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2007年10月

2007年10月27日 (土)

07.06.11 日本へ5.

午前3時にはすっきりと目が覚めた。しかし、これも時刻改正のおかげで、6時間は睡眠を取れたからだ。しかし、まだ起きるわけにもいくまい。波も穏やかだ。もう一度眠る。再び、自然な目覚めをしたのが、620分。もう充分な睡眠時間だった。ナビは、北緯31°48′東経164°43′の位置である。水平線は見えず、ガスっている。ゆったりとした大きな波の中を航走している。ピッチが合っているのだろうか、揺れも少ない。195ノットだから快調である。

昨日、船室のマグネットを撮り歩いたが、その殆どがブレていた。やはり、波が船を揺らせていたせいだ。P1030039P1030042 「マグネット」とは、ドアに各自が付けているマグネットのことで、03年世界一周クルーズの時は、廊下を歩きながら奇異に感じたものだ。奇数ルームの右舷、偶数の左舷と解っていても、番号を忘れてしまう。 このため、各自が思い思いのマグネットを乗船時に持ち込んで貼り付けている。猫好き、犬好き、釣り好きも一目瞭然。例えば、オートボP1030071 P1030033 ケ・デビル高嵜さんは、ワインとジョッキ。スレンダー・アーム野村さんは、スニーカーといった具合だ。もう一度、再撮に歩き回った。

 

P1030044 P1030047 7時には、2階のレストランに上がってきてしまった。まだクローズだった。

オープン前に来たのは、今回のクルーズで初めてだ。工藤さんが近づいてきた。「今日あかんわ、試合。雨やから」朝のラジオ体操を終えてきたのだ。トレーナー姿の野村さんも来た。「ざざ降りよ、ね、どうする?」参った。日にちが無くなった。昼から晴れてくれないか。

早い時間にセンターテーブルの洋食の席から見渡すと、なるほどなるほど、いつも定席に座っているというのは、こうした時間に来ているからなのだと納得した。今朝も紙焼きした写真を配るため、歩いた。高木夫妻、松田夫妻が現れた。塩野さんと渡辺さん以外には渡すことができた。

『北緯31°55′、東経164°23′。横浜港には丁度、北海道から沖縄までの距離にまで近づいています。速力185ノット、時速34k、天候は雨、東南東の風14m、真後ろからの風を受けて快調に走っております。しかし、太平洋上の前線区域に入りました。明日はいくらか穏やかな日を迎えると思いますが、日本も暦で入梅の日です。沖縄は511日から梅雨入りしました。気温205℃、水温166℃、波の高さ約2m。』

 

今朝から左手が痺れている。左足も痺れ始めた。気になる。

朝食を終えて今後のリーグ戦予定を勘案するため、高嵜さんを待ち伏せた。そこへ、過日お叱りを受けた初老の方が出てこられた。Sさんというお名前だけは人から教えられていた。デッキゴルフを始めた最初の船客だと言われる当時を是非お聞きしたいとお願いしてみた。程なく高嵜さんも朝食を終えて出てきた。インフォメーションデスクであらためてSさんのルームナンバーを訊く。電話した。

「何ですか?」先ほどお願いしたのにと首を傾げながら、「デッキゴルフのことでお話を」「何処で?」「レストランを出たところで」「ロビーだね」そして待つ。松田さんも、菅谷さんも集まった。高嵜さんと、4階から降りて来られるにしては、遅いなと時計を見る。既に10分が経つ。もう一度、インフォ・デスクにルームナンバーを訊く。今度は違ったルームナンバーが返ってきた。電話をすると、Sさんは待っておられた。自室に来ないかと誘われる。

ここでようやく茶番劇が読めた。最初の番号は菅谷さんの部屋だったのだ。だから、僕の電話でロビーに来てくれたのだ。Sさんをいつまで待っても現れるはずもなかった。大笑い。高嵜さんと二人で左舷側のSさんの部屋に向かう。

Sさん(83歳)の話では、1994年の「ふじ丸」で、カリブ・アラスカクルーズに乗られた折、猪狩機関長に教えられたとのこと。当時「「ポート&スターボード(船内新聞)」に初めて載った「デッキゴルフ」という文字を見て参加したそうで、船客に絵の上手い建築家がいて、鉄の甲板に4箇所ほど、ポンドの図として鯨を描いてくれたそうだ。現在の「にっぽん丸」よりも広かったことが判る。勿論、歴史的には、それ以前の「あるぜんちな丸」で既にデッキゴルフそのものは始まっていたのだが、船客が描いたという話が聞けたのは何よりだった。

やはり、当時も楽しかったと見え、8人でプレイしても3組が組めるほどいて、午前午後と分けなければ、順番が回ってこなかったそうだ。シャッフルボードの横突きスタイルから、縦に握る今のスタイルになったのは、1944年当時の「ふじ丸」で狭かった結果だったという。この点は更に検証しておきたい歴史的な節目である。なんだか、四つ足の猿から二本足の人間になって、立ったことのようで面白い。まだ、川野チーフパーサーが1本線の身分だったころだそうだ。

猪狩機関長は、どうやら、1940年生まれで、僕や長坂さんと同じ歳だ。なぜ、デッキゴルフをしていた中心が歴代の機関長なのだろうか。Sさんの話を一緒に聴いている高嵜さんは、神戸商船1期生であるから、それよりも前の花岡、武谷機関長時代の歴史まで遡れる。今でもその方たちと交流を持っているからだ。会談の結果、「自分がデッキゴルフの最初」という点はSさんが撤回されたので、デッキゴルフの成り立ちは、それ以前に戻すことが出来そうだ。いずれにせよ、デッキゴルフというゲームに病みつきになった我々の仲間は、歴史とルールを検証しておく必要がある。楽しめるゲームだということをもっと知らせるために何かできることはないのだろうか、高嵜さんとはそんな話をしながら2階に降りた。

 

高嵜さんが天気図を読んだところによると、不連続線に沿って航行しているので、明日の昼まではこの天候が続くとの予測だった。以降、日本への航路は霧の中が多くなるらしい。そうなると、ますますリーグ戦3ゲームの消化は難しくなった。

食事2回制では、当然のことながら2倍の食事時間が費やされる。また夕食時前にメインショーが組まれていることから、船内の自由時間をかなり少なくしている。さらに、今夜はフェアウエル・パーティのため、フォーマルデーとなっている。和服で出席する工藤さんは美容室に時間を要する。その工藤さんが出場可能な時間を捻り出さねば、彼女がプレイできないままになる。何とか2日間で3ゲームをこなすには、チームの再編成しか方策はないと判断し、ファースト・シッティング組をひとつのチームに固めた。

 

A ロング・キング松田:ナイス・チョット松田姫:ネプチューンスター長坂:スレンダー・アーム野村

B キラー・コンドル菅谷:シビ・ベレー草浦:ハット・フィッシュ塩野:スイスイマダム工藤

C オートボケ・デビル高嵜:マダラ・サムソン萩原: ショットガン・トール高木デッキ・ダンサー高木

この編成を承認後、開始時間も1530分から、とにした。パソコンで打ち、プリントアウトして、急いで5階から2階まで各室にポスティングして回った。


昼食には、少し遅れた。同じテーブルには瀬戸ご夫妻の姿があった。ナイスタイミングで、これまでの写真を渡すことが出来た。クルーズ人口の増大のなかでサービス業はどうあるべきか、また実施するアンケートから何をいかにしてどれだけ顧客の潜在要望を読み取るか、と瀬戸さんとは、すっかり広告主と広告会社員になった。奥様もカミサンも共に意見を言い合える話題だったせいか、にっぽん丸のサービス談義で盛り上がった。昼食にしては、軽くない話だった。これからも是非クルーズを続けてくださいよ、というエールを頂いた。気持ちと預金が反比例しています、帰国したら先ずやること、宝くじを買うことですと笑って終わった。

 

1415分、NHKテレビの電波が入るようになったが、まだ民放のチャネルは砂嵐だった。

後部デッキの教室の様子を見に向かった。終了時間を見計らって、メンバーに招集をかけたい。5階から見下ろした教室は人数としては大盛況だった。数えてみると14個のパックが使われていた。高木夫妻の姿もあった。打つ順番がなかなか来ないと、ダレ気味の人もいた。リンクのスペースとしては、やはり8人以内が最適だろう。34番ホール抜きだという。長い距離を打たせる練習は必要だ。ロングショットの爽快感は、自分の打ち出す角度次第で、大きく的を外す。正確なショットを確認させるのには有意義だ。

天気は少しずつ荒れて、気温も下がってきた。教室の14人がすべて5番ホールをクリアするのには、1515分までかかった。菅谷さんが、長坂さん、塩野さんが姿を見せて、徐々にメンバーが参集していた。最後に高嵜さんが現れて全員揃った。

1530分、ようやくにして「日付変更線通過記念リーグ戦」の初戦が火蓋を切った。
A組は、松田夫妻と長坂、野村。C組は高嵜、萩原、高木保彦、高木敏恵の夫妻。

我々が先攻となった。教室終了直後ということもあって、身体が巧く動いている高木保彦さんが1,2番ホールを次々にクリア。見事なスティック捌きで飛ばす。その高木さんを高嵜さんがガード役で追走していく。我々は敵の長坂さんを徹底的にマークし、2番で抑え、さらに4番で抑え、援護しようとするリーダーの松田さんの玉を止めた。僕も、高木敏恵さんをフォローしながら、3,4番をクリア。その時点で、既に高木保彦さん、高嵜さんは5番ホールを通過して権利玉になっていた。後を追って、高木敏恵さんと僕が権利玉となっていく。快調にゴールホールに集結した。試合展開の終盤は、高嵜・萩原の二人で、ゴールに向かってくる敵4人を応撃する体勢を取った。

何度かの攻防戦の中から僅かなミスを逃さず、全員をOBラインに撃ち出した。敵が休んでいる隙に高嵜さんが悠々とクリア、ゴールした。敵が順々に玉をアップしたものの、僕も至近距離からゴールができた。完勝。まずは先勝。次の対戦相手は、C組(ファースト・シッティング組)の菅谷・塩野・草浦・工藤となる。

急げばまだワンゲームは出来そうだった。審判を勤めてくれた菅谷さん、塩野さんがウズウズしている。有志だけのゲームをすることになった。夕食前のメインショーより、デッキゴルフを選んだ。古今亭菊の丞さんには、申し訳ないが、「海」での最後の落語は聴かないままということだ。

ジャンケンで、白が高嵜・萩原・高木敏恵・長坂、対する赤が、菅谷・松田・高木保彦・塩野となった。ゲームはかなりアップテンポで進んだ。高木敏枝敏恵さんを最初にゴールしてもらった。フォーマルドレスの準備に帰って下さいと、男共が口を揃えて言う。彼女は足早に去っていった。ドルフィンホールではカクテルパーティの準備が始まったようだ。グラスを置くテーブルがデッキに引き出されて来た。4番ホールの横にそれが置かれた。それが障害物とはならず、勝負の場は都合良く、5番ホールに移っていた。夕闇が迫ってきている中で、いい老人達が玉叩きに興じている。パーティの準備をしているフィリピンクルーも、デッキに出てきた平野カメラマンもあきれ顔だった。ゲームの終盤は、高嵜・萩原対菅谷・松田・塩野の2対3となったが、高嵜さんゴール、続いて萩原ゴールで、これまた絶妙のコンビネーションで勝った。写真は誰も撮っていなかった。雨にも降り込まれず、ゲームが終了した。今宵がフェアウエル・パーティでなければ、リーグ戦は2回こなせたのだ。ファースト・シッティング組の菅谷・塩野さん達は急いで消えた。これからシャワーを浴びて、タキシードを着るのだから大変だ。

 

明日は、スタッフ4名との雪辱戦が控えている。「船上の戦場」がラストとなるかもしれない僕の勝手で、スタッフに挑戦状を投げてきたのだ。過日は、好打者の田実君、小技の黒川君、未知数の浅間女史、そして手強い高嵜ジュニアを相手に負けた。負け組の菅谷・萩原に、助っ人松田・高嵜の4名で立ち向かう。小雨くらいなら決行である。床面が濡れようとも、06年次100戦以上をこなしたデッキゴルフメンバーの面子に賭けて、リベンジを計る。

 

部屋を出るのが遅くなったせいか、ドルフィンホールに続く左舷側の廊下には、早くもドレス姿の行列が出来ていた。みな最後の着飾りに精を出してきた様子だ。カミサンも僕も、大方は変わらない。僕はブラックタイからシルバーに、カミサンはお気に入りの和服のリフォームドレスに真珠。

白い正装姿のキャプテンらに迎えられて、ホールの中に入る。後ろの席に座ろうと回り込んだら、既に着席していた松田夫妻が目に入った。どなたかとお約束はないかと訊ねてみた。どうぞ、どうぞと手招きされて、ご一緒させてもらうことにした。早々と、我々の結婚記念日のプレゼントを頂いたことに、あらためてお礼を述べた。

今クルーズ、3回目のフォーマルである。慣れが出て、晴れがましさもドキドキ感もない。椅子に座ってしまうスタイルなので、いわゆるパーティのように船客との間を縫って歩き互いに紹介し合ったり、だべったりすることが出来ない。フォーマルウエアを褒めて歩く楽しみにも限りがある。

今回もカクテルは4種類。ステージでは、考案したバーテンダーがその内容を紹介している。「南国の風」、「サムライロック」、「梅シュワッチ」、「楽園の誘惑」がそれである。アルコール度数の強弱がメニューに示されているから、適宜スタッフの差し出すカクテルから選ぶのだが、ほかに、ビールやウイスキー、ジュースなどが受け取れる。

最後のフォーマルナイトとあって、カメラマンは引っ張り凧の状態だ。しばらくして、平野カメラマンが写真はいかがかと回ってきてくれた。松田夫妻にも入ってもらった。ステージでは、メインスタッフをステージに上げた白川船長が、ウエルカム・パーティの挨拶の後、今コースで期待した点を各自に語らせた。内山コンシェルジュは、ハワイ移住の夢をさらに強くしたそうだ。

 

場所を変えてディナーの時間になった。ドルフィン・ホールに向かう途中、松田夫妻と離れてしまった。P1000130入口で、特にお約束した方はいませんかと平さんに問われ、咄嗟にありませんと答えると、03年次で浜さん夫妻が定席としていた端の二人席に案内された。斜め左には高嵜さんと高嵜廣子さんのダンス仲間がテーブルを囲んでいた。デッキゴルフの仲間はどうしたかと見回してみた。 左舷側のテーブルには、高木夫妻と野村さんが一緒だったが、松田夫妻の姿は見当たらなかった。

帰国が迫った最後のフォーマルナイトの食事は、シェフが腕によりを掛けて献立を構成してある。だから、格別に美味い。ロウ・ソルトに特別調理してくれている僕の料理が美味いのだから、ソースをしっかり絡めたカミサンの皿はさらに美味なはずだ。

どこかのテーブルから、「大きな貝柱だなあ」という声が耳に入った。それは、貝柱ではなくホタテ貝である。そろそろ肉を避けておこうと思っていた矢先に、薄切りの鹿児島牛のステーキだ。口にすると、もう駄目だった。美味くて自制心を失った。レストランにも平野カメラマンが回ってきた。撮られましょうかと、座り直した。

食後のバリトン・コンサートには出掛けずに、早々にタキシードを脱ぐ。明日から下船までの衣服だけを取り出して、後は帰国後の洗濯物として片付ける。

 

2240分、早くも睡魔が襲ってきた。

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2007年10月21日 (日)

070610 日本へ4

足が攣った。目覚めたら午前2時15分だった。昨日は一日調子が悪かった。やれやれ、これからあと何回起きるのだろうかと気にしながら、バンテリンを大腿部に擦り込んだ。2回目に攣ったのは545分。

 

今朝は、「日付変更線通過記念リーグ戦」がある。心身共にすっきりさせようと、シャワーを浴びた。

太陽は雲間に隠れているようだ。日本に近づいているためか、海は、どす黒く波は荒れてきた。時折、岩にでも当たったように、船が左右に身震いをする。パソコンを叩いている音でカミサンが目を開けた。「…あなたと同じで、…私も足が攣ったわよ。普通の人が足攣るって、心臓が良くないってことらしいわね」そう言った。かと思うと、また寝息を立ててしまった。

 

715分、波は徐々に白波の数を増やしてきた。ナビを見ると、船の速度は落ちてきていた。いつもより早いが朝食に出る。デッキゴルフのメンバーに、本日のリーグ戦の対戦チームの変更を承認して貰う必要が出たからだ。

八点鍾の前に『本日は時の記念日です』とアナウンスがあった。途端に、レストランの中で、ワアアアアという、忘れていたことへの感嘆の声が上がった。いつの間にか、日本の暦と遠ざかっていたのだ。船長の朝の挨拶が、朝食を取りながら聴けるのは時差の関係だ。

 

Img_2327_6gatu_10_ka『雨が降っています。日本の中国地方の東西に梅雨前線があります。太平洋上で遭遇するにはやむを得ません。日本の梅雨時に入りましたので、少し揺れてくると思います。北緯29°34′、西経173°01′。南西に種子島、また小笠原の北、鳥島に近づいています。速力19ノット、時速35k、天候は雨、南西の風17m、気温25℃、水温236℃、波の高さ約2m。』

 

実は食事どころではなかった。レストランの中に、メンバーの顔を探しながら、眼が泳いでいた。リーグ戦の予定が狂ったのだ。10時に「帰国説明会」があることを昨夜の船内新聞で知った。それは全員の出席が必須。2つの問題が生じた。

1点目は、945分には試合終了をさせなければならない。本日午前中に2試合を消化するには、スタート時間を845分に早めたい。2点目は、工藤さんが明日のフォーマルのために美容院予約時間と重なったこと、塩野さん、草浦さんの二人が写真発表会に出席する時間が控えていたことである。

前夜、夕食後かメインショーが終わってからでないと、翌日の船内イベントスケールが判らない。乗船客が全員必なら尚更、事前に通達がなられて然るべきだ。これは船内サービスの運営上、問題のひとつだ。帰国1週間前の船内行事は船内新聞等でディスクロージャーすべきである。残り僅かになった時点では、船客が共有すべき必要な日程は、いわゆるサプライズを埋め込んだ企画もの以外は公表しておくことが望ましい。

 

A対Bの第1戦予定をB対Cに変えることで対処する。さて、その組み合わせの変更と早まる時間の了解を各自から得なければならない。5階の塩野さんの部屋へ駆け付けて、早くにお出ましを願いに行った。ノックしたが返事はなかった。朝食の席を急襲して他のメンバーにも45分スタートを了解して貰う。問題はまだある。天候だ。後部デッキに行ってみる。中央部は全く風を感じさせないが、右舷プロムナード側からの風はさすがに強い。 朝の報告では、風は17mだった。床面は濡れている。雨水は掃き出せば事足れることだが、天候が悪くなるという予測はどうしようもない。

松田さんと相談の上、残念だが中止を決めた。このことを再びメンバーに急いで伝えなければならない。メンバーがデッキに姿を現す道取りを考える。4カ所ある。左舷右舷のプロムナードデッキ、ドルフィン・ホールの中から出てくるコース。3階の展望風呂横から階段を上がってくるケース。2階のインフォメーション・デスクの電話に走る。塩野さんの部屋に、今度は電話をしてみる。奥様からランドリーに寄ってから向かう予定だと教えられる。まず、松田さんにそこで塩野さんを足止めしてもらう。

Img_2340 4階のドルフィン・ホールの近くで見張っていると、菅谷さんの姿。中止ですと理由を話すと、頷いて菅谷さんは、飄々と風の強いデッキをそのまま後部まで歩いていってしまった。独りで練習を始めた。さすがシングル。天候が悪ければ、寄せの練習か。頭が下がる。こうして、バタバタはようやく終わって部屋に戻った。

松田さんから電話が入った。2階のエントランス・ホールに上がって、経過と今後を話し合った。そこへカメラの水本君が立ち寄った。水本君が試写会の異見を求めたので、先ず、昨日の試写会での、「グリーンライト」と「ホノルル空撮の虹」に拍手した。ついでに、僕なりの異見を言わせて貰った。「南洋クルーズ」と謳っているのに、くっきりした斜光のある映像が見せて貰えなかったのが残念だったと。彼は独学で写真を撮り、プロのカメラマンになったことを語り始めた。写真はかなり粒子が荒れているがとの疑問には、ホームページ掲載のサイズを念頭に乗船したので、船客レベルのカメラを敢えて持ち込んだこと、そして自分の力量に科したとのこと。シアン系の強さは、レンズの特性なので割り切っているというのが、彼の答えだった。まだ僕には納得がいかなかった。

 

P1010144 10時に「帰国説明会」が始まった。神戸下船組はシアター、横浜組はドルフィンホール。こうしてみると、横浜組の人数が07年世界一周クルーズの数だろうか。この1ヶ月クルーズの卒業の中から、何人の方が世界一周クルーズに進級されるのだろうか。そんな想いで一番後ろの席から、星野パーサーの説明を聞いていた。

 

2階のエントランスホールでは、宅配便のタッグが配布された。こうなると、いやが上にも帰国の日が迫っている気分にさせられる。

Img_2330_610昼食を終える頃には、メンバーから再開時間を早くしたいという要望が出てきた。デッキゴルフ教室のインストラクター、黒川君は、この日も敢行するという。ではその終わりを待って始めようと5階のライブラリーで時間潰しをする。1415分を回った。デッキゴルフ教室の様子を見に行ってみると誰の姿も無い。どうやら、中止のようだ。

部屋に戻ると、高嵜さんからは、「15時現地集合で様子見」という紙がドア下に差し込まれてあった。ドアの前には船倉に預けてあったスーツケースが2個戻ってきていた。いよいよ慌ただしくなってきた。大きな揺れが来そうな天気だ。詰め込み作業の最中に、うつむいての作業は、船酔いを増す。少しずつ準備を始めねば…。

カミサンは、船友が写っている写真を11枚、各人用のCDに分類してコピーしてくれている。カメラを手にすると、案外自分の写真がないものだ。一週間ほど前から始めている。面倒な作業になるが喜ばれる。紙焼きにして手渡すよりも、修正や応用範囲が広がるので喜ばれる。足りないCDは早く買わないと、売店からなくなる。予備を買いに出る。毎回、そのCDを下船ぎりぎりの前日に手渡すことにしているからだ。

 

P10303591520分、草浦さんが待っていた。念のためにと、僕は床面を掃き始めた。乾けば出来そうな状態だと思ったからだ。高嵜さんが、菅谷さんが、長坂さんが現れた。練習でもしますかと呼びかけて、高嵜・萩原対菅谷・長坂・草浦の変則5人制で始めた。床面のハプニングが続出で、なかなか笑え、それなりに楽しんだ。

リーグ戦は、明日に持ち越しとなった。

ブリッジに行って、梅雨前線のその後の動きを訊いてみた。現在の状態で帰国できそうだとのこと。梅雨前線が停滞して上がってこないと予測しているようだ。この分なら揺れることもないか。荷造りは安心してできそうだ。

P103003416時、デジタルカメラ教室の作品発表会をシアターでちらりと覗いた。出品した写真を各人が解説している。丁度、塩野さんがそのプレゼンをしているところだった。シャッターチャンスを逃さなかったいい写真だった。


大分での地震は、その後も続きそうだと新聞にある。次男は、真紀子の帝王切開の手術にサインをしたと義妹からメールが届いた。陣痛促進剤の効果がなかったと担当医師が判断したのだ。今日は日曜日。火曜日にオペか。

 

夕食の前のメインショーはケイト・オカ・マジックショー」と読めず、カミサンが「オカマショー」と読んでしまった。この時間に展望風呂へ行ってしまいたいと、彼女は勇んで出ていった。

明日のフォーマルが終わると、慌ただしくスーツケースに入れる作業が始まると、誰しもが言い合っていると言って帰ってきた。身につける物を出来るだけシンプルにして、他は全部閉まってしまうことにした。

僕は、部屋のテレビで、マッジクショーを眺めていた。スレンダーな女性を入れ込む箱物のショーだった。手を代え、品を代えても、同じ箱物で終わった。道具立てが同じスタイルのマジックでは、見に行っていたとしても僕はたぶん飽きただろう。

 

Img_2335夕食は、ニックとカミサンが写真を撮っておきたいといっていた。ジュン君と撮ったあの「ジャパニーズ・ナイト」の時に姿を見かけなかったからだ。幸いなことに、レストランの左側に案内された。その右側のテーブルに、空いていますかと野村さんが、そして向かいに水本君が、しばらくして今度は、左側に高嵜夫妻が座った。「不味いですか?」と問う高嵜さんの言葉に、「これで、食事が美味しくなります」と僕。 結局、この右舷側の席は、食事時間の最後まで居座るグループになっていた。北村英治のラストが「海」で演奏されるというので、ようやく腰を上げたほどだった。

 

ラウンジサロン「海」には、多くの人が押しかけた。いつも以上に補助席が用意されていた。しかし僕は、聴こうとする元気もなく、プリントアウトした写真を仲間に配るだけで早々に引き上げた。シャワーを浴びベッドに横になった。2140分だった。両手で読もうとする新書版の本さえ重いくらいだった。頭の上のライトを消した。

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2007年10月14日 (日)

07.06.08 日本へ3

430分と、645分に足が攣ってしまった。その度に起きてしまうのだから、睡眠不足になる。決まった時間に足が攣るので目覚まし時計が要らないのだと言う石橋爺と違って、僕の場合は不規則なだけに始末が悪い。歩いたわけでもない。踊り疲れたのでもない。ビールの飲み過ぎということではあるまいが、カリュウムが増えてきたのだろうか。生野菜もフルーツも控えているのだが。腎臓が弱ってくると足が攣ると言われる。自重のしようがない。バンテリンのスプレーよりは、軟膏をしっかり擦り込んだ方が効きそうだと思い、膝の裏の大腿部にそれをべったりと擦り込んだ。いつ再発するか気になる。窓の外を見ると、島影もないだろうに、海鳥が船と並んで飛んでいる。

 

『皆様、まもなく、本船の右舷側にイルカの群れが通過いたします』

740分だった。廊下を走り出していく足音が聞こえる。足が攣る身では、撮りに行く元気もない。いきなり走り出したのでは、筋肉が柔らかくなってもいない。どうせ、先回のように小さなイルカだろうと勝手に思いこむ。

最近は、八点鍾の前に、航海士による一口話が語られるようになった。これまでは、鐘についてであったが、今朝は、船の容量を表すトンについてだった。

 

『フランスからイギリスにボルドーワインを運ぶ15世紀、大樽を何個積載できるかが重要でした。その大樽を叩くと「トン!」という音がしたことから、トンが使われました』

なんだか、頓智話に聞こえる。こうした話は船に多い。ドレスコードがインフォーマルの日は終わり、残すはフォーマルデーが1日だ。そもそも「背広」は、ロンドンのセヴィル・ロードから生まれた当て字だが、女学生のセーラー服は、海軍から。「ダブル」のスーツは、船員の制服からだ。強い海風で服が煽られないように、しっかりと左右にボタンをつけたところから始まった。フォーマルスーツの「カインドウエア」や、「御幸毛織」の広告を担当した者としては知っていて当然のことだが、船のことは知れば知るほど面白い。あのタイタニックの4本煙突の1本はデザインのための飾りだったということ、大惨事以降は全世界でSOS信号は活かされたし、万が一船が傾いても救命ボートが片側だけで全乗船客を乗せられるに足りる装備が条約で決められたりした。英国の商務省ルールでは、1万トン以上はボートを16隻以上と決められていたが、45000トンのタイタニックは、折りたたみボートを入れても20隻しか積載していなかった。64隻の計画がコストで削減されて出航した。いつの時代にもある政府の古い規制が変更されないままだったことなどだ。今朝も平穏無事の航海日和のようだ。

 

Img_2303『北緯26°59′、東経178°56′。北東の貿易風が南風に変わりました。日本の夏を思わせる海の色です。速力19ノット、時速35k、天候は晴れ、南の風6m、気温26℃、水温27℃、波の高さ約1m。1110分に日付変更線を通過します。西半球から東半球に入ります。521日にダブった分を返し、明日は、610日になります。シャチ、鯨を観られたかたもおられましょうが、今朝のイルカは残念ながら、本船に近づいてはくれませんでした。今朝早くから、足の赤いアカアシカツオドリが、船で羽を休めてはトビウオを捕まえています。今夜は、夏祭り、縁日の屋台も出ます。どうか、夏の宴をお楽しみ下さい。終わります』やはり、イルカを撮るのは無理だったのだ。

 

朝食に出るよりも、体の疲労感をなくすほうがいい。デッキゴルフはイベントのため、ナシだ。朝食からカミサンが戻ってきた。「ニックがね、ヨーグルトだけでも食べさせて下さいってね、3個も渡されたのよ」こういうところが、2万トンクラスの親密感ある船旅なんだろうな、と感謝する。飛鳥がホテルなら、にっぽん丸は老舗の旅館だというのは、こんなところにも実感できる。

 

945分から1階シアター、廊下を隔てた至近距離でカメラマンの水本君による「スライドショー」が行われる。そこへは顔を出せるだろう。攣ったら、数歩で自室に帰還できる。

数分で満席になった。盛況である。他の教室と重なっていると試写希望者が多かったらしく、もう一回上映会を開くことにしたと蘇君から追加発表があった。今回は、世界一周クルーズのケースと違い、CD化の予定が立っていないことが船客に知れ渡ったからだろうか。寄港地の最後を離岸したから、試写されたのだが、まだまだ船内イベントは続く。それが再びフィナーレに映し出されることになっている。

 

スクリーンに投影された。音楽も入れ、キャッチ文字が巧くレイアウトされ、それがナレーション代わりをしている。そういえば、06年次では、東さん自らがナレーター役をしていたことを思い出した。写真素材の大半は、3階に掲出されている、ウエブ発信済みのものに数点加えられていた。約30分だった。

僕の感想を辛口で書くと、スクリーンではかなり粒子の荒れが目立ったこと、露出がアンダー気味であること、それでいて、南洋というディステネーション特有の強い日射しが写し込まれていないこと、ツアー客と異なった風景の切り取りがさほど無かったことだ。これまでの東さんの鋭い視線は、長野オリンピックで鍛えた洞察力と、ヨットマンの知識、そして、ジャーナリストとしての視点、最後には奥様の感じる観光客と等身大の喜び、何よりも、足を使って、あの写真一枚一枚が写し取られていたのだと、あらためて感じ入った次第。水本君が見せてくれたものもあった。空撮で撮ったクック湾でのにっぽん丸、そしてホノルル空撮で大きな虹を架けられたにっぽん丸、そして昨夕のグリーンフラッシュ。彼の持ち味は雄大な風景を目の当たりにしたときの、いわば「ポスター・ショット」「カレンダー・ショット」はさすがで、面目躍如である。

 

掃除のために部屋をあけてあげようと、サロン「海」で珈琲を飲む。P1000208 毎朝、デッキゴルフに打ち込んでいる時間に、船室の掃除とベッドメイキングがなされる。この時間、各教室に参加しない人には、プールやビューティサロン、カードルームに出掛けるか、ミッドシップバーやライブラリーなどパブリックスペースが歓談の場になる。

11時、ドルフィンホールに向かった。ラストのビンゴゲームが始まるのだ。先回、左舷側から入って、黒川君の手にしたビンゴボードの一番下から引き抜いたことで、早くにビンゴとなって、「ノットボード」を貰うことになったのだからと、今回も縁起を担いで同じことをした。左舷側の横に座った。手に入れたい獲物は「イヤーズ・プレイト」だった。我が家には、03年次に売店で買ったそれが飾られてある。

今回は、ビンゴの番号が整わなくて、それは他の人の手に渡ってしまった。残るは、10万円クルーズ券を手にするチャンスもラストとなった。箱から噴き出す玉の番号を決して呼ばれないことが条件だ。ツキのない人にご褒美という趣向だ。どういう訳か、これがいつも乗船できそうな富裕層に当たるということだ。納得できない。数回はやり過ごしたが、結局はボードにある番号が読み上げられ、敢えなく失格した。カImg_2311ミサンも駄目だった。これで次回のクルーズへの足がかりは消えた。

数回の読み上げをかいくぐった人が立っている。その中に高嵜さんの姿があった。最後の二人にまで残ったのだが、結局、別のご婦人の手に渡った。惜しかった。

 

昼食に少し遅れた。カミサンを探したら、なんと、星野ファースト・パーサーと瀬戸ご夫妻の隣に座っていた。既に、デザートに切り替わっていた。これまでの寄港地での感想を互いに話し合っていた。そばが今日もメニューにあった。僕は、それだけで済まそうと頼んだ。いつものように、二枚目を頼んだが、出し汁が普通に塩辛かった。減塩されたものではなかった。スタッフが間違えて持ってきたようだ。そのまま食べてしまった。お茶を何杯も飲んだ。体の中で塩分量が減るものでもないのだが、気休めだった。

星野さんに訊いてみた。マウイのラハイナからホノルルに向かう進路が随分とハワイ島の位置まで南下したことについてだ。「ハワイ諸島に接近して3日間も経っています。アメリカの環境条約で、大型客船等は沿岸距離の規定が厳しく、外洋に出て行って一旦排水をする必要があるのです」というのが答えだった。「思っているほど、そんなに南下したわけでもないのですよ、ナビの海図は、拡大してTVに映し出していましたから」に爆笑。

 

「日本の造った道には、溝があるんですね、きちんと造ってあるんですよ」瀬戸さんがみんなの顔を覗き込むように投げかけた。一転、話題は、ODAとなった。最初の寄港地、ポンペイの舗装道路だった。

我々の観光ガイドは、中央にラインが引かれているのが日本の造ってくれた道路だとしていつも感謝して走っているとは言ってくれたが、それ以上のことは認識がなかったようだ。雨量の多い島では、その溝が大きな効果を果たす。工事をする際には、日本の技術の緻密さというか心配りをも、島民に啓蒙しておくことは必要だなと思った。なぜなら、その後の話はこう続いたからだ。

「日本の統治時代はよかった。我々に働くことを覚えさせてくれた。教育も施してくれた。しかし、米国統治になってからは、機械の便利さとカロリーの多い米国食の導入で、島民は楽をするようになり、病気も増えた」そう言って、親日感の高いことを言ってくれましたよと、瀬戸さん。Img_2318

 

食後、パソコンを叩いていると、高嵜さんから電話を貰った。デッキゴルフの教室が予定時刻で今日は終わったこと、レギュラー・メンバーが昼下がりの戦いをしようと言っているとのことだった。今朝はプレイしていないので、みんなウズウズしているのだ。

1515分から始めた。松田、塩野、高木、野村は、高嵜、工藤、草浦、ミセス高木+αにやられた。我々独自のルールである、「ホールイン・ワイン」は一挙に4本も出た。ハット・フィッシュ塩野1、ショットガン・トール高木1、デッキダンサー高木2である。多発するということは、それだけスティック捌きが巧くなった、距離感がコントロールできているということだ。対戦相手に手強いプレイヤーが増えてきたということだ。日付変更線通過リーグ戦がまた面白くなる。

 

P1020981 P1020980_3

デッキに備え付けられた小型スピーカーから『ただいま、前方11時の方角に鯨が潮を吹きました。鯨は1匹です。海面に潜ってしまうかどうかは判りませんが、お知らせいたします』

「鯨が一匹」には驚いた。二宮航海士も慌てていたんだ。「おいおい、文部省~、どうするんだ~あ!」スピーカーに向かって野次が飛んだ。ああ、いまは、文部科学省と言わなければならないのだ。カメラを持ったり、望遠鏡を握りしめたりした船客が後部デッキに押し寄せたが、鯨は姿を見せなかったし、時間的には既に遠ざかっていた。

 


P1020984 P1020986 P1020983 夕食は「夏祭り」と称してビュフェ形式だ。レストランスタッフは、日本人もフィリピンスタッフも、背中に大阪商船のマークが入ったはっぴ姿で、豆絞りの手ぬぐい、ねじり鉢巻き。中央には、青い日本傘と団扇が飾られている。今晩は、いわゆる懐かしい日本食だ。となると、醤油味が当たり前だ。ちゃんちゃん焼きも大きな鍋で出てきている。焼き鳥、おでんもある。ところが残念ながら、今の僕には食べられるものが少ない。二人前の寿司と、マヨネーズを付けたP1020985 P1020996 タコ焼き、それに懐かしいラムネ瓶を取った。昨夜辺りから酒を身体が受け付けない。焼酎も飲み飽きたのか、美味く思えない。飲めるのはビールくらいだ。食後は、アイスクリームと濃いウーロン茶にした。

食事をしながら眠い。足が攣って起きたことによる睡眠不足だと思う。同席した神戸のご夫妻との話で、「○○ナイト」での服装の話になった。

「○○ナイト」ですと言われることで、これから向かう先の未だ見ぬ国に期待を込める気持ちは高揚するが、だからといって、その国に因んだ服装でお楽しみ下さいとは、どういうことでしょうね、と言う意見。寄港地の気分を高めてくれるのはむしろ、スタッフの側の役目で、船客はそれを受ける側です。客側がその寄港地の雰囲気を共に味わおうというのなら、寄港地を離岸した夜に、その名残りの気持ちで「○○ナイト」をすればいい。現地で買ったシャツもパレオも、これ買ったわよと自慢しあって楽しめばいい。時間がなくて食べ損なった現地料理も、船客用に味付けして出してくれれば、有り難い。初めて乗船された方の戸惑いだ。未訪問国を盛り上げるのか、それとも惜別かだという。僕らもかつては、全く同感だった。たぶん、初出航した方々の偽ざる気持ちだろう。

 

Dsc02584 食後、船内に祭り太鼓の音が響いてきた。「夏祭り」03年次には、ゆかたを持ってきて踊った。06年次は飲む側に回って踊らなかった。07年の今回は、縁日を見に行っただけで踊りも見物しなかった。洋上で、盆踊りの雰囲気を醸し出すとおいうのが、なんとも郷愁を誘ったのは最初だけだった。船という箱物は、来る日も来る日も店内改装しているようなもので、現場に余裕はないのだろう。この船も神戸に着いたら、翌日からは、利尻礼文島へのクルーズに切り替わるらしい。

しかし、長期の乗船客は、相当の金額で期待して乗ってくるはず。この南洋クルーズ、乗船客にリピーターが80%ということが判明した時点で、新しい催しを企てるというのが、本来のサービス業なのだが、年々夜見世の創りも楽しませ方もマンネリ。可も不可もないルーティングワークになっている。正直、このイベントの道具立て、仕掛けに飽きてしまったのだ。初の世界一周クルーズを成功させた商船三井客船。船内でのイベント企画の多くが、にっぽん丸をベースにして模倣されていったらしい。その自負心を忘れないで欲しい。老人ホームから乗船して来ている船客も数人いると聞く。老人を老人として受けるのではなく、若い気分にさせることも考える。ノウハウの積み上げが、さらに新しい魅力を創り出すことになってほしい。クルーズ人口のジェネレーションは、徐々に若返る、はず、である。これをもし、社内イベント好きのリクルートにプロデュース試案を外注できたら、どれほど面白いお祭りものやゲームが出来上がるだろうかと、ふと思ってしまった。

 

僕は、この時間を利用して、来たるデッキゴルフリーグ戦の組み分け籤をメンバーに引いて貰おうと、祭りの街を走り回った。人混みの中で人を捜し回っているのは、映画のワンシーンのようだった。見つけては引いて貰ったが、残る最後は、草浦さんか、塩野さんだ。どちらかが探せればいい。2階のエントランスホールの階段を降りてくる塩野さんを見つけてようやく、全員の3チーム編成が出来た。急いでパソコンを叩いて、各部屋にプリントを配り終えた。ライブラリーでメールをチェックする。姫路の山縣さんのメールで、日本列島は地震や雷雨で荒れているとのこと。生まれる孫のことを考えると、どうか平穏無事に過ぎてもらいたいものである。

ともかく眠い。足も攣りそうな兆しがある。疲れた。盆踊りもたけなわの頃、眠る。

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07.06.07 日本へ2

3時30分に目覚めた。昨夜は早くに眠った思いはない。時間調整に入った初日であるから、実際は230分となる。次男の子供が予定日より遅れていることが気懸かりなせいか、双子で出産の夢を見た。八点鍾までもう一度寝ることにした。

 

『北緯24°08′、東経170°51′。北東の貿易風が吹いています。ミッドウエイの南東800kmの地点です。速力195ノット、時速36k、天候は晴れ、北東の風10m、気温25℃、水温267℃、波の高さ約15m。』この後船長は、しばらくコンテナー船の話を続けた。

朝食はオートミールからクロワッサンに代えた。にっぽん丸では、小麦粉をこねて、発酵、焼き上げまですべてを船上でしている。毎日少しずつ出す種類が変わる。パンの種類は25種にも及ぶときがある。焼きたてが自慢で、それがまた好評だ。ヤクルトもどき(韓国製)を3本、野菜ジュースを飲んで、後部デッキへ急いだ。

P1030180613 P1030185613 工藤さんが頼むことになっていた天幕が、見る間に張られていった。メンバーは口々に、これで疲れが軽減すると喜んだ。やはりダイレクトに陽を浴びていると、疲れるのだ。高嵜さんが近づいてきて耳元でぼそっと言った。「腰が痛くなったと言ったら、高木さんに、フォームが悪いんだわよ、それって言われてしまったよ、フォームが悪いんだ、俺」「それを指摘した高木さん、鋭いなあ。高嵜さんに基礎が出来てないことを見抜くなんて、ね」に辺り構わず、二人で爆笑した。

Img_2285全員ジャンケンをした結果、組み分けは、高嵜、松田、菅谷に萩原、そして塩野の白。対する赤は、工藤、草浦、長坂、松田サエ子+αというメンバー。向かい合って握手をした時、工藤さんが口にした。「白にこれだけ集まると、もう負けだわ」ジャンケンだから仕方がないが、そう言われてしまうと我々も、負けては恥ずかしいとプレッシャーがかかった。

P1010139 波も穏やか。天気はいい。天幕も張られた。不味いことに、いい訳無用のコンディションだ。プレイの展開はというと、塩野さんを援護射撃しながら、高嵜、菅谷、松田とベテラン3人が順調に権利玉に成っていった。赤の工藤、長坂をこの3人が分断している間に、僕が5番ホールを陥れる作戦。これが功を奏して、早々と試合は決着した。よかった。ほっとした。敗れた赤からは不思議なことに長坂2,草浦2,サエ子1という合計5本のホールインワインが上納された。ホームランを5本打ったのに、毎回足で掻き回されて試合に負けたという野球のようなものだった。

2回戦には充分な時間が創れた。意気消沈したわけではないが、先約の用事があり、工藤さんが抜けた。組み合わせの仕切り直しをした。白は高嵜、萩原、塩野、松田サエ子に対して、赤、松田、菅谷、草浦、長坂となった。ゲームは終盤、ホームホールでの勝負、高嵜・萩原対松田、菅谷、草浦となった。が、高嵜、萩原の連続スカが響いて自滅。敵を上がらせてしまった。昼食のファースト・シッティング組、菅谷さんは食事時間を気にしていたが、時間内での悠々の戦いぶりだった。今日は11敗となった。
P1000303 高嵜さんと僕が顔を見合わせた。「やっぱ、フォームが悪いんだ、俺」、「直してくださいよ、早くに。日付変更線通過のリーグ戦までにね」。

 

昼食は、好物の稲庭うどんだった。かなりの回数、うば、うどん、素麺が昼食のメニューに追加されている。麺類の時は、レストラン前に、その銘柄が現物で示される。P1010125 全国各地の麺類が出されるが、船客も自分の県の名産品だと、テーブルでもそれが話題になる。ほてった体をシャワーで冷やした後の味は格別。油のないさっぱりとした食べ方は、パスタにはない。日本人だなあと感じる。

ところが今日、虹鱒のアーモンド焼きが出たのだが、ある客の食べ方が気になって仕方がなかった。その男性は、ナイフとフォークで鱒の身を外し、ナイフの上に身を載せて口に入れていた。そこまではいい。しかし、鱒の身を口に入れた後、小骨を皿の上に西瓜の種のように、吹いて落としている。向いの奥様もたしなめない。右隣の親しそうに会話する客も素知らぬ様子。寄港地で買われた高価な身なりに余計違和感が出る。気になることと言えば、メインショーで、いつも野球帽を被って観ておられる初老の方だ。奥様が注意なさらないのだろうか。いずれも、亭主関白様に連れてきて貰っているという遠慮があるのだろう。いや、言っても聞き入れてくれないのよと嘆かれそうだ。さすがに、昔のように、フィリピンスタッフに「ちょっと、あの、ねえちゃん」と呼びかける声も、バスタブの外が泡だらけという事件も聞かなくなった。まだまだ増え続けるクルーズ人口だが、盛況の裏で日本人がどう観られているかが気になる。船内ではまだしも、オーバーランド・ツアーでホテルに泊まったりする日本人船客が寄港地でどう見られていくのか、国内感覚でいる船内と下船して露呈するシニアの国際感覚に問題は残る。乗船前に船客のマナー講習会が必要になるほど、クルーズ人口の裾野が広がるかも知れない。現地の人の目を考えれば、ソシアルダンスの講習会よりも先になる。このままでは、スリッパのままでホテルの廊下を歩くようなもの。一歩船を降りたら、そこは異国なのだから。

 

デザートが終わるころ、カミサンに声を掛けてくれたご婦人がいた。同じテーブルに座る方だった。「エコバッグの絵、塗り終わりましたか?」930分からの水彩画教室で、染色絵の具を使って、布袋に絵を描いてきた時のお仲間のようだ。「フラもお上手で…」これは、先日、ドルフィンホールでのアイランド・ウインドの演奏の最後に、フラダンスの受講生に踊りましょうと呼びかけられて野村道子さんとカミサンがステージに出ていったときのことのようだ。事前にフラの先生からステージに出てきてくださいと、全員に要請されていたのに、他の方に尻込みされて、スポットライトを浴びたのは、その二人だけだったという恥ずかしい体験である。そんなこんなの話から、ぽろっと「名古屋から来ました」という。「ウチの主人も名古屋出身です」とカミサンが明かすと、そのご婦人が高校は何処かと訊ねた。「名古屋学院です」と僕が答えると、「松永先生ご存じですか、私、中央教会です」「ああ、(「聖書購読」科目担当の)松永さんは楽しい先生でした。彼は中京教会の牧師でしたが…、我々は、長塀町時代です。金城学院と電停を挟んでいた時代です」「教会は?」名古屋教会とか熱田教会とか言いたかったが、洗礼は受けていないので「中高は音楽部で聖歌隊も兼ねていました。宗教主事の柴山満先生の指導で」「あらあ、懐かしい、柴山先生のお名前をここで耳のする、とは思いませんでした」「私の恩師の一人です」

一気に時代は昭和30年代に戻った。「06年の世界一周クルーズでは名古屋から乗船した方が多かったですよ。今回も小牧の長谷川さん、呼続の高木さんと、いらっしゃいますが。申し遅れました、萩原と申します」「え、あのMOPASの『海』に、デッキゴルフのこと書いておられた方?」「ええ、そうです。お読み下さったのですね」「渡辺と申します。じゃあ、毎朝やられているのですね」「殆ど毎朝ですね。あと、僅かになりましたが、宜しくお願いいたします」日本へ向かって、あと1週間という今日、柴山先生をご存じの身近な方と知り合うことになろうとは、世間は狭い、船は狭い。

 

午後は、盆踊りの練習や藤原ドクターのスペイン徒歩90km横断の講話、甲板部による名札のエッチング教室などがあるが、専ら航海日誌を書く時間にして、自室でパソコンを叩いた。
シャチが1頭、鯨が1頭、操舵室からアナウンスされたが、現在の状況ではそれ以上は望むべくもないようだ。なぜなら、時期的に小笠原の鯨さえアラスカに集合しているのだから。アナウンスに一喜一憂して右往左往する4階のデッキの有様が目に浮かぶ。

カミサンは、1530分からのアートクラフト教室「カルトナージュ」とやらいう、写真立てを制作に出掛けた。愛犬・ボズの散骨は何処の海洋で始めるのだろうか。

 

メインショーは、バリトンの浜鍋章盛と理代夫人ピアノによる「名曲コレクション」だが、部屋の中継TV画面で聴くことにした。「蚤の歌」から、ピアノ連弾、「ポルカ」も「ワンダフル・ワールド」もと何でも有りの盛りだくさんだった。

今夕は、瀬戸ご夫妻とお約束の日だ。センターテーブルに席が設けられていた。和田希公ちゃんと我々5人以外、誰も中央のスペースで食事をとる姿はなかった。

瀬戸さんは、モーレアを大層気に入られたようだった。これ以上、欧米の影響を受けて欲しくないという気持ちには同感だった。ホノルルのレストランでFX(スーパードライ)を抱えた猫が多く置かれているようですが、と話題にした。「ああ、ラッキーキャットのことだね」ところが、キリンも同じ猫をしかも、ゴールドキャットで一番搾りを抱きかかえていたことは伏せた。キリンの一番搾りをシンプルに「イチバン」とだけして、託した戦術は、外人が覚える「サイコー!」と同意義となり、口にしやすい点、巧いとライバルを褒めておいた。このにっぽん丸の自販機で売れ足が早いのはスーパードライである。

 

食後にネプチューンバーに出掛けた。長坂さんが待っていた。「航海クラブ会報」を頂いた。なるほど、渡辺船長を中心にこうしたクラブ活動が存在していることを初めて知った。30周年を迎えたと言うことは、日本のクルーズ人口の礎であると言える。長坂さんと知り合えたのは嬉しい。ラストクルーズがもっと先であるように願いたいものだ。

飲みながら話した中で、またまた出てきたのは、にっぽん丸での「ダンスタイム」だった。教室の延長をこなす人たちに占拠されて、しかつめらしい競技ダンスの一端を覚えて実践している、あれは何だと長坂さんも嘆いた。尤も、にっぽん丸に限らず、日本客船はどこもそうらしい。カジュアルな外国船に乗ったとき、この踊り方を実践したら、日本人のセンスを疑われるなという点で心配し合った。夫婦が気楽に踊りあう姿がない。そうした空気を創りだしてもいない。教室の練習場になっている。フロアーに点線が書かれているような、堅苦しいダンスが夜になってもなされている。一体全体、こうした空気は楽しみを損ない、いかにも後進国の頑なな懸命さが感じられる。ダンスは本来、男女が気楽に語り合いながらリズムに乗るものではないか。ライセンスを取るでもなく、社交デビューする年齢でもない。フォー・ドルフィンの生演奏が勿体ないぞ、可哀想だぞ、と共鳴した。

 

2㎝と4㎝」の話も面白かった。海が荒れてシャワーコーナーから洗面所に水が溢れる話だ。03年次に乗ったときは、このコンパクトな設計に驚嘆したものだ。僅か2㎝の段差で、水を受け止めて排水溝に流すという計算が凄いと。ところが、今回は洪水?の経験をした。長坂さん曰く、「ぱしび」は4㎝にしてあるため、その点は大丈夫だと教えてくれた。2㎝でも、溝の切りようで溢れ出ない方法はあるのだが、掃除がしにくい。4㎝に慣れないと、縁に躓くお年寄りもいるそうだ。では、今後は「3㎝」で手を打とうと笑いあったが、にっぽん丸の新造船がそろそろ出来るという噂が現実になったとも、もう乗れないだろう。人工透析の設備が載ったとすれば、それなりにクルーズ料金は高くだろう。

そんな話に石橋爺が入ってきた。手にしたタバコが「エコー」だったのに、これまたびっくり。まだ発売されていることを知らなかった。パイプも楽しんで、38歳で禁煙した僕は、既にタバコの値段すら正確には知らないのだ。ひとしきり、昔のタバコの銘柄の話になった。「ゴールデンバット」「朝日」から、父の好きだった「ラッキーストライク」まで切りがなかった。石橋爺の話が遠くなりかけた。森田さんにチェックを頼んだら、渡辺登志さんにも草浦さんにも、もう少し飲もうよと引き留められた。が、体はもう眠っていた。明日の晩を約束して、部屋に戻った。

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2007年10月 8日 (月)

07.06.06 日本へ1

6時に目覚めたのだがどうも体が重い。なんとかそのまま、八点鍾まで起き上がらないでいた。2日間の「ホノルル疲れ」か。そうであっても、今朝は、デッキゴルフが再開される初日だ。今日から帰国するまでの1週間は、何処にも寄港しない。つまりは、毎朝デッキゴルフ三昧だ。デッキゴルフがしたいために航海日に多い、この南洋クルーズに乗り込んだオッショーネエ鬼界は、既に下船して京都の自宅に帰ってしまった。強敵が一人消えたとも言える。天気は良好。

Img_226066 『北緯22°04′、東経162°25′。北西に連なるハワイ諸島の南から日本へ西に進路を向けていますが、沖合い50km以内の航行は禁止されていますので、ご了承下さい。速力195ノット、時速36k、天候は晴れ、北東の風7m、気温25℃、水温267℃、波の高さ約15m。8日は日付変更線を越えますので、69日はスキップされます。今夜から、時計は1時間ずつ遅らせます。125時間の生活をすることになります。

しばらく海は穏やかさが続きますが、日本から南部で梅雨前線が張り出してきましたので、1213日頃にどれほど影響を受けるかですが、多少船が揺れることが考えられます。

尚、本日1256分、太陽が本船の真上に来ます。デッキで自分の体をお試し下さい。NHKのCSTVですが、いまご覧頂けているのはハワイ周辺の視聴者のためですので、明日には電波が圏外になります。次回映像が受けられるのは、日本に近づく11日を予測しております。』

 

朝食を急いで口にして、デッキゴルフに参戦。長坂さん再デビューの日となった。

Img_2257 Img_225566 菅谷、松田、工藤、萩原に草浦という曲者揃いに対して、高嵜、松田サエ子、塩野、長坂とαの対戦。長坂さんは、幸先良く1番ホールを抜け出ていったが、2番で白の我々に捕まった。ドボンで赤の救助を待つ。長坂さんにしては、代わり番で打つα玉でのチャンスしか鬱憤晴らしができない。なんと、よく見ると素足になっていた。

工藤、萩原が珍道中をしている間に我々白の松田、草浦、菅谷の3人が5番ホールをクリアして権利玉になってくれた。赤は長坂玉以外権利玉になれず、その後の結果は、意外にも勝負は早く着いた。「素足の長坂さん、健闘空しく敗れる」という見出しか。ひさしぶりのゲームは、白の勝ちとなった。11時からは、「ポリネシアの人々と文化」第5回目の片山講演があるため、2回戦はナシ。

 

シャワーで汗を流して、講演会場のドルフィン・ホールに出る。いつものように、5階、つまり二階席から見下ろす格好になる。隣のご婦人が鋭い観察をしていた。「日本に近づくに従って、派手派手しい服装が減って参りましたわね、皆さん。尤も、今夜は最後のインフォーマルですけどね」確かにその指摘はご明察と言いたいほど。船客の姿が、落ち着いた色調になってきた。非日常の世界から日常の世界に近づいてきているからか、着慣れた服装に戻ってきているのだろうか。

 

本日のテーマは、「巨石文化」。フランス人の移住や捕鯨船団の基地となって以来、西欧文化の他に病気まで持ち込まれ、19世紀後半には、10万人のポリネシアンが100人ほどに激減した。文字を持たない種族は、その人と共に知識までをも失ってしまったと、秘境といわれるマーケサス諸島に人類学の調査船で現地を探索した片山先生は、ヒコクア遺跡での亀の石画を見せながら嘆く。

そして、モアイの原型とも言える巨石像が至るところにあると説明する。トンガの崩れかけた方形墳墓のランギや、トンガのストーンヘンジでもあるハーモンガも、ポナペのナンマドールも「モアイもどき」だと、片山先生は言う。

そのイースターのモアイ像は、世界七不思議のひとつだが、10mの高さ、10トンのモア・イ(鶏・火)像が、およそ1000体確認されている。この「イースター」という命名は、1722年オランダ人がキリストの復活祭(イースター)の時、上陸したことに依る。元々は、Rapanui(石斧・大きな)という島だった。西の島々には、ヤシの木で彫った巨像が発見されているが、東に向かっていくにつれて、あのモアイ像のように派手で大きな像となっていったという。つい最近まで倒れていたあのモアイ像は日本奈良文化財研究所と某日本企業によって立たせることができた。そしてその倒れた原因を片山先生は、津波によるものだと考えていると語った。

6000年前アジアから南下したラピタ人が3000年前トンガ、2000年前タヒチ、1500年前ハワイへ。そしてイースターへも南下したのだが、このイースター島から大陸であるチリまではジェット機でも6時間、4000kmの距離がある。イースター島には、にっぽん丸が世界一周クルーズの寄港地として2002年に上陸したが、冬は寒い南緯27°に位置するため、寄港するベストシーズンは1月から3月までとなる。

4年に1度の「世界ラピタ会議」が、今年の820日~25日、スエーデンのフォトランド大学で開催され、片山先生も出席を予定しているとして、この講義を終えた。

 

Img_226766 Img_226966 今日は、スポーツデッキで「洋上大運動大会」が行われたようだ。ようだというのは、これで3回目になるので、写真を撮ることもカミサンに頼んで、僕は船内でのんびりしていた。

 

今夜のドレスコードは、最後のインフォーマル。この日の船内新聞はいつもと違う掲載文があった。過日、川野チーフパーサーに意見具申したことだった。「2回食目の客には、メインショーではジャケット着用でなくカジュアルであっても良い」との但し書きが書かれた。メインショーから夕食までのインターバルが1時間もあることが、度々問題になっていた。この時間内に着替えをすればいいということだ。しかし、セカンド・シッティングの船客だけが、服装にばらつきが出る事は否めない。2回公演するエンターティナーの方々の目にはどう映るのだろうか。帽子をかぶったままの男性客が座っているよりはいいのだが。

食前のメインショー、ドルフィン・ホールは、ホノルルから乗船した北村英治ショーだった。03年世界一周クルーズ以来である。久しぶりという挨拶で始まった彼は、自作曲の「さつき(アゼリア)に寄せて」を聴かせてくれた。この曲は、とてもリリカルで船客からは大拍手だった。やはり、ソプラノ歌手やラテン系バンドよりも、50年代から60年代のジャズ、ポップス系の方が受けがいい。言い方は悪いが、進駐軍によって日本人の耳を変えた音楽の方が、船客層には喜ばれるのだろう。おそらくこうしたナンバーをフルバンドの演奏に乗って、ダンスを楽しんだ世代ではなかろうか。

 

Img_227666 Img_227566 夕食は高木夫妻、高嵜夫妻の背中のテーブルに案内されたが、どちらのテーブルにも空きがあり、スタッフの了解を得て同じ席に移った。今晩はインフォーマルに合わせて着てくれている、フィリピンクルーの正装姿も今晩で最後になるらしい。花柄の正装ドレスは、今年からスタートしたようだ。約束通り、正装のジュン君とカミサンをツーショットで撮る。ニックの姿が見当たらないのが残念だ。

Img_227866 目で楽しんでいるだけではなく、彼らに感謝の気持ちを込めて、カミサンと数人を一緒に記念撮影させてくれないかとジュン君に事前に頼んでおいた。食事も終わり、客も殆ど姿を消した頃、ジュン君に手の空いた仲間を呼び出してセンターテーブルに集まって貰った。シャッターを切る内に、徐々に徐々に多くの人が走り込んで来て、きゃあきゃあ喜んで声をあげている。何事が起きたのかと、食事を終えた船客が見守る中、我々は一人一人に感謝の握手をして記念写真撮影は終わった。顔馴染みになったフィリピンスタッフはまだ興奮が冷めていなかった。この関係がにっぽん丸独特で羨ましいとは、飛鳥やぱしびに乗ったことのある船客からの言葉だった。2国間だけの人間関係と言うことの他に、マニラでの厳しいホスピタリティの訓練がそうさせているのかも知れないとは、専らにっぽん丸に乗る船客の返答だった。

 

Img_2242 デッキに出てみる。これからは毎日、夕陽を追いかけて航行するのだが、今日は雲が多く、柔らかな橙色で終わった。

食後の約束で、高木夫妻と一緒にネプチューン・バーに繰り出した。後から顔を出した高嵜さんはしばらく止まり木に腰を下ろしていたが、早々と引き上げていった。入れ違いに長坂さんが現れたが、遅きに逸した。僕は既に眠気を催し、限界だった。今日のような好調のデッキゴルフを対戦しましょうと言い終えて、チェックアウトした。

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2007年10月 5日 (金)

07.06.05 ホノルル2

730分には目覚めていた。天気はいい。船で来たからには、やはりアロハタワーに昇らねばなるまい。トロピカルジュースにヨーグルト。オートミールとフライドエッグで、珈琲も飲まずに急いで下船した。

P1020510

両側にパームツリーを配し、その奥に白亜の塔が毅然とした姿で建つ。830分。勢い込んで向かったが、タワーの展望台は10時にならないと動かない。エレベーターの戸口には、そう書いてあった。拍子抜けして、しばらく周囲を歩くことで時間を潰した。

Img_2200Img_2203 かつて客船時代、ここがハワイの表玄関で、「アロハ・オエ」を歌い、レイを首に掛けて歓迎した歴史的な舞台だったのだが、航空機時代に入ると寂れてしまった。最近、ここを再開発したのが、マーケット・プレイスで、ウオーターフロントのオープン・エアテラスで食事をするひと味違ったデートスポットになったそうだ。

 

P1020688 P1020689 このアロハタワー・マーケット・プレイスには、ミニ・ブリュワリーがあった。フレッシュな生ビールを飲ませる店の名前は、「ゴードン・ビアージュ」という。サン・フランシスコにありそうな雰囲気で、高い天井の下には黒光りした椅子やテーブルが並び、ちょっと座り込んImg_2061 でみたいと、朝から思ったものだ。今晩も停泊しているなら、此処で飲みたかった。他の店もなかなかセンスが良さそうで、80店舗ほどが固まっていて、ここでも充分楽しめることが判った。しかし、此処も未だ開店準備をしているか、店員が店の鍵を入れている時間だった。

 

ある店の前で、カミサンがビーズのバッグに引かれてショーウインドーを覗いていたら、中から店員がどうぞと手招きをしてくれた。カミサンは、嬉々として色々な個性的なハンドクラフトのバッグを選び始めた。一点物が多い、手作り感の強い品物が多かった。あれこれ迷っているうちに、アロハタワーに昇れる時間になってしまった。選んだ物を夕方までキープ出来るかと頼んで、安心して店を出た。

Img_2069 Img_2071 アロハタワーの展望台は10階だった。当時は、最高の高さだったのだろうが、いまは、周囲に高層ビルが建ち並び、ダイヤモンド・ヘッドは隠れていた。ひときわ目立つのが、ウオーターフロント・タワーとレストラン・ロウの入っているビルだ。海に向かっている右手に、「プラ P1020705 P1020706 イド・オブ・アメリカ」の姿はなく、出航した後だった。

 


にっぽん丸のDFS行きシャトルバスの乗り場に戻った。予定は10時発だったが、乗客の出足を判断して、すぐにも出そうということになった。930分であるが、3人だけの客を乗せて走ってくれた。

初日のコースとは違い、時折、道をショートカットしてDFSに到着。DFSには入らないもう一人の乗客であるご婦人から、独りで出来るだけ遠くにトロリーで走りたいのだが、と訊かれたので、ブルーラインのコースをお勧めした。ダイヤモンド・ヘッドを回って、カウラまで行って来られるからだ。今日は、カミサンにワイキキビーチを歩かせる約束だ。

「DFSの入場カードはありますか?」盛んに店員が近づいては訊いてくる。カミサンは係の人に悪いから中に入ろうと言う。にっぽん丸がハイヤードしたバスなんだから、気遣うことはないといいながら、ふと疑問を感じた。待てよ、DFS行のバスは、本来ホテルを周りながら、購入意欲のある客を無料で乗せてくるではないか。ましてや、にっぽん丸のリタイヤー旅行者300人だ。我々のシャトルバスが、手前にあるアラモアナ・ショッピング・センターに途中停車もしないでDFSまっしぐらだ、不親切が読めたような気がした。シンガポールのDFS行きシャトルバスと異なり、ガイド役も乗ってこない。簡単な街の説明さえないのだ。もしかしたら、このシャトルバスもDFS差し向けのチャーターバスであったのだろうか。中に入らず、道路に出た。

まずは、P1020779目的の「レ・スポーツサック」の路面店を探す。有った!なんと、DFSP1020789 のカラカウア通りを東へワンブロック先だった。 これほど目と鼻の先にありながら、同じ「レ・スポーツサック」の店員は、教えることもなかった。おそらくDFSの店員は、この店さえも競合相手だとしているのだろう。顧客が購入する機会を逸することが自社にとってマイナスになるということを自覚していない。店員教育がないがしろにされている。売らんかな、が強すぎる東南アジア全般のDFSの店員レベルと同じだ。現物確認できたので、帰りの時間に買うことにする。手ぶらで散策したいからだ。

インター・ナショナル・マーケットプレイスの中に足を踏み入れる。夕食後なら、此処は夜見世の雰囲気が出ていいのだが、仕方がない。P1020714 真珠貝をバケットからP1020716 P1020717 チョイスさせる店があった。伊勢志摩のミキモトにもあるアレだ。客が選んだ真珠貝を店員が開ける。誰もが、目を閉じて祈ったりする。出てきた真珠が運良く大きくて、辺り構わず大声で狂喜する明るいアメリカ人の二人。1個の貝が13ドル99セントだ。やってみるかとカミサンに声を掛けると、結局は、加工賃の方が高いわよと、カミサンが袖を引く。

 

ならばと、今度は、向かいのモアナホテルへ渡る。100年前、ワイキキビーチには、ホテルはモアナホテルしかなかった。エレベーターというものが最初に設置された建物だった。P1020761 ワイキキのファーストレディ」と言われるそのコロニアル調のP1020771 白亜の館はリニューアルされ、ウエスティン系ホテルとしてリブランドされた。「ザ・モアナ・サーフライダー」。それでも未だ、国際興業の傘下なのだろうか?

創業期からあるバニアンの大樹の下の「ビーチ・バー」は、昼食後に御茶をしようと、そのままビーチへ抜ける。

カミサンは、サン・ディゴのホテル・デル・コロナドの気分に帰っている。ウエスティン・ワイキキビーチを素足で歩き出した。キャーと言いながら、スカートを濡らした。

Img_2119 P1020736その声に手を挙げる男がいた。身体は白いので、現地の人ではない。よく見ると、囲碁の山本先生だった。単独で泳いでいたようだ。この砂浜は、本土から運び込んでいるという。ワイキキが観光客のために苦肉のサービスをしているのは、熱海のビーチも同じだ。 サーフィンスクールの受講生だろう。波間に一列になってパドリングをしていた。水着も着ないで、砂浜を歩いているのは気恥ずかしい。早々にデューク・カハナモク像のところに辿り着く。

褐色の立像は、生粋のワイキキ・Img_2129_2 ビーチボーイだ。ワイキキで一番速く泳げる男だった。推されてストクホルム・オリンピックに出場し100m自由形で金メダルを獲り、生涯2個の金メダルを含む5個のメダルを手にした。サーフィンを世界に広めた男でもある。「サーファーの父」として讃えられた証しが、この立像である。立ち位置が海を見つめていないのは何故だろう。カラカウア通りの観光客を歓迎するために、海に背を向けさせたのだろうか。東京のお台場に立つ自由の女神像も、海に背を向けていたなあ。

P1020747 サーファーの聖地だと言われるハワイのノースショアは、アリューシャン列島から押し寄せる波だそうだ。その海域にはなにも島がない。9月に入ると6mの高波になる。我々の経験では、年末正月のハワイロケが多いが、ホテルチェックもせず空港から西のノースショアにライトバンを走らせて、いきなり撮影が始まる。その頃の波は、穏やかなものだ。東のハナウマベイでは、珊瑚礁の上に櫓を組んで撮影したりもしたが、気がつくと珊瑚礁に砕けていた白波が消える満潮時だったりして、ゴムボートに撮影機材を乗せて慌てて引き上げる事も何度かあった。食事も専ら焼肉店で、アラワイ運河を越えた住宅地やダイヤモンド・ヘッドの先のカハラモール辺りまで走るので、カラカウア通りで食事をすることなどなかった。天気が良ければ、陽が落ちるまで撮影ロケ地にいるからだ。

 

今日は、余裕を持って飲茶料理の昼食を取れる。ビーチから戻って、ワイキキ・トレードセンターの1階にある「レジェンド・シーフード・レストラン」のドアーを押した。チャイナタウンにある本店は、行列の出来る店だと聞く。

1115分、早すぎた。二番目の客だった。

昨日は、1410分過ぎに来たので、食べられなかったとマネージャーに言った。深々と頭を下げながら一言、「ザンネン、デ、シタ」と目が笑った。「地球の歩き方」ガイドブックには、飲茶タイムは15時までと書いてあったんだとまでは言わなかった。此処が駄目だったら、「ケオス・タイ・クイジーン」に行こうと思っていた。米国の雑誌でベスト・タイ・レストランと評価された店だ。カミサンも僕も、タイ料理は現地で食べて気に入っているからだ。しかし、そうなると、またまた、フォート・デルッシ公園辺りまで歩かねばならなかった。

P1020775 店員が滑車の付いた手押し車を我々のテーブルに近づけた。箱車の中の火気が、蒸籠を蒸気で包んでいる。何種類もの小龍包を次から次に取った。小さな蒸籠がテーブル狭しと並んだ。熱い肉汁が口に広がり、冷たいビールがそれを洗う。この繰り返しがまた美味い。席を回ってくる車から、他にも好きな点心を矢継ぎ早に取り上げた。ヌードルスープは、頼めないほどに満腹感を覚えた。約1時間、ゆったりとした。日本人客の姿はその後もなかった。店内は、観光客ではなく、いつもの馴染みの客といった人たちで満席になっていた。レジで支払うとき、珍しい折り紙を目にした。Img_2144_2 Img_2145 それを見て取ったマネージャーが、カミサンに説明をし始めた。「それはドル札で折った花だよ。商売繁盛の願いが込められているんだ」




P1020776Img_2143「日本の商売繁盛は、そのラッキー・キャットだわよ」と、レジの横でスーパードライを抱いている招き猫を指さした。ここにもあったのだ。 しかも、ライバルのキリン一番搾りも同じように招き猫が抱いていた!販促ツールのパクリ?

 

Img_2154 通りを渡って、ピンクパレスと呼ばれてきたザ・ロイヤル・ハワイアン・ホテルに入る。ここも80年の歴史を持つランドマーク的存在だ。奥まった中庭にそのエントランスはあり、ワイキキビーチではモアナ・ホテル同様、重厚感がある。波音が聞こえるのに、ここはひんやりとした空気が流れている。人の歩きもどこか落ち着いている。カミサンは周辺の花を盛んに撮っている。もともと、この辺りはタロ芋の栽培をする湿地帯だったというではないか。「Hawaii」は「ハワイ」ではなく、「ハワイイ」だと、片山先生は強調した。ポリネシア語で「神のおわすところ」という意味である。「ワイキキ」は、「噴き出す水」という意味で、この地域は、かつて湧き水が噴き出したそうだ。

 

Img_2182_2 P1020725 あらためて、「ザ・モアナ・サーフライダー」の「ビーチ・バー」に座って、御茶をした。ダイヤモンド・ヘッドを遠望しながら、しばしゆったりと時間を止めた。

ここハワイでは「メインランド」からの観光客が当然ながら断然多い。ところで、日本語を学ぶ外国人は、日本が4つの島から成り立っていることからか、「ホンシュー」という言葉を覚え、「メインランド」の感覚を持つそうだ。沖縄では、「ヤマトンチュー」、「シマトンチュー」と使い分けるが、我々は余り、「本州」という言葉を使わない。アジア大陸から千切れたように成立した火山島だ。日本の本州は、世界の島では7番目の大きさで、8位はグレイト・ブリテイン(英国)となる。因みに、英国は4つの国から成っている。これまで寄港してきたトンガもフィージも、ここオアフも、それは主たる島であって正式には「諸島」という呼称が付いている。

 

P1020790 シャトルバスの発着所、DFSに戻った。14時を回ったばかりだ。シャトルバスの1530分には、まだ早すぎる。ソバのベンチでうとうと居眠りをした。カミサンに起こされた。シャトルバスが着いていた。

ワイキキの風景が流れていく。見納めだ。近くて遠い50番目の県よ、ネオ・ジャパンよ、さようならと呟いた。

ピア10に着いた足で、アロハタワー・マーケット・プレイスの店にキープしてあるバッグを受け取りに行った。ここの店は、なんとなく暖かさを感じていたが、バッグの多くをバンコックで縫製させているオリジナルばかりだった。

 

1日歩いて汗ばんだ身体を展望風呂に沈めた。15時。こんな時間に入ったのは、これまでで初めてだった。まだまだ観光で帰船していない人が多いのだろう。僅かに2人だけだった。

Img_2210Img_2219 8階のスカイデッキに上がって、出港する18時まで眺めることにした。いよいよ、ポリネシア人による大航海、石器時代の南太平洋ヴァイキングが航海した海路も終わりを告げる時が来た。SmileSilentSleep。笑うか、黙るか、眠るかというのが日本人だが、今回の寄港地で、我々はどうだったろうか。

久しぶりに、にっぽん丸のボン・ダンスが始まった。桟橋に船からの音楽が流れて行く。P1020799ハワイで下船したエンタティナーの人たちが、マーケット・プレイスの桟橋P1020811 0606_8_4p1020812 の縁から大きく手を振ってくれた。「隠れた港」という意味の「ホノルル」を今、離れる。そして、ダイヤモンド・ヘッドを海から眺めるのは、これが最後かも知れないのだ。

P1020853 P1020832 ダイヤモンド・ヘッドの麓のカハラホテル群が、カメラのフレームの中で上下する。太陽が燃え尽きる前の光が、ダイヤモンド・ヘッドを照らす。最大限のズーム12倍で、その山頂を捉える。 「マハロー」有り難う!

 

 


P1020887_2 夕食は、最後の寄
港地を離れたという想いから、気の抜けたような、ほっとしたような、妙な気分がテーブルに流れていた。
 



P1020895_2 受信メールをチェックに行った帰り、瀬戸ご夫妻にエレベーターの中でばったり。「また、一緒に食事したいなと、平マネージャーに言ってありますから」と言われ恐縮しながら、「お休みなさい」の挨拶となった。

今夜は、「星座教室」が21時からスポーツデッキで行われるが、歩き疲れた我々は、出来るだけ体力の回復を図ることをP1020900_2 理由に、横になる。ネプチューンバーも今晩は自粛しておこう。

 

いよいよ、走る船内で、帰国準備を始める。寄港地がないということは、靴もズボンも帽子もデイパックも使わない。もP1020902_2 う着ることもないポロシャツなどは、割れ物荷物のクッションとする。

今クルーズで撮り終わった写真の通し番号を見ると、今日まで2923回シャッターを押していたことになる。06年次の世界一周クルーズの時と変わらない枚数になった。バックデータとして焼いているCDRが今夜で14枚目になったからだ。船友の写っている写真は、それぞれのCDRに分配コピーする作業を始めた。パソコンを使わない船友には、紙焼きをして手渡すか、郵送となる。

P1020909 






2351分、現在の船の位置は、北緯21°32′、西経159°38′、オアフを出て西北のカウアイ島南部沖を航行中。孫の生まれる日が待たれる。

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