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2007年11月

2007年11月22日 (木)

07.06.15 帰国初日

やられた。深夜の2時30頃だった。両大腿部の内側にパイプが入ったように、固くなっていたかと思うと、強烈な痛みを伴って、筋肉が攣りだした。居たたまれずというのは、このことだろう。ベッドから抜け出すのも難儀だったが、そのまま、洗面所に吊り下げてあるドライヤーを手探りで触る。電源を入れて熱風を痛みが走る大腿部に当てる。左手で洗面所の灯りを付ける。モーターの音が鳴ったことで、カミサンが起きてきた。湿布薬を出してきた。後で、バンテリンを塗るから、心配しないで寝てくれと追い返す。「今日もデッキゴルフやるのなら、ごめんだぜ……」体がそう訴えているような痛みである。大腿部の付け根を温めると一番効果的だと、昔スポーツトレーナーに聞いたことから、攣った場合の応急手当として「ドライヤー様」の熱風に頼っている。パジャマの上から火傷しそうな近さで当てる。5分経った頃ようやく筋肉が緩んでくれた。そこにバンテリンを懸命に塗り込む。

しばらくは立ったままの姿勢で、溜まっている新聞の束を読んだ。そして、メールの受信チェックをしてみた。2352通の他に、なんと迷惑(スパム)メールが1985通もあった。留守を知らない方へのお詫び返信をこれから徐々に打つのだが、いつまでかかるかだ。これから、段ボール箱一杯分の新聞と、1箱の半分分の郵便物もある。今日は一日中これを読むことになる。パジャマ姿で過ごしたいが、夕方には、手荷物以外の、横浜港で委託した日通の宅配便、段ボールがドンと届く。

HDDに録画しておいたTV番組も早く見終わらないと、いざという時に録画容量が不足してしまう。そして、来週から8月までは、待たせた学生との授業がある。 が何よりも先にしたいのは、生まれたばかりの次男の子供に対面したい。今日の最優先はそれだ。

 

P1030580P1030578 昨日、気象庁は「東京が梅雨入りした」と言った。だが今日はなんと真夏日。いったいどうしたというの か。日本は社保庁だけでなく、気象庁まで変だ。僕も数日前から、左手が痺れ始めてきた。脊椎がずれて血行が悪くなっているのか。デッキゴルフのし過ぎでしょとは、呆れ顔でいうカミサンの弁。 Img_9676P10003041_2P1000307 今朝も、神戸に向かう遠州灘辺りで、パックを叩いているスイスイ・マダム工藤の笑い声が響き、ロング・キング松田のアチャアアというバンザイする姿とオートボケ・デビル高嵜のニタリ顔が、眼に浮かぶ。僕には、42戦をこなしたが、もう体力的には限度だったのだ。

そのにっぽん丸は、神戸入港の後、休む間もなく北上して、礼文島に向かう。今、世界一周クルーズ中の飛鳥2は、12日パナマ運河を通過したところだ。ぱしびは、キュラソー(オランダ領アンティル諸島)に寄港している。そして5日後の17日、追いかけてパナマ通航予定だ。いずれも、満室で航行していると聞く。日本のクルーズイヤーは本格的にそのサービスを問われる時代に入ったと言える。この三隻を卒業し外国籍船に乗り込む日本人が、世界の寄港地で誤解を与えないように振る舞うこと、海外で活躍している邦人の誇りを傷つけないことを願う。シニアの船客が多く、世界を回る。どうやら、日本人が長寿であることから、日本は、「スシ」「トウフ」などの食生活も、「マッサージチェア」や「ウオッシュトイレ」などの生活品も「ケンコウ」というイメージで結びついているようだ。尤も、米国の新聞では、日本人には近頃政治家に「武士道」の品格が失われてきたとも書かれる。然し「イチロー」にはそれを見ることができるという。我々はどうだろう。

Img_7143 先に、地球を横に世界一周クルーズしたので、今度は縦にした。横の時は、中国、インド、イスラムと世界の文化の流れに沿って、十字軍の足跡、キリスト教文化などから、徐々に西欧的な都会光景を目にしたが、最後のアラスカで、西欧文化の極みとなる排気ガス汚染が大自然を壊していることを警告された。今度は、アジア系の民俗がいかにして海を乗り切り、クック船長に負けず劣らずの航海術で北米まで帆を操ったか、ラピタ人の航路を辿った。そこには、石器時代を思わせる生活が残っているかと思えば、缶詰などの保存食生活や歩かない車社会で急激な糖尿病を患う島民、そして衛星TVにより、異国の文明に戸惑っている姿があった。西欧人による文明の利器が環境破壊を生じさせ、温暖化が季節を変えさせていることを目の当たりにした。横軸と縦軸のクルーズは、生きていることの検証でもあった。

南洋航路は寄港地の少ないことが幸いして、航海日を長く楽しみながら、デッキゴルフ三昧をした。その分、海洋動物たちの姿は余り目にすることがなかった。彼らは、既にアラスカ方面へ北上している時期だった。

 

 P1050240 071108_20530001 水墨画家・王子江の個展を銀座で、ジャズチェロリスト・吉川よしひろのコンサートも都内で3回、一龍齋貞心会の講談も日本橋亭で数回、 また、過日は古今亭菊の丞さんが、北村英治とのトークショーを企画し、上野鈴本演芸場で初のクラリネット生演奏があった。囲碁の山本先生と一緒になった。洋上で知り合ったアーティストの方々と下船して繋がっているのも、ロングクルーズの賜物P1050114Dscf0612Dscf0610である。

  



 これで、250泊を越えたクルーズはひとまず終わった。帰国して、戦友と日本デッP1040576_2キゴルフ協会を設立した。これからは陸デッキゴルフリンクを姫路の他関東地区に創れれば嬉しい限りだ障害物のある不規則なスペースでもいい、床面の緩い高低も構わない。使われていない体育館、屋上テラス、テニスコート、駐車場など探してみたい。 現在は、MPOAS系の(にっぽん丸、ふじ丸*写真 は、全天候型2面を持つふじ丸後部デッキの右舷側)船客しか、デッキゴルフを楽しめない。陸でショットするか、船上でショットするか。

もう一度ロングクルーズをするために、せっせと宝くじを買おう!日本宝くじ協会によると、1年間に1回以上買った人は日本人の498%もあるそうだ。年末ジャンボ宝くじで1等が当たる確立は、東京ドームに敷き詰めた新聞紙へ、天井から針を落として新聞活字の1文字に刺さる確率と同じくらいだと読んだことがある。佐賀駅前の売場がよく当たると専らの噂だが、そこまで遠出するなら交通費で宝くじの枚数を増やしたい。その宝くじ、大事する余り、しまいこんだ場所を忘れてしまうことが何度もあった。一番駄目なのは、僕自身なのだ。

 

Img_6122P1030234Img_2406 地球が「水の星」であることをクルーズで堪能し、デッキゴルフを知った。僕のいわば、麻薬は、潮風に吹かれ、揺れる鉄板の上で遊ぶデッキゴルフだった。Img_6126 Img_6851 Img_6147 頭を過ぎるのは、何日にも亘ってプレイした戦友の姿だ。乗らなければ解らない洋上生活。フェリーに酔ってしまった僕が、クルーズが堪らなく好きになるなんて信じてくれない同期生に、また性懲りもなく、クルーズの効果を説得して回ろう。そして、休筆していた07年次の世界一周クルーズ航海日記を、記憶の薄れないうちに再び書き始めことにしよう。

・・・・・・・・・・・・・・・*この航海日記で多くのデッキゴルフプレイの写真を快くお提供下さいまた高木ご夫妻に、深く感謝申し上げます。

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2007年11月20日 (火)

07.06.14 帰国 横浜入港

Img_2444 白状すると、実は昨夜、シャンパンからひれ酒、ワインにビールとチャンポンで飲み過ぎたため、横になったらすっかり寝入ってしまった。2個の段ボールに書籍類を分配し、衣料を仕分けただけで、少し休むつもりが、不覚にも寝てしまったのだ。2時半に目が覚めたとき、部屋の風景は一変していた。あれほど散乱していた段ボール箱がきれいに片付いている。段ボールには既にガムテープできっちり封がされ、しかも何箱もが、戸口に積まれてあった。スーツケースも縦になっていた。パッキングし終わっているということだ。酒に飲まれて役に立たなかった亭主が、真夜中に半身を立てている。無様である。寝息を立てているカミサンに、「すまん…お疲れさん」と小声で感謝した。役立たずの僕は、もう一度眠らせてもらう。

 

今朝は、6時には二人とも起きて顔を洗っていた。すぐにでも使えるように携帯電話の充電も互いに終わった。パソコンは叩けない。もうバッグに入れている。しばらくは、テレビの画面を見つめていた。妙に感傷的にさせる。世界の海で撮られたイルカの姿の上に何回も現れてくる文字がそうさせる。「また海の上でお会いしましょう」という文字。それと交合に房総半島の沿岸図が現れ、そこに向かって本船を表す白い点が徐々に向かっている。オルゴールでサザンのメロディが刻まれている。再び、文字が現れる。なにも切々と語ってくれているわけではない。目で感情を揺さぶってくる。

11時、東京湾入口。12時、浦賀水道。13時、横浜港沖合い。14時横浜大桟橋着岸。気温22℃』

刻々と、横浜港が近づいてくるのだ。これが短い間隔で何度も入れ替わる。嫌が応にも過ぎた日々を思い出させ、別れの時間が迫っているぞと、教えている。走馬燈のように頭に浮かぶ。

 

Img_2308 朝食に向かう。船客同士がすれ違いざまに頭を下げ合っているが、言葉が少ない。誰も目が赤い。
いつもと同じように、オートミールとヤクルト、トマトジュースとエッグポーチで終わる。工藤さんが「教授!」と呼びかける。03年世界一周クルーズの時、大学を辞めて乗ったのだが、助教授だったと説明しても、彼女に「教授!教授!」と大声で呼ばれる。「今は、講師しかしとらんよ」訂正しても、「そんなん、ええやんか。どっちゃでも同じ大学の先生や。あだ名にしょ!あだ名よ、教授!ははは」とうとう、仲間からもそう呼ばれて4年が経ってしまった。その彼女が背後から肩を突ついた。「今日もやるんよ。待っとるからね」そう言って足早に消えた。
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『北緯33°52′、東経147°56′。野島先の沖760kに来ております。速力173ノット、時速32k、天候は曇り、北の風13m、気温205℃、水温23℃、波の高さ約15m。気温22℃。正面に見えている島は伊豆諸島の利島です。右前の大きな島が伊豆大島です。これより伊豆大島に沿って北上し、東京湾に入ってまいります。浦賀水道に入るのは12:00頃、13:00頃横浜港港外、14:00頃横浜港大桟橋着岸予定でございます。
天気予報では西方から低気圧並びに雨が押し寄せてきています。もう既に雨を感じる程になっております。昨日13日には平年より一週間遅れにて九州北部・四国地方が入梅しました。
P1030363P1030366にっぽん丸は14:00頃横浜港に着岸いたしますが、右舷付けといたします。着岸しても、荷物の搬出並びに通関準備のためすぐには下船できません。 3時間の停泊にて17:00出港でございます。神戸は明日15:00着岸予定です。
本日の横浜の天気は、残念ながら午前中から弱い雨、夜中には雨が強くなります。気温は22
です。尚、西から低気圧が近付いています。1002hpaと、大きく発達はしておりません。横浜を出港し神戸へ向かう今夜は、南寄りの波高2.5mの予報でございます。神戸の天気予報は弱い雨です。
横浜下船のお客様、にっぽん丸にご乗船いただき誠に有難うございます。 乗組員・スタッフ一同、改めて御礼を申し上げます。  横浜港着岸まで今暫くお寛ぎください』

P1030338 P10300486_11船内に八点鍾と共に、船長の声が響く。これを聴くといよいよ慌ただしい。クリスマスの鐘が鳴り亘って、ギフトを買い回らねばならないと追い立てられるようだ。浮き足立ってしまう。

 

一旦部屋に戻ってから、4階のプロムナードデッキを、一歩一歩足で踏みしめて歩いていった。居る、居る。鉄板のコンディションを確かめている。雨模様だと解りながら、黙々と玉を打っている。言葉を交わすと、これまでの想いが一気に噴き出しそうで、みんな寡黙だ。デッキの床面も泣いている。人影が映り混むほど濡れている。ショットが難しい。

P1030359白組:菅谷、萩原、草浦、高木保彦、高木敏恵。赤組:松田史郎、松田サエ子、高嵜、工藤、塩野。

名残惜しい気分で、玉を打つ。いつまた、この船上で会えるか定かでは ない。1ヶ月の集大成の打撃を見せる。ナイスショットが出た時に、思わず喜びの声が上がる。重苦しい空気を敏恵さんやサエ子さんが和らげてくれる。3番から4番ホールの戦いに入ると、徐々にいつもの冗談が飛び出す。オートボケ・デビル高嵜だ。「来年、世界一周せえへんの、教授?」「行けないよお!無理、無理!!」「うちら、おとうちゃんと行で、申し込んだわ」「高木さんとこも申し込んだ言うとったよ」「松田さん!あんたらも、行くでしょお?」もう来年の話をしている。そう言えば、Hさんは、2010年まで、もう申し込んだとご本人が言っていた。船は、乗ってみれば解るが、こりゃあ、説明の付かない麻薬だ。

 P1030352 P1030347 P10303415番ホールの攻防戦 になると、誰もがいつもの気色立った顔に戻っていた。声も叫びに変わっている。船は、伊豆大島の横をゆっくりと抜けていく。普段眺める大島の裏側である。ゴルフコースが見えてきた。その先には、熱海や富士が見えるはずだ。

P1030346 P103036 結局、白の我々が勝った。バッド・コンディションだったが、ラストを白星で飾った。ゴルフの最終ホールでティショットが思い通りに飛んだ時の気分である。次に繋げたような気がする。

06年の世界一周クルーズでは、接岸していても、まだデッキゴルフをしていたことを思い出す。年老いた男女が、長い棒の箒でデッキの掃除でもしているのか。横浜大桟橋で出迎えの人たちの目には、そう映ったに違いなかった。デッキゴルフのメンバーの多くは、神戸まで乗っていく。高嵜さん、松田さん夫妻、塩野さん、工藤さん、高木さん夫妻。7人もいれば、神戸までゲームはまだまだ続く。

 

P1030379 P103038 昼食をした。浦賀水道に入った。船は、横浜のベイ・ブリッジをくぐった。遥か先に、ランドマーク・タワーが霞んで見える。下船は、5階の船客から始まって、順次1階となる。まだ充分に時間はある。写真を焼き付けたCDを渡しながら、最後の挨拶をし合う。泣いている人たちが多くいP1030384 P1030378 る。もう会えないかもしれないと言っている。確かに、乗船客の3割以上は、僕も含め、なんらかの病気にかかっている人たちだ。杖を突いていた人が、帰国時には杖を手にしないでも歩けるようになっていることは、よく目にした。毎朝、スポーツデッキで潮風を受けながら、ラジオ体操に通った人、フィットネス教室に通った人、規則正しい生活を続けている内に、健康を取り戻した人もいる。元来の内臓疾患などの人は、再びストレスの溜まる世事の生活に戻ることで、もう乗れない人もいる。そうした想いが去来するから、抱き合って別れを惜しんでいるのだ。全国から集まった人たち、一期一会となるか、新しい交友となるか、それは、暑中見舞いが舞い込む頃に見えてくる。

P1030434 P1030424 旗が配られた。プロムナードデッキが騒がしくなってきた。携帯電話で、桟橋と交信している人。望遠レンズで顔を探している人。1ヶ月前の光景が舞い戻ってきた。寄港地で先に帰国した講師やアーティストの方々が出迎えている。雨が降っているので、出航の時ほどの人はいない。

神戸に帰る人も、一旦はイミグレを通る。なぜなら、日本に帰国したのだから。荷物は、スタッフが次々と税関まで運び出してくれている。

P1030439 P1030440 下船する。手を振る。イミグレの前で、ジュン君と握手で別れる。

 

スタッフの浅間君が荷物を運んでくれる。ここで最後のハプニングが起きた。P1030441「麻薬なんか入ってないでしょうね?」税関員が身を乗り出して、にこやかに冗談を言ってくれる。「ありませんねえ」笑って答えた。ところが、相手の顔から笑い顔は消えている。麻薬犬が怪しい手荷物を探知したというではないか。スーツケースから、段ボールまで開けられ、何度も手を入れて探られた。カミサンと二人、見合わせて驚く。係官は、探知した犬の行動を信じたいですからと、笑いながら、手を入れている。我々は為す術もなく、その場で立ち尽くすのみ。何が匂ったのか、見当も付かない。しきりに首を傾げながら、衣服や土産物を手にとって探していた。身に覚えがない我々二人は、笑いながら質問に答えていた。かなりの時間が経ったころ、カミサンが「主人が腎不全ですので、特殊な食べ物を持って出ました。ビスケットのようなものです。これです」と差し出して見せた。小腹が空いたときに食べられるように持ち込んだ残りだった。妙なものがひっかったものだ。麻薬犬の訓練には、無塩食など初体験だったのか。ともあれ、何も出てこないままに終わった。当然のことだが、気がつけば下船した船客の姿は、とうの昔に消えていた。周りには、どうなるかと見守ってくれていたクルースタッフだった。途端に汗がでてきた。まあ、最後の最後までメモリアルな出来事を創ってくれるものだ。

 

宅配便のカウンターで段ボール類を預け、タクシーには、重要なものと、すぐ必要なものを入れたスーツケースを2個トランクに入れた。車窓をひさしぶりの日本の風景が流れている。ビル群をあらためて眺めていると、急激に成長しすぎた国に思えた。日本をどこかに脱ぎ捨てて、無理してアメリカナイズした国で、それでいてなりきれていない。追従したままで、独立していない風景だった。「バナナ族」。外資系企業を渡り歩く日本人を俗にこう呼んでいる。内面は白人だが、やっぱり外側は黄色人だという揶揄。日本の街も「バナナ」だなと、首都高を上野で下りた。明日から、1ヶ月分の新聞の切り取り作業が始まる。そして、二人で5000枚以上の写真を整理削除することも始まる。そして何よりもまずは、孫の顔を三井記念病院に見に行くのだ。今晩は、エンジンの震動無しでも眠れるだろうか。心配だ。

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2007年11月14日 (水)

07.06.13 日本へ7

P1030209 2時半に目が覚めた。未だカミサンがパソコンを叩いていた。520分、再び目覚めた。今度は僕がパソコンを叩く。テレビ画面のナビを見ると、北緯33°。進路を一旦下げている。そのままだと、勝浦辺りに付き進む位置だったのだ。いずれにしろ、地球の放物線に沿って航跡を描いているのが、尤も効率のいい航行だ。左舷後方は、黒い雲が下りて水平線も見えないのだが、前方には水平線が見え青空も広がっている。日本の天気は、関西から崩れるが関東は今日一日天気マークだったと記憶している。TVは、NHKだけで民放の電波は未だ受け止められない。

明日は横浜に入港、帰国である。洗面所に行こうと立ち上がった。机の上に一枚の紙が置かれてあった。インビテーション・カードだった。

『ご結婚記念日おめでとう御座います。本日御夕食の席にてお祝いさせていただきたく、ご案内申し上げます』

MOPASには、船客データがあるのだ。2月生まれのカミサンと4月の僕には、クルーズでの誕生日祝いは、無縁である。せめて、二人の結婚を決めた日くらい、船上で祝ってもいいかと、二回目の世界一周クルーズの時に初めて申請したのだった。それにしても、14日は、下船当日である。首を傾げながら朝食に出た。

そこで、ファースト・シッティングの工藤さんとばったり。「私たち、神戸まですんのよ。今日もやろか、やるやろっ、ほな、あとで」それだけ言い終えて、階段を上がっていった。カミサンは、荷造りのやりくりに僕のデッキゴルフ時間も、既に織り込み済みだった。

するか、考えているところへ、菅谷さんの顔。このことを伝えると、「9時には行きますよ」当然の如く、言い返された。

早すぎた朝食を終え、ひさしぶりに、部屋に戻って八点鍾を聴いた。

 

Img_2327_12『大変穏やかな天気です。前線の北側に出ています。北風を受けています。気温も下がってきました。

北緯33°52′、東経147°56′。野島崎の沖、760kに来ております。速力173ノット、時速32k。天候は曇り、北の風13m、気温205℃、水温23℃、波の高さ約15m。

コースが折れ曲がっておりますことにお気づきでしょうか。ちょっとした騒動がありました。昨夜のグランドフィナーレが終わりかける頃、海上保安庁より『航空機の遭難した可能性有り、航空機を飛ばすので、救助願いたし』との連絡を受けました。現場は、南東90マイルの位置とのこと。このエリアの船舶では、最も近い5時間で到達できる地点にいましたので、本船は進路を変えました。030分過ぎ、周辺海域での捜索が始まりました。捜索の結果、02時に海上保安庁より『遭難見当たらず』として、救助体勢の解除がなされました。再び進路を横浜に向けました。これが航跡の折れ曲がった理由です。

横浜の天気、入港時の14時は小雨という予報です。気温22℃。手荷物は小さくされ、雨具をご用意下さいませ』

折れ線の意味が解った。

カミサンが、記念日は下船日だがと、インフォメーション・デスクに訊きに行った。こうした記念日は、1ヶ月前、2週間前と事前に準備し、親しくなった方々と同じ席で食事をするというのが、どうやら船の上では慣例のようだ。しかし、出航間もない時期ならまだしも、寄港地が重なってくると、知り合いになる方も増え、どなたに声を掛けるのかに悩むことが多い。また、そのために、美容院の予約をして、着飾って来る方もいらっしゃる。このため、リピーターの中には、ひっそりと二人だけで乾杯してしまうケースが増えている。高嵜廣子さんの誕生日がそうだった。

「ご都合がつけられるならば、是非お祝いさせていただきたい、とご案内させていただきました」インフォメーション・サービスの担当者は、是非受けて下さいと勧める。「では、お別れ会にもなりますので、他の方数人とご一緒の席をお願いいたします」「では、マネージャーの平に申しつけてくださいませ」「有り難う御座います」

 

「荷造りいつやろうか?」「いいわよ、まだ。デッキゴルフやるんでしょ。その時間は差し引いてあげるから、やってきてくださいよ、ラストなんだから、気の済むまで…」

9時に後部に行くと、高嵜さん、工藤さん、松田ご夫妻、高木敏恵さん、菅谷さんといつもの顔が当然という顔で僕を見つめる。塩野さんは、奥様の許諾を得るために、すっ飛んで戻って行った。様子見に来ていたとは、嬉しい限りだ。

プレイをすることだけが嬉しいという面々だが、飛び抜けて塩野さんの腕が上がっている。「これでは、横浜で降りたくないでしょ、神戸までどうですか」「ええ、えへへへ」と僕。

 

東京組には、最後のデッキゴルフになった。昨年は、横浜港に着岸作業をしてる間も、プレイしていた。下船まで税関手続きの時間を見越してだ。出迎えのターミナルからは、いい歳をした男女が、モップでデッキを入れ違いに声を出しながら拭いているように見えたそうだ。

P1030078_612 結局、オーラスのゲームは、高嵜、塩野、萩原、高木敏枝が、菅谷、松田夫妻、工藤に勝った。神戸下船組は、神戸港に着くまでギリギリいっぱいやり続けるに違いない。今度は、雨天も出来るふじ丸で、関東組対関西組でやりましょうと言って終わった。今日が46戦目の日だった。

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「誰か、最後の僕に『このスティック1本プレゼントしてやれ』とでも言ってくれませんかああ!?」手にしているのは、実は、03年次から愛用してきたHの印を付けた旧式のスティックである。本気で、横浜桟橋へ秘かに投げ落として、落とし物扱い、いや掃除道具の棒きれとして受け取りたいくらいだ。

 

昼食はラーメンだった。口にすると、無性に「源太ラーメン(蛋白減、塩分減の病院食)」が何杯も欲しくなっていた。

食後こそは、荷造りだ。部屋に帰ると、早速、スーツケースを拡げた。今晩と明日の服を外して、しまい込む。足を通さなかったズボンが2本、腕を通さなかったポロシャツ類が4着あった。

P1030200_2 0613_2_1img_2346 1350分、「イルカの群れが船首方向に」というアナウンス。荷造りの最中でもあるからだろう、さほどバタバタした廊下の動きは、もうなかった。

 

 もう一度アナウンスがあった。 P10301961階からエレベーターで6階のブリッジに上がってみた。最後の動物を見ようと、かなりの人数が集まっていた。右舷側のウイングで突然嬌声が聞こえた。慌てて飛び出した。その指さす方向へカメラを向けた。連写にする時間はなかった。イルカが3回、海面下を 滑るように泳ぐ姿を見た。その動きをトレースするように、カメラをつけていった。シャッターを切った。1回目は失敗した。 二回目、その姿が潜った。そのタイミングでこちらも呼吸を整え、P1030190シャッターを切った。入ったと思ったが続けて追った。深く潜って閉まった。空シャッターを切った。

レビューしてみると、見事にイルカが海面から飛び出していた。やった。 片山一彦先生が傍にいた。写真を見せた。「凄い!」の一言だった。

 

気分良く部屋に帰った。松田さんから電話で部屋に来てくれと言う。夕方には、最後の「リーグ戦優勝表彰式兼打ち上げ会」が7階のリドデッキである。このことか。

訊ねてノックするがいない。高嵜さんが3階の自販機からビールをバケツに買い溜めている最中かと3階に下りる。姿はなかった。4階のプロムナードデッキを走る。松田夫妻の姿もない。6階のスポーツデッキに出てみる。大勢の人が集まっている。須磨和声率いる弦楽四重奏のアーティストも、ステージ衣装のままである。いったい何が起きたのか。見回すと、なんと、船客写真を撮ろうとしているのだ。聞いていない。知らなかった。一段上のデッキから、水本カメラマンと、平野写真師がカメラを構えている。カミサンに知らせたくとも、間に合わない。

「船内スピーカーで船客に知らせてほしいな」傍にいた蘇クルーズ・ディレクターに頼んだ。しかし、彼はこう言った。「いいんですよ、これくらいの人数で」。ままよと、僕だけ写真に収まっておく。Img_9693

撮られ終わったが、どうも釈然としない。すっきりしない。蘇君の言葉が引っかかる。そもそも、この集合写真は、03年世界一周クルーズの最後に、同乗のカメラマン東さんが発案したもので、クルーズの想い出をCD化するに際して最後に挿入するカットだった。だから、出来るだけ多くの船客の顔を記念として残すことだったはずだ。だから、06年世界一周クルーズの時には、デッキゴルフのプレイの合間に後部デッキから上がって加わった。今でもその時の船客の皆さんが部屋で笑っている。顔を覗き見る度に想い出が甦る。同じ釜のメシを食った仲間というか、同じ日本人村で暮らした仲間と思える貴重な写真でもある。それを、カメラのフレームに寂しくない程度集まればいいのだという軽い捉え方が間違っている。蘇君が一期一会の船客の気持ちを察することができないからだ。半年も陸に下りないままの洋上生活者には、解らない気持ちなのだ。船客の顔が多ければ多いほど、その記念写真は価値のあるものになっていくのだから。

 

Cimg0170頭の中は割り切れない気持ちで、エレベーターを待つ。高嵜さんとばったり出遭う。7階に上がった。いつものように、リドデッキ脇の各種教室が開講されるスペースに、今夕は優勝者表彰式と打ち上げが行われる。メンバーの大半が顔を揃えていた。

ブロックアイスに挟まれて大量の缶ビールが高嵜バケツに積まれてある。このビールは、ホールインワイン提供者の協力で買ったもの。それぞれの前にウーロン茶や缶ビールが配られて、最年長者の菅谷さんが乾杯の音頭を取った。顔を見なければ、何処かの部活合宿のような雰囲気である。

Img_7058Cimg0176_3 Img_7070_2 会長とは今航海の名ばかりの仮称であるが、せかされて挨拶をさせられた。その機会に、各人の戦績を発表した。68分というトップの勝率を誇るプレイヤーに惜しみない拍手をと前置きをして、工藤さんの名前を挙げた。拍手が起きた。Img_7083 Img_7089 工藤さんの少女っぽい笑顔が、さらにみんなを嬉しくした。勝率第2位は僕で625厘。7連勝した結果が戦績に大きく影響したのだろう。5連勝したのも工藤さん、4連勝は僕と高嵜さん、鬼界さんが記録した。40戦こなしたのは、神戸から乗り込んだ松田さんと高嵜P1030234さんだった。優勝は、菅谷チーム、2位が高嵜チーム、最下位が松田チーム。それぞれに賞品が手渡された。忙しいスタッフチームも顔を見せてくれた。

 

菅谷さんから、横浜下船組と神戸組とで対戦したいねと提案Img_7086があった。みんな賛同した。新たに明日、横浜帰港直前に、もう一つの対決が持ち上がったのだ。こんな盛り上がり型は珍しい。高嵜さん菅谷さんのデッキゴルフへの想いがこうまで熱くしてくれたのだと思う。07年のクルーズが、ほんとうに想い出深いものになる。

 

さて夕食だが、荷造りをしてしまったので、既に普段着しか残していない。一緒に会食してくれる方々も同じだろう。

レストランに入ると、平マネージャーが創ってくれていたのは、センターの、センターの席だった。困った。晴れがましいことにはしたくないと言っておいたのだから、困った。正直、左舷でも右舷でも奥座敷が良かったのだ。今となっては、席替えも出来にくい時間だったが、敢えて平さんにそのことを話した。「この真センターの席は、船長席です。滅多に座れませんよ」ニコニコしながら、受け流された。「みなさんも荷造りした後ですから、カジュアルですよ」記念日というのは、前もって美容院に行かれる方、セミフォーマルにされて臨む方など、そうした姿を見慣れている他の船客の目が気になる。「最近、どなたも記念日をされないので、是非、我々の狙いを理解してください」相変わらず、笑顔でセンターテーブルに案内してくださる。高嵜夫妻、松田夫妻、高木夫妻が着席。一応にその位置に驚きの声が出る。クルーズ最後の席だからと互いにいいながら座る。徐々に席が埋まってきた。

Img_7124Img_7126 今晩は、航海日最後の夕食ということで、にっぽん丸ヘッドシェフ日浦田さんによる特選和食である。ふぐ料理だった。ひれ酒はメニューにあるし、松田夫妻は飲めないし、シャンパンを頼もうと手を挙げた時、シャンパンを手にした腕が背後から伸びた。驚く僕に、高木敏恵さんが、どうぞと合図している。気づかないうちにオーダーしてくれていたらしい。恐縮してしまった。各自に注がれる。乾杯と声を掛けられる。周囲の席が振り返る。ついに、気恥ずかしいバンドのメロディが近づいてきた。久しぶりに聴く音楽だった。 Img_7137 Img_7130「コングラチュレーション!」と描かれたプラカードを背に、船長からローソクの立ったケーキを差し出される。最後の最後に晴れがましく二人で立っていることの恥ずかしさ。周りの席からも拍手される。汗が出てきた。下船したら、またカミサンの手を煩わして、減塩料理を作ってもらうのだから、その拍手は彼女へのエールだと思っておこう。クルーズを終えると、しばらく奥さん方は料理の献立を考えるのが面倒になる、Img_6830いや、料理の仕方を忘れるという話もあるほどだ。1ヶ月間、僕の減塩調理をして下さった日浦田シェフに感謝。

 

今夜は、ボトルキープしてある焼酎を空けられそうもない。まだ、片付けが残っている。だから、カジノ券も余っている。次回乗船までお預けか。せっせと。宝籤を買わなくては。ホールを越えるつもりでなければ、パットは決まらない。打席に立っても、バットを振らなければホームランは打てないのだ。

デッキゴルフという仲間を得られて、ホントに良かった。夫婦で付き合える間柄は長期間乗船するクルーズだったから得られたのだ。クルーズしたいという同級生に、下船したらさらに勧めてみたい。P1030250

 




 例の集合写真についての知らせ方は、船内新聞では各階の施設の営業時間を伝える7ページ目に書かれてあった。 P1050109 P1050108クルーズ慣れしてきた船客にとっては、見なくなっているページである。見落とすはずだった。広告業界でいうところの「伝えても伝わるだろうか」である。やはり、今後は、時間軸で書かれる場所で、知らせるべきだと思う。

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2007年11月 5日 (月)

07.06.12 日本へ6

時刻改正もあるが、3時に目が覚めていた。4時間は眠っていたことになる。そして、あれこれ、今回のクルーズを回想しながら、5時まで横になっていた。

Img_2385 朝が明けた。水平線がぼやけてきた。フォグである。舳先の映像が真っ白くなり、船窓の風景も寝ぼけている。速度を16ノットに落としているせいか、船の揺れは少ない。波もさほど立っていない。大きなゆったりとしたうねりである。

今日は、次男の嫁の帝王切開手術の日である。孫が生まれてくるのが気になるので5階にメールチェックに行った。5時だというのに、既に2人の方がメールを打ち込んでいた。手術に関しては何も入っていなかった。ならばと、ハワイで下船して京都に帰った鬼界さんへ、デッキゴルフの戦況報告をしておいた。

7階に上がってスリムビューティ・オートバイブに10分間乗った。なにせ、1時間歩いたと同じ運動量が下半身に与えられるというから、ついつい乗ってしまう。東京では1500円也だ。

4階に出て後部のデッキコンディションを下見に行った。4階も5階もデッキは水浸しだった。しばらく自分でスイープしていたが、二人のフィリピンスタッフに床面を拭いておいて貰えないかと頼んでおいた。6階のラウンジ「海」には、まだコーヒーの準備も整っていなかった。軽やかに叩いているピアノの音がしている。朝からエンタティナーの誰かがリハーサルかと覗くと、なんと、横浜の元女医さん、平岩さんだった。お嬢様育ちが背中に見える。お歳は80歳くらいだろうか。脇目もふらずに黙々と鍵盤を叩いている。とても清々しい光景に遭遇した。

 

740分には、レストランで朝食を食べていた。天井のスピーカーから、船長の声が響く。

『海も風も穏やかな朝ですが、霧が出ています。視界が1mを「霧」と言っています。北緯33°29′、東経156°23′。野島崎の860マイル、1600kmの位置に来ています。時速33k、天候は霧、南西の風10m、気温195℃、水温18℃、波の高さ約2m。東側に波長の長いうねりがあります。現在、前線の裏側に出ています。尚、本日を以て、船内時間は日本時間と同じになりました』

 

820分、後部デッキに向かう。フィリピンクルーが丁寧にスイープしてくれたお陰で、床面は早くも乾き始めていた。スティックを握ると、アルミのポールが手にべたつく。塩の湿気だ。パックを打ってみる。滑りが悪い。少し力を込めると滑りすぎる。手強いコンディションだ。コントロール出来そうもない。5番ホールからゴールへ、4番から5番へと、長距離の打ち出し角度とフルショットでの自分の距離ヤードを調べておく。ゴルフのパットの練習に似ている。20本くらい打った。5階の階段から女性が降りてきた。スタッフの浅間君だ。彼女は、剣道をやる腕っ節の強い打者である。練習を始めた。

彼女の打撃的中率がどの程度か、しばらく様子を見てみることにした。予想外に飛距離は短い。徐々に応援団、いやギャラリーも顔を出し始めた。メンバーのロング・キング松田、オートボケ・デビル高嵜共に長袖姿で現れた。今日の対抗スタッフ、破壊的強打者のアメラグ高崎(以下同じく仮称)、調律師で小技の巧いピアニシモ黒川、的中率確実のジーマメ田実も揃った。後はキラー・コンドル菅谷を待てば、開戦できる。野次馬大将になっているネプチューン・スター長坂が嬉しそうな笑顔を見せた。Cimg0161

 

95分、先攻は白組のスタッフからスタートした。スタッフ側のアメラグ高嵜の調子がイマイチだ。凄まじい強打力を発揮するのだが、スカも多い。高崎君の攻撃を封じるのに、徹底的に距離を長く保つよう、僕は秘かに提案指示した。涸れに焦りが見える。打ち出し角度が数センチ狂えば、的中率は自ずと下がるからだ。玉に当たらなければ、その勢いは遥か先にオーバーランする。戻るには、7人のプレイの後にしか打順は巡ってこない。局面は大きく変化してしまっている。さしもの高崎君もその対応に悩むはずだ。もう一つの策は、飛距離の短い浅間君を釘付けにすることだった。

白の軍団が1番でもたつく間に、赤軍は2番から3番ホールを陥れた。白は徐々に分断されていった。浅間君が、「孤児ハッチだわ」と叫んだ。ここで、ニックネームが決まった。「ミナシゴ・ハッチ浅間」と命名した。黒川君は、勝負処でやはり小技を決めたので、そのまま「コワザ・ピアニシモ黒川」、夏祭りでバチ捌きが冴え、「ボン・オドリズム田実」、打撃王には、「アメラグ・ショッカー高崎」のプレイネームを差し上げる。

Img_2365_612Img_2358_612_2 Img_2364ゲーム展開は、明らかに年齢差体力差のあるシニア組の我々が意地と練習量で、1打1打を考え抜いた。接近戦では勝ち目はImg_2379Img_2405ない。赤組に蹴散らされる。各自がその距離感がどう保てるかが勝負だった。その成果は5番ホールで表れた。

 白が全員権利玉になった時点で、赤は菅谷、松田の二人がホーム(ゴールホール)をクリアして20。高嵜・萩原で、ホームを狙う白の4人を迎え待つ体勢をとった。

Img_2381 白がホームを狙って撃ち込んでくる。次第に白が最終ホールに集まってきた。ギャラリーが固唾を呑む。1打を打ち損じると、赤の袋叩きに会う場面である。ホームに近づいて敵失を誘う高嵜式強攻策。ドボンされにくい延長線上に玉を置く僕。こうした繰り返しが何度もある。碁石打ちのようだという人がいる。ショッカー高崎が強打でミスをした。1番 ホ ール近くに流れた。強打者の玉がホームから離れた。チャンImg_2403_612スである。コワザ黒川、ミナシゴ浅間、3人を連続して場外に弾き出した。高嵜さんは先にゴールしろと言う。自力で一発勝負、約2ヤードを狙った。外枠に運良く入った。中枠に僕がクリア。独り残った高嵜さんは、例の誘導策に出た。確実性を誇る田実君は緊張パリパリ。ミスをした。ボン・田実は崩れるようにデッキに座り込んだ。結局、ミスを誘発した高嵜さんの勝ちで、ゴール。デッキゴルフのシニア組は、ギャラリー共々、雄叫びをあげた。遂に、若いスタッフとの雪辱戦に勝ったのだ。いい年寄りが肩を叩き合って異様な興奮をしていた。どんな大声も潮騒に吸い取られていった。

0165 勝者は敗者を引き込んで、無理矢理記念写真を撮った。喜びの「V」サインと、スタッフの泣きっ面「Λ」サイン姿を、仲間が証拠写真を撮りまくってくれた。

これで、デッキゴルフに悔いを残すことなく、下船できるというものだ。日本デッキゴルフ協会設立メンバーが、インストラクターに負けたと、後々言い伝えられては、150戦くらいしてきた老人のプライドが許さCimg0166_2ない!などと、勝てば官軍で勢いのいい啖呵が出るわ、出るわ。こうしてはしゃぎながら、我々船客は溜飲を下げた。

ふと、我に返って、この対戦を見守ってくれていたデッキゴルフのメンバーに咄嗟に問いかけた。「このまま、リーグ戦をこなしてしまいましょうか!?」。眺めているだけでウズウズしていたメンバーの答えは当然だった。C対Bの試合をする同意を得た。

となると、我々のCメンバーで不在者は、高木夫妻だ。同じ階のドルフィンホールをガラス越しに目を凝らす。いた。ダンスはジルバの講習の真っ最中だった。手信号で「デテコラレルカ!!?デッキゴルフヤルヨ!!」と合図を送る。急いで二人はデッキに出てきた。ダンスシューズの二人だったが、天気が崩れると、リーグ戦がノーゲームになることを悟った敏恵さんは、こういった。「服装はこのままでいいでしょ!靴だけ履き替えてくるわ!」保彦さんもそれに従って、自室に走っていった。

さて、対する菅谷B組メンバーを参集するには、草浦さんを船内で探さなくては始まらない。4階のカウンターから部屋の電話を鳴らしても誰も出ない。7階から6階のラウンジ「海」、3階の写真コーナー、2階のロビーと走り回った。そのロビーの階段を下りてくる見慣れた足元があった。「草浦さん、デッキゴルフ始まる、早く、後ろへ!」と呼んだその階段の上には高嵜さん、階段の裏に松田さん、そして正面に僕。なんだか、3人の刑事が容疑者を追い込んだような場面だった。エレベータのボタンを押して4階に上がって貰った。そこからプロムナードデッキまでは、ものの1分で着ける。Img_6871

 

こうして、(B)菅谷・工藤・草浦・塩野に対して、(C)高嵜・萩原・高木保彦・高木敏枝が顔を合わせた。ジャッジは松田、副審が長坂。先攻白玉は菅谷組がとった。時間制限無し。

Img_6853 Img_6846 慌てて集合を掛けた割には、高木夫妻のロングショットは兎も角、ショートが悉くスムースだった。この結果、3,4,5番ホールを陥れ、赤のCチーム全員が早い進行で権利玉になった。しかし、白玉を散らそうと余裕綽々で敵陣に踏み込み、甘い攻撃でミスが重なった。白の必死の抵抗で、むしろ我々が何度も叩き出された。こうして、敵に自信を与え、返って反発心を湧かせた結果、白も全員が5番ホールをクリアして権利玉になってしまった。白のスイスイマダム工藤がその名のImg_6849 Img_6847通り、いち早くゴールした。赤は高木夫妻に連続でゴールしてもらい、1:2。時間制限無しの試合だが、高嵜さんの判断は、時間よりも早い勝負を促した。僕も赤 玉をクッションにしてゴールできるチャンスが来た。ここで、二人が連係プレイするか、それとも先に上がるかが、迷うところ。高嵜さんからの「上がれ」のアイコンタクトで、僕もゴールを狙う。自力で上がれた。1:3となった。そして、高嵜さんが独りで菅谷・塩野・草浦の三人を待ち受ける。Img_6850 オートボケ・デビル高嵜の戦略は、敵失を誘い込むことだった。ゴールに集まってくる赤玉を利用してゴールするつもりが打ち損じ、惜しいチャンスを潰した。結局は、白玉の連携プレイで、次々ゴールされ、最後の一手違いで負けてしまった。スタッフ対抗戦で勝負した高嵜策をキラー・コンドル菅谷に見抜かれたとでもいうか、二度目は通じなかったのだ。

 

「フォームが、悪いでかんわあ!」敵の誰かが、ショットガン・トール高木保彦の物言いを真似た。数日前、この言葉で腰の痛い高嵜さんがショットガン・トール高木に冷やかされたからだ。大爆笑で我々の試合は終わった。

A<C、C<Bという結果、最終戦で菅谷Bチームが松田Aチームに敗れることがあれば、3チームが11敗、イーブンのままになる。もはや、サドンデスをする航海日数がない。優勝チームは無しとなる。15時に優勝決定戦とした。

 

これまでにホールインワイン提供者による打ち上げ会用の援助金は6万円相当ある。従って、最後のリーグ戦賞品は、メンバー全員に、「にっぽん丸のポロシャツ(5500円)」を支給することを、今航海の高嵜事務局長が決めた。しかし、これは表彰式打ち上げまで明かさないことにした。波瀾万丈の午前は終わった。

 

昼食を松田夫妻と一緒に食べ、30分ほど横になるつもりだったが、寝てしまった。なにしろ、今日は朝5時から動き回っていたからだ。マッコウクジラの親子が潮を吹いたという突然のアナウンスで起こされた。1515分だった。ようやく、鯨が出てきたか。走り出す気力もないが、背中の潮吹きを撮れるほど、客船は近づけないので、ベッドから起き上がるだけにした。

14時から始まっているデッキゴルフ教室も、本日が最後だ。あの参加人数では、終了するのは1530分だと予想して、ゆっくりと後部デッキに向かった。ジャッジは高嵜さんが引き受けてくれている。

案の定、最終戦は始まったばかりだった。(A)松田夫妻、野村、長坂、(B)菅谷、工藤、草浦、塩野。

白のハット・フィッシュ塩野、シブイ・ベレー草浦は快調で、たちまち2番ホールを陥れた。赤のロング・キング松田は、それを追って、2番ホールに二人を捉え、Img_6858 スレンダー・アーム野村、ネプチューン・スター長坂へ安全な通り道を確保する。こうして、赤も2番ホールまでは船団方式で固まった。ロング・キング松田は、早く権利玉に成っておこうと、縦横無尽に暴れながら、345番と速いテンポで独走。ところが、その間、キラー・コンドル菅谷の本性が発揮され、4番ホールでスレンダー・アーム野村が餌食となる。さらにその妹役とも思えるスイスイマダム工藤も、「近所荒らし」の異名をもつほどに、ネプチューン・スター長坂を3番ホールで足止めして以降、追いかけて4番で釘付け状態にした。

Img_6856 白の草浦、塩野は悠々とゴールし、右舷側の4番ホールでリーダー菅谷、左舷側の5番ホールの松田と、陣取りは左右に分かれてしまった。さしものロング・キング松田も、約25ヤード離れた距離から工藤、菅谷を場外にはじき飛ばすには、無理があった。懸命に救助に向かったものの、白が全員ゴールを決めた時に、未だ長坂は5番ホールに向かっている途中だった。

Img_6867応援団からの情報では、ネプチューン・スター長坂は、この試合に臨むため、酒断ちをして体調を整えていたと言うが、全く効果無しだった。菅谷組が圧勝で優勝を決めたのは、1615分だった。気温も下がり、肌寒い時間になっていたが、それを忘れさせる熱戦であったと書いておこう。

 

試合以上に気になっていたことがある。本日が、真紀子、手術の日。両チームが握手で終わると同時に、急いで5階のライブラリーに駆け込んだ。メールを開ける。あった。

3516kg、真紀子、帝王切開で無事、男児出産!」。義妹かつ代からのメールが来ていた。ほっとした。それ以外、何も書いてないのだから、五体満足だったのだろう。いそいそと、1階の部屋にいるカミサンに知らせに降りた。喜んだというより、やはり、安堵の顔だった。帰国を前に朗報が聞けたことは、何よりの贈り物だった。「高嵜廣子さんから、夕食、一緒のテーブルに誘われてたわ」。「そうか、それなら、一緒にシャンパン取って祝って貰おう!」と言ったら、カミサンが、今晩は、「焼酎の夕べ」だってと笑う。

P1030094 P1030095都合がいいことに、高木夫妻も野村さんとも一緒になったので、同じ席を創って貰った。7人がセンターテーブルの脇に会した。「焼酎の夕べ」だから、センターの奥には、ずらりと全国からの焼酎ブランドが立ち並んでいる。スタッフが、メニューの番号からデキャンターを手にImg_6878_2 回ってくる。シャンパンを頼んだ。怪訝な顔をする仲間に、二人目の孫誕生を白状する。思い起こせば、06年の世界一周クルーズでも同じ時期、フェアウエア・パーティかグランド・フィナーレのディナーの頃、神戸の木島夫妻に孫が生まれたと、日本から吉報が飛び込んできた。木島さんは、シャンパングラスを手渡ししながら、注ぎ回っていたように思う。今度は、自分たちがあのときの感動を味わっているのだ。真紀子有り難う。

 

グランド・フィナーレは、ドルフィン・ホール。船内新聞には「演出の関係上、5階客席は左舷側のみとさせて頂きます」、こう書かれていた。5階にジョンやニック、リン達のフィリピンスタッフが全員整列することを想定して、階下の4階中央後方に座った。2115分に始まった。

03年世界一周クルーズの東さんが構成したと同じように、音楽とスライドによる回想写真が上映される。ブラスの高まりと、沸き上がるようなドラミングで音楽がスタートを盛り上げる。数々のスティルがスクリーンに映し出されていくと、不思議な高揚感がある。ほんの少し前だったと思っていたポンペイもトンガもサモアも、その映像の向こうに重なる想い出がある。ハワイのカットが始まると、ああ、もう帰国するのだ、下船するのだという、やりきれない気持ちが募る。ハンカチを目に当てるご婦人もいる。

P1030107 スライドが終わって、暗転。スポットライトに浮かび上がったのは、クラリネットを奏でるホワイト・タキシードを着た北村英治だった。

P1030116 P1030111片山一道教授を始め、ソシアルダンス教室の須山夫妻ら講師全員、派遣された美容師ほか、平野正道写真師とアシスタント、田実君他の若いツアー・イベントスタッフたちが音楽に乗せて次に紹介されて、スポットP1030122_2 P1030118 ライトと拍手を浴びる。評判の高かったパソコン教室の菊池秀之先生にも盛んにフラッシュが光る。最後に白川船長以下、白制服組のクルーが立った。「ご乗船有り難う御座いました」で第1部が閉じた。

2部のステージには、真っ赤なコスチュームの女性シンガーが二人登場。年齢の割には、若作りし過ぎで衣装のデザインだけが浮いて白々しい。名前は出さないでおくが、どうして、クラッシック畑の人は、鼻もちならない仕草や大げさなそぶりをするのだろう。オペラを演じているのでも、ミニコンサートをしているのでもないのだ。ディナーショーのような空気が読めないのだろうか。ましてや、今夜は、過ぎ去った長いクルーズを走馬燈のように思い出させる惜別の時間だ。エンターティナーという役割になりきって貰えまいか。船客はカタルシスに浸りたいのだ。P1030145 P1030141 バイオリニスト須磨和声の澄み切った流れるような高音から、一転して、古今亭菊の丞のお太鼓が打たれ始めた。この丁寧でリズミカルな、切れ切れの低音は、言い換えれば、クルーズでの「除夜の鐘」のように、心に響いた。

 

ところが、ところが、である。待っても、待っても出てこない姿がある。あの大勢のフィリピンスタッフが、ステージも上がって来ない。階上を見回しても、制服姿の集団が見えない。表れない。彼らはいったい何処にいるのだろうか?

ついに、ホールが明るくなった。終わってしまったのだ。クルーズ最後の、エモーショナルな時間はないままに終わった。感極まるあの瞬間が訪れないままに終わったのだ。飛びきり美味いデザートが忘れられたように、我々は席を立った。

がっかりした。その気持ちを同じ船客のある方に話した。調理場のコック、パシエテ、甲板部のスタッフ、ダイニングルームのフィリピンスタッフ、そしてハウスキーピングのフィリピンスタッフなどなど、船客に対し、これだけの裏方を含めた多くの乗務員によって、この船が何事もなく安全に快適に円滑に航行していることをあらためて人数で目に見せて、教えない手はない。特にファースト・シッティング、セカンド・シッティングと、二重の時間を笑顔で接してくれたフィリピンクルーに、大きな拍手で感謝の気持ちを届けたかった。このことを話していたら、傍らにいた数人の船客が同じ気持ちだったと頷いて、残念がった。

左舷出口で船客を待ち受けている講師や船長を、憮然とした顔で受け止めて通り抜けた自分がいた。「有り難う」の気持ちが半減したのは、正直な気持ちだった。なにが、旅の最後の感動かということ、そのサービス業のあり方に画竜点睛を欠いたと言わざるを得ない。


ランドサービスは今日で終わり、クレジットカードの精算も始まった。免税品販売も明日で終わる。各教室、講座も最終回を迎える。いよいよ、気ぜわしくなってきた。

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