07.06.04. ホノルル寄港 1
6時50分、ホノルル入港直前、左舷の先に大きな虹が架かって、出迎えてくれ
た。航路の軌跡を見ると、予定通り、ダイヤモンドヘッドを回り込んで来たようだ。速力は6.7ノットに落ちている。北緯21°16′、西経157°52′、天候は晴れとはいうものの、低い雲の切れ目から青空が覗いて様子見を決め込んでいるようだ。
7時16分、左舷に、真っ白いコーストガードの船が見えてきた。
27分、ジグザグ型の姿をした真新しい高層
ビルが建ち並ぶ手前に、19世紀の船旅でシンボルとなったアロハタワーの下、ピア10に接岸した。
カミサンが起きて、いきなり、「日本の旅行社の広告に、12時30分発のツアーコースもあったわよ」という。「有り難う、でも諦めた」というと、「そうね、ポリネシアンの辿った航路を走って来たのだから、いいわよね、もう。お父さんの友達、トム・タカナカに連れて行って貰ったときも、広すぎて回りきれなかったわよ」「問題は広さではない。元来、数日間滞在して、時間的に余裕がなければ、行けないとこだってことが判ったのさ」。
実は、ポリネシアン・カルチャーセンター(PCC)へは、朝8時30分に出発する14時間のツアーコースがある。ところが、呼び物の人気ショーの終演は21時。しかし、タクシーをどんなに飛ばしても、船は既に出港している時間だ。無理だということが判った。
ダイヤモンドヘッドの山頂に登るツアーに最初は行ってみようと思ったが、暑いさなかに汗かいて上がることもないかと止めた。初日はお上りさん宜しく、アラモアナに出掛けて、2日目をゆっくりしようと決めた。
さて、にっぽん丸の用意してくれるシャトルバスは、カラカウア通りのDFSギャラリーに行ってしまう。アラモアナで途中下車させては貰えないようだ。ならばDFSからアラモアナへ2ドルのピンクライン・シャトルバスで引き返すことにした。
朝食に出てみると、がら空きだった。大方の人が既に下船してしまっていた。シャトルバスの9時30分発の第1便は未だだ。ということは、アロハタワー辺りを散策しているのだろうか。
朝食後、すぐ下船した。ターミナルビルの壁には、航海時代の玄関口となった船客の華やかな光景が描かれてある。タラップの横には垂れ下がった五色のテープも見える。確か、出港の紙テープ投げは、サンフランシスコ万国博で始まったと聞いた。大量に売れ残った包装用のテープを「テープで別れの握手をしませんか!」と呼びかけた。サンフランシスコ在住のあの日本人は、今なら販促の仕掛けが巧い広告部長だろう。


ピア7には、4本マストの「ファルス・クライド」が係留されていて、ピア8には全長70m、4階層の「スター・オブ・ホノルル」が停泊している。「スター・オブ・ホノルル」は、175ドルのサンセットクルーズ船である。
その奥には、4島10日間クルーズの「プライド・オブ・アメリカ」が、長い船体を埠頭に横づけていた。いつか東さんたちと乗りましょうと言い合っていた船だ。8万1000トンで乗客が約2000名に対して乗組員が800名。日本からのフライ&クルーズツアーは、20万円くらいだ。9万3100トンの「プライド・オブ・ハワイ」(NCLコーポレーション)は、ハワイ市場から撤退が決まっている。ノルウエイジャン・ジェイド」としてリニューアルをし、地中海クルーズに就航するらしい。
日本の高校生の集団が通り過ぎていった。神奈川県立三崎水産高校の研修生達だと言った。実習船が停泊しているのだ。原子力潜水艦と衝突した愛媛丸が頭に思い浮かんだ。あの事件で、森首相の失脚が小泉劇場を開けることになり、日本の政治が変わっていった。
にっぽん丸のシャトルバスが来た。DFSに着いた。カミサンは、なにも欲しくはないといいながら、やはり物色している。A4サイズの書類が入るバッグを捜している。随分前に「ロエベ」のビジネスバッグを買ってきたのだが、重いからと、僕の鞄になってしまった。だから軽いバッグが欲しいらしい。いくつかを手に取ってみたが、気に入るものはなかった。地下に降りた。アラモアナに行こうと、ピンクコースのトロリーバスを待つ。そこへ高木夫妻が現れた。ダイヤモンドヘッドを周り、カハラへ行きたいと言うので、ブルーコースを指さした。ワイキキビーチを右左に分かれることになった。
撮影で来るときの我々は、アラモアナへはいつも歩いていた。カラカウワ通りを真っ直ぐ、アラワイ運河の橋を渡って、アラモアナホテルの背後から行く。トロリーバスは、多くのホテルを巡回しながら20分も費やしてアラモアナに着いた。ダイレクトに往復するバスはないようだ。17年前には、こうしたトロリーバスは走っていなかった。ワイキキのトロリーバスは、サン・フランシスコのケーブルカーだ。コースを巧く創っているのは、JTBのチャーターバスだった。カードの提示がないと乗せてもらえない。それにしても、JTBのチャーターバスの多いこと。日本観光客を送り込んでいる購買力の凄さを見せつけている。
アラモアナのインフォメーションデスクでまず店内マップを貰う。デパートの「ペニー」が無くなったのだから、店舗も変わっているに違いない。ワイキキ側の「メイシー」とダウンタウン側の「シアーズ」を頭に入れる。さて、行こうとしたら、カミサンが足止めされている。
マップをくれた係員が、ヒルトンホテルへ行ってくれれば、記念品を出すと声を掛けたのだ。だらだらとした長い話を聞き終わればなんと言うことはない、コンドミニアムのタイムシェアリング会員募集に誘われたわけだ。貴重な時間を販促に取られるのは敵わない。早々に目的の店「レインズ(reyn’s)」に向かう。
ここで「ラハイナ・セイラー」というシグニチャー・パターンのアロハを買うのだ。名前の地、ラハイナに寄港したときで何軒かの店で探しに入ったが、「トーリ・リチャード」のアロハを扱うショップは有ったが、「レインズ」ブランドは見かけなかった。1960年に発売された「ラハイナ・セイラー」は、花のハイビスカス、州鳥のネネ、そして州の旗など、ハワイのシンボルがプリント柄になっている。バックプリントと言われる裏地使いをしたことや、ボタンダウン、プルオーバーといったスタイルは、「レインズ・スタイル」と言われ、ハワイ大学生にも人気がある。ここで、僕の分を買った。レジで会計をする段になって、店員が、偶数着を買えば、今なら20%引きセールをしていると言われた。ええい!と、カミサンと二人の息子、それに孫の分まで無理して買ってしまった。今度は、セールスの巧さに負けた。
アロハシャツの元は、宣教師や開拓者が着ていたサウザント・マイルズ。シャツと言われる長旅に耐える丈夫なシャツで裾を出して着ていた。中国系移民の仕立屋が自分の創ったシャツを「アロハシャツ」として商標登録して以来、日系移民も和服をリフォームしたのが、華やかな絵柄を生む結果となったと聞く。それ以前に、日本から移民したムサシヤ商店が着物をシャツにして売っていたとか、浅野さんという88歳の女性が和服をミシンで縫ったものだとか、ノースショアのミウラ・フサキさんが創ったミウラストアがアロハシャツの始まりだとか、ケンイチ・タナカのタナカシャツから生まれたとか、諸説聞かされている。ミウラストアは、雑誌「ポパイ」で紹介されてからは、シェイブアイス(かき氷)の店と言ったほうが判る人が多いかもしれない。いずれにせよ、アロハのカラフルな絵模様は、京都の染め物屋が生地を創っていたことは、本当らしい。
アラモアナのセンターステージで地元のボタンティアグループがショーを始めるというので、降りてみた。MCの男性も素
人。ダンサーも往年の美女軍団。タップもこなすし、ダンスもきれい。年齢の割に脚がきれいなことは驚きである。若かった頃は地元の青年を唸らせたのだろう。各階で見下ろしている観光客たちからも大きな拍手を浴びた。
旅行にいつも便利している「レ・スポーツサック」を覗いたらとカミサンに勧めた。イラストデザインで面白い物があった。アラモアナ限定品だと書いてある。
DFSでは売っていないものかどうか、確かめてからにしようとなった。
ハワイでの買い物はあと2つ残っている。新しいハワイアンCDとABCで買うアロエクリームだ。ロケで毎年来ていた当時は、タワーレコードで段ボールにレコード盤を20枚くらいぴっちり詰めて帰ったものだ。枚数が重くなるほどに、曲げに強くなるという理由からだった。今回は、アラモアナの海側のパーキングに面しているサム・グッディに入った。カミサンは、お気に入りの「ドン・ホー」を、僕は新しいハワイアン・サウンドを店員に選んで貰った。残りは、あとひとつだ。
昼食には、ワイキキの飲茶を考えていたので、ピンクバスを待った。待つくらいならアラモアナ・ビーチ・パークを歩いてみたいとカミサンが言いだした。アラモアナ・ブルッバードを渡ってもマジック・アイランドまでは遠い。鳩が群れていた。カミサンがカメラを向けながら歩きだした。僕はアラモアナ・ブルッバードへ向かって歩いていた。
海辺を歩きたかったのにと言われたときは、もう浜から離れていた。文句を言われながらヨットハーバーを越える。イリカイホテルのラグーンを見せれば納得するかと海側に回ったところ、なんと、ラグーンそのものが工事中だった。仕方なく再びアラモアナ・ブルッバードからフォート・デルッシ公園を通りカラカウア・アベニューに出る。この頃から、腹は空くし、レストランのオーダーストップの時間が気になり出す。振り返れば、カミサンは相変わらず立ち止まっては、花や鳥を撮っている。こういうチャンスは二度と無いと言い張って、急ごうとしない。
途中、あのセグウエイ
が2台走っているのを見た。日本では、公道を走ることが出来ないが、ハワイでは歩道の上だった。クヒオ・アベニューを歩いて、シーサイド・アベニューを右折。
14時10分、ようやくワイキキトレードセンターに着いた。ところが飲茶の店「レジェンド・シーフード」は、14時でクローズしていた。仕方がない。
向かいのワイキキ・ショッピング・プラザ地下のフードコートに降りる。ままよ!とラーメン屋に入る。なんと、ホノルルまで来て、つけ麺を食べることになってしまった。
ここでスーパードライを抱えるラッキーキャットに出遭った。
最後の買い物にABCストアに入る。例のアロエクリームを買い込もうと店内を探す。ない。店員に、角形のボトルに入ったアロエクリームは今もう製造していないのかと質すと、懐かしそうな顔になって「アレ、イマ、モウナイ。日焼ケシテモ、皮メクレナイ。日焼ケ、キエナイ、アレナイ」「アレ、効き目あるね、何本も買うつもりで来たんですよ」「今コレニナッタ。マウイ・ベーブ。マウイ・ベーブ、日焼ケキエナイ、皮メクレナイ。トライ、トライ!」テスターで肌に擦り込んでみると、あのアロエと同じ感触だった。最初は白い。擦り込んでいくと、透明になって肌に染み込んでいく。「マウイ・ベーブ」の「アフター・ブロウイング・ローション」。これで僕の予定の買い物を終えた。
「レ・スポーツサック」を確認するために、今日2回目のDFSに入る。エスカレーターを上がりきったところで、ジャックポットをした。僕が当たったという。ギフト交換券を持ってカミサンが4階に上がる。「ギフト」交換のはずが、ご丁寧にも、もう一度、プラスティックの棒で籤を引けといわれる。棒の先が赤く塗られてあった。新婚らしいカップルが同じことをした。ドリンク券を貰って去った。
しかし、我々の女性担当者は、ヒルトンで面白いことをしているので時間を作ってくれと言う。僕が「面白いことって?」「90分お茶のサービスを受けながら、聴いてくれればいいの」「面白いことって?」もう一度訊く。「リタイアされた方?何処から?東京。え、にっぽん丸で!船客って何人ぐらい?」「面白いことって?」三度訊く。「アメリカ式のプレゼンテーションが、どんなものかお聞き下さいな。今日は時間が終わったけど、明日どうかしら?ヒルトンでコンドミニアムの分譲プレゼンを90分聴いてくれれば、100ドルの購入チケットを渡します」僕が「何処で使えるの?100ドル分は」「ここに戻ってきて使えます。にっぽん丸の方達、何人も昨日100ドル分使ったわよ」「我々には時間が勿体ない。プレゼン90分に戻り30分、下手すれば、貴重な我々の2時間半も費やすことになる。しかも我々は、DFSで14時までに買い終えないと、船で品物が受け取れないからね」こう言い返すと、途端に、これまでのにこやかさが冷め、「お時間ないわね、だったらこれどうぞ」と出されたのは、ドリンク券ではなかった。プラスティックの安っぽい飾り。「ギフト」という言葉は、客を釣るトリッガーだったのだ。
実は、カミサンが勧誘されている間に、秘かにその籤の棒を鷲掴みで抜いてみた。全部といえるほどの数が赤に塗られてあった。リタイアーにはコンドミニアム会員権販売、ハネムーナーにはドリンク券という販促策だったようだ。ABCストア全店の領収書100ドル分でマグカップ1個を進呈という販促のほうが、他愛なくて好感が持てる。
さて、4階から、目的の2階「レ・スポーツサック」へ降りるのだが、すべてのフロアーを回遊しなければ降りられない。下りエスカレーターがそうレイアウトされている。これもショッパーのストア動線の戦術だが、急ぐ者にはなんとも不便だ。
2階の「レ・スポーツサック」に、ワイキキのイラストをデザインした限定バッグはなかった。店員にこのことを訊くと、各店が独自であるという答え。妙な回答である。「レ・スポーツサック」全店でのハワイ限定品であって欲しいものだ。戦術か戦略か、購入意欲を失った。この会社の販売担当役員は再考すべきだなとDFSを出た。無いからといって、もう一度アラモアナ店まで行く気はしない。
15時30分発のシャトルバスは、出たものと思って、正面玄関に出た。まだ発車前で停まっていた。幸いにも乗ることが出来た。
今日は、良く歩いた。疲れた。だがほんとはカミサンが一番疲れただろうに、僕は夕寝をしたらしい。18時に起こされた。
今日に限って夕食時間が早まっていた。ホテルの宿泊ツアー客は帰って来ないし、外食する人もいるとして、今夜は1回食だという。慌ててシャワーを浴びて、レストラン「瑞穂」に行く。高嵜夫妻が後から来て座る。やはり、夕食を19時30分と思いこんでいたようだ。ハナウマベイで泳いできたという。工藤さんが来て、今朝のデッキゴルフ、ベテラン組を倒したと鼻ひくひく。良かった、ミセス長野も長坂さんも明後日から一緒にやりましょうと、健闘を褒め称えた。
19時からの現地芸能イベントは、子供のドラマーを入れた家族のハワイアンバントとダンサーで魅せてくれた。3人の女性と3人の男性フラは、衣装替えも5回ほどになるくらい、様々なバージョンを踊って演奏してくれた。イプを叩きながらの踊り、羽の付いたウリウリをマラカ
スのように鳴らしての踊り、竹の棒、フィリを肩の後ろで叩く踊りなどを楽しめた。
船でなくホテルにスティしているのなら、気軽にサンセット・フラを見物に行くのだが、港から出ていくのでは遠すぎる。ワイキキ・ビーチでは、デューク・カハナモク像の前のクヒオビーチや、カピオラニ公園前の文字通り、サンセット・オン・ザ・ビーチでのサンセット・フラが見られる。かなり昔、日本の団体様に好評だったコダック・フラは、もう廃止された。夕陽こそ当たらないが、冷房完備のステージで、こうしたファミリアスな現地芸能を楽しめるのも、船の贅沢だ。明日は、そのデューク・カハナモク像辺りのビーチを歩くだろう。カミサンは、かなり若いときに長い間、ホノルルの知人宅にいたので、カハラやハナウマベイに行きたいとは言わない。明日もぶらぶらしよう。
カミサンがガイドブックで「レ・スポーツサック」の路面店を見つけた。シェラトンホテルとトップ・オブ・ワイキキの店だ。明日の出だしは、そのどちらかの路面店に、探しているイラストデザインバッグが有るかどうかで行動の時間配分が変わる。
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