今朝は八点鍾がないが、8時前に起きた。入港風景を見たいので、最上階のサンデッキにカメラを持って出た。このカメラ、腕時計を毎晩時間調整する際に、同じ手で直しておかないと大変なことになる。撮影時間がずれてしまうだけではない。日付変更線を越えることが二度もあるからだ。帰国後の写真整理が大変になるからだ。通し番号で言えば、既に660枚は撮り終えた。
7時30分、パゴパゴのタグボートが離れていった。入江の口に聳えるレインメーカー山に雲がかかっていた。この山に雲がかかると雨が降るそうだ。やはり今日も雨か。
サモアでなんとなく思い浮かぶイメージは、ホワイトとスカイブルーのペンキで塗られたアメリカンスタイルの家と、エメラルドグリーンの海。バミューダと違うのは、うっそうとしたジャングル。それが、どうだろう。
U字型の静かな入江に入ると、白い教会が緑の中にポツン。
山の急勾配に普通の家々が覗き、桟橋の先にヨットハーバ―らしきポールが数本立っているだけの風景。左舷に見えたレインメーカーホテルは、廃業したままでその姿を残していた。アメリカン・サモアという語感からは、ちょっと質素な雰囲気だ。尤も、このツツイラ島の西側には、ウポルボ島とサヴァイイ島のいわゆるサモアがある。サモアでの王位継承争いに内政干渉したアメリカが米独伊会議の結果、西経171°以東をアメリカ領としてしまった。なぜなら、太平洋海域の米軍補給基地があったからだ。
いつものような歓迎の人影はない。埠頭は左舷にぎりぎり1隻分のスペースだ。着岸すると音楽が聞こえてきた。しかし、人の現れる気配もない。やがて、それは、イミグレの広場に置かれた大型スピーカーから流れていることが判った。
朝食後に待たされることもなく、円滑に下船許可が下りたようだ。ツアーバスに乗る船客たちは、開放的なイミグレのゲートを通って、次々と右側に消えていく。今日も自分の足でぶらつくので、ゆっくりと下船する。
埠頭は、ファガトゴという地区だった。町らしいのは、右側に10分ほどのエリアしかないとのこと。ならば足が元気なうちに、レインメーカーホテルの跡地を見ながら、白浜があるというウツレイ・ビーチまで歩くことにした。
タラップを降りた途端、シャワーの洗礼を受けた。汚れた体を清めろとでも言われているように、禊ぎの滝に打たれたのだ。カメラのレンズに雨を当ててはいけないと、戻って船のビニール傘を借用した。
少し歩いただけで蒸し暑さが身体を包む。そして、初めて感じる強い潮の香りと魚の臭いだ。ワゴン乗用車を改造したバスが、派手な色に塗られたオモチャの車のように、走りすぎていく。数分でゴート・アイランド・ポイントに着いた。左手に突き出ているのが、かつては、島一番の高級ホテルだったレインメーカーホテルの跡地。総督官邸のカーブ地点で、にっぽん丸の船客を乗せたツアーバスが手を振って次々と通り過ぎていった。
左手海沿いに公園が続く。「パゴパゴ・ヨットクラブ」という小さな看板を過ぎた頃に、猫の額ほどの白砂が見えた。まさか、ここがこの島で唯一の白浜「ウツレイ・ビーチ」ではなかろう。
道路の右側を見渡すと、JMマートという店に、「センテニアル・アニバーサリーのホワイト・ペンキを発売中」という看板がかかっている。2000年を迎えるに当たって、この島では家屋を白く塗らなければならなかったのだろうか。そう考えて周りを見ても、建物にその名残は見えない。どういう意味だろう?
そのまま、
だらだら坂を上がって右にカーブを切る所まで出た。カメラの倍率を上げて探すが、その先に泳げるような白砂海岸があるようにも見えない。目の前の沖に大きな奇岩がひとつ、波を受けていた。ここまでは、上野から秋葉原まで歩く距離よりも遠いはずだ。よくカミサンも付いて来たものだ。ここで引き返し、もと来た道を戻ることにした。
至る所に看板がある。「酔っぱらい運転はするな」「ゴミを投棄したら、監獄に留置するか、罰金だぞ」とか、「正しい食事で健康であれ!」とかだ。
戻り道でカミサンがあっと声を上げた。道の脇に低い標識があった。「ウツレイ・ビーチ」。あの猫の額の浜が、泳げる唯一の場所、ウツレイだったとは。来た道には、その標識はなかった。
「パゴパゴ・ヨットクラブ」の裏側に、長さおよそ10m程の白い大型カヌーが船底を上にして置いてあった。その奥に細長い小屋がある。格納されていたのは新しいカヌー。祭りに漕ぎ出すのだろうか。破れた金網から撮ってみる。脇には斜めにオールが立ててあった。ヨットクラブの海側のテラスの壁には、レース・タイムがボードに書き残されてあった。

こうしてみると、往きの道で通り過ぎた公園は、「ウツレイ・ビーチ・パーク」と呼ばれているのだろうか。山側にはサモアナ・ハイスクールがある。そして、パークの中央には、アイキャッチャーの役でエンジン付きの大型救命ボートが置かれて、横長の幕には「セーフ・ボート・ウイーク」とあった。船遊びでの水難事故がかなり多いのだろう。
立ち止まっていると、パゴパゴの警察官たちがその救命ボートの前で集合写真を撮り始めた。それが終わったら、誰かと一緒の記念写真を撮ってやるからと、カミサンを近くに待機させた。その彼らがカミサンを目にして、一緒に入らないかといきなり声を出して呼び込んだ。予想外の展開だった。いそいそと集合写真に入ってしまった。しかも、彼らに大歓迎された。
輪の中にいたボス、署長があのテントでコーヒーを
飲んでいけと盛んに勧める。有り難く厚意を受けることにした。テントの端にジャーがあった。そのコックに紙コップを差し込んで気がついた。しまった!白湯だった。てっきり、熱い珈琲が出てくるものと思うのは、早合点だった。横に粉末のインスタントコーヒーとパウダーミルクがあった。ここは、素朴な島なんだぞと自分を叱った。薄めに入れて飲んだ。
署長がにこにこしながら、我々のところに歩み寄ってきた。ワタシ、ムスメ、イチ、ニイ、サン、ノ、サン」日本語だった。どうやら、指さした先に座っているのが、三女だという意味だ。先ほど、記念写真を撮っていた女性だった。浅黒い警察官の中で一輪の花だった。「ユアドウター? シィズ、プリティ!」それを耳にして嬉しそうだった。察するに、「交通安全週間」を部下がアピールしているんだからと、愛娘を連れて慰労に現れた父親という図か。
警察官に、18かと冗句を言われたが、小柄なカミサンは悪い気がしない。「若くに見てくれて有り難う」と返すと、「45歳くらいだな、で亭主は何歳だ?50歳かな?」と茶々を入れる。こちらも負けずに、帽子を取って、髪の毛の薄いのを見せたら、どっと笑いを貰った。受けた。こんなことは、フリータイムで散策しなければ、体験できない。
「観光客が来ると、必ず雨が降る。それは、強い日射しを和らげるための歓迎の儀式なんだ。で、雨降ると、ヴィジターは店に入る。店は客を歓迎する。だから、僕たちも観光客を歓迎するのさ」巧いことをいうものだ。警察署長では勿体ない。観光局長も兼ねてもいい。そう褒めてあげたかったが、そこまで英会話はできない。クルーズ14日目にして、ようやく、現地の人たちとコミュニケーションらしいことをして楽しめた。
「コーヒーを飲み終えたら、救命胴衣を二人とも着て写真を撮らないか?」と、若い警官が言ってくれた。サイズを探して持って来てくれた。彼にシャッターを押して貰った。「THANK YOUは、日本語でどういうのか?」「HELLOは?」「GOODBYEは?」矢継ぎ早に彼が訊く。丁度胸に入れていたメモ帳に日本語を書きつけて渡した。
離れたテントの中にいる警官達に手を振ってその場を立ち去ろうと背を向けたら、「モシモシ!!サヨ!ナラ!ワハハハ」というスピーカーの声で送り出された。ますます嬉しくなって、何度も手を大きく振り込んだ。
目の前のハイスクールバスからも、カミサンは呼びかけられ、陽気にはしゃいでいた。ようやくカミサンも、南の島に来た気分がしているのだろう。03年の時の寄港地トルコ・クシャダスに感じた、あの陽気な親しみを全身で受けた。
戻り道を急いだ。シャワーを浴びて昼食を取りたいからだ。ところが、イミグレを入った時、
その急ぎ足を止めたのは、地元の即席バザールだった。
にっぽん丸の停泊を見込んでわざわざ開店してくれたのだ。せっかくだからと、トンガでは買えなかったパレオの生地を捜してみた。サモアの文字がデザインされているのが土産にはいいねと、カミサンに薦めたら、松田サエ子さんも色違いを買ったようだ。同じく、田中さんの奥さんも買ったらしい。
反対側の店で僕は、カバを造るタノアがデザインされたパレオを見つけた。テーブルクロスにいい。少し現地通貨の手持ちが少なかったので、「タウガター(値段が高い)、ファーモレモレ(ごめんね)」
といって、値引きを頼んだ。あちこちの店に見事な生花のアレンジメントが飾られていた。カミサンがそれを最後に買った。
何処の国を歩いていても、どこの観光地に行っても、花があるとカメラに収める。自分の編集しているサイトに載せるためだ。
部屋に帰ると、花を差し出して言った。「いいでしょ、これ。遅ればせながら、高嵜廣子
さんの誕生日祝いに買ったのよ」食事に出てしまう前に部屋に届ける方がいいといって追い出した。カミサンのその機転を褒めてやりたい。
サモアの英文パンフレットを見ていて、あの奇岩は「フラワー・ポット・ロック」という名前が付いていたことを知った。
昼食は、うどんだった。ジュン君に頼んで、お代わりをした。蒸し暑かった日に喉ごしさっぱりのうどんなど蕎麦類が日本人にはいいということを、シェフは解ってくれているのだ。
午後からは、埠頭のファガトゴから右側の町を歩く。ジーン・ハイドン博物館に寄る。丸木船のアルトリガーの実物が展示された周囲には、魚の捕り方、骨を利用した釣り針、釣り上げた魚を気絶させる木製の棍棒、サモアの衣装、貝で造った頭飾りなど。館内は、こざっぱりとしているが、判りやすい。入場料はいらないが、
心付けを入れる箱があった。些少だが 入れてき
た。
マオタ・フォノ国会議事堂のフェンスは、カバの器タノアがデザインされていた。少し歩いた先にはマラエと呼ばれる広 場、その先に裁判所。右手海側には、新しいビルのショッピングモールがあった。土産にと思っても、シャツ類は馬鹿でかすぎて、手にしても笑うしかない。これでは冷やかしにもならない。トンガと同じだった。
さらに先にあるバスターミナルにまで行こうと歩く。この町のバスだが、客席の天井が高いのに、ドライバーの座っている位置はとても低い。これが妙に面白い。ステーションワゴンカーを改造して、後部に大きな箱を乗せたような、あの独特の運転席を横から撮っておきたい。
バスセンターには、何台ものバスが停車している。丁度、学校の引け時だった。長い腰巻き状のスカートを男女が履いている。よく見ると、そこに校章がプリントされている。ブルーもあれば、ブラウンもある。
もしかしたら、学年の識別だろうか。僕の高校は、校章バッジの色で学年を区分けしていたからだ。
随分と長く眺めていた。バスターミナルでの人の動きは飽きなかった。野良犬は此処でも多い。足を引きずった犬を何匹も目にした。車に轢かれたのだろう。そういえば、信号もない町だったことに今、気付いた。
バスセンターの外れ、山側道路に面して、「サーディ・トンプソン・イン」がある。サマセット・モームが泊まって執筆していたホテルだというが、いま2階はレストランらしい。その前で記念撮影。と、背中に、ホテルの中から飯塚さんが現れて駐車していた車に乗り込んだ。「シャワーが思いの外激しいので、レンタカーの方があちこち動けるかなと、借りちゃいましたよ」ということだった。なるほど、信号もない島を取り巻く道なら、確かに一回り出来るかも知れない。
帰路の途中、博物館の向かいにあるコンビニストアーを覗いてみた。生活雑貨用品ばかりのなかに、ひときわカラフルな棚があった。南洋模様の布地だ。カミサンの足が止まった。小間物を創る素材だそうな。最小単位で数種類の柄を買うことになった。
イミグレを通り抜ける時、タヒチアンダンサーズが何人も集まっていた。おそらくハイスクールの学生ではなかろうか。彼女たちにカメラを構えていたはずのカミサンが呼び込まれて、僕がダンサーとカミサン達の集合写真を撮る役となった。
シャワーを浴びて着替えたところに、松田さんから電話を貰った。「16時30分からダンスが始まりますよ」。
撮り終えた写真をHDDにコピーしてメディアを空にした。急いで4階プロムナードデッキに上がる。見下ろすと、民族衣装を身につけた集団が歩き出したが、ぴたりと足が止まった。
予想に反して、
岸壁をステージにはしなかった。その手前の広場が踊る場所のようだ。無粋なコンテナーに生の花を飾り付けていた意味がやっと判った。その飾り付けが、ダンシングステージだったのだ。エレベーターで1階から下船して、広場に駆け付ける。船側からは、被写体は逆光だ。
正面からではなく、横から狙うことにした。重低音の打楽器が大型スピーカーから響いた。軽快なリズムが刻まれる。
顔にペイントした男性がコンクリートの大地を踏みならして、動き始めた。重い掛け声も勇壮だ。船客は続々とタラップを下りてくる。町から帰り着いた船客は驚いて立ちすくむ。なぜなら、ずらりと、船客たちのカメラの放列だったからだ。
ダンスの振り付けの先生がマイクを握った。次々と繰り出すダンス。
男性群舞、女性群舞。足が思わず動いて、僕もステップを地面に打っていた。
数曲が踊り終わったときには、もう船のデッキから見つめていた船客も、カメラを手にしゃがんでいる船客も興奮してきた。「ガンバッテ!ガンバッテ!ドウシタ!ドウシタ!」こういう掛け声が歌の中に入っていたように思えた。

ダンスの振り付けをしている先生が、輪に中に入ってきた。
先生のソロダンスから、群舞がそれに続いた。赤いサックドレスをまとった観光局のスタッフが踊り出したときには、レンズから、彼を捉えながら、胸が熱くなってしまった。相撲取りのような体格で、あまり表情を崩さない、
まじめな顔つきだった男が、軽快にステップを踏み出した。素足になっていた。思わず踊り出した彼の気持ちの中には、我々が寄港したことへの喜びが溢れたのだろう。アメリカン・サモアに寄港した日本船は、にっぽん丸が初めてだったからだろう。
高木夫人が踊りに引き込まれた。カミサンも手を取られて中に入って、激しく踊らされた。
ラストダンスでお別れしますと、汗だくの先生がマイクを離した時には、異様な空気が張り詰めた。最高に盛り上がった!やっと、このクルーズで感激をした。
興奮した船客は、去りがたい気分になっている。帰船してください、乗船してくださいと、航海士に促がされて、ようやく船客がタラップを上がったほどだ。
この間、シャッターは167回押していた。
パゴパゴを出航するときは、既にダンサーは去っていた。とても居心地のいい島だった。感動を貰って船は離岸した。
「1日ツアー」の客が、教会を出た階段で足を滑らせて動けなくなったという話を聞かされた。暗かった教会から光の強い外に足を踏み出した階段だったため、瞳孔が追いつかなかったことと、強いシャワーの後で、出口の足元に水が貯まっていたという。ツアースタッフがいつものように気遣って先導していなかったのだろうか。救急車が来たのはそれだったのか。
サモア・パゴパゴ湾を出た途端に、外洋は左右にゆっくりと大きな振幅で揺れ始めた。早くにシャワーを浴びておいて良かった。これでは、また洪水になったに違いないほどのローリングだった。静かな入江がいかに重要な拠点か、この2万トンクラスでも判る揺れだ。こうして、パソコンを叩いていても、身体は左右に揺れていく。
17時45分。まだ夕食19時30分には間がありすぎる。航路は、南東に下りている。
夕食がセットされた時、水本君が誰かを捜しているのか、入口で足が止まっていた。手招きした。僕の手に平マネージャーが気付き、僕の隣の席に案内してくれたのは、日焼けした面識のない女性だった。遅れて水本君が座った。彼女は、ハワイに何度も来ては、フラダンスを習っていたという。今度の船客の演芸会にも、フラを披露するという。水本君は、ウクレレ教室に参加するという。
21時15分、サロン「海」でアイランド・ウインドのリーダーが奏でるウクレレを聴く。
ますます、大きなうねりに船は突っ込んでいるようだ。体を傾けながら聴く格好になった。観客が、人間メトロノームのようだった。
南緯14°58′、西経168度56′、部屋に戻っても、相変わらず大きく揺れているので、パソコンを打つのを止める。23時50分。
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