スタンピングされたパスポートは、出口でクルースタッフに再び預ける。こうして、下船入国には、にっぽん丸のボーディングカード(パスポートのコピーも内蔵)を胸にするだけで済むのだ。2階でアシスタント・ツアーコンシェルジュに、シュガー・トレインの時刻表はないかと訊ねてみた。すぐには判らなかった。

昼食も帰船せず、ラハイナの街で取ることに決めた。930分発の最初のテンダーボートで行こう。現地で何か買ったら入れ物に困るからと、黄色いデイバッグは背中に背負うことにする。シャワーキャップも入れた。突然のシャワーからカメラを守るには、その名の通り「シャワーキャップ」を活用したらいいんですよと高木さんから教えられた。此処で、ようやく手持ちの米ドルが使える。1ドル、5ドル、20ドル札を多くし、50ドル札は食事用とする。

 

松田さんからデッキゴルフをしようと電話が入ったとカミサン。下船するので欠席を伝えなくてはと後部デッキに走る。僕の代わりに長野夫人が参戦して6人で始まった。組み合わせは、白の菅谷・鬼界・松田組に対して、赤の工藤・長野・草浦組となった。ハードヒッター揃いの白組が案外、コツコツ組に負けることがあるかもしれないから、結果を楽しみにしていますと言い置いて下船する。

 

今日の通船出口は、1階からだ。アシスタント・ツアーコンシェルジュが時刻表のコピーを手渡そうとタラップ前で待っていてくれた。素早い対応にお礼を言う。Img_1938テンダーボートに乗り移る際、上下左右にステップが揺れる。波が荒い。午後のツアーに出る松田サエ子さんは大丈夫だろうかと気になる。 06年世界一周クルーズ時、下船客のケアをしていたフィリピンスタッフのエリーは、腕を折りそうになった。強い打撲で病院に行ったほどである。にっぽん丸の評判は、両足の弱った船客でさえ、スタッフが懸命な支えをして、0603_9_1p1020484異国の土を踏みたいという望みを叶えさせてくれる。その蔭でスタッフが怪我をしていることを船客は知らない。

 テンダーボートは、救命艇である。いざという時の食料も数日分が格納されている。頼もしい馬力でラハイナ港に白波を蹴立てる。10分ほどで着岸した。コーストガードマンが簡易ゲートを設けていた。ここで初めて上陸と言うことだ。

Img_1705 P1020353_2 左手前方にある木造建築物が、パイオニア・インというホテルだろう。カミサンがガードマンに、バニアンの樹は何処かと訊ねた。 親切にも一緒に歩き出した。10歩も歩いて先を指さした。目の前の公園の右奥に大樹があった。ハワイ最大の高さ約18mが涼しい木陰を創っていた。台湾でよく見た、太い幹から何本も枝が伸びて蔓が何十本と垂れ下がっているガジュマルの樹と同じ風景だ。バニアンの下で記念写真を撮った。日曜日なので、モンマルトルの丘のように、地元のアーティストたちが描いた絵がP1020357 展示即売されてあった。ぐるりと回ってみたが、買って飾りたいほどの絵は見つけられなかった。

これまで寄港地で絵を買ってきた。著名なアーテゥストの絵などはそうそうに買えない。僕が好んで買うのは、名もない画学生の、画家の卵の絵だ。いま家に掛けて絵は、20年前のNY近代美術館前の路上で売っていたペン画のNY俯瞰図だ。WTCが描かれてある。タイのホアヒンでは、夜見世で小さな水彩画を買った。クルーズの寄港地では、サンクト・ペテルブルグの橋の上で、画学生からエルミタージュ宮殿の雪景色を。ゴッホ美術館前の公園で、跳ね橋の絵を。ジュノーでは、樹木の中に隠れている熊の絵を3年越しで買った。旅の想い出にする絵が、残念ながら今回は一枚もない。

 

駅に向かおうと道路を横切ると、商店街を歩く高嵜さんと出会った。「あ、萩原さんのチケットも一緒に買って置きますから、どこかにいる高木夫妻を探して連れて来てくださいよ」そう片手を振って、すたこら去っていった。カミサンをそのまま駅に向かわせて、僕は元来た道に引き返す。公園から船着き場、商店の中を覗きながら早足で歩く。しかし、背の高いあの白い帽子姿が見つからない。

P1020371 結局、カミサンに追いついた。海岸道路に妙なバス停を見つけた。ベンチに旅行鞄が置いてある。大きな靴が脱ぎ捨ててある。妙である。カミサンを座らせた。合点がいった。奇縁写真を撮らせようという、トリッキーなPRツールだった。いかにも、ジョーク好きなアメリカ人の仕掛けである。張りぼての書き割りに顔を出させるような日本の観光地も、見習ったらいい。1本取られた!

しばらく先を歩き、右折してポストオフィスから、シアターを通り抜けた。南北に走る2km程のフロント・ストリートは、なんだか、ケアンズの街のように、懐かしい雰囲気がする古い町並みだ。それにしても、高木夫妻の姿がどこにも見えない。

Img_1741 古いシュガートレインが展示された奥に、停車場と言っていいほどに秘やかな小さな駅舎があった。大きく右折してトレードセンターを通り、ようやく駅に辿り着いた。どうやら、普通の観光客ならタクシーを走らせる距離のようだ。これまで、僕らは一度もタクシーに乗らないできた。1015分だとカミサンを急がせたが、僕の読み間違いだったことに気付く。悪かった。ひさしぶりに南半球から上がってきたせいか、汗ばんだ。紫外線も強そうだ。

P1020383P1020384Img_1754しばらくすると、探し回ったことも知らずに、高木夫妻が姿を現した。行き違いはあったが、ともかく今度の列車には間に合ったのだからと安堵した。 高嵜さんは、シニア料金に団体 優待まで交渉してチケットを買って くれていた。日本人は、言うべきことを言わないからいけない、と笑いながら、チケットを渡してくれた。確かにそうだ。ピカソ美術館で、シニア優待があるのに、カウンターの係員は何も言わなかったことで、クレームをつけたことを思い出した。

 

Img_1753 売店では、シュガートレインに因んで商魂たくましくトーマスのTシャツを売っている。日本で買えばいいはずなのだが、孫の稜が喜ぶぞと、まだ生まれてこない次男の子供の分とで二枚を買ってしまう自分を笑ってしまった。辺りを散歩していると古今亭菊の丞さんが独りで歩いてきた。ちょっとばかし、面白い写真を撮りましょうと誘った。パチリ。やがP1020394 て、そのトーマスに似た汽車がホームに入ってきた。いつの間には、ホームには、にっぽん丸の自由行動組が多く集まっていた。囲碁の山本正人先生もいた。あの場所を他の人にも教えた。バラバラとその樹の下に走り出した。女性達は怪訝な顔をしているが、帰ってきた男共は、にやついている。

 

Dsc02469 P1020415 今は観光列車となったシュガートレインが、シュシュッポッポと、ゆっくり走り出した。サトウキビプランテーションが全盛だった頃は、収穫したサトウキビを運んだ列車を観光用に再現したものだ。住宅地をImg_1835 P1020443 走り抜けると、道路よりいくらか高台になった線路は、左の海岸線に平行してプウコリイ駅まで続いている。ウエスト・マウイを列車から楽しむのだ。ラナイ島やモロカイ島の間に飛ぶパラセールを眺めたり、カウナパリゴルフクラブの中を通り抜けたりしながら、やがて沖から眺めていたあのホテル群が近づいてきた。ハワイのマスタープランP1020386リゾートの代表例だそうだ。カアナパリのコースは狭いから難しいぞとプレイしたらしい誰かが言っていた。ゴルフ場を中心に、シェラトンからリッツカールトンまで集まり、ショッピングセンターからコンドミミアムが、オアフよりも贅沢でゆったりしているとも聞いた。白砂のビーチは、「黄金海岸」と言うらしい。

P1020492 ミクロネシア、ポリネシアだけではなく、此処にも、先住民の生活を変えさせたのはアングロサクソンたちだった。 ハワイ諸島を統一したカメハメハ大王が、王朝の拠点として首都を構えた年に、アメリカの捕鯨船が来航した。以来、1850年代にアメリカの捕鯨船団の基地となったことで、急速に西洋文化が入り、学校や教会が建ち、英語教育まで盛んになったという。伊豆下田の黒船事件が、このマウイ島では王制の衰退も早めたことになった。

 

P1020435 P1020425 P1020441 車窓からホエラーズ・ビレッジを見下ろした。下車しないぞと、カミサンに合図した。往復チケットのまま、再び同じ風景を引き返した。既に1230分を回っているので、昼食を何処かで食べたい。

駅から、ラハイナ港の商店街に向かって歩き出した。傍に歩み寄ってきた山本先生が、「何も考えていないので、一緒させて下さいよ」ぼそっと言う。「ええ、勿論どうぞ。おそらく、高嵜夫妻、高木夫妻共々同じでしょうから、一緒に食べましょうや」

高嵜さんは、群れから一歩先を歩いている。その後ろをこれまた、僕が独り歩いている。歩きながら昼食を取る店を探す。パパラウラ・ストリート角の「サイゴン」も「マクド」もパスした。そしてパナエワ・ストリートのシアターを通り過ぎた。高嵜さんに「海岸通りには、多くありましたよ」と僕。フロント・ストリートに出る。角に「ロンギーズ」があるが、目の前のシュリンプが売り物の店の前で、記念写真を撮りましょうと、高嵜さんを誘う。例のベンチで座らせる。喜んでくれた。何人かが記念写真を撮った。結局、この店「ババガンプ・シュリンプ・カンパニー」で昼食をすることになった。まんまと、広告屋がこのしかけに乗せられたのだ。P1020462舗道に張り出したカウンターで、7人の席が創れるかどうかを訊く。
5分待ってくれますか」ヘッドフォンをつけた彼女が即座に返してくれた。カウンターの側面には『私の約束は約束です』と文字が書いてあるではないか。「いいよ」。仲間に伝えて、周辺をぶらつく。P1020487

時間になった海を眺められる席が空く。遠くに見慣れた赤いファネルから、蒸気 が立ち上っている。毎週ハワイ4島巡りの定期客船「プライド・オブ・アメリカ」(ノルウエイジャンクルーズライン)が、この港に停泊していたら、我々のにっぽん丸も小さくなっていたかも知れないが、今は、 どこの客船も投錨していないので、誇らしげに見える。Img_1891_2 P1020473この店の店内は、格言のような言葉が壁や梁に書き込まれ、至る所の柱に は、各州の車のナン バープレートがベタベタと打ち付けられてある。 観光客は、自分の州を見つけては指さして楽しんでいる。  

 P1020465
  呼んでもウエイターが来ないほどに繁忙を極めている。待つ間、寄せては返す波の音が快い。考えてみれば、海の上で生活してきているが、規則正しく浜に打ち上げる波音を耳にすることはなかったからだ。ローカルビアをオーダーしたが、この店には置いてなかった。ハイネケンのドラフトビアとなった。
P1020475クラム・チャウダーに、チキンの唐揚げ、小エビのフライとガーリックトースト、そしてオニオン・リング。塩分制限で口にしていなかった、大好きなクラム・チャウダーを今日ばかりは許して貰った。オニオン・リングよりオニオン・グラタンスープが欲しいくらいだ。大きなシュリンプは頼まなかったが、小エビでも店の名前をつけるだけあって美味い。Img_1912しかし、Img_1911ここのオニオン・リングよりは、マイアミ生まれのリブレストラン、三番町の「トニー・ローマ」のほうが、カラッとしていて断然美味い。それでも結構なボリュームだった。7人でシェアーして夫婦で約60ドル也。

 

P1020365 食後はショッピングで各自ばらつく。カミサンのスカート探しだ。ウエストギャザーにゴム折り込みのスカート。フラダンスの先生が身につけていたもの。「バウスカート」とかいう。ハワイに寄港したら、捜すことになっていた。

その前に着やすそうなワンピースに手が止まった。P1020488手頃な値段でもあるし、長く着られそうなデザインなので買いなよとカミサンに勧めた。そして、ゴムスカートである。あった。あった。ようやく1軒だけあった。カミサン、迷っている。ラストクルーズだから後悔しないように2本共買ってしまえと背中を押した。高いものではないが、日本で探すほうが大変そうだった。

歩きっぱなしだから、いつもならカミサンはこういう。「珈琲飲みたい」。ところが今日は、「あ、ハーゲンダッツ!」。シェイクとスヌージーのカップをそれぞれが口にしながら、港まで戻った。テンダーボートを待った。

税関員は手荷物すべてとボディチェックを怠らなかった。ただ、妙だったのは、「パイオニア・イン」にレンズを向けたところ、女性の税関員に撮影を禁止された。P1020360 通船に乗り込みだしたので、彼女に制止された理由を聞き出す時間はなかった。1901年にオープンしたホテル&レストランで、50年代までは西マウイにある唯一のホテルだった。今でも当時の木造建築で、捕鯨で栄えた当時の写真や道具が飾られているとか。1階はショップが入り、2階は客室だと聞いていた。不快な気分と疑問が残ったまま、帰船した。

 

18時に出港した。20分後、船は予想に反して朝の航路に戻りながら、ラナイ島の下を左折して外洋に出るようだ。

 

夕食時にカミサンの胃の調子が良くない。夜食を食べることにするというので、独りでレストランに出る。松田夫妻と同席をお願いした。そして、朝のデッキゴルフの戦果を聞いた。なんと、菅谷・鬼界・松田組が工藤・長野・草浦組との初戦は侮って敗れたという。結局11敗のドローに戻しましたよ、と苦笑い。松田さんが出掛けるとしていた午後のオプショナルツアーは、予定が変更されたという。島内の交通事故で幹線道路が交通止めを喰らって、所定の観光バスが発車時間に間に合わず、急遽、シュガー・トレイン乗車希望者だけを募って出掛けたそうだ。高嵜さんが、鬼界さん送別会食の記念写真を手にテーブルを回って配ってきてくれた。

 

 

結局、カミサンは夜食のために、ベッドから出てくることはなかった。2324分、船は、ついにマウイ島より下の海域に出てしまった。北緯20°14′、西経157°40′である。緯度はハワイ島の上部と同じところまで南下したことになる。明け方オアフ島に入港するための時間調整なのだろうか。

12時。とうとう、オアフ島、ダイヤモンドヘッドの真下南の経度に来てしまった。真っ直ぐ北上するのだろうか。見届けずに横になる。

 

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2007年9月16日 (日)

07.06.02 ハワイへ5

710分。船は、フルスピードで航行中だ。202ノットが出た。北緯15°25′の位置である。進路は徐々に右に傾斜し始めた。幸いにして波はさほど高くない。遠くで白波が立つくらいで、軽快に走り抜けている。

『南緯15°42′、西経155°31′、やや東の方に進路を振りました。ハワイ島まで350kの地点に来ております。速力195ノット、時速35k、天候は、東北東の風14m、気温245℃、水温261℃、波の高さ約15m。

夕方に、ハワイ島南東部のキラウエアに近づきます。日没は1805分。ハワイ島を観ることができるのは1930分。20時頃には、溶岩流の開口部を探して周回したいと思います。ハワイ島には、大きなカルデラを持つ火山のマウナウ山1427mが東南部にあります。河口部は、10k平方メートル。「永遠の火の山」と言われ、現在も1983年以来の噴火活動が続いております。

明朝3日の朝6時、ラハイナ沖合に投錨、テンダーで官憲署員を迎えに行きます。船内で入国審査を受け、9時下船許可となる予定です。夕方、18時錨を上げ、明後日、6時ダイヤモンドヘッド沖を通過、7時にはパイロットを乗せ、8時ホノルル港着岸。因みに、明日のラハイナの天気は晴れ、最高気温31°、明後日のホノルルも晴れ、30℃となっております』

 

朝食後は、デッキゴルフのスタッフ対抗戦である。4人の内1名は女性スタッフというのが条件だった。ところが蓋を開けてみると、女性は業務の多忙で調整がつかなかったようだ。急遽、3人対3人となった。

阿弥陀くじでの我々の選抜チームは、菅谷キャプテンの下、鬼界、草浦となったようだ。女性の不参加のため、残念ながら我々の松田サエ子さんが外れざるを得なくなった。サエ子さんは、昨日から、この対抗戦選抜選手としての緊張の余り、胃薬を多用していたと聞かされた。出馬しなくなったという安堵感よりも、むしろ、女性不出場の情報確認を前日にでも知らせてくれれば、胃も痛くならなかったのにと、残念がった。今朝までスタッフ側は、イベント準備の時間調整をしていたらしい。確かに、スタッフ対抗戦は、特別の緊張感だ。

昨年の対抗戦では僕も相当な緊張感を持った。チームが負けたら、キャプテンがメンバー全員へビールというペナルティを科せられていた。ビールは兎も角、毎朝プレイを重ねてきたジジババ組が、忙しく立ち働いていて、練習時間もない若いスタッフに負けるわけがないという自負があった。デッキゴルフのメンバーにも恥ずかしい思いはさせられないという責任感があった。結果的には勝ったのだから笑ってビールを飲んだが・・・・。

 

試合は、9時からスタート。3番ホール抜きの10時アップとした。スタッフメンバーは、強烈で確実なショットを打つカクジツ田実君、毎日午後のデッキゴルフ教室のインストラクターとして打ち慣れている場数の黒川君、5年ぶりだというが、運動神経が高そうな未知の高嵜君という3名。

対抗戦のジャッジを引き受けた。今回のスタッフのショットはパワフルだった。Img_16742番ホールから4番の距離が2ショットでクリア出来たり、4番ホールから5番への最長距離が、ホールの真横にまでショットして来たりするからだ。エリアの中に安全圏などないほど、何処にいても狙われたら、リンクの外へ弾き出されるのだ。命中すると、その衝撃度が凄い。パックが傷む。

彼らの全員が5番ホールをクリアして権利玉になった時点で、我々ジジババ、いや老練なImg_1680 船客選手の権利玉は、僅かに独りしか通過していなかった。固まって動く日本式捕鯨船団か、それとも、個人が独走する米国式先攻ロケットかと、昨日予測していた点からすれば、スタッフの戦法は、圧倒的なアメリカ型だった。面展開を意識した我々のパックは、固まっていたことが、返って不利になり、馬力のある高崎君に集中攻撃された。P10201741 試合は、なんと予定の半分、30分で片が付けられた。

2試合が出来るとして、雪辱戦をすることになった。メンバーが、萩原、塩野、工藤となった。これまた、不甲斐なかった。高嵜ロケット砲で遊ばれてしまった。平均年齢27歳くらいだろう。こちらの平均年齢は、70歳を越える。しかし、悔しい。航海中に、メンバーを組み立て直して再挑戦しないことには、船を下りられない!

 

敗因は、伏兵高嵜君の戦闘能力を侮ったのではない、知らなさすぎたことだった。あの右腕で送り出すショットは、これまでの誰よりも強い。しかも、胸の前にある位置からスティックのトップを送り出す振り子の幅がコンパクトなのだ。スナップショットがあれほど強いとは、感心するほかない。野球の投手とか、アメフト選手がボールを掴む鍛え上げた握力なのか…。高嵜君を封じる弱点を考えることにする。

 

昼食を終えると、カミサンのフラダンス教室の発表会が「海」で行われる。P1020181夫が、ノコノコとカメラを手に出ていくのも照れるが、ラストクルーズとあっては、記念に撮っておいてやらないわけにもいくまいと、6階に上がる。さすがに応援団がおおいせいか、前席はおろか、大半が埋まっている。奥の位置に幸い、空き席があった。 ウクレレ教室の演奏もフラのステージにも、まあまあ撮れそうなポジションだった。背中には、高嵜廣子さんや和田希公ちゃんが座った。「巧く撮ってあげてね」背中を叩かれた。益々照れて早く終わらないかと焦った。

P1020179

P1020188 ウクレレ教室の受講生による合奏から始まった。フラを習っている野村道子さんは、この教室でウクレレも買ったという入れ込みようだ。僕らの大学1年の時代には、オッパチ節夫(当時、粋がって大橋節夫をこう呼んでいた)やポス宮崎などのステージがいつもある喫茶店によく通ったものだ。下宿では、ルームシェア(当時は同宿といっていた)の友人と、ラジオから「プティット・フルー(ザ・ピーナッツ)」が流れてくると慌ててパイナップル型のウクレレを握っていたものだ。今、目の前で奏でている方々は、それより少し先輩達だ。ウクレレには、青春の心地よい響きがある。

P1020202_3 P1020214 ウクレレ受講生だった水本カメラマンは、今日はカメラを構えている。僕の脇で、片膝立ててて、ワイドと望遠の2台を使い分けていた。平野カメラマンは、必死になってフラダンスに参加しているお客様の顔写真を撮りまくっている。たしかに、売れる写真のチャンスである。きれいに撮られていれば、出演者は買うのである。

しかし、背後から、突然、カメラマンの平野君に、観客の男の声が浴びせられた。「立つなよ、こら!撮れないじゃあないか!立つな!…立つなっていうんだ!」自分の奥さんを撮っているに違いない。その声の方が、場をしらけさせていることに気付いていないのだろうか。

ああ、こうしたケースが06年次の世界一周クルーズで起きたプロカメラマン無視の事件だったのかと思い当たった。メインショーで客から出されたクレームだった。

添乗しているプロのカメラマンは、クルーズの記録として、クルーズの楽しさを伝えるウエブ掲載の素材として、船側から撮ることを託された業務であるにも拘わらず、船客から叱責を受けたのだ。船客はカメラマンの職務を咎めたのだから、これは暴言である。ストロボも光らせていなかったから、アーティストの邪魔にはならなかったはずであった。シャッター音が耳障りで音楽が楽しめないと小言を言ったらしい。その船客は、どれほど耳の肥えた方だったのだろうか。しかし、06年次は、素人の客の意見に船側が譲歩してしまった。カメラマンは憮然とした。しばらく、メインショーにカメラマンの姿はなかった。そのイベントの写真は、フェアウエルパーティの会場で上映されるスライドショーに欠けた。

今日の席でも、船客のデジカメは、見たところせいぜい3倍。しかも、両手を高々と前方に上げて、奥様のフラ姿を追いかけている。後ろの席に観客がいることすら忘れている。自働フラッシュがパカパカ光っている。ステージに届く光の強さはないのに、である。平野カメラマンの写真を買うことの方が賢明だろうと思ったのだが・・・。

こういう経験は、浅草のサンバ祭りでもあった。パレードの中で羽を背負ったパシスタを撮ろうと狙いをつけてアングルを決め、いざシャッターを押そうとする段になって、斜めから両手が何本も突き出される。手の先にはコンパクトデジカメと携帯電話のカメラが林立していた。結局、その百種観音のような手に遮られてシャッターチャンスを逸することが何度もあった。いかなるズームレンズも、二の腕が被写体の前に出てきては為す術もない。船内のプロカメラマンには、せめてアングルポジションをあげようではないか。シャッター音もリズムを刻めとは言い難いではないか。

演奏演舞が終わり、受講生全員がステージに立ち揃った時、僕は立ち上がって、出口近くで12倍ズームをパチリとやって、早々にエレベーターで降りた。

 

P1020233

夕食は、ホノルルで下船帰国する鬼界さんのための送別会食である。本来、高嵜さんが狙っていたのは、鬼界さんが対抗戦に勝ちを収めての祝勝会も兼ねさせたかったはず。この弔い合戦は、残った我々が後日、リベンジを申し入れる。

 

18時、弦楽四重奏をドルフィンホールに聴きにいく。「のだめ」出演の玉木宏にオリンの指導をしたというリーダーの須磨和声は、自称クラシック界のハンカチ王子として、照れながら、その動作を繰り返す。武蔵音大出身でもショーマンシップは未だ未消化だが、アレンジは聴ける。

アンコールが終わると同時に、8階デッキに上がる。風が強い。まだ、ハワイ島の溶岩流の白い煙が遠望できるが、カメラに収める位置までに船は近づいていない。0602p1020244 0602p10202690602p1020288





12倍のズームで覗けば、赤い火はチロチロと見え隠れするが、船の揺れで、フレームを外れる。火がネオン管のように糸をひく。日没前にもっと近づいていれば撮れるのだが、辺りが暗いため、シャッタースピード優先でも光が流れる。これは、ニューヨークを出港した時の自由の女神の灯りを巧く撮れなかった揺れと同じだ。波の上下の揺れに、船のスピードによる被写体の流れ、これは、アマチュアレベルのカメラの手ぶれ限界だろうか。レストランに行く時間が迫った。残念ながらその場を去る。

 

P1020298P1020312 1920分、右舷側のレストラン奥座敷に19人の席を創って貰っている。鬼界さんの送別会に、長坂夫妻も参加して、すべてメンバーが参集したことになった。 塩野さんがシャンパンを2本提供してくださった。塩野さんの乾杯の音頭で、大いに盛り上がった。草浦さんが鬼界さんの手を取って、なにやらご機嫌だ。ようやく、デッキゴルフ仲間の空気が出来た。これも鬼界さんの下船という、思わぬことが作りだしてくれたものだ。

P1020308 P1020307 P1020306

3つのテーブルに別れたが、我々のテーブルには、高木夫妻と草浦夫妻。これも、阿弥陀くじで席順を決めたのだが、期せずして名古屋関係が顔を揃えた。草浦さんは、21年間名古屋転勤族だったし、おまけに、覚王山のマンションということでは、僕と同じエリアに生活していたので、話は合う。そこへ、高木さんが、覚王山の「英国屋」へ紅茶を買いによく行っていたというので、またまた草浦さん大喜び。

Img_6255 Img_6266 明日も午前中デッキゴルフをしようという工藤さんに、高嵜さんからは官憲が乗船するから自粛した方がいいのではないかと意見が出た。

 

孫の出産状態が気懸かりで、5階のライブラリーのメールを開ける。無かった。帰りがけに、ドルフィン・ホールでの夜のダンスタイムを覗いてみた。P1020343身のこなしが巧い男性が独り眼についた。曲がマンボになったら、 P1020324 彼は、3人の女性を相手に踊りだした。男性の姿は二人の教師を含め、5人。それに引き替え、女性は、156人。ホールに出て踊っているカップルは従って、疎らである。生バンドが勿体ないなと思いながら、6階から写真を撮って帰る。

 

船は、ハワイ島の下、南東部から北西へ大きく回り込み、その先のマウイ島の下、南部から再び斜め北西へ上がりラハイナへというコースらしい。

現在、2435分、北緯20°12′、西経15529′で、ハワイ島の北を抜けようとしている。

 

明日のラハイナではシュガー・ケーン・トレインに乗りたいわと宣うカミサンの要望で下調べをする。列車は、カウナ・パリ・ゴルフ場までの6kmをゆっくり2時間かけて、毎日4本走らせているという。約20ドル。その駅までは港から徒歩5分かかる距離だということまでは判った。ツアー組は、午後の乗車チケットの予約が取れている。あ、そうだ。バニアンの樹も観たいと言っていたな。我々は出来るだけ早く下船して、駅で直接チケットを買おう。

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2007年9月12日 (水)

07.06.01 ハワイへ4

5時に目覚め、730分に顔を洗う。海は白波が立ち、少し荒れ模様。船は、184ノットだから、少し抑え目だ。進路は変わらず、直線で北上。空は、青霞のように、うっすらと眠い。

『風が強くなっております。北緯8°02′、西経156°43′、進路は9°。ハワイへ1200kの位置にいます。速力18.5ノット、時速34k、天候は晴れ、東北東の風15m、右横の風ですので、デッキへの出入りで指を挟まれないように気をつけてください。気温265℃、水温275℃、波の高さ約2m。北東の貿易風が吹き荒れています。

明日の夜、21時前後、キラウエア火山の近くで溶岩流が見られるかと思われますが、ラハイナへの入港時刻を考えますと、短い時間しか留まれないかと思います。ラハイナの天候は。晴れ、気温31℃』

 

「指を挟まれないように気をつけてください」は、03年次の大西洋横断の荒れた海を思い出す。自室の洗面所で背中のドアがいきなり開いた。きっちり閉めていなかった。軽い気持ちでドアの取っ手に手をかけたときだった。生き物のようにドアが噛みついてきたのだ。不意を喰らって大声を上げてしまった。切られたかと思うほどに痛みが手全体に来た。見事に右手の親指は紫色になり、指の肉は衝撃で凹んでいた。この痛さで暴れ馬のような大西洋の怖さを知った。木造船でピュリタンが新大陸を目指した時代の苦難を想うにぞっとしたものだ。尤も、06年次の大西洋横断は余りにも拍子抜けの平穏な波浪だった。さらにクルーズのベテランになると、揺れない船なんて乗っていて面白くないわよと笑われる。その彼女が今回は乗船している。横浜の元女医さんである。

 

Img_1606 その波が荒いデッキにレギュラーは全員集まった。先攻白の松田、工藤、鬼界、塩野+αに対して、赤は高嵜、菅谷、萩原、草浦、松田サエ子。αというのは、不足した人数を補うために、順番を交互に替わるのだ。

鬼界さんが3番ホールで、松田さんが4番ホールで留まっていたので、工藤さん、塩野さんの二人に菅谷、草浦、萩原が囲まれて集中攻撃を受け遅れてしまう。終盤ホームの周りは、菅谷・萩原の二人に対して白は誰もゴールしないまま、工藤、塩野、松田、αが残っていた。だが、多勢に無勢。フレームアウトを繰り返している間に連続ゴールされ、負けた。工藤さん、草浦さんの二人から早くもホールイン・ワインが出た。

 

メールをチェックしたが、ヒートアップしてくれるなと心配の忠告メールが1本入っていた。次男は、日本から直接電話をしてきた。然し、まだ出産したわけではなかった。竹の塚のご両親も、上野にいる義妹も、この若い夫婦のために一日おきにカッパ橋のマンションに顔を出し、面倒を見てくれているようで、日本を離れている我々には、有り難くもあり、申し訳なくもある。

ようやくNHKTVが観られるようになった。九州は梅雨に入ったという。熱海に住んでいたらしい石立鉄男が死去。享年64歳だった。

 

昼食は、松田夫妻、高嵜夫妻と横並びに座った。食事が終わったのを見計らって「鬼界さんハワイ下船送別会」を検討し、63日、ラハイナ寄港の夕食時とした。19名の同席を平チーフマネージャー、浜畑サブマネに僕が頼みに動く。快く了解を得ることが出来た。懸案事項が終わったので、その勢いで、席を回って午後のデッキゴルフ有志を募った。

1530分から、高嵜、松田、塩野、草浦、菅谷そして鬼界と揃った。

_1591先攻白に高嵜、松田、塩野。赤が草浦、鬼界、菅谷、萩原の組み合わせ。ゲーム展開は、我々の草浦さんがダントツで4番ホールを抜けた。ところが5番ホールに向かう同じ進路で、2番ホールに進む敵から集中攻撃を受けてしまう。権利玉で自由に暴れるタイミングが狂う。高嵜さんはホールワインをしたものの、鬼界さんが巧く抜けて先にゴールを奪う。草浦さんがホームをクリアし、僕も高嵜さんを場外に押し出してゴールをした。勝負は、高嵜対菅谷、草浦の戦いに委ねた。高嵜さんが1回休みになっている間にホームを落とせれば勝ちだ。

 

「左舷にイルカの群れが見えます!」デッキのスピーカーから突然アナウンスが流れた。息詰まるところで、ゲームは中断した。高木保彦さんがカメラ片手に後部デッキに走り込んできた。左舷側に急いだ。水しぶきが上がる方向を見つめた。時折、小さなイルカらしきものが波間すれすれで飛び出している。ジャンプ力が足りないのか、まだ幼いように思える。カメラを構えたものの、後部デッキでは遠ざかる一方だ。人が諦めて立ち去る。ゲーム再開だ。

草浦さんが慎重にホームを狙い、上がった。高嵜さんは、場内に戻っただけ。続いて菅谷さんも巧く外枠にシュートした。もう1度、横打ちしてゴール!勝った。日射しの弱まった夕方は、波の高さを除けば、快適なゲームタイムだった。

 

撮り逃がしたイルカだが、平野カメラマンが自分の撮った写真を再生して見せてくれた。背びれはあるが、カジキマグロのようでもある。それにしても、アナウンスのタイミングが遅いというのが、後部デッキにカメラを手にして集まった船客の不満だった。今回クルーズは、時期的にも海洋動物が北上していて、なかなか現れないことをはっきり言うべきではないか。妙な期待を持たせすぎていないか。

 

カミサンはフラの教室から帰っていた。因みに、本日のイベントを挙げてみよう。ソシアルダンス教室、エンジンルーム見学、水彩画教室、フィットネス・エクササイズ、囲碁教室、ハーモニカ愛好会の集い、ウクレレ教室、デッキゴルフ教室、アートクラフト教室、アフタヌーン・シアター、デジカメ教室

僕は二度目のシャワーを浴びた。今夜は「赤道祭り」だから、ドルフィン・ホールでのメインショーはないものと思い込んでいたが、6階のラウンジ「海」で、ネオ・ストリングスの演奏があるという。誰のことだろうとエンターテイナーの出演ガイドを見る。載っていたのは須磨和声カルテットだった。汗をひかせる時間が欲しい。もう時間に間に合わない。諦めた。

明日の対抗戦は、スタッフの都合で4人揃わない、3人の参戦しかできないという電話連絡が来た。8人ではなく6人のプレイだと、敵味方のパックがリンクに散漫になるため、勝つには余程の戦術を要する。日本式捕鯨船団か、それとも、米国式先攻ロケットか。まあ、キラー・コンドル菅谷リーダーのお手並み拝見としよう。

 

夕食は特選和食である。因みに、メニューを書いておこう。

Img_1672前菜:さざえの壺焼き。鍋:豚トロしゃぶしゃぶ、造り:鮑の殻造り、焼き物:鮎の姿焼き、蒸し物:松茸茶碗蒸し、小鉢:数の子、香の物:白菜のおくらぬか漬け、つぼ漬け、胡瓜の韓国風漬け、ご飯:松茸ご飯、デザート:ライチ、キウイと錬り切りあやめ、飲み物:日本茶。

トンしゃぶに、若鮎の塩焼きが出ていた。鮎は、空輸してきたのだろうか?「鮎は、本日が解禁日だぞ!?」隣席の小田さんから疑問が投げかけられた。そう言えば、オスロか北海の洋上で「鱧(はも)」料理が出てきたのにも驚かされた。鰻だって空輸しているに違いない。早速、鮎の疑問を平さんに投げた。

「いああ、みんな日本から積んできています。野菜や果物、卵、ヨーグルトなどは現地調達が容易でも、魚や肉、日本独特の食材の大葉などの多くは、仕入れが時間的に不安定では自慢の献立に影響しますので、冷凍をしてでも積んでいますよ、ウチの料理は。料理部門も自社ですからね」と得意げに話してくれた。これで、疑問は一掃された。

 

P1020162 2115分、今は船の後部が一番重いはずだ。ドルフィン・ホールに360余名全員が押しかけている。初めてが一堂に会しているようなものだ。夏のジャケットを着込んだが、ホールは暑いくらいだった。2階席から観るという開放感、この吹き抜けの高い天井ホールを有するのも、にっぽん丸の自慢と言えるのではないか。既に同じシナリオで、にっぽん丸の船客出演の「赤道祭」寸劇を観るのは3回目になる。2回の世界一周クルーズとの演出の違いは果たしてあるだろうかに関心がある。出演者は素人である。スタッフの出演は別として、宦官役の冨田さんを除けば、船客は初めての役だ。プロンプターが居ながらトチルのが、観客の爆笑を誘う。十八番の役をこなす冨田さんでも、石橋演出は本番でのアドリブを許さないそうだ。 理由は、終了時間の厳守が あるからだという。 菅井さんが 先鞭を付けた06年の 講釈 師役が今回も継承された。乙姫様の見事な歌が口パクなのも同じ。違いは、北海王と南海王の登場に、初めて歌舞伎の布波を採り入れたことだった。 そして、1年前よりも調整卓には、新機能が加わったような気がする。それほどにミクサーの腕が上がった。

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リピーターが80%の観客では、石橋演出もさぞ、難しかっただろう。フラダンスをステージに誘い込む役に進行上、蘇君を起用したのが唐突であるなと想った他、今回もキャスティングは当を得ていたと思う。船客の全員が観に来てくれているという空気は、出演者冥利に尽きるのではなかろうか。出演者の殆どは、明日から船内の人気者になる。そして、役名で親しく呼 ばれることになるのが、毎回である。海の神から赤道通過の鍵を受け取って、これで、ようやく現代のラピタ人も無事にハワイ島へ着けるというものだ。

 

今夜は何処のバーも素人演劇の出来映えに褒め言葉やねぎらい言葉で相当に姦しい夜になるだろう。

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2007年9月10日 (月)

07.05.31 ハワイへ3

昨夜も22時には横になった。だから、6時から日誌を打ち始めている。

 

『海が波立ってきております。北緯0°38′、西経157°12′丁度今朝54955秒で赤道を通過しました。現在は、クリスマス島110kmの位置にいます。速力185ノット、時速34k、天候は晴れ、東北東の風10m、気温26℃、波の高さ約85m。

1130分頃、クリスマス島の横に入ります。クリスマス島は、キリチマチ島と呼ばれ、フレンチポリネシアとハワイの間にあるキリバス共和国の島です。赤道の北側で、ライン諸島の中でも大きな島です。レストランのテーブルに置かれてある「クリスマス島の塩」は、この島で採取されました。1777年、英国人クックが発見したときは無人島でした。1962年には、米国の核実験基地にもなり、1979年、英国から独立して、キリバス共和国となりました。島の周辺には魚が多く、国鳥のグンカン鳥や鰹鳥、アジサシなどが観られます。ヒッチコック監督の「鳥」のロケ地でありました。

日本とは、島の北側の土地を利用した宇宙開発事業計画が結ばれているということです。

ハワイのキラウエアで溶岩流が見えているという情報が入ってきました。キラウエア火山を通過するには少し大回りの航路をとる必要があり、船はそれには、大周りをしなければなりません、海が荒れないことを願って、フルスロットルで、キラウエア火山に近づくように努力したいと考えています』

 

さて、デッキゴルフ決勝戦に向かう。15分前だというのに、既に野村さん以外は全員集合していた。我々チームが今回勝たないと、すべてがご破算になるという。つまり、3チームが一勝一敗となるからだ。これでは、今夕の優勝式が成立しないと、事務局長・高嵜さん。

_1592 Img_1564野村さんが顔を見せたことで、ゲームスタートとなった。1番手を鬼界、2番手野村、3番手松田、4番手が僕。かなり速いペースで、1番ホールを陥落し、2番から3番に走る。松田・野村コンビネーションが巧く P1020067_531 Img_1586 行っている。 鬼界・萩原も交互にホールを陥れ、5番ホールで全員が権利玉になっ たとき、菅谷組は、まだ誰も5番ホールには近づいてもいなかった。 一気呵成にとゴールに集結する。

 最後は、工藤、菅谷の古豪をフレームアウトして、僕がゴールすることでゲームセット。快勝だった。

昼食にまだ時間があるのでと、リーグ戦の終わりを待ってプレイしたくなった仲間と、もう1戦通常戦をすることになった。「3番ホール抜きの全員上がり」ということで、チームを再編成する。

 _1591_2

最初は、赤に2番ホールから3番までを占拠された。鬼界、菅谷、萩原にミスショットが多かった。それが草浦、高木にも感染して、敗色濃厚だった。なにしろ、僕自身がミスの連続で2番ホールさえも通過していないありさまなのだ。後半、2,4、5番ホールへ急いで追いついたところで、ホーム周辺でホームを狙う赤の高嵜・工藤の2人が

白の鬼界・菅谷・萩原の3人を迎え撃つ格好。何度ものパックの置き方に慎重を期し、作戦を練り、最後は、高嵜・工藤の2つのパックをなんとかフレームの外に弾いて、我々3人が辛くもゴールをクリアした。最初の不利なゲーム展開を跳ね返して、これで本日2連勝。Tシャツの汗は、世界地図を描いていた。

Img_1621 クリスマス島を遠望しながら航行した。確かに、本島は、低く長い島影だった。この島には、08年日本の客船、ぱしふぃっくびーなすが寄港するはずだ。

地球の誕生が45億年前、人類の出現は200万年前。この長い歴史の中で、産業革命以来たかだか200年で地球環境は壊滅的に破壊されている。森林は消滅し、二酸化炭素は消え、地球の温暖化は進み、そして破壊は続いている。世界で初めてユネスコの世界遺産(自然遺産)として登録されたガラパゴス諸島も、15年間で観光船の滞在日数が増えたり、道路の整備もされたりして移住者が増えたという。こうしたことが、多くの外来種の持ち込みで、皮肉にも、今では危機遺産リストに入って

しまった

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温暖化で深刻な環礁島国、ツバルに観光客が押し寄 せているという。対策を持たない観光客が、帰国後に、温暖化の現実をどうアピールするかにかかっている。現在の異常気象は、1960年代、70年代の排ガスの結果だそうだが、現代人がいくら、エコ生活を努力しても、全世界に張り巡らされたコンピューター通信の発熱量は、今後も決して減らないのだとすると、これまで訪れた環礁島の生活に戻らない限り、これからも益々炭酸ガスの影響が出てくる。そして、トンガを始め、諸島に西欧文化の浸食は、どう考えればいいのか。それは、缶詰文化による健康障害という弊害ではなく、さらに風俗習慣さえも消滅しかねないことを、この航海で考えさせられる。

 

メールのチェックにライブラリーへ上がった。丁度、孫の出産予定日なので、今か今かとメールの来るのを待っていた。やっと次男夫婦からあった。未だである。相当大きく育っているらしいので、帝王切開も辞さずと書いてきた。例の初老の人物の言動について、船友の一人からは、「デッキゴルフ人口が増えることこそ喜ばしいと思うべきではないか、スティックで叩いてやりたいでしょう」という文字が返ってきた。そう思う反面、なんとかお会いして、デッキゴルフの歴史をできるだけ訊いておきたいというのが、今の気持ちだ。

 

昼食は高木夫妻と同じテーブルになった。ボラボラでの飛行体験で免疫がついたかと敏枝さんに訊かれ、カミサンは曖昧に答えながら、出来れば、ニューヨークとか、シドニーからの外国船クルーズが最後にしてみたいと本音を吐露していた。しかし、それは飛行機でなければ実現しないフライト&クルーズである。敏枝さんへの答えになったのだろうか。

食後、カミサンは水彩画教室に7階のリドデッキへ出て行った。Tシャツに染料絵の具で描くのだと張り切っていた。

15時、船は、針路を西北から西経157°と真上へ取った。

 

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_1644 16時、7階リドデッキ横で表彰式である。僕が毎日エクセルに打ち込んできた星取り表をプリントして渡す。そこには、勝手ながらリングネーム、いや馬名、いやプレイヤーズネームを勝手に書かせて貰っている。06年のメンバーは、以下の通り。

Img_1648 オートボケ・デビル高嵜 伸さん、スイスイ・マダム工藤俊枝さん、キラー・コンドル菅谷 潔さん、ロング・キング松田史郎さん、ナイス・チョット松田サエ子さん、そして南洋クルーズには乗船しなかったフランク・ユージロー山縣治郎さん、ユメレン・ファイター横田 晟さん、グリーン・キャッチャー西出栄市さん、アルバトロス・コロス横山皓一さん、ジャッジ・ジイー中島和男さん、ノイジー・サンダル菅井美子さん、ニコット・ダンシング高橋信夫さん。

07の今回新たにデッキゴルフメンバーに加わったのが、ハット・フィッシュ塩野芳夫さん、スレンダー・アーム野村道子さん、ショットガン・トール高木保彦さん、デッキ・ダンサー高木敏恵さん、オシショウ・ネエ鬼界とみえさん、シビ・ベレー草浦裕さん、ネプチューン・スター長坂勇二さんだ。名前の由来を説明して全員から了解を得た。

 

優勝チームとなったのは初めてだ。今期間は、ホールイン・ワインが多く出た。14本だった。金額換算で、28000円の商品代と宴会費用が捻出できた。このため、高嵜廣子さんとカミサンが参加した。船内の自動販売機で冷えた缶ビールとウーロン茶他を買い、高嵜さん持参のポリバケツに氷を入れて運んである。おつまみは、やなり売店で買い込んだり、有志が持参したり、宴席?が出来た。

さあと、最年長者82歳のキラー・コンドル菅谷さんがP1020073乾杯の音頭を取る。歓声が上がる。しばらくは、戦況の解説が始まる。たらねば話で、悔しがる。 プールサイドに人はいない。フィットネスコーナーにも、いないようだ。大声になっても気にしないでいい場所だ。夕食前のひととき、バケツに山盛りの缶ビールが、たちまち減っていく。

 

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高嵜さんが予めブティックで買っておいた商品を手にして立ち上がった。 第2回優勝チームが表彰される。そして、2位、いや準優勝、そして最下位、いや第3位と、それぞれに商品と参加賞が手渡された。野村女  史、Img_1660いや事務局長秘書の野村さんが、優 勝者リーダーに野村賞を用意していると、キャプテンハットを差し出した。大いに照れながら写真に収まった。

こんな小さなことでも大の大人が顔に皺寄せて笑い合う。やっぱり、同じ船友、いや戦友は気持ちがいい。塩野さん、草浦さん、鬼界さんは、僕にとって初めての船友になるのだが、このわだかまりの無さがとても気持ちがいい。

ビールを注ぎ会う内に、塩野さんに問いかけられた。

「あかん!ってゲーム中に何度も口にされるね、萩原さん。上野に住まわれているのに、関西の人かな?」「元々高校まで名古屋の人間です」に、隣の席にいた草浦さんが小声で「名古屋にいたの?」と眼を大きくした。「私は21年間も名古屋に単身赴任していたのだ」と言いだした。 これには驚いた。しかも草浦さん、「覚王山の日泰寺の近くのマンションだった」という。僕の単身赴任のマンションも覚王山だったから、懐かしい。付近の店を挙げていくと、頬がゆるむ。カレーの「英国屋」も土手焼きの「たこ八」も知っていることから、二人だけが肩を叩いて喜び合う。他の人には判らないからである。意外だった。予想外だった。日本は狭い。意気投合したきっかけは、塩野さんの質問からだった。名古屋弁が、人をさらに結びつけたのだ。

各チーム同志で記念写真を撮る。

明後日は、阿弥陀くじで選出した我々の代表選手とスタッフとの対抗戦である。キラー・コンドル菅谷、オシショー・ネエ鬼界、シビ・ベレー草浦に、みんながエールを送る。

P1020078そして、僕から鬼界さんの送別会を提案してみた。出来れば場所は、ダイニングの「奥座敷」にしたい。幸いにも、06年次の悶着はないだろう。食事の2回制で、2回目はテーブルに余裕があるからだ。鬼界さんからは、にっぽん丸か、ふじ丸のワンナイトクルーズに乗って、横浜~神戸間で、関東軍と関西軍のデッキゴルフをしましょうと。この高揚した空気感はどう説明したらいいのだろうか。和気藹々の内にリドデッキの表彰式兼飲み会はお開きになった。
 

P1020092今夕はハワイアン・ナイトだそうだ。カミサンは張り切ってフラダンス用の衣装で出掛けた。ハワイアンバンドのアイランドウインズの演奏に引き続いて、フラダンス教室の女性たちがステージ上がるようにと先生に言われているようだ。まあ、ビデオも買って練習していたのだ。楽しめばいい。

 

さて、予定通り、演奏が終わり、教室受講生がステージに呼び出された。全員が出てくるものとばかり思って、野村さん とカミサンが出ていった。聞けば、フラダンス教室は、盛況でフロアーが一杯になるほどだそうだ。ところがどうだ。生バンドで一緒に踊りましょうと呼びかけても、二人以外は出てこなかった。そんなカミサンに拍手したい。

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夕食は高嵜夫妻、高木夫妻、それに野村さん、囲碁の山本先生で同じ場所に固まった。背後には、野村女史と片山先生ご夫妻、瀬戸ご夫妻、そしてシップドクターが笑い声を上げながら 楽しそうにテーブルを囲んでいる。

P1020113ブッフェスタイルだから、僕が食べてもいいという料理の選択範囲は狭い。フルーツカクテル、小龍包に巻き寿司、マンゴ。それで済ませようとしたら、フィリピン・スタッフのニックがにこにこして、椀子うどんを持ってきてくれた。麺類が好きだということを知っている。ケーキもコーヒーも断ってお茶で終えた。実は、今回、ウオーキングマシーンを使っていないので、徐々に徐々に肥ってきたことが判る。太っ腹と言われても喜べない。太鼓腹になってきたので危ないのだ。後2週間、これ以上重くならないように気をつけよう。

 

ラウンジ「海」で古今亭菊の丞の落語があるが、オーバーランドツアーをしている間の航海日誌が空白である。気持ちが消えていないうちに、忘れないうちに、書き込んで置かねばと、部屋に戻った。ドア下に差し込まれていた船内新聞をカミサンが手にしてから、ややあって、「あ!!あなた、当たってたわよ、」

P1040875 赤道通過時刻が一番近かったのだ。僕が1位で、2位が高嵜廣子さんとある。正確な時刻は、「54955秒」。僕の予測は55020秒。高嵜さんが55030秒だった。いずれにせよ、二人とも1分以内の誤差だったことは誇らしい。きっと、高嵜廣子の本当の計算者は、高嵜伸さんだろう。

 

ペットボトルのナチュラルウオーターが硬水続きだったせいなのか、便秘勝ちなのだ。オート・ヴァイブレーションで腹部や腰を揺さぶってこようと7階に上がった。10分で1時間歩いたことになるというやつだ。後1分で終わりになる頃、コブチャンこと、藤川君が、ハワイのガイドブックを手に現れた。隣のウオークマシーンで歩き始めた。会議が今終わって、やっと自分の時間が出来たという。ツアースタッフは、寄港地が近づけば、ツアーの段取り打ち合わせで、睡眠時間も満足に取れないと聞いている。確かに、限られた人数のスタッフでケアをしてくれている。お疲れ様!船客の評判で、契約年数が延びることもあるのだろう。コブちゃんは、中でもピカイチの質を評価されている。にっぽん丸を下船した時でも、空路で、観光客のツアーコンダクターをしている。北海道の自宅にいる日が少ない。身体の話、あれやこれやの話で激励して帰る。

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2007年9月 5日 (水)

07.05.30 ハワイへ2

昨夜22時には横になってしまった。このために真夜中の115分に目覚め、続いて430分、7時だった。人間やはり就寝時間を早めれば、朝早く起きられるのだ。毎朝5時起床でスポーツデッキでのラジオ体操に出る高嵜さんは、いったい何時に就寝するのだろうか。昨夜の夕食会での記念写真がドアの下に差し込まれてあった。パーサーオフィスから届けられていた。

 

『南緯6°21′、西経154°25′、赤道に410マイルの距離に来ております。速力192ノット、時速35k、天候は晴れ、東の風7m、気温265℃、水温29℃、波の高さ約15m。今晩から明日にかけて満月です。赤道通過は明朝5時か6時の間に通過。クリスマス島は11時に通過予定です。』その後は「トン数」の解説が続いた。

 

オートミールと黒酢ドリンク、ヨーグルト、ボイルドエッグの朝食を終えてデッキに向かった。今朝は、赤道通過記念リーグ戦である。

 

1戦は、高嵜組対菅谷組。僕はジャッジを引き受ける。リーグ戦ともなると、誰しもいささか緊張気味になる。P1030334

「クリスマス島をいい気分で眺めましょうや!」誰かが大声で叫んだ。これで、いくらか空気がほどけた。明日のクリスマス島を通過するときには、優勝チームが決まっている。天候は申し分ない。

ゲーム展開は、非常に面白かった。高嵜、高木夫人、松田サエ子、工藤と女性陣を率いた高嵜組が、草裏、塩野、高木といった男性陣の菅谷組に快勝したのだ。デッキゴルフ最古参の「スイスイマダム」こと工藤さんと、「ナイスチョット」こと、小技の本領が発揮された松田サエ子のタッグチームが前線を走り抜けたからだ。2連敗していた高嵜大将も、いつもの渋いポーカーフェースを忘れていた。ある不愉快なことを除いては、だった。

白熱?していたプレイの最中、初老の方が、声を荒立ててこういって通り過ぎていった。

「デッキゴルフは、通行する人のためにはプレイを中断するものだ!私はこのデッキゴルフを、猪狩君と最初にやった者だ!」P1010137

いきなり、背中から言葉を投げつけられた思いだった。メンバーは、あっけに囚われた。「…済みません、ストップ!」とジャッジ役だった僕が答えて、プレイは当然、中断した。

これまでも、横切ることがはっきり判っている時には、手を横に広げて、一方の手で、道路工事の誘導バイト宜しく、進路へ手を伸ばしていたから、メンバーは、彼の後ろ姿をいつまでも見つめていた。

やり過ごしたものの、腹が立って収まらない顔は何人もいた。デッキゴルフを最初にし始めたと言うからには、絶好の機会である。話を伺うことが出来る。あらためて別の席で訊ねてみたいものだ。しかし、誰もその方の名前を存じ上げない。

1,最初にされたというのは、確かか?南米航路ではなかったか?

2,当時のデッキゴルフ・リンクは、ウッドかゴムシートか鉄板か?

3,その当時はプロムナードの一部を使っていたか?

4,ルールはどこまで確立されていただろうか?横打ちなど訊きたい。

 

そういうコネクションとは別に、突然の怒声を浴びせられたことは、どうも割り切れない。我々のメンバーは、既ににっぽん丸でのデッキゴルフを260戦以上もこなしている。そして、たとえプレイに夢中になっていたとしても、通行人をいつも塞いではない。今航海でも、毎朝定時の9時にプレイしていることは船客なら周知のことである。プロムナードを何周もする方なら、その歩調でそれと判るが、歩調が緩んだ人の中には、デッキゴルフに関心を持ち、しばし見学しようとする人さえいるのだ。Dscf7104 我々にしてみれば、日本の客船では商船三井客船系でなければできないというデッキスポーツを存分に楽しもうとして乗り込んでいる。そして同好の士が増えることを願っている。特に本朝は、航海中の何度目かのリーグ戦の最中でもあった。午後からの教室に多くの初心者が集まっている。デッキゴルフを最初に始めた方なら、この熱い高まりを喜んでいただきたかった。機会ある毎に、このにっぽん丸でのデッキゴルフを伝えてきている。このメンバーの中には、Dscf7105デッキゴルフしたさに乗船していると言い切れる者がいるほどだ。 それに比べれば、船内には、毎朝のラジオ体操からフィットネス教室、そして自働歩行器やエアロサイクルのような設備もある。定時にプレイしているデッキゴルフの時間を避けることも出来るはずだという意見も出た。船尾に海洋動物が現れたとか、特に島巡りという航路ならいざ知らず、お叱りを受けたのは、島影も無い洋上でのこと。重ねて言えば、歩行者が必ずしも通過するとは限らず、足を止めてプレイを眺めている方もいらっしゃる。このことを考えれば、「通りまああす」の一言声を掛けてくだされば、むげにそれを妨害する者は居ないはずである。

最初にデッキゴルフをしたこと、猪狩さんという機関長の名前を出されても、乗務員でもない船客に通じるはずもない。最初にプレイしたことをほのめかされたが、通行の邪魔だといきなり怒声を浴びることとは別物である。これまでからっとした空気が一変して、湿っぽくなって重くなった。

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2回戦は、高嵜組に我々松田、鬼界、野村の4人が対抗した。最初の1番ホールでは高嵜組の流れに遅れ気味だったが、我慢に時間を持った。野村さんを 松田さんがフォローして、鬼界・萩原が交互に土台作りをしながら4番まで進むと、形勢は反転していった。ミセスImg_1566高木をカバーするために、工藤、高嵜が彼女のエリアに集まりだした。しかし、思わぬ事態が起きた。加勢に来たパックが終盤にミスでポンドに入れてしまった。我々はその機を逃さず、ゴールを攻めて快勝した。

明日は、菅谷対我々の最終対決だが、逆転されると、3組がイーブンとなる。優勝はいわゆるサドンデスになる。昼食抜きになるかもしれない。

 

シャワーを浴びて昼食に出る。明日の表彰式会場は、リドデッキのプールサイドを利用できることが事務局長・高嵜さんから報告された。

 

タヒチで出し損なった絵葉書をフロントへ頼んだカミサンが「物価の高いタヒチでは、170円ですが、ハワイなら90円ですから」と言われたという。このことから推しても、タヒチは物価の高い国だった。大挙してそこへ押しかける若い日本のハネムーナー。これでは、日本人は相当に金のある豊かな国だと彼らに映っても致し方ない。観光客が、その国の経済感覚を誤解させていく。観光とは、こうした点に気をつけねばならない民間外交だと思った次第。

 

数日前の放映を見逃していた「ジョニー・リンゴの伝説」(邦題「ポリネシアの伝説」)を夕方の時間に観ることができた。

幼くして島を出て行ったタマと彼を8年間待ち続けたハマナの巡り会い。貿易商ジョニー・リンゴに航海術を仕込まれ、かつての島に幼馴染みを妻にしたいと探しに来る。彼女は島に居たが、毎朝岬に出て彼を待つことで、村人たちには奇異な存在だった。ジョニー・リンゴ三世となっているタマは、ハマナに求婚する。酋長に頼まれたのか、飲んだくれの父親が牛2頭を結納に望むと、今やリンゴの番頭格になった親方が「失礼な2頭とは!」と怒る。リンゴが言う。「牛8頭を贈りたい!」、牛がいなないて、父親が外に飛び出るが、「結婚しないでもいいから、二人で幸せに暮らして欲しい。過去は忘れて」「なぜ、8頭?」「8年間という意味だ」といいながら、羽の付いたガウンを外すと、ハマナが編んだ腕輪が眼に入る。そこでリンゴがタマの成人した姿だったとマハナには判り、めでたし、めでたし。ニュージランドの映画スターが共演したという話題作だったらしい。

 

今夕は、盆踊りの夜だ。船が揺れてきた。天気が崩れるのではないか。P1020046ツアースタッフに、ドルフィン・ホールになるのではないかと訊ねた。しかし、屋台も既に出ていますし、スポーツデッキで行いますとの答えだった。P1020022_2

赤道通過時間を船内時間で何時何分かを当てるクイズがあった。この揺れでは、盆踊りの時間帯に、 どれくらい速力を落とすかが狙い目ではないかと、考えた。「31日朝55020秒」と、3階のツアーデスクに置かれた投票箱に入れた。

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太鼓の音が響いてきた。5階に上がると、周囲が暗闇の太平洋上で大音響だ。この日のために浴衣を作ったという高木夫妻、 古今亭菊の丞、ポナペで買ったかんざしを挿した野村さんなどなどが、花笠音頭を踊っている。元々、中学まで家の前の広場で組まれる櫓の下で、夏になると名古屋囃子を踊って きた。嫌いではなかった。Img_1580_203年次世界一周クルーズP1020044 の時は、下駄まで新しく買って盆踊りに臨んだものだ。然し、ドルフィン・ホールという屋内での盆踊りでは気持ちが湧かなかった。 星を仰ぎ見て潮風に吹かれながら、時には潮騒を聴きながら生ビールを口にする。P1020052_2 それが気分のいい洋上の盆踊りだと思っていた。しかし、天候が優れず、それは叶わなかった。それ以来、二度目の世界一周クルーズでも浴衣は持ち込まなかった。

スポーツデッキの一段上に上がってカメラを構える。毎回のことながら、こうして上から踊り手を見下ろしていると、踊りを習ってきた人の手先かどうかが一目瞭然だ。腰の据わり、指先の表現、下駄を履いた爪先の移動。フラダンスと同じで、重心が低い踊りだ。

 

心配していた通り、雨がぱらついてきた。一斉にデッキから人が船内に流れ込んだ。雨は強くなっていく。P1020060 白足袋をはいた蘇イベント・チーフImg_1578 ディレクターが床が滑りやすくなったとして、中止を宣言した。揺れも出てくる前に、浴衣姿で怪我人を出してはならない。素早い判断に誰しもが好感を持った。踊り不足の人たちが興奮して、同じ階のミッドバーに流れ込んだ。おかげで、バーは盛況を極めた。「雨が降るとね、客が店に入ってくれる」なんだか、アメリカンサモアの警察署長の言葉が想い出された。

松田サエ子さんと向かい合わせでビールをオーダーした。伝票にビール2本が付いてきた。サインした。夫婦と勘違いされたのが嬉しいと言ったら、隣りに座っていた松田さんが、「わしはどないしたら、ええんよ」と笑った。にっぽん丸のバーでは、伝票が几帳面にも一人一人に切られる。だからこそ、フィリピンクルーにカップルと思われたのをP1020061松田さんが苦笑したのだ。船長が我々の席に座ったことで、話題は変わった。

隣席に座っている名張の早川さんが、ダンスが苦痛だと言いだした。ダンスシューズを買って乗り込んだのにと、みんな怪訝な顔をして覗き込む。口ごもっている早川さん。渡辺登志さんが「私は囲碁を覚えたい!」と言いだした。早川さんは、囲碁が強い。咄嗟に場の空気を変えたくて、「互いに教え合えば」と言った。登志さんのダンスは、抜群の巧さである。早川さんは、生ビールを飲み干して、大きな手を登志さんに伸ばした。みんなはシャンシャンシャンと手を打った。身振りが大きくなってきた早川さん、ビールの追加をして一息ついてから、今度は、大きな体をかがめてみんなの眼を眺め回した。「僕はね、080910とにっぽん丸世界一周クルーズクルーズを船上予約で申し込んだぞ」。今度は、花が咲いたようにみんながおどけるようにのけぞった。「冗談でも羨ましい!」早川さんは、冗談ではないんだと、首を左右に振った。

長坂さんが通りがかった。P1000082目配せをして約束のネプチューンバーへ席を立つ。 意外にここへ人は来ていなかった。小田さんと長坂さんと3人で止まり木に座った。ボトルキープをしてある焼酎でお湯割りを頼む。

長坂さんは外神田に事務所を持っている。神田明神の本祭りを前に船に乗ってしまったという。ともか く、船に詳しい。P1020063時々、クルーズの最中に、釣り糸を足らして楽しんでいるという。船主側の高嵜さんと船客側の長坂さんから知識を得れば、相当な通になれそうだ。今年になって、もう100日は乗っているだろうかと。家賃を払うより船に居る方が長いのだといいながら、「水上生活者だよ、僕は」と宣った。言い得て妙。その言葉、頂きますよと、笑い合った。神田関係者同士で記念写真をパチリ。明日は、デッキゴルフの決勝戦だからと、早々に去る。

 

船は178ノットだが、揺れている。南緯1°23′西経156°25′で、斜め上、北西に進路を航行中。

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2007年9月 2日 (日)

07.05.29 ハワイへ1

昨夜は帰船した安心感か、24時には眠気が襲ってぐっすり寝た。5時には自然に眼が覚めた。頭の中には、まだ、ラグーンのエメラルドグリーンのグラデーションが残っている。

 

Img_1567 『穏やかな気持ちの良い朝を迎えております。モーレア、パペーテ、そしてボラボラ島は如何でしたでしょうか。さて、にっぽん丸は南緯13°28′、西経151°16′、速力195ノット、フルスロットルで北上しています。途中、31日の朝に赤道通過、また昼頃クリスマス島の近くを航行する予定です。クリスマス島はキリバス共和国です。キリバス共和国はフレンチポリネシアの北側で、東西に長い国です。国が日付変更線で東西に分断されることを避けるため、一番東の西経148度まで日付変更線を移動しています。にっぽん丸は、本日、日付変更線を通過しますが、31日の夜中に再び通過しますが、途中に寄港地がないため、船内ではそのままの日付を保ってハワイを目指します。52962日まで5日間航海日となります。どうか疲れを癒してまた次のハワイを目指して、ゆっくりと過ごしていただきたいと思います。

天候は晴れ、東南東の風6m、気温27℃、水温294℃、波の高さ約15m。』

 

Dscf7100_2 デッキゴルフ再開の朝である。デッキゴルフメンバーは、久しぶりに9名が参加したが、奇数である。顔を出した長坂さんを呼び込んで10名でスタート。全員のジャンケンで紅白を決める。初デビューの長坂さん、かなり要領がいい。パックの走るラインがいい。ステックの縦横の使いこなしが機敏。ルールを覚えたら、なかなか強敵になる。

1戦は、高嵜、菅谷、松田サエ子、塩野に対して萩原、松田、工藤、鬼界、草浦の組が勝った。Dscf70992回戦は、萩原、松田、鬼界に長坂、菅谷の加入で、連勝できた。つまり、高嵜、松田サエ子、塩野の戦士が連敗したことになる。アメリカン・サモア離岸以来、これで4連勝と快調だった。第1戦で草浦、鬼界から、第2戦では工藤、松田サエ子と、女性軍が頑張ってホールイン・ワインが出た。明日からの「赤道通過記念リーグ戦」の表彰式に献納されるワインである。これで、11本が集まったことになる。因みに、僕は、アメリカン・サモアの翌日に出した。

同じ階の船内ドルフィン・ホールでは、ソシアルダンスから、フラダンス教室に変わっていた。6階のスポーツデッキでは、天気が良いので、シャッフルボードが行われていたようだ。

 

メールチェックに5階のライブラリーに上がる。部屋に帰ると、本日の昼食は、船弁だということに気づいた。駅弁、空弁をもじって、此処では「海弁」と言いだした。他に「船弁」という人もいる。通常2回食の我々は13時からであるが、弁当という日は、12時からだ。三々五々、レストラン以外の場所に持ち出して、風景を楽しみながら食するという日である。しかも、僕の場合は、減塩食として調理してくれている海弁である。独りのためだけに印の付いた弁当が、僕を待っている。

急いでレストランへ上がる。ダイニングルームと6階のスポーツデッキでは、麺類もデザートも用意されている。5階のネプチューンバーも今日は開放されているということだ。禁止区域は、カードルームやライブラリー、囲碁の和室だ。なにしろ、麺類は毎日でもいいほど好きである。レストランで麺類もデザートも食べた。

 

13時からビデオチャンネルで「南太平洋」(1949年、ロッサノ・ブラツィ。ミチー・ゲイナー)を観る。モーレア島の通称、バリハイ、880mのモウアロア山を眼にしただけに、もう一度観たくなったのだが、このストーリー、考えて見れば、エミールというフランス人は、再婚相手を捜し子供の母親を捜していたに過ぎない中年男の勝手な恋だったのではないか。若いナース、ミッチーゲイナーが去っていくなら、楽園がただの島だというが、ポリネシアン人との間に生まれた二人の子供をどう考えていたのだ。男のエゴから生まれたストーリーではないか。ラブストーリーとは言い難い、と今の年齢になると、こうも冷ややかな見方になってしまうものかと自分でも妙な気分になった。P1010381

午前のフラダンス教室に行っていたカミサンは、買ってきた教則本を読んだり、ビデオを流したりして、練習をし始めている。画面のインストラクターは、フライト・アテンダントからフラダンス教師になった経歴だという。日本舞踊の名取さんよ、腰がしっかりしていないと踊れないのは同じだろうが、重心を落とした踊りはさぞ、疲れるだろうなと思いながら、僕の方はパソコンを離れていたボラボラ島ツアーの航海日誌を打ち込んだり、CDRへの写真を保存したりした。此処までで、既にCD収録が10枚を超えた。

 

16時になっていた。

今夜は、インフォーマル。瀬戸相談役ご夫妻とのディナーテーブルである。その前に18時からドルフィン・ホールで、タヒチから乗船した古今亭菊の丞の独演会だ。僕だけが聴きに出る。カミサンは支度をしながらテレビ画面中継で聴くと言う。

古今亭菊の丞は、ロングクルーズには、かれこれ10回は乗船しているとかの常連だ。03年次の帰国直後に、席亭推薦でただ独り真打ちになった。新宿花園神社には行けなかったが、上野の鈴本は近いので足が運びやすい。それに、彼の自宅と僕の住んでいる場所は歩いていけるほどの近距離でもあることから、余計に親しみを感じてしまっている。

贔屓筋である商船三井客船からの裏幕は、柳原良平の描いたにっぽん丸だ。それを背に、演目は「湯屋番」だった。ところが、困ったことに、インフォーマルの夜なのに、7人の男性が、ノーネクタイ、ポロシャツで座っていた。船内新聞での書き方が曖昧だからか、食事まで間が空き過ぎだからか、今夜のドレスコードが守られていない。ホールの入口でスタッフが注意もしていないようだ。

曖昧な書き方だと指摘したいのは、<ドレスコードは、カクテルパーティからメインショー終了まで>とされている。食事からメインショーに続く1回食の客は着替えをするわけにも行かない関係で守られるのだが、2回食の客は、食事の前であることの気楽さと、メインショーから食事まで30分以上の時間がある。着替えに帰ればいいと考えやすい。<但し、ドルフィン・ホール・・・では終夜適用させていただきます>という文章では、ダンスタイムになるドルフィン・ホールと誤解してしまっているのだろう。それにしても解せないのは、該当する夫妻が、奥様は着飾ってご主人はポロシャツ姿なのだ。奥様の言うことに耳を貸さないという余程の亭主関白か。

 

夕食の時間になった。川野チーフパーサーがセッティングしてくれた瀬戸さんとの会食。入口で平野カメラマンが待機していた。今日も結婚記念日があるのだろう。

1930分から並んで入ったのだが、既に皆さんは席について待って下さっていた。失礼にも遅れてしまったのだ。

座った途端、瀬戸さんが身を乗り出して質問された。「ビールは飲んでもいいんでしたか?」「はい」「萩原さんの身体をこわしたのは、ウチの連中が仕事で引き回し、無理をさせたからではないかと、気懸かりでしたよ」「あなた方の本はライブラリーで読み終えましたよ」と言われたのには驚くよりも恐縮してしまった。腎不全になったことを本で読み取って気遣ってくださった。さすが、ビジネスの世界を指導してこられた方は違う。「アドバ・タイミング」という秀逸のワーディングを発し、世界のスーパードライに成長させた、いわば世界に冠たるトップ・マネージャーである。

平野カメラマンを手配していたのは、希公子ちゃんだった。「主人に報告するために、写真をお願いしたの」まずは、瀬戸さんと希公子ちゃんが撮って、それから、全員の記念写真となった。

ボラボラに希公子ちゃんと我々が出掛けていた間、瀬戸ご夫妻は、森先生にジープで島を案内して貰ったそうだ。缶詰のシーチキンを与えると、オオウナギが何匹も姿を見せたという話、とても楽しそうだった。FXの時代の秘話など此処に書いておきたいのだが、帰国後にブログにアップすることを考えると、控えることにする。

あれこれを、20周年という年に、当時の営業本部長と話が出来たことは、神の思し召しだろうか。今日という日を感謝したい。

奥様が気さくに対してくださるので、カミサンはどれだけ気が楽になったことか。時間は瞬く間に過ぎていった。そして、我々が最後のテーブルの客になっていた。

 

・・・・・今夜のビールは、どこで飲むよりも美味いビールだった。

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