« 07.06.05 ホノルル2 | トップページ | 07.06.07 日本へ2 »

2007年10月 8日 (月)

07.06.06 日本へ1

6時に目覚めたのだがどうも体が重い。なんとかそのまま、八点鍾まで起き上がらないでいた。2日間の「ホノルル疲れ」か。そうであっても、今朝は、デッキゴルフが再開される初日だ。今日から帰国するまでの1週間は、何処にも寄港しない。つまりは、毎朝デッキゴルフ三昧だ。デッキゴルフがしたいために航海日に多い、この南洋クルーズに乗り込んだオッショーネエ鬼界は、既に下船して京都の自宅に帰ってしまった。強敵が一人消えたとも言える。天気は良好。

Img_226066 『北緯22°04′、東経162°25′。北西に連なるハワイ諸島の南から日本へ西に進路を向けていますが、沖合い50km以内の航行は禁止されていますので、ご了承下さい。速力195ノット、時速36k、天候は晴れ、北東の風7m、気温25℃、水温267℃、波の高さ約15m。8日は日付変更線を越えますので、69日はスキップされます。今夜から、時計は1時間ずつ遅らせます。125時間の生活をすることになります。

しばらく海は穏やかさが続きますが、日本から南部で梅雨前線が張り出してきましたので、1213日頃にどれほど影響を受けるかですが、多少船が揺れることが考えられます。

尚、本日1256分、太陽が本船の真上に来ます。デッキで自分の体をお試し下さい。NHKのCSTVですが、いまご覧頂けているのはハワイ周辺の視聴者のためですので、明日には電波が圏外になります。次回映像が受けられるのは、日本に近づく11日を予測しております。』

 

朝食を急いで口にして、デッキゴルフに参戦。長坂さん再デビューの日となった。

Img_2257 Img_225566 菅谷、松田、工藤、萩原に草浦という曲者揃いに対して、高嵜、松田サエ子、塩野、長坂とαの対戦。長坂さんは、幸先良く1番ホールを抜け出ていったが、2番で白の我々に捕まった。ドボンで赤の救助を待つ。長坂さんにしては、代わり番で打つα玉でのチャンスしか鬱憤晴らしができない。なんと、よく見ると素足になっていた。

工藤、萩原が珍道中をしている間に我々白の松田、草浦、菅谷の3人が5番ホールをクリアして権利玉になってくれた。赤は長坂玉以外権利玉になれず、その後の結果は、意外にも勝負は早く着いた。「素足の長坂さん、健闘空しく敗れる」という見出しか。ひさしぶりのゲームは、白の勝ちとなった。11時からは、「ポリネシアの人々と文化」第5回目の片山講演があるため、2回戦はナシ。

 

シャワーで汗を流して、講演会場のドルフィン・ホールに出る。いつものように、5階、つまり二階席から見下ろす格好になる。隣のご婦人が鋭い観察をしていた。「日本に近づくに従って、派手派手しい服装が減って参りましたわね、皆さん。尤も、今夜は最後のインフォーマルですけどね」確かにその指摘はご明察と言いたいほど。船客の姿が、落ち着いた色調になってきた。非日常の世界から日常の世界に近づいてきているからか、着慣れた服装に戻ってきているのだろうか。

 

本日のテーマは、「巨石文化」。フランス人の移住や捕鯨船団の基地となって以来、西欧文化の他に病気まで持ち込まれ、19世紀後半には、10万人のポリネシアンが100人ほどに激減した。文字を持たない種族は、その人と共に知識までをも失ってしまったと、秘境といわれるマーケサス諸島に人類学の調査船で現地を探索した片山先生は、ヒコクア遺跡での亀の石画を見せながら嘆く。

そして、モアイの原型とも言える巨石像が至るところにあると説明する。トンガの崩れかけた方形墳墓のランギや、トンガのストーンヘンジでもあるハーモンガも、ポナペのナンマドールも「モアイもどき」だと、片山先生は言う。

そのイースターのモアイ像は、世界七不思議のひとつだが、10mの高さ、10トンのモア・イ(鶏・火)像が、およそ1000体確認されている。この「イースター」という命名は、1722年オランダ人がキリストの復活祭(イースター)の時、上陸したことに依る。元々は、Rapanui(石斧・大きな)という島だった。西の島々には、ヤシの木で彫った巨像が発見されているが、東に向かっていくにつれて、あのモアイ像のように派手で大きな像となっていったという。つい最近まで倒れていたあのモアイ像は日本奈良文化財研究所と某日本企業によって立たせることができた。そしてその倒れた原因を片山先生は、津波によるものだと考えていると語った。

6000年前アジアから南下したラピタ人が3000年前トンガ、2000年前タヒチ、1500年前ハワイへ。そしてイースターへも南下したのだが、このイースター島から大陸であるチリまではジェット機でも6時間、4000kmの距離がある。イースター島には、にっぽん丸が世界一周クルーズの寄港地として2002年に上陸したが、冬は寒い南緯27°に位置するため、寄港するベストシーズンは1月から3月までとなる。

4年に1度の「世界ラピタ会議」が、今年の820日~25日、スエーデンのフォトランド大学で開催され、片山先生も出席を予定しているとして、この講義を終えた。

 

Img_226766 Img_226966 今日は、スポーツデッキで「洋上大運動大会」が行われたようだ。ようだというのは、これで3回目になるので、写真を撮ることもカミサンに頼んで、僕は船内でのんびりしていた。

 

今夜のドレスコードは、最後のインフォーマル。この日の船内新聞はいつもと違う掲載文があった。過日、川野チーフパーサーに意見具申したことだった。「2回食目の客には、メインショーではジャケット着用でなくカジュアルであっても良い」との但し書きが書かれた。メインショーから夕食までのインターバルが1時間もあることが、度々問題になっていた。この時間内に着替えをすればいいということだ。しかし、セカンド・シッティングの船客だけが、服装にばらつきが出る事は否めない。2回公演するエンターティナーの方々の目にはどう映るのだろうか。帽子をかぶったままの男性客が座っているよりはいいのだが。

食前のメインショー、ドルフィン・ホールは、ホノルルから乗船した北村英治ショーだった。03年世界一周クルーズ以来である。久しぶりという挨拶で始まった彼は、自作曲の「さつき(アゼリア)に寄せて」を聴かせてくれた。この曲は、とてもリリカルで船客からは大拍手だった。やはり、ソプラノ歌手やラテン系バンドよりも、50年代から60年代のジャズ、ポップス系の方が受けがいい。言い方は悪いが、進駐軍によって日本人の耳を変えた音楽の方が、船客層には喜ばれるのだろう。おそらくこうしたナンバーをフルバンドの演奏に乗って、ダンスを楽しんだ世代ではなかろうか。

 

Img_227666 Img_227566 夕食は高木夫妻、高嵜夫妻の背中のテーブルに案内されたが、どちらのテーブルにも空きがあり、スタッフの了解を得て同じ席に移った。今晩はインフォーマルに合わせて着てくれている、フィリピンクルーの正装姿も今晩で最後になるらしい。花柄の正装ドレスは、今年からスタートしたようだ。約束通り、正装のジュン君とカミサンをツーショットで撮る。ニックの姿が見当たらないのが残念だ。

Img_227866 目で楽しんでいるだけではなく、彼らに感謝の気持ちを込めて、カミサンと数人を一緒に記念撮影させてくれないかとジュン君に事前に頼んでおいた。食事も終わり、客も殆ど姿を消した頃、ジュン君に手の空いた仲間を呼び出してセンターテーブルに集まって貰った。シャッターを切る内に、徐々に徐々に多くの人が走り込んで来て、きゃあきゃあ喜んで声をあげている。何事が起きたのかと、食事を終えた船客が見守る中、我々は一人一人に感謝の握手をして記念写真撮影は終わった。顔馴染みになったフィリピンスタッフはまだ興奮が冷めていなかった。この関係がにっぽん丸独特で羨ましいとは、飛鳥やぱしびに乗ったことのある船客からの言葉だった。2国間だけの人間関係と言うことの他に、マニラでの厳しいホスピタリティの訓練がそうさせているのかも知れないとは、専らにっぽん丸に乗る船客の返答だった。

 

Img_2242 デッキに出てみる。これからは毎日、夕陽を追いかけて航行するのだが、今日は雲が多く、柔らかな橙色で終わった。

食後の約束で、高木夫妻と一緒にネプチューン・バーに繰り出した。後から顔を出した高嵜さんはしばらく止まり木に腰を下ろしていたが、早々と引き上げていった。入れ違いに長坂さんが現れたが、遅きに逸した。僕は既に眠気を催し、限界だった。今日のような好調のデッキゴルフを対戦しましょうと言い終えて、チェックアウトした。

|

« 07.06.05 ホノルル2 | トップページ | 07.06.07 日本へ2 »

旅行・地域」カテゴリの記事

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 07.06.06 日本へ1:

» オーストラリア政府、YouTubeで日本の子どもに反捕鯨キャンペーン [インドア アンテナ]
オーストラリア政府は、動画共有サイト「ユーチューブ(YouTube)」を使って日本の子どもたち向けの反捕鯨キャンペーンを開始した。 同政府が発表した動画クリップは日…… [続きを読む]

受信: 2007年10月11日 (木) 15時06分

« 07.06.05 ホノルル2 | トップページ | 07.06.07 日本へ2 »