旅行・地域

2007年11月22日 (木)

07.06.15 帰国初日

やられた。深夜の2時30頃だった。両大腿部の内側にパイプが入ったように、固くなっていたかと思うと、強烈な痛みを伴って、筋肉が攣りだした。居たたまれずというのは、このことだろう。ベッドから抜け出すのも難儀だったが、そのまま、洗面所に吊り下げてあるドライヤーを手探りで触る。電源を入れて熱風を痛みが走る大腿部に当てる。左手で洗面所の灯りを付ける。モーターの音が鳴ったことで、カミサンが起きてきた。湿布薬を出してきた。後で、バンテリンを塗るから、心配しないで寝てくれと追い返す。「今日もデッキゴルフやるのなら、ごめんだぜ……」体がそう訴えているような痛みである。大腿部の付け根を温めると一番効果的だと、昔スポーツトレーナーに聞いたことから、攣った場合の応急手当として「ドライヤー様」の熱風に頼っている。パジャマの上から火傷しそうな近さで当てる。5分経った頃ようやく筋肉が緩んでくれた。そこにバンテリンを懸命に塗り込む。

しばらくは立ったままの姿勢で、溜まっている新聞の束を読んだ。そして、メールの受信チェックをしてみた。2352通の他に、なんと迷惑(スパム)メールが1985通もあった。留守を知らない方へのお詫び返信をこれから徐々に打つのだが、いつまでかかるかだ。これから、段ボール箱一杯分の新聞と、1箱の半分分の郵便物もある。今日は一日中これを読むことになる。パジャマ姿で過ごしたいが、夕方には、手荷物以外の、横浜港で委託した日通の宅配便、段ボールがドンと届く。

HDDに録画しておいたTV番組も早く見終わらないと、いざという時に録画容量が不足してしまう。そして、来週から8月までは、待たせた学生との授業がある。 が何よりも先にしたいのは、生まれたばかりの次男の子供に対面したい。今日の最優先はそれだ。

 

P1030580P1030578 昨日、気象庁は「東京が梅雨入りした」と言った。だが今日はなんと真夏日。いったいどうしたというの か。日本は社保庁だけでなく、気象庁まで変だ。僕も数日前から、左手が痺れ始めてきた。脊椎がずれて血行が悪くなっているのか。デッキゴルフのし過ぎでしょとは、呆れ顔でいうカミサンの弁。 Img_9676P10003041_2P1000307 今朝も、神戸に向かう遠州灘辺りで、パックを叩いているスイスイ・マダム工藤の笑い声が響き、ロング・キング松田のアチャアアというバンザイする姿とオートボケ・デビル高嵜のニタリ顔が、眼に浮かぶ。僕には、42戦をこなしたが、もう体力的には限度だったのだ。

そのにっぽん丸は、神戸入港の後、休む間もなく北上して、礼文島に向かう。今、世界一周クルーズ中の飛鳥2は、12日パナマ運河を通過したところだ。ぱしびは、キュラソー(オランダ領アンティル諸島)に寄港している。そして5日後の17日、追いかけてパナマ通航予定だ。いずれも、満室で航行していると聞く。日本のクルーズイヤーは本格的にそのサービスを問われる時代に入ったと言える。この三隻を卒業し外国籍船に乗り込む日本人が、世界の寄港地で誤解を与えないように振る舞うこと、海外で活躍している邦人の誇りを傷つけないことを願う。シニアの船客が多く、世界を回る。どうやら、日本人が長寿であることから、日本は、「スシ」「トウフ」などの食生活も、「マッサージチェア」や「ウオッシュトイレ」などの生活品も「ケンコウ」というイメージで結びついているようだ。尤も、米国の新聞では、日本人には近頃政治家に「武士道」の品格が失われてきたとも書かれる。然し「イチロー」にはそれを見ることができるという。我々はどうだろう。

Img_7143 先に、地球を横に世界一周クルーズしたので、今度は縦にした。横の時は、中国、インド、イスラムと世界の文化の流れに沿って、十字軍の足跡、キリスト教文化などから、徐々に西欧的な都会光景を目にしたが、最後のアラスカで、西欧文化の極みとなる排気ガス汚染が大自然を壊していることを警告された。今度は、アジア系の民俗がいかにして海を乗り切り、クック船長に負けず劣らずの航海術で北米まで帆を操ったか、ラピタ人の航路を辿った。そこには、石器時代を思わせる生活が残っているかと思えば、缶詰などの保存食生活や歩かない車社会で急激な糖尿病を患う島民、そして衛星TVにより、異国の文明に戸惑っている姿があった。西欧人による文明の利器が環境破壊を生じさせ、温暖化が季節を変えさせていることを目の当たりにした。横軸と縦軸のクルーズは、生きていることの検証でもあった。

南洋航路は寄港地の少ないことが幸いして、航海日を長く楽しみながら、デッキゴルフ三昧をした。その分、海洋動物たちの姿は余り目にすることがなかった。彼らは、既にアラスカ方面へ北上している時期だった。

 

 P1050240 071108_20530001 水墨画家・王子江の個展を銀座で、ジャズチェロリスト・吉川よしひろのコンサートも都内で3回、一龍齋貞心会の講談も日本橋亭で数回、 また、過日は古今亭菊の丞さんが、北村英治とのトークショーを企画し、上野鈴本演芸場で初のクラリネット生演奏があった。囲碁の山本先生と一緒になった。洋上で知り合ったアーティストの方々と下船して繋がっているのも、ロングクルーズの賜物P1050114Dscf0612Dscf0610である。

  



 これで、250泊を越えたクルーズはひとまず終わった。帰国して、戦友と日本デッP1040576_2キゴルフ協会を設立した。これからは陸デッキゴルフリンクを姫路の他関東地区に創れれば嬉しい限りだ障害物のある不規則なスペースでもいい、床面の緩い高低も構わない。使われていない体育館、屋上テラス、テニスコート、駐車場など探してみたい。 現在は、MPOAS系の(にっぽん丸、ふじ丸*写真 は、全天候型2面を持つふじ丸後部デッキの右舷側)船客しか、デッキゴルフを楽しめない。陸でショットするか、船上でショットするか。

もう一度ロングクルーズをするために、せっせと宝くじを買おう!日本宝くじ協会によると、1年間に1回以上買った人は日本人の498%もあるそうだ。年末ジャンボ宝くじで1等が当たる確立は、東京ドームに敷き詰めた新聞紙へ、天井から針を落として新聞活字の1文字に刺さる確率と同じくらいだと読んだことがある。佐賀駅前の売場がよく当たると専らの噂だが、そこまで遠出するなら交通費で宝くじの枚数を増やしたい。その宝くじ、大事する余り、しまいこんだ場所を忘れてしまうことが何度もあった。一番駄目なのは、僕自身なのだ。

 

Img_6122P1030234Img_2406 地球が「水の星」であることをクルーズで堪能し、デッキゴルフを知った。僕のいわば、麻薬は、潮風に吹かれ、揺れる鉄板の上で遊ぶデッキゴルフだった。Img_6126 Img_6851 Img_6147 頭を過ぎるのは、何日にも亘ってプレイした戦友の姿だ。乗らなければ解らない洋上生活。フェリーに酔ってしまった僕が、クルーズが堪らなく好きになるなんて信じてくれない同期生に、また性懲りもなく、クルーズの効果を説得して回ろう。そして、休筆していた07年次の世界一周クルーズ航海日記を、記憶の薄れないうちに再び書き始めことにしよう。

・・・・・・・・・・・・・・・*この航海日記で多くのデッキゴルフプレイの写真を快くお提供下さいまた高木ご夫妻に、深く感謝申し上げます。

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2007年11月20日 (火)

07.06.14 帰国 横浜入港

Img_2444 白状すると、実は昨夜、シャンパンからひれ酒、ワインにビールとチャンポンで飲み過ぎたため、横になったらすっかり寝入ってしまった。2個の段ボールに書籍類を分配し、衣料を仕分けただけで、少し休むつもりが、不覚にも寝てしまったのだ。2時半に目が覚めたとき、部屋の風景は一変していた。あれほど散乱していた段ボール箱がきれいに片付いている。段ボールには既にガムテープできっちり封がされ、しかも何箱もが、戸口に積まれてあった。スーツケースも縦になっていた。パッキングし終わっているということだ。酒に飲まれて役に立たなかった亭主が、真夜中に半身を立てている。無様である。寝息を立てているカミサンに、「すまん…お疲れさん」と小声で感謝した。役立たずの僕は、もう一度眠らせてもらう。

 

今朝は、6時には二人とも起きて顔を洗っていた。すぐにでも使えるように携帯電話の充電も互いに終わった。パソコンは叩けない。もうバッグに入れている。しばらくは、テレビの画面を見つめていた。妙に感傷的にさせる。世界の海で撮られたイルカの姿の上に何回も現れてくる文字がそうさせる。「また海の上でお会いしましょう」という文字。それと交合に房総半島の沿岸図が現れ、そこに向かって本船を表す白い点が徐々に向かっている。オルゴールでサザンのメロディが刻まれている。再び、文字が現れる。なにも切々と語ってくれているわけではない。目で感情を揺さぶってくる。

11時、東京湾入口。12時、浦賀水道。13時、横浜港沖合い。14時横浜大桟橋着岸。気温22℃』

刻々と、横浜港が近づいてくるのだ。これが短い間隔で何度も入れ替わる。嫌が応にも過ぎた日々を思い出させ、別れの時間が迫っているぞと、教えている。走馬燈のように頭に浮かぶ。

 

Img_2308 朝食に向かう。船客同士がすれ違いざまに頭を下げ合っているが、言葉が少ない。誰も目が赤い。
いつもと同じように、オートミールとヤクルト、トマトジュースとエッグポーチで終わる。工藤さんが「教授!」と呼びかける。03年世界一周クルーズの時、大学を辞めて乗ったのだが、助教授だったと説明しても、彼女に「教授!教授!」と大声で呼ばれる。「今は、講師しかしとらんよ」訂正しても、「そんなん、ええやんか。どっちゃでも同じ大学の先生や。あだ名にしょ!あだ名よ、教授!ははは」とうとう、仲間からもそう呼ばれて4年が経ってしまった。その彼女が背後から肩を突ついた。「今日もやるんよ。待っとるからね」そう言って足早に消えた。
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『北緯33°52′、東経147°56′。野島先の沖760kに来ております。速力173ノット、時速32k、天候は曇り、北の風13m、気温205℃、水温23℃、波の高さ約15m。気温22℃。正面に見えている島は伊豆諸島の利島です。右前の大きな島が伊豆大島です。これより伊豆大島に沿って北上し、東京湾に入ってまいります。浦賀水道に入るのは12:00頃、13:00頃横浜港港外、14:00頃横浜港大桟橋着岸予定でございます。
天気予報では西方から低気圧並びに雨が押し寄せてきています。もう既に雨を感じる程になっております。昨日13日には平年より一週間遅れにて九州北部・四国地方が入梅しました。
P1030363P1030366にっぽん丸は14:00頃横浜港に着岸いたしますが、右舷付けといたします。着岸しても、荷物の搬出並びに通関準備のためすぐには下船できません。 3時間の停泊にて17:00出港でございます。神戸は明日15:00着岸予定です。
本日の横浜の天気は、残念ながら午前中から弱い雨、夜中には雨が強くなります。気温は22
です。尚、西から低気圧が近付いています。1002hpaと、大きく発達はしておりません。横浜を出港し神戸へ向かう今夜は、南寄りの波高2.5mの予報でございます。神戸の天気予報は弱い雨です。
横浜下船のお客様、にっぽん丸にご乗船いただき誠に有難うございます。 乗組員・スタッフ一同、改めて御礼を申し上げます。  横浜港着岸まで今暫くお寛ぎください』

P1030338 P10300486_11船内に八点鍾と共に、船長の声が響く。これを聴くといよいよ慌ただしい。クリスマスの鐘が鳴り亘って、ギフトを買い回らねばならないと追い立てられるようだ。浮き足立ってしまう。

 

一旦部屋に戻ってから、4階のプロムナードデッキを、一歩一歩足で踏みしめて歩いていった。居る、居る。鉄板のコンディションを確かめている。雨模様だと解りながら、黙々と玉を打っている。言葉を交わすと、これまでの想いが一気に噴き出しそうで、みんな寡黙だ。デッキの床面も泣いている。人影が映り混むほど濡れている。ショットが難しい。

P1030359白組:菅谷、萩原、草浦、高木保彦、高木敏恵。赤組:松田史郎、松田サエ子、高嵜、工藤、塩野。

名残惜しい気分で、玉を打つ。いつまた、この船上で会えるか定かでは ない。1ヶ月の集大成の打撃を見せる。ナイスショットが出た時に、思わず喜びの声が上がる。重苦しい空気を敏恵さんやサエ子さんが和らげてくれる。3番から4番ホールの戦いに入ると、徐々にいつもの冗談が飛び出す。オートボケ・デビル高嵜だ。「来年、世界一周せえへんの、教授?」「行けないよお!無理、無理!!」「うちら、おとうちゃんと行で、申し込んだわ」「高木さんとこも申し込んだ言うとったよ」「松田さん!あんたらも、行くでしょお?」もう来年の話をしている。そう言えば、Hさんは、2010年まで、もう申し込んだとご本人が言っていた。船は、乗ってみれば解るが、こりゃあ、説明の付かない麻薬だ。

 P1030352 P1030347 P10303415番ホールの攻防戦 になると、誰もがいつもの気色立った顔に戻っていた。声も叫びに変わっている。船は、伊豆大島の横をゆっくりと抜けていく。普段眺める大島の裏側である。ゴルフコースが見えてきた。その先には、熱海や富士が見えるはずだ。

P1030346 P103036 結局、白の我々が勝った。バッド・コンディションだったが、ラストを白星で飾った。ゴルフの最終ホールでティショットが思い通りに飛んだ時の気分である。次に繋げたような気がする。

06年の世界一周クルーズでは、接岸していても、まだデッキゴルフをしていたことを思い出す。年老いた男女が、長い棒の箒でデッキの掃除でもしているのか。横浜大桟橋で出迎えの人たちの目には、そう映ったに違いなかった。デッキゴルフのメンバーの多くは、神戸まで乗っていく。高嵜さん、松田さん夫妻、塩野さん、工藤さん、高木さん夫妻。7人もいれば、神戸までゲームはまだまだ続く。

 

P1030379 P103038 昼食をした。浦賀水道に入った。船は、横浜のベイ・ブリッジをくぐった。遥か先に、ランドマーク・タワーが霞んで見える。下船は、5階の船客から始まって、順次1階となる。まだ充分に時間はある。写真を焼き付けたCDを渡しながら、最後の挨拶をし合う。泣いている人たちが多くいP1030384 P1030378 る。もう会えないかもしれないと言っている。確かに、乗船客の3割以上は、僕も含め、なんらかの病気にかかっている人たちだ。杖を突いていた人が、帰国時には杖を手にしないでも歩けるようになっていることは、よく目にした。毎朝、スポーツデッキで潮風を受けながら、ラジオ体操に通った人、フィットネス教室に通った人、規則正しい生活を続けている内に、健康を取り戻した人もいる。元来の内臓疾患などの人は、再びストレスの溜まる世事の生活に戻ることで、もう乗れない人もいる。そうした想いが去来するから、抱き合って別れを惜しんでいるのだ。全国から集まった人たち、一期一会となるか、新しい交友となるか、それは、暑中見舞いが舞い込む頃に見えてくる。

P1030434 P1030424 旗が配られた。プロムナードデッキが騒がしくなってきた。携帯電話で、桟橋と交信している人。望遠レンズで顔を探している人。1ヶ月前の光景が舞い戻ってきた。寄港地で先に帰国した講師やアーティストの方々が出迎えている。雨が降っているので、出航の時ほどの人はいない。

神戸に帰る人も、一旦はイミグレを通る。なぜなら、日本に帰国したのだから。荷物は、スタッフが次々と税関まで運び出してくれている。

P1030439 P1030440 下船する。手を振る。イミグレの前で、ジュン君と握手で別れる。

 

スタッフの浅間君が荷物を運んでくれる。ここで最後のハプニングが起きた。P1030441「麻薬なんか入ってないでしょうね?」税関員が身を乗り出して、にこやかに冗談を言ってくれる。「ありませんねえ」笑って答えた。ところが、相手の顔から笑い顔は消えている。麻薬犬が怪しい手荷物を探知したというではないか。スーツケースから、段ボールまで開けられ、何度も手を入れて探られた。カミサンと二人、見合わせて驚く。係官は、探知した犬の行動を信じたいですからと、笑いながら、手を入れている。我々は為す術もなく、その場で立ち尽くすのみ。何が匂ったのか、見当も付かない。しきりに首を傾げながら、衣服や土産物を手にとって探していた。身に覚えがない我々二人は、笑いながら質問に答えていた。かなりの時間が経ったころ、カミサンが「主人が腎不全ですので、特殊な食べ物を持って出ました。ビスケットのようなものです。これです」と差し出して見せた。小腹が空いたときに食べられるように持ち込んだ残りだった。妙なものがひっかったものだ。麻薬犬の訓練には、無塩食など初体験だったのか。ともあれ、何も出てこないままに終わった。当然のことだが、気がつけば下船した船客の姿は、とうの昔に消えていた。周りには、どうなるかと見守ってくれていたクルースタッフだった。途端に汗がでてきた。まあ、最後の最後までメモリアルな出来事を創ってくれるものだ。

 

宅配便のカウンターで段ボール類を預け、タクシーには、重要なものと、すぐ必要なものを入れたスーツケースを2個トランクに入れた。車窓をひさしぶりの日本の風景が流れている。ビル群をあらためて眺めていると、急激に成長しすぎた国に思えた。日本をどこかに脱ぎ捨てて、無理してアメリカナイズした国で、それでいてなりきれていない。追従したままで、独立していない風景だった。「バナナ族」。外資系企業を渡り歩く日本人を俗にこう呼んでいる。内面は白人だが、やっぱり外側は黄色人だという揶揄。日本の街も「バナナ」だなと、首都高を上野で下りた。明日から、1ヶ月分の新聞の切り取り作業が始まる。そして、二人で5000枚以上の写真を整理削除することも始まる。そして何よりもまずは、孫の顔を三井記念病院に見に行くのだ。今晩は、エンジンの震動無しでも眠れるだろうか。心配だ。

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2007年11月14日 (水)

07.06.13 日本へ7

P1030209 2時半に目が覚めた。未だカミサンがパソコンを叩いていた。520分、再び目覚めた。今度は僕がパソコンを叩く。テレビ画面のナビを見ると、北緯33°。進路を一旦下げている。そのままだと、勝浦辺りに付き進む位置だったのだ。いずれにしろ、地球の放物線に沿って航跡を描いているのが、尤も効率のいい航行だ。左舷後方は、黒い雲が下りて水平線も見えないのだが、前方には水平線が見え青空も広がっている。日本の天気は、関西から崩れるが関東は今日一日天気マークだったと記憶している。TVは、NHKだけで民放の電波は未だ受け止められない。

明日は横浜に入港、帰国である。洗面所に行こうと立ち上がった。机の上に一枚の紙が置かれてあった。インビテーション・カードだった。

『ご結婚記念日おめでとう御座います。本日御夕食の席にてお祝いさせていただきたく、ご案内申し上げます』

MOPASには、船客データがあるのだ。2月生まれのカミサンと4月の僕には、クルーズでの誕生日祝いは、無縁である。せめて、二人の結婚を決めた日くらい、船上で祝ってもいいかと、二回目の世界一周クルーズの時に初めて申請したのだった。それにしても、14日は、下船当日である。首を傾げながら朝食に出た。

そこで、ファースト・シッティングの工藤さんとばったり。「私たち、神戸まですんのよ。今日もやろか、やるやろっ、ほな、あとで」それだけ言い終えて、階段を上がっていった。カミサンは、荷造りのやりくりに僕のデッキゴルフ時間も、既に織り込み済みだった。

するか、考えているところへ、菅谷さんの顔。このことを伝えると、「9時には行きますよ」当然の如く、言い返された。

早すぎた朝食を終え、ひさしぶりに、部屋に戻って八点鍾を聴いた。

 

Img_2327_12『大変穏やかな天気です。前線の北側に出ています。北風を受けています。気温も下がってきました。

北緯33°52′、東経147°56′。野島崎の沖、760kに来ております。速力173ノット、時速32k。天候は曇り、北の風13m、気温205℃、水温23℃、波の高さ約15m。

コースが折れ曲がっておりますことにお気づきでしょうか。ちょっとした騒動がありました。昨夜のグランドフィナーレが終わりかける頃、海上保安庁より『航空機の遭難した可能性有り、航空機を飛ばすので、救助願いたし』との連絡を受けました。現場は、南東90マイルの位置とのこと。このエリアの船舶では、最も近い5時間で到達できる地点にいましたので、本船は進路を変えました。030分過ぎ、周辺海域での捜索が始まりました。捜索の結果、02時に海上保安庁より『遭難見当たらず』として、救助体勢の解除がなされました。再び進路を横浜に向けました。これが航跡の折れ曲がった理由です。

横浜の天気、入港時の14時は小雨という予報です。気温22℃。手荷物は小さくされ、雨具をご用意下さいませ』

折れ線の意味が解った。

カミサンが、記念日は下船日だがと、インフォメーション・デスクに訊きに行った。こうした記念日は、1ヶ月前、2週間前と事前に準備し、親しくなった方々と同じ席で食事をするというのが、どうやら船の上では慣例のようだ。しかし、出航間もない時期ならまだしも、寄港地が重なってくると、知り合いになる方も増え、どなたに声を掛けるのかに悩むことが多い。また、そのために、美容院の予約をして、着飾って来る方もいらっしゃる。このため、リピーターの中には、ひっそりと二人だけで乾杯してしまうケースが増えている。高嵜廣子さんの誕生日がそうだった。

「ご都合がつけられるならば、是非お祝いさせていただきたい、とご案内させていただきました」インフォメーション・サービスの担当者は、是非受けて下さいと勧める。「では、お別れ会にもなりますので、他の方数人とご一緒の席をお願いいたします」「では、マネージャーの平に申しつけてくださいませ」「有り難う御座います」

 

「荷造りいつやろうか?」「いいわよ、まだ。デッキゴルフやるんでしょ。その時間は差し引いてあげるから、やってきてくださいよ、ラストなんだから、気の済むまで…」

9時に後部に行くと、高嵜さん、工藤さん、松田ご夫妻、高木敏恵さん、菅谷さんといつもの顔が当然という顔で僕を見つめる。塩野さんは、奥様の許諾を得るために、すっ飛んで戻って行った。様子見に来ていたとは、嬉しい限りだ。

プレイをすることだけが嬉しいという面々だが、飛び抜けて塩野さんの腕が上がっている。「これでは、横浜で降りたくないでしょ、神戸までどうですか」「ええ、えへへへ」と僕。

 

東京組には、最後のデッキゴルフになった。昨年は、横浜港に着岸作業をしてる間も、プレイしていた。下船まで税関手続きの時間を見越してだ。出迎えのターミナルからは、いい歳をした男女が、モップでデッキを入れ違いに声を出しながら拭いているように見えたそうだ。

P1030078_612 結局、オーラスのゲームは、高嵜、塩野、萩原、高木敏枝が、菅谷、松田夫妻、工藤に勝った。神戸下船組は、神戸港に着くまでギリギリいっぱいやり続けるに違いない。今度は、雨天も出来るふじ丸で、関東組対関西組でやりましょうと言って終わった。今日が46戦目の日だった。

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「誰か、最後の僕に『このスティック1本プレゼントしてやれ』とでも言ってくれませんかああ!?」手にしているのは、実は、03年次から愛用してきたHの印を付けた旧式のスティックである。本気で、横浜桟橋へ秘かに投げ落として、落とし物扱い、いや掃除道具の棒きれとして受け取りたいくらいだ。

 

昼食はラーメンだった。口にすると、無性に「源太ラーメン(蛋白減、塩分減の病院食)」が何杯も欲しくなっていた。

食後こそは、荷造りだ。部屋に帰ると、早速、スーツケースを拡げた。今晩と明日の服を外して、しまい込む。足を通さなかったズボンが2本、腕を通さなかったポロシャツ類が4着あった。

P1030200_2 0613_2_1img_2346 1350分、「イルカの群れが船首方向に」というアナウンス。荷造りの最中でもあるからだろう、さほどバタバタした廊下の動きは、もうなかった。

 

 もう一度アナウンスがあった。 P10301961階からエレベーターで6階のブリッジに上がってみた。最後の動物を見ようと、かなりの人数が集まっていた。右舷側のウイングで突然嬌声が聞こえた。慌てて飛び出した。その指さす方向へカメラを向けた。連写にする時間はなかった。イルカが3回、海面下を 滑るように泳ぐ姿を見た。その動きをトレースするように、カメラをつけていった。シャッターを切った。1回目は失敗した。 二回目、その姿が潜った。そのタイミングでこちらも呼吸を整え、P1030190シャッターを切った。入ったと思ったが続けて追った。深く潜って閉まった。空シャッターを切った。

レビューしてみると、見事にイルカが海面から飛び出していた。やった。 片山一彦先生が傍にいた。写真を見せた。「凄い!」の一言だった。

 

気分良く部屋に帰った。松田さんから電話で部屋に来てくれと言う。夕方には、最後の「リーグ戦優勝表彰式兼打ち上げ会」が7階のリドデッキである。このことか。

訊ねてノックするがいない。高嵜さんが3階の自販機からビールをバケツに買い溜めている最中かと3階に下りる。姿はなかった。4階のプロムナードデッキを走る。松田夫妻の姿もない。6階のスポーツデッキに出てみる。大勢の人が集まっている。須磨和声率いる弦楽四重奏のアーティストも、ステージ衣装のままである。いったい何が起きたのか。見回すと、なんと、船客写真を撮ろうとしているのだ。聞いていない。知らなかった。一段上のデッキから、水本カメラマンと、平野写真師がカメラを構えている。カミサンに知らせたくとも、間に合わない。

「船内スピーカーで船客に知らせてほしいな」傍にいた蘇クルーズ・ディレクターに頼んだ。しかし、彼はこう言った。「いいんですよ、これくらいの人数で」。ままよと、僕だけ写真に収まっておく。Img_9693

撮られ終わったが、どうも釈然としない。すっきりしない。蘇君の言葉が引っかかる。そもそも、この集合写真は、03年世界一周クルーズの最後に、同乗のカメラマン東さんが発案したもので、クルーズの想い出をCD化するに際して最後に挿入するカットだった。だから、出来るだけ多くの船客の顔を記念として残すことだったはずだ。だから、06年世界一周クルーズの時には、デッキゴルフのプレイの合間に後部デッキから上がって加わった。今でもその時の船客の皆さんが部屋で笑っている。顔を覗き見る度に想い出が甦る。同じ釜のメシを食った仲間というか、同じ日本人村で暮らした仲間と思える貴重な写真でもある。それを、カメラのフレームに寂しくない程度集まればいいのだという軽い捉え方が間違っている。蘇君が一期一会の船客の気持ちを察することができないからだ。半年も陸に下りないままの洋上生活者には、解らない気持ちなのだ。船客の顔が多ければ多いほど、その記念写真は価値のあるものになっていくのだから。

 

Cimg0170頭の中は割り切れない気持ちで、エレベーターを待つ。高嵜さんとばったり出遭う。7階に上がった。いつものように、リドデッキ脇の各種教室が開講されるスペースに、今夕は優勝者表彰式と打ち上げが行われる。メンバーの大半が顔を揃えていた。

ブロックアイスに挟まれて大量の缶ビールが高嵜バケツに積まれてある。このビールは、ホールインワイン提供者の協力で買ったもの。それぞれの前にウーロン茶や缶ビールが配られて、最年長者の菅谷さんが乾杯の音頭を取った。顔を見なければ、何処かの部活合宿のような雰囲気である。

Img_7058Cimg0176_3 Img_7070_2 会長とは今航海の名ばかりの仮称であるが、せかされて挨拶をさせられた。その機会に、各人の戦績を発表した。68分というトップの勝率を誇るプレイヤーに惜しみない拍手をと前置きをして、工藤さんの名前を挙げた。拍手が起きた。Img_7083 Img_7089 工藤さんの少女っぽい笑顔が、さらにみんなを嬉しくした。勝率第2位は僕で625厘。7連勝した結果が戦績に大きく影響したのだろう。5連勝したのも工藤さん、4連勝は僕と高嵜さん、鬼界さんが記録した。40戦こなしたのは、神戸から乗り込んだ松田さんと高嵜P1030234さんだった。優勝は、菅谷チーム、2位が高嵜チーム、最下位が松田チーム。それぞれに賞品が手渡された。忙しいスタッフチームも顔を見せてくれた。

 

菅谷さんから、横浜下船組と神戸組とで対戦したいねと提案Img_7086があった。みんな賛同した。新たに明日、横浜帰港直前に、もう一つの対決が持ち上がったのだ。こんな盛り上がり型は珍しい。高嵜さん菅谷さんのデッキゴルフへの想いがこうまで熱くしてくれたのだと思う。07年のクルーズが、ほんとうに想い出深いものになる。

 

さて夕食だが、荷造りをしてしまったので、既に普段着しか残していない。一緒に会食してくれる方々も同じだろう。

レストランに入ると、平マネージャーが創ってくれていたのは、センターの、センターの席だった。困った。晴れがましいことにはしたくないと言っておいたのだから、困った。正直、左舷でも右舷でも奥座敷が良かったのだ。今となっては、席替えも出来にくい時間だったが、敢えて平さんにそのことを話した。「この真センターの席は、船長席です。滅多に座れませんよ」ニコニコしながら、受け流された。「みなさんも荷造りした後ですから、カジュアルですよ」記念日というのは、前もって美容院に行かれる方、セミフォーマルにされて臨む方など、そうした姿を見慣れている他の船客の目が気になる。「最近、どなたも記念日をされないので、是非、我々の狙いを理解してください」相変わらず、笑顔でセンターテーブルに案内してくださる。高嵜夫妻、松田夫妻、高木夫妻が着席。一応にその位置に驚きの声が出る。クルーズ最後の席だからと互いにいいながら座る。徐々に席が埋まってきた。

Img_7124Img_7126 今晩は、航海日最後の夕食ということで、にっぽん丸ヘッドシェフ日浦田さんによる特選和食である。ふぐ料理だった。ひれ酒はメニューにあるし、松田夫妻は飲めないし、シャンパンを頼もうと手を挙げた時、シャンパンを手にした腕が背後から伸びた。驚く僕に、高木敏恵さんが、どうぞと合図している。気づかないうちにオーダーしてくれていたらしい。恐縮してしまった。各自に注がれる。乾杯と声を掛けられる。周囲の席が振り返る。ついに、気恥ずかしいバンドのメロディが近づいてきた。久しぶりに聴く音楽だった。 Img_7137 Img_7130「コングラチュレーション!」と描かれたプラカードを背に、船長からローソクの立ったケーキを差し出される。最後の最後に晴れがましく二人で立っていることの恥ずかしさ。周りの席からも拍手される。汗が出てきた。下船したら、またカミサンの手を煩わして、減塩料理を作ってもらうのだから、その拍手は彼女へのエールだと思っておこう。クルーズを終えると、しばらく奥さん方は料理の献立を考えるのが面倒になる、Img_6830いや、料理の仕方を忘れるという話もあるほどだ。1ヶ月間、僕の減塩調理をして下さった日浦田シェフに感謝。

 

今夜は、ボトルキープしてある焼酎を空けられそうもない。まだ、片付けが残っている。だから、カジノ券も余っている。次回乗船までお預けか。せっせと。宝籤を買わなくては。ホールを越えるつもりでなければ、パットは決まらない。打席に立っても、バットを振らなければホームランは打てないのだ。

デッキゴルフという仲間を得られて、ホントに良かった。夫婦で付き合える間柄は長期間乗船するクルーズだったから得られたのだ。クルーズしたいという同級生に、下船したらさらに勧めてみたい。P1030250

 




 例の集合写真についての知らせ方は、船内新聞では各階の施設の営業時間を伝える7ページ目に書かれてあった。 P1050109 P1050108クルーズ慣れしてきた船客にとっては、見なくなっているページである。見落とすはずだった。広告業界でいうところの「伝えても伝わるだろうか」である。やはり、今後は、時間軸で書かれる場所で、知らせるべきだと思う。

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2007年11月 5日 (月)

07.06.12 日本へ6

時刻改正もあるが、3時に目が覚めていた。4時間は眠っていたことになる。そして、あれこれ、今回のクルーズを回想しながら、5時まで横になっていた。

Img_2385 朝が明けた。水平線がぼやけてきた。フォグである。舳先の映像が真っ白くなり、船窓の風景も寝ぼけている。速度を16ノットに落としているせいか、船の揺れは少ない。波もさほど立っていない。大きなゆったりとしたうねりである。

今日は、次男の嫁の帝王切開手術の日である。孫が生まれてくるのが気になるので5階にメールチェックに行った。5時だというのに、既に2人の方がメールを打ち込んでいた。手術に関しては何も入っていなかった。ならばと、ハワイで下船して京都に帰った鬼界さんへ、デッキゴルフの戦況報告をしておいた。

7階に上がってスリムビューティ・オートバイブに10分間乗った。なにせ、1時間歩いたと同じ運動量が下半身に与えられるというから、ついつい乗ってしまう。東京では1500円也だ。

4階に出て後部のデッキコンディションを下見に行った。4階も5階もデッキは水浸しだった。しばらく自分でスイープしていたが、二人のフィリピンスタッフに床面を拭いておいて貰えないかと頼んでおいた。6階のラウンジ「海」には、まだコーヒーの準備も整っていなかった。軽やかに叩いているピアノの音がしている。朝からエンタティナーの誰かがリハーサルかと覗くと、なんと、横浜の元女医さん、平岩さんだった。お嬢様育ちが背中に見える。お歳は80歳くらいだろうか。脇目もふらずに黙々と鍵盤を叩いている。とても清々しい光景に遭遇した。

 

740分には、レストランで朝食を食べていた。天井のスピーカーから、船長の声が響く。

『海も風も穏やかな朝ですが、霧が出ています。視界が1mを「霧」と言っています。北緯33°29′、東経156°23′。野島崎の860マイル、1600kmの位置に来ています。時速33k、天候は霧、南西の風10m、気温195℃、水温18℃、波の高さ約2m。東側に波長の長いうねりがあります。現在、前線の裏側に出ています。尚、本日を以て、船内時間は日本時間と同じになりました』

 

820分、後部デッキに向かう。フィリピンクルーが丁寧にスイープしてくれたお陰で、床面は早くも乾き始めていた。スティックを握ると、アルミのポールが手にべたつく。塩の湿気だ。パックを打ってみる。滑りが悪い。少し力を込めると滑りすぎる。手強いコンディションだ。コントロール出来そうもない。5番ホールからゴールへ、4番から5番へと、長距離の打ち出し角度とフルショットでの自分の距離ヤードを調べておく。ゴルフのパットの練習に似ている。20本くらい打った。5階の階段から女性が降りてきた。スタッフの浅間君だ。彼女は、剣道をやる腕っ節の強い打者である。練習を始めた。

彼女の打撃的中率がどの程度か、しばらく様子を見てみることにした。予想外に飛距離は短い。徐々に応援団、いやギャラリーも顔を出し始めた。メンバーのロング・キング松田、オートボケ・デビル高嵜共に長袖姿で現れた。今日の対抗スタッフ、破壊的強打者のアメラグ高崎(以下同じく仮称)、調律師で小技の巧いピアニシモ黒川、的中率確実のジーマメ田実も揃った。後はキラー・コンドル菅谷を待てば、開戦できる。野次馬大将になっているネプチューン・スター長坂が嬉しそうな笑顔を見せた。Cimg0161

 

95分、先攻は白組のスタッフからスタートした。スタッフ側のアメラグ高嵜の調子がイマイチだ。凄まじい強打力を発揮するのだが、スカも多い。高崎君の攻撃を封じるのに、徹底的に距離を長く保つよう、僕は秘かに提案指示した。涸れに焦りが見える。打ち出し角度が数センチ狂えば、的中率は自ずと下がるからだ。玉に当たらなければ、その勢いは遥か先にオーバーランする。戻るには、7人のプレイの後にしか打順は巡ってこない。局面は大きく変化してしまっている。さしもの高崎君もその対応に悩むはずだ。もう一つの策は、飛距離の短い浅間君を釘付けにすることだった。

白の軍団が1番でもたつく間に、赤軍は2番から3番ホールを陥れた。白は徐々に分断されていった。浅間君が、「孤児ハッチだわ」と叫んだ。ここで、ニックネームが決まった。「ミナシゴ・ハッチ浅間」と命名した。黒川君は、勝負処でやはり小技を決めたので、そのまま「コワザ・ピアニシモ黒川」、夏祭りでバチ捌きが冴え、「ボン・オドリズム田実」、打撃王には、「アメラグ・ショッカー高崎」のプレイネームを差し上げる。

Img_2365_612Img_2358_612_2 Img_2364ゲーム展開は、明らかに年齢差体力差のあるシニア組の我々が意地と練習量で、1打1打を考え抜いた。接近戦では勝ち目はImg_2379Img_2405ない。赤組に蹴散らされる。各自がその距離感がどう保てるかが勝負だった。その成果は5番ホールで表れた。

 白が全員権利玉になった時点で、赤は菅谷、松田の二人がホーム(ゴールホール)をクリアして20。高嵜・萩原で、ホームを狙う白の4人を迎え待つ体勢をとった。

Img_2381 白がホームを狙って撃ち込んでくる。次第に白が最終ホールに集まってきた。ギャラリーが固唾を呑む。1打を打ち損じると、赤の袋叩きに会う場面である。ホームに近づいて敵失を誘う高嵜式強攻策。ドボンされにくい延長線上に玉を置く僕。こうした繰り返しが何度もある。碁石打ちのようだという人がいる。ショッカー高崎が強打でミスをした。1番 ホ ール近くに流れた。強打者の玉がホームから離れた。チャンImg_2403_612スである。コワザ黒川、ミナシゴ浅間、3人を連続して場外に弾き出した。高嵜さんは先にゴールしろと言う。自力で一発勝負、約2ヤードを狙った。外枠に運良く入った。中枠に僕がクリア。独り残った高嵜さんは、例の誘導策に出た。確実性を誇る田実君は緊張パリパリ。ミスをした。ボン・田実は崩れるようにデッキに座り込んだ。結局、ミスを誘発した高嵜さんの勝ちで、ゴール。デッキゴルフのシニア組は、ギャラリー共々、雄叫びをあげた。遂に、若いスタッフとの雪辱戦に勝ったのだ。いい年寄りが肩を叩き合って異様な興奮をしていた。どんな大声も潮騒に吸い取られていった。

0165 勝者は敗者を引き込んで、無理矢理記念写真を撮った。喜びの「V」サインと、スタッフの泣きっ面「Λ」サイン姿を、仲間が証拠写真を撮りまくってくれた。

これで、デッキゴルフに悔いを残すことなく、下船できるというものだ。日本デッキゴルフ協会設立メンバーが、インストラクターに負けたと、後々言い伝えられては、150戦くらいしてきた老人のプライドが許さCimg0166_2ない!などと、勝てば官軍で勢いのいい啖呵が出るわ、出るわ。こうしてはしゃぎながら、我々船客は溜飲を下げた。

ふと、我に返って、この対戦を見守ってくれていたデッキゴルフのメンバーに咄嗟に問いかけた。「このまま、リーグ戦をこなしてしまいましょうか!?」。眺めているだけでウズウズしていたメンバーの答えは当然だった。C対Bの試合をする同意を得た。

となると、我々のCメンバーで不在者は、高木夫妻だ。同じ階のドルフィンホールをガラス越しに目を凝らす。いた。ダンスはジルバの講習の真っ最中だった。手信号で「デテコラレルカ!!?デッキゴルフヤルヨ!!」と合図を送る。急いで二人はデッキに出てきた。ダンスシューズの二人だったが、天気が崩れると、リーグ戦がノーゲームになることを悟った敏恵さんは、こういった。「服装はこのままでいいでしょ!靴だけ履き替えてくるわ!」保彦さんもそれに従って、自室に走っていった。

さて、対する菅谷B組メンバーを参集するには、草浦さんを船内で探さなくては始まらない。4階のカウンターから部屋の電話を鳴らしても誰も出ない。7階から6階のラウンジ「海」、3階の写真コーナー、2階のロビーと走り回った。そのロビーの階段を下りてくる見慣れた足元があった。「草浦さん、デッキゴルフ始まる、早く、後ろへ!」と呼んだその階段の上には高嵜さん、階段の裏に松田さん、そして正面に僕。なんだか、3人の刑事が容疑者を追い込んだような場面だった。エレベータのボタンを押して4階に上がって貰った。そこからプロムナードデッキまでは、ものの1分で着ける。Img_6871

 

こうして、(B)菅谷・工藤・草浦・塩野に対して、(C)高嵜・萩原・高木保彦・高木敏枝が顔を合わせた。ジャッジは松田、副審が長坂。先攻白玉は菅谷組がとった。時間制限無し。

Img_6853 Img_6846 慌てて集合を掛けた割には、高木夫妻のロングショットは兎も角、ショートが悉くスムースだった。この結果、3,4,5番ホールを陥れ、赤のCチーム全員が早い進行で権利玉になった。しかし、白玉を散らそうと余裕綽々で敵陣に踏み込み、甘い攻撃でミスが重なった。白の必死の抵抗で、むしろ我々が何度も叩き出された。こうして、敵に自信を与え、返って反発心を湧かせた結果、白も全員が5番ホールをクリアして権利玉になってしまった。白のスイスイマダム工藤がその名のImg_6849 Img_6847通り、いち早くゴールした。赤は高木夫妻に連続でゴールしてもらい、1:2。時間制限無しの試合だが、高嵜さんの判断は、時間よりも早い勝負を促した。僕も赤 玉をクッションにしてゴールできるチャンスが来た。ここで、二人が連係プレイするか、それとも先に上がるかが、迷うところ。高嵜さんからの「上がれ」のアイコンタクトで、僕もゴールを狙う。自力で上がれた。1:3となった。そして、高嵜さんが独りで菅谷・塩野・草浦の三人を待ち受ける。Img_6850 オートボケ・デビル高嵜の戦略は、敵失を誘い込むことだった。ゴールに集まってくる赤玉を利用してゴールするつもりが打ち損じ、惜しいチャンスを潰した。結局は、白玉の連携プレイで、次々ゴールされ、最後の一手違いで負けてしまった。スタッフ対抗戦で勝負した高嵜策をキラー・コンドル菅谷に見抜かれたとでもいうか、二度目は通じなかったのだ。

 

「フォームが、悪いでかんわあ!」敵の誰かが、ショットガン・トール高木保彦の物言いを真似た。数日前、この言葉で腰の痛い高嵜さんがショットガン・トール高木に冷やかされたからだ。大爆笑で我々の試合は終わった。

A<C、C<Bという結果、最終戦で菅谷Bチームが松田Aチームに敗れることがあれば、3チームが11敗、イーブンのままになる。もはや、サドンデスをする航海日数がない。優勝チームは無しとなる。15時に優勝決定戦とした。

 

これまでにホールインワイン提供者による打ち上げ会用の援助金は6万円相当ある。従って、最後のリーグ戦賞品は、メンバー全員に、「にっぽん丸のポロシャツ(5500円)」を支給することを、今航海の高嵜事務局長が決めた。しかし、これは表彰式打ち上げまで明かさないことにした。波瀾万丈の午前は終わった。

 

昼食を松田夫妻と一緒に食べ、30分ほど横になるつもりだったが、寝てしまった。なにしろ、今日は朝5時から動き回っていたからだ。マッコウクジラの親子が潮を吹いたという突然のアナウンスで起こされた。1515分だった。ようやく、鯨が出てきたか。走り出す気力もないが、背中の潮吹きを撮れるほど、客船は近づけないので、ベッドから起き上がるだけにした。

14時から始まっているデッキゴルフ教室も、本日が最後だ。あの参加人数では、終了するのは1530分だと予想して、ゆっくりと後部デッキに向かった。ジャッジは高嵜さんが引き受けてくれている。

案の定、最終戦は始まったばかりだった。(A)松田夫妻、野村、長坂、(B)菅谷、工藤、草浦、塩野。

白のハット・フィッシュ塩野、シブイ・ベレー草浦は快調で、たちまち2番ホールを陥れた。赤のロング・キング松田は、それを追って、2番ホールに二人を捉え、Img_6858 スレンダー・アーム野村、ネプチューン・スター長坂へ安全な通り道を確保する。こうして、赤も2番ホールまでは船団方式で固まった。ロング・キング松田は、早く権利玉に成っておこうと、縦横無尽に暴れながら、345番と速いテンポで独走。ところが、その間、キラー・コンドル菅谷の本性が発揮され、4番ホールでスレンダー・アーム野村が餌食となる。さらにその妹役とも思えるスイスイマダム工藤も、「近所荒らし」の異名をもつほどに、ネプチューン・スター長坂を3番ホールで足止めして以降、追いかけて4番で釘付け状態にした。

Img_6856 白の草浦、塩野は悠々とゴールし、右舷側の4番ホールでリーダー菅谷、左舷側の5番ホールの松田と、陣取りは左右に分かれてしまった。さしものロング・キング松田も、約25ヤード離れた距離から工藤、菅谷を場外にはじき飛ばすには、無理があった。懸命に救助に向かったものの、白が全員ゴールを決めた時に、未だ長坂は5番ホールに向かっている途中だった。

Img_6867応援団からの情報では、ネプチューン・スター長坂は、この試合に臨むため、酒断ちをして体調を整えていたと言うが、全く効果無しだった。菅谷組が圧勝で優勝を決めたのは、1615分だった。気温も下がり、肌寒い時間になっていたが、それを忘れさせる熱戦であったと書いておこう。

 

試合以上に気になっていたことがある。本日が、真紀子、手術の日。両チームが握手で終わると同時に、急いで5階のライブラリーに駆け込んだ。メールを開ける。あった。

3516kg、真紀子、帝王切開で無事、男児出産!」。義妹かつ代からのメールが来ていた。ほっとした。それ以外、何も書いてないのだから、五体満足だったのだろう。いそいそと、1階の部屋にいるカミサンに知らせに降りた。喜んだというより、やはり、安堵の顔だった。帰国を前に朗報が聞けたことは、何よりの贈り物だった。「高嵜廣子さんから、夕食、一緒のテーブルに誘われてたわ」。「そうか、それなら、一緒にシャンパン取って祝って貰おう!」と言ったら、カミサンが、今晩は、「焼酎の夕べ」だってと笑う。

P1030094 P1030095都合がいいことに、高木夫妻も野村さんとも一緒になったので、同じ席を創って貰った。7人がセンターテーブルの脇に会した。「焼酎の夕べ」だから、センターの奥には、ずらりと全国からの焼酎ブランドが立ち並んでいる。スタッフが、メニューの番号からデキャンターを手にImg_6878_2 回ってくる。シャンパンを頼んだ。怪訝な顔をする仲間に、二人目の孫誕生を白状する。思い起こせば、06年の世界一周クルーズでも同じ時期、フェアウエア・パーティかグランド・フィナーレのディナーの頃、神戸の木島夫妻に孫が生まれたと、日本から吉報が飛び込んできた。木島さんは、シャンパングラスを手渡ししながら、注ぎ回っていたように思う。今度は、自分たちがあのときの感動を味わっているのだ。真紀子有り難う。

 

グランド・フィナーレは、ドルフィン・ホール。船内新聞には「演出の関係上、5階客席は左舷側のみとさせて頂きます」、こう書かれていた。5階にジョンやニック、リン達のフィリピンスタッフが全員整列することを想定して、階下の4階中央後方に座った。2115分に始まった。

03年世界一周クルーズの東さんが構成したと同じように、音楽とスライドによる回想写真が上映される。ブラスの高まりと、沸き上がるようなドラミングで音楽がスタートを盛り上げる。数々のスティルがスクリーンに映し出されていくと、不思議な高揚感がある。ほんの少し前だったと思っていたポンペイもトンガもサモアも、その映像の向こうに重なる想い出がある。ハワイのカットが始まると、ああ、もう帰国するのだ、下船するのだという、やりきれない気持ちが募る。ハンカチを目に当てるご婦人もいる。

P1030107 スライドが終わって、暗転。スポットライトに浮かび上がったのは、クラリネットを奏でるホワイト・タキシードを着た北村英治だった。

P1030116 P1030111片山一道教授を始め、ソシアルダンス教室の須山夫妻ら講師全員、派遣された美容師ほか、平野正道写真師とアシスタント、田実君他の若いツアー・イベントスタッフたちが音楽に乗せて次に紹介されて、スポットP1030122_2 P1030118 ライトと拍手を浴びる。評判の高かったパソコン教室の菊池秀之先生にも盛んにフラッシュが光る。最後に白川船長以下、白制服組のクルーが立った。「ご乗船有り難う御座いました」で第1部が閉じた。

2部のステージには、真っ赤なコスチュームの女性シンガーが二人登場。年齢の割には、若作りし過ぎで衣装のデザインだけが浮いて白々しい。名前は出さないでおくが、どうして、クラッシック畑の人は、鼻もちならない仕草や大げさなそぶりをするのだろう。オペラを演じているのでも、ミニコンサートをしているのでもないのだ。ディナーショーのような空気が読めないのだろうか。ましてや、今夜は、過ぎ去った長いクルーズを走馬燈のように思い出させる惜別の時間だ。エンターティナーという役割になりきって貰えまいか。船客はカタルシスに浸りたいのだ。P1030145 P1030141 バイオリニスト須磨和声の澄み切った流れるような高音から、一転して、古今亭菊の丞のお太鼓が打たれ始めた。この丁寧でリズミカルな、切れ切れの低音は、言い換えれば、クルーズでの「除夜の鐘」のように、心に響いた。

 

ところが、ところが、である。待っても、待っても出てこない姿がある。あの大勢のフィリピンスタッフが、ステージも上がって来ない。階上を見回しても、制服姿の集団が見えない。表れない。彼らはいったい何処にいるのだろうか?

ついに、ホールが明るくなった。終わってしまったのだ。クルーズ最後の、エモーショナルな時間はないままに終わった。感極まるあの瞬間が訪れないままに終わったのだ。飛びきり美味いデザートが忘れられたように、我々は席を立った。

がっかりした。その気持ちを同じ船客のある方に話した。調理場のコック、パシエテ、甲板部のスタッフ、ダイニングルームのフィリピンスタッフ、そしてハウスキーピングのフィリピンスタッフなどなど、船客に対し、これだけの裏方を含めた多くの乗務員によって、この船が何事もなく安全に快適に円滑に航行していることをあらためて人数で目に見せて、教えない手はない。特にファースト・シッティング、セカンド・シッティングと、二重の時間を笑顔で接してくれたフィリピンクルーに、大きな拍手で感謝の気持ちを届けたかった。このことを話していたら、傍らにいた数人の船客が同じ気持ちだったと頷いて、残念がった。

左舷出口で船客を待ち受けている講師や船長を、憮然とした顔で受け止めて通り抜けた自分がいた。「有り難う」の気持ちが半減したのは、正直な気持ちだった。なにが、旅の最後の感動かということ、そのサービス業のあり方に画竜点睛を欠いたと言わざるを得ない。


ランドサービスは今日で終わり、クレジットカードの精算も始まった。免税品販売も明日で終わる。各教室、講座も最終回を迎える。いよいよ、気ぜわしくなってきた。

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2007年10月27日 (土)

07.06.11 日本へ5.

午前3時にはすっきりと目が覚めた。しかし、これも時刻改正のおかげで、6時間は睡眠を取れたからだ。しかし、まだ起きるわけにもいくまい。波も穏やかだ。もう一度眠る。再び、自然な目覚めをしたのが、620分。もう充分な睡眠時間だった。ナビは、北緯31°48′東経164°43′の位置である。水平線は見えず、ガスっている。ゆったりとした大きな波の中を航走している。ピッチが合っているのだろうか、揺れも少ない。195ノットだから快調である。

昨日、船室のマグネットを撮り歩いたが、その殆どがブレていた。やはり、波が船を揺らせていたせいだ。P1030039P1030042 「マグネット」とは、ドアに各自が付けているマグネットのことで、03年世界一周クルーズの時は、廊下を歩きながら奇異に感じたものだ。奇数ルームの右舷、偶数の左舷と解っていても、番号を忘れてしまう。 このため、各自が思い思いのマグネットを乗船時に持ち込んで貼り付けている。猫好き、犬好き、釣り好きも一目瞭然。例えば、オートボP1030071 P1030033 ケ・デビル高嵜さんは、ワインとジョッキ。スレンダー・アーム野村さんは、スニーカーといった具合だ。もう一度、再撮に歩き回った。

 

P1030044 P1030047 7時には、2階のレストランに上がってきてしまった。まだクローズだった。

オープン前に来たのは、今回のクルーズで初めてだ。工藤さんが近づいてきた。「今日あかんわ、試合。雨やから」朝のラジオ体操を終えてきたのだ。トレーナー姿の野村さんも来た。「ざざ降りよ、ね、どうする?」参った。日にちが無くなった。昼から晴れてくれないか。

早い時間にセンターテーブルの洋食の席から見渡すと、なるほどなるほど、いつも定席に座っているというのは、こうした時間に来ているからなのだと納得した。今朝も紙焼きした写真を配るため、歩いた。高木夫妻、松田夫妻が現れた。塩野さんと渡辺さん以外には渡すことができた。

『北緯31°55′、東経164°23′。横浜港には丁度、北海道から沖縄までの距離にまで近づいています。速力185ノット、時速34k、天候は雨、東南東の風14m、真後ろからの風を受けて快調に走っております。しかし、太平洋上の前線区域に入りました。明日はいくらか穏やかな日を迎えると思いますが、日本も暦で入梅の日です。沖縄は511日から梅雨入りしました。気温205℃、水温166℃、波の高さ約2m。』

 

今朝から左手が痺れている。左足も痺れ始めた。気になる。

朝食を終えて今後のリーグ戦予定を勘案するため、高嵜さんを待ち伏せた。そこへ、過日お叱りを受けた初老の方が出てこられた。Sさんというお名前だけは人から教えられていた。デッキゴルフを始めた最初の船客だと言われる当時を是非お聞きしたいとお願いしてみた。程なく高嵜さんも朝食を終えて出てきた。インフォメーションデスクであらためてSさんのルームナンバーを訊く。電話した。

「何ですか?」先ほどお願いしたのにと首を傾げながら、「デッキゴルフのことでお話を」「何処で?」「レストランを出たところで」「ロビーだね」そして待つ。松田さんも、菅谷さんも集まった。高嵜さんと、4階から降りて来られるにしては、遅いなと時計を見る。既に10分が経つ。もう一度、インフォ・デスクにルームナンバーを訊く。今度は違ったルームナンバーが返ってきた。電話をすると、Sさんは待っておられた。自室に来ないかと誘われる。

ここでようやく茶番劇が読めた。最初の番号は菅谷さんの部屋だったのだ。だから、僕の電話でロビーに来てくれたのだ。Sさんをいつまで待っても現れるはずもなかった。大笑い。高嵜さんと二人で左舷側のSさんの部屋に向かう。

Sさん(83歳)の話では、1994年の「ふじ丸」で、カリブ・アラスカクルーズに乗られた折、猪狩機関長に教えられたとのこと。当時「「ポート&スターボード(船内新聞)」に初めて載った「デッキゴルフ」という文字を見て参加したそうで、船客に絵の上手い建築家がいて、鉄の甲板に4箇所ほど、ポンドの図として鯨を描いてくれたそうだ。現在の「にっぽん丸」よりも広かったことが判る。勿論、歴史的には、それ以前の「あるぜんちな丸」で既にデッキゴルフそのものは始まっていたのだが、船客が描いたという話が聞けたのは何よりだった。

やはり、当時も楽しかったと見え、8人でプレイしても3組が組めるほどいて、午前午後と分けなければ、順番が回ってこなかったそうだ。シャッフルボードの横突きスタイルから、縦に握る今のスタイルになったのは、1944年当時の「ふじ丸」で狭かった結果だったという。この点は更に検証しておきたい歴史的な節目である。なんだか、四つ足の猿から二本足の人間になって、立ったことのようで面白い。まだ、川野チーフパーサーが1本線の身分だったころだそうだ。

猪狩機関長は、どうやら、1940年生まれで、僕や長坂さんと同じ歳だ。なぜ、デッキゴルフをしていた中心が歴代の機関長なのだろうか。Sさんの話を一緒に聴いている高嵜さんは、神戸商船1期生であるから、それよりも前の花岡、武谷機関長時代の歴史まで遡れる。今でもその方たちと交流を持っているからだ。会談の結果、「自分がデッキゴルフの最初」という点はSさんが撤回されたので、デッキゴルフの成り立ちは、それ以前に戻すことが出来そうだ。いずれにせよ、デッキゴルフというゲームに病みつきになった我々の仲間は、歴史とルールを検証しておく必要がある。楽しめるゲームだということをもっと知らせるために何かできることはないのだろうか、高嵜さんとはそんな話をしながら2階に降りた。

 

高嵜さんが天気図を読んだところによると、不連続線に沿って航行しているので、明日の昼まではこの天候が続くとの予測だった。以降、日本への航路は霧の中が多くなるらしい。そうなると、ますますリーグ戦3ゲームの消化は難しくなった。

食事2回制では、当然のことながら2倍の食事時間が費やされる。また夕食時前にメインショーが組まれていることから、船内の自由時間をかなり少なくしている。さらに、今夜はフェアウエル・パーティのため、フォーマルデーとなっている。和服で出席する工藤さんは美容室に時間を要する。その工藤さんが出場可能な時間を捻り出さねば、彼女がプレイできないままになる。何とか2日間で3ゲームをこなすには、チームの再編成しか方策はないと判断し、ファースト・シッティング組をひとつのチームに固めた。

 

A ロング・キング松田:ナイス・チョット松田姫:ネプチューンスター長坂:スレンダー・アーム野村

B キラー・コンドル菅谷:シビ・ベレー草浦:ハット・フィッシュ塩野:スイスイマダム工藤

C オートボケ・デビル高嵜:マダラ・サムソン萩原: ショットガン・トール高木デッキ・ダンサー高木

この編成を承認後、開始時間も1530分から、とにした。パソコンで打ち、プリントアウトして、急いで5階から2階まで各室にポスティングして回った。


昼食には、少し遅れた。同じテーブルには瀬戸ご夫妻の姿があった。ナイスタイミングで、これまでの写真を渡すことが出来た。クルーズ人口の増大のなかでサービス業はどうあるべきか、また実施するアンケートから何をいかにしてどれだけ顧客の潜在要望を読み取るか、と瀬戸さんとは、すっかり広告主と広告会社員になった。奥様もカミサンも共に意見を言い合える話題だったせいか、にっぽん丸のサービス談義で盛り上がった。昼食にしては、軽くない話だった。これからも是非クルーズを続けてくださいよ、というエールを頂いた。気持ちと預金が反比例しています、帰国したら先ずやること、宝くじを買うことですと笑って終わった。

 

1415分、NHKテレビの電波が入るようになったが、まだ民放のチャネルは砂嵐だった。

後部デッキの教室の様子を見に向かった。終了時間を見計らって、メンバーに招集をかけたい。5階から見下ろした教室は人数としては大盛況だった。数えてみると14個のパックが使われていた。高木夫妻の姿もあった。打つ順番がなかなか来ないと、ダレ気味の人もいた。リンクのスペースとしては、やはり8人以内が最適だろう。34番ホール抜きだという。長い距離を打たせる練習は必要だ。ロングショットの爽快感は、自分の打ち出す角度次第で、大きく的を外す。正確なショットを確認させるのには有意義だ。

天気は少しずつ荒れて、気温も下がってきた。教室の14人がすべて5番ホールをクリアするのには、1515分までかかった。菅谷さんが、長坂さん、塩野さんが姿を見せて、徐々にメンバーが参集していた。最後に高嵜さんが現れて全員揃った。

1530分、ようやくにして「日付変更線通過記念リーグ戦」の初戦が火蓋を切った。
A組は、松田夫妻と長坂、野村。C組は高嵜、萩原、高木保彦、高木敏恵の夫妻。

我々が先攻となった。教室終了直後ということもあって、身体が巧く動いている高木保彦さんが1,2番ホールを次々にクリア。見事なスティック捌きで飛ばす。その高木さんを高嵜さんがガード役で追走していく。我々は敵の長坂さんを徹底的にマークし、2番で抑え、さらに4番で抑え、援護しようとするリーダーの松田さんの玉を止めた。僕も、高木敏恵さんをフォローしながら、3,4番をクリア。その時点で、既に高木保彦さん、高嵜さんは5番ホールを通過して権利玉になっていた。後を追って、高木敏恵さんと僕が権利玉となっていく。快調にゴールホールに集結した。試合展開の終盤は、高嵜・萩原の二人で、ゴールに向かってくる敵4人を応撃する体勢を取った。

何度かの攻防戦の中から僅かなミスを逃さず、全員をOBラインに撃ち出した。敵が休んでいる隙に高嵜さんが悠々とクリア、ゴールした。敵が順々に玉をアップしたものの、僕も至近距離からゴールができた。完勝。まずは先勝。次の対戦相手は、C組(ファースト・シッティング組)の菅谷・塩野・草浦・工藤となる。

急げばまだワンゲームは出来そうだった。審判を勤めてくれた菅谷さん、塩野さんがウズウズしている。有志だけのゲームをすることになった。夕食前のメインショーより、デッキゴルフを選んだ。古今亭菊の丞さんには、申し訳ないが、「海」での最後の落語は聴かないままということだ。

ジャンケンで、白が高嵜・萩原・高木敏恵・長坂、対する赤が、菅谷・松田・高木保彦・塩野となった。ゲームはかなりアップテンポで進んだ。高木敏枝敏恵さんを最初にゴールしてもらった。フォーマルドレスの準備に帰って下さいと、男共が口を揃えて言う。彼女は足早に去っていった。ドルフィンホールではカクテルパーティの準備が始まったようだ。グラスを置くテーブルがデッキに引き出されて来た。4番ホールの横にそれが置かれた。それが障害物とはならず、勝負の場は都合良く、5番ホールに移っていた。夕闇が迫ってきている中で、いい老人達が玉叩きに興じている。パーティの準備をしているフィリピンクルーも、デッキに出てきた平野カメラマンもあきれ顔だった。ゲームの終盤は、高嵜・萩原対菅谷・松田・塩野の2対3となったが、高嵜さんゴール、続いて萩原ゴールで、これまた絶妙のコンビネーションで勝った。写真は誰も撮っていなかった。雨にも降り込まれず、ゲームが終了した。今宵がフェアウエル・パーティでなければ、リーグ戦は2回こなせたのだ。ファースト・シッティング組の菅谷・塩野さん達は急いで消えた。これからシャワーを浴びて、タキシードを着るのだから大変だ。

 

明日は、スタッフ4名との雪辱戦が控えている。「船上の戦場」がラストとなるかもしれない僕の勝手で、スタッフに挑戦状を投げてきたのだ。過日は、好打者の田実君、小技の黒川君、未知数の浅間女史、そして手強い高嵜ジュニアを相手に負けた。負け組の菅谷・萩原に、助っ人松田・高嵜の4名で立ち向かう。小雨くらいなら決行である。床面が濡れようとも、06年次100戦以上をこなしたデッキゴルフメンバーの面子に賭けて、リベンジを計る。

 

部屋を出るのが遅くなったせいか、ドルフィンホールに続く左舷側の廊下には、早くもドレス姿の行列が出来ていた。みな最後の着飾りに精を出してきた様子だ。カミサンも僕も、大方は変わらない。僕はブラックタイからシルバーに、カミサンはお気に入りの和服のリフォームドレスに真珠。

白い正装姿のキャプテンらに迎えられて、ホールの中に入る。後ろの席に座ろうと回り込んだら、既に着席していた松田夫妻が目に入った。どなたかとお約束はないかと訊ねてみた。どうぞ、どうぞと手招きされて、ご一緒させてもらうことにした。早々と、我々の結婚記念日のプレゼントを頂いたことに、あらためてお礼を述べた。

今クルーズ、3回目のフォーマルである。慣れが出て、晴れがましさもドキドキ感もない。椅子に座ってしまうスタイルなので、いわゆるパーティのように船客との間を縫って歩き互いに紹介し合ったり、だべったりすることが出来ない。フォーマルウエアを褒めて歩く楽しみにも限りがある。

今回もカクテルは4種類。ステージでは、考案したバーテンダーがその内容を紹介している。「南国の風」、「サムライロック」、「梅シュワッチ」、「楽園の誘惑」がそれである。アルコール度数の強弱がメニューに示されているから、適宜スタッフの差し出すカクテルから選ぶのだが、ほかに、ビールやウイスキー、ジュースなどが受け取れる。

最後のフォーマルナイトとあって、カメラマンは引っ張り凧の状態だ。しばらくして、平野カメラマンが写真はいかがかと回ってきてくれた。松田夫妻にも入ってもらった。ステージでは、メインスタッフをステージに上げた白川船長が、ウエルカム・パーティの挨拶の後、今コースで期待した点を各自に語らせた。内山コンシェルジュは、ハワイ移住の夢をさらに強くしたそうだ。

 

場所を変えてディナーの時間になった。ドルフィン・ホールに向かう途中、松田夫妻と離れてしまった。P1000130入口で、特にお約束した方はいませんかと平さんに問われ、咄嗟にありませんと答えると、03年次で浜さん夫妻が定席としていた端の二人席に案内された。斜め左には高嵜さんと高嵜廣子さんのダンス仲間がテーブルを囲んでいた。デッキゴルフの仲間はどうしたかと見回してみた。 左舷側のテーブルには、高木夫妻と野村さんが一緒だったが、松田夫妻の姿は見当たらなかった。

帰国が迫った最後のフォーマルナイトの食事は、シェフが腕によりを掛けて献立を構成してある。だから、格別に美味い。ロウ・ソルトに特別調理してくれている僕の料理が美味いのだから、ソースをしっかり絡めたカミサンの皿はさらに美味なはずだ。

どこかのテーブルから、「大きな貝柱だなあ」という声が耳に入った。それは、貝柱ではなくホタテ貝である。そろそろ肉を避けておこうと思っていた矢先に、薄切りの鹿児島牛のステーキだ。口にすると、もう駄目だった。美味くて自制心を失った。レストランにも平野カメラマンが回ってきた。撮られましょうかと、座り直した。

食後のバリトン・コンサートには出掛けずに、早々にタキシードを脱ぐ。明日から下船までの衣服だけを取り出して、後は帰国後の洗濯物として片付ける。

 

2240分、早くも睡魔が襲ってきた。

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2007年10月21日 (日)

070610 日本へ4

足が攣った。目覚めたら午前2時15分だった。昨日は一日調子が悪かった。やれやれ、これからあと何回起きるのだろうかと気にしながら、バンテリンを大腿部に擦り込んだ。2回目に攣ったのは545分。

 

今朝は、「日付変更線通過記念リーグ戦」がある。心身共にすっきりさせようと、シャワーを浴びた。

太陽は雲間に隠れているようだ。日本に近づいているためか、海は、どす黒く波は荒れてきた。時折、岩にでも当たったように、船が左右に身震いをする。パソコンを叩いている音でカミサンが目を開けた。「…あなたと同じで、…私も足が攣ったわよ。普通の人が足攣るって、心臓が良くないってことらしいわね」そう言った。かと思うと、また寝息を立ててしまった。

 

715分、波は徐々に白波の数を増やしてきた。ナビを見ると、船の速度は落ちてきていた。いつもより早いが朝食に出る。デッキゴルフのメンバーに、本日のリーグ戦の対戦チームの変更を承認して貰う必要が出たからだ。

八点鍾の前に『本日は時の記念日です』とアナウンスがあった。途端に、レストランの中で、ワアアアアという、忘れていたことへの感嘆の声が上がった。いつの間にか、日本の暦と遠ざかっていたのだ。船長の朝の挨拶が、朝食を取りながら聴けるのは時差の関係だ。

 

Img_2327_6gatu_10_ka『雨が降っています。日本の中国地方の東西に梅雨前線があります。太平洋上で遭遇するにはやむを得ません。日本の梅雨時に入りましたので、少し揺れてくると思います。北緯29°34′、西経173°01′。南西に種子島、また小笠原の北、鳥島に近づいています。速力19ノット、時速35k、天候は雨、南西の風17m、気温25℃、水温236℃、波の高さ約2m。』

 

実は食事どころではなかった。レストランの中に、メンバーの顔を探しながら、眼が泳いでいた。リーグ戦の予定が狂ったのだ。10時に「帰国説明会」があることを昨夜の船内新聞で知った。それは全員の出席が必須。2つの問題が生じた。

1点目は、945分には試合終了をさせなければならない。本日午前中に2試合を消化するには、スタート時間を845分に早めたい。2点目は、工藤さんが明日のフォーマルのために美容院予約時間と重なったこと、塩野さん、草浦さんの二人が写真発表会に出席する時間が控えていたことである。

前夜、夕食後かメインショーが終わってからでないと、翌日の船内イベントスケールが判らない。乗船客が全員必なら尚更、事前に通達がなられて然るべきだ。これは船内サービスの運営上、問題のひとつだ。帰国1週間前の船内行事は船内新聞等でディスクロージャーすべきである。残り僅かになった時点では、船客が共有すべき必要な日程は、いわゆるサプライズを埋め込んだ企画もの以外は公表しておくことが望ましい。

 

A対Bの第1戦予定をB対Cに変えることで対処する。さて、その組み合わせの変更と早まる時間の了解を各自から得なければならない。5階の塩野さんの部屋へ駆け付けて、早くにお出ましを願いに行った。ノックしたが返事はなかった。朝食の席を急襲して他のメンバーにも45分スタートを了解して貰う。問題はまだある。天候だ。後部デッキに行ってみる。中央部は全く風を感じさせないが、右舷プロムナード側からの風はさすがに強い。 朝の報告では、風は17mだった。床面は濡れている。雨水は掃き出せば事足れることだが、天候が悪くなるという予測はどうしようもない。

松田さんと相談の上、残念だが中止を決めた。このことを再びメンバーに急いで伝えなければならない。メンバーがデッキに姿を現す道取りを考える。4カ所ある。左舷右舷のプロムナードデッキ、ドルフィン・ホールの中から出てくるコース。3階の展望風呂横から階段を上がってくるケース。2階のインフォメーション・デスクの電話に走る。塩野さんの部屋に、今度は電話をしてみる。奥様からランドリーに寄ってから向かう予定だと教えられる。まず、松田さんにそこで塩野さんを足止めしてもらう。

Img_2340 4階のドルフィン・ホールの近くで見張っていると、菅谷さんの姿。中止ですと理由を話すと、頷いて菅谷さんは、飄々と風の強いデッキをそのまま後部まで歩いていってしまった。独りで練習を始めた。さすがシングル。天候が悪ければ、寄せの練習か。頭が下がる。こうして、バタバタはようやく終わって部屋に戻った。

松田さんから電話が入った。2階のエントランス・ホールに上がって、経過と今後を話し合った。そこへカメラの水本君が立ち寄った。水本君が試写会の異見を求めたので、先ず、昨日の試写会での、「グリーンライト」と「ホノルル空撮の虹」に拍手した。ついでに、僕なりの異見を言わせて貰った。「南洋クルーズ」と謳っているのに、くっきりした斜光のある映像が見せて貰えなかったのが残念だったと。彼は独学で写真を撮り、プロのカメラマンになったことを語り始めた。写真はかなり粒子が荒れているがとの疑問には、ホームページ掲載のサイズを念頭に乗船したので、船客レベルのカメラを敢えて持ち込んだこと、そして自分の力量に科したとのこと。シアン系の強さは、レンズの特性なので割り切っているというのが、彼の答えだった。まだ僕には納得がいかなかった。

 

P1010144 10時に「帰国説明会」が始まった。神戸下船組はシアター、横浜組はドルフィンホール。こうしてみると、横浜組の人数が07年世界一周クルーズの数だろうか。この1ヶ月クルーズの卒業の中から、何人の方が世界一周クルーズに進級されるのだろうか。そんな想いで一番後ろの席から、星野パーサーの説明を聞いていた。

 

2階のエントランスホールでは、宅配便のタッグが配布された。こうなると、いやが上にも帰国の日が迫っている気分にさせられる。

Img_2330_610昼食を終える頃には、メンバーから再開時間を早くしたいという要望が出てきた。デッキゴルフ教室のインストラクター、黒川君は、この日も敢行するという。ではその終わりを待って始めようと5階のライブラリーで時間潰しをする。1415分を回った。デッキゴルフ教室の様子を見に行ってみると誰の姿も無い。どうやら、中止のようだ。

部屋に戻ると、高嵜さんからは、「15時現地集合で様子見」という紙がドア下に差し込まれてあった。ドアの前には船倉に預けてあったスーツケースが2個戻ってきていた。いよいよ慌ただしくなってきた。大きな揺れが来そうな天気だ。詰め込み作業の最中に、うつむいての作業は、船酔いを増す。少しずつ準備を始めねば…。

カミサンは、船友が写っている写真を11枚、各人用のCDに分類してコピーしてくれている。カメラを手にすると、案外自分の写真がないものだ。一週間ほど前から始めている。面倒な作業になるが喜ばれる。紙焼きにして手渡すよりも、修正や応用範囲が広がるので喜ばれる。足りないCDは早く買わないと、売店からなくなる。予備を買いに出る。毎回、そのCDを下船ぎりぎりの前日に手渡すことにしているからだ。

 

P10303591520分、草浦さんが待っていた。念のためにと、僕は床面を掃き始めた。乾けば出来そうな状態だと思ったからだ。高嵜さんが、菅谷さんが、長坂さんが現れた。練習でもしますかと呼びかけて、高嵜・萩原対菅谷・長坂・草浦の変則5人制で始めた。床面のハプニングが続出で、なかなか笑え、それなりに楽しんだ。

リーグ戦は、明日に持ち越しとなった。

ブリッジに行って、梅雨前線のその後の動きを訊いてみた。現在の状態で帰国できそうだとのこと。梅雨前線が停滞して上がってこないと予測しているようだ。この分なら揺れることもないか。荷造りは安心してできそうだ。

P103003416時、デジタルカメラ教室の作品発表会をシアターでちらりと覗いた。出品した写真を各人が解説している。丁度、塩野さんがそのプレゼンをしているところだった。シャッターチャンスを逃さなかったいい写真だった。


大分での地震は、その後も続きそうだと新聞にある。次男は、真紀子の帝王切開の手術にサインをしたと義妹からメールが届いた。陣痛促進剤の効果がなかったと担当医師が判断したのだ。今日は日曜日。火曜日にオペか。

 

夕食の前のメインショーはケイト・オカ・マジックショー」と読めず、カミサンが「オカマショー」と読んでしまった。この時間に展望風呂へ行ってしまいたいと、彼女は勇んで出ていった。

明日のフォーマルが終わると、慌ただしくスーツケースに入れる作業が始まると、誰しもが言い合っていると言って帰ってきた。身につける物を出来るだけシンプルにして、他は全部閉まってしまうことにした。

僕は、部屋のテレビで、マッジクショーを眺めていた。スレンダーな女性を入れ込む箱物のショーだった。手を代え、品を代えても、同じ箱物で終わった。道具立てが同じスタイルのマジックでは、見に行っていたとしても僕はたぶん飽きただろう。

 

Img_2335夕食は、ニックとカミサンが写真を撮っておきたいといっていた。ジュン君と撮ったあの「ジャパニーズ・ナイト」の時に姿を見かけなかったからだ。幸いなことに、レストランの左側に案内された。その右側のテーブルに、空いていますかと野村さんが、そして向かいに水本君が、しばらくして今度は、左側に高嵜夫妻が座った。「不味いですか?」と問う高嵜さんの言葉に、「これで、食事が美味しくなります」と僕。 結局、この右舷側の席は、食事時間の最後まで居座るグループになっていた。北村英治のラストが「海」で演奏されるというので、ようやく腰を上げたほどだった。

 

ラウンジサロン「海」には、多くの人が押しかけた。いつも以上に補助席が用意されていた。しかし僕は、聴こうとする元気もなく、プリントアウトした写真を仲間に配るだけで早々に引き上げた。シャワーを浴びベッドに横になった。2140分だった。両手で読もうとする新書版の本さえ重いくらいだった。頭の上のライトを消した。

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2007年10月14日 (日)

07.06.08 日本へ3

430分と、645分に足が攣ってしまった。その度に起きてしまうのだから、睡眠不足になる。決まった時間に足が攣るので目覚まし時計が要らないのだと言う石橋爺と違って、僕の場合は不規則なだけに始末が悪い。歩いたわけでもない。踊り疲れたのでもない。ビールの飲み過ぎということではあるまいが、カリュウムが増えてきたのだろうか。生野菜もフルーツも控えているのだが。腎臓が弱ってくると足が攣ると言われる。自重のしようがない。バンテリンのスプレーよりは、軟膏をしっかり擦り込んだ方が効きそうだと思い、膝の裏の大腿部にそれをべったりと擦り込んだ。いつ再発するか気になる。窓の外を見ると、島影もないだろうに、海鳥が船と並んで飛んでいる。

 

『皆様、まもなく、本船の右舷側にイルカの群れが通過いたします』

740分だった。廊下を走り出していく足音が聞こえる。足が攣る身では、撮りに行く元気もない。いきなり走り出したのでは、筋肉が柔らかくなってもいない。どうせ、先回のように小さなイルカだろうと勝手に思いこむ。

最近は、八点鍾の前に、航海士による一口話が語られるようになった。これまでは、鐘についてであったが、今朝は、船の容量を表すトンについてだった。

 

『フランスからイギリスにボルドーワインを運ぶ15世紀、大樽を何個積載できるかが重要でした。その大樽を叩くと「トン!」という音がしたことから、トンが使われました』

なんだか、頓智話に聞こえる。こうした話は船に多い。ドレスコードがインフォーマルの日は終わり、残すはフォーマルデーが1日だ。そもそも「背広」は、ロンドンのセヴィル・ロードから生まれた当て字だが、女学生のセーラー服は、海軍から。「ダブル」のスーツは、船員の制服からだ。強い海風で服が煽られないように、しっかりと左右にボタンをつけたところから始まった。フォーマルスーツの「カインドウエア」や、「御幸毛織」の広告を担当した者としては知っていて当然のことだが、船のことは知れば知るほど面白い。あのタイタニックの4本煙突の1本はデザインのための飾りだったということ、大惨事以降は全世界でSOS信号は活かされたし、万が一船が傾いても救命ボートが片側だけで全乗船客を乗せられるに足りる装備が条約で決められたりした。英国の商務省ルールでは、1万トン以上はボートを16隻以上と決められていたが、45000トンのタイタニックは、折りたたみボートを入れても20隻しか積載していなかった。64隻の計画がコストで削減されて出航した。いつの時代にもある政府の古い規制が変更されないままだったことなどだ。今朝も平穏無事の航海日和のようだ。

 

Img_2303『北緯26°59′、東経178°56′。北東の貿易風が南風に変わりました。日本の夏を思わせる海の色です。速力19ノット、時速35k、天候は晴れ、南の風6m、気温26℃、水温27℃、波の高さ約1m。1110分に日付変更線を通過します。西半球から東半球に入ります。521日にダブった分を返し、明日は、610日になります。シャチ、鯨を観られたかたもおられましょうが、今朝のイルカは残念ながら、本船に近づいてはくれませんでした。今朝早くから、足の赤いアカアシカツオドリが、船で羽を休めてはトビウオを捕まえています。今夜は、夏祭り、縁日の屋台も出ます。どうか、夏の宴をお楽しみ下さい。終わります』やはり、イルカを撮るのは無理だったのだ。

 

朝食に出るよりも、体の疲労感をなくすほうがいい。デッキゴルフはイベントのため、ナシだ。朝食からカミサンが戻ってきた。「ニックがね、ヨーグルトだけでも食べさせて下さいってね、3個も渡されたのよ」こういうところが、2万トンクラスの親密感ある船旅なんだろうな、と感謝する。飛鳥がホテルなら、にっぽん丸は老舗の旅館だというのは、こんなところにも実感できる。

 

945分から1階シアター、廊下を隔てた至近距離でカメラマンの水本君による「スライドショー」が行われる。そこへは顔を出せるだろう。攣ったら、数歩で自室に帰還できる。

数分で満席になった。盛況である。他の教室と重なっていると試写希望者が多かったらしく、もう一回上映会を開くことにしたと蘇君から追加発表があった。今回は、世界一周クルーズのケースと違い、CD化の予定が立っていないことが船客に知れ渡ったからだろうか。寄港地の最後を離岸したから、試写されたのだが、まだまだ船内イベントは続く。それが再びフィナーレに映し出されることになっている。

 

スクリーンに投影された。音楽も入れ、キャッチ文字が巧くレイアウトされ、それがナレーション代わりをしている。そういえば、06年次では、東さん自らがナレーター役をしていたことを思い出した。写真素材の大半は、3階に掲出されている、ウエブ発信済みのものに数点加えられていた。約30分だった。

僕の感想を辛口で書くと、スクリーンではかなり粒子の荒れが目立ったこと、露出がアンダー気味であること、それでいて、南洋というディステネーション特有の強い日射しが写し込まれていないこと、ツアー客と異なった風景の切り取りがさほど無かったことだ。これまでの東さんの鋭い視線は、長野オリンピックで鍛えた洞察力と、ヨットマンの知識、そして、ジャーナリストとしての視点、最後には奥様の感じる観光客と等身大の喜び、何よりも、足を使って、あの写真一枚一枚が写し取られていたのだと、あらためて感じ入った次第。水本君が見せてくれたものもあった。空撮で撮ったクック湾でのにっぽん丸、そしてホノルル空撮で大きな虹を架けられたにっぽん丸、そして昨夕のグリーンフラッシュ。彼の持ち味は雄大な風景を目の当たりにしたときの、いわば「ポスター・ショット」「カレンダー・ショット」はさすがで、面目躍如である。

 

掃除のために部屋をあけてあげようと、サロン「海」で珈琲を飲む。P1000208 毎朝、デッキゴルフに打ち込んでいる時間に、船室の掃除とベッドメイキングがなされる。この時間、各教室に参加しない人には、プールやビューティサロン、カードルームに出掛けるか、ミッドシップバーやライブラリーなどパブリックスペースが歓談の場になる。

11時、ドルフィンホールに向かった。ラストのビンゴゲームが始まるのだ。先回、左舷側から入って、黒川君の手にしたビンゴボードの一番下から引き抜いたことで、早くにビンゴとなって、「ノットボード」を貰うことになったのだからと、今回も縁起を担いで同じことをした。左舷側の横に座った。手に入れたい獲物は「イヤーズ・プレイト」だった。我が家には、03年次に売店で買ったそれが飾られてある。

今回は、ビンゴの番号が整わなくて、それは他の人の手に渡ってしまった。残るは、10万円クルーズ券を手にするチャンスもラストとなった。箱から噴き出す玉の番号を決して呼ばれないことが条件だ。ツキのない人にご褒美という趣向だ。どういう訳か、これがいつも乗船できそうな富裕層に当たるということだ。納得できない。数回はやり過ごしたが、結局はボードにある番号が読み上げられ、敢えなく失格した。カImg_2311ミサンも駄目だった。これで次回のクルーズへの足がかりは消えた。

数回の読み上げをかいくぐった人が立っている。その中に高嵜さんの姿があった。最後の二人にまで残ったのだが、結局、別のご婦人の手に渡った。惜しかった。

 

昼食に少し遅れた。カミサンを探したら、なんと、星野ファースト・パーサーと瀬戸ご夫妻の隣に座っていた。既に、デザートに切り替わっていた。これまでの寄港地での感想を互いに話し合っていた。そばが今日もメニューにあった。僕は、それだけで済まそうと頼んだ。いつものように、二枚目を頼んだが、出し汁が普通に塩辛かった。減塩されたものではなかった。スタッフが間違えて持ってきたようだ。そのまま食べてしまった。お茶を何杯も飲んだ。体の中で塩分量が減るものでもないのだが、気休めだった。

星野さんに訊いてみた。マウイのラハイナからホノルルに向かう進路が随分とハワイ島の位置まで南下したことについてだ。「ハワイ諸島に接近して3日間も経っています。アメリカの環境条約で、大型客船等は沿岸距離の規定が厳しく、外洋に出て行って一旦排水をする必要があるのです」というのが答えだった。「思っているほど、そんなに南下したわけでもないのですよ、ナビの海図は、拡大してTVに映し出していましたから」に爆笑。

 

「日本の造った道には、溝があるんですね、きちんと造ってあるんですよ」瀬戸さんがみんなの顔を覗き込むように投げかけた。一転、話題は、ODAとなった。最初の寄港地、ポンペイの舗装道路だった。

我々の観光ガイドは、中央にラインが引かれているのが日本の造ってくれた道路だとしていつも感謝して走っているとは言ってくれたが、それ以上のことは認識がなかったようだ。雨量の多い島では、その溝が大きな効果を果たす。工事をする際には、日本の技術の緻密さというか心配りをも、島民に啓蒙しておくことは必要だなと思った。なぜなら、その後の話はこう続いたからだ。

「日本の統治時代はよかった。我々に働くことを覚えさせてくれた。教育も施してくれた。しかし、米国統治になってからは、機械の便利さとカロリーの多い米国食の導入で、島民は楽をするようになり、病気も増えた」そう言って、親日感の高いことを言ってくれましたよと、瀬戸さん。Img_2318

 

食後、パソコンを叩いていると、高嵜さんから電話を貰った。デッキゴルフの教室が予定時刻で今日は終わったこと、レギュラー・メンバーが昼下がりの戦いをしようと言っているとのことだった。今朝はプレイしていないので、みんなウズウズしているのだ。

1515分から始めた。松田、塩野、高木、野村は、高嵜、工藤、草浦、ミセス高木+αにやられた。我々独自のルールである、「ホールイン・ワイン」は一挙に4本も出た。ハット・フィッシュ塩野1、ショットガン・トール高木1、デッキダンサー高木2である。多発するということは、それだけスティック捌きが巧くなった、距離感がコントロールできているということだ。対戦相手に手強いプレイヤーが増えてきたということだ。日付変更線通過リーグ戦がまた面白くなる。

 

P1020981 P1020980_3

デッキに備え付けられた小型スピーカーから『ただいま、前方11時の方角に鯨が潮を吹きました。鯨は1匹です。海面に潜ってしまうかどうかは判りませんが、お知らせいたします』

「鯨が一匹」には驚いた。二宮航海士も慌てていたんだ。「おいおい、文部省~、どうするんだ~あ!」スピーカーに向かって野次が飛んだ。ああ、いまは、文部科学省と言わなければならないのだ。カメラを持ったり、望遠鏡を握りしめたりした船客が後部デッキに押し寄せたが、鯨は姿を見せなかったし、時間的には既に遠ざかっていた。

 


P1020984 P1020986 P1020983 夕食は「夏祭り」と称してビュフェ形式だ。レストランスタッフは、日本人もフィリピンスタッフも、背中に大阪商船のマークが入ったはっぴ姿で、豆絞りの手ぬぐい、ねじり鉢巻き。中央には、青い日本傘と団扇が飾られている。今晩は、いわゆる懐かしい日本食だ。となると、醤油味が当たり前だ。ちゃんちゃん焼きも大きな鍋で出てきている。焼き鳥、おでんもある。ところが残念ながら、今の僕には食べられるものが少ない。二人前の寿司と、マヨネーズを付けたP1020985 P1020996 タコ焼き、それに懐かしいラムネ瓶を取った。昨夜辺りから酒を身体が受け付けない。焼酎も飲み飽きたのか、美味く思えない。飲めるのはビールくらいだ。食後は、アイスクリームと濃いウーロン茶にした。

食事をしながら眠い。足が攣って起きたことによる睡眠不足だと思う。同席した神戸のご夫妻との話で、「○○ナイト」での服装の話になった。

「○○ナイト」ですと言われることで、これから向かう先の未だ見ぬ国に期待を込める気持ちは高揚するが、だからといって、その国に因んだ服装でお楽しみ下さいとは、どういうことでしょうね、と言う意見。寄港地の気分を高めてくれるのはむしろ、スタッフの側の役目で、船客はそれを受ける側です。客側がその寄港地の雰囲気を共に味わおうというのなら、寄港地を離岸した夜に、その名残りの気持ちで「○○ナイト」をすればいい。現地で買ったシャツもパレオも、これ買ったわよと自慢しあって楽しめばいい。時間がなくて食べ損なった現地料理も、船客用に味付けして出してくれれば、有り難い。初めて乗船された方の戸惑いだ。未訪問国を盛り上げるのか、それとも惜別かだという。僕らもかつては、全く同感だった。たぶん、初出航した方々の偽ざる気持ちだろう。

 

Dsc02584 食後、船内に祭り太鼓の音が響いてきた。「夏祭り」03年次には、ゆかたを持ってきて踊った。06年次は飲む側に回って踊らなかった。07年の今回は、縁日を見に行っただけで踊りも見物しなかった。洋上で、盆踊りの雰囲気を醸し出すとおいうのが、なんとも郷愁を誘ったのは最初だけだった。船という箱物は、来る日も来る日も店内改装しているようなもので、現場に余裕はないのだろう。この船も神戸に着いたら、翌日からは、利尻礼文島へのクルーズに切り替わるらしい。

しかし、長期の乗船客は、相当の金額で期待して乗ってくるはず。この南洋クルーズ、乗船客にリピーターが80%ということが判明した時点で、新しい催しを企てるというのが、本来のサービス業なのだが、年々夜見世の創りも楽しませ方もマンネリ。可も不可もないルーティングワークになっている。正直、このイベントの道具立て、仕掛けに飽きてしまったのだ。初の世界一周クルーズを成功させた商船三井客船。船内でのイベント企画の多くが、にっぽん丸をベースにして模倣されていったらしい。その自負心を忘れないで欲しい。老人ホームから乗船して来ている船客も数人いると聞く。老人を老人として受けるのではなく、若い気分にさせることも考える。ノウハウの積み上げが、さらに新しい魅力を創り出すことになってほしい。クルーズ人口のジェネレーションは、徐々に若返る、はず、である。これをもし、社内イベント好きのリクルートにプロデュース試案を外注できたら、どれほど面白いお祭りものやゲームが出来上がるだろうかと、ふと思ってしまった。

 

僕は、この時間を利用して、来たるデッキゴルフリーグ戦の組み分け籤をメンバーに引いて貰おうと、祭りの街を走り回った。人混みの中で人を捜し回っているのは、映画のワンシーンのようだった。見つけては引いて貰ったが、残る最後は、草浦さんか、塩野さんだ。どちらかが探せればいい。2階のエントランスホールの階段を降りてくる塩野さんを見つけてようやく、全員の3チーム編成が出来た。急いでパソコンを叩いて、各部屋にプリントを配り終えた。ライブラリーでメールをチェックする。姫路の山縣さんのメールで、日本列島は地震や雷雨で荒れているとのこと。生まれる孫のことを考えると、どうか平穏無事に過ぎてもらいたいものである。

ともかく眠い。足も攣りそうな兆しがある。疲れた。盆踊りもたけなわの頃、眠る。

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07.06.07 日本へ2

3時30分に目覚めた。昨夜は早くに眠った思いはない。時間調整に入った初日であるから、実際は230分となる。次男の子供が予定日より遅れていることが気懸かりなせいか、双子で出産の夢を見た。八点鍾までもう一度寝ることにした。

 

『北緯24°08′、東経170°51′。北東の貿易風が吹いています。ミッドウエイの南東800kmの地点です。速力195ノット、時速36k、天候は晴れ、北東の風10m、気温25℃、水温267℃、波の高さ約15m。』この後船長は、しばらくコンテナー船の話を続けた。

朝食はオートミールからクロワッサンに代えた。にっぽん丸では、小麦粉をこねて、発酵、焼き上げまですべてを船上でしている。毎日少しずつ出す種類が変わる。パンの種類は25種にも及ぶときがある。焼きたてが自慢で、それがまた好評だ。ヤクルトもどき(韓国製)を3本、野菜ジュースを飲んで、後部デッキへ急いだ。

P1030180613 P1030185613 工藤さんが頼むことになっていた天幕が、見る間に張られていった。メンバーは口々に、これで疲れが軽減すると喜んだ。やはりダイレクトに陽を浴びていると、疲れるのだ。高嵜さんが近づいてきて耳元でぼそっと言った。「腰が痛くなったと言ったら、高木さんに、フォームが悪いんだわよ、それって言われてしまったよ、フォームが悪いんだ、俺」「それを指摘した高木さん、鋭いなあ。高嵜さんに基礎が出来てないことを見抜くなんて、ね」に辺り構わず、二人で爆笑した。

Img_2285全員ジャンケンをした結果、組み分けは、高嵜、松田、菅谷に萩原、そして塩野の白。対する赤は、工藤、草浦、長坂、松田サエ子+αというメンバー。向かい合って握手をした時、工藤さんが口にした。「白にこれだけ集まると、もう負けだわ」ジャンケンだから仕方がないが、そう言われてしまうと我々も、負けては恥ずかしいとプレッシャーがかかった。

P1010139 波も穏やか。天気はいい。天幕も張られた。不味いことに、いい訳無用のコンディションだ。プレイの展開はというと、塩野さんを援護射撃しながら、高嵜、菅谷、松田とベテラン3人が順調に権利玉に成っていった。赤の工藤、長坂をこの3人が分断している間に、僕が5番ホールを陥れる作戦。これが功を奏して、早々と試合は決着した。よかった。ほっとした。敗れた赤からは不思議なことに長坂2,草浦2,サエ子1という合計5本のホールインワインが上納された。ホームランを5本打ったのに、毎回足で掻き回されて試合に負けたという野球のようなものだった。

2回戦には充分な時間が創れた。意気消沈したわけではないが、先約の用事があり、工藤さんが抜けた。組み合わせの仕切り直しをした。白は高嵜、萩原、塩野、松田サエ子に対して、赤、松田、菅谷、草浦、長坂となった。ゲームは終盤、ホームホールでの勝負、高嵜・萩原対松田、菅谷、草浦となった。が、高嵜、萩原の連続スカが響いて自滅。敵を上がらせてしまった。昼食のファースト・シッティング組、菅谷さんは食事時間を気にしていたが、時間内での悠々の戦いぶりだった。今日は11敗となった。
P1000303 高嵜さんと僕が顔を見合わせた。「やっぱ、フォームが悪いんだ、俺」、「直してくださいよ、早くに。日付変更線通過のリーグ戦までにね」。

 

昼食は、好物の稲庭うどんだった。かなりの回数、うば、うどん、素麺が昼食のメニューに追加されている。麺類の時は、レストラン前に、その銘柄が現物で示される。P1010125 全国各地の麺類が出されるが、船客も自分の県の名産品だと、テーブルでもそれが話題になる。ほてった体をシャワーで冷やした後の味は格別。油のないさっぱりとした食べ方は、パスタにはない。日本人だなあと感じる。

ところが今日、虹鱒のアーモンド焼きが出たのだが、ある客の食べ方が気になって仕方がなかった。その男性は、ナイフとフォークで鱒の身を外し、ナイフの上に身を載せて口に入れていた。そこまではいい。しかし、鱒の身を口に入れた後、小骨を皿の上に西瓜の種のように、吹いて落としている。向いの奥様もたしなめない。右隣の親しそうに会話する客も素知らぬ様子。寄港地で買われた高価な身なりに余計違和感が出る。気になることと言えば、メインショーで、いつも野球帽を被って観ておられる初老の方だ。奥様が注意なさらないのだろうか。いずれも、亭主関白様に連れてきて貰っているという遠慮があるのだろう。いや、言っても聞き入れてくれないのよと嘆かれそうだ。さすがに、昔のように、フィリピンスタッフに「ちょっと、あの、ねえちゃん」と呼びかける声も、バスタブの外が泡だらけという事件も聞かなくなった。まだまだ増え続けるクルーズ人口だが、盛況の裏で日本人がどう観られているかが気になる。船内ではまだしも、オーバーランド・ツアーでホテルに泊まったりする日本人船客が寄港地でどう見られていくのか、国内感覚でいる船内と下船して露呈するシニアの国際感覚に問題は残る。乗船前に船客のマナー講習会が必要になるほど、クルーズ人口の裾野が広がるかも知れない。現地の人の目を考えれば、ソシアルダンスの講習会よりも先になる。このままでは、スリッパのままでホテルの廊下を歩くようなもの。一歩船を降りたら、そこは異国なのだから。

 

デザートが終わるころ、カミサンに声を掛けてくれたご婦人がいた。同じテーブルに座る方だった。「エコバッグの絵、塗り終わりましたか?」930分からの水彩画教室で、染色絵の具を使って、布袋に絵を描いてきた時のお仲間のようだ。「フラもお上手で…」これは、先日、ドルフィンホールでのアイランド・ウインドの演奏の最後に、フラダンスの受講生に踊りましょうと呼びかけられて野村道子さんとカミサンがステージに出ていったときのことのようだ。事前にフラの先生からステージに出てきてくださいと、全員に要請されていたのに、他の方に尻込みされて、スポットライトを浴びたのは、その二人だけだったという恥ずかしい体験である。そんなこんなの話から、ぽろっと「名古屋から来ました」という。「ウチの主人も名古屋出身です」とカミサンが明かすと、そのご婦人が高校は何処かと訊ねた。「名古屋学院です」と僕が答えると、「松永先生ご存じですか、私、中央教会です」「ああ、(「聖書購読」科目担当の)松永さんは楽しい先生でした。彼は中京教会の牧師でしたが…、我々は、長塀町時代です。金城学院と電停を挟んでいた時代です」「教会は?」名古屋教会とか熱田教会とか言いたかったが、洗礼は受けていないので「中高は音楽部で聖歌隊も兼ねていました。宗教主事の柴山満先生の指導で」「あらあ、懐かしい、柴山先生のお名前をここで耳のする、とは思いませんでした」「私の恩師の一人です」

一気に時代は昭和30年代に戻った。「06年の世界一周クルーズでは名古屋から乗船した方が多かったですよ。今回も小牧の長谷川さん、呼続の高木さんと、いらっしゃいますが。申し遅れました、萩原と申します」「え、あのMOPASの『海』に、デッキゴルフのこと書いておられた方?」「ええ、そうです。お読み下さったのですね」「渡辺と申します。じゃあ、毎朝やられているのですね」「殆ど毎朝ですね。あと、僅かになりましたが、宜しくお願いいたします」日本へ向かって、あと1週間という今日、柴山先生をご存じの身近な方と知り合うことになろうとは、世間は狭い、船は狭い。

 

午後は、盆踊りの練習や藤原ドクターのスペイン徒歩90km横断の講話、甲板部による名札のエッチング教室などがあるが、専ら航海日誌を書く時間にして、自室でパソコンを叩いた。
シャチが1頭、鯨が1頭、操舵室からアナウンスされたが、現在の状況ではそれ以上は望むべくもないようだ。なぜなら、時期的に小笠原の鯨さえアラスカに集合しているのだから。アナウンスに一喜一憂して右往左往する4階のデッキの有様が目に浮かぶ。

カミサンは、1530分からのアートクラフト教室「カルトナージュ」とやらいう、写真立てを制作に出掛けた。愛犬・ボズの散骨は何処の海洋で始めるのだろうか。

 

メインショーは、バリトンの浜鍋章盛と理代夫人ピアノによる「名曲コレクション」だが、部屋の中継TV画面で聴くことにした。「蚤の歌」から、ピアノ連弾、「ポルカ」も「ワンダフル・ワールド」もと何でも有りの盛りだくさんだった。

今夕は、瀬戸ご夫妻とお約束の日だ。センターテーブルに席が設けられていた。和田希公ちゃんと我々5人以外、誰も中央のスペースで食事をとる姿はなかった。

瀬戸さんは、モーレアを大層気に入られたようだった。これ以上、欧米の影響を受けて欲しくないという気持ちには同感だった。ホノルルのレストランでFX(スーパードライ)を抱えた猫が多く置かれているようですが、と話題にした。「ああ、ラッキーキャットのことだね」ところが、キリンも同じ猫をしかも、ゴールドキャットで一番搾りを抱きかかえていたことは伏せた。キリンの一番搾りをシンプルに「イチバン」とだけして、託した戦術は、外人が覚える「サイコー!」と同意義となり、口にしやすい点、巧いとライバルを褒めておいた。このにっぽん丸の自販機で売れ足が早いのはスーパードライである。

 

食後にネプチューンバーに出掛けた。長坂さんが待っていた。「航海クラブ会報」を頂いた。なるほど、渡辺船長を中心にこうしたクラブ活動が存在していることを初めて知った。30周年を迎えたと言うことは、日本のクルーズ人口の礎であると言える。長坂さんと知り合えたのは嬉しい。ラストクルーズがもっと先であるように願いたいものだ。

飲みながら話した中で、またまた出てきたのは、にっぽん丸での「ダンスタイム」だった。教室の延長をこなす人たちに占拠されて、しかつめらしい競技ダンスの一端を覚えて実践している、あれは何だと長坂さんも嘆いた。尤も、にっぽん丸に限らず、日本客船はどこもそうらしい。カジュアルな外国船に乗ったとき、この踊り方を実践したら、日本人のセンスを疑われるなという点で心配し合った。夫婦が気楽に踊りあう姿がない。そうした空気を創りだしてもいない。教室の練習場になっている。フロアーに点線が書かれているような、堅苦しいダンスが夜になってもなされている。一体全体、こうした空気は楽しみを損ない、いかにも後進国の頑なな懸命さが感じられる。ダンスは本来、男女が気楽に語り合いながらリズムに乗るものではないか。ライセンスを取るでもなく、社交デビューする年齢でもない。フォー・ドルフィンの生演奏が勿体ないぞ、可哀想だぞ、と共鳴した。

 

2㎝と4㎝」の話も面白かった。海が荒れてシャワーコーナーから洗面所に水が溢れる話だ。03年次に乗ったときは、このコンパクトな設計に驚嘆したものだ。僅か2㎝の段差で、水を受け止めて排水溝に流すという計算が凄いと。ところが、今回は洪水?の経験をした。長坂さん曰く、「ぱしび」は4㎝にしてあるため、その点は大丈夫だと教えてくれた。2㎝でも、溝の切りようで溢れ出ない方法はあるのだが、掃除がしにくい。4㎝に慣れないと、縁に躓くお年寄りもいるそうだ。では、今後は「3㎝」で手を打とうと笑いあったが、にっぽん丸の新造船がそろそろ出来るという噂が現実になったとも、もう乗れないだろう。人工透析の設備が載ったとすれば、それなりにクルーズ料金は高くだろう。

そんな話に石橋爺が入ってきた。手にしたタバコが「エコー」だったのに、これまたびっくり。まだ発売されていることを知らなかった。パイプも楽しんで、38歳で禁煙した僕は、既にタバコの値段すら正確には知らないのだ。ひとしきり、昔のタバコの銘柄の話になった。「ゴールデンバット」「朝日」から、父の好きだった「ラッキーストライク」まで切りがなかった。石橋爺の話が遠くなりかけた。森田さんにチェックを頼んだら、渡辺登志さんにも草浦さんにも、もう少し飲もうよと引き留められた。が、体はもう眠っていた。明日の晩を約束して、部屋に戻った。

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2007年10月 8日 (月)

07.06.06 日本へ1

6時に目覚めたのだがどうも体が重い。なんとかそのまま、八点鍾まで起き上がらないでいた。2日間の「ホノルル疲れ」か。そうであっても、今朝は、デッキゴルフが再開される初日だ。今日から帰国するまでの1週間は、何処にも寄港しない。つまりは、毎朝デッキゴルフ三昧だ。デッキゴルフがしたいために航海日に多い、この南洋クルーズに乗り込んだオッショーネエ鬼界は、既に下船して京都の自宅に帰ってしまった。強敵が一人消えたとも言える。天気は良好。

Img_226066 『北緯22°04′、東経162°25′。北西に連なるハワイ諸島の南から日本へ西に進路を向けていますが、沖合い50km以内の航行は禁止されていますので、ご了承下さい。速力195ノット、時速36k、天候は晴れ、北東の風7m、気温25℃、水温267℃、波の高さ約15m。8日は日付変更線を越えますので、69日はスキップされます。今夜から、時計は1時間ずつ遅らせます。125時間の生活をすることになります。

しばらく海は穏やかさが続きますが、日本から南部で梅雨前線が張り出してきましたので、1213日頃にどれほど影響を受けるかですが、多少船が揺れることが考えられます。

尚、本日1256分、太陽が本船の真上に来ます。デッキで自分の体をお試し下さい。NHKのCSTVですが、いまご覧頂けているのはハワイ周辺の視聴者のためですので、明日には電波が圏外になります。次回映像が受けられるのは、日本に近づく11日を予測しております。』

 

朝食を急いで口にして、デッキゴルフに参戦。長坂さん再デビューの日となった。

Img_2257 Img_225566 菅谷、松田、工藤、萩原に草浦という曲者揃いに対して、高嵜、松田サエ子、塩野、長坂とαの対戦。長坂さんは、幸先良く1番ホールを抜け出ていったが、2番で白の我々に捕まった。ドボンで赤の救助を待つ。長坂さんにしては、代わり番で打つα玉でのチャンスしか鬱憤晴らしができない。なんと、よく見ると素足になっていた。

工藤、萩原が珍道中をしている間に我々白の松田、草浦、菅谷の3人が5番ホールをクリアして権利玉になってくれた。赤は長坂玉以外権利玉になれず、その後の結果は、意外にも勝負は早く着いた。「素足の長坂さん、健闘空しく敗れる」という見出しか。ひさしぶりのゲームは、白の勝ちとなった。11時からは、「ポリネシアの人々と文化」第5回目の片山講演があるため、2回戦はナシ。

 

シャワーで汗を流して、講演会場のドルフィン・ホールに出る。いつものように、5階、つまり二階席から見下ろす格好になる。隣のご婦人が鋭い観察をしていた。「日本に近づくに従って、派手派手しい服装が減って参りましたわね、皆さん。尤も、今夜は最後のインフォーマルですけどね」確かにその指摘はご明察と言いたいほど。船客の姿が、落ち着いた色調になってきた。非日常の世界から日常の世界に近づいてきているからか、着慣れた服装に戻ってきているのだろうか。

 

本日のテーマは、「巨石文化」。フランス人の移住や捕鯨船団の基地となって以来、西欧文化の他に病気まで持ち込まれ、19世紀後半には、10万人のポリネシアンが100人ほどに激減した。文字を持たない種族は、その人と共に知識までをも失ってしまったと、秘境といわれるマーケサス諸島に人類学の調査船で現地を探索した片山先生は、ヒコクア遺跡での亀の石画を見せながら嘆く。

そして、モアイの原型とも言える巨石像が至るところにあると説明する。トンガの崩れかけた方形墳墓のランギや、トンガのストーンヘンジでもあるハーモンガも、ポナペのナンマドールも「モアイもどき」だと、片山先生は言う。

そのイースターのモアイ像は、世界七不思議のひとつだが、10mの高さ、10トンのモア・イ(鶏・火)像が、およそ1000体確認されている。この「イースター」という命名は、1722年オランダ人がキリストの復活祭(イースター)の時、上陸したことに依る。元々は、Rapanui(石斧・大きな)という島だった。西の島々には、ヤシの木で彫った巨像が発見されているが、東に向かっていくにつれて、あのモアイ像のように派手で大きな像となっていったという。つい最近まで倒れていたあのモアイ像は日本奈良文化財研究所と某日本企業によって立たせることができた。そしてその倒れた原因を片山先生は、津波によるものだと考えていると語った。

6000年前アジアから南下したラピタ人が3000年前トンガ、2000年前タヒチ、1500年前ハワイへ。そしてイースターへも南下したのだが、このイースター島から大陸であるチリまではジェット機でも6時間、4000kmの距離がある。イースター島には、にっぽん丸が世界一周クルーズの寄港地として2002年に上陸したが、冬は寒い南緯27°に位置するため、寄港するベストシーズンは1月から3月までとなる。

4年に1度の「世界ラピタ会議」が、今年の820日~25日、スエーデンのフォトランド大学で開催され、片山先生も出席を予定しているとして、この講義を終えた。

 

Img_226766 Img_226966 今日は、スポーツデッキで「洋上大運動大会」が行われたようだ。ようだというのは、これで3回目になるので、写真を撮ることもカミサンに頼んで、僕は船内でのんびりしていた。

 

今夜のドレスコードは、最後のインフォーマル。この日の船内新聞はいつもと違う掲載文があった。過日、川野チーフパーサーに意見具申したことだった。「2回食目の客には、メインショーではジャケット着用でなくカジュアルであっても良い」との但し書きが書かれた。メインショーから夕食までのインターバルが1時間もあることが、度々問題になっていた。この時間内に着替えをすればいいということだ。しかし、セカンド・シッティングの船客だけが、服装にばらつきが出る事は否めない。2回公演するエンターティナーの方々の目にはどう映るのだろうか。帽子をかぶったままの男性客が座っているよりはいいのだが。

食前のメインショー、ドルフィン・ホールは、ホノルルから乗船した北村英治ショーだった。03年世界一周クルーズ以来である。久しぶりという挨拶で始まった彼は、自作曲の「さつき(アゼリア)に寄せて」を聴かせてくれた。この曲は、とてもリリカルで船客からは大拍手だった。やはり、ソプラノ歌手やラテン系バンドよりも、50年代から60年代のジャズ、ポップス系の方が受けがいい。言い方は悪いが、進駐軍によって日本人の耳を変えた音楽の方が、船客層には喜ばれるのだろう。おそらくこうしたナンバーをフルバンドの演奏に乗って、ダンスを楽しんだ世代ではなかろうか。

 

Img_227666 Img_227566 夕食は高木夫妻、高嵜夫妻の背中のテーブルに案内されたが、どちらのテーブルにも空きがあり、スタッフの了解を得て同じ席に移った。今晩はインフォーマルに合わせて着てくれている、フィリピンクルーの正装姿も今晩で最後になるらしい。花柄の正装ドレスは、今年からスタートしたようだ。約束通り、正装のジュン君とカミサンをツーショットで撮る。ニックの姿が見当たらないのが残念だ。

Img_227866 目で楽しんでいるだけではなく、彼らに感謝の気持ちを込めて、カミサンと数人を一緒に記念撮影させてくれないかとジュン君に事前に頼んでおいた。食事も終わり、客も殆ど姿を消した頃、ジュン君に手の空いた仲間を呼び出してセンターテーブルに集まって貰った。シャッターを切る内に、徐々に徐々に多くの人が走り込んで来て、きゃあきゃあ喜んで声をあげている。何事が起きたのかと、食事を終えた船客が見守る中、我々は一人一人に感謝の握手をして記念写真撮影は終わった。顔馴染みになったフィリピンスタッフはまだ興奮が冷めていなかった。この関係がにっぽん丸独特で羨ましいとは、飛鳥やぱしびに乗ったことのある船客からの言葉だった。2国間だけの人間関係と言うことの他に、マニラでの厳しいホスピタリティの訓練がそうさせているのかも知れないとは、専らにっぽん丸に乗る船客の返答だった。

 

Img_2242 デッキに出てみる。これからは毎日、夕陽を追いかけて航行するのだが、今日は雲が多く、柔らかな橙色で終わった。

食後の約束で、高木夫妻と一緒にネプチューン・バーに繰り出した。後から顔を出した高嵜さんはしばらく止まり木に腰を下ろしていたが、早々と引き上げていった。入れ違いに長坂さんが現れたが、遅きに逸した。僕は既に眠気を催し、限界だった。今日のような好調のデッキゴルフを対戦しましょうと言い終えて、チェックアウトした。

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2007年10月 5日 (金)

07.06.05 ホノルル2

730分には目覚めていた。天気はいい。船で来たからには、やはりアロハタワーに昇らねばなるまい。トロピカルジュースにヨーグルト。オートミールとフライドエッグで、珈琲も飲まずに急いで下船した。

P1020510

両側にパームツリーを配し、その奥に白亜の塔が毅然とした姿で建つ。830分。勢い込んで向かったが、タワーの展望台は10時にならないと動かない。エレベーターの戸口には、そう書いてあった。拍子抜けして、しばらく周囲を歩くことで時間を潰した。

Img_2200Img_2203 かつて客船時代、ここがハワイの表玄関で、「アロハ・オエ」を歌い、レイを首に掛けて歓迎した歴史的な舞台だったのだが、航空機時代に入ると寂れてしまった。最近、ここを再開発したのが、マーケット・プレイスで、ウオーターフロントのオープン・エアテラスで食事をするひと味違ったデートスポットになったそうだ。

 

P1020688 P1020689 このアロハタワー・マーケット・プレイスには、ミニ・ブリュワリーがあった。フレッシュな生ビールを飲ませる店の名前は、「ゴードン・ビアージュ」という。サン・フランシスコにありそうな雰囲気で、高い天井の下には黒光りした椅子やテーブルが並び、ちょっと座り込んImg_2061 でみたいと、朝から思ったものだ。今晩も停泊しているなら、此処で飲みたかった。他の店もなかなかセンスが良さそうで、80店舗ほどが固まっていて、ここでも充分楽しめることが判った。しかし、此処も未だ開店準備をしているか、店員が店の鍵を入れている時間だった。

 

ある店の前で、カミサンがビーズのバッグに引かれてショーウインドーを覗いていたら、中から店員がどうぞと手招きをしてくれた。カミサンは、嬉々として色々な個性的なハンドクラフトのバッグを選び始めた。一点物が多い、手作り感の強い品物が多かった。あれこれ迷っているうちに、アロハタワーに昇れる時間になってしまった。選んだ物を夕方までキープ出来るかと頼んで、安心して店を出た。

Img_2069 Img_2071 アロハタワーの展望台は10階だった。当時は、最高の高さだったのだろうが、いまは、周囲に高層ビルが建ち並び、ダイヤモンド・ヘッドは隠れていた。ひときわ目立つのが、ウオーターフロント・タワーとレストラン・ロウの入っているビルだ。海に向かっている右手に、「プラ P1020705 P1020706 イド・オブ・アメリカ」の姿はなく、出航した後だった。

 


にっぽん丸のDFS行きシャトルバスの乗り場に戻った。予定は10時発だったが、乗客の出足を判断して、すぐにも出そうということになった。930分であるが、3人だけの客を乗せて走ってくれた。

初日のコースとは違い、時折、道をショートカットしてDFSに到着。DFSには入らないもう一人の乗客であるご婦人から、独りで出来るだけ遠くにトロリーで走りたいのだが、と訊かれたので、ブルーラインのコースをお勧めした。ダイヤモンド・ヘッドを回って、カウラまで行って来られるからだ。今日は、カミサンにワイキキビーチを歩かせる約束だ。

「DFSの入場カードはありますか?」盛んに店員が近づいては訊いてくる。カミサンは係の人に悪いから中に入ろうと言う。にっぽん丸がハイヤードしたバスなんだから、気遣うことはないといいながら、ふと疑問を感じた。待てよ、DFS行のバスは、本来ホテルを周りながら、購入意欲のある客を無料で乗せてくるではないか。ましてや、にっぽん丸のリタイヤー旅行者300人だ。我々のシャトルバスが、手前にあるアラモアナ・ショッピング・センターに途中停車もしないでDFSまっしぐらだ、不親切が読めたような気がした。シンガポールのDFS行きシャトルバスと異なり、ガイド役も乗ってこない。簡単な街の説明さえないのだ。もしかしたら、このシャトルバスもDFS差し向けのチャーターバスであったのだろうか。中に入らず、道路に出た。

まずは、P1020779目的の「レ・スポーツサック」の路面店を探す。有った!なんと、DFSP1020789 のカラカウア通りを東へワンブロック先だった。 これほど目と鼻の先にありながら、同じ「レ・スポーツサック」の店員は、教えることもなかった。おそらくDFSの店員は、この店さえも競合相手だとしているのだろう。顧客が購入する機会を逸することが自社にとってマイナスになるということを自覚していない。店員教育がないがしろにされている。売らんかな、が強すぎる東南アジア全般のDFSの店員レベルと同じだ。現物確認できたので、帰りの時間に買うことにする。手ぶらで散策したいからだ。

インター・ナショナル・マーケットプレイスの中に足を踏み入れる。夕食後なら、此処は夜見世の雰囲気が出ていいのだが、仕方がない。P1020714 真珠貝をバケットからP1020716 P1020717 チョイスさせる店があった。伊勢志摩のミキモトにもあるアレだ。客が選んだ真珠貝を店員が開ける。誰もが、目を閉じて祈ったりする。出てきた真珠が運良く大きくて、辺り構わず大声で狂喜する明るいアメリカ人の二人。1個の貝が13ドル99セントだ。やってみるかとカミサンに声を掛けると、結局は、加工賃の方が高いわよと、カミサンが袖を引く。

 

ならばと、今度は、向かいのモアナホテルへ渡る。100年前、ワイキキビーチには、ホテルはモアナホテルしかなかった。エレベーターというものが最初に設置された建物だった。P1020761 ワイキキのファーストレディ」と言われるそのコロニアル調のP1020771 白亜の館はリニューアルされ、ウエスティン系ホテルとしてリブランドされた。「ザ・モアナ・サーフライダー」。それでも未だ、国際興業の傘下なのだろうか?

創業期からあるバニアンの大樹の下の「ビーチ・バー」は、昼食後に御茶をしようと、そのままビーチへ抜ける。

カミサンは、サン・ディゴのホテル・デル・コロナドの気分に帰っている。ウエスティン・ワイキキビーチを素足で歩き出した。キャーと言いながら、スカートを濡らした。

Img_2119 P1020736その声に手を挙げる男がいた。身体は白いので、現地の人ではない。よく見ると、囲碁の山本先生だった。単独で泳いでいたようだ。この砂浜は、本土から運び込んでいるという。ワイキキが観光客のために苦肉のサービスをしているのは、熱海のビーチも同じだ。 サーフィンスクールの受講生だろう。波間に一列になってパドリングをしていた。水着も着ないで、砂浜を歩いているのは気恥ずかしい。早々にデューク・カハナモク像のところに辿り着く。

褐色の立像は、生粋のワイキキ・Img_2129_2 ビーチボーイだ。ワイキキで一番速く泳げる男だった。推されてストクホルム・オリンピックに出場し100m自由形で金メダルを獲り、生涯2個の金メダルを含む5個のメダルを手にした。サーフィンを世界に広めた男でもある。「サーファーの父」として讃えられた証しが、この立像である。立ち位置が海を見つめていないのは何故だろう。カラカウア通りの観光客を歓迎するために、海に背を向けさせたのだろうか。東京のお台場に立つ自由の女神像も、海に背を向けていたなあ。

P1020747 サーファーの聖地だと言われるハワイのノースショアは、アリューシャン列島から押し寄せる波だそうだ。その海域にはなにも島がない。9月に入ると6mの高波になる。我々の経験では、年末正月のハワイロケが多いが、ホテルチェックもせず空港から西のノースショアにライトバンを走らせて、いきなり撮影が始まる。その頃の波は、穏やかなものだ。東のハナウマベイでは、珊瑚礁の上に櫓を組んで撮影したりもしたが、気がつくと珊瑚礁に砕けていた白波が消える満潮時だったりして、ゴムボートに撮影機材を乗せて慌てて引き上げる事も何度かあった。食事も専ら焼肉店で、アラワイ運河を越えた住宅地やダイヤモンド・ヘッドの先のカハラモール辺りまで走るので、カラカウア通りで食事をすることなどなかった。天気が良ければ、陽が落ちるまで撮影ロケ地にいるからだ。

 

今日は、余裕を持って飲茶料理の昼食を取れる。ビーチから戻って、ワイキキ・トレードセンターの1階にある「レジェンド・シーフード・レストラン」のドアーを押した。チャイナタウンにある本店は、行列の出来る店だと聞く。

1115分、早すぎた。二番目の客だった。

昨日は、1410分過ぎに来たので、食べられなかったとマネージャーに言った。深々と頭を下げながら一言、「ザンネン、デ、シタ」と目が笑った。「地球の歩き方」ガイドブックには、飲茶タイムは15時までと書いてあったんだとまでは言わなかった。此処が駄目だったら、「ケオス・タイ・クイジーン」に行こうと思っていた。米国の雑誌でベスト・タイ・レストランと評価された店だ。カミサンも僕も、タイ料理は現地で食べて気に入っているからだ。しかし、そうなると、またまた、フォート・デルッシ公園辺りまで歩かねばならなかった。

P1020775 店員が滑車の付いた手押し車を我々のテーブルに近づけた。箱車の中の火気が、蒸籠を蒸気で包んでいる。何種類もの小龍包を次から次に取った。小さな蒸籠がテーブル狭しと並んだ。熱い肉汁が口に広がり、冷たいビールがそれを洗う。この繰り返しがまた美味い。席を回ってくる車から、他にも好きな点心を矢継ぎ早に取り上げた。ヌードルスープは、頼めないほどに満腹感を覚えた。約1時間、ゆったりとした。日本人客の姿はその後もなかった。店内は、観光客ではなく、いつもの馴染みの客といった人たちで満席になっていた。レジで支払うとき、珍しい折り紙を目にした。Img_2144_2 Img_2145 それを見て取ったマネージャーが、カミサンに説明をし始めた。「それはドル札で折った花だよ。商売繁盛の願いが込められているんだ」




P1020776Img_2143「日本の商売繁盛は、そのラッキー・キャットだわよ」と、レジの横でスーパードライを抱いている招き猫を指さした。ここにもあったのだ。 しかも、ライバルのキリン一番搾りも同じように招き猫が抱いていた!販促ツールのパクリ?

 

Img_2154 通りを渡って、ピンクパレスと呼ばれてきたザ・ロイヤル・ハワイアン・ホテルに入る。ここも80年の歴史を持つランドマーク的存在だ。奥まった中庭にそのエントランスはあり、ワイキキビーチではモアナ・ホテル同様、重厚感がある。波音が聞こえるのに、ここはひんやりとした空気が流れている。人の歩きもどこか落ち着いている。カミサンは周辺の花を盛んに撮っている。もともと、この辺りはタロ芋の栽培をする湿地帯だったというではないか。「Hawaii」は「ハワイ」ではなく、「ハワイイ」だと、片山先生は強調した。ポリネシア語で「神のおわすところ」という意味である。「ワイキキ」は、「噴き出す水」という意味で、この地域は、かつて湧き水が噴き出したそうだ。

 

Img_2182_2 P1020725 あらためて、「ザ・モアナ・サーフライダー」の「ビーチ・バー」に座って、御茶をした。ダイヤモンド・ヘッドを遠望しながら、しばしゆったりと時間を止めた。

ここハワイでは「メインランド」からの観光客が当然ながら断然多い。ところで、日本語を学ぶ外国人は、日本が4つの島から成り立っていることからか、「ホンシュー」という言葉を覚え、「メインランド」の感覚を持つそうだ。沖縄では、「ヤマトンチュー」、「シマトンチュー」と使い分けるが、我々は余り、「本州」という言葉を使わない。アジア大陸から千切れたように成立した火山島だ。日本の本州は、世界の島では7番目の大きさで、8位はグレイト・ブリテイン(英国)となる。因みに、英国は4つの国から成っている。これまで寄港してきたトンガもフィージも、ここオアフも、それは主たる島であって正式には「諸島」という呼称が付いている。

 

P1020790 シャトルバスの発着所、DFSに戻った。14時を回ったばかりだ。シャトルバスの1530分には、まだ早すぎる。ソバのベンチでうとうと居眠りをした。カミサンに起こされた。シャトルバスが着いていた。

ワイキキの風景が流れていく。見納めだ。近くて遠い50番目の県よ、ネオ・ジャパンよ、さようならと呟いた。

ピア10に着いた足で、アロハタワー・マーケット・プレイスの店にキープしてあるバッグを受け取りに行った。ここの店は、なんとなく暖かさを感じていたが、バッグの多くをバンコックで縫製させているオリジナルばかりだった。

 

1日歩いて汗ばんだ身体を展望風呂に沈めた。15時。こんな時間に入ったのは、これまでで初めてだった。まだまだ観光で帰船していない人が多いのだろう。僅かに2人だけだった。

Img_2210Img_2219 8階のスカイデッキに上がって、出港する18時まで眺めることにした。いよいよ、ポリネシア人による大航海、石器時代の南太平洋ヴァイキングが航海した海路も終わりを告げる時が来た。SmileSilentSleep。笑うか、黙るか、眠るかというのが日本人だが、今回の寄港地で、我々はどうだったろうか。

久しぶりに、にっぽん丸のボン・ダンスが始まった。桟橋に船からの音楽が流れて行く。P1020799ハワイで下船したエンタティナーの人たちが、マーケット・プレイスの桟橋P1020811 0606_8_4p1020812 の縁から大きく手を振ってくれた。「隠れた港」という意味の「ホノルル」を今、離れる。そして、ダイヤモンド・ヘッドを海から眺めるのは、これが最後かも知れないのだ。

P1020853 P1020832 ダイヤモンド・ヘッドの麓のカハラホテル群が、カメラのフレームの中で上下する。太陽が燃え尽きる前の光が、ダイヤモンド・ヘッドを照らす。最大限のズーム12倍で、その山頂を捉える。 「マハロー」有り難う!

 

 


P1020887_2 夕食は、最後の寄
港地を離れたという想いから、気の抜けたような、ほっとしたような、妙な気分がテーブルに流れていた。
 



P1020895_2 受信メールをチェックに行った帰り、瀬戸ご夫妻にエレベーターの中でばったり。「また、一緒に食事したいなと、平マネージャーに言ってありますから」と言われ恐縮しながら、「お休みなさい」の挨拶となった。

今夜は、「星座教室」が21時からスポーツデッキで行われるが、歩き疲れた我々は、出来るだけ体力の回復を図ることをP1020900_2 理由に、横になる。ネプチューンバーも今晩は自粛しておこう。

 

いよいよ、走る船内で、帰国準備を始める。寄港地がないということは、靴もズボンも帽子もデイパックも使わない。もP1020902_2 う着ることもないポロシャツなどは、割れ物荷物のクッションとする。

今クルーズで撮り終わった写真の通し番号を見ると、今日まで2923回シャッターを押していたことになる。06年次の世界一周クルーズの時と変わらない枚数になった。バックデータとして焼いているCDRが今夜で14枚目になったからだ。船友の写っている写真は、それぞれのCDRに分配コピーする作業を始めた。パソコンを使わない船友には、紙焼きをして手渡すか、郵送となる。

P1020909 






2351分、現在の船の位置は、北緯21°32′、西経159°38′、オアフを出て西北のカウアイ島南部沖を航行中。孫の生まれる日が待たれる。

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2007年9月24日 (月)

07.06.04. ホノルル寄港 1

0604_1p1020499 650分、ホノルル入港直前、左舷の先に大きな虹が架かって、出迎えてくれ た。航路の軌跡を見ると、予定通り、ダイヤモンドヘッドを回り込んで来たようだ。速力は67ノットに落ちている。北緯21°16′、西経157°52′、天候は晴れとはいうものの、低い雲の切れ目から青空が覗いて様子見を決め込んでいるようだ。

 716分、左舷に、真っ白いコーストガードの船が見えてきた。P102050327分、ジグザグ型の姿をした真新しい高層P1020525_2 ビルが建ち並ぶ手前に、19世紀の船旅でシンボルとなったアロハタワーの下、ピア10に接岸した。

 


カミサンが起きて、いきなり、「日本の旅行社の広告に、1230分発のツアーコースもあったわよ」という。「有り難う、でも諦めた」というと、「そうね、ポリネシアンの辿った航路を走って来たのだから、いいわよね、もう。お父さんの友達、トム・タカナカに連れて行って貰ったときも、広すぎて回りきれなかったわよ」「問題は広さではない。元来、数日間滞在して、時間的に余裕がなければ、行けないとこだってことが判ったのさ」。

実は、ポリネシアン・カルチャーセンター(PCC)へは、朝830分に出発する14時間のツアーコースがある。ところが、呼び物の人気ショーの終演は21時。しかし、タクシーをどんなに飛ばしても、船は既に出港している時間だ。無理だということが判った。

ダイヤモンドヘッドの山頂に登るツアーに最初は行ってみようと思ったが、暑いさなかに汗かいて上がることもないかと止めた。初日はお上りさん宜しく、アラモアナに出掛けて、2日目をゆっくりしようと決めた。

さて、にっぽん丸の用意してくれるシャトルバスは、カラカウア通りのDFSギャラリーに行ってしまう。アラモアナで途中下車させては貰えないようだ。ならばDFSからアラモアナへ2ドルのピンクライン・シャトルバスで引き返すことにした。

朝食に出てみると、がら空きだった。大方の人が既に下船してしまっていた。シャトルバスの9時30分発の第1便は未だだ。ということは、アロハタワー辺りを散策しているのだろうか。

 

Img_2204 Img_2199 朝食後、すぐ下船した。ターミナルビルの壁には、航海時代の玄関口となった船客の華やかな光景が描かれてある。タラップの横には垂れ下がった五色のテープも見える。確か、出港の紙テープ投げは、サンフランシスコ万国博で始まったと聞いた。大量に売れ残った包装用のテープを「テープで別れの握手をしませんか!」と呼びかけた。サンフランシスコ在住のあの日本人は、今なら販促の仕掛けが巧い広告部長だろう。

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  ピア7には、4本マストの「ファルス・クライド」が係留されていて、ピア8には全長70m、4階層の「スター・オブ・ホノルル」が停泊している。「スター・オブ・ホノルル」は、175ドルのサンセットクルーズ船である。

P1020596 その奥には、410日間クルーズの「プライド・オブ・アメリカ」が、長い船体を埠頭に横づけていた。いつか東さんたちと乗りましょうと言い合っていた船だ。8万1000トンで乗客が約2000名に対して乗組員が800名。日本からのフライ&クルーズツアーは、20万円くらいだ。93100トンの「プライド・オブ・ハワイ」(NCLコーポレーション)は、ハワイ市場から撤退が決まっている。ノルウエイジャン・ジェイド」としてリニューアルをし、地中海クルーズに就航するらしい。

 

P1020519Img_6396

日本の高校生の集団が通り過ぎていった。神奈川県立三崎水産高校の研修生達だと言った。実習船が停泊しているのだ。原子力潜水艦と衝突した愛媛丸が頭に思い浮かんだ。あの事件で、森首相の失脚が小泉劇場を開けることになり、日本の政治が変わっていった。

 

にっぽん丸のシャトルバスが来た。DFSに着いた。カミサンは、なにも欲しくはないといいながら、やはり物色している。A4サイズの書類が入るバッグを捜している。随分前に「ロエベ」のビジネスバッグを買ってきたのだが、重いからと、僕の鞄になってしまった。だから軽いバッグが欲しいらしい。いくつかを手に取ってみたが、気に入るものはなかった。地下に降りた。アラモアナに行こうと、ピンクコースのトロリーバスを待つ。そこへ高木夫妻が現れた。ダイヤモンドヘッドを周り、カハラへ行きたいと言うので、ブルーコースを指さした。ワイキキビーチを右左に分かれることになった。

 

撮影で来るときの我々は、アラモアナへはいつも歩いていた。カラカウワ通りを真っ直ぐ、アラワイ運河の橋を渡って、アラモアナホテルの背後から行く。トロリーバスは、多くのホテルを巡回しながら20分も費やしてアラモアナに着いた。ダイレクトに往復するバスはないようだ。17年前には、こうしたトロリーバスは走っていなかった。ワイキキのトロリーバスは、サン・フランシスコのケーブルカーだ。コースを巧く創っているのは、JTBのチャーターバスだった。カードの提示がないと乗せてもらえない。それにしても、JTBのチャーターバスの多いこと。日本観光客を送り込んでいる購買力の凄さを見せつけている。

 

アラモアナのインフォメーションデスクでまず店内マップを貰う。デパートの「ペニー」が無くなったのだから、店舗も変わっているに違いない。ワイキキ側の「メイシー」とダウンタウン側の「シアーズ」を頭に入れる。さて、行こうとしたら、カミサンが足止めされている。

マップをくれた係員が、ヒルトンホテルへ行ってくれれば、記念品を出すと声を掛けたのだ。だらだらとした長い話を聞き終わればなんと言うことはない、コンドミニアムのタイムシェアリング会員募集に誘われたわけだ。貴重な時間を販促に取られるのは敵わない。早々に目的の店「レインズ(reyn’s)」に向かう。

Img_1975 P1040882reyn_spooner ここで「ラハイナ・セイラー」というシグニチャー・パターンのアロハを買うのだ。名前の地、ラハイナに寄港したときで何軒かの店で探しに入ったが、「トーリ・リチャード」のアロハを扱うショップは有ったが、「レインズ」ブランドは見かけなかった。1960年に発売された「ラハイナ・セイラー」は、花のハイビスカス、州鳥のネネ、そして州の旗など、ハワイのシンボルがプリント柄になっている。バックプリントと言われる裏地使いをしたことや、ボタンダウン、プルオーバーといったスタイルは、「レインズ・スタイル」と言われ、ハワイ大学生にも人気がある。ここで、僕の分を買った。レジで会計をする段になって、店員が、偶数着を買えば、今なら20%引きセールをしていると言われた。ええい!と、カミサンと二人の息子、それに孫の分まで無理して買ってしまった。今度は、セールスの巧さに負けた。

 

アロハシャツの元は、宣教師や開拓者が着ていたサウザント・マイルズ。シャツと言われる長旅に耐える丈夫なシャツで裾を出して着ていた。中国系移民の仕立屋が自分の創ったシャツを「アロハシャツ」として商標登録して以来、日系移民も和服をリフォームしたのが、華やかな絵柄を生む結果となったと聞く。それ以前に、日本から移民したムサシヤ商店が着物をシャツにして売っていたとか、浅野さんという88歳の女性が和服をミシンで縫ったものだとか、ノースショアのミウラ・フサキさんが創ったミウラストアがアロハシャツの始まりだとか、ケンイチ・タナカのタナカシャツから生まれたとか、諸説聞かされている。ミウラストアは、雑誌「ポパイ」で紹介されてからは、シェイブアイス(かき氷)の店と言ったほうが判る人が多いかもしれない。いずれにせよ、アロハのカラフルな絵模様は、京都の染め物屋が生地を創っていたことは、本当らしい。

 

Img_1976 P1020548 P1020564 アラモアナのセンターステージで地元のボタンティアグループがショーを始めるというので、降りてみた。MCの男性も素P1020559 P1020566 人。ダンサーも往年の美女軍団。タップもこなすし、ダンスもきれい。年齢の割に脚がきれいなことは驚きである。若かった頃は地元の青年を唸らせたのだろう。各階で見下ろしている観光客たちからも大きな拍手を浴びた。

 

 P1020538旅行にいつも便利している「レ・スポーツサック」を覗いたらとカミサンに勧めた。イラストデザインで面白い物があった。アラモアナ限定品だと書いてある。 DFSでは売っていないものかどうか、確かめてからにしようとなった。

 

ハワイでの買い物はあと2つ残っている。新しいハワイアンCDとABCで買うアロエクリームだ。ロケで毎年来ていた当時は、タワーレコードで段ボールにレコード盤を20枚くらいぴっちり詰めて帰ったものだ。枚数が重くなるほどに、曲げに強くなるという理由からだった。今回は、アラモアナの海側のパーキングに面しているサム・グッディに入った。カミサンは、お気に入りの「ドン・ホー」を、僕は新しいハワイアン・サウンドを店員に選んで貰った。残りは、あとひとつだ。

 

P1020571 P1020583 昼食には、ワイキキの飲茶を考えていたので、ピンクバスを待った。待つくらいならアラモアナ・ビーチ・パークを歩いてみたいとカミサンが言いだした。アラモアナ・ブルッバードを渡ってもマジック・アイランドまでは遠い。鳩が群れていた。カミサンがカメラを向けながら歩きだした。僕はアラモアナ・ブルッバードへ向かって歩いていた。 海辺を歩きたかったのにと言われたときは、もう浜から離れていた。文句を言われながらヨットハーバーを越える。イリカイホテルのラグーンを見せれば納得するかと海側に回ったところ、なんと、ラグーンそのものが工事中だった。仕方なく再びアラモアナ・ブルッバードからフォート・デルッシ公園を通りカラカウア・アベニューに出る。この頃から、腹は空くし、レストランのオーダーストップの時間が気になり出す。振り返れば、カミサンは相変わらず立ち止まっては、花や鳥を撮っている。こういうチャンスは二度と無いと言い張って、急ごうとしない。 P1020589途中、あのセグウエイP1020576が2台走っているのを見た。日本では、公道を走ることが出来ないが、ハワイでは歩道の上だった。クヒオ・アベニューを歩いて、シーサイド・アベニューを右折。
14
10分、ようやくワイキキトレードセンターに着いた。ところが飲茶の店「レジェンド・シーフード」は、14時でクローズしていた。仕方がない。P1020592

向かいのワイキキ・ショッピング・プラザ地下のフードコートに降りる。ままよ!とラーメン屋に入る。なんと、ホノルルまで来て、つけ麺を食べることになってしまった。 ここでスーパードライを抱えるラッキーキャットに出遭った。

最後の買い物にABCストアに入る。例のアロエクリームを買い込もうと店内を探す。ない。店員に、角形のボトルに入ったアロエクリームは今もう製造していないのかと質すと、懐かしそうな顔になって「アレ、イマ、モウナイ。日焼ケシテモ、皮メクレナイ。日焼ケ、キエナイ、アレナイ」「アレ、効き目あるね、何本も買うつもりで来たんですよ」「今コレニナッタ。マウイ・ベーブ。マウイ・ベーブ、日焼ケキエナイ、皮メクレナイ。トライ、トライ!」テスターで肌に擦り込んでみると、あのアロエと同じ感触だった。最初は白い。擦り込んでいくと、透明になって肌に染み込んでいく。「マウイ・ベーブ」の「アフター・ブロウイング・ローション」。これで僕の予定の買い物を終えた。

 

「レ・スポーツサック」を確認するために、今日2回目のDFSに入る。エスカレーターを上がりきったところで、ジャックポットをした。僕が当たったという。ギフト交換券を持ってカミサンが4階に上がる。「ギフト」交換のはずが、ご丁寧にも、もう一度、プラスティックの棒で籤を引けといわれる。棒の先が赤く塗られてあった。新婚らしいカップルが同じことをした。ドリンク券を貰って去った。

しかし、我々の女性担当者は、ヒルトンで面白いことをしているので時間を作ってくれと言う。僕が「面白いことって?」「90分お茶のサービスを受けながら、聴いてくれればいいの」「面白いことって?」もう一度訊く。「リタイアされた方?何処から?東京。え、にっぽん丸で!船客って何人ぐらい?」「面白いことって?」三度訊く。「アメリカ式のプレゼンテーションが、どんなものかお聞き下さいな。今日は時間が終わったけど、明日どうかしら?ヒルトンでコンドミニアムの分譲プレゼンを90分聴いてくれれば、100ドルの購入チケットを渡します」僕が「何処で使えるの?100ドル分は」「ここに戻ってきて使えます。にっぽん丸の方達、何人も昨日100ドル分使ったわよ」「我々には時間が勿体ない。プレゼン90分に戻り30分、下手すれば、貴重な我々の2時間半も費やすことになる。しかも我々は、DFSで14時までに買い終えないと、船で品物が受け取れないからね」こう言い返すと、途端に、これまでのにこやかさが冷め、「お時間ないわね、だったらこれどうぞ」と出されたのは、ドリンク券ではなかった。プラスティックの安っぽい飾り。「ギフト」という言葉は、客を釣るトリッガーだったのだ。

実は、カミサンが勧誘されている間に、秘かにその籤の棒を鷲掴みで抜いてみた。全部といえるほどの数が赤に塗られてあった。リタイアーにはコンドミニアム会員権販売、ハネムーナーにはドリンク券という販促策だったようだ。ABCストア全店の領収書100ドル分でマグカップ1個を進呈という販促のほうが、他愛なくて好感が持てる。

さて、4階から、目的の2階「レ・スポーツサック」へ降りるのだが、すべてのフロアーを回遊しなければ降りられない。下りエスカレーターがそうレイアウトされている。これもショッパーのストア動線の戦術だが、急ぐ者にはなんとも不便だ。

2階の「レ・スポーツサック」に、ワイキキのイラストをデザインした限定バッグはなかった。店員にこのことを訊くと、各店が独自であるという答え。妙な回答である。「レ・スポーツサック」全店でのハワイ限定品であって欲しいものだ。戦術か戦略か、購入意欲を失った。この会社の販売担当役員は再考すべきだなとDFSを出た。無いからといって、もう一度アラモアナ店まで行く気はしない。

1530分発のシャトルバスは、出たものと思って、正面玄関に出た。まだ発車前で停まっていた。幸いにも乗ることが出来た。

 

今日は、良く歩いた。疲れた。だがほんとはカミサンが一番疲れただろうに、僕は夕寝をしたらしい。18時に起こされた。

今日に限って夕食時間が早まっていた。ホテルの宿泊ツアー客は帰って来ないし、外食する人もいるとして、今夜は1回食だという。慌ててシャワーを浴びて、レストラン「瑞穂」に行く。高嵜夫妻が後から来て座る。やはり、夕食を1930分と思いこんでいたようだ。ハナウマベイで泳いできたという。工藤さんが来て、今朝のデッキゴルフ、ベテラン組を倒したと鼻ひくひく。良かった、ミセス長野も長坂さんも明後日から一緒にやりましょうと、健闘を褒め称えた。

P1020620 P1020605 19時からの現地芸能イベントは、子供のドラマーを入れた家族のハワイアンバントとダンサーで魅せてくれた。3人の女性と3人の男性フラは、衣装替えも5回ほどになるくらい、様々なバージョンを踊って演奏してくれた。イプを叩きながらの踊り、羽の付いたウリウリをマラカP1020649 スのように鳴らしての踊り、竹の棒、フィリを肩の後ろで叩く踊りなどを楽しめた。

船でなくホテルにスティしているのなら、気軽にサンセット・フラを見物に行くのだが、港から出ていくのでは遠すぎる。ワイキキ・ビーチでは、デューク・カハナモク像の前のクヒオビーチや、カピオラニ公園前の文字通り、サンセット・オン・ザ・ビーチでのサンセット・フラが見られる。かなり昔、日本の団体様に好評だったコダック・フラは、もう廃止された。夕陽こそ当たらないが、冷房完備のステージで、こうしたファミリアスな現地芸能を楽しめるのも、船の贅沢だ。明日は、そのデューク・カハナモク像辺りのビーチを歩くだろう。カミサンは、かなり若いときに長い間、ホノルルの知人宅にいたので、カハラやハナウマベイに行きたいとは言わない。明日もぶらぶらしよう。

カミサンがガイドブックで「レ・スポーツサック」の路面店を見つけた。シェラトンホテルとトップ・オブ・ワイキキの店だ。明日の出だしは、そのどちらかの路面店に、探しているイラストデザインバッグが有るかどうかで行動の時間配分が変わる。

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2007年9月18日 (火)

07.06.03 マウイ・ラハイナ寄港

目覚めたときは、既に投錨していた。上下の揺れが大きい。風が強いのだろうか。船内でのイミグレ面接がある。早めに朝食に出る。P1030886 P1030887

段々、朝食が簡単になっている。副食に塩分の高いものが多く出ているので、食べるものがない。なかなか僕には難しい。大好きな野菜スープには、煮汁にしっかりカリュウムがしみ出ている。ソーセージなどの練り物は塩分が強い。1日6gというバランスで摂ればいいものの、麺類には眼がないので、そばつゆを避けるわけにはいかない。朝は、オートミールにヨーグルト、それに野菜ジュース、フライドエッグで終わり。

 

面接は、いつも、5階の船客から順に始まる。いま、3階の奇数番号室まで来たとアナウンスがある。最下層、1階の船客までには、まだまだ時間がある。レストランから見る左右の窓の先は、景色が上下している。マウイ島の横は、ラナイ島。晴れていても波が高いのは、島と島との間を風が吹き抜けていると言うことだろうか。マウイ島は西と東2つの陸地が噴火によって繋がった島で、それぞれ、海の玄関ラハイナと空の玄関カフルイに別れている。

島を遠望すると、ヨットのポールが林立しているところが、小型船舶の港だろう。高い煙突の処は、おそらく、サトウキビ工場の跡ではないかとは、デッキにいる船客の声。右手に立派な建物があるが、あれは、古い時代のパイオニア・インであるはずもなく、誰も答えてくれないので判らない。P1020347 長い裾野の左手先にビル群が立ち並ぶ。それこそがカアナパリの有名なハイアットとか、シェラトン、ウエスティングなどなどだろう。山の上に、少し、パームツリーが見える。たぶん位置からすると、カアナパリのゴルフ場ではないか。そこまでシュガー・ケーン・トレインが走っているのだろう。

10kmを30分で走る小型の観光列車が、14本とは、いかにも少ないが、1車両しかないのだろう。それにしても、発車時間に間に合わないときは、シャトルバスを捜さねばならない。ガイドブックで確かめると、白いバスだ。ホロ・カア・トランジット(Holo Kaa Transit)という会社だ。これも、1時間に1本の運行とあるからには、1台のシャトルバスが往復しているのだろうか。料金も良心的に1ドルである。

ハワイロケは多かったが、オアフ島以外はモロカイにしか行っていない。マウイ島は初めての島である。ラハイナは、元ハワイ王国の首都。捕鯨基地としても栄えた街だという。ホエール・ウオッチングの出来るエリアだそうだが、ハワイ島から真夜中の航路だったので、鯨に出遭うことなどはなかった。

 

面接の順番が来た。預けておいたパスポートをスタッフから受け取り、ドルフィンホールでの税関員の質問を受ける。スタンピングされたパスポートは、出口でクルースタッフに再び預ける。こうして、下船入国には、にっぽん丸のボーディングカード(パスポートのコピーも内蔵)を胸にするだけで済むのだ。2階でアシスタント・ツアーコンシェルジュに、シュガー・トレインの時刻表はないかと訊ねてみた。すぐには判らなかった。

昼食も帰船せず、ラハイナの街で取ることに決めた。930分発の最初のテンダーボートで行こう。現地で何か買ったら入れ物に困るからと、黄色いデイバッグは背中に背負うことにする。シャワーキャップも入れた。突然のシャワーからカメラを守るには、その名の通り「シャワーキャップ」を活用したらいいんですよと高木さんから教えられた。此処で、ようやく手持ちの米ドルが使える。1ドル、5ドル、20ドル札を多くし、50ドル札は食事用とする。

 

松田さんからデッキゴルフをしようと電話が入ったとカミサン。下船するので欠席を伝えなくてはと後部デッキに走る。僕の代わりに長野夫人が参戦して6人で始まった。組み合わせは、白の菅谷・鬼界・松田組に対して、赤の工藤・長野・草浦組となった。ハードヒッター揃いの白組が案外、コツコツ組に負けることがあるかもしれないから、結果を楽しみにしていますと言い置いて下船する。

 

今日の通船出口は、1階からだ。アシスタント・ツアーコンシェルジュが時刻表のコピーを手渡そうとタラップ前で待っていてくれた。素早い対応にお礼を言う。Img_1938テンダーボートに乗り移る際、上下左右にステップが揺れる。波が荒い。午後のツアーに出る松田サエ子さんは大丈夫だろうかと気になる。 06年世界一周クルーズ時、下船客のケアをしていたフィリピンスタッフのエリーは、腕を折りそうになった。強い打撲で病院に行ったほどである。にっぽん丸の評判は、両足の弱った船客でさえ、スタッフが懸命な支えをして、0603_9_1p1020484異国の土を踏みたいという望みを叶えさせてくれる。その蔭でスタッフが怪我をしていることを船客は知らない。

 テンダーボートは、救命艇である。いざという時の食料も数日分が格納されている。頼もしい馬力でラハイナ港に白波を蹴立てる。10分ほどで着岸した。コーストガードマンが簡易ゲートを設けていた。ここで初めて上陸と言うことだ。

Img_1705 P1020353_2 左手前方にある木造建築物が、パイオニア・インというホテルだろう。カミサンがガードマンに、バニアンの樹は何処かと訊ねた。 親切にも一緒に歩き出した。10歩も歩いて先を指さした。目の前の公園の右奥に大樹があった。ハワイ最大の高さ約18mが涼しい木陰を創っていた。台湾でよく見た、太い幹から何本も枝が伸びて蔓が何十本と垂れ下がっているガジュマルの樹と同じ風景だ。バニアンの下で記念写真を撮った。日曜日なので、モンマルトルの丘のように、地元のアーティストたちが描いた絵がP1020357 展示即売されてあった。ぐるりと回ってみたが、買って飾りたいほどの絵は見つけられなかった。

これまで寄港地で絵を買ってきた。著名なアーテゥストの絵などはそうそうに買えない。僕が好んで買うのは、名もない画学生の、画家の卵の絵だ。いま家に掛けて絵は、20年前のNY近代美術館前の路上で売っていたペン画のNY俯瞰図だ。WTCが描かれてある。タイのホアヒンでは、夜見世で小さな水彩画を買った。クルーズの寄港地では、サンクト・ペテルブルグの橋の上で、画学生からエルミタージュ宮殿の雪景色を。ゴッホ美術館前の公園で、跳ね橋の絵を。ジュノーでは、樹木の中に隠れている熊の絵を3年越しで買った。旅の想い出にする絵が、残念ながら今回は一枚もない。

 

駅に向かおうと道路を横切ると、商店街を歩く高嵜さんと出会った。「あ、萩原さんのチケットも一緒に買って置きますから、どこかにいる高木夫妻を探して連れて来てくださいよ」そう片手を振って、すたこら去っていった。カミサンをそのまま駅に向かわせて、僕は元来た道に引き返す。公園から船着き場、商店の中を覗きながら早足で歩く。しかし、背の高いあの白い帽子姿が見つからない。

P1020371 結局、カミサンに追いついた。海岸道路に妙なバス停を見つけた。ベンチに旅行鞄が置いてある。大きな靴が脱ぎ捨ててある。妙である。カミサンを座らせた。合点がいった。奇縁写真を撮らせようという、トリッキーなPRツールだった。いかにも、ジョーク好きなアメリカ人の仕掛けである。張りぼての書き割りに顔を出させるような日本の観光地も、見習ったらいい。1本取られた!

しばらく先を歩き、右折してポストオフィスから、シアターを通り抜けた。南北に走る2km程のフロント・ストリートは、なんだか、ケアンズの街のように、懐かしい雰囲気がする古い町並みだ。それにしても、高木夫妻の姿がどこにも見えない。

Img_1741 古いシュガートレインが展示された奥に、停車場と言っていいほどに秘やかな小さな駅舎があった。大きく右折してトレードセンターを通り、ようやく駅に辿り着いた。どうやら、普通の観光客ならタクシーを走らせる距離のようだ。これまで、僕らは一度もタクシーに乗らないできた。1015分だとカミサンを急がせたが、僕の読み間違いだったことに気付く。悪かった。ひさしぶりに南半球から上がってきたせいか、汗ばんだ。紫外線も強そうだ。

P1020383P1020384Img_1754しばらくすると、探し回ったことも知らずに、高木夫妻が姿を現した。行き違いはあったが、ともかく今度の列車には間に合ったのだからと安堵した。 高嵜さんは、シニア料金に団体 優待まで交渉してチケットを買って くれていた。日本人は、言うべきことを言わないからいけない、と笑いながら、チケットを渡してくれた。確かにそうだ。ピカソ美術館で、シニア優待があるのに、カウンターの係員は何も言わなかったことで、クレームをつけたことを思い出した。

 

Img_1753 売店では、シュガートレインに因んで商魂たくましくトーマスのTシャツを売っている。日本で買えばいいはずなのだが、孫の稜が喜ぶぞと、まだ生まれてこない次男の子供の分とで二枚を買ってしまう自分を笑ってしまった。辺りを散歩していると古今亭菊の丞さんが独りで歩いてきた。ちょっとばかし、面白い写真を撮りましょうと誘った。パチリ。やがP1020394 て、そのトーマスに似た汽車がホームに入ってきた。いつの間には、ホームには、にっぽん丸の自由行動組が多く集まっていた。囲碁の山本正人先生もいた。あの場所を他の人にも教えた。バラバラとその樹の下に走り出した。女性達は怪訝な顔をしているが、帰ってきた男共は、にやついている。

 

Dsc02469 P1020415 今は観光列車となったシュガートレインが、シュシュッポッポと、ゆっくり走り出した。サトウキビプランテーションが全盛だった頃は、収穫したサトウキビを運んだ列車を観光用に再現したものだ。住宅地をImg_1835 P1020443 走り抜けると、道路よりいくらか高台になった線路は、左の海岸線に平行してプウコリイ駅まで続いている。ウエスト・マウイを列車から楽しむのだ。ラナイ島やモロカイ島の間に飛ぶパラセールを眺めたり、カウナパリゴルフクラブの中を通り抜けたりしながら、やがて沖から眺めていたあのホテル群が近づいてきた。ハワイのマスタープランP1020386リゾートの代表例だそうだ。カアナパリのコースは狭いから難しいぞとプレイしたらしい誰かが言っていた。ゴルフ場を中心に、シェラトンからリッツカールトンまで集まり、ショッピングセンターからコンドミミアムが、オアフよりも贅沢でゆったりしているとも聞いた。白砂のビーチは、「黄金海岸」と言うらしい。

P1020492 ミクロネシア、ポリネシアだけではなく、此処にも、先住民の生活を変えさせたのはアングロサクソンたちだった。 ハワイ諸島を統一したカメハメハ大王が、王朝の拠点として首都を構えた年に、アメリカの捕鯨船が来航した。以来、1850年代にアメリカの捕鯨船団の基地となったことで、急速に西洋文化が入り、学校や教会が建ち、英語教育まで盛んになったという。伊豆下田の黒船事件が、このマウイ島では王制の衰退も早めたことになった。

 

P1020435 P1020425 P1020441 車窓からホエラーズ・ビレッジを見下ろした。下車しないぞと、カミサンに合図した。往復チケットのまま、再び同じ風景を引き返した。既に1230分を回っているので、昼食を何処かで食べたい。

駅から、ラハイナ港の商店街に向かって歩き出した。傍に歩み寄ってきた山本先生が、「何も考えていないので、一緒させて下さいよ」ぼそっと言う。「ええ、勿論どうぞ。おそらく、高嵜夫妻、高木夫妻共々同じでしょうから、一緒に食べましょうや」

高嵜さんは、群れから一歩先を歩いている。その後ろをこれまた、僕が独り歩いている。歩きながら昼食を取る店を探す。パパラウラ・ストリート角の「サイゴン」も「マクド」もパスした。そしてパナエワ・ストリートのシアターを通り過ぎた。高嵜さんに「海岸通りには、多くありましたよ」と僕。フロント・ストリートに出る。角に「ロンギーズ」があるが、目の前のシュリンプが売り物の店の前で、記念写真を撮りましょうと、高嵜さんを誘う。例のベンチで座らせる。喜んでくれた。何人かが記念写真を撮った。結局、この店「ババガンプ・シュリンプ・カンパニー」で昼食をすることになった。まんまと、広告屋がこのしかけに乗せられたのだ。P1020462舗道に張り出したカウンターで、7人の席が創れるかどうかを訊く。
5分待ってくれますか」ヘッドフォンをつけた彼女が即座に返してくれた。カウンターの側面には『私の約束は約束です』と文字が書いてあるではないか。「いいよ」。仲間に伝えて、周辺をぶらつく。P1020487

時間になった海を眺められる席が空く。遠くに見慣れた赤いファネルから、蒸気 が立ち上っている。毎週ハワイ4島巡りの定期客船「プライド・オブ・アメリカ」(ノルウエイジャンクルーズライン)が、この港に停泊していたら、我々のにっぽん丸も小さくなっていたかも知れないが、今は、 どこの客船も投錨していないので、誇らしげに見える。Img_1891_2 P1020473この店の店内は、格言のような言葉が壁や梁に書き込まれ、至る所の柱に は、各州の車のナン バープレートがベタベタと打ち付けられてある。 観光客は、自分の州を見つけては指さして楽しんでいる。  

 P1020465
  呼んでもウエイターが来ないほどに繁忙を極めている。待つ間、寄せては返す波の音が快い。考えてみれば、海の上で生活してきているが、規則正しく浜に打ち上げる波音を耳にすることはなかったからだ。ローカルビアをオーダーしたが、この店には置いてなかった。ハイネケンのドラフトビアとなった。
P1020475クラム・チャウダーに、チキンの唐揚げ、小エビのフライとガーリックトースト、そしてオニオン・リング。塩分制限で口にしていなかった、大好きなクラム・チャウダーを今日ばかりは許して貰った。オニオン・リングよりオニオン・グラタンスープが欲しいくらいだ。大きなシュリンプは頼まなかったが、小エビでも店の名前をつけるだけあって美味い。Img_1912しかし、Img_1911ここのオニオン・リングよりは、マイアミ生まれのリブレストラン、三番町の「トニー・ローマ」のほうが、カラッとしていて断然美味い。それでも結構なボリュームだった。7人でシェアーして夫婦で約60ドル也。

 

P1020365 食後はショッピングで各自ばらつく。カミサンのスカート探しだ。ウエストギャザーにゴム折り込みのスカート。フラダンスの先生が身につけていたもの。「バウスカート」とかいう。ハワイに寄港したら、捜すことになっていた。

その前に着やすそうなワンピースに手が止まった。P1020488手頃な値段でもあるし、長く着られそうなデザインなので買いなよとカミサンに勧めた。そして、ゴムスカートである。あった。あった。ようやく1軒だけあった。カミサン、迷っている。ラストクルーズだから後悔しないように2本共買ってしまえと背中を押した。高いものではないが、日本で探すほうが大変そうだった。

歩きっぱなしだから、いつもならカミサンはこういう。「珈琲飲みたい」。ところが今日は、「あ、ハーゲンダッツ!」。シェイクとスヌージーのカップをそれぞれが口にしながら、港まで戻った。テンダーボートを待った。

税関員は手荷物すべてとボディチェックを怠らなかった。ただ、妙だったのは、「パイオニア・イン」にレンズを向けたところ、女性の税関員に撮影を禁止された。P1020360 通船に乗り込みだしたので、彼女に制止された理由を聞き出す時間はなかった。1901年にオープンしたホテル&レストランで、50年代までは西マウイにある唯一のホテルだった。今でも当時の木造建築で、捕鯨で栄えた当時の写真や道具が飾られているとか。1階はショップが入り、2階は客室だと聞いていた。不快な気分と疑問が残ったまま、帰船した。

 

18時に出港した。20分後、船は予想に反して朝の航路に戻りながら、ラナイ島の下を左折して外洋に出るようだ。

 

夕食時にカミサンの胃の調子が良くない。夜食を食べることにするというので、独りでレストランに出る。松田夫妻と同席をお願いした。そして、朝のデッキゴルフの戦果を聞いた。なんと、菅谷・鬼界・松田組が工藤・長野・草浦組との初戦は侮って敗れたという。結局11敗のドローに戻しましたよ、と苦笑い。松田さんが出掛けるとしていた午後のオプショナルツアーは、予定が変更されたという。島内の交通事故で幹線道路が交通止めを喰らって、所定の観光バスが発車時間に間に合わず、急遽、シュガー・トレイン乗車希望者だけを募って出掛けたそうだ。高嵜さんが、鬼界さん送別会食の記念写真を手にテーブルを回って配ってきてくれた。

 

 

結局、カミサンは夜食のために、ベッドから出てくることはなかった。2324分、船は、ついにマウイ島より下の海域に出てしまった。北緯20°14′、西経157°40′である。緯度はハワイ島の上部と同じところまで南下したことになる。明け方オアフ島に入港するための時間調整なのだろうか。

12時。とうとう、オアフ島、ダイヤモンドヘッドの真下南の経度に来てしまった。真っ直ぐ北上するのだろうか。見届けずに横になる。

 

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2007年9月16日 (日)

07.06.02 ハワイへ5

710分。船は、フルスピードで航行中だ。202ノットが出た。北緯15°25′の位置である。進路は徐々に右に傾斜し始めた。幸いにして波はさほど高くない。遠くで白波が立つくらいで、軽快に走り抜けている。

『南緯15°42′、西経155°31′、やや東の方に進路を振りました。ハワイ島まで350kの地点に来ております。速力195ノット、時速35k、天候は、東北東の風14m、気温245℃、水温261℃、波の高さ約15m。

夕方に、ハワイ島南東部のキラウエアに近づきます。日没は1805分。ハワイ島を観ることができるのは1930分。20時頃には、溶岩流の開口部を探して周回したいと思います。ハワイ島には、大きなカルデラを持つ火山のマウナウ山1427mが東南部にあります。河口部は、10k平方メートル。「永遠の火の山」と言われ、現在も1983年以来の噴火活動が続いております。

明朝3日の朝6時、ラハイナ沖合に投錨、テンダーで官憲署員を迎えに行きます。船内で入国審査を受け、9時下船許可となる予定です。夕方、18時錨を上げ、明後日、6時ダイヤモンドヘッド沖を通過、7時にはパイロットを乗せ、8時ホノルル港着岸。因みに、明日のラハイナの天気は晴れ、最高気温31°、明後日のホノルルも晴れ、30℃となっております』

 

朝食後は、デッキゴルフのスタッフ対抗戦である。4人の内1名は女性スタッフというのが条件だった。ところが蓋を開けてみると、女性は業務の多忙で調整がつかなかったようだ。急遽、3人対3人となった。

阿弥陀くじでの我々の選抜チームは、菅谷キャプテンの下、鬼界、草浦となったようだ。女性の不参加のため、残念ながら我々の松田サエ子さんが外れざるを得なくなった。サエ子さんは、昨日から、この対抗戦選抜選手としての緊張の余り、胃薬を多用していたと聞かされた。出馬しなくなったという安堵感よりも、むしろ、女性不出場の情報確認を前日にでも知らせてくれれば、胃も痛くならなかったのにと、残念がった。今朝までスタッフ側は、イベント準備の時間調整をしていたらしい。確かに、スタッフ対抗戦は、特別の緊張感だ。

昨年の対抗戦では僕も相当な緊張感を持った。チームが負けたら、キャプテンがメンバー全員へビールというペナルティを科せられていた。ビールは兎も角、毎朝プレイを重ねてきたジジババ組が、忙しく立ち働いていて、練習時間もない若いスタッフに負けるわけがないという自負があった。デッキゴルフのメンバーにも恥ずかしい思いはさせられないという責任感があった。結果的には勝ったのだから笑ってビールを飲んだが・・・・。

 

試合は、9時からスタート。3番ホール抜きの10時アップとした。スタッフメンバーは、強烈で確実なショットを打つカクジツ田実君、毎日午後のデッキゴルフ教室のインストラクターとして打ち慣れている場数の黒川君、5年ぶりだというが、運動神経が高そうな未知の高嵜君という3名。

対抗戦のジャッジを引き受けた。今回のスタッフのショットはパワフルだった。Img_16742番ホールから4番の距離が2ショットでクリア出来たり、4番ホールから5番への最長距離が、ホールの真横にまでショットして来たりするからだ。エリアの中に安全圏などないほど、何処にいても狙われたら、リンクの外へ弾き出されるのだ。命中すると、その衝撃度が凄い。パックが傷む。

彼らの全員が5番ホールをクリアして権利玉になった時点で、我々ジジババ、いや老練なImg_1680 船客選手の権利玉は、僅かに独りしか通過していなかった。固まって動く日本式捕鯨船団か、それとも、個人が独走する米国式先攻ロケットかと、昨日予測していた点からすれば、スタッフの戦法は、圧倒的なアメリカ型だった。面展開を意識した我々のパックは、固まっていたことが、返って不利になり、馬力のある高崎君に集中攻撃された。P10201741 試合は、なんと予定の半分、30分で片が付けられた。

2試合が出来るとして、雪辱戦をすることになった。メンバーが、萩原、塩野、工藤となった。これまた、不甲斐なかった。高嵜ロケット砲で遊ばれてしまった。平均年齢27歳くらいだろう。こちらの平均年齢は、70歳を越える。しかし、悔しい。航海中に、メンバーを組み立て直して再挑戦しないことには、船を下りられない!

 

敗因は、伏兵高嵜君の戦闘能力を侮ったのではない、知らなさすぎたことだった。あの右腕で送り出すショットは、これまでの誰よりも強い。しかも、胸の前にある位置からスティックのトップを送り出す振り子の幅がコンパクトなのだ。スナップショットがあれほど強いとは、感心するほかない。野球の投手とか、アメフト選手がボールを掴む鍛え上げた握力なのか…。高嵜君を封じる弱点を考えることにする。

 

昼食を終えると、カミサンのフラダンス教室の発表会が「海」で行われる。P1020181夫が、ノコノコとカメラを手に出ていくのも照れるが、ラストクルーズとあっては、記念に撮っておいてやらないわけにもいくまいと、6階に上がる。さすがに応援団がおおいせいか、前席はおろか、大半が埋まっている。奥の位置に幸い、空き席があった。 ウクレレ教室の演奏もフラのステージにも、まあまあ撮れそうなポジションだった。背中には、高嵜廣子さんや和田希公ちゃんが座った。「巧く撮ってあげてね」背中を叩かれた。益々照れて早く終わらないかと焦った。

P1020179

P1020188 ウクレレ教室の受講生による合奏から始まった。フラを習っている野村道子さんは、この教室でウクレレも買ったという入れ込みようだ。僕らの大学1年の時代には、オッパチ節夫(当時、粋がって大橋節夫をこう呼んでいた)やポス宮崎などのステージがいつもある喫茶店によく通ったものだ。下宿では、ルームシェア(当時は同宿といっていた)の友人と、ラジオから「プティット・フルー(ザ・ピーナッツ)」が流れてくると慌ててパイナップル型のウクレレを握っていたものだ。今、目の前で奏でている方々は、それより少し先輩達だ。ウクレレには、青春の心地よい響きがある。

P1020202_3 P1020214 ウクレレ受講生だった水本カメラマンは、今日はカメラを構えている。僕の脇で、片膝立ててて、ワイドと望遠の2台を使い分けていた。平野カメラマンは、必死になってフラダンスに参加しているお客様の顔写真を撮りまくっている。たしかに、売れる写真のチャンスである。きれいに撮られていれば、出演者は買うのである。

しかし、背後から、突然、カメラマンの平野君に、観客の男の声が浴びせられた。「立つなよ、こら!撮れないじゃあないか!立つな!…立つなっていうんだ!」自分の奥さんを撮っているに違いない。その声の方が、場をしらけさせていることに気付いていないのだろうか。

ああ、こうしたケースが06年次の世界一周クルーズで起きたプロカメラマン無視の事件だったのかと思い当たった。メインショーで客から出されたクレームだった。

添乗しているプロのカメラマンは、クルーズの記録として、クルーズの楽しさを伝えるウエブ掲載の素材として、船側から撮ることを託された業務であるにも拘わらず、船客から叱責を受けたのだ。船客はカメラマンの職務を咎めたのだから、これは暴言である。ストロボも光らせていなかったから、アーティストの邪魔にはならなかったはずであった。シャッター音が耳障りで音楽が楽しめないと小言を言ったらしい。その船客は、どれほど耳の肥えた方だったのだろうか。しかし、06年次は、素人の客の意見に船側が譲歩してしまった。カメラマンは憮然とした。しばらく、メインショーにカメラマンの姿はなかった。そのイベントの写真は、フェアウエルパーティの会場で上映されるスライドショーに欠けた。

今日の席でも、船客のデジカメは、見たところせいぜい3倍。しかも、両手を高々と前方に上げて、奥様のフラ姿を追いかけている。後ろの席に観客がいることすら忘れている。自働フラッシュがパカパカ光っている。ステージに届く光の強さはないのに、である。平野カメラマンの写真を買うことの方が賢明だろうと思ったのだが・・・。

こういう経験は、浅草のサンバ祭りでもあった。パレードの中で羽を背負ったパシスタを撮ろうと狙いをつけてアングルを決め、いざシャッターを押そうとする段になって、斜めから両手が何本も突き出される。手の先にはコンパクトデジカメと携帯電話のカメラが林立していた。結局、その百種観音のような手に遮られてシャッターチャンスを逸することが何度もあった。いかなるズームレンズも、二の腕が被写体の前に出てきては為す術もない。船内のプロカメラマンには、せめてアングルポジションをあげようではないか。シャッター音もリズムを刻めとは言い難いではないか。

演奏演舞が終わり、受講生全員がステージに立ち揃った時、僕は立ち上がって、出口近くで12倍ズームをパチリとやって、早々にエレベーターで降りた。

 

P1020233

夕食は、ホノルルで下船帰国する鬼界さんのための送別会食である。本来、高嵜さんが狙っていたのは、鬼界さんが対抗戦に勝ちを収めての祝勝会も兼ねさせたかったはず。この弔い合戦は、残った我々が後日、リベンジを申し入れる。

 

18時、弦楽四重奏をドルフィンホールに聴きにいく。「のだめ」出演の玉木宏にオリンの指導をしたというリーダーの須磨和声は、自称クラシック界のハンカチ王子として、照れながら、その動作を繰り返す。武蔵音大出身でもショーマンシップは未だ未消化だが、アレンジは聴ける。

アンコールが終わると同時に、8階デッキに上がる。風が強い。まだ、ハワイ島の溶岩流の白い煙が遠望できるが、カメラに収める位置までに船は近づいていない。0602p1020244 0602p10202690602p1020288





12倍のズームで覗けば、赤い火はチロチロと見え隠れするが、船の揺れで、フレームを外れる。火がネオン管のように糸をひく。日没前にもっと近づいていれば撮れるのだが、辺りが暗いため、シャッタースピード優先でも光が流れる。これは、ニューヨークを出港した時の自由の女神の灯りを巧く撮れなかった揺れと同じだ。波の上下の揺れに、船のスピードによる被写体の流れ、これは、アマチュアレベルのカメラの手ぶれ限界だろうか。レストランに行く時間が迫った。残念ながらその場を去る。

 

P1020298P1020312 1920分、右舷側のレストラン奥座敷に19人の席を創って貰っている。鬼界さんの送別会に、長坂夫妻も参加して、すべてメンバーが参集したことになった。 塩野さんがシャンパンを2本提供してくださった。塩野さんの乾杯の音頭で、大いに盛り上がった。草浦さんが鬼界さんの手を取って、なにやらご機嫌だ。ようやく、デッキゴルフ仲間の空気が出来た。これも鬼界さんの下船という、思わぬことが作りだしてくれたものだ。

P1020308 P1020307 P1020306

3つのテーブルに別れたが、我々のテーブルには、高木夫妻と草浦夫妻。これも、阿弥陀くじで席順を決めたのだが、期せずして名古屋関係が顔を揃えた。草浦さんは、21年間名古屋転勤族だったし、おまけに、覚王山のマンションということでは、僕と同じエリアに生活していたので、話は合う。そこへ、高木さんが、覚王山の「英国屋」へ紅茶を買いによく行っていたというので、またまた草浦さん大喜び。

Img_6255 Img_6266 明日も午前中デッキゴルフをしようという工藤さんに、高嵜さんからは官憲が乗船するから自粛した方がいいのではないかと意見が出た。

 

孫の出産状態が気懸かりで、5階のライブラリーのメールを開ける。無かった。帰りがけに、ドルフィン・ホールでの夜のダンスタイムを覗いてみた。P1020343身のこなしが巧い男性が独り眼についた。曲がマンボになったら、 P1020324 彼は、3人の女性を相手に踊りだした。男性の姿は二人の教師を含め、5人。それに引き替え、女性は、156人。ホールに出て踊っているカップルは従って、疎らである。生バンドが勿体ないなと思いながら、6階から写真を撮って帰る。

 

船は、ハワイ島の下、南東部から北西へ大きく回り込み、その先のマウイ島の下、南部から再び斜め北西へ上がりラハイナへというコースらしい。

現在、2435分、北緯20°12′、西経15529′で、ハワイ島の北を抜けようとしている。

 

明日のラハイナではシュガー・ケーン・トレインに乗りたいわと宣うカミサンの要望で下調べをする。列車は、カウナ・パリ・ゴルフ場までの6kmをゆっくり2時間かけて、毎日4本走らせているという。約20ドル。その駅までは港から徒歩5分かかる距離だということまでは判った。ツアー組は、午後の乗車チケットの予約が取れている。あ、そうだ。バニアンの樹も観たいと言っていたな。我々は出来るだけ早く下船して、駅で直接チケットを買おう。

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2007年9月12日 (水)

07.06.01 ハワイへ4

5時に目覚め、730分に顔を洗う。海は白波が立ち、少し荒れ模様。船は、184ノットだから、少し抑え目だ。進路は変わらず、直線で北上。空は、青霞のように、うっすらと眠い。

『風が強くなっております。北緯8°02′、西経156°43′、進路は9°。ハワイへ1200kの位置にいます。速力18.5ノット、時速34k、天候は晴れ、東北東の風15m、右横の風ですので、デッキへの出入りで指を挟まれないように気をつけてください。気温265℃、水温275℃、波の高さ約2m。北東の貿易風が吹き荒れています。

明日の夜、21時前後、キラウエア火山の近くで溶岩流が見られるかと思われますが、ラハイナへの入港時刻を考えますと、短い時間しか留まれないかと思います。ラハイナの天候は。晴れ、気温31℃』

 

「指を挟まれないように気をつけてください」は、03年次の大西洋横断の荒れた海を思い出す。自室の洗面所で背中のドアがいきなり開いた。きっちり閉めていなかった。軽い気持ちでドアの取っ手に手をかけたときだった。生き物のようにドアが噛みついてきたのだ。不意を喰らって大声を上げてしまった。切られたかと思うほどに痛みが手全体に来た。見事に右手の親指は紫色になり、指の肉は衝撃で凹んでいた。この痛さで暴れ馬のような大西洋の怖さを知った。木造船でピュリタンが新大陸を目指した時代の苦難を想うにぞっとしたものだ。尤も、06年次の大西洋横断は余りにも拍子抜けの平穏な波浪だった。さらにクルーズのベテランになると、揺れない船なんて乗っていて面白くないわよと笑われる。その彼女が今回は乗船している。横浜の元女医さんである。

 

Img_1606 その波が荒いデッキにレギュラーは全員集まった。先攻白の松田、工藤、鬼界、塩野+αに対して、赤は高嵜、菅谷、萩原、草浦、松田サエ子。αというのは、不足した人数を補うために、順番を交互に替わるのだ。

鬼界さんが3番ホールで、松田さんが4番ホールで留まっていたので、工藤さん、塩野さんの二人に菅谷、草浦、萩原が囲まれて集中攻撃を受け遅れてしまう。終盤ホームの周りは、菅谷・萩原の二人に対して白は誰もゴールしないまま、工藤、塩野、松田、αが残っていた。だが、多勢に無勢。フレームアウトを繰り返している間に連続ゴールされ、負けた。工藤さん、草浦さんの二人から早くもホールイン・ワインが出た。

 

メールをチェックしたが、ヒートアップしてくれるなと心配の忠告メールが1本入っていた。次男は、日本から直接電話をしてきた。然し、まだ出産したわけではなかった。竹の塚のご両親も、上野にいる義妹も、この若い夫婦のために一日おきにカッパ橋のマンションに顔を出し、面倒を見てくれているようで、日本を離れている我々には、有り難くもあり、申し訳なくもある。

ようやくNHKTVが観られるようになった。九州は梅雨に入ったという。熱海に住んでいたらしい石立鉄男が死去。享年64歳だった。

 

昼食は、松田夫妻、高嵜夫妻と横並びに座った。食事が終わったのを見計らって「鬼界さんハワイ下船送別会」を検討し、63日、ラハイナ寄港の夕食時とした。19名の同席を平チーフマネージャー、浜畑サブマネに僕が頼みに動く。快く了解を得ることが出来た。懸案事項が終わったので、その勢いで、席を回って午後のデッキゴルフ有志を募った。

1530分から、高嵜、松田、塩野、草浦、菅谷そして鬼界と揃った。

_1591先攻白に高嵜、松田、塩野。赤が草浦、鬼界、菅谷、萩原の組み合わせ。ゲーム展開は、我々の草浦さんがダントツで4番ホールを抜けた。ところが5番ホールに向かう同じ進路で、2番ホールに進む敵から集中攻撃を受けてしまう。権利玉で自由に暴れるタイミングが狂う。高嵜さんはホールワインをしたものの、鬼界さんが巧く抜けて先にゴールを奪う。草浦さんがホームをクリアし、僕も高嵜さんを場外に押し出してゴールをした。勝負は、高嵜対菅谷、草浦の戦いに委ねた。高嵜さんが1回休みになっている間にホームを落とせれば勝ちだ。

 

「左舷にイルカの群れが見えます!」デッキのスピーカーから突然アナウンスが流れた。息詰まるところで、ゲームは中断した。高木保彦さんがカメラ片手に後部デッキに走り込んできた。左舷側に急いだ。水しぶきが上がる方向を見つめた。時折、小さなイルカらしきものが波間すれすれで飛び出している。ジャンプ力が足りないのか、まだ幼いように思える。カメラを構えたものの、後部デッキでは遠ざかる一方だ。人が諦めて立ち去る。ゲーム再開だ。

草浦さんが慎重にホームを狙い、上がった。高嵜さんは、場内に戻っただけ。続いて菅谷さんも巧く外枠にシュートした。もう1度、横打ちしてゴール!勝った。日射しの弱まった夕方は、波の高さを除けば、快適なゲームタイムだった。

 

撮り逃がしたイルカだが、平野カメラマンが自分の撮った写真を再生して見せてくれた。背びれはあるが、カジキマグロのようでもある。それにしても、アナウンスのタイミングが遅いというのが、後部デッキにカメラを手にして集まった船客の不満だった。今回クルーズは、時期的にも海洋動物が北上していて、なかなか現れないことをはっきり言うべきではないか。妙な期待を持たせすぎていないか。

 

カミサンはフラの教室から帰っていた。因みに、本日のイベントを挙げてみよう。ソシアルダンス教室、エンジンルーム見学、水彩画教室、フィットネス・エクササイズ、囲碁教室、ハーモニカ愛好会の集い、ウクレレ教室、デッキゴルフ教室、アートクラフト教室、アフタヌーン・シアター、デジカメ教室

僕は二度目のシャワーを浴びた。今夜は「赤道祭り」だから、ドルフィン・ホールでのメインショーはないものと思い込んでいたが、6階のラウンジ「海」で、ネオ・ストリングスの演奏があるという。誰のことだろうとエンターテイナーの出演ガイドを見る。載っていたのは須磨和声カルテットだった。汗をひかせる時間が欲しい。もう時間に間に合わない。諦めた。

明日の対抗戦は、スタッフの都合で4人揃わない、3人の参戦しかできないという電話連絡が来た。8人ではなく6人のプレイだと、敵味方のパックがリンクに散漫になるため、勝つには余程の戦術を要する。日本式捕鯨船団か、それとも、米国式先攻ロケットか。まあ、キラー・コンドル菅谷リーダーのお手並み拝見としよう。

 

夕食は特選和食である。因みに、メニューを書いておこう。

Img_1672前菜:さざえの壺焼き。鍋:豚トロしゃぶしゃぶ、造り:鮑の殻造り、焼き物:鮎の姿焼き、蒸し物:松茸茶碗蒸し、小鉢:数の子、香の物:白菜のおくらぬか漬け、つぼ漬け、胡瓜の韓国風漬け、ご飯:松茸ご飯、デザート:ライチ、キウイと錬り切りあやめ、飲み物:日本茶。

トンしゃぶに、若鮎の塩焼きが出ていた。鮎は、空輸してきたのだろうか?「鮎は、本日が解禁日だぞ!?」隣席の小田さんから疑問が投げかけられた。そう言えば、オスロか北海の洋上で「鱧(はも)」料理が出てきたのにも驚かされた。鰻だって空輸しているに違いない。早速、鮎の疑問を平さんに投げた。

「いああ、みんな日本から積んできています。野菜や果物、卵、ヨーグルトなどは現地調達が容易でも、魚や肉、日本独特の食材の大葉などの多くは、仕入れが時間的に不安定では自慢の献立に影響しますので、冷凍をしてでも積んでいますよ、ウチの料理は。料理部門も自社ですからね」と得意げに話してくれた。これで、疑問は一掃された。

 

P1020162 2115分、今は船の後部が一番重いはずだ。ドルフィン・ホールに360余名全員が押しかけている。初めてが一堂に会しているようなものだ。夏のジャケットを着込んだが、ホールは暑いくらいだった。2階席から観るという開放感、この吹き抜けの高い天井ホールを有するのも、にっぽん丸の自慢と言えるのではないか。既に同じシナリオで、にっぽん丸の船客出演の「赤道祭」寸劇を観るのは3回目になる。2回の世界一周クルーズとの演出の違いは果たしてあるだろうかに関心がある。出演者は素人である。スタッフの出演は別として、宦官役の冨田さんを除けば、船客は初めての役だ。プロンプターが居ながらトチルのが、観客の爆笑を誘う。十八番の役をこなす冨田さんでも、石橋演出は本番でのアドリブを許さないそうだ。 理由は、終了時間の厳守が あるからだという。 菅井さんが 先鞭を付けた06年の 講釈 師役が今回も継承された。乙姫様の見事な歌が口パクなのも同じ。違いは、北海王と南海王の登場に、初めて歌舞伎の布波を採り入れたことだった。 そして、1年前よりも調整卓には、新機能が加わったような気がする。それほどにミクサーの腕が上がった。

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リピーターが80%の観客では、石橋演出もさぞ、難しかっただろう。フラダンスをステージに誘い込む役に進行上、蘇君を起用したのが唐突であるなと想った他、今回もキャスティングは当を得ていたと思う。船客の全員が観に来てくれているという空気は、出演者冥利に尽きるのではなかろうか。出演者の殆どは、明日から船内の人気者になる。そして、役名で親しく呼 ばれることになるのが、毎回である。海の神から赤道通過の鍵を受け取って、これで、ようやく現代のラピタ人も無事にハワイ島へ着けるというものだ。

 

今夜は何処のバーも素人演劇の出来映えに褒め言葉やねぎらい言葉で相当に姦しい夜になるだろう。

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2007年9月10日 (月)

07.05.31 ハワイへ3

昨夜も22時には横になった。だから、6時から日誌を打ち始めている。

 

『海が波立ってきております。北緯0°38′、西経157°12′丁度今朝54955秒で赤道を通過しました。現在は、クリスマス島110kmの位置にいます。速力185ノット、時速34k、天候は晴れ、東北東の風10m、気温26℃、波の高さ約85m。

1130分頃、クリスマス島の横に入ります。クリスマス島は、キリチマチ島と呼ばれ、フレンチポリネシアとハワイの間にあるキリバス共和国の島です。赤道の北側で、ライン諸島の中でも大きな島です。レストランのテーブルに置かれてある「クリスマス島の塩」は、この島で採取されました。1777年、英国人クックが発見したときは無人島でした。1962年には、米国の核実験基地にもなり、1979年、英国から独立して、キリバス共和国となりました。島の周辺には魚が多く、国鳥のグンカン鳥や鰹鳥、アジサシなどが観られます。ヒッチコック監督の「鳥」のロケ地でありました。

日本とは、島の北側の土地を利用した宇宙開発事業計画が結ばれているということです。

ハワイのキラウエアで溶岩流が見えているという情報が入ってきました。キラウエア火山を通過するには少し大回りの航路をとる必要があり、船はそれには、大周りをしなければなりません、海が荒れないことを願って、フルスロットルで、キラウエア火山に近づくように努力したいと考えています』

 

さて、デッキゴルフ決勝戦に向かう。15分前だというのに、既に野村さん以外は全員集合していた。我々チームが今回勝たないと、すべてがご破算になるという。つまり、3チームが一勝一敗となるからだ。これでは、今夕の優勝式が成立しないと、事務局長・高嵜さん。

_1592 Img_1564野村さんが顔を見せたことで、ゲームスタートとなった。1番手を鬼界、2番手野村、3番手松田、4番手が僕。かなり速いペースで、1番ホールを陥落し、2番から3番に走る。松田・野村コンビネーションが巧く P1020067_531 Img_1586 行っている。 鬼界・萩原も交互にホールを陥れ、5番ホールで全員が権利玉になっ たとき、菅谷組は、まだ誰も5番ホールには近づいてもいなかった。 一気呵成にとゴールに集結する。

 最後は、工藤、菅谷の古豪をフレームアウトして、僕がゴールすることでゲームセット。快勝だった。

昼食にまだ時間があるのでと、リーグ戦の終わりを待ってプレイしたくなった仲間と、もう1戦通常戦をすることになった。「3番ホール抜きの全員上がり」ということで、チームを再編成する。

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最初は、赤に2番ホールから3番までを占拠された。鬼界、菅谷、萩原にミスショットが多かった。それが草浦、高木にも感染して、敗色濃厚だった。なにしろ、僕自身がミスの連続で2番ホールさえも通過していないありさまなのだ。後半、2,4、5番ホールへ急いで追いついたところで、ホーム周辺でホームを狙う赤の高嵜・工藤の2人が

白の鬼界・菅谷・萩原の3人を迎え撃つ格好。何度ものパックの置き方に慎重を期し、作戦を練り、最後は、高嵜・工藤の2つのパックをなんとかフレームの外に弾いて、我々3人が辛くもゴールをクリアした。最初の不利なゲーム展開を跳ね返して、これで本日2連勝。Tシャツの汗は、世界地図を描いていた。

Img_1621 クリスマス島を遠望しながら航行した。確かに、本島は、低く長い島影だった。この島には、08年日本の客船、ぱしふぃっくびーなすが寄港するはずだ。

地球の誕生が45億年前、人類の出現は200万年前。この長い歴史の中で、産業革命以来たかだか200年で地球環境は壊滅的に破壊されている。森林は消滅し、二酸化炭素は消え、地球の温暖化は進み、そして破壊は続いている。世界で初めてユネスコの世界遺産(自然遺産)として登録されたガラパゴス諸島も、15年間で観光船の滞在日数が増えたり、道路の整備もされたりして移住者が増えたという。こうしたことが、多くの外来種の持ち込みで、皮肉にも、今では危機遺産リストに入って

しまった

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温暖化で深刻な環礁島国、ツバルに観光客が押し寄 せているという。対策を持たない観光客が、帰国後に、温暖化の現実をどうアピールするかにかかっている。現在の異常気象は、1960年代、70年代の排ガスの結果だそうだが、現代人がいくら、エコ生活を努力しても、全世界に張り巡らされたコンピューター通信の発熱量は、今後も決して減らないのだとすると、これまで訪れた環礁島の生活に戻らない限り、これからも益々炭酸ガスの影響が出てくる。そして、トンガを始め、諸島に西欧文化の浸食は、どう考えればいいのか。それは、缶詰文化による健康障害という弊害ではなく、さらに風俗習慣さえも消滅しかねないことを、この航海で考えさせられる。

 

メールのチェックにライブラリーへ上がった。丁度、孫の出産予定日なので、今か今かとメールの来るのを待っていた。やっと次男夫婦からあった。未だである。相当大きく育っているらしいので、帝王切開も辞さずと書いてきた。例の初老の人物の言動について、船友の一人からは、「デッキゴルフ人口が増えることこそ喜ばしいと思うべきではないか、スティックで叩いてやりたいでしょう」という文字が返ってきた。そう思う反面、なんとかお会いして、デッキゴルフの歴史をできるだけ訊いておきたいというのが、今の気持ちだ。

 

昼食は高木夫妻と同じテーブルになった。ボラボラでの飛行体験で免疫がついたかと敏枝さんに訊かれ、カミサンは曖昧に答えながら、出来れば、ニューヨークとか、シドニーからの外国船クルーズが最後にしてみたいと本音を吐露していた。しかし、それは飛行機でなければ実現しないフライト&クルーズである。敏枝さんへの答えになったのだろうか。

食後、カミサンは水彩画教室に7階のリドデッキへ出て行った。Tシャツに染料絵の具で描くのだと張り切っていた。

15時、船は、針路を西北から西経157°と真上へ取った。

 

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_1644 16時、7階リドデッキ横で表彰式である。僕が毎日エクセルに打ち込んできた星取り表をプリントして渡す。そこには、勝手ながらリングネーム、いや馬名、いやプレイヤーズネームを勝手に書かせて貰っている。06年のメンバーは、以下の通り。

Img_1648 オートボケ・デビル高嵜 伸さん、スイスイ・マダム工藤俊枝さん、キラー・コンドル菅谷 潔さん、ロング・キング松田史郎さん、ナイス・チョット松田サエ子さん、そして南洋クルーズには乗船しなかったフランク・ユージロー山縣治郎さん、ユメレン・ファイター横田 晟さん、グリーン・キャッチャー西出栄市さん、アルバトロス・コロス横山皓一さん、ジャッジ・ジイー中島和男さん、ノイジー・サンダル菅井美子さん、ニコット・ダンシング高橋信夫さん。

07の今回新たにデッキゴルフメンバーに加わったのが、ハット・フィッシュ塩野芳夫さん、スレンダー・アーム野村道子さん、ショットガン・トール高木保彦さん、デッキ・ダンサー高木敏恵さん、オシショウ・ネエ鬼界とみえさん、シビ・ベレー草浦裕さん、ネプチューン・スター長坂勇二さんだ。名前の由来を説明して全員から了解を得た。

 

優勝チームとなったのは初めてだ。今期間は、ホールイン・ワインが多く出た。14本だった。金額換算で、28000円の商品代と宴会費用が捻出できた。このため、高嵜廣子さんとカミサンが参加した。船内の自動販売機で冷えた缶ビールとウーロン茶他を買い、高嵜さん持参のポリバケツに氷を入れて運んである。おつまみは、やなり売店で買い込んだり、有志が持参したり、宴席?が出来た。

さあと、最年長者82歳のキラー・コンドル菅谷さんがP1020073乾杯の音頭を取る。歓声が上がる。しばらくは、戦況の解説が始まる。たらねば話で、悔しがる。 プールサイドに人はいない。フィットネスコーナーにも、いないようだ。大声になっても気にしないでいい場所だ。夕食前のひととき、バケツに山盛りの缶ビールが、たちまち減っていく。

 

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高嵜さんが予めブティックで買っておいた商品を手にして立ち上がった。 第2回優勝チームが表彰される。そして、2位、いや準優勝、そして最下位、いや第3位と、それぞれに商品と参加賞が手渡された。野村女  史、Img_1660いや事務局長秘書の野村さんが、優 勝者リーダーに野村賞を用意していると、キャプテンハットを差し出した。大いに照れながら写真に収まった。

こんな小さなことでも大の大人が顔に皺寄せて笑い合う。やっぱり、同じ船友、いや戦友は気持ちがいい。塩野さん、草浦さん、鬼界さんは、僕にとって初めての船友になるのだが、このわだかまりの無さがとても気持ちがいい。

ビールを注ぎ会う内に、塩野さんに問いかけられた。

「あかん!ってゲーム中に何度も口にされるね、萩原さん。上野に住まわれているのに、関西の人かな?」「元々高校まで名古屋の人間です」に、隣の席にいた草浦さんが小声で「名古屋にいたの?」と眼を大きくした。「私は21年間も名古屋に単身赴任していたのだ」と言いだした。 これには驚いた。しかも草浦さん、「覚王山の日泰寺の近くのマンションだった」という。僕の単身赴任のマンションも覚王山だったから、懐かしい。付近の店を挙げていくと、頬がゆるむ。カレーの「英国屋」も土手焼きの「たこ八」も知っていることから、二人だけが肩を叩いて喜び合う。他の人には判らないからである。意外だった。予想外だった。日本は狭い。意気投合したきっかけは、塩野さんの質問からだった。名古屋弁が、人をさらに結びつけたのだ。

各チーム同志で記念写真を撮る。

明後日は、阿弥陀くじで選出した我々の代表選手とスタッフとの対抗戦である。キラー・コンドル菅谷、オシショー・ネエ鬼界、シビ・ベレー草浦に、みんながエールを送る。

P1020078そして、僕から鬼界さんの送別会を提案してみた。出来れば場所は、ダイニングの「奥座敷」にしたい。幸いにも、06年次の悶着はないだろう。食事の2回制で、2回目はテーブルに余裕があるからだ。鬼界さんからは、にっぽん丸か、ふじ丸のワンナイトクルーズに乗って、横浜~神戸間で、関東軍と関西軍のデッキゴルフをしましょうと。この高揚した空気感はどう説明したらいいのだろうか。和気藹々の内にリドデッキの表彰式兼飲み会はお開きになった。
 

P1020092今夕はハワイアン・ナイトだそうだ。カミサンは張り切ってフラダンス用の衣装で出掛けた。ハワイアンバンドのアイランドウインズの演奏に引き続いて、フラダンス教室の女性たちがステージ上がるようにと先生に言われているようだ。まあ、ビデオも買って練習していたのだ。楽しめばいい。

 

さて、予定通り、演奏が終わり、教室受講生がステージに呼び出された。全員が出てくるものとばかり思って、野村さん とカミサンが出ていった。聞けば、フラダンス教室は、盛況でフロアーが一杯になるほどだそうだ。ところがどうだ。生バンドで一緒に踊りましょうと呼びかけても、二人以外は出てこなかった。そんなカミサンに拍手したい。

 P1020096P1020100

夕食は高嵜夫妻、高木夫妻、それに野村さん、囲碁の山本先生で同じ場所に固まった。背後には、野村女史と片山先生ご夫妻、瀬戸ご夫妻、そしてシップドクターが笑い声を上げながら 楽しそうにテーブルを囲んでいる。

P1020113ブッフェスタイルだから、僕が食べてもいいという料理の選択範囲は狭い。フルーツカクテル、小龍包に巻き寿司、マンゴ。それで済ませようとしたら、フィリピン・スタッフのニックがにこにこして、椀子うどんを持ってきてくれた。麺類が好きだということを知っている。ケーキもコーヒーも断ってお茶で終えた。実は、今回、ウオーキングマシーンを使っていないので、徐々に徐々に肥ってきたことが判る。太っ腹と言われても喜べない。太鼓腹になってきたので危ないのだ。後2週間、これ以上重くならないように気をつけよう。

 

ラウンジ「海」で古今亭菊の丞の落語があるが、オーバーランドツアーをしている間の航海日誌が空白である。気持ちが消えていないうちに、忘れないうちに、書き込んで置かねばと、部屋に戻った。ドア下に差し込まれていた船内新聞をカミサンが手にしてから、ややあって、「あ!!あなた、当たってたわよ、」

P1040875 赤道通過時刻が一番近かったのだ。僕が1位で、2位が高嵜廣子さんとある。正確な時刻は、「54955秒」。僕の予測は55020秒。高嵜さんが55030秒だった。いずれにせよ、二人とも1分以内の誤差だったことは誇らしい。きっと、高嵜廣子の本当の計算者は、高嵜伸さんだろう。

 

ペットボトルのナチュラルウオーターが硬水続きだったせいなのか、便秘勝ちなのだ。オート・ヴァイブレーションで腹部や腰を揺さぶってこようと7階に上がった。10分で1時間歩いたことになるというやつだ。後1分で終わりになる頃、コブチャンこと、藤川君が、ハワイのガイドブックを手に現れた。隣のウオークマシーンで歩き始めた。会議が今終わって、やっと自分の時間が出来たという。ツアースタッフは、寄港地が近づけば、ツアーの段取り打ち合わせで、睡眠時間も満足に取れないと聞いている。確かに、限られた人数のスタッフでケアをしてくれている。お疲れ様!船客の評判で、契約年数が延びることもあるのだろう。コブちゃんは、中でもピカイチの質を評価されている。にっぽん丸を下船した時でも、空路で、観光客のツアーコンダクターをしている。北海道の自宅にいる日が少ない。身体の話、あれやこれやの話で激励して帰る。

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2007年9月 5日 (水)

07.05.30 ハワイへ2

昨夜22時には横になってしまった。このために真夜中の115分に目覚め、続いて430分、7時だった。人間やはり就寝時間を早めれば、朝早く起きられるのだ。毎朝5時起床でスポーツデッキでのラジオ体操に出る高嵜さんは、いったい何時に就寝するのだろうか。昨夜の夕食会での記念写真がドアの下に差し込まれてあった。パーサーオフィスから届けられていた。

 

『南緯6°21′、西経154°25′、赤道に410マイルの距離に来ております。速力192ノット、時速35k、天候は晴れ、東の風7m、気温265℃、水温29℃、波の高さ約15m。今晩から明日にかけて満月です。赤道通過は明朝5時か6時の間に通過。クリスマス島は11時に通過予定です。』その後は「トン数」の解説が続いた。

 

オートミールと黒酢ドリンク、ヨーグルト、ボイルドエッグの朝食を終えてデッキに向かった。今朝は、赤道通過記念リーグ戦である。

 

1戦は、高嵜組対菅谷組。僕はジャッジを引き受ける。リーグ戦ともなると、誰しもいささか緊張気味になる。P1030334

「クリスマス島をいい気分で眺めましょうや!」誰かが大声で叫んだ。これで、いくらか空気がほどけた。明日のクリスマス島を通過するときには、優勝チームが決まっている。天候は申し分ない。

ゲーム展開は、非常に面白かった。高嵜、高木夫人、松田サエ子、工藤と女性陣を率いた高嵜組が、草裏、塩野、高木といった男性陣の菅谷組に快勝したのだ。デッキゴルフ最古参の「スイスイマダム」こと工藤さんと、「ナイスチョット」こと、小技の本領が発揮された松田サエ子のタッグチームが前線を走り抜けたからだ。2連敗していた高嵜大将も、いつもの渋いポーカーフェースを忘れていた。ある不愉快なことを除いては、だった。

白熱?していたプレイの最中、初老の方が、声を荒立ててこういって通り過ぎていった。

「デッキゴルフは、通行する人のためにはプレイを中断するものだ!私はこのデッキゴルフを、猪狩君と最初にやった者だ!」P1010137

いきなり、背中から言葉を投げつけられた思いだった。メンバーは、あっけに囚われた。「…済みません、ストップ!」とジャッジ役だった僕が答えて、プレイは当然、中断した。

これまでも、横切ることがはっきり判っている時には、手を横に広げて、一方の手で、道路工事の誘導バイト宜しく、進路へ手を伸ばしていたから、メンバーは、彼の後ろ姿をいつまでも見つめていた。

やり過ごしたものの、腹が立って収まらない顔は何人もいた。デッキゴルフを最初にし始めたと言うからには、絶好の機会である。話を伺うことが出来る。あらためて別の席で訊ねてみたいものだ。しかし、誰もその方の名前を存じ上げない。

1,最初にされたというのは、確かか?南米航路ではなかったか?

2,当時のデッキゴルフ・リンクは、ウッドかゴムシートか鉄板か?

3,その当時はプロムナードの一部を使っていたか?

4,ルールはどこまで確立されていただろうか?横打ちなど訊きたい。

 

そういうコネクションとは別に、突然の怒声を浴びせられたことは、どうも割り切れない。我々のメンバーは、既ににっぽん丸でのデッキゴルフを260戦以上もこなしている。そして、たとえプレイに夢中になっていたとしても、通行人をいつも塞いではない。今航海でも、毎朝定時の9時にプレイしていることは船客なら周知のことである。プロムナードを何周もする方なら、その歩調でそれと判るが、歩調が緩んだ人の中には、デッキゴルフに関心を持ち、しばし見学しようとする人さえいるのだ。Dscf7104 我々にしてみれば、日本の客船では商船三井客船系でなければできないというデッキスポーツを存分に楽しもうとして乗り込んでいる。そして同好の士が増えることを願っている。特に本朝は、航海中の何度目かのリーグ戦の最中でもあった。午後からの教室に多くの初心者が集まっている。デッキゴルフを最初に始めた方なら、この熱い高まりを喜んでいただきたかった。機会ある毎に、このにっぽん丸でのデッキゴルフを伝えてきている。このメンバーの中には、Dscf7105デッキゴルフしたさに乗船していると言い切れる者がいるほどだ。 それに比べれば、船内には、毎朝のラジオ体操からフィットネス教室、そして自働歩行器やエアロサイクルのような設備もある。定時にプレイしているデッキゴルフの時間を避けることも出来るはずだという意見も出た。船尾に海洋動物が現れたとか、特に島巡りという航路ならいざ知らず、お叱りを受けたのは、島影も無い洋上でのこと。重ねて言えば、歩行者が必ずしも通過するとは限らず、足を止めてプレイを眺めている方もいらっしゃる。このことを考えれば、「通りまああす」の一言声を掛けてくだされば、むげにそれを妨害する者は居ないはずである。

最初にデッキゴルフをしたこと、猪狩さんという機関長の名前を出されても、乗務員でもない船客に通じるはずもない。最初にプレイしたことをほのめかされたが、通行の邪魔だといきなり怒声を浴びることとは別物である。これまでからっとした空気が一変して、湿っぽくなって重くなった。

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2回戦は、高嵜組に我々松田、鬼界、野村の4人が対抗した。最初の1番ホールでは高嵜組の流れに遅れ気味だったが、我慢に時間を持った。野村さんを 松田さんがフォローして、鬼界・萩原が交互に土台作りをしながら4番まで進むと、形勢は反転していった。ミセスImg_1566高木をカバーするために、工藤、高嵜が彼女のエリアに集まりだした。しかし、思わぬ事態が起きた。加勢に来たパックが終盤にミスでポンドに入れてしまった。我々はその機を逃さず、ゴールを攻めて快勝した。

明日は、菅谷対我々の最終対決だが、逆転されると、3組がイーブンとなる。優勝はいわゆるサドンデスになる。昼食抜きになるかもしれない。

 

シャワーを浴びて昼食に出る。明日の表彰式会場は、リドデッキのプールサイドを利用できることが事務局長・高嵜さんから報告された。

 

タヒチで出し損なった絵葉書をフロントへ頼んだカミサンが「物価の高いタヒチでは、170円ですが、ハワイなら90円ですから」と言われたという。このことから推しても、タヒチは物価の高い国だった。大挙してそこへ押しかける若い日本のハネムーナー。これでは、日本人は相当に金のある豊かな国だと彼らに映っても致し方ない。観光客が、その国の経済感覚を誤解させていく。観光とは、こうした点に気をつけねばならない民間外交だと思った次第。

 

数日前の放映を見逃していた「ジョニー・リンゴの伝説」(邦題「ポリネシアの伝説」)を夕方の時間に観ることができた。

幼くして島を出て行ったタマと彼を8年間待ち続けたハマナの巡り会い。貿易商ジョニー・リンゴに航海術を仕込まれ、かつての島に幼馴染みを妻にしたいと探しに来る。彼女は島に居たが、毎朝岬に出て彼を待つことで、村人たちには奇異な存在だった。ジョニー・リンゴ三世となっているタマは、ハマナに求婚する。酋長に頼まれたのか、飲んだくれの父親が牛2頭を結納に望むと、今やリンゴの番頭格になった親方が「失礼な2頭とは!」と怒る。リンゴが言う。「牛8頭を贈りたい!」、牛がいなないて、父親が外に飛び出るが、「結婚しないでもいいから、二人で幸せに暮らして欲しい。過去は忘れて」「なぜ、8頭?」「8年間という意味だ」といいながら、羽の付いたガウンを外すと、ハマナが編んだ腕輪が眼に入る。そこでリンゴがタマの成人した姿だったとマハナには判り、めでたし、めでたし。ニュージランドの映画スターが共演したという話題作だったらしい。

 

今夕は、盆踊りの夜だ。船が揺れてきた。天気が崩れるのではないか。P1020046ツアースタッフに、ドルフィン・ホールになるのではないかと訊ねた。しかし、屋台も既に出ていますし、スポーツデッキで行いますとの答えだった。P1020022_2

赤道通過時間を船内時間で何時何分かを当てるクイズがあった。この揺れでは、盆踊りの時間帯に、 どれくらい速力を落とすかが狙い目ではないかと、考えた。「31日朝55020秒」と、3階のツアーデスクに置かれた投票箱に入れた。

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太鼓の音が響いてきた。5階に上がると、周囲が暗闇の太平洋上で大音響だ。この日のために浴衣を作ったという高木夫妻、 古今亭菊の丞、ポナペで買ったかんざしを挿した野村さんなどなどが、花笠音頭を踊っている。元々、中学まで家の前の広場で組まれる櫓の下で、夏になると名古屋囃子を踊って きた。嫌いではなかった。Img_1580_203年次世界一周クルーズP1020044 の時は、下駄まで新しく買って盆踊りに臨んだものだ。然し、ドルフィン・ホールという屋内での盆踊りでは気持ちが湧かなかった。 星を仰ぎ見て潮風に吹かれながら、時には潮騒を聴きながら生ビールを口にする。P1020052_2 それが気分のいい洋上の盆踊りだと思っていた。しかし、天候が優れず、それは叶わなかった。それ以来、二度目の世界一周クルーズでも浴衣は持ち込まなかった。

スポーツデッキの一段上に上がってカメラを構える。毎回のことながら、こうして上から踊り手を見下ろしていると、踊りを習ってきた人の手先かどうかが一目瞭然だ。腰の据わり、指先の表現、下駄を履いた爪先の移動。フラダンスと同じで、重心が低い踊りだ。

 

心配していた通り、雨がぱらついてきた。一斉にデッキから人が船内に流れ込んだ。雨は強くなっていく。P1020060 白足袋をはいた蘇イベント・チーフImg_1578 ディレクターが床が滑りやすくなったとして、中止を宣言した。揺れも出てくる前に、浴衣姿で怪我人を出してはならない。素早い判断に誰しもが好感を持った。踊り不足の人たちが興奮して、同じ階のミッドバーに流れ込んだ。おかげで、バーは盛況を極めた。「雨が降るとね、客が店に入ってくれる」なんだか、アメリカンサモアの警察署長の言葉が想い出された。

松田サエ子さんと向かい合わせでビールをオーダーした。伝票にビール2本が付いてきた。サインした。夫婦と勘違いされたのが嬉しいと言ったら、隣りに座っていた松田さんが、「わしはどないしたら、ええんよ」と笑った。にっぽん丸のバーでは、伝票が几帳面にも一人一人に切られる。だからこそ、フィリピンクルーにカップルと思われたのをP1020061松田さんが苦笑したのだ。船長が我々の席に座ったことで、話題は変わった。

隣席に座っている名張の早川さんが、ダンスが苦痛だと言いだした。ダンスシューズを買って乗り込んだのにと、みんな怪訝な顔をして覗き込む。口ごもっている早川さん。渡辺登志さんが「私は囲碁を覚えたい!」と言いだした。早川さんは、囲碁が強い。咄嗟に場の空気を変えたくて、「互いに教え合えば」と言った。登志さんのダンスは、抜群の巧さである。早川さんは、生ビールを飲み干して、大きな手を登志さんに伸ばした。みんなはシャンシャンシャンと手を打った。身振りが大きくなってきた早川さん、ビールの追加をして一息ついてから、今度は、大きな体をかがめてみんなの眼を眺め回した。「僕はね、080910とにっぽん丸世界一周クルーズクルーズを船上予約で申し込んだぞ」。今度は、花が咲いたようにみんながおどけるようにのけぞった。「冗談でも羨ましい!」早川さんは、冗談ではないんだと、首を左右に振った。

長坂さんが通りがかった。P1000082目配せをして約束のネプチューンバーへ席を立つ。 意外にここへ人は来ていなかった。小田さんと長坂さんと3人で止まり木に座った。ボトルキープをしてある焼酎でお湯割りを頼む。

長坂さんは外神田に事務所を持っている。神田明神の本祭りを前に船に乗ってしまったという。ともか く、船に詳しい。P1020063時々、クルーズの最中に、釣り糸を足らして楽しんでいるという。船主側の高嵜さんと船客側の長坂さんから知識を得れば、相当な通になれそうだ。今年になって、もう100日は乗っているだろうかと。家賃を払うより船に居る方が長いのだといいながら、「水上生活者だよ、僕は」と宣った。言い得て妙。その言葉、頂きますよと、笑い合った。神田関係者同士で記念写真をパチリ。明日は、デッキゴルフの決勝戦だからと、早々に去る。

 

船は178ノットだが、揺れている。南緯1°23′西経156°25′で、斜め上、北西に進路を航行中。

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2007年9月 2日 (日)

07.05.29 ハワイへ1

昨夜は帰船した安心感か、24時には眠気が襲ってぐっすり寝た。5時には自然に眼が覚めた。頭の中には、まだ、ラグーンのエメラルドグリーンのグラデーションが残っている。

 

Img_1567 『穏やかな気持ちの良い朝を迎えております。モーレア、パペーテ、そしてボラボラ島は如何でしたでしょうか。さて、にっぽん丸は南緯13°28′、西経151°16′、速力195ノット、フルスロットルで北上しています。途中、31日の朝に赤道通過、また昼頃クリスマス島の近くを航行する予定です。クリスマス島はキリバス共和国です。キリバス共和国はフレンチポリネシアの北側で、東西に長い国です。国が日付変更線で東西に分断されることを避けるため、一番東の西経148度まで日付変更線を移動しています。にっぽん丸は、本日、日付変更線を通過しますが、31日の夜中に再び通過しますが、途中に寄港地がないため、船内ではそのままの日付を保ってハワイを目指します。52962日まで5日間航海日となります。どうか疲れを癒してまた次のハワイを目指して、ゆっくりと過ごしていただきたいと思います。

天候は晴れ、東南東の風6m、気温27℃、水温294℃、波の高さ約15m。』

 

Dscf7100_2 デッキゴルフ再開の朝である。デッキゴルフメンバーは、久しぶりに9名が参加したが、奇数である。顔を出した長坂さんを呼び込んで10名でスタート。全員のジャンケンで紅白を決める。初デビューの長坂さん、かなり要領がいい。パックの走るラインがいい。ステックの縦横の使いこなしが機敏。ルールを覚えたら、なかなか強敵になる。

1戦は、高嵜、菅谷、松田サエ子、塩野に対して萩原、松田、工藤、鬼界、草浦の組が勝った。Dscf70992回戦は、萩原、松田、鬼界に長坂、菅谷の加入で、連勝できた。つまり、高嵜、松田サエ子、塩野の戦士が連敗したことになる。アメリカン・サモア離岸以来、これで4連勝と快調だった。第1戦で草浦、鬼界から、第2戦では工藤、松田サエ子と、女性軍が頑張ってホールイン・ワインが出た。明日からの「赤道通過記念リーグ戦」の表彰式に献納されるワインである。これで、11本が集まったことになる。因みに、僕は、アメリカン・サモアの翌日に出した。

同じ階の船内ドルフィン・ホールでは、ソシアルダンスから、フラダンス教室に変わっていた。6階のスポーツデッキでは、天気が良いので、シャッフルボードが行われていたようだ。

 

メールチェックに5階のライブラリーに上がる。部屋に帰ると、本日の昼食は、船弁だということに気づいた。駅弁、空弁をもじって、此処では「海弁」と言いだした。他に「船弁」という人もいる。通常2回食の我々は13時からであるが、弁当という日は、12時からだ。三々五々、レストラン以外の場所に持ち出して、風景を楽しみながら食するという日である。しかも、僕の場合は、減塩食として調理してくれている海弁である。独りのためだけに印の付いた弁当が、僕を待っている。

急いでレストランへ上がる。ダイニングルームと6階のスポーツデッキでは、麺類もデザートも用意されている。5階のネプチューンバーも今日は開放されているということだ。禁止区域は、カードルームやライブラリー、囲碁の和室だ。なにしろ、麺類は毎日でもいいほど好きである。レストランで麺類もデザートも食べた。

 

13時からビデオチャンネルで「南太平洋」(1949年、ロッサノ・ブラツィ。ミチー・ゲイナー)を観る。モーレア島の通称、バリハイ、880mのモウアロア山を眼にしただけに、もう一度観たくなったのだが、このストーリー、考えて見れば、エミールというフランス人は、再婚相手を捜し子供の母親を捜していたに過ぎない中年男の勝手な恋だったのではないか。若いナース、ミッチーゲイナーが去っていくなら、楽園がただの島だというが、ポリネシアン人との間に生まれた二人の子供をどう考えていたのだ。男のエゴから生まれたストーリーではないか。ラブストーリーとは言い難い、と今の年齢になると、こうも冷ややかな見方になってしまうものかと自分でも妙な気分になった。P1010381

午前のフラダンス教室に行っていたカミサンは、買ってきた教則本を読んだり、ビデオを流したりして、練習をし始めている。画面のインストラクターは、フライト・アテンダントからフラダンス教師になった経歴だという。日本舞踊の名取さんよ、腰がしっかりしていないと踊れないのは同じだろうが、重心を落とした踊りはさぞ、疲れるだろうなと思いながら、僕の方はパソコンを離れていたボラボラ島ツアーの航海日誌を打ち込んだり、CDRへの写真を保存したりした。此処までで、既にCD収録が10枚を超えた。

 

16時になっていた。

今夜は、インフォーマル。瀬戸相談役ご夫妻とのディナーテーブルである。その前に18時からドルフィン・ホールで、タヒチから乗船した古今亭菊の丞の独演会だ。僕だけが聴きに出る。カミサンは支度をしながらテレビ画面中継で聴くと言う。

古今亭菊の丞は、ロングクルーズには、かれこれ10回は乗船しているとかの常連だ。03年次の帰国直後に、席亭推薦でただ独り真打ちになった。新宿花園神社には行けなかったが、上野の鈴本は近いので足が運びやすい。それに、彼の自宅と僕の住んでいる場所は歩いていけるほどの近距離でもあることから、余計に親しみを感じてしまっている。

贔屓筋である商船三井客船からの裏幕は、柳原良平の描いたにっぽん丸だ。それを背に、演目は「湯屋番」だった。ところが、困ったことに、インフォーマルの夜なのに、7人の男性が、ノーネクタイ、ポロシャツで座っていた。船内新聞での書き方が曖昧だからか、食事まで間が空き過ぎだからか、今夜のドレスコードが守られていない。ホールの入口でスタッフが注意もしていないようだ。

曖昧な書き方だと指摘したいのは、<ドレスコードは、カクテルパーティからメインショー終了まで>とされている。食事からメインショーに続く1回食の客は着替えをするわけにも行かない関係で守られるのだが、2回食の客は、食事の前であることの気楽さと、メインショーから食事まで30分以上の時間がある。着替えに帰ればいいと考えやすい。<但し、ドルフィン・ホール・・・では終夜適用させていただきます>という文章では、ダンスタイムになるドルフィン・ホールと誤解してしまっているのだろう。それにしても解せないのは、該当する夫妻が、奥様は着飾ってご主人はポロシャツ姿なのだ。奥様の言うことに耳を貸さないという余程の亭主関白か。

 

夕食の時間になった。川野チーフパーサーがセッティングしてくれた瀬戸さんとの会食。入口で平野カメラマンが待機していた。今日も結婚記念日があるのだろう。

1930分から並んで入ったのだが、既に皆さんは席について待って下さっていた。失礼にも遅れてしまったのだ。

座った途端、瀬戸さんが身を乗り出して質問された。「ビールは飲んでもいいんでしたか?」「はい」「萩原さんの身体をこわしたのは、ウチの連中が仕事で引き回し、無理をさせたからではないかと、気懸かりでしたよ」「あなた方の本はライブラリーで読み終えましたよ」と言われたのには驚くよりも恐縮してしまった。腎不全になったことを本で読み取って気遣ってくださった。さすが、ビジネスの世界を指導してこられた方は違う。「アドバ・タイミング」という秀逸のワーディングを発し、世界のスーパードライに成長させた、いわば世界に冠たるトップ・マネージャーである。

平野カメラマンを手配していたのは、希公子ちゃんだった。「主人に報告するために、写真をお願いしたの」まずは、瀬戸さんと希公子ちゃんが撮って、それから、全員の記念写真となった。

ボラボラに希公子ちゃんと我々が出掛けていた間、瀬戸ご夫妻は、森先生にジープで島を案内して貰ったそうだ。缶詰のシーチキンを与えると、オオウナギが何匹も姿を見せたという話、とても楽しそうだった。FXの時代の秘話など此処に書いておきたいのだが、帰国後にブログにアップすることを考えると、控えることにする。

あれこれを、20周年という年に、当時の営業本部長と話が出来たことは、神の思し召しだろうか。今日という日を感謝したい。

奥様が気さくに対してくださるので、カミサンはどれだけ気が楽になったことか。時間は瞬く間に過ぎていった。そして、我々が最後のテーブルの客になっていた。

 

・・・・・今夜のビールは、どこで飲むよりも美味いビールだった。

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2007年8月29日 (水)

07.05.28 ボラボラからパペーテ

4時に眼が覚めた。カーテンを開けたが、まだ日の出には早すぎる。波は静かに揺れて夜明けを待っている。昨夜は文庫本を手にして横になったが、それを読む気力もないほどに瞼が重くなっていた。2230分には眠っていたはずだから、睡眠は充分に取れている。7時の一斉モーニングコールを待たずに顔を洗っていた。カミサンも起きてきて、カメラを手にテラスに出ていった。日の出は、柔らかく雲を染め上げていた。Img_1514

8時までに荷物をドアー前に出すことになっている。 チェックアウトするつもりでカメラバッグを手にして朝食に出る。

Dscf7009 Dscf7011 Dscf7010 どっしりとした木の階段を上がる。案内されたテーブルは、二人席だった。今朝は僕も、あのボリュームたっぷりのオムレツを頼んだ。鶏の卵2個分以上の大きさだ。パンも要らない。マンゴジュースとヨーグルトだけで充分だ。

P1010659 ヌイ・リゾートの従業員は、決してタヒチタイムとは思えないテキパキとした動きである。今朝も小鳥がテラスのテーブルの下を歩いている。近くにいたのは富田さん。

「毎朝、僕はモーニングコールが要らないんですよ」「え?」「足が攣るんでね、決まった時間に。だから、海に入った途端やっちゃいましたよ」「僕もやっちゃいましたよ。フィレを付けて、指先に力を入れた途端に攣りました」「まあ、ボラボラの海水に身体を入れたということでいいやと、ね」「足が攣るというのは、腎臓が弱っている信号だそうですよ」「私は肝臓です」「肝心要(かんじんかなめ)がお互い駄目ですね」「大腿部が攣ると、あれ痛くてねえ」「あ、いい手当がありますよ。ドライヤーの熱風を大腿部の付け根に当ててみてください。やがて、筋肉が弛緩してきますから、応急処置にはいいですよ」「なるほど、そうですか、寝る前にドライヤーをそばに置いとくことか」海を眺めながら、魚釣りの話ではなく、筋肉の攣りの話をしていた。Img_1474

リーフの白波の手前は、緑とブルーの海。帰りたくない気持ちが高まってくるから不思議だ。潮風が肩を撫でて、また来いよと囁いている。

9時集合だというのに、P1010670既に中央に張り出した水上フロントにご年配の船客が集まり始めた。 フロントでの精算をし、キーを返す。まだボートの出るまでには時間がありすぎる。手荷物を置いてベンチに座った時、鬼界さんがそばに来てカミサンに挨拶をした。「デッキゴルフでご一緒の鬼界で御座います。萩原さんの奥様だと判りましたので、・・・・」「あ、こちらこそ、ご挨拶させていませんでしたか」とカミサンの肩を押した。二人にして、僕はベンチを離れた。

大型クルーザーの中に、ホテルスタッフがコテージからの荷物を手際よく運び入れている。

香川県から来られている佐藤先生が、それをじっと見つめている。

「佐藤先生、どうされたのですか」「いああね…僕の荷物は、ドアの前からちゃんと持ってきてくれたんかいな、…とね。…心配性な、もので…」佐藤先生は、堪らず立ち上がった。船の縁に手をかけて覗き込んだ。

佐藤先生が安心した顔で戻ってきた。

「いやあ、失敗したなあ・・・・シングルユースにすべきだったなあ・・と、僕は、思ってるんですよ」横に座って話を聴く。「?」

「でかいベッドでしたでしょ。…バスタブも」「…はい」

「僕はね、テレビ観ながら、ね、ソファーベッドで…横になったまま、…眠っちゃったんですよ」「はい」

「…あのでかいツインベッドは、…無駄だったな。……要らんかった。シングルユースで良かったんじゃ」「……がははは」意味が飲み込めて、思わず大きな声で笑ってしまった。先生はいつも、こういう、おとぼけな話し方で聴く者をいつも楽しくしてくれる。

「船に乗ります前に、今一度パスポートをお確かめ下さい。パスポートだと、ばかり思われていたのが、実はホテルのメモ帳だった。こんなことが良くあるんです」藤川君の、ゆっくりと大きく声を張り上げた注意に、集まった一同大笑い。

「触るだけでなく、いま、一度、ご自分の目で確かめてくださぁい」

僕もそれに従った。パスポートは確認した。

 

船に乗り始めた。並んで順に乗り込んだ。もう今日は、ラグーンの写真を撮ることもないと、2階には上がらず1階の前席のソファーに座った。鬼界さんのグループが一緒に座った。他愛もない話をして、写真の枚数の話になった。07年次の世界一周クルーズでは3000枚を超えたが、カミサンの分を合わせると、6000枚以上になっていたと話して、今回の僕は、1800枚くらいになっている。カメラもこの他に1台持ってきたし………、と口にして、絶句した。そのもう一台を入れたカメラバッグが足元に無い。

P1010693事件は起きた。………あのベンチに置き忘れたのだ。すぐに立ち上がって、後部デッキにいる藤川君に事情を話した。横にいた現地旅行社アルファのスタッフが、ホテルカウンターに携帯電話をする。ベンチの下を確認してもらうと確かにあると返ってきた。離岸して15分が経っていた。 「さ、奥様がどうおっしゃるか、報告するのよ」鬼界さんにいたずらっぽく囁かれて約束させられた。

 

48人を乗せた大型クルーザーは、すぐにヌイ・リゾートに引き返した。Dscf7031船内がざわめいたが、藤川君は首を横に振って、黙っていましょという合図。フロントのある船着き場に近くなった。 大きな男が桟橋に立っている。黄色いナップザックとカメラバッグが高くかざされた。船にそれが乗った。P1010730

大きな弧を描いて、アクセルが踏み込まれた。21ノットで海を切った。船内では、誰のものかが判ってしまったようだ。黄色いナップザックが背負えなくなった。エアポートのモツに着くまで、外の風に吹かれて海を見ていた。仕方がない。

下船する時、背中の黄色いバッグと手に握ったカメラバッグに多くの視線が刺さっている。どちらもやけに重く感じた。

空港での時間は充分にあった。飛行機を30分は待った。同じタイプの機体だった。往路と反対の左側席に座った。カミサンからの第一声は「馬鹿ねえ」でしたと、鬼界さんに伝えた。

 P1010973

環礁島を撮っているうちに、機は下降し始めた。 タヒチ島のパペーテは上空から見てやはり、大きな街だった。バスに乗り換えて港に近づいた。辺りに停泊している船がないこともあって、にっぽん丸が大きく見えた。「お帰りなさい」ギャングウエイを上りきった時の言葉が心地よかった。

P1030882

昼食を取ってシャワーを浴びた。パペーテの街を歩いてみようと1330分頃に下船した。新たに両替してしまった5000円を使うためだ。祝日でゴーストタウンのようだった。いつもマルシェが開かれるという小路に入った。7000㎡もあると言われるル・マルシェにはDscf7084、果物や野菜、それに花市場が、2階には民芸品店が並び、壁にはカラフルなパレオが覆い尽くし、さぞかし、喧噪で明るい笑い声が響いていただろう。タヒチの歴史的文化を物語るという場所らしかったが、今日は、それが息を止めている。

 

路地にある数軒の露店を覗いたが、パレオには気に入った柄がなかっ た。ある店で、Dscf7081「ヒナノビール」のキャラを刺繍しDscf7082 た帽子があった。夜になると光るんだよ、と若い男の店員がいたずらっぽい目で、電池のスイッチを入れてくれた。布で囲って、中を見てみろという。チカチカ光っている。17フランだと言われたが、僕のポケットには、あいにくと、15フランしかなかった。店員は店を任されているのか、即座に快く応じてくれた。日本に持ち帰ったら電池が切れているという代物だろうが、いい記念になると、それをかぶって歩いた。

Dscf7087 奥に歩いて行っても、シャッター通りが続くだけ。やがて、中国会館という大きな建物の前に出た。ここ、パペーテも、中国人社会があることを知る。遠くにカテドラルが見えてきた。あれがノートルダム大聖堂なのだろうか。中に入ってみたいが、ドアの前で数人の信者が立ち話をして入口を塞いでいた。やり過ごしてポマレという海岸道に出た。開いていた雑貨屋に踏み入れた。フラダンスのインストラクターが三人、遅れて入ってきた。Dscf7093_3カミサンが挨拶をしたので、それと判った。デミタスコーヒーカップに洒落たデザインがあった。カミサンは誰かに宛があるのだろう。迷っていた。  

しばらくして、埠頭に戻ることにした。ところが、公園の中に白いテントが張られ、その中に、日本人の姿が見えた。貝細工の店が何軒も集まっていた。いや、開いてくれていた。そう思えるのは、その場所が、観光ビューローの脇だったからで、日本の客船が停泊しているので急遽、何処かで土産物屋が集まっていると聞かされていた。所持金も少ないので、見るだけになるだろうとぶらついた。

Dscf7094 Dscf7095 バンコックの「サノフラワー」と同じようなものを細工しているタヒチアンの主婦がいた。植物の葉脈を透かせて、それらを布の造花のように飾り付けていた。写真を撮らせてもらった。Dscf7097

タヒチアン・シェルにナイフで切り込み、模様を描くアクセサリーの店が多い。中で、一軒だけはレリーフのように模様を浮かせる手法が施されているのを見つけた。エッチングのような、腐蝕方法を応用したのではないかと推測する。気に入ったのだが、どうにも高い。男性店員に値段交渉した。ところが、チョーカーにする金具の取り付け作業をしている女性は、容易に首を縦に振らない。むしろ、上目遣いで睨んでいる。私がどれだけ、手間を掛けているのか判るかとでも言いたげな眼だった。諦めて別の店に行くが、やはりレリーフは珍しい。またこの店に戻って来ていた。

気が弱そうなフランス人男はどうやら、女性の旦那だった。旦那と英語で話してみると、神戸に住んでいたことがあるという。黄色みを帯びたマザー・シェルは、なかなか貴重品だと、今度はフランス語を喋る野村道子さんに売り込んでいる。なんとなく話の流れで笑い合ったり、肩叩いたりしていた。その間、カミサンは独りで奥さんと話をさせた。カミサンがデザインを褒め続けた。我々は、野村さんと旦那の三人でいかにも親しくなったように振る舞っていた。まあ、言い値で買うしかないなとカミサンが覚悟をした。と、どうだろう。安くできないがねと、別の細工物を黙ってカミサンの手に握らせた。心根は優しいデザイナーだったのだ。小声でカミサンも「…マルル…」。ようやくタヒチアンの女性は、にこやかな笑顔を返してくれた。

 

帰船して、8階のスカイデッキに上がった。夕陽が沈む時だったからだ。やたらにシャッターを切った。長坂さんと水本君がそばに来た。グリーン・フラッシュを見たと、望遠鏡を手にした長坂さん。果たして撮れているだろうかは、後のお楽しみだ。

 

高嵜さんと松田さん、野村さんが同じスカイデッキにいた。高嵜さんはインターコンチネンタルホテルに行って泳いだという。タクシーで所持金がスッカラカンになったと、物価の高さに驚き、野村さんは、島内に唯一の日本人タクシードライバーで周遊しようとしたが、気が合わないので途中で降りたとか、聞けば余り楽しい停泊地ではなかったようだ。確かに、祝日に寄港することが判っているときは、船側も直前にいうのではなく、情報公開を乗船前に言うべきだという意見が出た。地元の人間からは、「ボラボラ島に行ったか?行ける時間があるなら、行くべきだったのに」と何人もの人に言われたと、ぼやかれた。

Img_8713 公園の中の明かりが灯り、レ・ルロットと呼ばれる屋台が開店した。地元の人が家族連れで集まり始めた。中国料理が多かったと、高嵜さん。

あのゴッホがアブサンを投げつけて南洋にいくなと頼んだとかいうゴーギャンの美術館がここにはあるのだが、すべてレプリカだと聞いている。ゴッホの耳切事件後にアルルから離れ、しばらく後に突然、元水夫の血が騒いだのか、このタヒチに渡ってきた。マルセーユとタヒチ間は、二ヶ月半の航海だったそうだ。タヒチでも借金のカタに絵を差し出したが、主人が焚き付けにしてしまったので、1枚も残っていないというのがその理由らしい。ゴーギャンの孫という細面のイケメン男性がTV番組に出ていたことを思い出した。

 

今夜は、カミサンの無事生還を祝って席を設けましょうと高嵜廣子さんのお誘いを受けた。そして、高嵜・松田両ご夫妻とワインを頂いた。この席で、ボラボラ島に連れ出されて良かったと、初めてカミサンからお礼を言われた。今回1階船室に拘った意味が、ここでようやく解って貰えたようだ。

 

テーブルでは、タヒチエアーのプロペラ機の話から、オランダの風車に及んだ。オランダの風車の羽が可変型であることを知った。風車は時に数枚の羽を重ねたり閉じたりすることで、村人同士の信号になっていたのだそうだ。航空機の羽の技術は、船のスクリューに技術が応用されるのだいうことは、今回のタヒチエアーの細い巾のプロペラで知ったのだが、にっぽん丸のスクリューも、非常に効率のいい可変式のプロペラだと教えられた。風車は風車でも、風力発電機の建設には絶対反対ですと松田さんが真顔で言い始めた。渡り鳥を始め、多くの鳥たちが風向きを狂わされ、方向感覚を失い、羽に飛び込んでかなりの数が自殺しているそうだ。風力発電機を増やすくらいなら、私は電気消すと松田さん。「ビル建築でのミラーウオールのデザインも反対です。ようけ鳥が衝突して死んでまんがな」松田さんは、自然破壊、環境破壊に反対し、動物愛護に回ると真面目に語った。そばで、サエ子さんが、こういう人です、と口を添えた。優し、いい人です、松田さんは。

P1010981_2

今晩は、何処にも遊びに出掛けず、船室で写真のバックアップをした。なにしろ、3日分の630枚をポータブルHDDに吸い込ませなくては気が休まらないからだ。長い1日だった。念願の3日間がこうして終わった。 

 

 

 

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2007年8月23日 (木)

07.05.27 ボラボラ・ヌイ・リゾート&スパ

P1010616 海に向いたテラスはカーテンが開け放たれてある。朝焼けが見たいからと、カミサンがそうした。波がキラキラと、砂金を蒔いたように光っている。いま、それぞれのビラでは、48人の少なくとも30人くらいは、「フルムーン」の気分で居るのではないだろうか。そういえば、昨夜は満月に近かった。

薄いブルーの海が、強い光を浴びて再びエメラルドグリーンに変わっていくころには、シャワーを浴びて朝食に出掛ける時間だ。

P1010681 海から運ばれてくるという、あの「カヌー・ブレックファースト」は、我々48名の団体フルムーン族にはない。時間にゆとりのあるハネムーナーのためであっていい。この団体にそれを望むのは無理というもの。20カ所へカヌーを漕いでいるのでは朝食時間がかなり遅れる。945分には、ボラボラ島一周クルーズの大型クルーザーが待ち構えているからだ。

すがすがしい気持ちで、ウッドデッキの橋を歩き、珊瑚礁の白い砂を踏み、レストランに上がった。P1010665 昨夜の夕食と同じ場所だが、ガラス一枚の隔たりもない、風の吹き抜ける2階のレストランは、殊更に朝の気持ちよさを与えてくれる。小鳥も相変わらず、テーブルの下を歩いている。パンくずでもついばんでいるのだろうか。

ブッフェスタイルだから自由に載せるのだが、取り皿がフラットな大皿だけだ。3種類ほどをピックアップすると、ドレッシングも煮物のソースも混ざってしまう。ミニボウルがないので、注意していないとこぼれてしまう。種類は多い。味噌汁には、ワカメの具や賽の目に刻んだ豆腐まであった。いかに日本人のハネムーナーが来ているかだ。デザートまで含めれば、50種類以上ある。

カミサンのオーダーしたオムレツにぎょっとした。3人前はあろうかというサイズである。さすがにフルーツジュースが美味い。コーヒーは、パリロケで味わう、あのざらつき感のあるフレンチ・ローストコーヒーだ。タヒチでも同じ味だとは思わなかった。この味がフランス人好みのカフェなんだろうな。

三々五々、ホテルフロントのある船着き場に集まりだした。大型クルーザーも着岸している。操縦席のある2階に上がる。今日は、エメラルドグリーンの景色に染まりたい。

トオプア・モツから、ポバイ湾に入り、時計の逆回りで走ることになった。P1010571 大型クルーザーのキャプテンは、P1010783 この重量感のある船体の蛇輪を器用に片足で操作して走らせていく。かなりの速度で白波を切っている。「ここの海水を粉末にすることを考えたムトウハップの会社は、偉い!!」「ほんと、ほんと」「もっと若いときに来て、一儲けすれば良かったなあ」に爆笑。こんな冗句も、一面エメラルドグリーンに囲まれているから、ツーカーとなる。

街のあるバイタベ(「倍食べ」たくなるほどに美味しい店があると覚える)を通り、トップ・ダイブ・リゾートを横に見て、ファアヌイ湾を周り、左舷にボラボラエアーポートを遠望し、島の北部トップ、P1010790ヒチアア湾を右舷側に回り込んだ。魚探のようなレーダースコープに珊瑚礁の浅瀬が示される。海の真ん中に赤や青のポールが立つ。エンジンを切った惰性でゆっくりとそれを回避する。箱形の快速艇が空港からの個人客を送迎している。 正面から見ると、双胴船ではなく三胴船だった。

 P1010751 Img_8318_2727mのオテマヌ山を仰ぎ見ながら南に下り、ムラブメッド・ボラボラ、ソフィテルなどの水上ビラを眺め、マティラ岬を目前にして引き返した。 メリディアンや、フォー・シーズンといった有名ホテルの経営するビラも多く目にすることが出来た。こうして、21ノットのスピードで、四つの湾を走り抜けて、戻った時は昼食の時間になっていた。

 

午後は、各自が自由に過ごす時間だ。 P1010814部屋に備えP1010808付けられたシュノーケリングセットはカミサンの足に合わなかったようで、 プールサイドまで行って取り替えてきた。 今回のために買った新しい水着で、カミサンがフィンを付けてテラスから降りた。 せっかくだからと、P1010817記念写真を撮っP1010820ておいた。ウッドデッキの下か海面が覗ける。夜にライトが点けて、まってくる魚を見ることができる。

しばらく周辺を楽しんでいたが、フィンが抜けそうだと言っDscf7021て上がってきた。僕のフィンは足にぴったり過ぎるほどだった。 むしろ、締め付けるほどにきつかった。水の中ではよく効くだろうと思った。テラスから海に降りてみた。海水温は、思ったほど冷たくはなかった。ところが、右脛が痛む。切ってしまったらしい。塩水で傷口が痛む。血がにじんでいた。階段が錆びていた。大したことはないと首まで降りた。

ひたひたと、かなりの流れがあることを知らなかった。深さは4m以上だと聞いている。フィンを付けた足を水の中でこねてみた。不味いことに、左の指先が攣ってしまった。甲を締め付けているからか。これでは右足も危なさそうだ。約10m先が岸だ。その間にもし両足を攣ってしまったら、岸までカミサンの力では引き上げられないだろう。上からカミサンがやめてくれという。足が攣る癖のある僕は、温度が変わる海水ではいつも海岸と並行にしか泳げない。まさか、こんなところで攣るとは情けない。プールに出掛けた方が賢明だった。

和田希公ちゃんは、P1010775 パラセールで一段と高見からエメラルドグリーンを目に焼き付けたというし、ある人は、サンセット・クルーズに出て、真っ赤な夕陽の中に居たと喜びを語った。

因みに、シュノーケリングセット及びカヌーは無料だが、パラセーリングは、1人15分で11000cfp、2人なら18000cf。サンセット・クルーズは、半日で7150cfp。

午前中に楽しんだブルーラグーン・クルーズは、個人乗船で74800cfpだった。スキーをやめた僕が一度は経験したかったのが水上スキー。15分、5500cfp。もうこれで、乗ってみるというチャンスは一生ないのだ。

P1010838 P1010837部屋の電話が鳴った。 高木夫妻だった。テラスに出てきたら写真を撮ってあげるという。高木夫妻のビラとは、20mほど離れている。互いに写真を撮りあった。 カミサンに背中を指さされて振り返ると、空が燃えてP1010856P1010855 いた。お陰様で、燃える夕陽を撮ることが出来た。 

 



シャワーを浴びているうちに夕食の時間が迫った。

今夜は、タヒチアン・ダンスショーが観られることになっている。場所は、昨夜飲んだ砂浜にあるレストラン、「タムレ・グリル」。P1010948

高木夫妻が、砂かぶりの正面のテーブルを獲っておいてくれた。高木保彦さんは、昨年の世界一周クルーズで撮った写真が、名古屋で受賞した。さすがにカメラポジションのいい場所だ。

メニューは、前菜が、海老とエンダイブのサラダ、ライムとカシューナッツオイルドレッシング。メインは、胡麻であえたマグロの半生焼きとトマトと野菜のリゾット、コリアンダーとジンジャーのサルサ、トロピカルフルーツサラダとプチビスケットにカフェとある。他の宿泊客はブッフェスタイルだったが、我々は、料理を運んでくれている。ここの料理は、昨夜も今朝も美味しかった。Img_8194

ツアースタッフの藤川君が相変わらず精力的に動き回ってくれている。こちらにテーブルにメインが運ばれてきた時、彼が近づいてきた。「お料理の味はどうですか?萩原さんには、塩を使わないか、ロー・ソルトでお願いしてありますから、安心してお召し上がり下さい」嬉しかった。昨年のイタリア縦断オーバーランド・ツアーでも藤川君が気遣ってくれた。クルーズだからこそ安心できる外地での僕の食事だ。こうしたホスピタリティは、優秀なスタッフの力が創りあげている。

Img_8467 食事が終わると、砂地のステージに運び込まれていた打楽器を調整する男達が座り始めた。右手の奥では若い男女が笑いながら着替えをしている。いよいよ、部屋で観ていたプロモーションビデオのタヒチアンダンスが始まるのだ。

  何組みかの男女が、P1010891激しく踊り始めた。パゴパゴImg_8516港でのダンスよりも、さらにテンポがある。カメラを構えるが、悲しいかな、フラッシュの光が届かない。高木さんのフラッシュが効いている時に、シャッターを押すしかない。 20分も過ぎた頃、P1010914例によって、観客を引き込んで踊り始めた。最前列にい たのだから、無理もない。ミセズ高木もカミサンも引っ張り出された。踊った。

若い男のダンサーが脛に付けていた汗びっしょりの草の飾りをプレゼントされたらしい。カミサンは彼の膝に乗ったとはしゃいでいた。


Img_8555

今晩は、バーに行く元気はなさそうだ。帰り支度のパキングをしなければならない。P1010859

2泊では物足りないといいながら、もう一度シャワーを浴びて、大きなベッドの両端に体を横たえた。波音だけが聞こえている夜だった。


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2007年8月22日 (水)

07.05.26 モーレア島~ボラボラ島

 P1010368_2P1010245_3目覚めたら、船はクック湾のモーレア港に投錨していた。晴れ時々曇り。最高気温は31℃の予報だ。タヒチ島の北西17kmに位置し、タヒチ島のシスター・アイランドと呼ばれるモーレア島は、「黄色いトカゲ」という意味だそうだ。クック湾とオプノフ湾が内陸に深く切り込み、羽を広げたコウモリだと言う人もいるが、「トカゲ」には見えず、僕には、「Wハート」の形に思える。島の中心に聳える象徴的なモウアロウ山は、例のバリハイである。それが目の前に立ちはだかっている。山頂には雲がかかって絵になる。食事前の船客が連なってカメラを向けている。P1010379 ゴーギャンが「古城のようだ」と形容したのも頷ける。人を寄せ付けない毅然とした気高さが漂う。「偉容」「威容」という漢字が浮かんだ。

今朝は、早くに朝食を済ませたら、シャトルバスで黒真珠を買いに出るのだとカミサンは勝手に張り切っている8時にはボラボラ行きの荷物をドア前に出した。これで、スタッフが空港行きのバスに運び込んでおいてくれる。その間に、15分先のモーレアの村に出掛けてくるのだ。

3階のツアーカウンターで、両替の行列が出来ている。船内新聞での案内では、5000円パックで、現地通貨フレンチ・パシフィック・フランに替えるとは書いてあるが、それが、何フランになるのか、またパレオ1枚がいくらくらいかも記されていない。フランス本国よりもタヒチは物価の高いと言われる。

ボラボラ島ではカードが使えるはずで、次の寄港地パペーテは、P1010389_2祭日と聞かされたので、殆どの店は開いてないのではなかろうか。自由散策者が先にテンダーボートで渡る。モーレアのボート桟橋には10分もかからない距離だ。振り返ると、にっぽん丸の船体が一段と美しく見える。

桟橋に集まってきていたタクシーは、ヒュンダイのワゴン車だった。道路側で駐めていた四駆車の男は、下船してきた船客へ盛んに色目を使っているが気の毒だった。実は、我々のオプショナルツアーに、四駆で疾走するというツアーが企画されていたが、事前に催行中止を告げられていたからだ。道が寸断されているという道路事情の悪さを知らされているから、我々の誰もが乗るはずはなかった。

今日のシャトルバスは、明らかにショッピングツアーバスだ。なぜなら目的地の「タヒヤ・コリンズ」とは、黒真珠の専門店だからである。850分発で桟橋着900分。940分発で100分着のシャトルバスを選んだ。

ツアー参加客は、船内で集まり、点呼を取られる代わりに水とバッジを受け取り下船するため、遅れて上陸してきた。桟橋の下に、なまこの大群が泳いでいたと誰かが教えてくれたときには、シャトルバスは座席が満席になったのでと、発車時間を早めて出発した。

 

シャトルバスは、島内を一周する60kmの海岸沿いを西に走った。ハート型の山を2回左に回り込んで、インターコンチネンタルホテル(水上ビラ)を通り過ぎた。直前の船内ツアー説明会では、ショッピングにインターコンチの手前の村を指していたように思えるのだが、思い違いだろうか。

兎も角、連れて行かれたのは、ガイド役の美人、確かTOMOKOさんだったと記憶するが、P1010406_2P1010413_2 彼女の両親が経営する真珠店「タヒヤ・コリンズ」だった。 ショップが集まっているル・プティ・ビラージュの手前に位置する店がタヒヤ・コリンズだった。ここでシャトルバスが停まり、客を中に誘導する。高木夫妻は、元宝飾を扱っていただけあって、P1010424_2P1010409 品定めもシビアだ。カミサンが二人の息子の嫁さんにとあれこれ物色した真珠を、ミセス高木に診てもらっている。我々は、店の中で冷えているタヒチの「ヒナノビール」を飲みながら、 女性陣の真剣な買い物を横目で眺めていP1010423_2壁一面に、ハネムーナーの来店記念写真から、寄せ書きのような色紙が飾られて、購買心を煽る。船客の買った真珠が、鑑定書付きのケースの中に次々と収められていく。カミサンもクレジットカードを出している。トルコのクシャダスでトルコ石を買わされたときは、ギクッとしたものだ。ゼロの数字がとてつもなく並んでいて、現地価格では億の単位だった。世界で一番物価の高いというこの国で、黒真珠をと思うと、眺めている側も、内心やはり、ビクビクものだ。最後のクルーズだから、しかも息子の嫁さんにプレゼントしたい気持ちが断ちがたいようなので、頷いておいた。ところがちゃっかり、自分でも安いものを買ってしまったと袋をかざしてこちらに笑う。やられた。

タヒチで黒蝶真珠養殖が始まったのは30年前で、日本で最初に仕入れた「ミキモト」が、ミキモトパールと、タヒチアンパールの白と黒で、冠婚葬祭マーケットを創りあげたのが始まりだそうだ。それが、世界にタヒチアンパールを広めることになったらしい。真円よりも、少しティアーズ・P1010436_3ドロップのように変化のある玉が面白いなぜなら、世界にひとつしかない形であるから  

女性は誰もがすっきりとした顔つきになっているように思えた。 男達は、苦笑いしながら歩き出した。 選挙カーに出くわした。大きな旗を立てながら、何台もが連なって走り去った。  P1010437_3

3分ほど歩くとル・プティ・ビラージュという、観光客相手のモールに着いた。そこでの真珠店へは誰も入ろうとはしない。閑古鳥が啼いている。大きな「タヒヤ・コリンズ」がビラージュの手前に位置することで、商戦を決めているのだと思えた。

ル・プティ・ビラージュにあるパレオの店、「アート・ポリネシアンズ」を覗く。P1010451_3 我々がパレオを選ぶのは、身につけるためではない。壁に画P1010407_2鋲で留められるライト・タペストリーに、あるいはテーブルクロスにする目的でいつも絵柄を選ぶ。ストーリーが感じられたり、風景が描かれていたりすると、カミサンを呼ぶ。

  まず気に入った1枚を選んだ。別のハンガーでは、1枚2500PCFが、3枚で6000PCFというパレオがあった。2枚まで選んだのだが、誰か、あと1枚一緒に買う方はいませんかと同じ船客に呼びかけてみた。同意してくださった奥様から2000PCFを受け取って支払った。ところが5PCF不足したのだ。両替した金がなくなったのだ。困った顔をしたカミサンをみて、フランス人の店主は、いいよ、いいよと頷いてくれた。

モーレアでは郵便受けに焼きたてのフランスパンを届けてくれるという話を聞いた。せめてそのフランスパンだけでも買ってみようと思ったが、両替した金もなくなった、時間もなくなった。ならば、早いシャトルバス便で帰ろうと決めた。船内で昼食を取る時間も要るし、船内で集合する時間に間に合わなくなるからだ。1115分発のシャトルバスで戻ることにする。ミセス高木は、ヒメノビールとフランスパンを小さな食品店で買ったわと手にして乗ってきた。試食してみて、とフランスパンを差し出された。そのフランスパンは、ほんとに美味かった。

 

昼食を手早く取って、ボラボラ参加組48名は1階のシアターに集合。添乗する藤川君に現地の旅行社社員の松原さんが同伴する。

P1030883_2 P1010484_21315分、ル・プティ・ビラージュとは真反対の方角にあるテマエ空港に10分走る。低い管制塔。50人乗りほどのプロペラ機が頻繁に離着陸をしている。ここでは、島から島へのエアバスの感覚なのだろう。P1010485_3

100mリットル以上の液体瓶は、預かりもしくは投棄」と税関検査の厳しさを聞かされていたので、化粧品類の容器に苦労していたが、結局、手荷物検査は省かされた。コーディネーターの折衝だったのだろうか、難なく搭乗できた。

エア・タヒチの機体は、50余人のサイズだった。P1010489_2 かつて4年目のスーパードライアメリカ縦断ロケの歳 にチャーターした50人乗りのターボプロップのプロペラジェット機と似たサイズだが、プロペラのブレードが違っている。

それは、CPP(コントローラブル・ピッチ・プロペラ)という、ブレードの角度が可変ピッチとなる、P1010969非常に推進力の効率が高いと、高嵜さんから教えられていたプロペラだった。こうした航空機技術のプロペラが、今では高速艇、スピードボート、客船の推進力に応用されているそうだ。一見頼りなく思える鎌の形をした薄いブレードが、我々50人余りを空へ飛ばしてくれるのだ。

P1010501_2キャビン・アテンダントは男女の2人。全員に近い搭乗客が日本人だ。昨日、ボラボラ島の滑走路を船から見ておいたので、座席は右側にした。フランス語でのアナウンスの終わりに「マルル」という言葉が付け足された。タヒチ語で、有り難うという意味である。246便は、ジャスト15時に飛び立った。

飛行機嫌いになったカミサンだがP1010509_2P1010524_2 環礁が見えると、身を乗り出してカメラを構えている。しめしめ、緊張しっぱなしでは困る。カミサンの気を紛れさせてくれるためにも、眼下の風景という被写体は多い方がいい。フアヒネ島、ライアテア島、タハア島を過ぎて、0526_96p1010543_2 特徴的な高い山のある珊瑚礁、ボラボラ島が接近してきた。

1550分着。1時間もしないで着陸した。滑走路は、北側の環礁の島がひとつ使われていた。僅かな距離を連絡バスで船着き場に向かい、 大型クルーザーでモツ(小島)に運ばれる。

0526_97p1010549ボラボラ島を説明するなら、丁度、スタンドライトの形をした頭に当たる部分モツ・ムテが空港。その光に照らされたような場所がモツ・デヴァイロア。

標高727mのオテマヌ(海鳥)山とパピア山が聳える中央の大きな島が、竜の落とし子のような形で、その下に、生まれたばかりの竜の落とし子のような形の島モツ・トファに我々のボラボラ・ヌイ・リゾートビラがある。このボラボラ島には、メリディアン、ソフィテル、ノボテル、インターコンチ、フォーシーズンなど、27のリゾートホテルがある。

400万年前に始まった火山活動で形作られた環礁島だが、900年頃、最初のポリネシアンが着いたのはライアテア島ではないかと言われている。ライアテア島は、モーレアからボラボラに行く間に浮かぶ島で、ソシエテ諸島のひとつ。このライアテア島の近くに海から浮上した、最初の島をボラボラ(最初に生まれたという意味)と名付けたのだそうだ。ボラボラ島には、第二次世界大戦の194212月に米兵5000人が上陸して、この2kmの滑走路を建設し、19466月に撤退した。

 P1010560_2

大型クルーザーには一度に48名、全員が乗船できた。エメラルド・グリーンの中を切るように走る。ヌイ・リゾートは中央の島のそのまた奥、一番外洋に近い小島にあることを、港の案内板で確認している。白波が砕けるリーフに近いロケーションだ。

 

P1010604 水上ビラの数々がラグーンの中に見え隠れする。いくつそれらを取りすぎたことだろう。船長が無言で指さした。島影から水上ビラが顔を出した。草葺きの屋根、テラスから水面へ降りた階段、雑誌で見慣れた風景が近づいてきた。06年のモルジブ環礁を航行した時には、沖からは遠すぎて水上ビラの写真も巧く撮れなかったその水上ビラが、目の前に迫ってきた。

P1010605_2

船着き場では、ギターとウクレレを奏でる二人の大男の歌声に迎えられた。そこは、ホテルフロントでもあった。レジストした後にカードキーが渡され、電動カートに載せたバッグが各自のビラに運ばれた。

フロントから長いウP1010807ッドの橋を渡ると、白砂と二人乗りのカヌーがある陸地を歩く。何本ものウッドの橋が水上ビラに延びている。海面に緑の絵の具を融かしたような光景が広がる。日射しも強く、眩しいほどだ。気もそぞろで、209号室の前に立つ。HEREHEREI LOVE YOUの意味だそうだ)という名前のビラだった。各部屋に名前が付いている。足を踏み入れてレイアウトの巧さとその広さとに驚かされた。坪数で言えば、30坪弱だろうか。目の前に水平線が眺められる。

 

全室スイートルームが120室。冷暖房完備。ドアから入った右手がリビングルーム。ケーブルテレビ(CNN&HBO)とソファー、カーブの深い椅子、CDプレイヤーとミニステレオ、冷蔵庫とミニバー。中央の天井にシーリングファンが回る。P1010609_2 その奥が、レースの天蓋が付いたキングサイズのベッドルーム。足元に2台目のTV。その傍らが書斎テーブル。直通外線電話の横にはネット回線のアウトプットがある。クローゼットは、背広が10着ほど吊れる巾があり、アイロン台が畳まれており、セーフティボックスがある。もう一部屋には、左右両側に洗面台。ドライヤーもコ-ヒー/紅茶メーカーもあり、奥がジャグジースタイルの大型バスタブ。泳げるほどだと喜んでいた人が居た。その右横は、シャワールーム。これだけで既に日本人のバルルームのスペースだ。左横はトイレとビデ。

海側には、プライベートバルコニーがあり、そこにもウッドの3点セット。ガラスフロアが、バスタブの横、リビングのコーナー、バルコニー他、至る所にある。当然のことながら、水面に建っているのであるから、魚もそこから覗ける。シュノーケリングセットは、人数分備えられていて、自由に泳ぎ回れるという塩梅。他に希望すれば、カヌーが自由に使える。長逗留には、充分耐えられる。というよりも、着いたばかりであるのに、帰りたくないなあと思わせる別天地である。ハネムーナーには、夢のマイホームだ。

 

クローゼットに衣服を吊して、シャワーを浴び、着替えて夕食に向かった。リゾートスポットであっても、服装は、スマートカジュアルである。通常の船内でのドレスコード、カジュアルに該当する。短パン・Tシャツではなく、長ズボンに襟付きシャツである。

 

P1010626 陸地に向かう橋からプールサイドを通ってダイニングまでの道筋には、足元に明かりが点々と灯り、いい気分だ。

2階にあるレストランは、天井が高く、景色を遮る窓枠もない。心地よい風が吹き抜けている。

メニューは、前菜が、メカジキのライムマリネ、胡瓜とワカメ添え、メインがチキンの照り焼き風マリネと馬鈴薯のガレット、トリュフォ・オイルソース。

メニューのトリュフォ・ソースやフランボワーズ・ソースと読めば、フランス料理だが、イタリア料理と思い違いしていた人が多かった。レストラン名が、「イリアアタイ・パノラミック・レストラン」だったからだ。

デザートは、タハウ産クリームのミルフィーユ。美味しくて、表面のカリカリ感の食感も良かった。にっぽん丸のデザートは違い、ボリュームがあったことで、ああ、外国で食事をしているのだとあらためて感じた。

 

満天の星空をそぞろ歩きしながら、プールサイドの砂地の感触を楽しんで歩いた。P1010632 帰り道にあるバーの止まり木に高木夫妻と座った。木組みの大きな建物の中の一角に、これまた一枚板のカウンターがいい。 ここで、久しぶりに、ブラディー・マリーを頼んだ。若いバーテンダーは、威勢良い返事をして、トマトジュースを入れた。いい味を出していた。気に入って、3杯目をお代わりした。カウンターの下の彼の手付きを横からじっと追った。あ、と思わず言ってしまった。P1010635_2ウースター・ソースをあんなに入れていたのか!塩分制限の舌に美味かったのは、そのせいだったのか……。カミサンがこれを知ったら、おそらく止められてしまった。

 

いい心地で長い橋を渡り歩いて、我が家に帰り着いた。バスタブは大きく過ぎて入る気がしない。シャワーを浴びて、ふっくらしたバスローブをまとった。蓄積水量を超えて使用すると、翌日まで水が出ないということを説明書で知った。海水の上に建つビラの、こうした上下水道、電気などは、どういう仕掛けになっているのだろうか。明日、建物の下を覗いてみよう。

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2007年8月16日 (木)

07.05.25 ポリネシア5・ボラボラ島沖

『本日も素晴らしい天気です。現在ボラボラ島の西約90kmの地点で、正面にマウピチ島が見えております。これはフレンチポリネシアの118の島々の中の一つにて、ソシエテ諸島の西に位置する島です。フレンチポリネシアは大変広範囲に広がっています。南緯16°28′、西経152°38′で東に航行中。速力16ノット、時速30k、天候は晴れ、北東の風3m、気温27℃、水温29.2℃、うねりの高さ約15m。
 にっぽん丸はこの後09:15頃にマウピチ島に近付き、そしてオーバーランド・ツアーの行程にもありますボラボラ島沖を11:00頃、13:00頃にはタハハ島、ライアテア島等を回ります。そして夜、時間調整をした後、明日05:30頃パペーテの沖にて水先人が乗船し、モーレア島に向かいます。06:30 頃にはモーレア島のクックベイに錨を下ろし、テンダーボート運行の準備をいたします。
 明日の日出は06:20頃でございます。尚、明日は16:00にモーレア島の錨地を離れ、クックベイの西側にありますオプノフ湾に入り、日没の景色を眺めます。日没は17:33頃です。明日の夜20:00にはパペーテの港に着岸予定でございます。

 明日のモーレアは晴れ、時々雲が掛かるということでございます。気温は31
、湿度は76%です。 2728日のパペーテも良い天気が続きます。こちらの気温も31です。お出かけになられる方は、水分補給を行ってください。本日はソシエテ諸島の景色をお楽しみください。』

 

P1000937

甲板は暑そうだ。日焼け止めを丹念に擦り込んで、カメラを袈裟懸けにして4階にあがる。組み合わせは、高嵜、菅谷、鬼界、松田組というベテラン組に、工藤、松田サエ子という小技師と、いけいけドンドンの二人組、塩野、萩原である。

明日からしばらくデッキゴルフが出来なくなる僕はなんとしても勝って下船したいものと、臨んだ。

確かに出だしは挫かれたが、2番ホールに誰よりも先に塩野さん、工藤さんの二人が抜け出したことで、我々は優位に立った。高嵜さんが相変わらず、1番ホールで牢名主のように居座って不気味な位置に付けている。鬼界さんが2番ホールに追いかけた。ともかく、体力戦に持ち込まれないように、4番から5番へ急いで貰う。連合艦隊のように押し上げてくることは必定だった。我々が5番で権利玉になったのが早かったせいで、ホームへの突入は、結構大胆に攻めていけた。

最後は、僕と菅谷・高嵜の対決になったが、運良くクリアできた。勝ったのである。クリスマス島を越えたら、赤道通過記念リーグ戦が始まる。

P1010107 現在までのホールインワイン寄贈の本数は、鬼界2,高嵜1,萩原1,工藤1であるが、本日、鬼界さんと塩野さんが出した。これで、7本となった。

2回戦が出来る時間ではあったが、船は島々を巡って、ボラボラ島に接近するというので、気持ちが焦っている。松田さんはビデオをがっしり握りしめているし、僕は、明日泊まるボラボラ島の外側をしっかりと見ておきたい気持ちが強く、2回戦は中止となった。ビデオで撮りまくっている松田さんが顔をしかめた。説明の言葉を入れようとしている最中に、和太鼓が妙なタイミングでドンドンと録音されてしまう。せっかくの風景に、太鼓の音はないだろうと、音のする方向を指さしながらウインクする。7階のリドデッキで、和太鼓教室が始まったのだ。盆踊りの曲に合わせて叩いているから、こりゃあだめだ。風景とはミスマッチである。

P1010278 ボラボラ島が接近してきた。特徴のある山が見える。オテマヌという700mクラスの山だ。切れ切れになった陸地の間から、エメラルドグリーンの海面が覗く。環礁に囲まれた外側は、塀のようにパーム・ツリーが立ち並んでいる。バリアリーフだ。モーレア島から明日、飛来するのだがエアポートは何処かと眩しい島を凝視すると、誰かが叫んだ。「あ、飛行機が離陸した!」

手間の長いモツが、エアポートになっているようだ。着陸するだけの島だ。管制塔らしき茶色の低い建物が見える。

P1010273 にっぽん丸はこの北側にあるエアポートと並行に航行する。水上ビラのヌイ・リゾートは、ボラボラ島の中でも、本島ではない。モツと言われる小島だ。位置からすると、山の背中側に当たるのだろう。このままの航路では、眺めることは無理だと判る。デジカメの43倍ズームで追いかけてみると、飛行機は、モルジブ環礁島を結ぶようなセスナではなく、中型のプロペラ機のように見える。エアポートの島からすぐに、水上ビラのあるモツへは、ボートで乗り継ぐと説明会で聞かされた。

 

昼食の後もプロムナードデッキはデジカメを手にしたP1010294船客が多く出ていた。 中には、野鳥の会会員らしい方が望遠レンズで海鳥を狙って待機していた。

ラウンジ「海」では、発生と歌唱指導が行われ、後方デッキでは、「デッキゴルフ教室」が始まった。高木夫妻、野村女史が暑い日射しの中でプレイをしていた。リーグ戦ともなれば、また彼らに参加して貰わねば、3組が出来ない。上から眺めながら、秘かに声援しておいた。

 

『「日本客船、米領サモアへ初寄港」サモアの新聞に出ました!』と、インフォーメーションデスクの前に掲示された。P1020018

521日から26日は観光週間だったらしい。地元の人たちに赤い服を着るように促していたらしい。そして長い間、日本客船寄港の誘致に力を入れていたということだった。当日は地元のTV局、ラジオ局も取材に来ていたらしい。あの若者の感動的なダンスグループ名は、イリリルペレルという名前だった。港は、にっぽん丸入港により、一般人の通行をクローズして、歓迎をしてくれていたのだ。次回の観光シーズンが9月ということもあって、にっぽん丸が今シーズン最後の客船だという。我々にとって、あの国での歓迎ホスピタリティは、永く心に残るものとなるだろう。

 

16時からはドルフィン・ホールで「隠し芸大会」が行われている。過去に2回、こうした催事を見てきたが、案外参加者が少ない。審査員と称するゲストのコメントは、当たり障りのない、他愛のないもので、しらけることも多い。尤も、ここに出場すると、間違いなくその後は、人気者になる。つまり、あまり交流の無かった人も、ねぎらいの言葉を掛け合って、親しくなる。出演者は、それがまた嬉しくて、やめられない気持ちになるのだろう。今回は、ホールからの中継を船室で垣間見ることになった。先日昼食の席が一緒になった女性のフラダンスもあったし、そのご主人が珍しい男性フラを披露していた。そのご夫妻と友人だというウクレレ奏者もステージに上がっていた。

これが終わると、1回制の夕食の時間である。2回制の船客には、恒例の「ウルトラクイズ」がサロン「海」で始まる。これは、寄港地に関する豆知識が問題となる。デッキゴルフのメンバーでは、工藤さんや高嵜さんが王冠一歩手前まで残ったことがある。

 

夕食を終えたら、オーバーランド・ツアーの準備だ。P10401228時までに部屋の前に荷物を出しておかねばならない。この航海で一番物価の高い観光地であると散々聞かされているので、余分なものを買わないようにと準備を始めた。

特に、カメラのメディアの予備確認と充電器とソケットを入れ、水銀電池のすべてを充電完了させた。荷物は、手荷物以外を小型のスーツケース1個にまとめた。ネプチューン・バーにも行かずに、もう一度、ガイドブックを読んで明日に備えた。

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07.05.24 ポリネシア4

朝窓に日が射してきた。雲に遮られることもなく、高く陽が昇っている。相当に天気がいいぞと起きる。

Img_1087_24

『南緯15°48′、西経160°00′で東に航行中。速力18ノット、時速33k、天候は晴れ、北東の風2m、気温27℃、水温29.2℃、うねりの高さ約15m。この航海で初めての美しい日の出でした。明日は、タヒチの北西モーレア島に投錨します。それまで、パペエテなどの島々を巡りますのでお楽しみ下さい。』

 

P1010140 朝食後のデッキゴルフは、これまた快適そのもの。これでなくては、デッキゴルフではないなと、メンバーは日焼けを気にしながらもスタートした。昨日の午後欠席が、他メンバーよりも余力を残しているのか、スイスイマダム並みに飛ばせた。赤組の我々松田・工藤・塩野組は、ゴールするのが遅くなったが、結果は、松田・萩原対高嵜・菅谷となり、最後に松田独りに高嵜・菅谷の対決となった。結果は我々に勝利をもたらした。昨日の屈辱を果たしたと松田さん。

1045分からドルフィン・ホールで「入国・ツアー説明会」が行われた。モーレアからホノルルまでの入国手続きがあるので、全員参加である。その後、寄港地でのオプショナルツアーの説明がある。

 

左腕の焼けた肌にポツポツと白い水泡が出始めたのでシャワーを浴びてから、保湿クリームを塗り込む。ボラボラ島のオーバーランド・ツアーを終えるまで、皮がむけないようにしておきたい。

15時からブリッジ(操舵室)で稲積君のマリッジ・リングの交換式である。新郎が白のタキシードを着込んでこようと、参列者は引き立て役。ダブルのブラックスーツにした。Img_1095 ブリッジには、船長以下三役、それに梅北・平と二代に亘るレストランマネージャー、そして内山コンシェルジュ、蘇ツアーディレクター等々、主たる制服組が白の正装で勢揃い。それに船客として、石橋爺と渡辺登志さん、我々、アーティストのルリさん、猫勧進の酒井悦子さん他、祝福の人々で埋まった。久しくこうしたセレモニーがなかったので、と式進行役の内山さんが、そわそわしながら口を開いた。目の前に広がる海と空を屏風代わりにし、厳かに指輪の交換をする。する、のだが、新郎の手元が妙である。Img_1104Img_1101

冷静なはずの新郎が指輪を新婦の右手指に懸命にはめようと焦っている。一瞬静かになったが、それは、新郎のジョークだと思いこんでいた周りは、明るい笑いで包みこんだ。 船長から記念の証明書を手渡され、ダイニングルームから運ばれてきていたシャンパンが軽い弾んだ音を立てた。某ご婦人の音頭で乾杯。白川船長の祝辞を終えた。Img_1112 ここで長谷川機関長からも祝辞を述べたいとImg_1121申し出があり、 「航海と羅針盤」を例えての新生活への願いが語られた。船客代表で石橋爺の祝辞がそれに続いた。ウエディングケーキの入刀の代わりに、新郎新婦には口づけを命じ、 軽く抱擁したままステImg_1125ップを踏んで踊れと、P10001790524参 列者が囃し立てた。僕は、頭上に吊された八点鍾を叩いてあげようかという思いに駆られた。ウイングから海風が吹き込んだような気がした。和やかな空気が爽やかな空気に変わっていった。シンプルだが、とても暖かい式だった。

歓談のひととき、猫勧進の箏奏者に訊ねた。「確か、03年次には『斑鳩』のメンバーとして乗船されましたよね?」「ハイそうです、あの時の演奏を素晴らしかったと書いてくださったのを、本で読ませていただきましたわ」やはり、聴き間違いではなかったし、見間違いではなかった。

「太鼓のドラム・セッティングは、気に入りました。幕開けのイントロで叩いた太鼓の迫力とリズムの小気味よさには、参りましたね。演奏中、箏とシンセの音色が互いにかぶっているのが勿体ないですねえ」とつい、言ってしまった。余計なことを言う悪い癖が出た。

最後は、参列者が出口で両側からアーム・アーチを作って、新郎新婦をくぐらせた。

 

1535分、NHKCSの番組で、狂言の特集番組が流れた。あ、この人は!06年次の世界一周クルーズで拍手喝采だった狂言の茂山千五郎12世親子を撮っていた。偶然とはいえ、このにっぽん丸洋上で再び観るとは…。昨日のアメリカン・サモアの映像といい、TVのスイッチのタイミングが良すぎる。

1550分から1階のシアターでオーバーランド・ツアーNO .19『憧れのリゾート・ボラボラ島の水上ビラの休日23日』説明会が行われた。参加者は、なんと48名。その中には、飛行機嫌いのカミサンの急な参加も入っている。同行ツアースタッフは藤川悟君。06年の同じく「オーバーランド・ツアーイタリア縦断」以来だ。

 

1732分、夕焼けの照り返しがTVのブリッジ画面で見える。おそらく、船尾はきれいな夕陽だろうが、カジュアルな服装では、カメラを持って出るわけにはいかない。17時の時点で第1回食の船客が、フォーマルタイムに入ったからだ。夕陽撮りのために、今からスーツまで着てデッキに出る気にはなれなかった。もっと鮮やかなサンセットをボラボラ島で期待しよう、と諦めた。

18時からの柳亭燕路のラスト高座だが、聴かないでパソコンを打つ。

 

面倒なタキシードも、ようやく着慣れてきた。03年世界一周クルーズでP1010180_2 P1010195思いきって作って以来、何度も着る機会が増えたからだ。さすがにミユキのカッター、太一さんのものはいつまでも型が崩れない。カメラマンの平野君に二人の立ち姿を撮っておいてもらいたいのでと、早めだが、 ドルフィン・ホールに向かう。 数組のご夫婦が既に廊下で並んでいた。そこへ、後ろから松田夫妻が声をかけてくれた。では、P10102003ご一緒で宜しいですか  と互いに中央より奥に座る。 2回制の良さか、座席に余裕がある。今回のガラナパーティの会場は、中央にオードブルのテーブルがレイアウトされていて、しかも、 フロアが空いている。平野君をカミサンは既に捉まえてきていた。その空いたフロアに立った。 続いて、松田夫妻、高木夫妻、高嵜夫妻と、お馴染みの顔がその場を占拠したように入れ替わり立ち替わり記念写真に収まった。

P1010156落ち着くと、カクテルが配られてきた。好みのカクテルをメニュウに書かれた番号で選ぶのだ。そのカクテルをデザインしたバーテンダーが、一人一人カクテルを手にしてステージ上がった。今回は、全員がフィリピンスタッフの手によるものだった。拍手に湧いた。

 

クルー三役が席を回って記念写真の中に入っている。先回のフォーマルデーでは、瀬戸ご夫妻に、奥様は居ないのと言われていたので、川野チーフパーサーに入って貰って、P1010206 瀬戸相談役ご夫妻と我々との記念写真を撮らせていただいた。それを見た梅北さんも小走りして加わった。アサヒの商品が船に入った当時からのお付き合いだそうで、 有り難いことだった。瀬戸ご夫妻とは、インフォーマルでテーブルをご一緒させていただくことになっているようだ。

「瑞穂」に移って、キャプテンズ・ガラ・ディナー。「ガラ」とは、特別な、晴れの、愉快なという意味がある。テーブルは、松田、高嵜廣子、高木のそれぞれ夫妻が入れ違いに座ることにした。 デッキゴルフのノイジーな連中で固まったことになった。ボラボラ島への飛行機を心配するカミサンは、「生前葬」の食卓だといい、僕は、「遅ればせながら、高嵜廣子さんの誕生日祝い」だと言い直した。

強引に飛行機に乗せられるといいながら、顔は喜んでいる。いよいよ飛行機のタラップに足をかけたとき、この顔が引きつっていなければいいがと思う。環礁島の間は、エアバスのように毎日飛んでいるのだし、プロペラ機だからいざというときには、安心だろうと僕の方は楽観視している。尤も天気次第ではある。無事に帰還したら、また夕食で「生還祝い」をしようと決まった。

 

P1010236_2P1010218バリトン歌手「平野忠彦ラストコンサート」へはカミサンが聴きに出て、僕はこの時間にカジノルームの写真を撮りに向かう。 これまで、プレイしてはいたが、この光景を撮ってはいなかった。船内の楽しみを説明する写真がなかったのだ。ディラーのスタッフは、メインショーが終わるのを待っていた。スタッフは、撮影に協力していつもの仕草を繰り返してくれた。

メインショーが終わる2215分が過ぎた。フォーマルウエアの夜なら、船客も楽しんでいるだろうから絵になると予測したが、顔を見せたのは、松田夫妻と他に二組の夫婦だけだった。多くの人がプレイし始めると、手元が撮れない。その前に撮り終えて部屋に戻った。パゴパゴとモーレアの間には、1時間の時差がある。今夜から2回時刻調整になる。腕時計とデジカメの時間を30分進めて、ボラボラ島オーバーランド・ツアーの準備を始めた。

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2007年8月11日 (土)

07.05.23 ポリネシア3

今朝も大きく揺れている。然し昨夜はよく眠れた。時々、足が攣る。腎臓が弱っているのだろうか。カリウムの多い生野菜は控えよう。久しぶりに窓に光が射す。八点鍾が鳴る。

『南緯15°09′、西経166°43′、アメリカン・サモアから430km離れて東に進んでいます。速力18ノット、時速34k、天候は晴れ、南の風7m、気温27℃、水温292℃、波の高さ3m。昨日のパゴパゴ港はQE2も接岸したそうですが、岸壁の長さが120m、にっぽん丸でさえ25mはみ出していました。朝10時、総督の表敬訪問を受けました。日本船初寄港ということで大歓迎されました。「レニー・パゴパゴと覚えておいてください」と、冗談を言われました。コンテナを多く見ましたが、中でもマグロの缶詰を毎月500本出荷しているそうです。昔は日本船でしたが、いまは中国船に代わっていると言うことです。これから、タヒチ、モーレア、パペーテと続きます。尚、午後から船首楼・フォクスルを解放します。記念写真にどうぞ、タイタニック・ポーズを撮られたらと思います。』

 

Img_1082

久しぶりの天気で、デッキゴルフも楽しめそうだと急ぐ。全員が顔を揃えた。全員のジャンケンでチームを分けた。白パックが高嵜、菅谷、工藤、萩原。赤が松田夫妻、塩野、鬼界、草浦各氏。

どういうわけか、僕がなぜか好調で、誰よりも早くに2,3,4番ホールを盗り、楽な展開になった。一昨日の最悪の打率からしたら、嘘のようである。「別人28号!」懐かしい掛け声がかかった。それに引き替え、菅谷さんのパックが何度も抜けていくという不思議な現象が起き、最後は塩野・松田対菅谷の2対1の戦いになった。

 

松田史郎さんがホームを上がってしまったのがこちらには幸いした。塩野対菅谷の2者決戦は菅谷クリアで勝負あった。我々白に勝ちをもたらしてくれた。これでも僕の個人的な戦歴は、178勝で5割にも満たない。デッキゴルフがしたいばかりに乗船しているという鬼界さんは、さすが違う。10勝している。

 

P1010114 デッキゴルフのリンクからガラス一枚中では、フラダンス教室が開かれていた。03年、06年の世界一周クルーズではなかった教室である。今回はハワイに寄港するのだ。それまでの間に覚え込んで、発表会でもあるのだろう。カミサンもどこかにいるのだが、姿は見えない。ミセス高木の横で、白川船長も腰を振っている。

P1010115 P1010111 二人の美人インストラクターが、ステージで教えている。後ろ姿と正面を見せている。これはとてもいいことだ。ゴルフレッスンでいつもおかしいのは、教えるのが真正面からでは頭がこんがらがる。出来る教師は真後ろから見せる。ところが、ゴルフ練習場は狭すぎてそれが出来ない。P1010122 横から見るしかないから、巧く飲み込めない。スキー教室も同じ事が起きている。整列させた生徒に対して、インストラクターは、横からしか見ていない。いざ滑るときはフォールラインに向かう。だから、一番滑りが巧くなりたいなら、教師の背中を見続けて滑るか、トレインと言われる長い列を作ってゲレンデを蛇のように滑り降りることだ。

 

シャワーを浴びて昼食に出る。窓際に座った。船の蹴り出す白い波が眩しい。もうどれくらいこの光と影を見ていなかったのだろうか。やはり、南洋クルーズは、こうあってほしい。ドイツに売却したアマデオ(元飛鳥)に一緒に乗ったという二組のご夫婦が、ご一緒のテーブルになった。ハモニカ教室で昔のようにハモニカが吹けなくなったと嘆くご主人を、「肺活量が減ったからでしょうね」と、もう一人の奥様が慰め、「シュノーケル教室がプールでありますね」と話題を変えた。それに、当のご主人「小笠原でシュノーケルを使ったが、しこたま潮水を飲んでしまった。自分専用の1mくらいの管を特注してくるはずだったんだが、忘れてしまった」と、返す。だれかが話すとそれに軽妙に投げ返す。とにかく笑い放しの昼だった。

 

部屋で日記を打っていたが、目が疲れた。少し体を横にしたら、眠ってしまった。足が攣って目が覚めた時は、17時を回っていた。

高嵜さんに呼び止められたカミサンが、僕が何処にいるのか訊かれたそうだ。何処に居るか知らないと答えながら、後部デッキに顔を出すとメンバーが口々に、萩さんどうしたの?どうした?と声を張り上げていたそうだ。部屋に戻って、熟睡している姿を見たら起こせなかったという。確かに、1530分から、昼のゲームをする約束だったのをすっかり忘れて眠ってしまっていた。申し訳なかった。

勝敗の結果を記した紙がドアー下に差し込まれていた。デッキゴルフは2戦したようだ。高嵜組が2勝、松田組は完敗だった。昼食の時、話に出た7階でのシュノーケル教室は、波が荒いからと中止されていた。

 

18時、メインショーの「猫勧進」を見ようと5階のドルフィン・ホールに座る。サロン「海」の時の単調なステージではないはずだ。太鼓に箏、キーボードとメンバーが揃ったフルメンバーのメインショーだからだ。

和太鼓がいい。ドラミングのような切れのいいリズム。大太鼓、小太鼓がスネアーなしで、洋楽のようにセットされてあった。アーチェリーのオリンピック代表選手だった体育の先生によく似た顔立ちだ。尺八もリズミカルなアップテンポをこなし、気持ちがいい。時折、リーダーのエレキ三味線が音を外すが、作曲担当のシンセが発する掛け声が、パーカッションのように小気味いいことで救われる。このキーボード奏者は、パソコン教室の菊池先生のご子息だそうだ。MCをこなす箏の奏者は、もしかして、03年次の世界一周クルーズで演奏した「斑鳩」のメンバーだった女性ではないだろうか。

聴く価値有りだった。アンコールを誘うこともDVDを売りつけることもなく、10年目のアンサンブルに拍手した。ただし、ここで、また、辛口評を書けば、アンコールに選曲した「千の風になって」を、サンバにアレンジしたのは、以ての外だった。笛と太鼓でアップテンポにしてまで心地いいと思えるのは誰だろうか。曲想というモノがある。例え、それが作者不詳の他国のものであろうと、日本で新井満が吹き込んだ願い、これまでに積み上げてきた想いが、オーディエンス一人一人の中にある。故人を偲ぶ気持ち、墓標のような感慨を無惨にサンバにアレンジされては、音楽を壊す。「ワルノリ」というべきだろう。音楽とはどうあるべきか思い知らされた。後味の悪さも残った。残念。

 

夕食までの間、部屋の6チャンネルを入れた。1915分。アメリカン・サモアの観光ビデオが流れていた。編集も飛び飛びで、道順が「行って来い」をしている。小さな商店の名前は出ているが、観光名所ではないのか、サディ・トンプソン・インの映像にはタイトルは抜けていた。素人の編集レベルだが、ツアーコンシェルジュの内山さんだて、ロケハン先発しているのだから、これくらいのビデオを事前に撮ってきて見せてくれても良さそうなものだ、とカミサンに話した。いつもクルーズ説明会では、絵葉書のような観光地風景のスライドに終わっているからだ。こうして、車から流し撮りをした動画で見たいものだ。街の中の繋がりが頭に描けるからだ。「船客の誰かのビデオを流しているのでしょね」カミサンもそう思っていた。

エンディングのタイトルロールで唖然とした。どうやら、アメリカン・サモアの観光担当局のビデオだった。小さな町の、電気屋さんが編集したのだろうねと話ながら、夕食に上がった。

 

高嵜夫妻が、今晩は一緒に食べましょうと誘ってくださった。居眠りで試合放棄してしまった手前、ばつが悪い。高嵜さんはにこにこしている。勝ったからだ。まだ誰も座っていないセンター右テーブルに案内されてしまった。恐縮していると平さんが「ゆっくり出来ますから」と、右手を大きく拡げた。「我々の声が二人とも大きすぎるから」と、高嵜さんが混ぜっ返す。平さんが困ってしまった。

昼下がりの熱戦と、親睦会の日時場所、それにスタッフとの対抗戦の日程などを話し合った。カミサン達には無関係の話ばかりだった。夜の落語は二人とも聴きに出ないと別れた。

エントランスで稲積くんから呼び止められた。手に封筒が。明日のブリッジでのウエディング・セレモニーへ参列の招待を頂いた。「モーレア島の洋上でする」と先に聞いていた。明日はフォーマルデーだ。15時ウエディング、1550分、ボラボラオプショナルツアーの説明会。19時からキャプテン・カクテルパーティ。

 

船はようやく揺れも収まりかけてきた。いまは、南緯15°29′、西経162°51′。真横の東、モーレアへまっしぐら。最後にもう一度、6チャンネルにTVを切り替えてみた。マイケル・ジョーダンがバックス・バニーなどのアニメキャラクターにバスケットを指導して勝たせるという、あのディズニー映画だった。映像もきれいだ。しかしこれは、船内発信ではない。となると、6チャンネルとは何だ?洋上から受信した米国TV局の番組なのか???判らないままになる。

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2007年8月 9日 (木)

07.05.22 アメリカンサモア・パゴパゴ寄港

P1010130今朝は八点鍾がないが、8時前に起きた。入港風景を見たいので、最上階のサンデッキにカメラを持って出た。このカメラ、腕時計を毎晩時間調整する際に、同じ手で直しておかないと大変なことになる。撮影時間がずれてしまうだけではない。日付変更線を越えることが二度もあるからだ。帰国後の写真整理が大変になるからだ。通し番号で言えば、既に660枚は撮り終えた。P1000722mt

730分、パゴパゴのタグボートが離れていった。入江の口に聳えるレインメーカー山に雲がかかっていた。この山に雲がかかると雨が降るそうだ。やはり今日も雨か。

サモアでなんとなく思い浮かぶイメージは、ホワイトとスカイブルーのペンキで塗られたアメリカンスタイルの家と、エメラルドグリーンの海。バミューダと違うのは、うっそうとしたジャングル。それが、どうだろう。P1000740U字型の静かな入江に入ると、白い教会が緑の中にポツン。 山の急勾配に普通の家々が覗き、桟橋の先にヨットハーバ―らしきポールが数本立っているだけの風景。左舷に見えたレインメーカーホテルは、廃業したままでその姿を残していた。アメリカン・サモアという語感からは、ちょっと質素な雰囲気だ。尤も、このツツイラ島の西側には、ウポルボ島とサヴァイイ島のいわゆるサモアがある。サモアでの王位継承争いに内政干渉したアメリカが米独伊会議の結果、西経171°以東をアメリカ領としてしまった。なぜなら、太平洋海域の米軍補給基地があったからだ。

 

いつものような歓迎の人影はない。埠頭は左舷にぎりぎり1隻分のスペースだ。着岸すると音楽が聞こえてきた。しかし、人の現れる気配もない。やがて、それは、イミグレの広場に置かれた大型スピーカーから流れていることが判った。

P1000738 朝食後に待たされることもなく、円滑に下船許可が下りたようだ。ツアーバスに乗る船客たちは、開放的なイミグレのゲートを通って、次々と右側に消えていく。今日も自分の足でぶらつくので、ゆっくりと下船する。

埠頭は、ファガトゴという地区だった。町らしいのは、右側に10分ほどのエリアしかないとのこと。ならば足が元気なうちに、レインメーカーホテルの跡地を見ながら、白浜があるというウツレイ・ビーチまで歩くことにした。

P1030880 タラップを降りた途端、シャワーの洗礼を受けた。汚れた体を清めろとでも言われているように、禊ぎの滝に打たれたのだ。カメラのレンズに雨を当ててはいけないと、戻って船のビニール傘を借用した。

少し歩いただけで蒸し暑さが身体を包む。そして、初めて感じる強い潮の香りと魚の臭いだ。ワゴン乗用車を改造したバスが、派手な色に塗られたオモチャの車のように、走りすぎていく。数分でゴート・アイランド・ポイントに着いた。左手に突き出ているのが、かつては、島一番の高級ホテルだったレインメーカーホテルの跡地。総督官邸のカーブ地点で、にっぽん丸の船客を乗せたツアーバスが手を振って次々と通り過ぎていった。

P1000783   左手海沿いに公園が続く。「パゴパゴ・ヨットクラブ」という小さな看板を過ぎた頃に、猫の額ほどの白砂が見えた。まさか、ここがこの島で唯一の白浜「ウツレイ・ビーチ」ではなかろう。

道路の右側を見渡すと、JMマートという店に、「センテニアル・アニバーサリーのホワイト・ペンキを発売中」という看板がかかっている。2000年を迎えるに当たって、この島では家屋を白く塗らなければならなかったのだろうか。そう考えて周りを見ても、建物にその名残は見えない。どういう意味だろう?

そのまま、P1000801だらだら坂を上がって右にカーブを切る所まで出た。カメラの倍率を上げて探すが、その先に泳げるような白砂海岸があるようにも見えない。目の前の沖に大きな奇岩がひとつ、波を受けていた。ここまでは、上野から秋葉原まで歩く距離よりも遠いはずだ。よくカミサンも付いて来たものだ。ここで引き返し、もと来た道を戻ることにした。

P1000798 至る所に看板がある。「酔っぱらい運転はするな」「ゴミを投棄したら、監獄に留置するか、罰金だぞ」とか、「正しい食事で健康であれ!」とかだ。

 

 

戻り道でカミサンがあっと声を上げた。道の脇に低い標識があった。「ウツレイ・ビーチ」。あの猫の額の浜が、泳げる唯一の場所、ウツレイだったとは。来た道には、その標識はなかった。P1000804 P1000807 P1000811_2  

「パゴパゴ・ヨットクラブ」の裏側に、長さおよそ10m程の白い大型カヌーが船底を上にして置いてあった。その奥に細長い小屋がある。格納されていたのは新しいカヌー。祭りに漕ぎ出すのだろうか。破れた金網から撮ってみる。脇には斜めにオールが立ててあった。ヨットクラブの海側のテラスの壁には、レース・タイムがボードに書き残されてあった。

 P1000775

こうしてみると、往きの道で通り過ぎた公園は、「ウツレイ・ビーチ・パーク」と呼ばれているのだろうか。山側にはサモアナ・ハイスクールがある。そして、パークの中央には、アイキャッチャーの役でエンジン付きの大型救命ボートが置かれて、横長の幕には「セーフ・ボート・ウイーク」とあった。船遊びでの水難事故がかなり多いのだろう。

P1000820 立ち止まっていると、パゴパゴの警察官たちがその救命ボートの前で集合写真を撮り始めた。それが終わったら、誰かと一緒の記念写真を撮ってやるからと、カミサンを近くに待機させた。その彼らがカミサンを目にして、一緒に入らないかといきなり声を出して呼び込んだ。予想外の展開だった。いそいそと集合写真に入ってしまった。しかも、彼らに大歓迎された。

輪の中にいたボス、署長があのテントでコーヒーをP1000816飲んでいけと盛んに勧める。有り難く厚意を受けることにした。テントの端にジャーがあった。そのコックに紙コップを差し込んで気がついた。しまった!白湯だった。てっきり、熱い珈琲が出てくるものと思うのは、早合点だった。横に粉末のインスタントコーヒーとパウダーミルクがあった。ここは、素朴な島なんだぞと自分を叱った。薄めに入れて飲んだ。P1000822k

署長がにこにこしながら、我々のところに歩み寄ってきた。ワタシ、ムスメ、イチ、ニイ、サン、ノ、サン」日本語だった。どうやら、指さした先に座っているのが、三女だという意味だ。先ほど、記念写真を撮っていた女性だった。浅黒い警察官の中で一輪の花だった。「ユアドウター? シィズ、プリティ!」それを耳にして嬉しそうだった。察するに、「交通安全週間」を部下がアピールしているんだからと、愛娘を連れて慰労に現れた父親という図か。

 

警察官に、18かと冗句を言われたが、小柄なカミサンは悪い気がしない。「若くに見てくれて有り難う」と返すと、「45歳くらいだな、で亭主は何歳だ?50歳かな?」と茶々を入れる。こちらも負けずに、帽子を取って、髪の毛の薄いのを見せたら、どっと笑いを貰った。受けた。こんなことは、フリータイムで散策しなければ、体験できない。

「観光客が来ると、必ず雨が降る。それは、強い日射しを和らげるための歓迎の儀式なんだ。で、雨降ると、ヴィジターは店に入る。店は客を歓迎する。だから、僕たちも観光客を歓迎するのさ」巧いことをいうものだ。警察署長では勿体ない。観光局長も兼ねてもいい。そう褒めてあげたかったが、そこまで英会話はできない。クルーズ14日目にして、ようやく、現地の人たちとコミュニケーションらしいことをして楽しめた。

「コーヒーを飲み終えたら、救命胴衣を二人とも着て写真を撮らないか?」と、若い警官が言ってくれた。サイズを探して持って来てくれた。彼にシャッターを押して貰った。「THANK YOUは、日本語でどういうのか?」「HELLOは?」「GOODBYEは?」矢継ぎ早に彼が訊く。丁度胸に入れていたメモ帳に日本語を書きつけて渡した。

P1000778離れたテントの中にいる警官達に手を振ってその場を立ち去ろうと背を向けたら、「モシモシ!!サヨ!ナラ!ワハハハ」というスピーカーの声で送り出された。ますます嬉しくなって、何度も手を大きく振り込んだ。

目の前のハイスクールバスからも、カミサンは呼びかけられ、陽気にはしゃいでいた。ようやくカミサンも、南の島に来た気分がしているのだろう。03年の時の寄港地トルコ・クシャダスに感じた、あの陽気な親しみを全身で受けた。

戻り道を急いだ。シャワーを浴びて昼食を取りたいからだ。ところが、イミグレを入った時、P1000927その急ぎ足を止めたのは、地元の即席バザールだった。 にっぽん丸の停泊を見込んでわざわざ開店してくれたのだ。せっかくだからと、トンガでは買えなかったパレオの生地を捜してみた。サモアの文字がデザインされているのが土産にはいいねと、カミサンに薦めたら、松田サエ子さんも色違いを買ったようだ。同じく、田中さんの奥さんも買ったらしい。

反対側の店で僕は、カバを造るタノアがデザインされたパレオを見つけた。テーブルクロスにいい。少し現地通貨の手持ちが少なかったので、「タウガター(値段が高い)、ファーモレモレ(ごめんね)」Dsc02242といって、値引きを頼んだ。あちこちの店に見事な生花のアレンジメントが飾られていた。カミサンがそれを最後に買った。 何処の国を歩いていても、どこの観光地に行っても、花があるとカメラに収める。自分の編集しているサイトに載せるためだ。

部屋に帰ると、花を差し出して言った。「いいでしょ、これ。遅ればせながら、高嵜廣子P1000842さんの誕生日祝いに買ったのよ」食事に出てしまう前に部屋に届ける方がいいといって追い出した。カミサンのその機転を褒めてやりたい。

サモアの英文パンフレットを見ていて、あの奇岩は「フラワー・ポット・ロック」という名前が付いていたことを知った。

 

昼食は、うどんだった。ジュン君に頼んで、お代わりをした。蒸し暑かった日に喉ごしさっぱりのうどんなど蕎麦類が日本人にはいいということを、シェフは解ってくれているのだ。P1000896

午後からは、埠頭のファガトゴから右側の町を歩く。ジーン・ハイドン博物館に寄る。丸木船のアルトリガーの実物が展示された周囲には、魚の捕り方、骨を利用した釣り針、釣り上げた魚を気絶させる木製の棍棒、サモアの衣装、貝で造った頭飾りなど。館内は、こざっぱりとしているが、判りやすい。入場料はいらないが、P1000909心付けを入れる箱があった。些少だが 入れてきP1000865た。 

マオタ・フォノ国会議事堂のフェンスは、カバの器タノアがデザインされていた。少し歩いた先にはマラエと呼ばれる広 場、その先に裁判所。右手海側には、新しいビルのショッピングモールがあった。土産にと思っても、シャツ類は馬鹿でかすぎて、手にしても笑うしかない。これでは冷やかしにもならない。トンガと同じだった。

P1000885 さらに先にあるバスターミナルにまで行こうと歩く。この町のバスだが、客席の天井が高いのに、ドライバーの座っている位置はとても低い。これが妙に面白い。ステーションワゴンカーを改造して、後部に大きな箱を乗せたような、あの独特の運転席を横から撮っておきたい。

P1000878b P1000887バスセンターには、何台ものバスが停車している。丁度、学校の引け時だった。長い腰巻き状のスカートを男女が履いている。よく見ると、そこに校章がプリントされている。ブルーもあれば、ブラウンもある。 もしかしたら、学年の識別だろうか。僕の高校は、校章バッジの色で学年を区分けしていたからだ。

随分と長く眺めていた。バスターミナルでの人の動きは飽きなかった。野良犬は此処でも多い。足を引きずった犬を何匹も目にした。車に轢かれたのだろう。そういえば、信号もない町だったことに今、気付いた。

P1000891バスセンターの外れ、山側道路に面して、「サーディ・トンプソン・イン」がある。サマセット・モームが泊まって執筆していたホテルだというが、いま2階はレストランらしい。その前で記念撮影。と、背中に、ホテルの中から飯塚さんが現れて駐車していた車に乗り込んだ。「シャワーが思いの外激しいので、レンタカーの方があちこち動けるかなと、借りちゃいましたよ」ということだった。なるほど、信号もない島を取り巻く道なら、確かに一回り出来るかも知れない。

P1000919 帰路の途中、博物館の向かいにあるコンビニストアーを覗いてみた。生活雑貨用品ばかりのなかに、ひときわカラフルな棚があった。南洋模様の布地だ。カミサンの足が止まった。小間物を創る素材だそうな。最小単位で数種類の柄を買うことになった。

イミグレを通り抜ける時、タヒチアンダンサーズが何人も集まっていた。おそらくハイスクールの学生ではなかろうか。彼女たちにカメラを構えていたはずのカミサンが呼び込まれて、僕がダンサーとカミサン達の集合写真を撮る役となった。P1000930

 

シャワーを浴びて着替えたところに、松田さんから電話を貰った。「1630分からダンスが始まりますよ」。

撮り終えた写真をHDDにコピーしてメディアを空にした。急いで4階プロムナードデッキに上がる。見下ろすと、民族衣装を身につけた集団が歩き出したが、ぴたりと足が止まった。P1000939予想に反して、P1010007岸壁をステージにはしなかった。その手前の広場が踊る場所のようだ。無粋なコンテナーに生の花を飾り付けていた意味がやっと判った。その飾り付けが、ダンシングステージだったのだ。エレベーターで1階から下船して、広場に駆け付ける。船側からは、被写体は逆光だ。P1000978P1000955 正面からではなく、横から狙うことにした。重低音の打楽器が大型スピーカーから響いた。軽快なリズムが刻まれる。 顔にペイントした男性がコンクリートの大地を踏みならして、動き始めた。重い掛け声も勇壮だ。船客は続々とタラップを下りてくる。町から帰り着いた船客は驚いて立ちすくむ。なぜなら、ずらりと、船客たちのカメラの放列だったからだ。

ダンスの振り付けの先生がマイクを握った。次々と繰り出すダンス。P1010101男性群舞、女性群舞。足が思わず動いて、僕もステップを地面に打っていた。

数曲が踊り終わったときには、もう船のデッキから見つめていた船客も、カメラを手にしゃがんでいる船客も興奮してきた。「ガンバッテ!ガンバッテ!ドウシタ!ドウシタ!」こういう掛け声が歌の中に入っていたように思えた。

P1010068P1010095 ダンスの振り付けをしている先生が、輪に中に入ってきた。 先生のソロダンスから、群舞がそれに続いた。赤いサックドレスをまとった観光局のスタッフが踊り出したときには、レンズから、彼を捉えながら、胸が熱くなってしまった。相撲取りのような体格で、あまり表情を崩さない、P1010028まじめな顔つきだった男が、軽快にステップを踏み出した。素足になっていた。思わず踊り出した彼の気持ちの中には、我々が寄港したことへの喜びが溢れたのだろう。アメリカン・サモアに寄港した日本船は、にっぽん丸が初めてだったからだろう。 高木夫人が踊りに引き込まれた。カミサンも手を取られて中に入って、激しく踊らされた。

ラストダンスでお別れしますと、汗だくの先生がマイクを離した時には、異様な空気が張り詰めた。最高に盛り上がった!やっと、このクルーズで感激をした。

興奮した船客は、去りがたい気分になっている。帰船してください、乗船してくださいと、航海士に促がされて、ようやく船客がタラップを上がったほどだ。

この間、シャッターは167回押していた。P1010104

 

パゴパゴを出航するときは、既にダンサーは去っていた。とても居心地のいい島だった。感動を貰って船は離岸した。

1日ツアー」の客が、教会を出た階段で足を滑らせて動けなくなったという話を聞かされた。暗かった教会から光の強い外に足を踏み出した階段だったため、瞳孔が追いつかなかったことと、強いシャワーの後で、出口の足元に水が貯まっていたという。ツアースタッフがいつものように気遣って先導していなかったのだろうか。救急車が来たのはそれだったのか。

サモア・パゴパゴ湾を出た途端に、外洋は左右にゆっくりと大きな振幅で揺れ始めた。早くにシャワーを浴びておいて良かった。これでは、また洪水になったに違いないほどのローリングだった。静かな入江がいかに重要な拠点か、この2万トンクラスでも判る揺れだ。こうして、パソコンを叩いていても、身体は左右に揺れていく。

1745分。まだ夕食1930分には間がありすぎる。航路は、南東に下りている。

夕食がセットされた時、水本君が誰かを捜しているのか、入口で足が止まっていた。手招きした。僕の手に平マネージャーが気付き、僕の隣の席に案内してくれたのは、日焼けした面識のない女性だった。遅れて水本君が座った。彼女は、ハワイに何度も来ては、フラダンスを習っていたという。今度の船客の演芸会にも、フラを披露するという。水本君は、ウクレレ教室に参加するという。

2115分、サロン「海」でアイランド・ウインドのリーダーが奏でるウクレレを聴く。

ますます、大きなうねりに船は突っ込んでいるようだ。体を傾けながら聴く格好になった。観客が、人間メトロノームのようだった。

南緯14°58′、西経16856′、部屋に戻っても、相変わらず大きく揺れているので、パソコンを打つのを止める。2350分。

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07.05.21 ポリネシア2・ババウ諸島航行

昨夜は3時に就寝。今朝は八点鍾で起床。

『風が吹き、あいにく、雨雲が拡がっています。南緯18°46′、西経174°12′。天候は時々雨、南東15mの強い風、速力は落としまして13ノット、時速24k、気温25℃、水温275℃、波の高さ約2m。昨日の寄港地ヌクッアロファより275kの位置にあり、大小34の火山島から成るババウ諸島の入口です。複雑に入り組んだ海岸線と断崖絶壁の景観が素晴らしく、世界のヨットマンの憧れの地と言われています。お昼までこのババウ諸島を縫って参ります。

明日寄港しますパゴパゴは、アメリカ領サモアの一番大きな島、ツツイラ島の首都で、西経171°以東にある7つの島々から成るアメリカサモア全島の人口は、65000人。パゴパゴ湾の東側にあるレインメーカーという524mの山に雲がかかると必ず雨が降るという。明日の天候は、やはり時々雨。気温29℃。07時にパイロットを乗船させ、8時に着岸予定です。

日付変更線を越えたため、昨日に続き、本日も二度目の521日でございます。 日本とは、20時間遅れた時間です』


P1000437今朝のオートミールは、殆ど底が見えるほどに無くなっていた。クロワッサンに切り替える。グアバジュース、ヨーグルト、それにスクランブル・エッグ。

雨模様だというが、デッキゴルフ・リンクに向かう。ひと降り来るかも知れない日なのに、久しぶりに全員が揃った。島巡りをする午前中は、P1000438景色を見て貰うと、すべての教室はナシとなっていた。ダンス通いのミセズ高木も参加できたわけだ。

周遊する日は、カメラを背中に斜め掛けしてプレイすることがしばしばある。左舷前方に、数回飛び跳ねるモノを見た。カメラを構えたときには、それは消えていた。イルカよりは短く四角いように見えた。エイが飛んだのではなかったか。

 

雷が轟いた。ゲームは一旦中止した。しかし、誰も帰ろうとはしない。「へそ、気いつけんとあかん、わし、もう一個盗られてもうたがな。」「金ぎょうさん持ってはる人、金持ちには雷落ちるでえ」松田さんらしい冗句で笑わせる。山縣さんが乗っていないので、松田さんが、二人分の役をしてくれている。

熱射病のため、トンガの救急車で運ばれていた船客は無事帰船したそうだ。スティックを支え棒にして、話が始まる。しばらくは、デッキゴルフの歴史談話。元機関長の猪狩さん、武谷さんのお名前が出てくる。99年からデッキゴルフに嵌ったという鬼界さんは、工藤さんクラスのベテランである。松田史郎さんのお師匠さんだから。(秘かにニックネーム試案は、オッシショウ・ネーサンと名付けている。徐々に新しいメンバーにも、ニックネームを付けていく)

P1000716rinnku夕立にも似た、長い雨脚だ。諦めたて帰った人もいたが、、松田夫妻、高嵜、塩野、鬼界と6人は残った。

11時までと時間を切って再開した。赤組が一人ゴールアウトした。しかし、雨は止みそうもない。ミズスマシ状態になりかけてきた。では、今朝はドローということで、と終わった。濡れながら恨めしく空を仰いだ。15時、天気が回復したら集まることで別れた。

 

そして、島巡りの航路も組み立て甲斐のない暗い午前となった。雨に濡れた身体をさっぱりしたいとシャワーを使ったのだが、これがまた災難。床が傾き、洗い流れる湯が洗面所にまで流れ出し、処置なし。揺れないと言われる1階で水害だった。足拭きマットを2枚電話で頼んだが、他の船室はどうだっただろうか。カミサンも洗濯室から戻ったが、横になっている。

ナビゲーションの画面では、ババウ島の東南東に航行しているが、窓の外をみても、相変わらず、どす黒い海原で波が高い。

3階のツアーデスクに上がった。ボラボラ島水上ビラの事前情報配布は郵送されないままだったが、ホテルは決まったのかと訊ねた。同行スタッフになる藤川君がわざわざ説明に来てくれた。ホテルは、ボラボラ・ヌイリゾート&スパ。ついでにシャワーコーナーの流水の件を話した。ルームサービスの梅北マネージャーまでもが謝りに来てくれるた。恐縮するばかり。1階船室に限ってかと訊くと、殆どの船室で、横揺れにために洪水が起きていることが判明した。カーテンの丈が短いなと出航の時から気になっていたのだが、と問うと、これが正常だという。昨年3階の船室は、裾がいくらか折れるような長さで、散水をほどよく抑えてくれていたように思えたが、目の錯覚だったか。

 

5階でメールのチェックをした。「なと(名古屋学院東京在住同期)会」の幹事役である土屋隆一君が、夏季の日時を決めたと、村田亨君からの転送メールを貰う。8月7日、会場は千代田区丸の内の外人記者クラブとなった。

昼寝をする。1530分からデッキゴルフを再開。相変わらず風は強いが、その風が気持ちいい。揺れは左右にある。

白組が松田夫妻・菅谷・ミセス高木。対する赤組は、高嵜・塩野・高木保彦・野村・僕。人数が不足した場合は、ひとつのパックを交互に打つことでゲームを進めてきた。

1番、2番、3番は、後部デッキ中央にあるため、風の影響は比較的少ない。風の通り道となる。左右の端にある4番、5番は背中を押されるような強い風圧を受ける。スティックを握る手元が微妙に不安定になる。またそこが面白いのだというのが、このメンバーである。

ついに、塩野さんが4番ホールで帽子を海に飛ばされる。帽子が波間を泳いでいく。ここで、ネックネームを思いつく。これまで保留にしておいた(5階船客)「ファイブスター」から「ハット・フィッシュ」に書き換えようと心に決めた。

Img_0322僕は、寝過ぎた頭でぼっとしてミス多発、最悪。高嵜さんが独りで4番ホールまでスイスイと伸ばしてくれる。僕が権利玉になった時は、11の同点となっていた。終盤は、菅谷、松田と高嵜、僕という二組の戦い。先に上がれとの高嵜指令で僕がホームをクリアして上がる。そして二人対一人となった。ところが、何回かの応酬の後、高嵜さんが場外に打ち出された。敵は二人が連続ゴールとなった。負けた。調子最高と不調がコツコツ安打組にエラーで負けた。ここまで、僕の成績は、76敗となった。

 

ドルフィンホールでは、今夜のビンゴゲームのリハーサルが行われていた。まだ雲は重く低く垂れ込めたままだ。南洋クルーズと銘打ったこの太陽燦々、波キラキラは予想外な天候と揺れによって、スカッとしないまま、前半を終えた。

 

オレンジナイトの前にビンゴでスカッとしたいものだと、勢い込んで4階のドルフィン・ホールに入る。黒川君の差し出すビンゴカードを嫌って、彼の手の一番下から抜いたカードに念を入れる。食事前とはいえ、既に思い思いのオレンジカラーを採り入れた衣装で集まっていた。 鮮やかなオレンジの蝶ネクタイをした松田夫妻が目に入った。きっと、サエ子さんのお手製だ。きれいなオレンジカラーを探してきたものだとカミサンと感心した。

P1000676_2P1000681 MCの蘇ディレクターは、このゲームは得意中の得意。慣れた軽妙な司会で始まった。 次々と球の番号が読み上げられていく。これまでと違い、 今日は僕のカードの数字が埋まっていく。リーチのかかりが早くなった。カミサンと交換して番号を待つ。二番手くらいでビンゴ!!P1000686_2

カミサンが商品を受け取りにステージに出ていった。ノットや信号旗を組み合わせた室内飾り用の額、「ノット・ボード」を頂く。2回目のビンゴは不調、最後のビンゴに賭ける。全員が起立。これは、番号を呼ばれないことが立ち残る条件。ところが、2回目の番号で、あえなく陥落。好運の人は、長坂夫人で、10万円のクルーズ券を手にした。不思議なことに、毎回、金に余裕のあるところへ渡る。これで、息子たちへのクルーズ・プレゼントは消えた。

場所を替えて、ダイニングルーム「瑞穂」に人は流れる。オレンジ一色に飾り付けられて、出てくる料理も、P1000706P1000710 すべてオレンジカラーを採り入れて盛りつけされていた。鮮やかなオレンジの蝶ネクタイをした松田夫妻とご一緒した。 カウンターに冷やされてた「オレンジ・カクテル」のボトルが気になった。にっぽん丸オリジナルだそうで、パッションフルーツ系のいい味だった。アルコールが駄目な松田さんも口にしたほど、飲みやすかった。しかし、このオレンジカクテルを知らないのか、多くのテーブルはワイングラスが多かった。蝶ネクタイを褒めると、「これ、トンガで買うたんP1000708や」まさか、あの町の中に、その手の店があっただろうか、カミサンと顔を見合わせてしまった。「いくらだと思う?」「30トンガ$!」「その1/10や」眼を細めて松田さんが首を指さす。凄い買い物上手・・・カミサンが驚く。サエ子さんが見つけて、オレンジナイトに付けようと言いだしたそうだ。

やがて、互いにO型とA型の夫婦談義になった。まあ、僕の場合、カミサンが0型なので、随分と助かっている。松田さんの所も、いずれも息子たちはO型だった。

 

食事を終えて出口でたむろしていると、高嵜廣子さんからプレゼントされた、Cimg0049お手製のオレンジハットの胸飾りをした男達が4人揃った。では、記念写真を撮ろうとになった。高木夫妻、松田夫妻、高嵜夫妻、野村道子、そして我々。

 

今夜のドルフィン・ホールは、「スペシャル・ディスコ・タイム」だった。カジュアルなジルバでも踊ろうと思ったが、カミサンは部屋でくつろぐ方を選んだ。

今夜の時刻改正はないが、明日のパゴパゴは歩くことになるだろうからと体力を温存した。

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2007年8月 3日 (金)

07.05.21 トンガ・ヌクアロファ寄港

740分、舳先に出る。P1000435南緯219分、東経17514分。南太平洋唯一の王国トンガ。 首都ヌクアロファの港がある最大の島、トンガタプ島は、トンガの国土の約1/2を占める。島々は南北600 km、東西200 kmに広がる。西側の島は新しく、東側の島は火山島が沈下してサンゴ礁が出来ている。日付変更線をはさんで東隣りにあるサモアなど時刻は同じでも、トンガの日付は1日早くなる。しかし、世界で最も早い時間帯を採用しているのはトンガではなく、キリバスのライン諸島だそうだ

P1030879_2

朝食前だが、入港風景を見ようと、多くがサンデッキに上がっている。右舷側の緑の中に、トンガの王宮と総理府らしき建物の屋根が遠望できる。12倍のズームカメラは快適である。なんとなくヌクアロファの街のサイズは、07年のモルジブ環礁の首都、マーレを歩いた感じと同じように思える。魚市場に野菜市場、教会に軍警察P1000478、クレジットの効かない土産物屋。歩き回っているうちに商店街を抜けてしまうだろう。船内新聞によると、港からシャトルバスは10分、徒歩で40分もかからないらしい。地図で見ると、観光箇所は島の左右に点在していて、効率が悪い。舳先に出ていた高嵜さんは、タクシーで半周するそうだ。我々は今回、節約旅行、タクシーには乗らないつもりだ、とは言えなかった。

 

P1000505 船は湾内を大きく右折するようにして岸壁に接岸した。停泊していたフリゲート艦の甲板には、兵士が連なってじっとこちらを見ている。日本の客船は久しぶりなのだろうか。その奥に、大きな球形のレーダーが建っている。虹が微かにかかった。

のんびりとした朝を切るように、寄港歓迎のブラスバンドの音色が湧いた。青いシャツの背中にPOLICEという文字が読める。警察官が吹奏してくれていた。P1000492

写真を撮った後、朝食のためにカミサンを食堂の入口で待つ。来ない。部屋に戻る。いない。松田さんから、「奥さんは、中に座っとるよ」と教えられた。ああいえばこういう、のやりとりがあって、朝食を済ませた。

5月から11月にかけては南東貿易風 の影響で、案外、涼しくなるのだそうだ。P1000493_2 首都ヌクッアロファ平均気温は7月で21.3℃で、今日の気温は27℃。しかし、時折激しいシャワーがあるので、各自に配られたレインコートを用意するようにとのことだった。ツアーデスク前で始まる両替はカミサンに任せ、一足早く下船する。ポリスのブラバンを下に降りて撮りたかった。

 

9時、半日ツアー、1日ツアーバスが次々と出ていく。ツアーコースにアテンドしないスタッフと一緒になって、今日はバスを見送る「手振り隊」になる。

 

トンガは、トンガ語で、「南」の意味。ラピタ式土器が出土しているため、ポリネシアで一番古い遺跡として認められている。ラピタ人たちは、1000年に亘って、トンガ、サモア、フィジーの島々を航海し、その後、マルケサス諸島やタヒチ、最終的には太平洋の残りの島々を発見した。こうした背景から、トンガ、サモアとフィジーをポリネシアの文化と文明の発祥地と評している。

 

930分、シャトルバスは海岸沿いを走りだした。P1000608 運転手がブレーキを踏んだ途端に、車内であっという驚きの声が上がる。「急停車にご注意」という文字が点灯したからだ。正しく言えば、日本文字が点灯していたからだ。「児童運賃は大人の半額」とか「ステップに降りないでください」が、当たり前に読めてしまっていた。何の違和感もなく理解できていることに気がつかないでいたが、此処は南の島トンガである。日本の中古バスを利用していたのだ。これと同じ風景は、06年、ハングル文字の路線バスが走っていたカムチャッキーだ。

 

トンガは4つの群島、172の島からなり、うち130島が有人である。ここ、トンガタプ島だけで約6万7000人が住んでいる。敬虔なクリスチャンであることは、車窓から見た墓地でも判るが、安息日は憲法で定められており、商店の閉店はもとより、スポーツなどの行事も開催されず、空港の離発着便さえも無いほどだという。空港は、ヌクッアロファから車で30分さらに南部にあるが、そのファアモツ国際空港のターミナルビルは、日本の無償資金協力によって完成した。P1000569

海岸通りを左折して、シャトルバスが停まった場所は、現地旅行社であるライジング・サン社の前だった。こぢんまりとした店が並ぶ通りが、どうやらメインストリートのようだ。

 

P1000540P1000655 まずは、王宮に向かう。途中各家のフェンスに、紫の布が張り巡らされていることに疑問が生じた。庭から出てきた老人をカミサンが呼び止めて訊ねてみた。 「トンガでは、トラディショナルなカラーだよ」と答えた。仏教国でいう尊い芥子色と同じなのだろうが、まだ釈然としない。王宮のフェンスにも、P1000548張り巡らされている。しかし、陽に焼けて一部P1000546 は、グレイとか、ブラックに近くなっている。王宮のフェンスの中に、警護官がいた。カミサンが、再び訊ねた。ようやく意味が判った。

20069月にトゥポウ4世が亡くなったことで、今も喪に服している気持ちの表れだということだった。紫は喪色だったのだ。トゥポウ4世は、1976年のギネスブックで、P1000498_2 「世界で最も大きな国王(209.5kg)」として登録されていた。「ガリバー旅行記」のモデル国としても有名で、トンガの成人女性のSサイズの靴は、26cmで、170cm以上の身長。男性も177cm以上で、 30cmの靴を履いている。税関を出た道に、「WALK FOR HEALTH」と書かれた標語を見た。走るバスの中からだったので、写真は撮りきれなかった。なるほど、王の死を悼むと共に、国民の健康を願うあまりのことだろう。

トンガは、ラグビーが盛んなことで有名だ。カミサンが両替したのは6000円分だった。何が買えるか判らない。フィジーのラウトカでラガーシャツが買えなかった悔しさから、僕は秘かにクレジットカードを胸に入れてきた。

カンタベリーのシャツを捜してみたかったが、それは、此処でも再びすぐに諦めざるを得なかった。巨人の国だ。とにかく大きすぎる。それらのラガーシャツが観光客相手であるわけではなさそうだった。

 

ならば、トンガ王国の紋章がデザインされたTシャツはないだろうかと捜す。昨日聞いたクレジットカードの使える店の背中合わせに、その店はあった。店外から遠巻きで眺める。 KAVACOLAというP1000560ユーモラスなシャツがあった。紋章デザインのTシャツは無いかと訊ねる。女店員は、無言でゆっくりと、棚の下から、ビニール袋に入ったシャツをカウンターに並べた。サイズは、XLだ。これは、大柄なソーホージャパンの大城社長に着て貰おうと決めた。Mは1枚だけだった。息子にしよう。各22トンガドルだった。両替した金額では支払えない。駄目元で、クレジットカードは使えるかと訊いてみた。女店員は、にこっと初めて笑った。この街にクレジットカードで買える店は2軒あったことになる。

通りを渡って別の店に入った。Tシャツが多く貼り付けられていた。什器類のない、がらんとした空き家同然のその中に、気に入るシャツはなかったが、1枚のコットンの染め模様が気に入った。嫁さん達に2枚欲しいというと、現物だけだと、素っ気ない返事。どこもそうだったが、トンガの店は、値札が付けられていない。何故だろう。P1000570

トンガ独特で正装に、タオパラという腰巻きのような姿がある。目にするのだが、追いかけて撮るわけにもいかないので、通りかかった下校時の男子学生にカミサンが話しかけることで、一緒の記念写真を収めた。

どうしても行きたい場所があP1000587る。「デイライン・ホテル」である。シャトルバスで通り過ぎた海岸通りの方角に歩いた。マーケットが出てきた。なかなか活気を呈している。カミサンの足が止まる。写真を撮りだした。

帰りのシャトルバスの時刻が迫ってきた。一旦帰船して昼食を取り、戻って来ることにした。

バスが岸壁に戻り着くと、突然、大粒のシャワーに襲われた。襲われるというほどに、強く激しかった。シャワーが着たら、カメラが濡れる。ポンチョよりもビニール傘のほうがいいことが判った。

 

昼食後、再びシャトルバスでライジング・サンの前に戻った。シャワーにいつ襲われるか判らないからと、インターナショナル・デイライン・ホテルへ何が何でも辿り着こうと急いだ。P1000610P1000620 海岸沿いのブナ・ロードには、ホテル名を記した時計が立っていた。車窓から確認済みだった。このエリアでは、最高級のホテルである。中庭のプールには誰も泳いではいない。傍らのカフェで、一人の男が書類に目を通していた。音ひとつしない、静かな昼下がりだ。お茶でも飲もうかと思ったが、自分たちがその静寂さを壊すような気がしてホテルを出てきた。

途中、トンガ・トラベル・ビューロがあったが、マーケットに立ち寄る時間をゆっくりとしたかったP1000581P1000639P1000642

タラマフ・マーケット。そこに土産物屋はなく、住民達の食材や生活用品を売っていた。駐車場の外れで軒を連ねた衣料店で、カバを造るタノアという木製の器がデザインされたプリント生地が眼に入った。子供用のスカートのようだ。巻いてみたらどうかとカミサンを促してパンタロンの上から付けてみる。丁度サイズがいい。現金が少ないからと値段交渉したら、25$を20$にしてくれた。此処でも売り手の小母さんとカミサンのツーショットをパチリ。カミサンは、それを付けたまま、マーケットの野菜売場に入っていった。

P1000651 レモンを何個か買った。紐で吊されたビニール袋に入れてくれた。よくみると、日本文字だ。オオタ。束になった袋が新しい。有り難うと、言ったが、なんとも、妙な気分である。

かんぴょうか昆布のように束ねて売っているタパク ロスというなめした木の皮を、さらに細P1000585紐によじっP1000645 P1000591ている夫婦がいた。手足を見ると、日本人がわらじを編むP1000653 姿に似ていた。それを糸巻きして、布のように編むのだ。タオパラもこうして作っていくのだろうか。

眺めていたら、俄に空が曇ったかと思うと、いきなり、稲光が走った。雷が鳴った。激しいシャワーとなった。土に矢が刺さるように、雨の筋が跳ねる。

やがて、何事もなかったように、カラリと腫れた。タノアの絵を腰で揺らしながら、カミサンはご機嫌でシャトルバスに乗り込んだ。あれは、きっと子供用の腰巻きなのだ。

このトンガにも、中国からの移民が増えているというが、確かに中国文字のコンビニもあったし、中国大使館か領事館らしき建物があった。親日的だといわれながら、日本大使館はないのだ。フィジー大使館が兼務している。在留邦人は、外務省によると、48人(2006年)だが、旅行社のパンフレットでは71名(2003年)が居るらしい。

 

時差の関係で眠い。夕寝をした。夕食は水本君と一緒にした。カミサンは、市場で買ったスカートを巻き付けて出た。

夕食後、瀬戸さんに声をかけられた。「萩原さん、なかなか夕食を一緒に出来なくて済みません」「いえいえ、ご自由になさっていて下さい、せっかくの休養ですから」「萩原の家内で御座います」そういえば、カミサンは初めてになる。

「大原からメールが来ました。数年ごとに当時の仲間と集まっているそうですね」「ええ、今年も帰国しましたら、20周年記念で集まるようです」「ライブラリーにあったあなたの本、読みましたよ。今は、お酒は飲めるのですか?」「アサヒビールしか飲めません」横からカミサンがそう言って、場が砕けた。

いつのまにか、川野チーフパーサーが背後にいた。「19日の、インフォマーシャルの夜にご一緒いたしましょう、瀬戸さんと・・・」「ドラの首位返り咲きも祝しましょう・・・」と、ドラゴンズファンの彼に返した。

 

大風呂に初めて出掛けた。カミサンがシャワーを浴びながら叫んでいた。洗い流した湯が2㎝の床を越えて洗面所側に溢れだしたからだ。床が傾いた。つまり、舟が揺れているのだ。これまでの経験にはなかったことだ。1階から3階の後部にある展望風呂に出掛けた。さほど混んではいなかった。ここでは、体重を量り、海を眺めながら湯に浸かるのだが、今は揺れている。この揺れを感じさせないためもあろうか、いつも浴槽からは勢いのある水泡が上がっている。

手足を伸ばし、ゆっくりと体全体を温めるのは、シャワーでは出来ないことだ。デッキゴルフのためにも、筋肉をほぐしておかねばと、シャワールームの水が溢れたことは忘れていた。

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2007年8月 2日 (木)

07.05.20 ポリネシア1

午前3時過ぎまで起きていた。最下層があれほどに揺れたのだから、5階の船室は横揺れも大きかったのではないか。730分起床。

『南東の貿易風が強く吹いて、昨夜は揺れました。今朝も強い貿易風です。現在、南南東16m、強いときで22mです。ドアの開閉に手を挟まれないようにご注意下さい。P1000437_2 現在、南緯18°4′、東経179°49′、左舷に見えるモアラ島の沖488哩、211kです。この島は南北11km,東西13kmで、周りをリーフに囲まれております。9時前に180°線を通過して西半球に入り、9時にはトトヤ島を過ぎて13時から16時にフィジーの一番東にあたるフランガ島の方位に抜けます。速力15ノット、時速28k、天候は晴れ、気温24℃、水温273℃、波の高さ約225m。

明日のトンガは630分、ヌクアロハの港外にて水先人を乗せ、8時には着岸いたします。午前中はスコール、日中は24℃とのこと。トンガが南緯21°西経125°ですから、北緯21°のハワイとは赤道を挟んで、丁度反対側に位置します。トンガは、170の島で成り立ち、人口は10万人。非常に親日的なお国柄です。

ところで、皆様のお部屋のCSTVは、放送圏外区域に入り、しばらくは見られません。次に受信できるのはハワイが近くになってからと想定できます。テレビのない日が続きますが、世間から離れたクルーズをお楽しみください』

朝食は、いつものようにオートミールとトマトジュース、ヨーグルト、それにスクランブルエッグとコーヒー。ダイニングルーム「瑞穂」のコーヒーは、ブレンドが僕の舌に合っていて飲みやすい。今朝もカミサンを残したまま、先に出て、後部デッキに急ぐ。

デッキゴルフは、ジャンケンで白が松田、萩原、工藤、鬼界で、赤が高嵜、塩野、松田サエ子、菅谷の組み合わせとなった。ノータイム、オールゴールでスタート。テンポ良く進んだせいで、二回戦できた。そして我々、白組が連勝したのだ。このメンバーの中には08年次の世界一周クルーズの申し込みを終えた人がいる。その世界一周の後は、いよいよ沖縄に別荘を建てて移住する計画だという。資金を生み出す仕組みのある人の、なんと羨ましいことよ。

 

 P1000453昼食は、特製弁当の日。スポーツデッキには白い天幕が張られ、船客はダイニングルーム以外、思い思いの場所に移動して味わった。それは、船が島を縫って航走することを意味している。青い海に緑の縞模様が現れる。珊瑚礁に白波が立つ。

汗ばんでいたのでシャワーを浴びて、頭を洗ってしまった。理容室の予約を忘れていた。整髪して1ヶ月も経っていないのに、横も後も癖毛が跳ねる。その癖毛を整髪して貰うのだった。湯に濡らしてしまったから、癖毛の状態が判りにくくなった。慌てて、ドライヤーで乾かす。耳の上、左右に漢字の八文字の如く、跳ね上がっているのが僅かに判る。14時に5階の理容室へ上がる。

「湿気たり乾燥したりで、髪の毛も普段と違って伸び方が早いんですよね」ハサミを鳴らしながら、美容師さんはそう言った。なるほど、海の上だと髪の伸びるのが早いとは知らなかった。P1000455 島が近づいているようだ。顔剃りもせずに、12倍のズームカメラにテレコンバーターを装着してデッキに走り出た。 予定通り、16時にはフィジー諸島最後の南、フラガ島を南下しはじめた。リーフの前後に鮮やかなブルーの段階色が見られるが、逆光のため、被写体にはなりにくい。航路は、そこまで考えてはいないだろう。

パソコンの受信をして、部屋に戻る。何もすることがなく、うとうととする。文庫本を二冊は読んだが、三冊目はなかなか読めないままだ。

 

18時になったので、ラウトカから乗り込んだ二人目の落語家、柳亭燕路の席をドルフィン・ホールへ聴きに出た。階下の席に座った。早口で聞き取りづらい。聴く側の耳がついて行けないのだ。江戸っ子の巻き舌だと言われても、古今亭菊の丞のほうが滑舌はいい。「伝えても伝わるだろうか」。広告の世界で我々がいつも気にしてきたことだが、落語の席でも言えることだ。小話も聞き飽きたネタだったし、本席も話の筋は読めてしまう。それは仕方がないとしても、時間切れでオチも付けられないままに終わってしまった。笑いが取れない演目だった。

夕食が始まった。始まったというのが、今の正直な気持ちだ。何もないことの贅沢さ。食っちゃ寝の1日。今夜は、子羊の肉を煮込んだ料理だった。オリーブ油のこってりさが受け付けなくなっていた。どういうわけか、ワインや焼酎が、美味いと思わなくなっている。辛うじて美味いと思えるのは、シャワーを浴びた後のビールくらいだろうか。体調はさして悪くはないのだが、体がアルコールを欲しがらないのだ。どうなっているのだろうか。カミサンが白ワインを飲みたいのなら頼めばと勧めたのだが、彼女は遠慮してしまった。

 

明日のトンガは、着岸するクイーン・サロテ・ワーフから、シャトルバスが街の中心まで運んでくれる。25km、徒歩では40分もかかるらしい。ツアーバスに乗る前に両替が始まるが、半日ほどの滞在では、予め両替しておく金額の匙加減が難しい。観光客相手で高くなるのか、生活物価のままなのかだ。寄港地のそれぞれが海路を遠く隔てて独立国のため、通用するのはその国のドルと言うことになる。フィジードル、トンガドルということだ。ラオトカで両替に失敗したので、クレジットカードの使える店はあるかとスタッフに訊いてみたところ、ウエスタン・ユニオンビルの中のザ・アート・オブ・トンガという彫刻類の土産店1店だけだそうだ。さて、困った。気になる注意事項が、野良犬に気をつけろということだ。飼い犬でも同じだという。タイの野良犬を思い出す。

ラグビーの試合を目に出来れば嬉しい。フィジーで見られなかったマーケットも見たいものだ。明日は8時着岸だから、早く起きないといけない。文庫本は読まないで眠ろう。

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07.05.19 フィジー・ラオトカ寄港

6時に眼が覚めたが二度寝をして、8時に起床した。

南緯17°36′、東経177°26’。日付変更線のすぐ西にあるフィジー諸島共和国に来た。ここは南太平洋の海の十字路。大小300余りの島から成る総面積は、四国に相当するという。その最大のビジレブ島ラウトカに入港するのだ。このクラスの船が接岸できるのはここラウトカだけである。サトウキビの積み出しに大型貨物船が入るし、ママヌザ諸島やヤサワ諸島への定期船やクルーズの出航する拠点でもある。尤も、ナンディ空港から少し南下したデナラウ・マリーナから、リゾート・アイランズへ数時間だ。P1000336_2

 

朝食を終えて、830分には下船の準備を始めた。うちの息子達が外国で最初に口にした日本語以外の言葉が、「ブラ!(フィジーのこんにちは!)」だった。自分よりも3倍も背の高い真っ黒な人に片手で抱かれても驚かなかった。懐かしいフィジーに来たのだ。

 

今日は、「ナンディ半日ツアー」が申し込んである。バスは3号車。バスは8時に既に着いていたのだが、セキュリティが厳しくてゲート前で待たされていたらしい。9時に出発した。ガイド役は、現地の旅行会社の福田祥子さんとフィットネス担当の品田佳代子さんだ。品田さんは、相変わらずキャピキャピと元気だ。首都スバは、かなり離れた島の東側にあるが、ラウトカには、海の港とそれほど離れていない西地区に空の港、ナンディ国際空港がある。これから向かうナンディの中心地へは9kmの距離である。P1000405P1000343

ビチレブ島の面積は10,400平方km、岐阜県ほどの大きさの火山島である。東西の距離は直線で146km、南北106kmで楕円型をしている。ナンディ国際空港から陸路でスバへ行くには、ナンディを経由する南回りのクイーンズロードで約200km、北回りはラウトカからキングスロードを利用して約290kmの長距離ドライブとなる。首都スバへは4時間、ビジレブ島内一周は、早朝から走り出しても1日たっぷりかかる。

首都スバは行政、経済、教育などフィジーの中心地であり、ナンディは空港を中心に開発された西の洋上に散在する島々は、 世界でも有数のリゾート地だ。観光客は毎年40人が訪れる。 トレジャーアイランド・リゾートやマナ・アイランド・リゾートの他に、サンド・バンクスといって、珊瑚礁の砂だけが海面に顔を出しているCM撮影に格好の無人島や、マナ島の先には、トム・ハンクスが漂流した映画「キャスタウエイ」のロケ地となったモドリキ島がある。

 

ビチレブの「ビチ」はフィジーの別名で、「レブ」は「大きいこと」。フィジー諸島322島の中で、最大の島である。人口約80万人、フィジー全人口の約76%が生活している。福田さんの説明だと、フィジアンは48%、インド人が46%。サトウキビの収穫労働者として英国植民地時代にインドから30年契約で入島したのだが、この風土が快適過ぎて帰国しないままに至った結果だという。

体格のいいアフロヘアがフィジアンで、スリムな直毛がインド人だと区別できる。フィジアンは実直な島民だが、経済観念は薄く、むしろインド人に経済商業を委ねたという。しかし、そのインド人の政権に反発して、二度もクーデターが起きている。しかし近年、インド人の男性とフィジアンの女性が結婚するケースも出てきたらしい。出産が5セントで済むのも、この国が子供は財産と誇らしく胸を張る所以である。殆どの国民は、キリスト教徒で毎週の日曜礼拝に熱心だという。ラグビーが強いのも、椰子の実がボール代わりというくらい、子供時代から走り回って盛んであるからだ。あの椰子の実をアメリカン・フットボールにされたのでは、怖いなと誰かが呟いた。同感だ。

 

島の北部にはフィジーの最高峰ビクトリア山(1,323m)があり、その山から南西部にかけて1,000m級の山が続く。ビチレブ島は南東からこの山脈に向かって貿易風が吹くことから島の東側は西側に比べて雨が多い。スバでは360日の内、300日が雨だという。

交通手段のバスはいつ来るか判らず時刻表無し、冷房装置がないので窓ガラス無し。乗用車は、トヨタのランクルが7800F$で、中古でも4500F$もする。インド人の富裕層や白人、政府関係者しか乗れない最高級車となっている。そういえば、沿道には、中古車のパーツ毎がきちんと分別して並べる店が多かった。修理工場も牛の休む風景の中に立ち並んでいた。ラウトカ港からサトウキビ貨車の線路が延々と敷かれてある。サトウキビ林にミツバチの巣があることから、野焼きをするそうだ。収穫時には親戚総出となる。その収穫の最盛期は終わったという。

P1000383 走る先に「ナンディにようこそ」と観光客向けの大きなサインボードが街の入口を教えてくれた。学校付近にはロードバンドが横に盛り上がり、車を徐行させてきたが、昨年、ようやく信号機が4基設置されたという。しかし信号機の意味が徹底されていないせいか、赤信号で車が止まるとは限らない。皆さんは青信号だからと油断しないで欲しいと、ガイド役の福田さんから注意があった。

 

10時、ナンディタウンに着いた。

車内で渡されたナンディタウンの地図は、ツアー参加者だけに渡されている。有料シャトルバスでの客には渡ったのだろうか。これまでの世界一周クルーズでは、寄港地での散策地図はインフォメーションデスクにも置かれていたが、今回は無かった。どうやらこれは、現地のビナカ・ラウンジという店が観光客誘致のために印刷したもののコピーだ。

両替も問題だ。ツアーバスの中で各自両替は2000円までですと言われたが、それが24F$に相当することを知るのは封筒を開けて初めて知ることになる。事前に、目安となる物価が教えられていないので、土産のための両替目算が立たない。さて4000円で何が買えるかだ。街に降り立つ時点で、買い物クイズになった。P1000347

 

降りてみると、なんだか西部劇映画のセットストリートみたいだ。直線に沿って商店が建ち、街の入口と出口がはっきりしている。メインストリートは、800mほどだ。日本語の看板が目に付く。「ナンディタウンで一番美味しいお店、カレー」という文字が読めた。カヴァ・サロンがあった。例の儀式に飲んだカヴァを出す店だろうか。胡椒科の木の根で、これを粉末にして漉しだして飲む。沈静作用がある。ポンペイのシャカと同じだP1000372P1000348

バスが停車した「ナンディ・ハンディ・クラフト」の前が、シャトルバスの臨時発着場となる。にっぽん丸御用達の借用トイレも、ここだ。

折角なので店内を一巡したが、向いのライバル店「ジャック・ハンディ・クラフト」に入った。ジャックの店は、この地区最大のハンディ・クラフトのチェーンショップらしい。店内に足を踏み入れて不思議なことに、足下がふらつく。ははは、「陸揺れ」である。船上で無意識のうちに揺れを足で吸収しているのだが、陸地に降り立つと、その体内リズムの揺れが無いために、逆に地面が揺れている錯覚に陥る。それほどに船旅は、足のリハビリにも良いという人がいる。

P1000351 P1000356店内は、ハンドクラフトの木彫りの飾り物がウリなのだが、衣料の種類も多い。店員は実に日本語が上手い。雑貨を買って、孫のシャツを買うことにしたところ、 美味い水だと定評のあるフィジーのペットボトルが貰えた。ところが、懸念していた通り、換金した二人分の現地通貨の合計、44F$では足りないのだ。「ケレケレ」(頼むから、なんとかと値切る)と言って見たが、少額の買い物ではそれも叶わず、辛うじて持ち合わせていた僅かな米$で払えたが、みっともなかった。現金は、釣り銭の1F$硬貨1枚だけという情けなさ。P1000355

2階には、Tシャツの手描きをしているコーナーがあった。なるほど、ハンドクラフトショップだ。これなら付加価値の高い値段が付けられると感心して眺めていたが、金が無くて買えなかった。

 

通りに出て、通販のCMを真似て「見るだけェ~」と、カミサンと苦笑しながらスーパーマーケットに入った。

ガイドの福田さんによれば、日本調味料は、醤油くらいで、日本で200円のQPマヨネーズが、1800円もするそうだ。乳製品の持ち込みが禁止されているため、彼女にとってマヨネーズは、夢の食材なのだそうだ。マヨラーがこれを知ったら、なんと言うだろうか。一方、魚類の食材は禁止ではないという。理由が振るっている。「海は、繋がっている」のだそうだ。ところが、海に囲まれているのに、魚を口にするのは多くないそうだ。その殆どが、リゾートホテルに買い上げられてしまうというのが、その理由だった。昔、上海電視台との仕事で上海蟹を口にしたとき、これ以上の美味い蟹は、香港のホテルレストランに買われていますからと苦笑いされたことを思い出した。

P1000368 フィジーの名産品ブラウン・シュガーがあった。糖尿病の元凶と言われる缶詰も、かなり棚を占めていた。こうしたものが、昔からの食生活を崩し、欧米化させてしまったのだろう。

 

腕時計は11時を指していた。バスの発車時間だ。慌ただしかった。このタウンでは、残念ながら、昔、眼にしたような大男の黒いフィジアンの姿が少なかった。スバの街とは違って、裾のギザギザスカートを履いたフィジー独特のポリスにも遭えなかった。

 

タウンからラオトカへの帰路に、ガーデン・オブ・ザ・スリーピング・ジャイアンツに立ち寄るツアーコースが残っている。そもそもカミサンがこのガーデンを観たいからと、このツアーコースを選んだのだ。P1000384 P1000386 男山、女山が山脈の姿になったスリーピング・ジャイアンツの麓に、それはある。なにしろ、売り文句は、「レイモンド・バー(ペリー・メイスン役)が丹誠込めて造った蘭のガーデン」だというのだ。カミサンの期待は大だった。

ところが、確かに蘭はあるが種類は多くなかった。蘭が黒いビニールのポットで飾られていた。ダンシングレディ、スリーピング・ハイビスカス、猫の髭、フィンガーネイルなどを見ることができたが、いくら個人の庭園とはいえ、ビクトリアのブッチャーガーデンとは比較にならない。そうは思いながらも落胆したものだ。レイモンド・バーからハワイ人に所有権が移っていた。一般の入場料はマンゴジュース付きで12F$とパンフレットに書いてあった。ツアー代金は、半日で80US$だった。時間の無駄であった。コース選択は失敗。有料のシャトルバスでも、ナンディタウンでゆっくり時間を取って散策するほうが正解だったようだ。バスに乗った途端に激しいシャワーが来た。窓ガラスの無い座席に吹き込む雨が、なぜか、心地よい。

 

 昼食後は何も決めていない。ラウトカの港町に出ようにも、こちらの方面にはシャトルバスが運行されない。サトウキビ道を15分歩くしかない。タクシーなら、5F$10F$だと言われたが、その現地通貨、F$がない。ラウトカの街を歩き疲れたら、帰りにタクシーをというわけにもいかない。街で両替をしなくてはならない。ナンディタウンより広大なマーケットがあると聞かされたが、下船するのはやめた。懐かしいビジレブ島ではあったが、昔の想い出以上のモノは得ないままに離れるのだ。カミサン曰く「私たちは、昔に贅沢をしたのよ」。

移住したくてカミサンが庭の花まで決めていたほどに大好きなオーストラリアをこの目で見ないわけにはいかないと、パック旅行に一人で参加した時期がある。豪州以外にオークランドもフィジーのマナ島にも渡った。その時の体験は、カネボウ夏のキャンペーンがマナ島ロケとなり、CMに服部マコをデビューさせることになった。数年後、初の家族旅行を、と再びフィジーに出た。マナアイランド・リゾートでロボ料理を食べ、後は広大なフィジアン・ホテルで何日か滞在した。ナンディから南部のクイーンズロードの途中にあるコーラルコーストのヤヌザ島に、そのシャングリラス・フィジアン・リゾートはある。日比谷公園の25倍の島全体がホテルという、世界ベストホテルズに挙げられるリゾートである。ゴルフ場もあれば、乗馬もカヌーも何でもあった。小学生だった二人の息子たちも父親になったし、なろうとしている。あれから25年以上が経ったのだ。

 

何もすることがないので寝ころんでいた。強い紫外線を浴びたという覚えもないが、体は疲れて重い。結局は、1350分から1735分まで眠ってしまっていた。

出航は18時。船窓の外に見えた斜めのタラップが、上がった。7階のデッキに出る。

P1000420_2 うっすらと垂れ込めた雲の合間から赤みが射していた。マングローブの島影の先に灯台の灯りが点滅している。船は離岸し始めた。「モゼモゼ!!」ラウトカよ、さようなら!3回来たが3回とも想いは違った。トムクルーズがお忍びで来るというこのフィジーに、今後我々が来ることはないだろう。モゼモゼ!ビナカ!・・・・・。

 

夕食後は、サロン「海」で「猫勧進」のリーダー澤田勝邦さんによる津軽三味線と清野樹盟さんの尺八を聴いた。ラウトカ港から乗船した邦楽ユニットのお披露目ステージだった。P1000431 南洋上で、渋い音色を聴くのは妙なものだった。ひょっとして、日本に住みついた奏者、ジョン海山・ネプチューンが吹くようにジャズるのかと思ったが、この夜は、予想に反して正統そのものの古典だった。一番奥の席から、高感度望遠でその姿を撮っておいた。友人に船旅を薦める写真の1枚にしたかった。ソプラノのミネハハさんが下船し、他に海田明裕さん率いるアイランド・ウインズが、フラダンサーを伴って乗船してきた。次にエンターティナーが大きく入れ替わるのは、パペーテ入港時になる。世界一周クルーズの時は、活動中の大陸から乗船して来るのだが、こうしたセミロング・クルーズでは、大半が日本から飛来して港に駆け付ける。ロングクルーズでお馴染みの古今亭菊の丞さんも、パペーテからからだ。

 

また明朝からトンガまでの2日間、デッキゴルフだ。シャワーを浴びてバンテリンを塗った。横になった。

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2007年7月27日 (金)

07.05.18 メラネシアへ4

早くに眠りに入ったので、5時に眼が覚めた。シャワーを浴びる。八点鍾で起きたのは、カミサンだった。

『南緯13°09′、東経173°44′、フィジーまで650kの位置です。速力16ノット、時速30k、天候は晴れ、南西7mの風、気温27℃、水温29.7℃、波の高さ約1.5 から2m。明朝530分にパイロットを乗せ、リーフの間を入り、8時に着岸します。フィジー諸島には島が320とも800とも言われるが、その110島で人が住んでいます。

ラウトカには36000人、30km離れた南のナンディには1万人、南東の首都スバには77000人。全人口は88万人。フィジアンが50%、インド人が45%、その他が5%。年間平均25℃、雨量は年2500ml。5月から11月が乾期で、明日の最高気温は27℃、最低が24℃だそうです』

 

朝食後は、リーグ戦残り試合。優勝が決まった以上は、消化試合だと苦笑いする者、いや準優勝がかかっているのだと語気を荒くする者、どちらにせよ3組のビリには成りたくないと顔には描いてある。我々と菅谷組との対決だが、リンク・コンディションは時間を追ってドンドン悪くなっていった。P103036 予想されたとはいえ、乾いている面と濡れ始めた面を通過しようとするコースに、何度も大波乱が起きた。終盤戦は、野村、菅谷と高嵜、萩原の戦いになった。結果は我々が負けてビリとなった。

試合を見守っていたメンバーは、自分たちもプレイがしたくて仕方がない。ならばと、通常戦を始めたが、ゲームが3番ホール辺りに進行している最中に雨足が更に強くなり、ミズスマシ状態では距離感が掴めないし、足を滑られて捻挫してはと、中断することにした。

ライブラリーでのメールチェック後は、部屋で高木さんのDVD試写に専念した。見終わった結果を昼食後に、高木夫妻に話した。06年世界一周クルーズの余るところなく入れ込んだDVD,実に6枚分についてである。二人が撮った写真を入れ混ぜ、敏枝さんが編集したというもの。編集ソフトのせいか、横パン(静止画像の景色を横に移動させる)の多用が目を疲れさせる。特に、キール運河を通航する川岸の風景が、船の進む方向と逆に流れてしまっている点が残念だった。他にはスーパーインポーズしたタイトル内容の統一感等々意見を述べさせてもらった。初めての編集にしては、膨大な量を詰め込んだ努力賞モノである。義妹から飛鳥の船友がナレーションも自分で入れたDVDを何種類も見せて貰ったが、70歳を超えた方々が編集したという。孫に見せたい一心でソフトを使いこなす熱心さには頭が下がる。いずれ劣らず半年がかりの労作であった。

 

1415分からは、森拓也さんの「珊瑚礁」講義。森さんは、鳥羽の水族館で世界初、ジュゴンの長期飼育を成功させた海洋学者であり、また世界でも類を見ない和歌山の「海老と蟹の水族館」館長でもある。四日市生まれで、パラオの生物学研究所にもいたことがある。海洋ジャーナリストというか、海洋カメラマン、ダイバー、そして地元局のラジオパーソナリティでもある。いわゆるイケメンで話が巧いということで、女性船客にファンが多いのだ。カミサンはそちらに出掛けた。

僕は、映画「ポリネシアンの伝説」が1545分から始まるが、1645分からは、デッキゴルフ表彰式飲み会がネプチューンバーで行われる。映画は1717分終了のため、諦める。

5階のネプチューンバーに入る。時間外のため貸し切りである。今クルーズでは、高嵜さんが事務局長、野村さんが事務局長秘書役をしてくれている。最年長メンバー、菅谷さんの乾杯の音頭で始まった。あらためて、自己紹介となった。そもそも、クルーズの船客の大半は、リタイアーである。肩書きを外した個人となって乗り合わせている。年齢と出身地、または大まかな現住所以外、一切が明らかにしないまま、付き合っている。丁度、スポーツクラブのサウナか、プールでの姿に似ている。衣を脱いで裸の付き合いといったところか。こうした共通の仲間で親しくなってから、個人のバックボーンが語られる。
  塩野さん、鬼界さん、草浦さんの軽妙な挨拶で、次第に和やかな空気が出て来た。今回のクルーズもデッキゴルフのメンバーは、やっぱり独特にいい。いい。

Cimg0022 草浦さんは、09年にデッキゴルフを覚えた方だった。それによると、海軍時代にも「デッキゴルフ」という言葉を耳にしたことがあったという。商船三井客船が発祥であるかどうかを再度考査する必要もある。鬼界さんは、03年の世界一周クルーズで、ル・アーブルからの区間乗りでデッキゴルフをしたことが判った。あの時、僕が太平洋岸ではなく、地中海海域から始めていれば、もっと早くに知り合えたのだ。「デッキゴルフがしたいから、航海日の長い南洋クルーズを選んだんです」彼女はそう言った。ああ、こう言い切る人が他にもいたのだ。

優勝チームには、商品が手渡された。「ホールイン・ワイン」という献金制を昨年から実施し始めた。各ホールの中心円にストレートで入ったパックがそれで、お見事!と賞賛される代わりに、懇親会の飲み代、ワイン1200円分を提供するというもの。ゴルフの巧い菅谷さんがやはり最多本数となってくる。意図的に外すのが松田史郎さん。

リーグ戦は帰国までに2回ある!と優勝を逸した誰かが叫んだ。鬼界さんの口から、ハワイで下船してしまうことが初めて知らされた。ご主人との約束で、ホノルルから飛んで帰るのだという。「夫を置いてきたの、また、乗せてもらえるように帰りますね」。今夕の席に彼女が1万円分のポイント券が寄付されていたと高嵜さんが発表した。自販機で買い占めてきた缶ビールで、かなり良いご機嫌になっているメンバーが、雄叫びを上げた。バケツに盛り上がっていた缶ビールやウーロン茶の山が消えて、ポンペイで買った胡椒の佃煮も無くなった。このまま、夕食を食べないの?という奥方達の声に、男共が立ち上がった。1回目の夕食時間を控えている菅谷さんや鬼界さんは、早々に引き上げていた。


 夕食は、高嵜夫妻と右側の丸テーブル。高嵜廣子さん、ゾロ目の誕生日である。白ワインで祝杯となった。白川船長が同席するかも知れないと席を空けていたが、都合で来られなくなったらしい。高嵜さんの蘊蓄とジョークで話は尽きなかった。

就寝前に5階のライブラリーに上がった。試みに、一日分の航海日誌を打ち込んでみた。横に原稿を置きながら打つ、A44枚の分量は、かなり面倒だ。USBさえ使えれば、区もないのにと思いながら、途中書きで部屋に戻る。明日は、20数年ぶりのフィジーだ。確か、長男が小学5年生の時に連れて行ったのではなかったか。今回は4人ではなくカミサンと二人連れだ。

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07.05.17 メラネシアへ3

今朝も八点鍾の予告で起きた。航海士の説明によると、「鐘」を叩く以前は、ボーイによる聖歌で時刻を知らされたという。なんとのんびりとしたものだったか。我々なら、またうとうとと眠りについてしまいそうだ。ところが、今朝の打者はどうしたのか、なかなか八点鍾が叩かれない。間があって後、8回鐘が鳴った。

『今日も曇り空、小雨の混じった天気です。南緯7°32′、東経160°37′、ソロモン諸島の東、約1000kmの地点をフィジーに向かっております。速力183ノット、時速34k、天候は全天曇り、東北東の風5m、気温℃、水温℃、波の高さ約15m。風は弱く、正に赤道無風帯といって良い状態です。明後日のラウトカは、たいへん良い天気だそうです。晴れで最高気温27℃、最低気温24℃、湿度は57%という過ごしやすい天気の見込みです。

汽笛の信号「短音」は約1秒間、「長音」は46秒間、そして「長々音」は約10秒間です。出港時の長々音は港の人たちに「ありがとう、さようなら」と言うあいさつです。短音1回は右転、2回は左転、3回は後進。注意喚起は、短音を何度も鳴らします。穏やかな海です。本日もゆっくりと船内でお過ごしください。』

 

便秘気味だったので、リドデッキでのオートヴァイブに立つ。少しでも刺激になればいいがと、10分腹部を揺すらす。東京では、これ、サラリーマンに人気で、退社時には込んでいる。10分間500円。此処ではタダ。

デッキゴルフは下位決定戦が行われると思い、後部デッキに出てみる。雨が吹き込んでいる。ジャッジ役の高嵜さんが、本日は試合延期で、有志による通常のゲーム日にしたと言う。無駄だとは思いながらも、4人ほどで、一斉に水を掃く。

そして高嵜、萩原、鬼界に松田、菅谷、松田サエ子の6人でスタートするが、なかなか最初の1番ホールがクリアできない。ショットする度に呆れるやら驚くやらで、大爆笑。敵味方とも、なんと40分もかかって抜け出たが、ほとほと苛ついた。頭で考える半分もパックが滑ってくれない。技術ではない運だ、と言いながら、ミスの続発で笑いが絶えない。1015分の時間制限制で、最後は我々が勝った。久しぶりの勝ちである。そしてルールの確認か、追加という宿題が残った。「ポンドに入ったパックを打ちだした際、コーナーをオーバーランした自玉は、生き球かどうか」である。これまでのデッキゴルフルールブック22条には規定されていないようだ。

 

汗ばんだ体のまま、ドルフィンホールで片山さんの講義「伝統的な暮らしぶり」を聴く。

発掘調査時代のもので、今は随分変わったと言うことを前提に話が始まった。ポリネシアンの気質は、所有権の意識が無く、他人のモノも自分の物、困ったら人に助けられる。明日は明日の風が吹く、と時間の観念も薄く、おおざっぱな日程となる。「Aita  peapea(アイタピアピア)!」、よっしゃあ、気にしないきにしない、いいよ!と、大様な気楽さがある。しかし、Tapu(タブーの原語)という禁止事項の取り決めも多く、それで互いのルールを作ってきた。他人の鶏は絞めてはならない、ある方の影は踏まない、他人の浜で漁をしていけない等々がそれだ。100人ほどの小島では、タプを作って互いに護り合うことで生活が保たれていた。タヒチで多く見かけるTapuは、「立ち入り禁止」の意味であるから注意するように、と、片山先生。

入植したヨーロッパ人から金属道具を得るまでは、永く石器時代が続いたが、この石器時代、知恵を発揮せざるを得ないことから、誰もがゼネラリストになったという。(確かに、自分のことは自分で出来ないと干上がってしまうわけだ。)ノーモアキリキリという大コウモリは食べ尽くされ、亀も食べた後に、骨が道具にされた。そうした点では、鯨の骨は大きく太く強いためか、ある部位の骨は槌になったりした骨器が残されていた。黒真珠貝の母貝から釣り針を作っていた。ココヤシが衣食住の重要な財産であることはよく知られているが、成長するまでにイチとかヌとか、名前が変わっていく。割った中の白いツブという部分は、大事な離乳食にされたそうだ。コプラという部分は、石鹸やオイルになった。自然に落下する実は危険なので、登っては予め落としておくのだそうだ。Img_0158_1

11食とはいえ、マークサス島では芋が栽培できず、3月から5月にかけて、パンノキの実を砕いて乾燥させたモノをこねて食べていたが、ポリネシアでの食料の大半は、タロ芋である。日本人が食する子芋ではなく、親芋を食べるのである。ニュージーランド、イースター島では、日本で言うサツマイモの種類を食していた。タロ芋の出来ない乾燥した地域で食べるサツマイモは、中南米を原産地とし、ハワイ、タヒチ、サモア、フィジーから、日本、ニュージーランド、遠くはアフリカまで及んだ。なぜ5000kmもの距離にある南米のサツマイモがポリネシアに来たかの理由は、カヌーのオーバーランだったという調査結果がある。つまり、2000年前には、太平洋を横断するポリネシアンがいたということである。

ゴツゴツとしたヤムイモという種類があるが、フィジアンの主食で、これは、日本で言うところの自然薯、山芋である。タコはポリネシアンが大好きでハレの場には、豚同様、供される。豚の丸焼きなどウム料理に使用する焼き石は、大変重要な家財道具である。低い島の珊瑚の石は役立たず、高い島にある石は高温に耐える。このため、焼き石は嫁入り道具のひとつとされてきた。家畜で言えば、犬も鶏もカヌーで一緒に来たと言うが、犬はペットと食用に分けられていた。鶏は、10mのプルメリアの木で休むほどに飛べていた。馬は2300年前にヨーロッパ人が持ち込んだが、現地語では「台地を走るブタ」と呼ばれ、羊は「歯のあるブタ」と言われていた。

酒というモノはポリネシアには一切なかったという。ミクロネシアにあるヤシ酒は、美味くない上に悪酔いするものですよ、と、話は、発掘作業での経験談に流れていった。

マンゴやパパイヤは、色とりどりの花と同じように、1819世紀にヨーロッパ人が持ち込んだものである。ポリネシアンの入れ墨は、数が多いほど位の高い人だ。家族は多産系で、自分が知っている最大は21人の子沢山だったと、片山先生。

天候に関してだが、南洋の台風は年に12回ほどで、全くない年がある住みやすい海域なんですよ、と今日の講義を締めた。受講生になった気分で懸命にとれたメモは、ここまでだった。

 

ヴァイブの効果はあらたかだった。帰りのトイレで、下腹部がいつものようにすっきりした。ライブラリーでメールのチェックをした。後は、することもなく部屋に入る。カミサンは、「何でもビンゴ」の二回目の挑戦に、向かいのシアターに出ていった。

スタッフ高嵜君の軽妙な司会が始まっていた。P1000319_1与えられたテーマから、その種類を書いてマスを埋める。マイクを差し出された人は、なんらかの名前を読み上げる。 該当する人は自分のマスの中を丸で囲む。あとは、ビンゴの様式で進む。 先着5名には、カジノ券が与えられる。船内では、あらゆる機会を創りだし、カジノ券で参加して、カジノ券を倍増させるゲームが行われる。せっせせっせとそれに参加してはカジノ券を増やしている方がいる。P1000313今回は、僕らは未だ一度も行っていない。部屋に戻って、また昼寝をする。

 

18時に宮本さんがノック。山縣さんのメールが、間違いで自分に送られてきたので、プリントアウトしてドアの下に差し込みますとのこと。山縣さんからのメールでは、日本デッキゴルフ協会設立の気運に刺激を受けて、「国際姫路ロイヤルクラシック・陸デッキゴルフクラブ」として、市の公民館に働きかけて、デッキゴルフ愛好者を募ろうとビラを作ることにしたという。山縣さんらしい文面だった。夕食前のミネハハのコンサートはパスして、航海日誌を打つ。

 

夕食に遅れたと慌てて上がったが、また時間を間違えていた。まだオープンしたばかりだった。行列の後に続いた。ジュン君の担当席に再び案内された。二人だけの席だった。煩わしさのない良さでもあり、侘びしさでもあり、二人で白ワインとビールで乾杯。和食を食べた。今晩のカミサンは、セミインフォーマルの雰囲気があるので、写真をパチリ。山縣さんのメールプリントを高嵜さんに見せ、帰りがけに稲積夫妻に名刺を渡した。彼らの住所は、やはり変わっていた。お母様とは、04年に運転免許証の更新時、鵜沼で会ったきりだったが、彼の話によると、その翌年から人工透析になり、体力がぐんと落ちたという。痒み止めにステロイド軟膏を塗っていたが、幸い懇意にしていたポナペの獣医さんが帰国して、体に合う漢方薬の紹介を得たことで、今は治まっているとのこと。

  

P1000323P1000322

2115分からは、星座教室がデッキで行われた。クルーズ慣れた人は、バスタオルを手にして現れる。敷いて寝ころぶためである。ウッドデッキ一杯に人が拡がった。用意された折りたたみの椅子は、さすがに満席である。デッキの照明がすべて落とされた。真っ暗の上空に、星がきらめいている。 説明役の航海士は、強力なレーザービームが、夜空のスクリーンに発せられる。これまでの懐中電灯とは違い、光のP1000333届き方が解りやすい。03年の世界一周クルーズの時は、通り抜ける人工衛星が見えた。今夜は軌道時間ではないのか、見えなかったが、南十字星と偽南十字星は、くっりと見えた。満天の星空とはこういうものだ。見やすい位置に船は徐々に進路を変えてくれている。クルーズの醍醐味だ。ライブ・プラネタリュームで涼やかなひとときを終えた。

 

この後は、サロン「海」でマジックショーだが、部屋に戻った。

高木さんのDVDを、野村さんの航海日誌をまだ見終わっていない・・・・・。

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07.05.16 メラネシアへ2

7時に眼が覚めた。二度寝をやめて、パソコンを叩く。今朝は、リーグ戦の初日となる。我々のメンバーに新人が加わったので、少し早くに特訓をしようと言い合ったのだから、遅れるわけにはいかない。左舷の空は、黒い雲が低く垂れ込み、やがて水平線はぼやけて霧で掻き消された。船窓は雫が点々と付き始めた。デッキゴルフのコンディションは、パックがミズスマシ状態になるのか。

ナビ画面で見る航跡は、どの島に遮られることもない大海原を真っ直ぐに、ひたすら東南東に航行している。181ノット。インド洋のような、湖面を走る海は今回望